にわたづみ
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2014/04/06(Sun)
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前夜のスコールが2時間以上も続いて玄関前には泥道がぬかるんでいました・・でも暑さは
その分湿気を孕み蒸し暑く・・涼しい風が時々”慰め程度”には吹きますが暑かったです! さて今回の世界遺産はシェムリアップから15km地点にある遺跡群です。 この遺跡群の名前は【ロリュオス遺跡群】と言いまして・・本当はここを先に訪れてから アンコール・ワットやトムを見るのが歴史上、又その時代の流れがよく理解できる場所だと 思いました・・( ^^) ただ不便な場所にあるので観光客が少なく昨日も観光バス2台だけでした!韓国人が10数人 と欧州人が数人と言う寂しい観光地でした。 ここは8世紀末から9世紀にかけて栄えていた王都ハリハラ―ラヤです。以前にお話をしまし たク―レン山で独立を宣言したジャヤバルマン2世はこの地を王都と決定しました。 インドラパルマン1世頃に都を拡大していったと言われています。しかし、ロレイ建造後に 治水問題で現在のアンコール地方へ遷都したと言われています。拝観した全てはヒンデゥ教 の寺院跡です。 <クロマー参照> ①ロレイ(893年)大貯水池インドラクターカが(創設者の父・インドラヴァルマンの名) を称えた呼称とも言われています。池の上の小島に建設された寺院。4つの祠堂中央にリンガ を配置し四方に水が流れるイメージで構成されています。 壁面には金剛力士像や女神デヴァダーがあります。綺麗なままの形で残されていて・・往時 が偲ばれました。女神の巻きスカートには年代があって、前に襞を寄せているのですがそれ らも時代によって位置や形が変わっていて繊細で精緻な写実的な光景を色々に見せてくれて 感動しました。盗掘がなければもっと形も素晴らしく残存されているのでしょう・・(*_*) 祠堂の中には碑文がはっきりと残されていて(古代クメール文字)が鮮烈な姿で残っていて 感動しましたねぇ・・(@_@;) ロレイはかつてアンコール都城の東西にあるメボン寺院と同じ意味を持っていました。 北東の祠堂にはインドラヴァルマン1世が祀られています。 前記しました様に貯水池の小島に建てられた建造物ですが現在は池は全くなくなっています! 鉄骨が周囲を囲み修復の作業が進んでいました。 この周辺は韓国が支援しているようで 拝観料の中から支援としてカンボジア人清掃掛りの人々を雇い、上手な外交を広げている。 遺跡の敷地内には立派な現在の仏教寺院が併設されています。 大勢の僧侶がここで修行を 行っているという話でした。立派な寺院でしたし、この年代でこれだけの建造物が作られて いたことを考えると素晴らしい技術と才能、国力を感じて圧巻でした。 全部が残っている訳では勿論ありませんが・・崩壊された部分もあり煉瓦作りの間から樹木 が勢いよく出ていたり崩壊しても仕方ない年数を耐えている姿には往時の権力と精巧な技術 職人の技を見せられた思いがしました。 道路も未だ途中までで赤土の道が長く続いていました。 貧しい村人が数人歩いている位で 遺跡場所にはお土産店も閑散として少ないから・・殆どは飲物を購入している程度でした! 3ヶ所行きましたので明日は又違う寺院を・・写真がなくて恐縮ですが・・今は色々な事が 調べられますので・・検索してみてくださいませ・・<(__)> ただ、ぽつんとそこに遺跡がある感じで周囲は、地雷撤去された平原が広がっている道をも ひた走る感じでした・・平原の向うに見える森は未だどの位の地雷が埋もれているのか見当 もつかないと言う話に恐怖感はありましたが・・(-_-メ) 昨夜もまるで『雨季』のように雨が激しく降って・・このところ毎日です。 赤土の道路は 浸透しないからドロドロになっているカンボジア・リアップの朝です。 スポンサーサイト
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