FC2ブログ
にわたづみ
2014/03/20(Thu)
☆【アンコールとアンコール・ワット】  <アンコール遺跡=波田野直樹氏著より>

実は私もこの本と出会う迄は全く違う事を認識していなかったのです!恥ずかしながら!

カンボジアへ行ってアンコール遺跡を見る事=アンコール・ワットに行くことだと信じて

いました。だがこの言い方はとても大きな間違いであることを知らされた!・・(*_*)

    *回答は「アンコールへ行く」というのが正しいと言います*

アンコール・ワットはアンコール遺跡を代表する巨大かつ荘厳で壮麗な寺院遺跡であって

世界遺産に登録されていることはよくご存じだと思います・・( ^^)

日本ではアンコール・ワットは有名でもアンコールそのものは以外と知られていない・・

(私も同様でした)では、アンコールとは何でしょう?

現在のカンボジアは周囲をタイ、ラオス、ベトナムに囲まれたインドシナの小国です。

しかし、かつてのクメール民族{現在の人口の大半}は9世紀から15世紀にかけて現在の

カンボジアの国土に加えてベトナムの南半分、ラオス南部、そしてタイはその殆どがその

領土とする大国を作り上げていったのです。

それが【アンコール帝国】だったのです、アンコール帝国の都が置かれたのはカンボジア

北西部、現在のシェムリアップ州都シェムリアップ周辺でした。そこがアンコールの地で

あったのです。

シェムリアップの北にあるプレア・ク―レン=(ク―レン山)丘陵から南のトンレサップに

いたる緩やかな扇状台地には現在もアンコール期とそれ以前に作られた多数の遺跡が点在

しています。 その広さは遺跡保護地区になっている部分{東はパンテアイ・サムレ付近

西はバライ西端付近、北がプレア・カン付近、南はアンコール・ワット付近を結ぶ東西に

長い地域を中心に【ロリュウス遺跡群周辺とパンテアイ・スレイ周辺を加えた地域(そこ

が第1ゾーン)と呼ばれています】がそれだけでも約400平方㌔もあると言います。

有名なアンコール・ワットはこれらの遺跡群の1つにすぎなくて、アンコール期を通じて

最大最高の寺院にして霊廟なのです・・(@_@;)

因みにアンコールという言葉は{都市}を意味すると言われていて、地域の名称であって

また9世紀初頭から15世紀まで600年以上の間繁栄した王朝の名【アンコール朝】または

【アンコール帝国】というそうです。 王たちは実力で登位し血統の上での連続性は低く

また、その時代【アンコール朝】をも意味していたのです。

だから、単にアンコールという時はそれは地域(アンコール地域)政治体制(アンコール

朝時代)(アンコール期)のいずれかを表していると言うのだと書かれていました。

その広大な領地内には寺院ばかりではなく、都城、病院、宿駅、橋などが建設された。

例えば、タイの東北部{イーサン}には(アンコール期)に建てられた多くの寺院が現存

していますし、絶えず沢山の人がお参りしています。

故に、アンコール・ワットは一つの建造物の名前で有ってその建造物はアンコール遺跡群

の1つにすぎないと言われています・・(#^.^#)

一寸面倒でしたが・・個人的にもよく理解できていなかったものですから書いてみました!

そしてアンコール遺跡群は一時に作られたのではなく、現在判っている範囲でも約700年

にわたって連綿として作り続けられたものであると言われています・・(@_@。

未だ分厚い本で70ページほどしか読んでいませんが・・少しは住んでいるこの街のことや

遺跡について書けたらいいなあと思っています。

何かの参考になれば幸せです・・(#^.^#)  今朝も薄雲が広がって淀んだ空気の中から

カンボジア・リアップの朝は明けました。
スポンサーサイト



この記事のURL | カンボジア | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<にわたづみ | メイン | にわたづみ>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://benishidare.blog95.fc2.com/tb.php/1863-6836ba72

| メイン |