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にわたづみ
2014/03/16(Sun)
☆ジャヤヴァルマン7世と言う王   <上智大学アジア研究員丸井先生記事参照>

アンコール時代に都が置かれた地域は・・現在のカンボジア国土中央に横たわる太きな湖

トンレサップ湖のその北西部、シェムリアップ州にありました。

北東のク―レン山からトンレサップに注ぎ込む3つの河川が土砂を運び堆積して緩やかな

扇状地を作ったと言われています。

その平原上にアンコールの巨大な石造建設が展開されました。

アンコール朝の最初の王であるジャヤヴァルマン2世が王位継承の正当化を宣言するために

ク―レン山=プレム・ク―レンにて宗教儀式を執り行ったのが802年頃でした。

以来、1431年のシャム軍侵攻による王都放棄まで6世紀近くもの期間アンコール地域に

都が置かれていました。

ジャヤヴァルマン7世は最初の王から数えて20代目で1181年に即位したのです。

王はヒンデゥ教を信奉していた歴代の王とは異なり大乗仏教(マハーヤナ)に系統した!

その約30年の治世下に多くの仏教寺院を建立した。彼はその30年の間に施療院102ヶ所

街道沿いに宿駅を121ヶ所建造したと言います・・(@_@;)

そして自らのために造営した都城が『アンコ-ル・トム』でありその中央にはバイヨンが

堂々とした雄姿を見せつけ建っています。

彼の時代に建てられた遺跡は枚挙にいとまがないほどだったそうです・・(*_*)

さて、ジャヤヴァルマン7世王が没後に継承した王は、再びヒンデゥ教を王の宗教とした

ため・・これらの仏教の象徴である仏陀像を削り壊すと言う行為は対立するヒンデゥ教徒

{シヴァ派}による廃仏行為ではなかったか?と推測されているのです。

これが世に言う《シヴァ派教徒の反動》=リアクション・シヴァイテだったそうです。

彼らには数種類の行動があって①は仏陀、あるいは仏教の彫刻を完全に削り取って無にして

しまうやり方  ②仏陀などを削り取った後、リンガなどのヒンデゥ教の象徴に大きく変え

てしまう場合  ③またはロケシュヴァラ像などの一部を改変し、仏教を直接連想させない

と言う意味でイメージに彫り直す場合があったと言われています。

とても不思議な感覚で遺跡を見学する時には特にジャヤヴァルマン7世王が建立した寺院

を拝観する時は壁面や妻飾りの彫刻に注意して頂けたら、寺院を中心にして繰り広げられ

た宗教の移り変わりがご理解いただけるかと思います。

今。折角この地にいるのだからと思いアンコール関係の凄く分厚い本を読んでいますが・・

遅々として進展しないのです・・(#^.^#)

凄く面白くて・・いつの日か?アンコールについて書けたらと・・かなり遅まきながら考え

ているのですが・・間に合わないかも知れません・・あはははは

昨夜は俄か雨が・・(-_-;)結構音を立てて降りました・・(@_@。

そのせいでしょうか?今朝はひんやりとしたカンボジア・リアップの夜明けでした。
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