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にわたづみ
2014/03/09(Sun)
☆扶南街道    <D・A・C参照>

アンコール・ワットの発見で知られているフランス人『アンリー・ムオ氏』は1858年に

シャム=現在のタイに着き王都ウドンを辿りアンコールの地シェムリアップには1860年

に到着している。

彼の記録〚インドシナ王国遍歴記〛にはカンポットからウドンへの記録は陸路は殆ど登場

しない。ウドンからシェムリアップまではサップ川を遡りトンレサップ湖を横切り行った

ことは間違いないと言われていますが、カンポットからウドンまでの記録が少なくて旅路

の多くはカンポットのコンポイバイ川縦横に繋がる水路を辿って小舟でバサック川に出た

とされています。

カンボジア南東部=(漢文資料名を扶南と言い2~7世紀)の揺籃の地には縦横に結ばれた

水路があった。扶南の痕跡を示す寺院遺跡は数多あるようですが現存するものはわずかで

その年代さえ{推定の域}をでないそうです。

しかし扶南に由来する後世の遺跡には事欠かないとも言われています。中でも他の地域に

見られないカンポット州洞窟寺院遺跡は明らかに扶南に由来する。なぜならいずれも洞窟

と言う特異な寺院配置が水路によって結びつけられるからです。

①先ず水路が発達した・・

古来、陸路より人々の交通手段としていち早く発達し多くの水路が外洋に開けているなら

遠く離れた諸地域との交通手段が自と盛んになる。カンボジアの道を見るに直線道が多く

その道は雨季の増水を避けるためいずれも盛り土している。あたかも水没地を仕切る堤防

のようです。

また、カンボジア中央部低地の集落には街村がある。初めは河川沿いの微高地に立地した

ようだが水上交通の便の良い集落に市が立ち、やがて主要な河川港となって行った。

その事はコンボン{港}と言う地名が多いことでも理解されています。

明日はその洞窟寺院について書かせて頂きます。

昨晩から現在も未だテープの読経が耳に激しく・・音楽とも思える眠気を誘う近くの寺院

からの読経が流れているカンボジア・リアップの夜明けです。
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