ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/31(Sun)
昨晩から降り出した雨は風を伴って激しくフロントガラスに体当たりしていた!

ワイパーの音が妙にうざく耳ざわりな音を出しては前方を塞いでいるような感じの

中を彼女の友人ご夫婦の車で南房総半島にある千倉という町に出かけました。

彼女たちは毎年、その街で『花摘み』をするのだそうです。初めての体験でしたが

{本降りそして凄く寒い}という悪条件の中でしたが・・(-_-)

レインボウ・ブリッジを渡り”海ほたる”という休憩所というのでしょうか?

木更津の海の真ん中に人工的に作られた場所らしく、海を眺めるという計画も雨風

と靄に視界を奪われて全く何も見えない状況でした! それでも、春休み中なので

子供連れの人々の数は相当いました・・(@_@。

近くを大型タンカーが汽笛を鳴らしながら通過するのをぼやけた感覚で見ていたの

ですが・・猛烈な横殴りの風雨に圧されて立っている事も恐ろしい感じでしたから

トイレだけ拝借してそこは出発でした。お天気だったら見事なくらいの景色だった

そうですが・・残念でした!車の台数が全く変化ない程のろのろの渋滞が続いた!

やっと千葉市内に入ると車の流れもそれなりに走りだしました。何時もの倍は時間

が掛ったとの話でしたが・・私は千葉と言えば船橋、柏程度しか知らなくて房総の

{菜の花畑}などは早くから満開になる姿をTVでしか見た事がなかった・・(-.-)

途中でお昼になってしまい、市内で食事をしたのですが・・お腹が空いていたので

結構美味しく頂きました。海鮮丼が有名だとか聞いていたのですが、多分食べ切れ

ないと思い1品料理にしたが・・それが正解でしたね・・うふふふふ 

それでもご飯は半分も残した。親友やご夫婦は完食されていたが・・!(^^)!

4人ともども老人ばかりなのに・・皆、健啖家なので吃驚してしまった!

漸く、何時も行くという花畑に到着、その頃は不思議に雨も上がって薄日が差して

きていました。雨上がりでしたから畑の中には長靴の用意がしてあり、それを借り

ビニールハウスの中や外に満開に咲いている金魚草、矢車草、金盞花の3種類だけ

今の盛りで花自体はも、終焉に近いそうで値段もかなり廉価でした。

とに角、花畑から直接切りだして好き勝手に刈るという作業は興味があり、イチゴ

や梨、果物狩りとは違って香りもよく『花摘み』も楽しい思い出になりました!

その花畑の小母さんは花が終わると海女になって、アワビ、サザエなどを取る話に

かなりの高齢者なのに・・その逞しさに仰天したものです・・\(◎o◎)/!

私は蕾ばかりを20本位でしたが・・彼女は両手に抱えるほどの束を2つも購入し

ご近所にお裾分けするとの事でした・・(@_@;)

未だ即は帰阪出来ないので花が傷む気がして遠慮していたのですが、それから2日

の間に蕾が咲きだし半分は開花して来たのには吃驚しました! 彼女の家のバケツ

には満杯になった花が幾つもできました・・あははははは

帰路は違う道を通って帰って来たのですが首都高速でまたもや渋滞に遭遇し、想像

以上に時間が掛り、又、ナビと違う方法で走った様で高速を間違って降りると言う

有様でしたから・・前のご夫婦は喧嘩腰になったり・・険悪な雰囲気が流れた。

彼女は何時ものことだからと言って平然としていたが・・(--〆) 私は初めてで

緊張していた。都内に入ってからでも車窓から桜が次々と姿を見せてくれて、心を

和ませてくれました。桜通りや並木があちこちにあるからなるべく周辺を通る様に

彼は考えてくれていたのだと思いますが・・m(__)m  そのために道を間違える

ハプニングでしたから私としては心が揺らいでおりました・・ふふふふふ

家に着くころには雨は既に去っていましたが、かなり降ったらしく、道路は濡れて

いました・・(-.-)夕飯の後、お喋りしていたら12時ごろになりこんな時間まで

起きている事がない人だから・・今度は身体は疲れているのに眠れなくて・・薬を

飲んで眠った。矢張り同じ時間に起きれたが寝不足でした完全に・・はははははは

花々は新聞紙に包まれてご近所に回されていきました。 その間お風呂に入ったり

暢気に時間を過ごしていましたが・・ま、その数の多さに彼女の付き合いの広さを

垣間見た気がしましたねぇ・・全く私とは性格も人との付き合いが異なる事に今更

ながら驚きましたが・・人に親切だし、誰彼と面倒を見る事に労わない生来の気性

なのだと思い結構吃驚したものです。  人との関わりが多くなると聞かなくても

良いことを聞いたり、こちらからアプローチしたりと煩わしさがある事が何よりも

好まない私とでは雲泥の差があるのだと思いました。私は可能な限り人との関わり

は少なく【それ故に、狭量な思考でしか物事が見えない。聞かない分面倒がない】

という悪循環がありますが老いてから色々な人に刺激を受け入れる事に余り興味が

無くなってしまって・・ま、そう言う性格だと思いますが・・1人で行動すること

がなにより楽だからそして好きなのだと思います。だから彼女と会うと何時も沢山

の人の話に花が咲き{桜}以上に色々な刺激を貰ってくるのが常套手段・・(-_-メ)

でもあります。本当に人が好きだと言いますしそれを行動している人なのです!

全く違う観点や視点から物事に明るく、私の様に狭隘な思考回路でないから有難い

と何時も感じています。が、関わりができると厄介も増えて大変だろうなぁと思う

気持ちも個人的には有るのですが・・(・_・;)

私の何倍も楽しい人生を送っている様にも見えます・・羨望感は全くないのですが

同様の境遇でもバリバリと知人友人を増加させていく彼女とは真っ向から正反対の

私ですが・・お互いに無い部分を補っていける利点が私にはあるのですが・・彼女

の心中までは見通す事は不可能だから大抵は聞き役に回っている・・でもその交際

の範囲の広さに圧倒されているのが現況でしょうか・・ひゃははははは

ま、素敵な女性で魅力的だと思います。 傍にいてくれるだけで私は良いと思って

いるのですが・・(*^_^*)数多の話を聞かされると本当に様々な人生がある事や

色々な人との出会いがある事に驚きを隠せない気分でした・・(#^.^#)

2日目は終わってしまった・・(><)

明日も雨催いの天気とか言っていたが・・どうなるのかしら? 雨が酷い時は上野に

寄席を観に行き、上野の桜を見物する約束になった。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/30(Sat)
〚雨女の旅立ちには相応しくない好天気に恵まれ早朝6時には家を出ました!〛

新幹線は700形で"のぞみ”でした。ここからだと、私鉄を乗り継ぎ、JTとの

経由ですから時間が掛るため少し早くの出立だった・・( ^^)

ま、通勤電車には長年乗った事がないからその混雑に吃驚しましたが・・(@_@。

毎日、こんなに頑張って働いておられる人を見ながら座っている人々は殆どが寝て

いるという状況も又、不思議でしたねぇ!

何時もの電車では携帯を一斉に動かしている大勢の人にしか出会わないだけに・・

面白く感じました・・( ^)o(^ ) が・・凄い満員状態でした!

JRに乗り換える駅では和歌山へ行く{特急黒潮号}が入線してきていました。その

姿には本当に「お久しぶり」と言えるほど遭っていなかったので早速、駅員の方に

特急券だけで乗れることを教えられて・・うふふふふ 1駅でしたが・・30分も

掛らず新幹線駅まで到着しました。その容姿は気品があり好きだったのです。

乗り物大好きな人ですから少しのチャンスも逃せないという按配でしょうか?

   【実はこのチケットの件で大問題がありました・・(><;)】

何処で紛失したのか?3日前から往路のチケットがないのです。購入した日は数日

前で親友に時間の連絡をするため手元に出して見ながらメールを打っていたのです!

所がそのまま財布に入れたとばかり思って安心していたのですが・・それが何処を

探してもないのです。仕方なく再度購入しに出かけました≪結構ショックでした≫

それでも《老化現象》だと思い、部屋の中バッグの中全て放出してゴミ箱まで漁り

ゴム手袋で探したのですが見つけられなかった・・家でしか失くしていないという

思い込みだけで買い物に行ったり、歯医者へ行ったのですが・・(-"-)

落した感覚がなくて・・それから、探すところもなく(狭い部屋だから)も、諦観

して購入に出かけました。 歯医者が思ったほど安価でしたから<この無駄で丁度

いいかなぁ>・・と理由をつけ既に諦めの準備をして荷物を送りました。

2日後チケットを買ってきた日の夜に電話があり、歯科の先生からで・・(@_@;)

部分入れ歯にしたもので口の中に異物がある様で、話づらかったので病院で「先生

に少しお喋りしてもいいですか?声変ではないですか?」などと「東京行きの話を

したのです」「大丈夫ですよ!ま、その内に慣れるから音も大丈夫!」など言われ

安心して帰ったのです。まさか、まさか歯医者に落していたとは夢にも思わなくて

先生から「さくらさん、そういえば東京行きの話していましたねぇ・・もしかして

チケットは貴女のではないですか?」随分色々と考えたけど・・東京行きの話は私

しか思い付かなかったので電話しました」と言われたのです。ま・・\(◎o◎)/!

しました。考えたら歯医者の診察券は同色でカード入れに入れてあったのを一緒に

出した様でした・・やれやれ・・( 一一) 本当に情けなかった・・(-_-メ)

想像もしなかっただけに凄く嬉しくて・・でも使用はできないと思っていました。

{みどりの窓口}でダメ元だと思い並んでいたのですが・・ま、思いがけなく短縮

されて到着したもので。時間がありましたから並んで事情を説明しました。

係の女性が「じゃ!新しいのと交換してあげますよ」という返事で・・ここでも又

驚きました・・7月まで使用できるというのです・・本当に幸先が良いスタートで

「指定席も紛失したチケットの方に乗りますか?」とか聞かれ、新しく再購入した

方にして新券を頂きました。想像もしていませんでしたが・・思いがけなくとんだ

所でこんな嬉しい誤算の事件があったのです・・(#^.^#)

今でこそ、平然と書けますが<うひょ!老化?>が頭の中を駆け巡っておりました

です・・あははははは

東京駅には珍しく彼女が迎えに来てくれていた・・(#^.^#) 昔から私は誰と待ち

合わせをしても指定席の前まで送迎するのが私流でしたが彼女は家までか近くの駅

に来る位でそれも大抵、数日間宿泊させてくれても放置する人で自分の用事を優先

させる人だから・・私は海外も1人だし、ましてや日本では何処へ行っても駅まで

迎えに来てくれる人はいない。貴女のこと{慣れているから大丈夫レッテル!}を

貼付されている人で送迎には飛行場でも大半は一人で行動します・・(*^_^*)

今回時間が勿体ないという話になりそのまま山の手線上を巡りました。丁度、大学

の卒業日と重なって上智大学前の桜並木を見ていたら・・物凄い親子連れが当校し

娘は袴姿の彩りも仰天する位の派手さで親も一緒にというその風景に唖然とした!

両親で連いてくる卒業式があるなんて・・恥ずかしながら全く知らなかったからー

娘たちが慣れない着物、袴姿に編上げブーツを履き、髪には造花やキラキラした花

が零れ落ちる位に飾ってあって・・人数が凄いから圧倒されて見ていました。

時代に流れを感じましたねぇ・・(@_@;)皆同様の恰好で他と異なった人が少ない

事も驚愕した原因です・・『個性がないと言っていいのではないしょうか?』

多分、殆どが親が揃えたのではないかとそんな事を感じていました・・(;一_一)

娘の卒業の時は20年位前でしたが・・私は札幌でしたから、着物の着付けの為に

上京していましたが・・一緒に学校までは行かなかったです・・うふふふふ

大学の前が桜のトンネルになっていて・・ゼミの学生たちの集まりで振袖に一升瓶

を飲んでいる女性たちがいて・・これも驚倒な光景でした。男性は囃し立てて名前

を呼んで次々と一升瓶が回されている姿は《日本の平和をしみじみ感じ・・急性の

アルコール中毒にならねばいいなぁ》と思って暫し見とれていたが・・女性だけで

数人で空になって行った「うひゃ!余りの驚きの光景に呆然となった」・・(-.-)

そこから代々木公園に回って行きました。 ここはかなり広く、桜の場所までには

大道芸人や公園内で歌を歌っていたり、趣味のサークルと言ってましたが高校生が

ジャグリングの練習を沢山でしていました。あちこちから趣味で集まって来てして

いる様で・・その数にも驚きましたしボールを上に7つぐらいお手玉の様に操って

又、棒など、新体操のリボンの様なものもあって・・暫く感激しながら拝見した。

先輩になる人や優秀な人が教えている様でしたが、何かに所属しているのとは違い

自由に楽しんでいる感じでした。ボ-ルには下に砂が入っていて普通のボールでは

無いことも初めて知りました・・はははははは

暫し歩くとブルーシートが沢山敷いてあり・・風も少し心地よく桜の下で時間を潰し

寒くならない程度に引き上げ、今朝4時半起きだったので疲れて【桜行脚】は1日目

を終えました。割合寒くて花冷えで曇っていました。明日は雨との予想でしたが・・

必ず雨が降ることは否めない私ですから・・ふふふふふ

その夜は翌日早いから早目に休みましたが。電車から眺める各駅にある桜並木などは

眼に痛いほど強烈な視覚に入り、彼女の家まで歩く道すがらにもお寺に淡い紅しだれ

がありました。夜はライトアップされるとのこと・・(*^_^*)

現在の桜は大切にされ保存状態もよくて・・何処の花も今を盛りと誇示している様子

で見事でした!時期的にも合致出来て最高の桜たちとの出会いでした・・(*^^)v

〖後、どの位の桜に出会えるか?カウントダウンが始まった気分の【桜行脚】が開始

された心境でしたねぇ〗桜の樹木にそっと手を置き又、身体を木々に靠れさせて触れ

させながら・・音を匂いを肌に染み込ませていました・・(#^.^#)今を咲いてくれた

事に心から感謝し、またその勢いに心が洗われ胸が熱く「ジーン」となっていた。

ほんの少し桜の香りを心に忍ばせて1日目は終わりました。

少し花吹雪も見ましたが・・絶好の桜に遭遇出来て幸せも満開でした・・(●^o^●)

明日は千葉南房総です。

物干し竿がいっぱいの洗濯になりました浪速の夜明けです。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/26(Tue)
☆☆おはようございます!これから【桜との出会い旅】へ行ってきます☆☆

         暫く休ませて頂きます・・m(__)m
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/25(Mon)
思いがけなくお天気が良くなって・・雨の予報が外れて嬉しい誤算でした。一寸

お土産を買いに出かけました。 も、この歳ですから相手もお会いする人達にも

食べる物と言っても多くは必要がなく・・簡単にさっさと買い帰宅したが、太陽

が思いのほか暖かかったので荷物を置いたまま直ぐ洗濯をして干した。小さな物

ばかりだったのですが早く乾いて良かったです・・(*^_^*)

荷持つも送ったのでバッグ1つで出かけられる事に感謝しています・・うふふふ

明日から愈々【桜に会いに行く旅】が始まります。もう既に満開だという話に心

が躍っていますが・・(*^_^*)随分色々な桜に遭遇してきたのですが、都内で

余り人が行かない場所を調べて行く予定ですが・・(#^.^#)

有名な所は殆ど行っているが、栃木や群馬は未だ行っていないから、その周辺に

多分なると思います。それでも相手のある事ですから・・勝手な事は言えないが

待っていてくれる彼女は・・どうも千葉の方への計画が入っているようです・・

桜時期だけの私の長い年月の贅沢です。思いきり楽しんで来ようと思っています!

来年は会えるか解らない・・そんな事を考えねばならない年齢ですから・・(^^ゞ

この贅沢は〔生きるパワーを貰える何よりの時間〕なのです・・はははははは

※オワンさんに出会って

彼女は息子がよく行く和食店のオーナーです。ご主人が日本人でS県の方で彼は香港

で長い間、すし職人として働き、店をベトナムに出した人です。

彼女とは何処でどうやって会ったのかその話は聞いていないのだが・・先ず1ヶ月

に何度か行く息子に教えられて、1人でも時々出かける店として知り合ったのです。

凄く親切で、温かく、思いやりのあるベトナム人です。日本語も割合正確に伝わり

上手に話せるけれど、書くことは苦手らしい・・うふふふふ

ただ、ローマ字なら読めるので彼女とはずっと連絡を取り、ベトナムのニュースを

知らせてくれる大事な女性です「お母さん!」と私を呼んでくれる女性でもある!

何処でも何でも無理を言っても手伝ってくれるからすっかり甘えてしまっているが

乾季の時期で凄く暑い最中に部屋を変わりたいと言ったら、決まるまで仕事(店)

があるのに時間を割いてくれて探してくれた。 また、彼女は美容室や本やなどは

1人では入りずらい場所へよく連れて行ってくれた。ベトナム人の名前には『ン』

の付く人が多く〚アン、ドン、ヒエン、コン、フン、ドアン、ロン、ホン、ハン〛

さんなどと名前が同じ人も多いのが特徴でしょうか?オワンさんは珍しいかも知れ

ない・・私が知り合った女性では〚アン、フン〛さんが1番多かったです。

彼女とはローマ字のメールでやりとりしているのだが・・これは結構辛い! 何せ

フルローマ字だから・・慣れていなくて最近、漸く慣れた程度です・・あはははは

何度も読み直さないと、間違って打っている場合もあリ、神経を使う。 頭の勉強

には少しはなっているといいのですが・・(@_@。

彼女との思い出は沢山あるが、忘れられないことがあります。下町の本当に貧困者

の住む地区に有った美容室(ベトナム人経営)の場所に連れて行って貰った時です。

何度か一緒に行きました・・彼女が通訳してくれるから安心してお任せ状態でした

が、彼女はカラーリングをしているので時間が掛るから大抵は私が先に終わり待つ

のだが・・何せ日本人など見た事のない場所だから細い汚い路地をどんどん入って

行くのですが・・その路地で店をしている人等が私を見に来るという現象が起きて

初めての時は美容室の玄関に人が屯するという有様で・・酷く恥ずかしい思いをし

ました。湧いてくるように人が店の中まで入って来て<ジーッ>と見るのです!!

因みにベトナム人は人を見る時<ジーッ>と見る習癖があります。これは国民的な

事ですが・・(^_^;)慣れるまで気味悪く感じるかも知れません・・ひゃははははは

その時は雨季でした。道路がドロドロでバイクに乗せて連れて行った貰ったのです

が降りた足元が泥水の様になっていて流れていない。本当に衛生面では吃驚する程

薄汚れた汚濁した道路に面した店でしたが・・彼女の知り合いだという事でした。

まさか、日本人を連れて来るとは思っていなかった様で店の人達も興味津津の顔

で暫くは「ジーッ」が続きました。かなり参ってしまった・・!(^^)!

ベトナム人が経営している店は大方は家族で親族と一緒が多く小さな店でも何人も

の人がいるものでその美容室も5人位・・多分姉妹だとか従妹関係なのだと思って

いたのですが12、3歳位の子供がカットされた髪の毛を掃除したり、少し上の歳

ではシャンプーなどをさせていました。また、不動産やさんとの交渉なども勧んで

してくれて、凄く助けて貰った経験があります。喧嘩しているのかと思うほど大声

でやり合う姿は普段の大人しい感じの女性とは想像もできない・・(@_@;)

先ず自分の意見は曲げないベトナム人気質は持っている事を知らされたものです!

彼女の店に行くと色々な情報を教えて貰ったり、情報誌が置いてあったり、日本の

週刊誌雑誌、新聞が数日遅れで置いてあるのも便利でした。大きな店で多忙なのに

どう言う訳か?彼女は私を気に入ってくれて・・「お母さん!お母さん」と慕って

くれた女性です。薬やで薬を買う事も本やへ1人で行ける様になったのも彼女から

教わった事でした。本やは勇気がいりました。全く話せないから・・それに外国語

の本ばかり(当然ですが)だから・・慣れないと落ち着かず探せない。文房具など

も面白くて、時間は潰せるのですが、何となく慣れていないと「さー行くぞ!」的

な心の叫びに押されて中に入って本を探したものです・・わはははははは

ま、色々な事がありましたが、彼女とはこれからもずっと付き合い、又行く機会が

有れば真っ先に知らせる相手だと思います。美容室では恥ずかしい思い出でしたが

日本では想像もできないことで、外国人が来ているから見に行く感覚には流石の私

も図太くはなかったですねぇ・・ふふふふふ

今朝は暗くて雨を持っている様な暗雲が流れていましたが・・少し晴れてきた感じ

の浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/24(Sun)
どんよりと薄雲が逃げない空模様で・・(-_-)何となく寒い感じがしていました。

歯医者が最後だったので、朝から出かけました。 何時もは帽子を被るのですが

そろそろ大丈夫だと思い、外に出て「失敗した!」と思ったほど冷たい風が吹き

頭が寒かったです・・はははははは

病院は土曜日という指定の人が多くて・・結構混んでいました。でも予約だから

時間通りに順調に呼ばれ愈々義歯を嵌めて貰ったのですが・・違和感が拭えない

でも、これで何でも食せると思ったし、中々、技工士の方が上手で本当に確りと

入ったので・・安心しましたが先生曰く「気持ち悪いかも知れませんが我慢して

慣れて下さい」って・・でも、ま、安価で済んだし、贅沢も言えないと思いつつ

帰宅しましたが、スーパーで姉にばったり出会って姪の子供が高校受験合格した

話を聞き、安心した・・(#^.^#)希望の所ではなかったようだが・・公立でお金

も掛らず良かったと言ってました。 ずっと心配だったけれど、こう言う場合は

いかに身内でも「試験どうだった?合格した?」なんて聞きずらくて、気になり

ながらも相手から言ってくれるのを待たねばなんて気持ちがあった・・(^_^;)

長い人生の1つの岐路だけれど、彼女には{どんな道が待っているのか?}と思う

と凄く楽しみが増えた気がします。母親に似て絵画も上手く、手先も器用で陶芸を

したいと何時か言っていたが・・芸術性があるのかも知れません。

こんな話を聞くと矢張り〚春〛を痛感します・・人生のほんの一瞬の時だけれど人

それぞれに分岐点があり道が定められた様に変わっていくのも運命的な気がします。

孫がいないから彼女達の心情や感覚には連いていけないし何も理解できていないと

思いますが〔幸多かれ〕と祈るばかりです・・(*^_^*)

※習慣の違い

以前にも1度書いたのですが・・ベトナム人と日本人の違いで吃驚したことを少し

書いてみます。ベトナム人はとに角、時間にルーズで約束事等は余り重要視しない

人が多い。時間通りに待っていても1時間以内で来ればいい方です・・(+_+)

そして弁解もないし、来た事が約束を守ったという感覚なのだと思います。最初は

それが凄く苛々の原因でもありましたが・・すっかり馴らされて約束すると、先ず

1時間後だと思うようになりそれより早いと「どうしたの?早いね!」となるから

面白いものでした・・( ^)o(^ )

日本では居酒屋的な《ビアホイ》と言う店が夕方から夜にかけて飲んだり食べたり

出来る店が一斉に開店します。そこには小父さんだけではなく、最近は女性同士も

多くなりました。そこはトイレットペーパーがプラスチックのケースに入っていて

上から出せるようになっているのですが、それで口や食器を拭いて紙を床とか地面

に捨てます。殆どの人がそうするので地面は紙だらけです。勿論、ゴミ箱も置いて

有りますが大抵の人は面倒らしくそのまま捨てて行くのが普通の状態・・(@_@;)

これは\(◎o◎)/!すると思います。少し高級な店では捨ててはいけない場所も

あるから気をつけて下さい。

ベトナム人は紙(不織布)のおしぼりを本当によく使います。必ずと言っていい

位で、食事の場所では出されます。家庭でも多いでしょうか?店では料金が掛り

ますので、日本の様に無料ではないけれど。その紙袋を両手で大きな音をさせて

中身を出す人が多いのも習慣でしょうか?     驚きます・・(@_@。

あちこちで「ポン、パン」と鳴らしておしぼりを使うのが常套手段みたいです。

食事で思いだしましたが・・家庭などで大勢が食事する場合は座って食しますが

韓国の様に片膝を立てたり、胡坐をする人がかなりいます。若い女性でも同様で

これも吃驚するかも知れませんがごく普通の習慣みたいです・・うふふふふふ

 *日本では先ずありえない光景ですが・・国の違いを垣間見る事ができます*

後は爪楊枝が自然に使用されていて何処でも食事後には当然の様に出されますし

子供も使いますねぇ。日本の様に太くはなくて両方を使えるように薄型です。

絶対という頻度で使用しますし店にも置いてない所はないと思います・・(-.-)

男性では痰や唾を吐く人も多く、手鼻をする人も大勢みます。お構いなしですから

慣れていないと汚いという感覚があって、凄く嫌でした。でも、段々と時代の流れ

もあって、流石に減少して来ていましたが・・韓国人は今でも平気でした!!

ま、こんな所が『異国』と言えるのではないでしょうか?そう言う意味では日本人

は繊細だし、そんな事はした事がないと思いますが・・国が違う事はそう言うこと

でもあると知らされたものです・・あははははは

いい加減で図太くお喋り大好きな人々です。そして人のことより自分が大事だから

自己主張は泣いて食ってかかる程の激しさで自分を正当化します。家族が1番の国

ですから、嫁や婿は家族に入っていないことも当たり前のことでもあります。

全部がそうではありませんが・・凡そがそう言った国民気質です・・(・_・;)

今朝は午後から雨が降ってくるとの事ですがお土産を買いに一寸出かけます浪速の

曇天の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/23(Sat)
新幹線のチケットを買いに出かけた。ま、ここは田舎ですし私鉄沿線だから仕方が

ないのですが・・大阪や神戸と違って未だ発展続ける余裕があるのでしょう!

自動で購入する機械ばかりだったら、正直「嫌だなぁ・・(-.-)」と思っていたの

ですが、幸い{みどりの窓口}も健在で、割合大きく並んでいる人も少なくて順番

が直ぐに来てすんなり指定席も取れて、安堵しました・・(^-^)

最近は航空券もそうですがPCからか、自動で購入するのが増加して、老人には厳し

い環境が多すぎると思います。 これだけの老人を抱えた国なのに・・決して親切

ではない・・(><) ”矢張り昭和は遠くなったのでしょうか?”

先日、こんな事がありました。クレジットカード会社から殆ど使用しないから廃止

したい旨の連絡がハガキで届いたのです(息子の分)

海外にいてカードの使用は当然だから、無いと困ると思い慌てて連絡したのです。

所が電話をかけると音声ガイダンスで進行させるのですが・・解約でもなく、料金

の問い合わせ、紛失などは♯①、♯②、♯③・・・などと8つ位もあって、私の内容

はその他で最後でした・・(@_@;)  それまでも電話をかけるのにも混んでいて

何度もかけていました。そして繋がったらガイダンスの案内でした・・やれやれ!

所がオペレータに今度は全く繋がらなく、音楽が流れ「只今、非常に混んでいます

ので暫くお待ちください。その後は混んでいますので、お掛け直し下さい」の連続

でした。それでなくても又、同じ事の繰り返しをするのだと考て・・随分待った!

20分位放置して、食事の準備をしていたら・・電話口で呼んでいる声が聞こえた

漸く繋がり事情を説明したが・・結局は本人でないと確認ができないし、カードの

番号も知らないからと言われ、本人からの連絡待ちという事になった・・(><”)

〚あの時間は何だったのか?〛本人に国際電話をかけました。でも同じ会社が2枚

あるから放棄してもいいと俺が言うからと言った。 所がオペレーターの人はごく

普通にコレクトコールで無料ですからと言ってくれたのだが・・\(◎o◎)/!  

息子の住んでいるカンボジアは未だ国際電話は郵便局へ行かねばならず・・かなり

遠く、距離があり、とても仕事中には行けないと言ったそうで、自腹を切った様で

日本は面倒だと思ったと思います・・(・_・;)

現代の国際でも使用できる携帯を持っていればいいのですが・・必要もなく、未だ

ベトナム程の発展がないから・・首都などではそろそろと言った現実ですが、地方

では国内だけで十分で会社の電話は私用出来ないから・・その対応にムカッとした

と言ってました。 相手はコレクトコールで掛けていると思っているようで長々と

話して、その廃棄の手続きなどを説明したそうです・・日本と同様にまたは当然の

様に思われているのです。どんな環境で何処に住んでいるかなど範疇にも無い様で

このガイダンスも私は凄く嫌いです・・ひゃははははは

時代の流れと言えばそうなのでしょうが・・(-"-) 昔の様に音声だけでなく人が

話してくれることの安心感は老人には未だ有ると思うのですが・・(-_-メ)

前置きが長くなりましたが全てがPC も携帯も当然使用できるという思考から発想

されている様々な事に少なからず憤懣はあります。 今の所は何とか連いて行って

辛うじて迷惑かけない状態ですが・・本音の部分ではこれから先がかなり厳しくて

1人で頑張れるかなぁ・・と思う日があります・・きゃははははは

※またまた・・ベトナム語?

何度も書いていますが、これだけ何年も住んでいるのですが、恥ずかしながら殆ど

話す事も聞き取りも出来ません。  外国語が好きだっただけにこのベトナム語は

本当に難しくて・・降参したのです・・(-_-メ) 英字の母音5文字は1つの母音

に6つの発音があるため、その高低で意味が異なります。単に{a}の発音に6つ

の音がある訳ですから・・とても聞き取ることも不可能に私には思えて何度も挑戦

しては挫折をしました!も、仕方なく、市場で買い物をする時の必要語とか実際に

生活に必要な言葉だけを丸暗記したのですが・・これも中々容易ではなくて、毎回

「はあ?」って顔をされます。すると、も、喋る気力が失せてしまうのです!!

その頃は未だ未練があって、紙に書いて持って行ったりしたのだが・・これもまた

その人は読めても意味が解らない人とか?識字率は高いけれど・・大方は小学校迄

の人が多く、書いた文字を読むことができない人が多く・・これも問題大でした。

1番困ったのは日々使用する”水”をTEL で頼む時でした・・(;一_一)

大抵は会社の若い女性で、当初は依頼していましたが。 何時もだからそれも何か

悪い気がして・・自分で何度も何度もトライしたものです!  毎月2回位は連絡

しなければならず、電話では顔が見えない分音が大切です。それが”水”の発音は

特に難しくて出せない音なのです・・( 一一)

単純に〔住所と水2本〕だけを言えばいいのですが・・どうしても私の音では理解

して貰えなくて・・凄く困りました。水やだから解るとは思うのですが・・電話が

有った事を忘れる人が多いようで・・やっとの思いで繋がったと思い待っていても

1日、2日経っても来ないのです。仕方ないから、又ベトナム人に頼んで貰ったり

あるいはその店に出かけたりもしました。  ”水”は本当に使っていましたから

それも色々な種類があって、持ってくる人に依って値段が変わったり、地区でも又

違っていました。 20㍑の水を最初は1本でしたが・・3本位1度に頼むことも

よくありましたねぇ・・最後のコリアンタウンでは英語が割合通用したのでこの区

だけは”水”の心配はしなくて済みました・・うふふふふふ 但し、韓国人経営が

多く{水質が悪く大抵は浮遊物がありました}でも、井戸水や水道水よりかはマシ

だと思って購入していましたが・・1番高かったですし、綺麗な水ではなかった!

他の区ではメモを持ち電話前で何回も練習して掛けていたのですが・・住所の音が

どうしても聞き取れないようで・・何度も「うん?はあ?」が続くとどんどんと心

が萎えて仕舞って何度かそのまま切った事もあります・・とほほほほ

メモを見ながら頭の中で反芻しながら言っている積りなのにそれが通用しないから

情けなくなってしまうのです。今まで何処の国に出かけても言葉ではこれ程苦労を

した経験がないから・・かなりの頻度で落胆し委縮したものです・・!(^^)!

反面、喋らなくても《ジェスチャー》がこれほど通用することも知ったのもこの国

が初めてでした・・はははははは

ただ、お金に関することだけは酷く敏感で真剣に覚えましたが当初は大きな札しか

出せなくて・・お釣りが沢山増えて困ったものです。市場で「少し安くして!」と

言う言葉は理解しても素知らぬ振りをされるから通用しているのか判断ができない

状態でしたが・・完全に舐められていたのだと思います・・(-_-;)

それからもベトナム語では悩まされましたが。最初から学校へ通えば良かったのだ

と思いましたねぇ・・私は数人全てが個人で教えて貰っていたから・・それがよく

無かったのかも知れません。相手の都合で急に来なくなったり結婚で止めたりとか

でしたから・・それも雨が降っているからとか?電話が近くになくて連絡できない

等と平然と言うもので・・ベトナム人的感覚が理解できない最初の頃は本当に毎日

準備して待っていたものですが・・時間にルーズだし、いい加減で忘れていたりは

しょっちゅうでした。悪気はない様ですが・・その日の気分とか何か違う事に興味

ができると約束事なんて吹っ飛んでしまうのが本音だと思います・・(@_@。

 *今は少し後悔しています。きちんと習っておけばよかったと思います*

長く住んでも話せる様になるにはそれなりの努力が必要だとしみじみ思いました!

あれほど外国語大好きだった筈が・・すっかり臆病になった気がします。その上に

東南アジアで話される英語がかなり私が習った、又は先進国で使用していた英語と

は異なっている事も勉強しました。日本語を話す人も大勢いますが。とんでもない

事を知らないまま使用している人もいて・・私もそうなのだと心暗くなった時期も

有りましたが・・ある時から開き直った気がします・・わははははは

話せなくても暮しには何の不自由も感じないほど図太くなったのも事実ですが・・

生来の厚顔がそうやって生活をさせていたのかも知れません・・( ^)o(^ )

    【結構、負け惜しみ入っていますが・・あははははは】

昨日は珍しく雲のない天気でしたが気温は思ったほど上がらずでした。外出したの

で疲れたのか?熟睡できました・・運動は大切ですねぇ・・ふふふふふ

昨夕雨が大分降ったのですがそのせいでしょうか?少々肌寒く感じる浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/22(Fri)
既に日差しは春到来を告げていました。郵便局へ行く用事があって、出かけた近く

の豪邸には雪柳が吃驚するほど花開いてたわわな容姿を見せてくれていて・・暫し

鑑賞時間でした・・( ^^) 雪柳は{小米花、小米桜}とも言われ昔から桜花と比較

され、桜の花の近くには大抵咲いていたものです。これが花をつけ出すと桜の開花

が近いと思い込んできた帰来があります・・うふふふふ

帰宅してニュースを見ていたら大阪、神戸に桜の開花が発表されたとの事を聞いた。

     *漸く、心躍る季節が来た!と自然に笑みが零れた*

近くには桜並木が沢山あって、学校、公園にも薄ピンクになっていた花が開花する

日も遠くないと思うだけでも幸せな気分になります・・\(~o~)/

※ダラット2日目

早朝7時半の約束だったのに・・ベトナム時間がこの地では思いきり合致していた

らしくツアーバスは結局、40分近くも遅れて到着した。  あちこちのホテルを

ピックアップしているのだと思っていたのですが・・中型バスに私たちだけという

有様でこれもまた驚きでした。ツアーの案内をしてくれたのは40代の小父さんと

運転手だけで発車。最初は大きな滝の裏を通り、お寺へ行く道があるとの話でした

が滝に行くまでの道がかなり濡れていてドロドロ状態。滝の近くまで行ったけれど

スニーカーの中に水が入ってくる有様でしたから・・断念した・・( 一一)

  {まさか、ビーチサンダルで行く訳には行かないと思っていたからです}

(今なら多分、何処へ行くのもビーチサンダルは持ち歩いていた)と思いますが

未だ、何も解っていなかった観光だったから、確り寒さ対策もして着込んでいた!

次は民族村へ行き、シルクで作る機織りが有名だとの事でその民族だけの織り方が

有る様でSさんは随分購入していたが・・私は余り興味を惹くものがなかった。

何かを買ってあげれば良かったのかも知れないが・・その部落内には小さな学校が

有り覗いてきたのだが想像以上に子供がいるのには驚かされた・・(-.-)

貧しい暮らしで玄関も筵が掛けてあり、中は土間でベッドもなく即、地面に敷物を

(その民族が作った織物)がありました。 その横には囲いもなく豚や、鶏などの

家畜がいて・・同居している感じでした・・(@_@;)

当然未だ電気もなくて、外の明るさが嘘の様に暗く湿気のある家ばかりでした。何

だか貧困を売り物にしている様な感覚がして長居はせずに彼女の買い物が終わった

時点でその場所を離れた。違う観光客が来たのも幸いだった。その部落に入るまで

の道にはバナナが到る処に生っていました。まだ真っ青でしたが手に届く所にある

ので・・面白くて触っていましたが大事な食糧だろうと考えていました・・( ^^)

漸く、象の島へ行く事ができるという話で少し盛り上がったが・・大人しい日本人

だと思われていたと思います・・うふふふふ  何せ、言葉ができないからで・・

案内人は英語で話してくれるが半分も聞き取れない。癖のある英語だった??

〚嫌!私達に英語力がなかったのが最大の原因!〛と思いますが・・ふふふふふふ

途中から船に乗って島に上陸して、象が何頭いるのか解らなかったのですが、2人

はかなり興奮していました・・あははははは  ”何せ初体験でしたから!”

象は思ったより大きくて背中に籠を乗せていて、2人並んで座ることができました。

凄く優しい目をして、足を折り曲げている傍に大きな台があり乗ってから象の背中

に乗るという事でした。立ち上がったらその高さに吃驚仰天したものです・・(@_@。

馬にも何度か乗った経験があるのですが・・『いやーそんなものではなく、その高さ

は想像以上で巨体がゆさゆさと動く様子は驚きの連続でした・・\(◎o◎)/!

山の中に入ると急に幅が狭くなって、段差もあり1歩づつゆっくりのしのしと歩を進

める感じでした。  振り落とされない様に籠にしがみついていたが、そんな気配も

見せず堂々と歩いてくれました・・(*^_^*)

途中で突然、急停止したもので彼女と「もしかして◎◎チ?」って笑っていたのがー

本当で・・振り向いて後ろを見たら、湯気が上がっていた◎◎チはバケツ一杯分程は

ありました・・ひゃははははは  尾籠な話で恐縮ですが・・(-_-) その後も暫く

歩くと停止し今度は小の方を凄い音をさせながらしてくれまして・・はははははは

「きっと歓迎してくれたのよ!」と大笑いしていた2人です・・( ^)o(^ )

本当に狭隘な山道をゆっくり歩いた。横には断崖があり、山道だから坂道や凹凸が

有り本当に象でないと行けない場所でした。島の突端まで行って帰ってくるコース

でしたが往復1時間ちょっとだったけれど・・面白くて楽しかったです!

降りてからバナナを上げる様になっていて購入して来てもらい、乗せてくれた象に

私が1房全部上げたのを見ていて・・彼女は別の象の所へ行った。

中々帰って来ないので様子を見に行ったら彼女は象の鼻の穴にバナナを突っ込んで

いたんです。鼻に上げて上手く口まで運ぶのだが何を勘違いしたのか? 鼻の穴に

懸命に押し込んでいたので私が思わず大笑いして「違うよーそこではなくてー鼻に

巻きこむようにして受け取るから上げて!」と叫んでいました・・きゃははははは

も、お腹の皮が捩れるほど大笑いをしました。そこでかなり時間を取ってまた船に

乗り、市内に戻って来て、今度はクレイジーハウスという奇妙な家に連れて行かれ

ベトナム人の女性建築家が建てたという不思議な家を拝観した。樹木の上だったり

床が斜めになっていたり、全体が真四角形とか天井に向けて窓が開放されていると

か?曲線の上に立ててある家など奇抜でキテレツな作りでしたが・・落ち着かずに

ま、何事も見るだけでしたが宿泊する新婚さんも多いとの話でした。

ダラットでは外せない観光スポットなのかも知れませんが・・私たちには縁がない

感じでしたねぇ・・(#^.^#)若い人達には面白い場所かも知れません。 この国の

最後の皇帝バオ・ダイの別荘を拝見してその広大な屋敷内や庭を見て帰路に着いた

のですが・・すっかり夜になっていました。 1度ホテルに戻ったので、少し休養

して夜の街に又出かけた。まだまだ面白い所が沢山出来ていてこのダラットは花の

街(薔薇)と言われていて花博覧会も開催されている。その公園が沢山あります。

機会があれば凄く変わったダラットの街を見て頂けると嬉しいです。

未だ書きたりなく不足ですが大きなアクシデントがあった事は又いつの日か書こう

と思っています。吃驚することが待ち構えていたのです・・(@_@;)(@_@;)

今朝は早くから日差しもそれなりに当たって気持ちは良いのですが・・まだ少しは

寒いかな?を感じる浪速の朝になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/21(Thu)
何とか午前中は雨の影響がないとの様子だったので・・スーパーへ出かけて不足分

だけを購入してきた。毎日、牛乳、ヨーグルト、麺類は欠かせない食生活ですから

大抵は余分に数日分は購入してあるのですが・・雨の中では特に重く感じるし、傘

を差すと手が痺れて、何度も持ち替えるのが面倒になる・・ははははは

リュックも便利だがそれだけ買うと、肩凝りが酷くなって数日は痛みが取れない!

「年齢だからしかたないよ!」と言いつつ「やれやれ!」とつい一人ごちてしまう。

お彼岸の中日だから{牡丹餅}でも買おうと思っていたら・・大きいのしかなくて

珍しく{彼岸饅頭}とか売っていて今年はそれにした。昔は必ず自分で作り重箱に

入れて姑や親戚に配った札幌時代・・( ^^) 若かったのですね・・あははははは

そんな時代もあった事を懐かしんでおります! たった1人では作る気力も萎えて

仕舞った・・(-.-)      {横着になったものです}

※ダラット

ここはベトナム中部より少し下で山側に入った高原地帯です。新婚旅行のメッカで

知らない人がないほど有名な場所です。Sさんが来越して一緒に行った観光地です。

現在のダラットはも、想像を絶する賑わいで観光バスが全国から来るという名所に

なりホテルも沢山あります。昔は仏人の避暑地として栄え、現在も大勢の外国人が

やって来ます。仏人が開拓した避暑地として今も多くのヴィラが現存している!

湖もありゴルフ場、生産されている生花{主に薔薇}アンティチョーク、コーヒー

高原野菜が有名です。ここで作られる野菜は全てが美味で大きさも半端ない程度で

ブロッコリーやキャベツ、カリフラワー、葉物、ピーマンなどが特に大きくて甘い

です。観光客はそれらを求めて市場に並ぶほどです。吃驚する位大きいです!!

さて、私たちはベトナム航空で50分のところにある高原のダラットへ到着した。

小さな飛行機に満席でした、飛行場の真中あたりで停止して、外へ出されバスでは

なく歩いて空港内の荷物を受け取りに行かされた・・( ^^)

1歩降りた途端に風が空気が一変していて空の色が真青で(ブルッ)と震えが来る

ほどの冷気に感動し驚かされた・・(@_@;) ”2泊3日の旅の始まりでした”

一瞬にして初冬を感じさせる空気と冷気にベトナムを忘れておりました・・(@_@。

荷持つを受取りそこからベトナム航空のオフィス迄小型バスの連絡があり、街中へ

40分も揺られた。澄み切った青空とあくまでも白い雲やバスの中から栽培されて

いる生花のビニール屋根がずっと続き、野菜も、大きく成長している姿を車中から

見る事ができた・・(*^^)v

途中、道路沿いには柿が山積されて売っていたし、薔薇や向日葵畑を後にしながら

山道なのに結構飛ばすから・・満席のバスの中は「キャッー」という外国人の声で

賑やかでした・・バスは快適に山道を走り峠を越えてオフィス迄40分位も掛って

到着した。ここから各自でホテルへ向かう訳で・・殆どが坂道になっていてその坂

にはホテルがずっと隣り合わせで並んでいた。その数は結構多かった・・(*^。^*)

幸いにして図々しい私たちは急な坂道や階段を考え、チップを少しはずみ。ホテル前

迄そのバスで連れて行って貰ったのです・・ま、中年小母さんたちの考える事です!

正解でした。かなり歩いて登らないといけない場所にホテルがあったのですから・・

  *厚かましくてその上、運も良かった・・ひゃははははは* 

バイクの数もホーチミンに比べたら嘘の様に激減していて、たゆたうように時は流れ

ていました。矢張り〚別世界〛を感じたものです。バイクの人も歩いている人も真冬

の恰好をして皮ジャンやダウン、毛糸の帽子、手袋姿であのホーチミンの暑さは何処

へ行ったしまった・・たった1時間弱で真夏から真冬になるなんて・・想像もできず

細長い国とはいえ・・驚きました・・\(◎o◎)/!

後年になって、ダラットは3回も行っているので現在は案内出来る程度には街中も知

っていますが・・その都度、開発が進んで今は当時のあの穏やかに流れていた時間が

まるで急かされる観光地に大変貌を遂げて行きました・・(-_-メ)

その当時は初めてだったので・・その上航空機もホテルも〔外国人料金〕が全て加算

されていましたから・・不公平だと思っていました・・(><”)

有名なダラット市場というのがあって、そこはビルになっていて、下は食材や花など

土産物屋がずっと入っていました。薔薇の花の蕾が可憐で可愛く凄く種類があった。

来たばかりなので、ホテルの手続きを済ませて、夕方に食事を摂るためと市場を見学

する事に決め、一旦はホテルで2時間位休むことにした・・余りの気温差で体が吃驚

している感じでした・・(#^.^#)冬物のコートを出し、食事に行く用意をして、明日

からの予定を相談していました。ホテルではパスポートを預け料金も先払いでした。

思っていたより豪華な部屋で安心したが・・外国人料金を取られているのでこんな物

かもとか話し合っていました・・少し早目に出てツアーの会社に寄り明日のツアーを

依頼してきた。何でも『象に乗れるツアーがあったので即2人はそれに決めた』

お腹が空いてきたので市場へ行き、さらりと中を通過して、後でもう1度来る予定で

食事処を探していた。あちこちから声が掛り、呼び込みのお兄さんがいて・・客引き

をしていました。感じのいいお兄さんの店に入ったらも、殆ど満席で隅の方でしたが

鶏肉と肝の炒め煮、魚の揚げもの、野菜炒めなどを食した。野菜に甘味が有って本当

に美味しかったです。帰路には野菜を買って帰ろうと話し合っていました・・(*^^)v

道路ではその高原野菜が売られていて、カリフラワーは頭よりも大きくて仰天した!

コートや帽子手袋と完全防備でしたが・・わはははははは 食事を終えて市場の中へ

入り歩いていたら・・寒さが襲ってきたので早目にホテルへ戻った。

明日、早朝のツァー出発だったからです。1日目は過ぎてよく眠れたが・・嘘みたい

に暖房が入っていました・・うふふふふふ 《ここもベトナム?》とは信じられない

寒さで本当に驚いたものです・・(*_*)

明日2日目を書きます。ダラットへは1度は行って欲しい観光地ですが・・(*^_^*)

余りにも観光開発が進展して以前の豊かな時間が無くなってしまった感じです。

今朝は未だ雲が厚く、昨日来のひんやりした雨が残っているせいで肌寒い感じがする

浪速の朝になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/20(Wed)
変に暖かく気温も20度を越えたとの事でした!昨日、偶然書いていたSさんから

電話が入り「東京はかなり桜が咲いて来ている」と連絡があった・・( ^^)

何だか不思議で何時も「どうしてるかなぁ?」とか思っている前後に連絡がある。

来週から1週間上京を決めた{雨女}だから多分、半分位は雨に当たるかも知れな

いと思いつつ、彼女が今、大変な時期であることが解るだけに気晴らしができたら

いいなぁ!と考えて上京を決めた・・(*^。^*)部屋の中でもセーターだけで充分で

流石に下着の重ね着は止めたが・・気持悪い陽気で驚いた1日でした・・(-.-)

※Sさんが教えてくれたこと

昨日の続きです。同じ境遇になり、2人とも人生は凄く変貌した。彼女は母と同居

しながら仕事に従事していた。折にふれ彼女とはつかず離れずの状態が続いて繋が

て来たのでしょう・・何時だって彼女に会うと心が穏やかになり、相談相手であり

心の支えでした。寄り添う様に共通の不幸という同様の境遇が働いていたのか?

見えない力で心はずっと姉妹より合致出来て行った気がします。彼女との時間は私

には心地よく何時も豊にさせてくれた・・(*^_^*)

も、30年以上も寡婦であり私は20数年になった。思い出しても不思議な縁だと

思えてならない・・(--〆)

当初ベトナムに渡越した時は、数ヶ月で帰国した。ま、色々な事情が重なったのと

息子夫婦、その上嫁の家族が突然一緒に住むという奇妙な関係ができたからで、今

考えたらそんな事はベトナムでは常識なのだが、何も解らなかった私は我慢できず

に揉めてしまった・・未だ血気もあり若かったし、気も強く負けず嫌いでした!

{日本の常識}でしか物事が見えていなくそれが当然だと思っていただけに大きな

ショックを受けたのです・・(-_-メ)ノックなしで当然の様に部屋に入ってきたり

クローゼットから服を持ち出したりも有って・・そして息子の給料で家族を養うと

いう生活が信じられなくてその事も日本式感覚で・・腹が立った原因でもあった。

小遣いから生活費まで面倒を見ていた現状でした。 上下関係が確立化している

ベトナムでは年上に逆らう事が出来ない。絶対服従で上から言われると例え嫌な事

でもしなければならず欲しがる物は上げてしまうという塩梅でした・・(+_+) 

その中には私が大変な思いをして探し嫁に購入した宝石や洋服があり、それが全て

彼女の手には渡っていないことも不満でした。 ま、そんな生活が私の中の常識が

強烈なパンチで軋轢を生じさせて行き、爆発させてしまったのです。

それで帰国し東京へ彼女に会いに行きました。その時も雨が凄く降って初めて彼女

の家に行ったのだけれど駅まで迎えに来てくれ・・その夜は徹して話に付き合って

くれたのです。ワインを3本位飲んだと思います。怒りと常識の無さ、思考の相違

習慣の違い、何もかもをぶつける様にお喋りした気がします・・(-_-;)

暫く聞いていて「国が違う事って・・そんな生活もあるのねぇ」と言いながら私の

心の狭さや頑なな性格、思考力の無さを感じたのでしょう。「人には夫々の生き方

があり、これが正鵠だというものは何もなく、自分の思考や尺度から外れた人は何

となく受諾できないものだし、理解しづらく、解ろうとしない気持ちが働くもので

本人自身が受け入れる事に拒否反応が出るのだから始末が悪いよねぇ」と言われた。

彼女は自分が体験してきた事を混じえながら沢山の話をしてくれ教えてくれた!私

は心が落ち着いて行き、優しく包まれていく時間に眠る事を忘れていた・・(-_-)

優しく諭してくれる彼女の言葉には愛情があって、日本にいた時も外部との接触は

様々な事情があって孤立していた心にじんわりと入ってきました。

ふっと気がついて彼女には私がどの様に映っていたのだろうか?と考えたり自分の

心が見えて来ていました・・( ^^) 有り難かったです。

「親は無償の愛で子供を育てるが、子供が親にしてくれる愛には大変な努力が必要

なのよ!子供に期待をかけない事、何かをして貰ったらもうけものだと心から有り

難い」と思いなさいと言ってくれた。これは私にとって結構応えた・・(;一_一)

「そうなんだ!」何度も何度もそう思って自分の心に問いかけたりもして、受け入

れる準備ができて来ていました〚いかに愚鈍であったことでしょう〛・・ふふふふ

「成人した子供には30%の愛で、残りの70%は自分自身の為に愛を使うことが

仕合せなのよ」とも言われた。どうやら私は主人が亡くなってから90%の愛情を

子供の為に使用していたのが現実でした。 子離れができていなかったし、子供に

恩着せがましく生きていた感じがありました!!何時だって子供の事ばかり考えて

いた気がします。子供にとってはそれが負担で煩わしかったことだったのかも知れ

ないと初めて目が覚めたように反省したものです・・(・_・;)

最近、機会を同じにして子供達から「も、私たちの事を信じてくれてもいいのでは

ないかなぁ?」的な言葉を受けていた気がしていました。 余計なお節介は止めて

ほしいと言いたかったのかも知れない【参りました・・完全に】・・ひゃはははは

主人を亡くしてから父親役も母親役も両方していた積りだったからです・・(-"-)

完全にギブアップでした。何とか成長させ、1人前にさせる事が自分の務めみたい

に錯覚していたんです。も、自分には既にそんな頭脳も、経済力も何もなくなって

いたのに・・弱味を見せたくなくて頑張っていた部分が凄く多かった気がします!

自分の中で何かが弾けて飛んだ感覚でした・・あははははは

老いを受け入れる準備も遅かったし、これからの老後など全く範疇にもなく、亡夫

と同じ年くらいまで生きて迎えに来てくれたら・・そんな事しか考えられずにいた

愚か者でしたから・・過大な衝撃であり、心が揺れ動いたものです。

意固地になり、融通が効かず、傲慢でしたし我儘過ぎた思考で生きていた気がして

おりました・・(#^.^#) 凄く恥ずかしくて、自分を見直し考えを変更させねばと

慌てていました。 心の中の些細な考えや、狭隘な思考に拘泥しない様にするには

どうしたらいいのか?佇んで考える時間が与えられた事を知りました・・(@_@。

拘りや子離れができないことは悪玉のコレステロールが段々とお腹に中で成長して

行く気配を感じて、早急に排斥させねばという焦燥感がありました・・うふふふふ

それから少ししてベトナムに再渡越しました。息子夫婦は心配顔で迎えてくれた。

そして別居生活が始まったのです。ここはベトナム・・日本ではない、日本の常識

が真逆で通用しないことを初めて心の中に収納出来た時期でもありました・・(/_;)

所がベトナムという国は大家族で生活することが当然の国でたった1人で暮らす事は

  「一体家族はどうしたのか?いないのか?なぜ?1人で住んでいる?」

それも年配の女性ですから、年長者を大事にする国だから、その事が何よりも奇妙に

見える様で本当に嫌になる位《どうして1人で住んでいるの?家族は?なぜ?一緒に

住まないのか?》の質問が矢継ぎ早に必ず言われる事に閉口したものです・・!(^^)!

この国の人にとっては私の様な生活が不自然で想像ができないのだと思いました。

当人は到って気楽で一応、散々考えてだした結論だったし、中途で頓挫することが

自分で自分を許せなかったのです。すこぶる快適で気分もよく過ごしているのだが

ベトナム人は誰も理解してくれなかった・・はははははは

少しづつ変わろうとしている自分を楽しみたいと考えていたときでもありました。

彼女のアドバイスや様々な考え、ヒントなどは愚かな私に光明を与え考える時間と

勇気をくれたものです。私もその時期を乗り越えて漸くベトナムという国や人々の

事が目の前で少なからず納得し理解できる方向へと流れて行ったのです。

ま、彼女とはそんな付き合いで・・それから暫くして10日以上も遊びに来越して

くれた親友です。彼女からは沢山の刺激を受けたし色々な事を教えて貰った!

今朝は日差しもなく、薄暗く雨が落ちてきそうな気配がしてる浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/19(Tue)
何とも形容がしがたい強風と雨に終日振り回されて・・(-_-メ)部屋の中にいても

その激しい風や叩きつける雨音に”春一番”が吹いたという話でした・・(@_@;)

そして、奇妙に生温かく気温が結構上昇したのではないでしょうか?どういう訳か

今年は嵐の様な暴れ方をするお天気にすっかり巻きこまれて逃げ場を失っている様

な天気模様が続いていますが皆様の所は如何ですか?・・(-.-)

余り激しく降る雨に出歩く人もなく、声も殆ど聞こえない雨音と風にだけ左右され

ていた1日になりました。結局は夜まで雨は止むことを忘れていた感じ・・(-"-)

※Sさんとの出会い

この歳になっているのですから、私も大勢の人との出会いと別れを経験してきた気

がします。どう言う縁なのかSさんも未亡人で・・小学校から中学校まで同窓の間

で、随分長い付き合いである。未亡人という言葉は正直物凄く反発があるのですが

サンスクリット語では{空っぽ}と言う話を聞いてから尚のことその言葉が嫌いに

なったものです・・あははははは  ”事実ですが・・(-_-)”

私たちが成育した時代は戦後で、何処の家庭も生活するのがやっとと言う暮らしで

彼女の家は失礼ながら酷く貧しかったようです。幸いにして私は父が商売をしてい

たから・・それも何かを売るのではなく大きな会社の下請け的な仕事だったみたい

ですが、それでも生活は割合豊かで、衣食住には不自由はなく特に苦しい生活では

無かった。その時代を生きていた人々の中では普通よりも上だったかも知れません。

そんな事もあって、近くに住んでいたのですが何処に住んでいるのか?家は何処か

全く知らなかったのです。 しかし小学校では私は余り人との協調性がない性格で

毎日図書館に座り込んで本を読んでいる様な人でした。校庭から最後の鐘がなって

用務員の小父さんや先生が見回りに来るまで学校にいた・・そんな性格でした。

成績表には何時も『協調性に欠ける』『人と一緒に何かをする事が嫌いらしい』と

6年間書かれていた。反面、彼女は活発で頭脳明晰で明るく、皆から慕われていた

人でした。 一緒に帰宅することもじっくり話す事もなく学校が終わると即、帰宅

していたのだと思います。定かではないですが・・私の様にボウッとはしていなく

かなり確りしていました。中学校へ入ってから自転車通学で行きが一緒の時間帯で

時々喋る様になったがクラスは1回だけしか同じではなかった。 私はその時期に

英語の先生との出会いがあり、その方は英国留学をしていたという才媛でした。

強烈な刺激を受け、外国語に興味がでた頃でした。毎朝、20分間の試験があって

1時限目が終わったら廊下に名前が1番から順に貼り出されるというそんなやり方

をする先生で、毎日が凄く楽しかったものです。彼女と一緒になった年度は優秀な

彼女とただ1つ張り合えた教科で・・何時も順番が上か下で争っていました!

ただ、私はそれだけで・・彼女は全てに優れていたから高校も順位が高い所に入学

したが、私は理数系が全くできなかったから、彼女とは一緒の学校ではなかった。

ま、それからは全く関係が途絶えたといいますか?会う機会もなく別々の人生を歩

いていました。偶然に再会したのは札幌に嫁いで出産で関西の実家に帰省していた

時に大学病院でばったり・・彼女が大きなお腹で遭遇するという出会いになった。

私は2人目出産後だったが、問題があリ〔血液交換〕をしなければならないという

事態で落ち込んでいた時期に再会があったのです。それ以来は札幌と東京での生活

でしたが、文通したり私が上京して会いに行っていました。

何をしても彼女には敵わなかった。才気煥発、才色兼備、明朗でユーモアがあって

性格的には真逆だった気がしますが、私には何時も気になる存在でしたが彼女は私

など歯牙にもかけていなかったと思います・・ははははは

それから少しして彼女のご主人が癌で入院したことを手紙で知らせて来た・・(-.-)

彼女は3人の子供の母親になっていて、3人目は生まれて1歳位だった時でした。

彼女が30歳でご主人も3つ位上だった。病院からメモに書かれた壮絶な癌との闘い

を読みながら、どうしても返事が書けなかった・・自分自身が1番幸せな時期だった

事もありそれが表に出る事が何より恐怖でしたから。どんな事を書いても嘘になり

会いに行くのも躊躇していた。《何故!あの時、駆けつけなかったのか?》

今でも解らないし傲慢で自分の幸せを見せる事が堪らなく嫌だったせいでもあるが

本当の友情ではないと自責の念に捉われていたそのすぐ後に亡くなった事を聞いた

凄く後悔もしたし辛かった思いがしていました・・(;一_一)

残念でしたがその頃の私は何処かで彼女を意識して不遜だったのかも知れません。

後年になって私も主人が同じ癌で早世した時に「こんな気持ちだった」事を思い知ら

されたものです。ずっと後になって、彼女にその時の話をして謝ったのだけれど彼女

は手紙を書いた事も忘れていたそうですが・・何を書いても慰めにはならないようで

私は狡猾な人間だったと何度も詫びていました・・(・_・;)

彼女は私が悩んでいた事よりも凄く愛して一緒になった人だから、憎いとそればかり

が口惜しいと言っていました・・(><;)暫く距離を置くようになって、と言うの

は彼女が元いた大手の会社に就職が決まり働き始めたからです。明日続き書きます。

今朝は暖気の中、湿気が充分残っている中の浪速の夜明けでした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/18(Mon)
何となくぼやけた天気で、特に寒くもなく、暖かくもないと言う感じでした。前日

に思いきり洗濯したものだから・・( ^^) 何もしないで早くからPCに向かっていて

早目に終わリ、久しぶりに俳句の推敲を2時間以上はしていたでしょうか?

以前の作で推敲が完全でないノートが数冊有り、それを出して来て暇にあかせては

朱を入れている。毎日、写経を半紙に1枚、仏語を1頁、俳句のノート推敲1頁を

今は自分の仕事だと考えていて、一応続いている・・(*^_^*)

格好つけている訳ではない。どれも昔勉強することが有ったものばかりで・・殆ど

完全に忘却の彼方に飛散していたものばかりである・・うふふふふ

何日も誰とも喋らない日が続いている生活だから、誰からも電話も鳴らないし、私

から掛ける事は先ず無い暮らしです。じっとしてられない性分だから・・何かをと

思って始めたのが今年になってからで・・少しづつだが慣れてきた感じかな?

所謂〔呆け防止策〕ですが・・凝り性だから、やりだしたら時間が来たら座って書

いているという塩梅で・・性格そのもので、それだけ暇なのです・・あははははは

部屋に籠りがちだと先日の様に足腰が弱ってくるから・・(-_-;)早く暖かくなって

桜を追い掛けたい衝動を今はずっと耐えている時期なのです・・ふふふふふ

※ベトナムについて

書きたいことは沢山ありますし、日記を書いていたからかなりの量があるのですが

基本的な事を今日は少しだけ書いてみます。

何時も書いています様にベトナムまでは6時間で時差が2時間あります。細長い国

で日本と少し似ています。北部、中部、南部とに分かれていて料理、習慣、風習等

もその地方に依って異なります。北部ハノイ方面は山岳地帯が多くて民族が多く住

んでいます。

大体ベトナム人にはキン族が多く、後は多民族が53あると言われていて、夫々が

北部山岳地帯、中部に数ヵ所住んで特別な文化を持って生活しています。その地方

を訪ねるツアーも多く、観光化されていますので、機会があれば是非出かけて実際

の生活様式を見てみるのも一興かと思います。

さて、ベトナムと言えば新鮮な食材が多く、野菜も豊富で料理は本当に美味です。

そしてベトナム料理には必ず生野菜が一緒に出されますが・・外国人が多い店など

あるいは高級レストラン、ホテル等は現在は殆ど食中りする事はありません。

しかし現地の人が行列を作っている店や屋台、露店で出される野菜には、未だ完全

に検査が行き届いていない店も数多あります。近場の井戸水で洗う事が多かったり

未だ水質検査のされていない水が多々あるから・・汚染された井戸水で洗った食材

野菜などには汚染された{0-157}{A型肝炎ウイルス}が稀にあります。

旅先ではどうしても暑さもあり、又興奮して疲れが溜りやすく体力の消耗も激しい

のが普通です。屋台が美味しいとかの宣伝で弱った身体で食事を摂ると、正直な所

完全浄化ではない〔水〕に中る事が間々あります。

極度の腹痛や嘔吐、高熱、全身倦怠に襲われる人もいます。  嫌な思い出になら

ない様にしてほしいと願っております。長年住んでいても思いがけず食中りはあり

ますし、ベトナム人さえも事実あるのですから・・(@_@;)

現在は厳しい検査が義務付けられていますが・・未だ完全ではありません。 地方

都市でも大抵は大丈夫ですがベトナム料理に添えられている生野菜には要注意です。

特に初めて渡越される方は免疫がないと思われますので危険が潜んでいる事を考慮

して頂きたいと思います。〔水〕では製氷も同様です。 暑い国ですからビールや

ジュースなどにはジョッキやコップにごく普通に氷を入れてくれます。

それが自然だからですが・・(><)その氷も汚染された水から作っていたら同様

です。出来る限り氷なしでとか、缶入りの冷えた物を飲むようにして下さいね!

ベトナムで生野菜を現地の人たちと同様に食することには未だリスクがあるという

事実は否めません。本当に厳しく衛生管理はされて来ていますが・・本人の体調も

有りますし、万が一という場合の危険性はありますので、現実問題としては洗って

出される生野菜〔水、氷〕には十分気をつけて下さるといいかと思います。

とに角、料理は何を食べても美味ですから・・一寸位とか珍しいからという発想で

の食事は危ない場合もあることを忘れないで・・〔貝類〕も注意です(-_-メ)

未だ完璧ではないことはご承知おきください。現地での病院は大変ですから、お金

もそうですが、言葉も通じない場所が多い。ベトナム人の混雑した中で待たされる

苦痛はたまったものではなく元気で楽しく美味しいものを沢山食して、観光し帰国

してほしいと願っています。

本当に面白い国ですし観光だけでも・・またはゴルフ、海水浴など、想像できない

ほどの場所も沢山ありますし、食べ物も美味しいですから些少な事ですが・・悪い

印象を残して帰国されない様に気をつけて下さい。

当然のことを書いたのですが・・住んでいても現地の人でも食中りは結構あるのが

事実なので最低限のことですが心の中に仕舞っておいて頂けるだけでも違うと思い

書きました。ベトナムには『雨季』『乾季』がある事も・・北部では冬がある事も

かなり冷え込むことも覚えておいて頂ければ嬉しいです。常夏の国ですが10度位

にはなりますし、雨季の時期の雨にもご注意下さい。

簡単にあくまでも誰でもが知っている事かも知れませんが・・一応、詳細に書いて

置きました。参考になれば仕合せです・・(*^。^*)

今朝は生暖かい感じの朝でゴミ出しに行くのにドアーを開けたらムゥッとした気持

の悪い空気が入り込んで暗雲がいまにも雨をもたらす様子の浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/17(Sun)
もっと日差しが出るかと思っていたのですが・・それ程でもなく、何となく前日も

晴れてはいたのですが・・寒く感じて、またもや皮ジャンなどを着て歯医者へ朝が

早い時間だった(予約)ので出かけた。口の中って何だか{素肌}を見られている

気がしませんか? 昔からそんな感覚があって・・恥ずかしい!《そう思う歳は既

に越えていますが・・ひゃはははは》「も、どうでもして・・(#^.^#)」みたいな

投げやりな気持ちになって行くんです・・歯医者自体は嫌いではないのですけれど

そう言う意味では内科や他の病院より嫌かも知れません・・うふふふふふ

親子先生2人で1人にかける時間も凡そ15分程度。 回転が速く早目に行く老婆

ですが、先ず余り待つ事はない程度に呼ばれるから、直ぐに終わるのも心地いい!

多分、も、1回で終わる様で・・それも想像していたよりかなり安かったから安心

しました・・( ^^) 私のことです。 受付から先生が顔を出して『今度で終わると

思います。金額は◎◎円程度ご用意ください』って言われたのです!   思わず

{きゃー安い!本当にそれだけでいいんですか?やった!}って言いました!

先生、吃驚して〔保険の範囲内〕ですから「ぼそっ!」と呟いた・・きゃはははは

〚さもあらんでしょうが・・( ^)o(^ )〛何せ5年間も歯医者に行っていません。

その上、日本で作っていた部分義歯の架けていた歯が割れたり欠けて使用できなく

なっていたから結構お金は掛ると思っていたんです・・(・_・;)

笑われながら病院を出たのですが・・えへへへへ これなら桜見物の場所少し遠出

が出来ると心の中で・・嬉しさが込み上げました・・(*^^)v

現金なもので、スーパーへ寄って欲しい物は前日、購入しているので何もないはず!

なのに出来立ての生寿司を購入・・うふふふふ お昼用に張り込んでしまいました。

本当はお昼だって用意してあったのですが〖全くお調子者で・・恥ずかしい限り!〗

「ま、こんな日が有ってもいいか?」なーんて勝手に盛り上がっておりました馬鹿者

ですが、この程度で幸せを感じるのですからお目出度い頭をしております「はい!」

※ベトナムニュース

◎ATM (ベトナムニュースより)

2013年3月から国内デビットカードを使用して自分の銀行のATMで現金を引き出

す場合でも手数料が掛ることになりました。  ベトナム国家銀行が手数料の徴収を

許可した為で、実際は1回の利用ごとに銀行によって無料から1000ドンの差額が

出る事になると言われています。 自分の口座から引き出す手数料は1000ドンで

残高の確認は無料。 だが、他のシステムからの残高確認には500~1000ドン

の手数料が掛るそうです。その上ATMから1回に下す最大の金額は500~1500

ドンと少ない為、1回で下せない場合は手数料がその都度加算されると言う。

また、2015年からは上限3000ドンに値上げが決定したそうですが・・面倒な

事になるようです。 私もクレジットカードで現金を引き下ろした経験が何度もあり

ましが、1度の金額が少ないから何回も利用しなければならず酷く嫌いでした。

現在はATMは1000ヵ所以上はあるという話ですが・・勿論、全国ですが庶民利用

は未だ少なくて、箪笥預金が多いのが現状です。だから泥棒が多く空き巣被害が消滅

しないのだとも言われています・・(-_-メ)

ホーチミンでもハノイでも大都会には数軒の両替所があります。ホテルも、デパート

空港は勿論ですが両替が可能です。知られていない店では貴金属店で両替ができます。

レートは毎日違うから・・厄介ですが・・円が強かったから結構、楽な暮らしができ

ました。最初の頃は両替所へ歩いて行っていました。すっかり馴染みになったのです

が住む場所が変わって段々と遠くなってしまうと、タクシーで出かけたりしていたが

息子がいた時はバイクの後ろに乗せて蓮れて行って貰っていた。

ATMも凄く難しかったです。ベトナム語と英語の画面が出るのですが・・全ての機械

が利用できる訳ではなく・・壊れていたり現金の額が少なく何度もするから鬱陶しい

し、後は道路で並んだり、個室になっていなくて剥きだしのままのATMが殆どでした

から、後にベトナム人が並ぶと緊張していました。 別にお金を盗られるという心配

ではないのですが・・バイクで乗り付けて順番がないから背後にいる感覚なのです!

その間隔のなさが凄く嫌だったのです。英語版だから慣れていないし、これも嫌いな

原因でした・・あははははは

とに角、日本式感覚が全く違うからATM機械1つでも厄介でしたし、使いこなせない

のが現実でした・・ふふふふふ 銀行での両替もしていない所も多くて色々な銀行へ

入って聞いた事もありますが・・両替所が1番便利でした・・(*^_^*)

こんな生活をしていました。 想像以上に不便で未だ未開発部分は多くて不自由さも

随分有ったのです。日本の様に何処でもあちこちにATMがあってという現況ではない

し、何処の銀行でも引き出し出来るシステムでもなかったから。ましてやコンビニに

までATMは利用できる現実からは大きな格差がありました!!

その便利さがあったから尚のこと探した回ったりもした経験があります・・(><”)

殆どは両替所で手数料を取られても一括で換金できる方が便利でした。 ベトナムも

手数料が掛る様になって大きな変化が動きだした感じでしょうか?

晴れていますが、外は未だ気温が上がらずに寒いですが今日は暖かくなると言われて

いる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速は・・・(混乱記)
2013/03/16(Sat)
そろそろ化粧水がなくなってきた・・気になっていたのだが昨日の好天に惹かれて

電車で買い物に行って来た。思っていた程暖かくはなく・・薄いダウンジャケット

セーター、下はモコモコ状態なのだが・・あはははは 婆さんスタイルで闊歩して

いた積りだったが「足が思う様に上に上がっていないのか?」時々躓いては駅まで

30分の坂道を2度も突掛ってしまった。 暫く歩く時間が短くあんなに出かけて

いたのにぱったり止めてしまったせいなのか?等考えていました。ま、買い物をし

随分歩いていたら躓くことはなくなっていたが「やれやれです!」毎日ある程度は

歩きが必要だと思いましたねぇ・・(-.-)

最近は半紙に写経を書いてるのだが・・座ってする事が多く、TV も好きな番組を

衛星放送から見つけずっと、座して見ている事が多い日が続いていた。 歯医者も

買物も近いから・・2時間近く出かける事は無かった数週間だった事を昨日、歩き

ながら考えておりました・・ははははは それでなくても老化しているのだから気

をつけないと室内で骨折なんて・・洒落にもならない・・(><)

※1年の半分以上はベトナム家庭料理で充分・・

自分の人生の流れの中で思いがけなくベトナムという国に遭遇してそして、世話に

なる事になった・・まさか、当時はこんなに長く再度も住むなんて想像もしてなく

数年で帰国することを考えていました。丁度老いに入る前の心の準備段階でもあり

色々な事を自分自身に問いかける時間が欲しかった時期と重なって・・亡夫との縁

が切れて10年以上は経っていました。子供達も成長し それなりの個別な生活が

出来て、私のする事は何もない・・( 一一)  空の巣症候群なるものに罹患して

精神的に参っていた頃でもありました。

活気のある場所には人々が集い、活き活きとした暮らしが日々ありました。街中の

喧噪、バイクの多さ、騒音など、声高に喋る人々、喧嘩腰で自己主張する姿などは

日本では夢にも見たことがないほど見知らぬ国の中に放出された感覚があり、驚愕

と仰天・・\(◎o◎)/!  日本人の感覚でしか生きてこなかった私にとっては

見る物全てが驚異でしたし、常識が通用しない国であった事も大きな衝撃でした!

本当に『異国』という言葉がぴったり嵌っている感じを受けました。毎日に刺激が

有って、何にでも興味が湧き、試したい、見たい、食したいの連続でしたねぇ・・

ベトナム人との接触は僅かでしたが・・周囲に展開される生活の中にこの国の発展

と{これからどうなっていくのだろうか?}という疑問が絶えず有って、面白くて

凄く楽しみでした。今でこそ、確認もし、理解もできる国に少しはなった!慣れて

暮らしもベトナム料理の美味しさも外食ばかりの生活者が多いことにも少なからず

了解し、納得がいく事も知りました。手軽で昔ながらのベトナム家庭料理は香草や

香辛料をたっぷり使用して健康的で味自体は薄く、個人を尊重しているのでしょう。

どんな食し方をしてもその人の嗜好だから・・誰も何も言わないし、食べ方などは

殆ど何もない。好き勝手に食し美味しければ良い・・これは凄く素晴らしい文化で

日本などはこの材料にはこれ、調味料も㌘等と言った料理が多いけれど、大雑把と

いい加減さで誰でもが雑然と料理するのです。それは昔からのしきたりとか躾だけ

ではなく、その家庭その作り手に任されている感じでしょうか?

それでも、材料は新鮮で豊富、安価だから誰でもが購入して使用できる事が何より

便利で好きでした。何を食しても不味い物はないし、甘いものは異常なほど甘いの

もありますが・・暑さの中にいるとそれが恋しいとでも言いますか? 食べる事が

必然的に必要で、身体が欲するのです・・(*^_^*)ベトナム人ばかりではないと

思いますが。暑い国にはそれなりに必要な物があって、それらが上手く回っている

と思っていました。それは昔から伝えられてきた慣習でもあったと思います。

「何が1番美味しい?」なんて野暮な質問はできない。とに角、食に関することは

好き嫌いがなかったことと香草が好きだったせいで私にはそれらが合致したのだと

思いますが、大方の男性も料理は作りますし、鶏や肉の捌き等も当然します。

日本では見られなくなった解体等も本当にごく普通の家庭でしていましたから・・

最初は本当に驚きましたが・・バラエティに富んだ家庭料理は美味しい物が多くて

食べる事も作る事も好きだったせいかしら?  幾つか教えて貰ったが同じ味には

決してならない・・調味料も材料も適当だから・・それでも長年主婦をしている人

にはそれなりの慣れと勘で作られる様でした・・(@_@;) 傍で見ていても、何を

どの程度入れればいいのかさっぱり解らなくて・・その上大抵は年下の女性が作り

年上や老人は手を出さないのが習慣みたいでした。けれども、物珍しいから、食材

も見た事がない物も多くて、台所へはしょっちゅう見に行っていましたが、同じ様

な物でも味の方はかなり異なっていました。その上ニュクマムの種類が豊富過ぎて

どの料理にはどのニュクマムを使用するのかが見当がつかなくて・・各家庭により

何種類もの調味料や香辛料の入れ方、香草の使用法もバラバラだったので、覚える

よりも食べる方へ回っていた方が多かったです・・わははははは

*ベトナム人は基本的に器用で食べさせる事に喜びを感じる国民だと思います*

だから食事に誘われても大抵10数人位は集まるし、誰が誰なのか全く知らないと

言う事が多い。誰でも気軽に誘うし、誘われていくのが普通で”遠慮”のない国で

日本人の様に「見知らぬ家に行くのは・・一寸」的感覚は無です・・うふふふふふ

それ程誰にでも振舞うし、家庭料理は絶えず色々な人が何時も来て一緒に食すると

言う風習があるようで素敵な事だと思いました・・( ^)o(^ )

何となく気を遣ってしまう他人の家でも一緒に行こうと言われたらまず数人は誘い

合っていると考えた方がいい・・私も後年になって自宅に若い女性を招待したこと

が何度かあるが・・大抵は誘った彼女は兄弟とか、友人数人は連れてくる事が普通

だった気がします。  それでいて、日本人では想像できない事に勝手に冷蔵庫を

開けたり中身を取り出して自分達で作り出す人が多く、材料も用意していても彼女

たちで自由に台所を使って・・私が招待しても作るのは彼女たちだった事も面白く

感じていました・・(*^。^*)

  ”ベトナム料理は美味しいです・・間違いなく・・あははははは”

是非、本場で食してほしい味です。 ただタイの様に味は濃くないから日本人には

食べ易い理由もあると思います。辛さも好みだから・・入っている量は多くはなく

付けタレに好みが出せるからだと思います・・(*^^)v

見知らぬ食材が本当に多くて・・それだけでも市場に行く値打ちがある様で、市場

大好きでした。ベトナム料理の教室もあって《観光用》結構賑わっている様ですが

体験してみてください。 市場への食材買いから作り、食するところまで数時間の

コースがあるようですよ!・・( ^^)

以前にも書きましたが食べる事には貪欲な国民ですから美味なものが増加している!

貧しい生活者でも食事には手を抜かないし、何処でも廉価で満腹になる食事ができる

国でもあり、それがこの国の誇りだと言えると思います。  生活に直轄する商品は

かなり安いですし、特に食べ物は本当に安く何時でも何処でも手に入る場所もあって

{清潔でなければ}を言わなければ・・ひゃははははは 何でも買える便利さは日本

にはないと思います!面白い食べ物がいっぱいです・・(*_*)

日差しは出ているのですが・・弱光で、まだ本領発揮できていない浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/15(Fri)
風邪が流行しているようで、東京の親友の孫がインフルエンザA型とかで高熱で

隔離されて彼女の家で1週間過ごしているという話・・!(^^)!

家族とは一緒に住めなくて『以前話したと思いますが腎移植を父親が受けて、免疫

低下の為自宅療養している』可哀想だが感染症の病気の場合は隔離されるとの事で

気の毒でもあるが、子供心に「お父さんに移ると大変だから」と言うそうで、胸内

が熱くなったものです・・(><;)本当に人生には色々有って・・不幸と言う名

の元に多くの病気や問題、家族間の揉め事を抱えて生きている人が大勢おられる!

そんな話を身近で聞くと心が傷み・・かと言って何もできないし、何かの役に立つ

ほどの力もなく・・単に話を聞くだけで不甲斐無さを痛感するのです・・(-.-)

ただただ、早い回復と元気になって生活ができる事を祈っているだけしか出来ない。

不公平で不条理で格差が大きい世の中に欝憤をぶつける場所もなく、数多の問題が

目の前に提起される度に「人生ってどうしてこう様々な事が起きるのか?」を感じ

てはそこで留まり嘆いているのだが・・長く生きて来るとそう言う事が{大過去}

の中で消滅し、埋没させているから、既に忘れてしまっている時にまた、現れては

心を揺さぶるものなのかも知れません・・(@_@;)

何の解決もしないで中途半端で押し込んできた過去の中には、未だ未だどろどろと

したマグマの様な怪物が棲んでいて・・時折姿を見せて牽制をしかけてくるようで

確実に平和や、安穏、病気からの平癒が望まれない世の中になっているのだと思わ

てなりません・・今現実が持病はあっても、誰彼でも何かを抱えて生きている事実

だから我儘勝手に生きられるこの幸福の中を毎日の感謝を感じて生きているのです

が・・甘い思考の中で繰り返しているだけかも知れませんねぇ・・(><)

世の中は何処の国でも同じで大差はなく、人がいる所には必ず同様なことが起きて

心痛の種を産むものだと老いるとそう言う事が結構、ストレスになっていくものか

も知れません・・個人的見解ですが・・(--〆)

※郵便局で恥ずかしかった・・

当初はPCを持って行かなかったから随分手紙を書いたものです。暇だし、こっちの

情報や毎日の生活の面白さや不思議さに圧倒されていたから、誰かに知らせたくて

よく書きました。何時も便箋1枚を裏表に書き封筒に入れて郵便局へ持って行く事

がま、自分にとってはベトナム人との接触であり、街中を歩くことで見える暮らし

に興味津々の生活の流れでした・・( ^^)

所が何時行っても同様の用紙と封筒枚数も同じなのに、その都度相手をしてくれる

ベトナム人女性によって値段が違う事に気がついたのです。秤にかけて計ることも

無く人に依って微妙に値段が違う事に最初は驚きの連続でしたが・・(@_@。

いかにいい加減で・・適当であるかを後になって知らされたものです。

今でも思い出します。その日は初めて郵便局に行った日で封筒を5枚持って行った

時のことです。正直、凄く不安でした!何処へ持って行けばいいのか見当もつかず

かと言って言葉が話せないから聞けない・・心臓はドキドキしていました・・(*_*)

局内は混雑していました。局の前には有名な教会が有り、そこでは結婚式用の写真

を撮っていました。暫く眺めていたのですが。思い切って局内へ・・うふふふふ

漸く外国人を見つけ、その人が何処へ手紙を持って行くのか目で追っかけていると

私が佇んでいる場所よりかなり離れた所へ持って行く様子でした。

急いで後を追う様に行き〚外国人用〛の窓口に辿り着いた有様でした。先ず、場所

が解った・・問題は拙い英語が通じるか?でした。初めての経験ですからかなりの

緊張感がありました・・あははははは 今、思うと吹き出しそうですが・・当時は

真剣そのもので周囲等何も見えていなかった気がします・・(*^。^*)

順番に並んでやっと番がきました。 その間10分位並んでいる間に心も落ち着き

ました。外国人用だから黙って渡しても大丈夫だという事にも気がつき辺りを見る

余裕も出来て「日本に出したいのですが・・幾らですか?」と言いました。中年の

小母さんはブルーのアオザイの手を窓口の下へ下を向けて何も喋らずに示した・・

前に並んでいた外人が大きくて窓口が見えなくて、解らなかったのですがガラス窓

の下が空いていてそこへ入れろと言われた様でした。彼女はそこのガラスを開けて

手紙を取り出し、片手で重さを測りだしました。 目の前に秤があるのに・・信じ

られない顔をしてみていた私です。そして、徐に◎◎ドンと言いました。どの様に

考えても同じ物で5つだから割って見ても計算が全く合わない。

「これらは全て同じものです。1通は幾らですか?」って聞きました。生意気に!

その彼女を{苛立たせたのか?まさか?そんな質問が来るとは思わなかった}のだ

と思います。英語で反論して来ました。その英語が全く理解できない。早口で癖の

有る英語でした・・多分「文句でもあるのか?」的は雰囲気でした・・(-_-メ)

顔が紅潮しているのが解るほどでした・・ずっと後ろも並んでいるので、私も凄く

恥しくなって「ソーリー、初めてで貴女の言葉が理解できなかった」と余計な事を

また、重ねるように言い繕ったのです。彼女はもう同じ言葉で料金だけしか言わず

仕方なく解らないまま大きな札を出して切手とお釣りを貰った・・(/_;)

大した事ではないが”そこまで向きにならなくとも”と思いながら羞恥心もあって

早々とそこを離れたが数日後に行ったら、随分行列ができていて、遠巻きに並んで

いたので・・傍へ行き見ていたら隣同士でお喋りに夢中になっている係の女性・・

それが終わるまで待たされるのか?など思いながら急いでいないしデパートに寄り

帰路の下見をしてから郵便局へまた戻った。その間30分位だったが半分程度しか

列が進行していなかったのには仰天したが・・マイペースと言いますか?

ベトナム人は何時も書きますがお喋りに夢中になると他の事は忘れるらしくその上

2つの事ができない人が多いから。ずっと終わりまで待つか?喧嘩腰になってして

貰うかの選択しかない・・わははははは

しかし、ここに住んでいる外国人は待つ事もお喋りにも慣れているから当然の様に

話が途切れるのを待っているのが現状でしたねぇ。短気な人はいなかったのかも?

とよく思っていました。時間がとにかくゆったりとして、彼女たちも時間だけ働け

ば駆けこんできた人の前でもカーテンを閉めてシャットアウトを平然とするのです。

その点は妙に厳しく時間が来ないと開ける事もなく平気で待たせる。残業など無い

し時間前でも自分の都合で勝手に締める人もいる。 その人によって切手の代金が

違う事を教えられたものです・・(*^_^*)

自分の利益に繋がらない限り、お金が多少違っても合わなくてもそんな些細なこと

は問題外だという感じでした。プライドが高いから自分は正しいと思っている人が

多いので〖余計な一言は禁句だと初めて行った郵便局で恥ずかしさを味わった〗

それからも週に何度も行ったが「どうでもいい?とお喋り」は一向に変化しなくて

この国はそう言うところなのだと教えられたものです・・はははははは

少し寒さが残っていたが、最近は6時前でも明るくなって洗濯物を干すのに電気は

必要がないほどになってきた浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/14(Thu)
すっかり逆戻りして午後から降り始めた雨は寒気をいっぱい運んできた感じです!

急激に部屋の中も冷気が漂う有様で暖房器の登場となりました・・(-.-)人間とは

何と厚顔であることでしょう・・??暖かいと心底、幸せが舞い降りてきた感じに

なって破顔一笑している自分がいて、寒くなると文句を言ったりするのですから!

それでも昨日の雨は強風も重なって激しい豪雨が長く夜中近くまで降っていた。

関東の方ではかなりの風が吹いたとのニュースに驚いていましたが・・この部屋に

いても風の強さを感じられて、雨も相当でした・・久し振りの激雨でしたねぇ。

※停電

ベトナムの場合は確実に〚計画停電〛ですが・・も、最初の頃はその回数の多さに

そして、その長さに閉口したものです。何度か書きましたが・・来越して未だ本当

に間がない頃のホーチミンは殆ど数日おきの〚計画停電〛がありました・・(@_@。

それも1区ではなく飛行場が近い地区に住んでいた頃の話です。政策がその地区に

未だ到達していなかった部分もありましたが・・(-"-) とにかく本当に吃驚する

程度の回数でした。短時間の日もあれば終日続く日もあって・・慣れていない私に

は何より大変で大きなアクシデントでした・・!(^^)!

ベトナム人は当然の様に知っているから誰も何も言わず我慢しているというのか?

通常の様に受け入れていましたが・・日本では停電なんて想像外でしたから、1番

辛く身体にも精神的にも応えた出来事でした・・(@_@;)電気が使用できない生活

がこれほど不自由で不安感を煽るものだとはこの国に来て初めて体験したものです。

そこは息子が住んでいた家で3F建てだったから広く部屋の中でポツンといることが

凄く嫌でした。息子は早朝から仕事に出かけ、嫁は学校へ通っていました。

広い部屋に飼い犬のシロと2人で朝からの停電にかなり参っていました。シロも口を

「はあはあ」させて暑さに耐えている感じでした。水を沢山入れておいたのだけれど

直ぐに無くなる位の速さで水分を取っている様子でした。 その頃は【乾季】に入り

物凄い暑さで日中の気温は体温をはるかに越えて38度はありました・・(-.-)

そんな日が殆ど毎日続いていました・・\(◎o◎)/!

慣れていない生活の上に緊張感もあり、その暑さにどう対処すればいいのか?見当も

つかない状況でした・・(><)体温より高いのにクーラーも扇風機も使用できない

生活の上に、暑さは猛然と襲って来ました。  汗が噴き出て、首にタオル、頭には

冷蔵庫に残っていた氷をタオルに包み載せていました。団扇、扇子、ペットボトルの

水を傍に置いて、床のタイルの上に座っていました。段々と頭の氷も解けてくるし又

座っている場所のタイルが暖かくなってくる度に移動して冷たい場所を探して動いて

いました・・(-_-)  〔何度もあちこちと移動していたのです・・うふふふふ〕

そんな状況でも時間がくればお腹は減って来る・・(#^.^#)   台所で火を焚くと

猛烈な暑さが加算されるから・・生麺に香草を巻いて食したり、夕べの残りを食べる

ようにしていたが・・何時も残っているわけではないし、何もない日もあり作ること

もしばしばでした。シロにも分けてあげていたのですが・・肉類しか食べない贅沢な

犬で暑さと苛立ちで犬に八つ当りしていました・・わははははは

それでも、スープ位は飲みたいと思い、作りだしたら背中から胸から顔から汗が滴り

落ちてきました。たった数分間の火の使用でしたが・・食べ終わって即シャワー室へ

水で思いきり流していると、ドアーの外でクンクン鳴くから一緒に頭からシャワーを

思いきり掛けてやり、バスタオルで拭いてやろうと思っても走って逃げ回るからそれ

を追いかけたりぶるぶる身体を振るから、あちこちに水が飛び散ってそれをまた拭い

ていたら先程より以上の汗が流れて・・もう1度シャワーをという状況でした。 

でも日中は明るいから太陽の力も燃える様に暑さをくれていた・・長かったです!!

その日は朝7時半頃から夜8時迄ずっと停電でした。夕飯迄の時間の長さには愕然と

しました!本を読んでいても汗が本の上に落ちる位の汗の量でしたねぇ・・(;一_一)

   ”後にも先にもこんなに汗をかき長い停電の日は無かった!”

長い長い1日でした。子供達が帰宅する30分前には点灯したから安心はしたが食事

の準備はできなかった・・停電で大変だった話をしたのだけれど「そう?」と単純に

一言の返事で終わった。私はどんなに大変な思いで時間を潰したか?を聞いて欲しか

ったけれど若い2人には特別のことではなく当然であり極、普通のことだから興味も

なく言いだした私は尻切れ蜻蛉みたいで・・がっかりしたものです・・( 一一)

それからは色々な事情があって1人暮らしになった。1区のビルに引っ越してからの

停電も結構嫌でした。その日は珍しく体調が悪くお腹を壊していたんです。それが夜

から朝までの停電に遭遇してしまった・・(-_-メ)

何度もトイレ通いが続きました。真っ暗な中を勝手知ったるとは言え手探りです・・

生憎、蠟燭も細くて小さいものが1本置いていたのですがライターもマッチもなくて

ガス台が1Fにあるのですがそこまで階段を降りて点けに行くという事が何回もあり

それもまた面倒だったし情けなかった! 頭の中には煙草など吸わないからマッチや

ライターの準備がなく考えの範疇にさえ無かったのです・・(--〆)

昼間の停電が1区は多かったけれど、夕方までには大抵は点灯していたからうっかり

購入することを忘れていたのです・・(/_;) その夜は9時から翌朝の4時まで停電

でした。漸く外も明るくなって、電気が点いた時の安堵感は本当に大袈裟ではなくて

「やった!点いた!」と大声がでる思いでしたねぇ・・(*^_^*)

スーパーが開くのを待って蠟燭とライターを買いに行ったのだけれど、マッチはなく

ライター{日本で100円だった}が凄く高くて・・吃驚したものです。 躊躇って

その日は買わなかった。 絶対必需品なのに妙なところでケチる癖があるのでしょう。

何故だか高いと思うと買えなくて・・はははははは 数日、考えて結局は市場で少し

安価のを買った・・ひゃはははは  愚かな人です。 別に必要品だからどうしても

買わねばならなかったのに・・こんな事を当初はしておりました・・うふふふふふ

再来越した頃は以前の様な長時間の停電がなくなっていました。ただ短い1時間とか

2時間程度は何度もありましたが、割合直ぐに点くという状況に変化していました。

そして〚停電のお知らせ〛が各場所にある掲示板などに貼付されるようになっていて

それを知ることができるようでした。英語でも書いてあるので少しだけ意味が解って

でも、準備することは先ず無かった・・( ^)o(^ )殆どが日中の停電に変っていたし

短時間でもあったからです。それに異常気象のせいでしょうか?体温を越えるほどの

暑さの日は4年間1度もありませんでしたから・・それもかなり違っていました!

矢張り成長期にいた頃は何事も未だ未完成でそれなりに大変で嫌な思いも多々あって

面喰っていたりオタオタした事が多かった気がします!そりゃ、何も解らないのです

から・・当然なのでしょうが。今より10歳も若かったから、それに知らないと言う

強さや無神経さも充分あって・・きゃははははは{ここは日本ではないから外国人が

していることと不思議に思われても言葉も通じないから・・どうでもいいや!}的な

思考がいっぱいありました・・( ^^) 《今思い出せば図太く強情だったのでしょう》

慣れると案外楽でしたねぇ。誰も知らないから何をしていても文句も言われない!

周囲も人も関係なく時間が全て自分だけで回っていました・・あははははは

こんなに素晴らしく自由奔放な生活ができる事に凄く感謝していました・・(*^^)v

日本では先ず出来ない体験と生活面での不自由さはあっても個人的な心の中は全てが

自由でした。それは素晴らしいことで誰もが経験できることではないから大切に時間

をしたいと何時も思っていて・・自分に枷をかけていました。だらしなく怠惰に生き

ることがないように規則正しい生活に気をつけていました・・それだけですが、早朝

起きる事も早寝も自分にとっては通常の習慣でしたから苦痛は何もなかったです。

ベトナム人からすれば仕事もしないで、1人で住んでいるという想定外の考えで私は

見られていた様ですが・・1人でどうして住んでいるのか?の質問ばかりは出会う人

全てに聞かれたものです。それほどベトナムは家族が大事ですから老いた人が1人で

暮す事が想像でき無い感覚があって・・他人でも誰かと一緒に暮らすのが普通だから

何よりもその事が不思議がられていました。それも慣れだったと思います・・(/_;)

今朝は少し冷え込んでいます。昨日朝早く未だ太陽が少し残っていた頃に毛糸の帽子

やマフラー、ストールを洗ったのですが・・矢張り乾いていなく、部屋の中の半乾き

を外の寒風に当てようかどうしようか?と考えている浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/13(Wed)
ちょこっとだけお布団干しました・・( ^^) 色々な物の飛来で何となく空が薄暗い

感じを受けていたのですが、何と言ってもベトナムの日々に比べたら「まーいいか」

的な感想で暖かく睡眠出来る方を取った訳でして・・ははははは

思ったよりも暖かく、気温も上がっていましたから、ふんわりとなったところで即

仕舞い込んでいましたが・・太陽の威力って物凄いものです・・(@_@。 薄汚れた

空気の中でも燦々と日差しは届いていた・・何て、幸せで有り難い時間だと思わず

にはいられない・・うふふふふ 毎日、狭い部屋の中を這い磨るようにあちこちを

掃除している。少しサボると棚、抽斗等がぐちゃぐちゃになっている。使用後直ぐ

並び変えて置けばいいのだが、忘れたり面倒でその儘の日が続く。途端に中が整理

されていないから・・気が付くと位置がずれている。 別段、何時でも整理整頓が

なされていないと気が済まない程神経は繊細ではないけれど、時間が十分あるから

気になるだけの事で・・大した事ではなく見えていない部分がきちんとしていなく

ても生活に支障はないけれど・・冷蔵庫を開けたら気になったりする・・(-.-)

貧乏性なのでしょうし、生来の性格なのだ思っています・・あははははは

※桜  ②

執拗ですが、もう少し桜の話にお付き合いください・・m(__)m どうしても忘れ

られない思い出があるものですから・・息子が人生の岐路に立ち、選択を余議なく

させられる時期がありました。息子は仏留学とカナダへの留学をしていたのですが

その最中、主人の死があって急遽、帰国するという羽目になり、気の毒ながら中途

で断念をせざるを得なくなった・・私はその事が彼の人生を狂わせたようで心の中

に大きな汚点を持っています。不可抗力だとは思っていても・・彼の生き方は一変

してしまった。直ぐに会社勤めを始め、8年位は東京で働いていたのですが、色々

な事が重なって会社を辞めた。その時彼が成長して初めて半年間は一緒に暮らす事

ができた。私も働いていたし生活の心配もなく、暢気に何かを見つけて又、踏み出

せばいいとそう願っていた。  その時期の桜は2人でレンタカーを借りて岐阜へ

「えーそうなのです。根尾の薄墨桜を見たく」て息子に依頼した。 未だ出会って

いなかった有名な桜でした。その頃は漸くその名前を聞きだした頃でした。老木で

1000年以上も経っていると言われていました。岐阜には桜の名所が沢山あって

あちこちと行ける事は堪らない魅力でした。後年、もう1度行った時はも、観光化

されて、それは見事なくらい商戦になっていましたが。私が行った頃は先ず先ずと

行った塩梅の観光客でした。老桜は痛々しいほどに可憐な花を咲かせていましたが

大きな大木に支えられて、枝を広げている姿には「いかに桜好きとはいえ胸が締め

つけられる程」の感慨がありました・・(;一_一)

どれだけの人々の心を癒し、慰め耐えて生きてきたかを目の前にして単に綺麗とか

凄いとかの感情から逸脱した<妖気>を感じておりました。 それは物凄い執念を

感覚的には身体中に浸透させていきましたから・・私個人にとっての薄墨桜は異常

な感動と狂乱を覚えたものでした・・(@_@;) 早朝からTV局が入っていてそれも

又、心を傷めました。想像できないほどの閃光、爆発的なライトとその光を浴びて

いる様子は悲しそうに見えました!{そこまでして紹介しなければ商売にならない

のかしら?}なんて思えて桜の老木には触れる事も近寄る事も出来ず触れて労わり

の声さえ掛けられない状況でした。辛うじてその姿を見せている傷病者のごとくに

見えて切なかった記憶があります。きっとこんなに有名にならなければ、小さな村

の宝物で大事にされていただろうと思うと・・人間の不遜さに心が壊れていきそう

で強烈な痛恨と切実な愛情を桜に感じたものです・・(-_-メ)

薄墨桜も心では日々のフラッシュに耐え、大勢の観光客に晒されている事に自分の

役割を感じているかの様で、長生きしている分仕方ないのかなぁ・・なんて諦めの

境地にいるのではないかしら?そんな気持ちがずんずんと伝導して来て長い時間は

傍にいる事が躊躇われたものです・・( 一一)

再度、行った時は情報が満載で数えきれない程のバス観光が集団で観に来ていた。

桜の花自体は段々と色合も薄く小花化している様に私は感じたのですが・・(+_+)

駐車場が最初行った時の2倍にはなっていて・・大都会のスーパー並みでした。

確かに整備されて周辺は潤っているのかも知れませんが・・(-_-) 哀れでもあり

切なさを秘めた桜に見えて哀しみが増大したものです。長良川河畔の桜は未だ新し

く新芽にも花にも勢いがあって活き活きして美しく今を盛りと咲き誇っていました。

また、中将姫がこよなく愛した桜は見事で本当に美しく感じました・・(@_@;)

高山の町並みに咲く桜は未だ寒さが残っていて蕾も固く残念ながらその日は咲いて

いなかったし時折雪が舞っていました。ただお祭りが近い様で観光客は多く賑わい

をみせていました・・(@_@。高山祭も有名で、からくり人形などの山車も後年には

観る機会がありました。何度も高山へは行っている気がします・・(^^ゞ

息子は私の〔桜狂い〕を知っているからどんどんと山の中まで入ってくれ見知らぬ

山の中にどっかりと腰を据えて咲いている里桜や山桜を見せてくれました。それら

は名もない桜花で自生している昔からある山に咲く桜でしたが・・心が洗われる様

に胸の奥が熱くなって何度も涙を堪えていました・・(・_・;)

思いきり枝を伸ばしてそれでも楚々とした品性を感じさせる山桜には心を何度も癒

されて・・息子の気遣いに感激しておりました。自然との共存が段々と難しくなり

鑑賞化されて植樹される桜には一種の哀切を感じます。 将来咲く事が約束されて

いるかの様に当然の様に植えて、観光目的で桜並木ができ上って行く姿にも心裡は

苛立ちとそこまでしなければならない人間の傲慢さに少し腹が立ちますが・・日本

を離れて暮らしていると『桜前線到来』のニュースは言葉に言い尽くせないほどの

期待と心を温かくさせてくれました。想像できない程躍動感で震えた・・(#^.^#)

   ”早く帰国の手続きをと急いていたものです・・ふふふふふ”

日本人で桜の嫌いな人は余りおられないかも知れない・・ただ終焉を迎えた後の虫

の始末が大変だと思いますが新緑、秋の紅葉も何度でも楽しみを与えてくれる桜に

老いた心を泳がせているのが現状でしょうか?同様に桜に魅せられている方も数多

おられるでしょうが、感激で泣く人はそれ程いないかも知れない・・きゃはははは

ベトナムのどの部屋にも桜は何時も満開で写真が何枚も貼ってあったり、展示して

おりました。それだけは忘れずに持って行きその部屋に合った写真を飾って楽しみ

を心を癒しておりました・・( ^)o(^ )

何となく部屋の中は薄暗く陽光が躊躇している様に儚い光が差している浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/12(Tue)
「全くぅ・・急激に寒さがぶり返して」・・(><”)がっかりでした。でも・・

昨日は震災2年目でしたね・・m(__)m 未だ未だ復興が進捗していない光景に胸

が傷み色々な事を考えなければならないと思いました。一瞬で何もかも喪失すると

いう現実・・その上、尊い生命までも奪った災害は憎しみさえ覚えます。

もっと何とかならないのかしら?TVはずっとそのニュースでしたが・・段々と風化

されていく事実の前で震災に遭われた人々の心情を推し量って見る術も私には無く

非力を感じておりました・・(-_-メ)「すいませんとしか言えない。頑張って!」と

しか言えない。情けなさです・・>< 人間の強さはそれでも貫いて懸命な人が多く

心打たれることも数多ありました。 ただただ、早く安定した生活がなされる事を心

から祈っています!終日、暗く肌寒い日でした。風があったので洗濯物は先ず乾いて

仕合せでしたが・・暖房が離せない日になりました。

※桜  ①

桜を語る時、絶えず私の心はざわめき揺れ惑うのです・・( ^^)  散り際の潔さや

満開時の見事さ、生命力の確かさ、幹を血脈が流れている幽かな音にさえもまたは

自分を鼓舞している姿等どれをとっても私にとっての桜は大きなエネルギー源であり

年間を通じてのパワーを貰う時期でもあります・・ふふふふふ

桜との遭遇はもう何10年も遥かな昔で・・小学校へ通う道に川があってその土手に

自生してしていた野生の里桜との出会いでした。未だ誰もが然程、豊ではなく真剣に

生きていた時代でした。我家は中国からの引揚者だったそうで、父の実家に身を寄せ

ていたらしく・・殆ど記憶はないのですが小学校入学までかの地にいた記憶があって

学校へ行く道に咲いていた大樹は古木ながら満開の桜を見せ・・何時までもそこから

離れたくなくて・・家を早く出てはずっと桜と会っていました。桜が舞いながら散る

ことも、川の流れに乗っかって早々と姿を消す事も、留まってそこには桜絨毯の様に

堰き止められていたり色が変わって病葉となって落花する事も知りました・・(@_@。

その後、桜が終わった時期に引っ越して、も、2度とはその桜は見られなくなった!

その頃から桜に対しての思い込みが激しく、何処へ行っても先ず桜のある土地に住み

たいとずっと願って生きてきた気がします・・あははははは

〚桜前線〛の便りが届くと追いかけて行くスタイルに変化して行った・・(#^.^#)

幼かったころの印象が強烈で、桜の花片を追いかけて川に落ちたり、遅刻して叱責を

されたことなどは今は嘘の様な思い出ですが・・そこだけが鮮明に残存しています。

学校、役所、公共施設には殆ど桜がありました。春が何より好きなのはそれもあるの

かも知れません・・うふふふふ 忘れずに春を告げに咲き誇る桜はその美しさを見せ

てくれる唯一の心の潤いでもありました。結婚して札幌に渡った時は、かなりの衝撃

を受けたものです・・なぜなら、桜開花時期が殆ど1ヶ月も異なり、ソメイヨシノは

寒冷地では育て難い様で函館以外はその頃は無かったからです。山桜の種類が多くて

北の街の桜は想像していたのとは全く違っていました・・(-.-)

毎年、所謂、名桜と言われている場所は大抵行きました。北海道内では島を除いては

多分全部行ったと思います。最後の厚岸の千島桜まで長い長い旅をしたものです。

勿論、咲き時を待てないから・・東京、大阪、京都、名古屋、四国、中国方面までを

追いかけていました・・ひゃははははは

何年間もその時期は桜に出会う旅が続いたか想像も出来ませんが・・今も未だ残って

いる桜に会いたくて行っています。 ただ、何時の頃か?桜の名所がどんどんと増加

してきて、観光客が押し寄せ、バスツアーが盛況になってからはなるべく見知らぬ所

を探しては電車やバス、飛行機と贅沢にも追いかけていますが・・完全にその時期が

合致することは中々容易ではなくて・・雨だったり散ってしまった後だったりも結構

有って・・(-"-)  ましてや、海外に住んでいるとその〚桜前線〛のニュースだけ

を頼りに帰国していましたから・・残念な事が多くなってしまったのが寂しかった!

桜時期は私の人生の活動期でもあり何処にそのパワーがあるのかと思うほどに出歩き

関西に実家が有ったころは京都が1番行った場所でしょうか?

毎日お弁当やおにぎり、お茶を持参してお寺や神社、公園などを集中的に回りました。

京都は本当に桜が多くて・・それに早咲きから遅い仁和寺までずっと何処かで桜との

出会いはありましたから・・好きな場所でした・・(*^^)v

今でこそ有名になり誰でもが知るようになって愕然としている場所も私が1人で歩き

感動し感激した桜たちとの出会いは既に過去になっていますが・・次々と新しい名所

が出来て・・嬉しい反面、その人出と混雑に驚倒しています・・(@_@;)

東京も桜が多く、今はのっぽビルの中で新しい名所も多々ある様ですが・・昔からの

住んでいた頃の桜に会いに行くのも楽しみになりました。 今年は帰国しているので

時期を外さずに済みそうでそれが1等幸せに思えています・・(●^o^●)

桜をこれほど好きなのに・・勉強したり覚えたり種類や何と何の交配で出来た花だと

かは余り興味がなく【爛満と咲き乱れ、たおやかで強か、それでいて華美な容姿に時

には堪らない色香を感じますし、潔いよい粋な散り際に憧憬を覚え】心が震えます。

家族は勿論、この異常なまでの行動にすっかり慣れていますが・・1人で捜し当てた

山の中のひっそりとした桜に出会うと涙が流れて・・ここは私の場所だとか勘違いを

したり、老木に耳を当てて脈々と流れる生命を感じたりしています。そこには温かく

なった樹木から生命の息吹の音を感じるものです。{ひこばえ}{桜雲」{枝垂れ}

も大好きは桜です。桜を観る機会がなかったのは2年間で海外に行った年と、主人が

亡くなった翌年の桜には会いに行けなかった・・(-_-メ)

それ以外は何処かで時期がずれても桜からはエネルギーを貰って生きてきた気がして

話だしたら切りがないくらいに饒舌になってしまうのです・・きゃははははは

後、どの位桜との出会いがあるかを考える歳になりました!今の時期を大切に会いに

出かけたいと思っています。あのパワーを貰い、桜に触れて生命力を身体に植え付け

頑張って残りの人生を楽しく生きたいと願っています・・(*^_^*)

今朝も肌に冷たい風が吹いていましたが、太陽が昇って来て少し緩和された浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/11(Mon)
【寒の戻りは本当にあるのですね】昨日は午後から雨が降って段々と気温が下がり

夜には先日来の暖気が夢の様に冷えてきました・・(-.-)

暖房器具の世話にはならない程度でしたが。それでもじっとしていると寒さが足元

から来る気配を感じておりました。{何だかなぁ・・(-"-)幸せが何処かへ飛んで

行ってしまった喪失感を味わっておりました}・・うふふふふ 全くお天気に完全

に振り回されておりますが・・春が待ち遠しいから尚のことそう思えるのかも??

既に、ブログの方から数人大好きな〚桜便り〛が届き心がわくわくして躍っていた

だけに・・悄然となっています・・ははははは でも”必ず春は来る兆し”に心を

懸命に誘引させております・・(#^.^#)  勝手な事ばかり書いていますが北海道

では猛吹雪だった様で、何だかこんな事書くのも憚られる気がして・・<(__)>

※ベトナムの根菜

2014年からバイオ燃料を7都市、省で生産、販売を義務ずける事が決まった様

です。  現在のベトナムではバイオエタノール生産工場は原料となるキャッサバ

〔根菜類〕の生産が盛んで中央部には6ヵ所の工場があります。 年間の生産量は

合計で5億500万㍑となっていると言われています。

この内の3工場はベトナム国営石油ガス[ペトロベトナム]=凄く有名な会社!が

保有しています。<ベトナムニュース参照>

     *今日はベトナムの根菜や生り物を書いてみます*

①蓮根

これは以前にも書きましたが残す所がない程全てを食します。花、種、茎、根など。

②ビーツ(アブラナ科)

コールラビ、人参、玉葱等と一緒に賽の目切りにして細切れ肉と一緒に煮たスープ

はベトナム風ミネストローネみたいで美味しいです。多分に仏料理の影響を受けて

いるのではないでしょうか? 時々は何処の家庭でも作ります。

③タロイモ(里芋科)

個人的には殆ど食しませんでしたが、ベトナム人は好きです。茎も食します。

④山芋
これは白と赤があって・・最初は赤いものが毒々しい感じがして中々手が出せない

食べ物でしたが・・日本の様に擂ったりはしないでブツブツ切って煮物や鍋物にも

入っています。私は焼いてタレをつけて食べていました・・ま、驚くほど美味では

有りませんでしたが・・偶に買っていました・・( ^^)

⑤クズイモ

皮を剥いて1㌢位の厚さにカットしたものを串に刺して(生)がフルーツやの屋台

で売っています。日本人には食せない感覚ですが、おやつ代わりにサクサクとして

ほんのり甘味がある様でよく食べている人を見かけました。食感が好きなのか?

解りませんでしたが・・(-_-) 料理にも使用します。千切りにしてサラダにする

のが多かったです。これも食感だと思いました。

⑥糸瓜

若く青い糸瓜は食用として使用するのが一般的です。スープ、炒め物にする様です

が最初はズッキーニーと間違えていたものです・・(+_+)余り大きな物は出回って

いなくて胡瓜にしては太いしとか思って見ていました。

⑦カボチャ

これも種類が2つあって細長い白っぽい物と普通に日本で見る形の南瓜があります。

雌花は実になるから大切に育てますが雄花は食用として山積みされるほどの出荷が

有り何処の市場やスーパーにも必ずあります。早朝、花が開く前に全部摘み取って

出荷されると言います。ベトナム人の家庭では常用食です。 癖がなく苦味もない

から炒め物や煮物にも入れますが・・その花自体を茹でて好みのタレをつけて食す

事も多いです。また、煮物の残り汁につけて食べる人もいます。

⑧苦瓜

これは日本の種類とは違うかも知れません、ずっと小振りです。そして、20分位

下茹でが必要で、結構苦いです。 ベトナムの家庭料理では肉詰めがポピュラーで

殆どの人が好きです。総菜やにも必ず置いていますし、よく購入されています。

また、ベトナムでは{苦瓜茶}としてもかなり有名で<熱さまし=解熱剤>として

使用する事はよく知られています。

種類は数多ありますがランダムに書きました。また、機会を見て色々な野菜、果物

も書いていきます。   (ベトナム料理本より)

ゴミ出しに行ったら身を切る位の寒さで驚きました今朝の浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/10(Sun)
愈々歯科通いも大詰めになってきました。今月内で終了させてくれると言う思い

がけない情報でかなり幸せな気持ちです・・( ^^) 陽気に誘われてまたぞろ足を

延ばして川の堤防沿いを歩いて来ました。も、すっかり春本番気分で大勢が色々

な事をして運動に励んでいました!川原ではキャッチボール、テニス、犬の散歩

孫と遊んでいる祖父、祖母等本当に沢山の人が出ていました。その横を自転車用

のヘルメットをつけた格好いい小父さんが軽快に数人通過して行く。一様に電動

自転車みたいで・・軽やかに通過して行く、それを見送りながら・・ぼんやりと

川の緩慢な流れを座って見ていました・・(#^.^#)随分、気をつけて座った積り

でしたが直ぐ側に犬の糞があって吃驚・・(><”)まさか、始末しない人など

居ないと思っていたから・・驚いてしまった!幸いに気がついたから良かったが

「最低のマナーでしょう」なんて思っていました・・(+_+)

暖かく背中に陽光が降り注ぎ・・気持ちの良い時間を少しの間満喫して帰宅した。

未だ午前中でお昼前の時間帯でしたが、日差しと戯れ散歩までは行かないけれど

優しい穏やかな時間がありました・・(*^_^*)でも、中国からの黄砂などの話を

聞かされていたので長くは居なかったのですが・・未だここは空気が淀んでいると

気が付かない程度でした。幸いにも花粉症もなく、ベトナムの粉塵に塗れて暮らし

ていたせいでしょうか?多少の埃には疎くて洗濯物もそのままで、出し入れしたし

お布団も干した・・あははははは{何処まで無神経なのか?いい加減なのか?}

※ベトナムニュース

今日はハノイが中心・・ホーチミンでは信じられない光景でニュースを読みながら

吃驚しましたが・・同じ国で首都のハノイがこんな状態とは・・??

◎ハノイのバス事情

利用者は多種多様で意見を聞いたら切りが無いと言われているそうですが、毎日の

通勤、通学に様々な人間模様が繰り広げられていると言います。利用者のバスへ

の捉えからも諸々だと言います。

①エアコンの無いバスが未だ多いそうでその上、車内はぎゅうぎゅう詰めで息苦し

く立って乗っている人も多いとか?

②暑さと混雑で怒りだす人も大勢いるし車内の喧嘩も多々あるようです。

③これらは未だいい方で、日除けも椅子もない停留所でずっと長時間立って待ち

漸く来たバスが満員で通過してしまう事も数多あるそうで、こんなことは通常で

もう、何年間も同様な事が問題視されているのに改善がされていない。

勿論、ハノイ交通会社では国の援助を受け必死で努力している様子ですが現況を

打開出来ていないし容易に解決できないのが事実だそうです。

④注意していないと立って乗っている場合は前につんのめる。

バスの横をバイクがスピードを上げ飛ばしたり、ぶつかりそうになりながら通過

するからバスはその都度、急ブレーキ、急ハンドルがあるからで、又、バス自体

にも問題があって、バスの運転の特徴に暴走するというのは付きものらしいです。

だから絶えずひやひやして乗車している客は多いとも言われています。

⑤ま、混み合った道路やバイクの洪水、自家用車、トラック等の乱雑な車の流れ

の中を長いバス車両を操る技術も大変でバスの運転手に同情する人も多いとか?

⑥車掌の怒り

大方は客に対して丁寧だし、親切なのだが乗降時のドアーの表示に従わない客も

いて時には嘔吐、喫煙、座席に足を載せるなど客のマナーの悪さに憤慨して立腹

して怒鳴る車掌もいるそうです。それらの光景はほぼ、毎日の様に繰り返されて

居ると言われています。しかし、これらは現実にバスを利用した人にしか解らな

いない事で殆どがバイクだから余り知られていない現実だとも言われています。

でも、これだけ混雑するバスを利用するのには低料金があり学生、老人にとって

は何よりの利用機関である事も否めないのだそうです。

車内には大勢の人の人生が詰まっていて、日々それらが様々な形で繰り返されて

居るのが現実だと書いてありました・・(@_@。

ホーチミンでは何度もバスに乗りましたが・・確かに混んでいたり通過された事

もありますが、バスの中で喫煙や足を載せる利用者には1度も遭遇した経験など

ありませんでした。バス停が有る処から乗車していましたし、車掌がバスの横を

通過するバイクに声を荒げる事は多々あります・・(-"-)けれどもハノイがこれ

ほど酷いとは想像もしておりませんでした。首都だから公共の乗り物利用が多い

のか見当もつきませんがこのニュースを読んで正直、驚愕しました・・!(^^)!

大型バスだけではなく昭和の小型三輪車のトラックの様なバスもあって、それも

何度も乗りましたが・・親切ですし、嫌な経験は1度もなく又バスが満員と言う

体験は殆どありませんでした。 荷物を物凄く持って乗る客には何度も出会って

驚き、車掌が一緒に手伝ったり放リ投げて車内に入れたり降りる時に落すように

投げる人は何回もみましたが・・最も、私が乗る時間帯はお昼頃だから、通勤や

通学時間帯ではなかったせいかも知れませんが・・ホーチミンとはかなり様相が

違う気がしました・・(@_@;)  (ベトナムニュースより)

今朝も暖かくて早朝5時半に洗濯物を干していたら黄色を帯びた綺麗な細く輝く

3日月が見えて何でしょうか?・・一寸心が揺れ動いた浪速の夜明けでした!
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/09(Sat)
「いやー暖かい日が続きますね・・( ^^) 」も、春は来たのでしょうか?週末は

北の方では天候が崩れるとの話ですが・・行きつ戻りつを繰り返し長い冬を耐え

雪との闘いが有った札幌生活、春の到来がどれほど待ち遠しかったか・・(*^^)v

その時間を忘れる様に春が来ると一斉に爛漫と咲き誇る花々は見事であり、我慢

していた時間を充分に埋めてくれる美しさと華麗さを齎してくれたものです!

だから春の訪れは嬉しくとても楽しみでした・・(*^_^*)も、少しですねぇ・・

※玄関まで水が・・

ベトナムはご存じの様に『雨季』『乾季』があります。ま、住んでみると秋の様な

涼しい日が結構ある事も知りますが・・(@_@。 ハノイなど北部や山間部では冬も

あって軽い四季があります。 ホーチミンでは凡そ『雨季』『乾季』の区別だけと

言っても過言ではないですが・・その年により、また、異常気象が世界的になって

いる現況では、昔の様にはっきりとした2季が解らないままで突入してる事が間々

ありました。これは再来越して痛切に感じた事実です・・(--〆)

そして雨量も昔ほど多くなくて・・暑さも体温より高い日は数える位で・・何だか

常夏という感覚がずれて来ている気がしておりました。 猛烈に暑いという感覚が

なくなって来ていると言える気がしていました。もしかして身体が慣れたせいかも

知れませんが・・汗が滂沱に流れる日は数えるほどしかなくなっていました??

その昔のことです。その年は『雨季』が長くそして威力も強く激しい豪雨が何度も

毎日の様に降っては止むを繰り返していた時期でした。

大体午後から空が俄かに曇りだし青白い閃光と共に大きな長い稲妻がかなり劇的に

光って即、雷鳴が轟くのがパターン化していました・・!(^^)!

一瞬に大粒の雨が降り出し本当に大きな雨粒でそれが間断なく降り続きます。雨は

白く太い糸の様に垂直に地面を叩いても、これでもかと言うほどの雨量が数時間は

降り続くのです・・(@_@;)物凄い雨量に半端ではない恐怖があって、雷鳴も落雷

も眼前で見えるほど激しい豪雨になるのです。

丁度、午後2時か3時頃から降り出して夕方まで、長い日は夜まで降っている!!

その日も夕方まで激しい雷鳴と雨に圧倒されて窓越しから覗いていました。帰宅の

時間帯とぶつかって、車、バイク、自転車が雨の中を逆らう様な勢いで走り抜ける

人もいたり、雨の激しさに雨宿りするべく飛び込んでくるバイクもあリ・・大騒ぎ

の状態でした・・(-_-メ) 沛然たる豪雨が降り続きました。私は未経験で初めて

の豪雨にいささか仰天しておりました・・(-_-;)

何度も何度も稲光は空を縦横に走り、雷の音も熾烈で恐ろしいほどの感じを受けて

「早く止まないかぁ」とそればかり願っていた気がします・・うふふふふ

その内に前の道路が川の様になって濁流が凄い勢いで流れだしたのです。バイクも

車もその川水に車輪を取られて身動きができない・・走れない状態になった・・

雨は止むことを忘れたかのようにずっとずっと降り続きました!見ている間に道路

は川と化し、路肩もなにも見えずそれを越える様に濁流が溢れて来ました。

我家の前には石の階段が5つあってま、道路からは少し高い位置にあるから大丈夫

だと思っていました・・向いの店や家には完全に川水が氾濫して中まで入って行く

様子が見えていました。 その上、我家の前には雨宿りの人たちが随分いて賑やか

でしたが・・段々と声も小さくなって行き・・いなくなったのかな?と思っていた

のですが未だ誰も動けない状態でした・・(-.-)

悪いと思ったのですが・・シャッターを10㌢くらい開けていたのを締め、万が一

に備えました。玄関は広くてコンクリートだけでバイクもないし下駄箱だけだった

からそれを石の階段に載せて置きました。ただ、浸水したら、台所には上に上げる

物があったので・・内心「困った!」と思っていましたが。外には数人の人たちも

居ると思い、雨が止むことを信じて、玄関は電気を点灯したままでいました。

停電も気になっていたので早目にご飯を炊いていたし、夕食も準備していました。

未だずっと降っていてその間は確実にバイクも車の音も消えていたのですが・・心

が落ち着かず食事をする気にもなれなくて・・外を見ていると誰かが「あっ!」と

叫んだ声が聞こえたのです・・\(◎o◎)/!して階段を降りたら・・水が玄関迄

入って来ていました・・「これは困った・・どうしよう?」と頭の中は錯綜してて

自分がどうすればいいのか見当がつかなかったのです。じわじわと浸水が始まって

玄関から少しづつ水が流れ込んできて・・また、引く感じでした・・(;一_一)

どの位経ったのか頭の中が呆然としていて理解できなったのですが・・雨音は突然

消えた気配を感じ、また階段を昇って窓から覗くと雷も稲光も遠雷になって行った!

本当に《危機一髪》という感じで雨が止み始めたようでした・・(#^.^#)

それでも玄関を越えて入ってきた泥水は大きなシミを作っていました。シャッター

を上げていると、バイクや車が動く音がして帰宅して行く様子が見えたのです。

       ”凄く安堵しました・・(*^_^*)”

それから15分位も経ってから急激に川の水が引くように流れて行きました。道路

が少しづつ見えて来たので・・本当に安心してホースを出し泥水を洗い流しました。

ま、正直、心の中では冠水したら・・とその事ばかり考えていましたねぇ・・(^^ゞ

この喧噪と悪戯な雨水はまるで何も無かった様に引いて行き、日差しが照りだした!

も、そうなると太陽の力は強くて道路を次々と乾かして行きました。

夢を見ていたような時間でした・・あははははは 雨水が玄関まで溢れ浸水したこと

それが瞬時に消滅して流れてしまった事・・不思議な感覚で見ていました・・(-_-)

*このベトナムと言う国は人も自然も逞しく豪快で強烈で凄いと感じたものです*

{あわや?}と思ったけれど・・まずまず良かったという思い出があります。

これ1度きりで、も、2度と浸水の心配はなかったけれど、かなり吃驚した出来事

でした・・(@_@;)

今日も暖かくなるとの事でシーツやら枕カバーなどを干した浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/08(Fri)
気持ちの良い好天で日差しも思いきり身体中まで入ってくる気温になりました!

お布団もぺッシャンコだったのが倍ほどに膨らみ{ま、幸せ全開の夜を過ごせた}

シーツも寝巻きも何もかもほかほかになり、夜の眠りも深く夜中のトイレを忘れて

眠ったようです・・うふふふふ 「あー生きている幸せ・・(#^.^#)」

お天気がよく暖かいと〔啓蟄〕ではないけれど人間も外へ出てくるようで・・( ^^)

下を通る人も多く、お喋りをしているから・・煩く、子供や犬の散歩序でか家の前

で立ち止まっては夢中に喋っている老夫人たち・・〚日本は平和〛を絵に描いた感じ

で見ておりました。他愛のないお喋りが終日聞こえていましたねぇ・・(^v^)

昨日で大分花々の芽吹きが進行したのではないかしら?そんな嬉しい楽しみを感じ

ていました。歯医者へ行く土曜は電車に乗って、見知らぬ駅で降りてみようかな?

何て考えているのですが・・「行けると言いなぁ」と思っています!

人の世は宇宙の歴史に比較すれば丸で『一瞬の瞬のようなもの』であって、余りに

も短いものだと言われますが・・それでもそこには人間としての心が様々に交錯し

交差して纏わりつくように夫々の人生を明暗が到来するものだと思います。

それは大きな揺れや動静の中から消滅したり、また、新しく現れてくるものらしい

けれど、千年一日の如く人間の心はそれほど変化はしていない様に思うのです。

日々の生活の中には憎悪や愛情もあったり利益を得るものはとことん利益に走る事

も多々有って利用される人利用する人、損をする人徳をする人など、各々の関係は

これだけ長い歴史の人間社会でも大差なく同様な事の繰り返しが地球上で展開され

ている現実はただ単純には流れない様で・・これだけの人数の頭脳を持ってしても

実際の現実は冷酷に刻を刻んで行くだけで解決法などは見出せないのが現況です!

そんな事を思うと時間が余りにも迅速に流れる事に訳もなく苛立ちがあったりする

場合もあり、理不尽な災害や苦痛に悩まされたり苦しんでいる人々への配慮のなさ

に立腹してみるが・・それも長く続かなくて・・自己中心の枠内で生きていること

を悟り・・羞恥心でいっぱいになったりするのです・・風化して行く心を止められ

ない愚かさに愕然としてしまう自分がいるのです・・(-_-メ)

小さな幸せだって大きな宇宙の壮大さの中では余りにも瑣末過ぎて、末梢的なこと

なのに・・大袈裟に進路を阻む時もあって・・心が冷え切って行く過程の中に閉じ

込められてしまう気がするのは個人的感傷でしょうか?・・ふふふふふ

ほんの少しだけ異国で生きたと言う証から思考回路が流動するせいでしょうか?

短い人間の一生・・それも終盤に入った我身には降ろせない荷物を未だ背に抱えて

いる気分でもあり、時には自分勝手に解釈してのほほんと暮らしている時間もあり

何が善悪で本当の自分なのか?の見極めがつかない・・(・_・;)

時には過去に振り回されている日もあったり、前向きに余生を眺めている日もあり

ますが・・中々に、静寂の中だけで自分自身を支配出来ないもどかしさに翳の中へ

入ってしまうと言う感覚で逃避している場合も沢山あるからで・・卑怯な生き方に

見えたりそこの居心地がよかったりして・・悄然となることもあります!!

きっと、ずっと1人で生きて来たから息を抜く方法も遊びも知らず、迷惑をかける

事に慣れていなくて何処かで自分をセーブしている。 そんな風にしか見えないし

考えられないのだと思いますが・・案外、しぶとく生きているのかも知れませんが

せめて残りは精一杯楽しく生きたいと思う様になりました・・(*^_^*)

それだけで十分〔幸福感〕に酔えそうです・・わははははは

※ベトナム小話

以前にも大嫌いな{蟻}の話を書きましたが・・矢張りベトナムでは蟻との共存が

大きな問題になっていると言う小話がありました。ある人が炊飯器に入れたままで

冷蔵庫に移し忘れた日の朝、炊飯器の中に小さい{蟻}の大群が無数に入っていて

飛び上るように吃驚したそうです・・(><;) ベトナムではこんな話は外国人

だけかと思っていました・・(私の様に神経質で{蟻}に異常反応する人は・・)

何時も{蟻}に食べ物を横取りされては困ると義父に相談したそうです。 彼は昔

から言われている話があって、ご飯の窯の中に[ステンレスの匙]を入れておくと

{蟻}は寄りつかないと言う返事をくれたそうです。彼女はその日から数日の間は

義父の言う通りを守っているが・・今のところは{蟻}の気配はないと言う。

本当なのか?偶々なのか?

もう一つ

TRA CHANH(レモンティー)のことですが、2010年ごろ北部ハノイでかなりの

流行をしたそうですが、今はホーチミンの若者に大人気になリ流行していると言う

話です。TRA CHANHとは緑茶に日本的には酢橘、ベトナムでは(ライム)なのです

がそれと砂糖をいっぱい入れて飲むもので、所謂、紅茶にレモンを入れると言う物

ではないそうです。住んでいた時も私は時々そうして飲んでいましたが・・それが

(レモンティー)として流行しているとは驚きました。なぜそんなに流行する様に

なったのかには理由があって、凄く安価だからです。夜になるとお風呂椅子で道路

や道端に若者が大勢屯して(レモンティー)を飲んでいる姿が最近の傾向なのだと

言われています。あちこちに同様な店ができて異様な雰囲気になっているそうです。

昨日から暖房がすっかりなくなって、何もなくても部屋の中が暖かく感じていたの

ですが早朝は少し矢張り肌寒く感じましたが・・それでも暖房なしの浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/07(Thu)
今年初めて薄いジャケットを着て外出した・・( ^^) 「えー歯医者なのですが」

本当に暖かくてセーターの上に羽織る程度で十分でした。今月中には完治するとの

話で吃驚しました・・(@_@。歯科って長いでしょう・・一寸づつ治していく感じが

取れなくて、5月頃までと問診用紙に書いておいたのですが・・ま、想像していた

よりも簡単で治る様でした・・凄く安心しました。 陽気に誘われて遠出して駅の

反対側まで歩き、スーパーを見つけて行って来ました。それ程大きくはないけれど

充分、間に合う程度の品揃いでした。 高くも安くもない価格でしたが、少しだけ

買物をした(魚を煮つけたくて)本やも花やも、雑貨屋も近くには有って駅までに

30分は掛るのですが、裏側には行った事がなかったので・・面白く見知らぬ店を

冷かして来ました・・うふふふふ 本当に暖かくて・・15度もあったようです!

嬉しいです。近くに桜並木があったり、公園、学校、土手などに桜の木が沢山ある

から・・今からすごく楽しみにして待っています・・(*^_^*)

桜の蕾をあちこち見ていました。まだ固くて皮を被っていましたが・・ここ数日は

暖かさが続くとの事で期待しています。梅はすっかり散ってしまいました。山茶花

も殆ど落花したが、その代り春の花の台頭で幸福気分です・・( ^^)

待ち遠しいです・・春が1番好きかな?・・ふふふふふ  春って生命力を感じる

からだと思います。生き物全ての中に脈々と血脈が流れ生命の勢いを感じるからで

何と言っても好きな季節です・・(#^.^#) 雪の生活が長かったせいもあります。

※お釣りがキャンディ?

初めてベトナムに行った時期には貨幣に硬貨がありませんでした。数年前に大きな

改革があってお札と硬貨ができ、現在に到っていますが・・それでも当初は珍しく

かなりの需要があった様ですが元々は紙幣だけの国でしたから・・面倒で、最近は

硬貨は殆ど使用されていないのが現実です。勿論、使用できますし使う人も偶には

いますが・・大抵はポケットの中に輪ゴムで止めたり財布の中も紙幣だけで硬貨を

入れている人は少なく、一応、店やスーパーなどのレジに入れてありますが、先ず

流通していない感じでした。 私も4年前の入国時は新札で硬貨付きが物珍しくて

布袋に入れていましたが・・段々誰も使用しないから使わなくて・・三面鏡の抽斗

の中に貯まっていきました。でも、それも束の間でバイクの駐輪料金位にしか使用

しなくなり、次第に全く使わなくなりました。殆どの人がそうだから・・不思議で

もありました。要するに・・細かいお金や硬貨を持つ事に慣れていないから厄介に

なって行ったのだと思います。 去年、帰国した頃は硬貨など見たこともないほど

廃れてしまって利用している人は殆ど見なくなっていました・・\(◎o◎)/!

さて昔の話ですが、未だ紙幣ばかりだった頃の話です。その頃は硬貨がありません

でしたから・・スーパーで買い物をしてもそのお釣りが店によって異なり、少ない

お釣りの時は店が勝手に切り上げたり下げたりして丁度のお金にしていました。

或る日、新しくできたスーパーに出かけた時のことです。そのスーパーではお釣り

が出ると、小銭がないからキャンディをくれるのです。それもお釣りが沢山ある時

はごっそり、又少ない時は1つ2つという塩梅でした。最初は吃驚・・(@_@;)

何せ未だ、日本人的感覚で物事を考えている人でしたからお釣りをくれるものだと

信じていましたから・・それに未だ紙幣の使用にも不慣れでした。絶えず大きな札

を出してよく分らないから細かくしていたんです。レジの優しい女性は私にお金を

見せさせ・・これとこれと言う様に取ってくれる人もいました。それ程当初は大変

でお金が上手く使用できなかったのです〚恥ずかしかったけれど理解するのに時間

が必要でした〛 金額は解ってもどのお札でどうやればお釣りを少なく出来るか?

なんて考えられなかったのです・・(・_・;)

レジの女性にも色々居るし、そして面倒らしくいい加減にお釣りをくれたり明らか

に多くとったり、少なくても平気な人もいて・・面白く何時も見ていました。

そんなに大きな金額ではないし、問題にする事もなくされるまま・・あははははは

レジの女性の都合で本当にアバウトでした。3つから10個以内が多かったです!

よく判断できないまま、これがお釣りの代わりなのだと思い貰って財布の中に入れ

帰っていました。ところが財布は何時も短パンとお腹の間に入れていたものだから

暑さと体の熱で、家に着いたころにはドロドロに溶けていました・・( 一一)

キャンディのお釣りがある事さえ・・既に忘れて真剣に緊張して歩いていました!

その失敗があったので上着のポケットに入れる事にしていましたが・・それも時々

忘れて洗濯する時洗ってしまい、水に浸けて気が付いたり、愚かな事ばかりをして

おりました・・きゃはははは そして思いがけない時にお釣りで貰ったキャンディ

を思い出す有様でしたねぇ・・( ^)o(^ )

そんな事が何度かあって、今までは気がつかなかったのですが、キャンディの種類

が豊富で随分ある事に初めて気付き、瓶の中に入れる様になりました。随分貯まる

ものでキャンディは買ったことがありませんでした・・(@_@。

苺、バナナ、パイナップル、薄荷、ココナッツ、コーヒー、チョコ、ミルク、葡萄

オレンジもありましたし、マンゴー、ライチ、南国の果物の味も多々ありました。

その上面白い事に{この国の気質と言いますかいい加減さ}を表す事にキャンディ

の袋の中身が空だったり2つ一緒に入っていたり、半分欠けていたりなど・・よく

見ると面白くて<どれだけどうでもいいのか?検品はしないのか?>を感じて1人

よく笑っていたものです! 空があって2つ入りが有って・・これで丁度+-=0

なの?なんてね・・わははははは ”全くいい加減でアバウトでどうでもよくて”

細かいことなど先ず気にしない国民であることを感じたものです。キャンディなど

本当に微細な事です。お菓子などでも結構袋の中身が割れていたり、袋自体が破損

している事など通常に有って・・いちいち驚いている方が変人と見られていた時代

でした。 こんな些細な事より国の大きな流れが押し寄せて氾濫状態の時期でした

から毎日が様々に変動して・・国民自身も日々成長していたのだと思います。

そんな大変で大きな波の中にすっかり飲みこまれていました。 初めて住んだ国で

こんな驚異的な経験をするなんて夢想だにしなかったのですが・・あれよあれよと

時間の流れが大急灘でしたから・・その波動、渦中に巻き込まれて浮沈していたの

だと思います。 自分でその事に気がついたのは1年位も経ってからですから愚者

で、羞恥心いっぱいでしたが・・誰も見知らぬ国でしたから。恥とも感ぜずに生き

ていたのだと思います・・ひゃははははは

笑い話ですが・・それ程何も解らないと言うのが現実でしたし、1人で生活する事

が日本的では通用しない常識外れの国民で有り、人種が違う事でこれ程まで影響を

を受ける事を教えられた国でもありました・・(*^。^*)

色々な意味でベトナムの成長期を体験できた事に今は大きな喜びを感じています!

オタオタやウロウロの連続でしたが・・通過してきた時間は無駄ではなく自分の中

に確実に残存して今も生き続けています。善悪ではなく人間としていい体験をさせ

て貰ったと感謝しています・・(*^^)v

少し気温が低いですが、太陽が、も、勢力を出して来ているのでお布団と洗濯物を

沢山干しました・・こんな事が何よりも仕合せな浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/06(Wed)
弥生に入り草木の芽が一斉に生い茂りだした感じがしています。外は割合日差しも

有って、部屋の中の方が肌寒い位でした・・(-.-)生憎、探しても洗濯物が見つか

らずで。お布団を干そうかしら?なんて思っていたのですが、今週はもっと暖かく

なるとの予報に期待して・・( ^^) 久し振りに台所の下を整理。

少しづつ物が増えている。特に失くなったら買えばいいのに、油や、小麦粉、醤油

などの大きな物が場所を取っていて2つ以上もある。引っ越してきた頃は納まって

いたし充分にスペースがあって気分よく拭き掃除をしていたのに・・今は、満杯で

全部出さないと拭け無いほどになっている。衝動買いをしているんだろうと思う!

ベトナムにいた頃はこんなに物を購入しなかったのに・・日本だと安売りに吊られ

て{結構、いい鴨?}買っている。もっと、気を引き締めて物を少なくしなければ

片づけながらそんな事を考えていました・・あははははは  たった1人の生活に

そんなに必要はない物ばかり全く嫌な性分です・・「やれやれ・・(-"-)」

※ニャンさん結婚パーティ・・続き

舞台に置いてあったケーキはクーラーが効いていても少しづつ溶けていて周囲の形

が崩れてきていました。3段で1番下の部分が実は本物で後の2段はフェイクだと

教えられていた。「あーそうなんだ!合理的だし、ただカットするだけで皆に配布

する事」などはないそうです。係が全員にシャンパングラスに満たして行った後に

大きな叫び声とともに噴霧器が、数人の若者が持っていたようで2人に向けて噴射

された。真っ白な泡が飛び散って雪の様に上から落ちてきた。物凄い量で本人達も

吃驚状態でした。ケーキカットの方法も最初は中心部にナイフが入れられ後2ヶ所

もカットしていました。  これも面白く変わった方法だと思い眺めていました!

それが終わると彼女たちはキャンドルを持ち、籠の中にジャスミンの花弁と子供用

にキャンディを持って奥まで歩いて行き、そこから各卓に挨拶をし、数人ずつプロ

の写真家が写真を撮りながら順番に蠟燭に火を灯していきました。花弁は来客用に

卓にフィンガーボールの中に入れて行きました。その間舞台上では3人の歌手が登場

何とこのベトナムで”ベッサメムーチョ””アベマリア””マイウエイ”を聞かされ

るとは・・想像もしておりませんでしたが・・(*_*)

夫々が得意な歌を次々に歌い出し会場の雰囲気を盛り上げていました・・(*^_^*)

私の卓に来た彼女をハグし「おめでとう!」を言ったら彼女は私の頭にジャスミン

の花弁をかけてくれた・・その席にはま、私だけが女性だったからか?彼女の好意

なのかは判らなかったが、大勢の注目を浴び恥しかった・・(#^.^#)

奥の方に日本人が数人(男性)いたようだが会社関係の人見たいでしたが、全く気

がつかなかった・・(-.-)  途中で帰ったので解ったのですが・・(+_+)

未だ私の卓では食事していたのですが・・も、日本人全員が途中で退座して帰って

行ったのには驚いた!いかにも義理で来ている感じがして・・(@_@;)

お料理は前菜が色々あって、次には大きな海老が大皿に茹でたものが人数の分だけ

載せられ、調味料が何種類も出され小皿が山の様に積んでありました。ベトナムの

料理は好みでそれぞれ味付けして食するからお仕着せではなく何でもあり状態の味

を賞味するのです。牛肉とジャガイモや他の野菜の煮た物などもこれも全て大皿で

3つ位出てきた。 係の人が取り分けてくれたり卓の若者や年下の人が夫々の小皿

に分けてくれます。私は昨日書きました様に何故だか私が女だと言う理由なのか?

解りませんでしたが最初から卓にいた人が取り分けてくれました・・( ^)o(^ )

次に出て来たのは雷魚のから揚げに甘酢かけ{これがかなり大きい}2皿でてこれ

も上手にスプーンと箸で綺麗に取ってくれました。野菜が上にいっぱいあり、香草

が載せてあり、別皿にも香草や調味料、唐辛子、大蒜等が何種類も出てきました。

後は豚肉の骨付き焼肉がでて、サラダ、果物で全種類でした。

ま、特別な料理ではなかったのですが・・気持ちよく頂いていました。その間にも

2人は何も食さないで各卓を回っていました。

突然音楽が止んだと思ったら舞台の天井に凄い数の風船があったのですが。それを

子供達が一斉に割って行きました。見ていると風船の紐を係の人が引っ張って手の

届くところまで寄せて上げて子供に割らせている様子で・・パンパンとそれは強烈

な音がしました。たぶん100個以上は有ったと思います。漸く彼女たちは全部の

卓を回って戻ってきた。そこでまた音楽が激しくなり出して・・そろそろ帰る人が

いるようで・・1人2人と立って帰る準備をしている。2人はそれらの人を送る為

玄関に並んで挨拶と写真を一緒に撮っていました。全員の写真を撮っている様子で

驚きましたが・・私は未だビール片手で飲み食べをしておりました。そこへ彼女の

両親が挨拶に来て多分私にではなく、偉い方達がいたからだと思いますが・・地味

な感じで実直そうな老夫婦は興奮した顔で挨拶をしていました。私にも話は通じて

いた様で、嬉しそうに挨拶をしてくれたのですが・・言葉が・・うーーーう

そこに、教授が訳して下さった様で・・お母さんは泣いていました。10人目だし

彼女が最後で全員結婚しているのですから感慨も一入だったと思います、その上に

大学まで出た自慢の娘だから尚更だったと思います・・(*^^)v

日本人がベトナム人の結婚パーティに出席する事は名誉(大袈裟ですが)だと言わ

れていた時代でしたから・・(@_@。 会社関係の人は、あくまでも食事しただけで

彼女たちにも親族にも挨拶無しで帰って行った。何だか?感じが悪くずっとムスッ

としていたように見えました。 多分、日本人の方々には雇ってやっている感覚が

何処かにあり、ベトナム人を下に見ている傾向があったのではないでしょうか?

その意味では私は個人的な付き合いだし、彼女のことは大体知っていましたからー

楽しくてとても幸せでした。これで言葉が話せたらもっと喜んであげられたのでは

ないか?と思っていました。大方の人が階段で写真待ちをしていましたので、私は

未だ時間をかけて飲んでいました・・ははははは

これが式の全貌ですがベトナムではご祝儀のお金はいくら位包むのか?その当時は

日本円で2000円位が相場でした。 私は他に小さい色紙にお祝いの文字を墨で

書き、化粧品、18金の細いネックレス、レース編みの敷物などを一緒に上げた。

これらの品物はお式前にすでに渡しておいたのですが・・凄く喜んでくれたのが何

よりでした。新婚旅行はベトナムではメッカと言われている≪ダラット≫に行くと

言っていました。 現在は観光の名所にすっかりなってしまい全国から長距離バス

の観光地になった≪ダラット≫についても何時か書いてみます。 ダラットは3回

行ったので割合い解っている土地です・・うふふふふ

ベトナム人の結婚式には数年度にも出ましたが、これが特別でも普通でもなく決ま

り事でもないようで好き勝手に色々な形式があるようです。  でも初めてだった

ので・・私には新鮮だったし、興味深いお式でした・・(●^o^●)

明るさが穏やかな朝を運んできた浪速です。今日も温かくなるようで嬉しい!
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/05(Tue)
寒い風に吹かれながらも花やの店先には猫柳や桃の花、チューリップ菜の花などが

カラフルに並んでいます。特に猫柳は(川柳)とも言われ子供の頃には川岸に自生

していてよく見に行ったものです・・( ^^) 銀色の花穂が皮を剥いで行く様も川波

に反射する輝きも{早春}を感じさせてくれる花です。先日観梅に行った帰路花や

の店先に大きな束で銀色に光った猫柳を見つけて懐かしく思いました・・(*^_^*)

      花やはすっかり春が満開でした・・うふふふふ

この地は花が安価で時々購入します。 今まで住んでいた神戸の花やは割合高くて

生花は催事にしか買わなかったのですが・・ここはあちこちの地元の花々なのかも

知れませんが・・300円も出せば立派な仏花が手に入ります。これは少し嬉しい

事です!その上、今は長持ちしますからお得です・・ははははは 玄関に仏壇にと

既に春は来ています・・(#^.^#)

昨日は暖かい日差しの元、洗濯物が全部乾いていました。矢張り2桁になると乾燥

するものです。部屋の中に干す事もなくそのまま片づけられたのも嬉しかった!

※ニャンさんウエディング(ベトナム人の結婚パーティ)

ベトナム人の結婚パーティに初めて出席した。ホテルの2Fが会場になっていた。

生憎の雨の中タクシーで乗り付ける様に玄関まで行ったら雨除けのテントが玄関

先まで張られていて、足元も濡れないようにビニールの敷物がありました。その

間を玄関まで歩いて行くとニャンさんと旦那さんが出迎えてくれた。

彼女はドレス姿のまま走って来て私に抱きつき、涙を流して喜んでくれたのです!

「おめでとう・・凄く綺麗!幸せになって」と言いました。旦那さんを紹介して

くれて、彼もにこにこ笑って仕合せそうでした・・(*^^)v

横にはテーブルが並んでいて、日本でいう(受付)の様な感じで数人の男女が細長

い紙にサインをしてご祝儀(と言っても何故だか郵便用の国際メール便の封筒)を

渡すようになっていた。ベトナムではお金を渡す時は大抵この様にするらしい!

前の人に続いて、名前を書きお金を渡した。ニャンさんに2Fですと言われて階段

を上がって行くと6時の予定が少し前に到着した私でしたがびっしりでした。

玄関先でうろうろしていたら・・多分、彼女の姉らしき人が心得ていると言う感じ

で先導してくれ真ん中の席に座らされた。1卓に10人と聞かされていたのですが

も、私の席以外は埋まっていてどうも、学校関係の教授や先生、村や彼女の生家の

有名人の中に席が取られて有ったみたいで・・お爺さんや小父さんばかりでした。

ベトナム人は時間にルーズだから1時間位遅れてもいいと聞かされていたのですが

この辺が日本人性格で時間に遅れると言う感覚がないから・・少し早めに着いた。

所が前日にバスで2台中部のクアンガイから彼女と彼の親族が来たと言う話で吃驚

ま、10人兄弟同士の末っ子だからその親族の数は驚くべき人数で・・子供も本当

に多く仰天する位いました。全員が揃っていたのでしょう・・\(◎o◎)/!

ずっと細長い会場いっぱいに丸卓が並べてあり、奥まで30卓以上はありました。

以前に書きましたが1卓100㌦と言ってたので凡そ300人以上は来るのかも?

2人は招待客を出迎えて挨拶していた。 凄く綺麗で見違えるほど華やかな彼女の

ドレス姿、メイクも初めて見たが猛烈に映え、これがあの彼女かしら?と思うほど

美しく着飾っていました。一生の晴れ舞台に相応しい晴れ姿に何度も「綺麗よ!」

「素敵よ!おめでとう!」を繰り返して彼女に言いました・・(*^。^*)

席ではも、既に食事をしている人も大勢いて飲み物が次々に掛りの人によって運ば

れていました。ベトナムの結婚式にはMCのない場合が多く、勝手に来て食べて帰る

人が多く、料理も最初から卓に並べてあります。前菜やおつまみの後は鍋物が必ず

有って1人に海老は何匹とか決まっているみたいです・・ふふふふふ

私には世話をしてくれる多分、同年齢位の方でしたが先にお皿の上に載せてくれる

から頂かない訳にはいかず・・一寸困っていました。親切なのですが食べ終わると

即、次の料理を載せると言う塩梅で・・(-"-) 自分勝手に飲みながらゆっくり食

したいと思っていたのが・・崩れてしまった・・(・_・;)

私が席に座った途端に彼女の姉達がやってきては挨拶をしてくれたのですが、何せ

言葉が解らないから「おめでとう」だけしか言えない有様・・(-.-)

これも困った事でした・・しかし、どうってことはなく共に祝ってくれる事が幸せ

なのだと思った・・言葉も風習も理解できないままベトナム人ばかりの中で面白い

体験ができる事に喜びがありましたから・・(*^_^*)

色々な人がいました。普段着の人もいたし背広姿やドレス、アオヤイも家族は全員

日本の留袖感覚でお祝いには着るようでした。私の卓には偉い方が多かったのか?

次々に誰彼となく来てはお酒を男性が注いで行きました。女の私(それも日本人)

がいる事に驚きの顔をする人も沢山いて、ビールを注いでくれる人もいたり話掛け

るのを躊躇っている様子で違和感を感じていたのでしょう・・ははははは

英語で話しかけてくれた人が卓にいて・・その人は大学の教授だと言ってましたが

その方と簡単なやりとりで話していました。 とても上手な聞きやすい英語でした

が、いかんせん私の方に問題があるから「もう少しゆっくりとか?も、一度お願い

出来ますか?」程度で話していました・・あははははは ≪ま、この程度です≫

お酒を飲むことが判ると周囲の人も勧めてくれ思いがけなくベトナム人男性ばかり

の中にいました・・( ^)o(^ ) これはもてていたのかしら?きゃははははは

それからは二度とはありませんでした・・(-_-;) 特別な席だったからですが・・

その間中生バンドのBGMが流れていて、ベトナム民謡やジャズ、お祝いの曲などが

あリました・・大声で喋る国民ですからその騒々しさは想像以上でしたが・・幸せ

な事だから、私も心が浮き立っておりました・・ひゃははははは

40分位したら、MCの男性がやってきて、新郎新婦の紹介が始まりました。言葉が

判らないから勝手に理解していたのですが、招待状を見ながら彼は喋っていたので

家族や出身地等の紹介の後、両方のご両親が壇上に上がってきました。

バスで20時間近く掛ってやってきたと言う両親たちは本当に素朴で田舎の雰囲気

を醸し出しているごく普通の老人達でした。 一張羅のアオヤイ姿が心なしか華や

いで見える感じがして微笑ましい感じがして見ていました。舞台の上では一層音楽

が高く響いて盛り上げていました。驚くほどの音量でした・・(@_@;)

両親の紹介や家族の紹介もあり時間はかなり掛りました。総勢20世帯の紹介です

それに子供達がいて・・壇上の両親はだんだんと高揚している様子でした。何処の

家族にも世話焼きとか仕切りやさんがいるもので・・途中から簡単な挨拶になって

次の進行が始まりました・・これらもベトナム人独特の式の進行かも知れません!

丸いケーキが台の上にありました。紹介が終わって、2人に掛りの人がシャンパン

を注ぎ、ケーキカットが始まった。ま、とに角『音楽が超ど派手でしたねぇ!』

続きは明日書きます。

今朝も少し寒さを感じていますが・・暖かくなる様で幸せな浪速がやってきました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/04(Mon)
6時を過ぎたら外は明るかった!何時もの様にゴミを置きに行った時に大きなゴミ

を持ったお婆さんが来たので「おはようございます」と言ったのです。その人は

多分、私の家の裏辺りの人だと思うけれど・・??重そうに歩いていたが、私に

「ちょっと、あんたさん何処に住んではるん?」と言われ「ここですが・・」と

言ったら「このゴミ置き場は違うねん。あんたとこは向うや」と言われた。大家

は「ここでいいから」と言われたのだが・・朝から上から目線できたもので・・

吃驚しました「あーそうなんですか?知らなくてご迷惑かけました」と言ったら

顔で反対方向を示すので・・持って行ったのです。私のゴミなんてレジ袋1つ位

しかないから、別に何処でもいいのではとは思ったのだけれど(心の中では)

ま、言われた通り、違う場所に置いて戻ってきたら腰に手を当て様子を見ていた

らしく「そこや!借家はそこに決まってるんや」ですって・・一言多い!

どんな家の方か知らないけれど・・(-"-) 朝から酷く感じが悪く嫌味な婆さんに

出会ったものです・・(><”)

”もっと教え方があるだろうし、底意地の悪い言葉に関西弁でない私のことです”

「ご迷惑かけて申し訳ございませんでした」と少し声を上げて言っておきました!

地元の人なのかは知らないけれど・・も、帰国して半年です。1度もそんな事を

言われた事はなく、また大きなゴミも出した事がないのに・・余所者扱いなんだと

思いましたねぇ・・(-_-メ)  隣人も皆、そこに置いているのに・・??

 *〚長く住んでいるのは偉いのかな?余所から来た者は邪魔なのかしら?〛*

少々、朝からご機嫌が悪い私です・・ひゃははははは 大した事ではないけど!

     ▽ま、本当に色々な人がいる事を感じました▽

「きっと、私が言ってやったから・・(+_+) 」なんて吹聴されるのでしょうねぇ。

「やれやれ、人間の付き合いや人との関わりの面倒さにいささかムクれています」

≪日本は厄介で煩わしい。また、ベトナムに戻り生活したい気分になりました≫

※ベトナム青菜の種類 (ベトナム料理本参照)

①ルリダマキ(サユルマンス)の葉

1、5~2㍍の低灌木で若い葉を枝ごと摘み取って束で売っています。成長が早くて

手間がかからないし、凄く安価であちこちの市場やスーパーに並んでいます。

小海老や雷魚と煮込んだり、糸瓜、ヒユ葉、ツユムラサキなどと一緒でスープ用に

使用されます。少し固いですが・・葉だけを毟りとって使います。ベトナム人宅の

スープにはこれが多いです。

②空心菜

これは日本でもかなり有名になりスーパーでも見かけるようになって生産もされて

いる様ですが・・ベトナム人にとってこの青菜は先ず必須の野菜です。毎日の様に

食します。炒め物にするのが多いですが鍋にも煮物にも入っていて簡単に使用する

事ができます。何処の家庭にもある野菜の種類です。

③パクチョイ

これはレタスの葉の様な物で肉や魚などを巻いたり、サラダにして、食します。

多分見たことがある野菜だと思います。大きい束からでも少しだけでも購入する

事が出来て便利です。大抵は麺や揚げ物等巻いて食べる野菜として利用されます。

④ヒユ葉

日本にもあるヒユ葉の1種です。赤い色や赤紫色もあり、濃い緑色と混ぜて売って

いますので、最初は凄く不思議でした。 赤や紫はスープのダシ汁として色が抜け

出るから赤いスープが出来上がります。お浸しにも使用します。

⑤ミズオジギソウ

木の枝の様で綿がついているという奇妙な形をしています。これは流石に何年間も

購入できませんでした・・(-.-)「どうやって食するのか理解できなくて」ある時

教えて貰ってから何度か使用しましたが特別美味ではなく、使用する部分が本当に

少ないので、殆ど買う機会はなくなりました。 稲の様に水の中で生育して所々に

付いた綿の様なもので水面を這う様に浮いているそうです。実際の成育場を見た事

はありません・・<(__)>

また、食するには葉と茎だけで葉は合歓の葉の様で少し細いかな?手間がかかり下

準備が面倒な割には食する部分が少ないから利用しなくなった・・うふふふふ

人によっては『椎茸の様な香りがする』と言われる人もいますが・・私は然程感じ

ませんでした・・最も使う量も少なかったからかも知れませんが。 結構〔癖〕の

有る野菜で、嗜好が分かれるかも知れません。生食もしますが大方は火を通さない

と心配な野菜でもあります。ベトナム人は生で食する人はかなりいます。

煮込んだものの香りつけみたいに使用されていましたが・・大人数の時等は入って

いるのは解りますが小さくなって殆ど解らない感じになります。

機会があれば根菜等も書いていきます。色々と思い出や感じた事が未だ未だあって

それらも綴って行けたらと考えているのですが・・(*^_^*)

昨日の北海道の猛吹雪は想像できるだけに沢山の犠牲者がでた事に心を痛めており

ます・・m(__)m 心からお見舞い申し上げます。

今朝は晴れていますがその影響もあるのでしょうか?かなり冷え込んだ浪速の朝に

なりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/03(Sun)
被せてあった奥歯が治って普通の食事が可能になった・・想像以上に早く、未だ

当分は通院せねばならないのだが急場凌ぎは早く終わりほっとしています・・( ^^)

歯科は割合好きで・・あの{キーン}と言う音も削るような音も全く平気なのです。

1回で完全に違和感なく入って安心したが、予約を大勢の間に入れてくれて何時何分

と言う予約制で吃驚している5分刻みに入れてくれるからで、人数も凄いのですが

何せ、夕方や夜が嫌だという我儘者だから・・先生側も大変なのかも・・<(__)>

風が冷たく一変した寒さの中余り待つ事もなく、早く終了した。有り難い事です!

序でにスーパーへ寄り野菜や調味料、洗剤を購入したらずしり背中は重くなったが

風花が何処からともなく舞って来て、一層寒さを感じ足早で帰宅した有様でした。

未だ、この程度には早く歩ける事に心裡では安堵もしていました・・うふふふふ

※ベトナムニュース

ベトナムにとって大きな投資をしている日本です。現在は"円”が米㌦に対して

またベトナムに対しても下落しているのが現況ですからベトナムにも大きな影響が

出ていると言われています。 ご存じのように日本はベトナムにとって最大の外国

直接投資{FDI}国であり1988年~2012年までの有効プロジェクト総額は凡そ

238億1000万ドンでベトナム{FDI}総額の約12%を占めています。  実行率も

かなり高いものです。

ODAの最大国家でもあって支援国でもある。証券市場を通じた上場企業への出資

なども大きく、特に商業銀行の株式に関心が集まっていると言われています。

◎メコンデルタの冠水

毎年、面積の半分が冠水すると言われるメコンデルタですが、先日ミトーの観光を

書きましたがもう少し下にカントーという市があります。メコン河の下流に位置し

海抜が低く海と接するメコンデルタは世界的な異常気象の変動やメコン河の流量に

大きな変化が出ているそうです・・(-"-)

カントー市は市の面積の96%が冠水すると懸念されています。 気候変動に関する

国の予想によると、今世紀中にメコンデルタ地域は平均気温13~28℃上昇。

雨量は4~8%増加すると言われ、海水面は低くても66㌢、高くて99㌢上がる

可能性があるそうです。海水面が1㍍上がればメコンデルタ地域の39%が冠水し

この地域の人口35%に影響が出る模様だと言われています。

特にカントー市は異常気象の変動で大きな影響を受ける地域でもあり、既に平均

気温が約0,5℃、最高水位は50㌢近くまで上昇している現在です。この為、試算

では2000年同様の大洪水が発生すれば海上面も上がってカントー市内の面積は約

90~96%の冠水の可能性があると言われています。(ベトナムニュースより)

今朝も冷え込みは厳しくそれでも薄明になった6時近い早朝の空には半月が未だ

白く輝きを見せ寒々した感じを漂わせていた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/02(Sat)
春には珍しく午後から本降りの雨が激しく集中的に降っていた数時間で、外出する

人も殆どなく、自動車の通過音と雨音が聞こえるだけでした・・(-.-)

長い時間降っていたので、玄関先の廊下の低い場所に水溜りができていた!春嵐

なのか?なんて思っていましたが・・(@_@。

前日がぽかぽか陽気で厚着している人々は上着を脱いでいた人も多かったのに・・

何とも気まぐれで{悪戯好きな天候}だと苦笑いしておりました。また、雨の後は

寒さが戻るようで・・三寒四温とは本当に事実だと思わせる日々です。

ベトナムの友人から2通のメールが届き今年の【テト】の様子を知らせてきました。

2人共故郷へ帰省した様で・・今年は暑さが酷くて・・大変だったという話。毎日

ベトナムとカンボジアの気温を見ていますが・・矢張り36度などがあって『乾季』

に入った事を知らせている様な気温です。毎日、早朝からかんかん照りになる日も

有ったり、家族、親族で楽しい時間を過ごした話などがありました。

ベトナムにいる時は【テト】の感覚がなかなか馴染めなくて・・それより日本式の

12月の師走やカウントダウンに影響されていたものです・・はははははは それは

長年染み込んでいる習慣ですから仕方ないですが・・(-_-)旧正月で祝う中国人等

もそわそわとして、多忙で、帰国準備を始める様子を眺めておりました!

それもすっかり終わり、新年を迎え頑張らねば・・なんて書いてあるのを見ると

何処の国でも大差の無いことを知らされる思いでした・・( ^^)

※眉毛

ベトナム人の女性は凄くお洒落好きです。ファッションも個性的ですし、敏感に

雑誌から、外国からのCMなどにも影響されるようで・・ホーチミン市内の有名な

店には新商品が並んでいます。雑誌も海外からかなり入って来ています。

若い層が多いこの国には美容室やファッション関係の店が沢山あって、選択肢は

数多あり、著名なデザイナーも大勢いるようで個性的なデザインの服などもあり

冷かしに覗くブティックにも心惹かれるものがあります・・ふふふふふ

も、私等は何時だってTシャツとショートパンツか7分丈のパンツ、ジーンズなど

でしたから、新しく素敵な服は見るだけで購入することは先ず無かったのですが

若者で溢れていたのをよく見ました。感性が違うから・・日本では「えーそこ迄

見せても・・?」なんて言う服もあり、かなり華やかさがあって派手な物が好き

見たいでスパンコール、キラキラ何て言うものは本当に何処にでも沢山あります。

   *大阪の小母ちゃんに似ているかも知れません・・あははははは*

知人や友人、親族等も眉毛は大抵タトゥーですし、睫毛パーマをかける人も多く

 〚殆どすっぴんですが眉毛や睫毛だけはパッチリ何て言う人はかなりいます〛

整形手術にも韓国程ではないですが・・豊胸とか2重瞼等も盛んで、余り神経質

には考えずお金ができたら簡単に手術を受けるようで・・恐怖感などは無い様子

だから、外出する時も殆どすっぴんで平気だし、偶に豪華な食事のときやデート

などは口紅を差す位で余り化粧はしないです。下地に目もとパッチリがあるから

ではないでしょうか? その上、暑い国だから化粧していると汗で流れる場合も

多々あるせいかも知れませんが・・余り化粧をしっかりしている人は少なく感じ

ていました。美容室にも月に2回程度は行って髪をカラーリングする人も多くて

少し前、日本でも大勢が茶髪や色々なカラーで染めていた様な感じで・・少々の

遅れがあって・・最近は染めている女性が本当に増えました・・(*^_^*)

尤も黒い長い髪も少なくはないのですが・・真剣に流行は迅速に反応すると言う

感じでしょうか?マニキュアも庶民の間に入り込んできていました。

美容室で安価でしてくれるから、ペディキュァも両方で若者から中年まで美容室

は何時も混んでいる状態が見かけられました。  又、美容室では眉毛も整えて

くれるから当然の様に人は行きます・・カットより上手だったり・・ふふふふふ

日本の様にオイルは殆ど使わず自然のライムや果物などで爪を磨きます。最初に

住んでいた頃はマニキュアなどは素人のするものではない感じでしたが・・現在

は普通感覚で誰でもがしています。華やかで素敵です。お洒落感覚は結構、向上

しています。 外国人の方が地味でバサバサの髪を輪ゴムで纏めていたり化粧も

していない人が多いのも不思議な光景です。  私は長年の習慣と以前にも書き

ましたが・・顔面麻痺をしているので、眉毛や口元の位置がずれています。

だからどうしても眉毛は歪になっているから化粧します。所が目が酷く悪い上に

乱視も有るから鏡を手に持って描いてもメガネを掛けてみると矢張り歪んでいる

場合が殆どで・・何10年も描いていてまともな日が余りないのが現実なのです!

ま、今はもう婆さんですからどうでもいいのですが、10年前位は未だ少しは気に

していました・・ほほほほほほ   誰もそんなところ見ていないとは思っても

矢張り未だ[女心?]があったのでしょうねぇ・・きゃははははは

それでも毎日、鏡を持っては今も描いていますが・・最近は曲がっていても左右

ずれていても気にならず平気になり[女を卒業?]したのかも?・・あはははは

ベトナム女性の眉毛は綺麗です。 そのままの人は幼い子供位で、それも学校へ

行く年齢になればピアスも指輪も当然の様にしているし、美容室で眉毛を整える

事を母親は教える見たいです。学校にブレスレットをジャラジャラして行く子供

もいますし、催事がある時はパーティドレスも気軽に着せるから、ドレスを着る

事に違和感はなく・・凄く喜んでいます・・うふふふふ

幼い時から、この様にして育てるから香水なども自然に身について幼児でも使用

します・・(@_@;)  こんなところは感性が全く違うから、面白く眺めていた

ものです・・ふふふふふ整形や美容に関しては日本より大胆で自然に受け入れて

いるのも異なっているかも知れません。ま、日本も変貌しているのでしょうがー

雨もすっかり止んで、昨日の暖気が抜けて肌寒い浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/03/01(Fri)
着更衣(きさらぎ)と言われる程に着込んでいた2月の末日は全国的に陽気だった

のではないしょうか?前日より10度も気温が上がり、薄目のダウンでもかなりの

暖かさを感じて姉と2人で観梅に出かけました・・(*^_^*)

本当に草木の全てが光輝くという日になりました。天満宮の梅林が8部咲きで満開

の時期を既に終わられている梅もあり、また、今まさに芽吹きの頃を迎えていると

言う梅もあり沢山咲いておりました。 どちらかというと清楚な梅より桜が大好き

な私なのですが・・花々は心を穏やかにする効用があって、春待つ心を誘導させて

くれるから可能な限り花には会いに行く事にしています・・(*^。^*)

露店も出ていて(梅まつり)の真っ盛りで写真家の数に驚かされていましたが・・

大勢の観梅客に暫くは時間が優しく流れて行きました・・( ^^)

しだれ梅の薄いピンクが1等美しく桜の様相に似て、暫くは動けなかったのですが。

紅梅はそれなりに{美}を競っていましたが・・私には梅の花は芯の強さを見せて

いる様に感じられて・・あははははは 「矢張り桜が好きだわ!」を心の内で連発

しておりました・・うふふふふ 爛満としてさっと散りゆく桜の潔さに魅せられて

もう、長い年月が経ちますが・・愈々実感としてその時期が近いことを肌に感じた

日となりました・・(●^o^●)

浅春の色合いも未だ整っていない時期で、冬の余韻がいっぱい残っているこの頃に

早咲きする梅に見識を見ておりましたねぇ・・ふふふふふ 先日、大家から水仙と

山茶花の八重を頂いて玄関にも仏壇にも飾っているのですが・・生花があるのは家

の中にも春を誘発する気がして幸せな気分になります。何時もなら雛人形が鎮座を

するのですが(それも凄く小さい)・・今年は紛れ込んでしまって、全ての中身を

出す面倒さに出しそびれてしまいました・・(-.-) きっと何年も出してもらえず

僻んでいることでしょう・・ほほほほほ

※国営デパートオープン

現在は中国の資本で専門店が入っている薄汚れた店に変化してしまっていました。

ただただ吃驚して、あの美しかった姿は見る影もないほどに変貌していて、人の

出這入りも殆どなくて・・がっかりしました・・(-_-メ)

その当時は国営の旅行会社が活発な活躍をしていて、あちこちにツーリスト関係

の支店が出来つつある時期でした。ドンコイ通りとレタントン通り(リトル東京)

と言われていた観光客が1番集まる角地に素晴らしく豪華で大きなデパートが建築

され・・通過する度にそのゴウジャスな装いが嬉しく、開店を待っていました。

長い数ヶ月が過ぎて〔サイゴンツーリスト・デパートメント〕という名前も規模も

大きなデパートが完成しました。私の住んでいる通りだからそして、郵便局へ行く

道すがらに出来たもので興味が強く惹かれておりました・・(@_@;)

開店時は混むことを予想して1週間程経ってから出かけた。家から15分程度で行く

ことができるのです。未だ玄関には薔薇の花輪が沢山ありました。日本の飾り方と

かなり違っていましたが・・紙で作った周囲の草に中心部だけに生花が飾られると

言う種類の花輪が多かったです。それでも華やかで新築を祝っている感覚が素敵で

店内は1Fが時計、貴金属、化粧品、バッグ、靴などがあり、玄関を入って直ぐに

両替所がありました。ここは何度か利用したものです。

とに角明るく、照明の数も想像できないほど点灯しているからそこに入った瞬間に

{パァー}とした雰囲気に度肝を抜かれるくらいの広さを見せてくれていました!

ここがベトナムである事を忘れてしまうほどの現代的な作りで大都会のデパートが

そのまま移転してきた感じを受けました。ある意味懐かしく感じておりました・・

品数もありましたし流行の品や外国商品が陳列されていました。店員がベトナム人

でなかったら・・「ここは何処?」と考えるほどの素晴らしいデパートでした!

陳列方法もディスプレイも何1つ文句が付けられない位の完全さでした・・(*_*)

 *ただ<矢張り何処か違う?>と思わせるところに店員の教育がありました*

これだけの設備を整え、装飾された店内なのに[多分、慣れていないせい?]だと

思うのですが・・店員間のお喋りが激しく、客がいても遠慮などないし売らねばと

言う感覚が薄いのでしょうねぇ・・(-.-)

話出したら客など眼中にない感じで夢中になるのです・・はははははは 日本人や

他の外国では客がいたらお喋りなどすることは先ず無いと思うのですが、自己中心

だし1つの事をしていると他の事には気が回らないという気質がある様で、面白く

感じていました。も、その頃は数年が経っていましたから・・そんな事もベトナム

人らしいと思って見ていました。通路で喋っているから通行に邪魔になることさえ

考えずですから・・推量できると思います・・きゃははははは

その間を通過するのも悪い気がこっち側にあるみたいな錯覚があります。開店後の

間がない内でさえこれだから・・慣れて来たらどうなるのかしら?なんて少し思い

ましたが・・全く意に介さないと言うべきか? {買いたかったら買えば?}的な

雰囲気でした。相変わらずだから慣れてしまった私は別段何も気にも止めませんが

外国人には嫌な顔を露骨にする人もいて、注意している人もいました〔英語〕で。

でも、関係ないみたいで知らぬ振りでした・・ふふふふふ お断りしておきますが

ベトナム人全員がそうではありません・・ただお喋りし出すと止まらないのが普通

みたいで、客の迷惑とか邪魔をしているという気遣いができないのです!

悪戯は全くないから・・外国人が何で怒っているのか?見当もついていなかった!

2F には婦人服売り場が全て揃っていました。ここはこの国の有名専門店が入って

いた感じで、ベトナムの民族衣装アオヤイもあり、又、諸外国からの輸入品ありで

見ているだけでもお洒落感覚が味わえ楽しかったです・・(*^^)v

丁度、親友が日本から来ていて、彼女と2人出かけた時の事です。彼女はシルクの

上着が気に入って購入すると言って店員と交渉していました。彼女も多少の英語は

話せると思っていたから、どんな風にするのか興味があって見ていたのです。

『プライス・ダウン・プリーズ』と言っているようで・・可笑しくて思わず笑って

いました。デパートで値切る人も余り見たことはないから、まして専門店で高級品

でした。何度も何度もそう言うのですが店員は理解できない様子でした。 彼女は

私に紙、ペン、計算機を持って来るように言ってというものだから、英語で言った

けれどこれも通じなかった・・(-_-メ)

そこでまた彼女は今度は『ディスカウント・プリーズ』を連発し出したから・・

「彼女はこの服を買いたい。でも少し高いので安くすることは出来るかしら?」と

ゆっくりジェスチャーと英語で言ったら通じたみたいで・・少し負けてくれたよう

で、彼女は凄く喜んでいた・・ひゃはははは 彼女も大したものです。初めて来た

異国のデパートで値切るのですから・・大笑いしながらそれでも10%値引きして

くれた様です。帰路2人して「お互い心臓が強いねぇ」・・なんて話ながら帰った

思い出があります。真新しい全てが海外用と言っても過言ではない高級感のある店

でしたが・・「言ってみるもの」だと思ったものです・・あははははは

それが再来越した4年前は完全に中国に引き渡されていて、名前も全く違って照明

も外観も改装されていないから暗く薄汚れたビルになっていました・・(@_@。

それがとっても残念で、見間違いかと思い2度往復して見てきましたが・・愕然と

しました!新築の店は沢山出来ていて、ビルも高層ビルがニョキニョキと建築され

て、あの頃を彷彿させるものは余り見つける事はできないほど様変わりしていた!

夢を見ていた感じがしましたが・・成長し発展したベトナムがそこに泰然とした姿

を見せていました・・\(◎o◎)/! 喜ぶべきなのでしょうが・・少々寂しくも

ありました。随分街中は激しく変わっていましたから。店もビル内に入ったらしく

有った場所には違う店ができていたり・・相変わらず変動の激しさを窺わせる街中

はかなり異なった感じを受けており、ここで又、新しい生活が始まることを再確認

したものです・・(*^_^*)

昨日の暖かさは夕方迄で・・夜は少し冷えていた浪速です。
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