ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/28(Thu)
親子の関係って案外面倒で、それでいて他人以上にその関わりの中へ入れない場合

も存外有って、結構難しいと感じられた経験はありませんか?相容れないバリアー

の枠外でうろうろ歩いていたり、理性を持って接している感じが自分の方には有る

なんて“親”という大前提で物事を考え、傲慢な態度を取る事が屡あるみたい・・

幼い頃は当然の様に親の庇護下で養育しているから考える事もなく“親”を振り回

していた部分が多々あってそれは当然だとも言えるもので。理解できる迄はなんて

“親”も思うから自分たちの思考や意見、社会に対する躾なども・・普通に感じて

いたものです。“親”が成長していないから一緒になって子供から教わったり自覚

させられたりもあって〚子育て〛はそれなりに大事業でした・・(-.-)

しかし、ある年齢に達すると“親”という大刀は効果がなく子供の方が主導権を握

ってくるのは自然です。そして、何故か?子供は傲慢で何時だって逃げ道を作る事

にも長けて来るものです。それはそれなりの成長過程では当然のことだからと思い

然程、気にしなくてもま、何とかスルー出来る要素はあります。

でも結婚して別の生活ができてからの子供達には入り込めない何かがあって、結構

しんどいと思う事が度々出てきます。若い頃は夢もあり成長期だから何処へ向かっ

て走って行けばいいのか理解できていない。迷いもあり傷ついた姿を傍観している

場合もあり、手伝えることも数多あります。慾も深くなって行くもので・・これら

も大人への成長過程だと思っているから許容範囲内だと考えられる“親”は多いと

思うのですが・・別の世帯を持ってからの親子関係には何かしら? 特別な感情が

あって、親子でありながら成人した個々の家庭の中へは飛び込めない気がする。

*そんな時は“親”の役目は終了してしまった錯覚を持つのではないかしら?*

遠慮があったり気遣いがあったり・・うふふふふ【親子は絶対の味方】それ以外は

何もなくなってしまう気がするんです。溜息や吐息をどれほど飲み込んでしまった

か?ざわざわと揺れる心を何度も聞き流して来たのが事実です・・(--〆)

急速に流れる時代と世代の異なる感覚は相容れない部分が格差を生んでいる現実に

中々立ち向かっていけるだけの“親”は少ないのではないでしょうか?

今はただ{味方でいるだけでそれ以外は何もできない年齢でもあり経済力だから}

仕方ないと心の何処かで諦めているが・・ひゃははははは

親子とは面倒でもあり厄介な気がするが、自分で産んだという事実からは目が離せ

ないと言うジレンマがあるものです。幸いにして私は能天気だし、疎いから子供の

方が気を遣ってくれるようで自分勝手に突然海外へ行ってみたり住んだり自由気儘

な生き方をする人で子供の方が諦観している部分がありますが・・うふふふふ

こんな難しい時代を生き抜き、これから自立して生活して行かねばならない若者の

心の荒みや複雑さは色々な出来事に絡まって行くのを見ながら何も手出しできない

“親”という名前だけの関わりでしかない事に切なさが残ります・・(-_-メ)

迷惑かけている事に気がつかない不遜さがあるのでしょうか?こんな“親”を持つ

子供は大変だろうと・・ 思う時もありますがこんな時代を生きねばならない子供

達に未来は暗く、暁光が見えないのは悲しい世の中だと思います・・(-"-)

去る者は心は遺しますが矢張り楽です!遺される者の哀しみや苦痛はこれからも尚

生きて行かねばならない現実に直面して気の毒でもあり、代わりができない分本当

に申し訳ない気がして、子供達の心労はこれから先もずっと続くのでしょうねぇ。

何をやっても上手くいかない人も多々いる時世に容赦なく降ってくる様々な闇の中

の雷鳴は彼らの先行きの不安と心を震わせる物が余りにも多い気がするのです。

私たちが精いっぱい頑張っていた時代には未だ少なからず光明があった気がします。

闇夜の中の地鳴りの様に唐突に襲ってくる感情はこの世の不信感や見えない明日へ

の困惑に誰も手を差し伸べる事は不可能な時代に変化してしまった責任は大きい!

     ★そんな事を思っています・・(><)★

薄く揺らいでいる老女の姿は焦燥感にぐるぐると巻かれている状況ですが大きな力

などないから威力は尽き果て・・ただただ傍で成り行きを見守る他に術がない気が

してなりません。 それでも人生は揺るぎのないものとして運命の様にその人々に

価値があり自分自身でその事に気付いて、自分を信じ生きて行かねばならない・・

確固たる信念など現実には不確かでまともに到達出来ないのが実際問題としてある

と思いますが・・矢張り若者には頑張って生きてほしい願望が沸々と湧いてくる。

流されていく刻は哀しみを完全には癒さないし、確実に成功に導く道は殆ど皆無に

等しく思えます。時代も悪い・・こんな世の中が酷過ぎる事も充分過ぎるくらいに

理解できるから申し訳ない心情になってしまうのです。

   {混濁して行く心も解る気がして・・辛いと思ってしまう!}

だから、せめて家族だけは“親子関係”だけでもその絆は深く重くありたいと望み

願っている。外せない繋がりだから・・(*^^)v今朝はそんな事を考えていました。

久しぶりの戯言を書いてみた浪速の夜明けです。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/27(Wed)
幾筋の交差された道程の中をまっしぐらに突っ走しているかの様に、時折「はっと」

後ろを振り向き「なーんだ大丈夫じゃないの?」なんて思ったり「あら?嫌だわ!

間違っている?」なんて軌道修正を繰り返しては生きてきた気概や意気込みを持って

いた心裡の筈が・・そろそろ息切れして来ている感じです・・あははははは

神戸に住んでいた時は連絡船や大型船の汽笛に老いた心を温めていたのですが、この

土地に来てからは慈愛の満ちた出会いもなく凍てる月の輝きにも見放されたしまった

感覚がありましたが・・漸く、半年が過ぎて、日本人の中にいて自分の存在が違和感

なく動ける事に・・少なからず安らいでしていると言った今日この頃でしょうか?

昨日は予報通り、夕方から雨になり流されていく様々な思い出に色をつけてみたくて

記憶の中に絵の具を落としてみたい衝動がありました・・うふふふふ

も、完全に大過去の中を遊泳している思い出という奴は懲りずに悪戯を繰り返しては

攻撃を開始する・・その都度、記憶が重なって行き幽かな色になり霞がかかった様に

変色してしまうのです・・「まー歳のせいか?」など思うのですが、何時までも鮮明

なのもこれもまた、困るから雨や雪の中に濡れて落下して行くことを喜んでいる部分

もありますが・・自分の人生を楽しく傍観出来ることに少なからず仕合せを感じつつ

風花のように舞いながら消滅して行ける事を期待しているのかも知れない・・( ^^)

夫々の人生を背負いながら海から吹き渡ってくる寒き青い風に立ち向かっていける程

の力はも、既に無く吹く風も日差しにも穏やかさだけを求めているのが現実の姿かも

知れません・・現実と無寐との挟間で右往左往しているのも、哀れでもあり、生きて

いる証と開き直っている私がいる事も事実で可笑しくもあるのですが・・ははははは

元気で何とか今日を迎えられる事にただただ感謝しているのが本音でしょうか?

※ミト―日帰りバス旅行

ホーチミン市内からバスで2時間半強かしら?下がった所にメコン河が流れメコン河

クルーズというツアーがあります。カントーと言うもう少し遠い街もありそこも結構

有名ですが・・先ず手近で行き易いのはミト―だと思います。色々な旅行会社があり

会社によってツァー内容も異なりますが大体が同じ時間帯に出発して同じ場所を見学

するという、日本の日帰りバスツァーに似たのをを利用して出かけた。

未だベトナムに来て少ししか経っていなかった頃の話ですが・・(*^_^*)

この国の朝は早く殆どの人は早朝5時過ぎには店を開けるし真夜中から準備して店を

開店させる人が多く、それが当然の様に暮らしの流れに繋がっています。だからバス

の旅も6時には出発するという有様でした。満席状態で私たちは5人で出発した。

何時も{来越する度に案内するから、何度も行っているから行かない}と言っていた

息子も参加してくれて・・安心しながら賑やかな旅になった・・( ^)o(^ )

接待で何度も行っているので乗り気ではなかったが、減多にない機会だからと強引に

誘ったのです!流石に詳しく、何を聞いても即答してくれるから凄く安堵して感動を

覚えていました。家族で行ったのですが、遠慮がない国民ですから車内も騒々しくて

騒音状態でしたねぇ・・ひゃははははは

ミトーはメコンクルーズの観光地です。茶色い河の水の色は日本では台風の跡の様な

色だとしか思えない汚れた水の色でしたが、矢張り海とは全く違った装いを見せつけ

〖大河〗の風格を目の前に見せてくれた「もー大きい!広い」しか言葉がでないほど

でした・・(@_@;) このメコン河はベトナム人にとっては【母なる河】で、全ての

恵みを与えてくれる何よりも大切な河なのです。  マングローブとニッパ椰子の間

の狭い水路を女性が漕ぐ小舟に乗り換えて運ばれる4つの島があります。

タイソン島は舟を降りて歩くのですが、歩いている道すがらに南国のフルーツが遠近

に生ってる風景は手で触れる所に有ったり、高い樹木から生物が見えたりと飽かずに

散策できるから楽しみでした・・(*^。^*)

狭隘な水路を上手に器用に操って、時にはぶつかって喧嘩しながらも働いているのは

女性ばかりです。水路に手を入れて水の飛沫を浴びたり椰子の葉に触ったり、頭を低

くしながら通過し島に上陸する。色々な観光客がいて、その客の取り合いも有ったり

相変わらずのベトナム人気質を垣間見る事が出来るのも一興でしょうか?・・(@_@。

島内にはココナッツキャンディを作っている小さな作業場みたいな場所があってそこ

も見学コースに入っている。沢山のココナッツが山の様に積まれていてそれを割って

中身を取り出す人や、ココナッツを大鍋で煮ている人、ドロドロになった飴状のもの

を捏ねていたり、数種の工程があって飴が包装されて、出来上がっていく過程を見せ

てくれるのですが・・舟が着いて足音や声が聞こえない間はずっとお喋りしている様

で声が聞こえたら働きだすというスタイルが可笑しく{矢張りここはベトナムだわ}

を感じさえてくれる・・あははははは 

ま、1つ1つ手作りだから、それに一生懸命に作る事もないのでしょうが・・(*_*)

甘い匂いに興味を惹かれて観光客はかなり買い物をするのも見ていて面白い。私たち

は住んでいるから、商品自体は何処でも売っているから購入することはなかった。

外国人には興味があったのでしょうか?・・数人は随分買っていました。 全行程が

手作りだから手先の器用さも飴をカットし箱詰めまで見せていました。それから蜂蜜

ファームへも行き、ここでは蜂蜜をゲットした。

次はフルーツ園で今、捥いだばかりのタンロン、モンキーバナナ、パイナップル、梨

西瓜等の試食タイム。横にはベトナム民謡を奏でる数人がいて物悲しいメロディを歌

いながら数曲聞かせてくれた。その間、南国のフルーツが珍しい私は随分食した・・

ここが《ベトナムなんだ》を肌で感じておりました。お昼は決まった店で名物の雷魚

料理を頂いたが・・ま、吃驚するほどの味ではなかったが・・不味くはなくそれなり

の料理でした。河の上から臭ってくるニュクマムは工場が河岸に有って、又は、河の

上でも作っていて、水上生活者も沢山見る事が出来る。

船の中の生活は地上とまったく同様で、家畜も飼育しているし犬、猫等もいてそれが

当然の生活として成立している様子は見慣れない人には興味があると思います。

メコン河は滔々と流れ緩やかにそして沢山のベトナム人の食材を恵みを与えている河

で流れだけでも【母なる河】を感じさせる。たゆたうたる大河の流れはそこに大きな

収穫と稔り、豊かな漁獲を秘めて落ち着いた緩慢な流れの中に多大な恵みを孕ませて

大きな波動をこしらえて行く様はこのベトナムという国を支えている感覚がして汚濁

した色と水の流れなのに・・そこには底知れぬ大量の食材が眠っていることを自然と

共に教えてくれる河でもあります。ここから全土に流通する色々な食材はベトナム人

の[食を支えている]と言っても過言ではないと思います・・(*^^)v

ホーチミンからは近いので是非参加してみてください。市内とは違って長閑で時間が

止まっているかの様な感覚を受ける場所かも知れません! メコン河の偉大な流れは

ベトナム人の心奥を満々とさせるだけの恵みを与えてくれる河です。

今朝は雨が未だ時々激しく降っていますが・・少しづつその音もかき消され止んで

来ている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/26(Tue)
北風に惑う雲が日陰を作るから気温がさっぱり上がらず寒い日になった・・(/_;)

姉の家に携帯料金を支払いに行き姪としばし歓談。家の近くで姉が買物に行く所に

出会い、帰路もまた出会うという珍事に2人して大笑いしてしまった・・(*_*)

時間も待ち合わせも全く計算なく、偶発的なその瞬時に驚いたものです。 いかに

他人ではなくても見知らぬ人が地図の上を歩いて時間を計っているかの様にぴたり

遭遇するなんて・・不思議でもあり面白い光景でした・・( ^^)

観梅の約束をして別れたが・・今日は夕方から歯医者がある。流石に薄暗くなって

からの外出は億劫で、寒さも一入の様に感じる。朝だけ元気な人だからパワー不足

になり、夕方から夜は本当に元気がなく〚電池切れ状態〛になってしまうのです!

ドクターに我儘言って矢張り朝早い予約に変更して貰った。朝なら1番でもいい!

などと言うと受付の女性が笑って「本当に早寝早起きの健康的な生活なんですね」

などの返事を貰い、未だ大勢が順番を待っている待合室を出たらお腹が「クウッ」

と鳴った・・うふふふふ 診察中にならなくて良かったけれど6時過ぎには既に

食事は終わっているから・・身体は正直です・・あははははは

※8区の1軒家

リトル東京の通りを離れ大きなビルとも離れて8区に引っ越した。そこは1軒家で

その上急斜面の階段が付属していてメゾネット式の中2Fがあったのです。きっと

建てた時期は珍しく素敵だっただろうと思うのだが・・割合古い家でした。

中は広くて玄関は金網の高い塀があって、中庭(バイクを入れる)があり、玄関

へ入るという様式でした。玄関を入ると10畳程度のリビングがあり、応接セット

食器棚などは備え付けてあった。次の部屋は台所とベッドの小が1つ置ける程度

の広さがありそこの真ん中に梯子があってそれを上がると中2Fになっていた。

蓋を閉められるようになっていて、中2Fは2㍍強の高さしかなくて、リビング

が吹き抜けで手すりから下が見えるようになっていました。ここの家は『雨季』

になると天井から、壁から吃驚する位に雨漏りする家で・・参っていました!

大家が隣にいるものだから、その都度走って行き雨漏りを知らせるという塩梅

で『雨季』は数ヶ月毎日続くから・・本当に雨との闘いでした。その度に大家

の主人が屋根に登り、雨の中直すという有様でした。専門家に任せる事はなく

壁にも天井にもあちこち雨の沁みこんだ跡が残っって筋がついていた。しかし

ペンキで塗ってあったからその跡は入居した時は解らなかった・・(-_-メ)

随分長い間空家だったそうで・・そこまで考えたり、調べる事など異国にいて

出来る筈もなかったのです・・(-"-)

この家には凄く嫌な思い出が沢山有って・・日本に帰国している間に空き巣に

2回も入られたのです・・(><”)沢山の大切な品物を喪失させてしまった!

ベトナムで暮らすようになって数年が経っていましたが・・大家にもちゃんと

言って帰国したのですが・・本当に今、思い出しても腹が立つし口惜しい!!

或る日、息子から帰国している私に電話が入り「おかん、心を確り持って聞いて

家に空き巣が入って、PCや携帯、宝石(ま、これは大した品ではない)それらを

入れていた小箱など全て完全に盗まれている」という話に愕然とした・・!(^^)!

特にPCはその頃出た新種で凄く高価でした。 それを日本から息子に持って来て

貰っていました。あの重い今では想像もできない大型のPCでした。息子も大変な

思いをして持って来てくれただけにその悔しさは計り知れなかった・・(><;)

携帯も2つこれは安価でしたが、でも買ったばかりでした。ま、頭の中がぐらぐら

揺れていましたねぇ・・(-_-メ)部屋の中の様子がどのようになっているのか?

見当もつかず・・辛かった!戻って来た時息子が空港まで迎えに来てくれていて

「直ぐに鍵を替えたけれどまた入られたので2回なんだ」と言われてそのショック

もあり、身体から力が抜けて行く感覚でした。 玄関を入ったら有った所のPCが

コードだけになっていて、次の間の三面鏡の中身はぐちゃぐちゃでした。

多分2人位で入った感じで中2Fの洋服を吊って有った場所にも、探した痕跡はあり

亡夫がパリで買ってくれたカルチェのボストンバッグと中に入れていた物すべても

消えていました。悲しかった・・そんな物持って行く方が悪いのかも知れない。

でも、海外で生活する事を決めた時、亡夫の思い出と一緒に何か1つ持って行こう

と思いお位牌とそれは形見として持って行ったのです。

幸いお位牌は残っていましたが・・殆ど何もなくお金に換えられる物だけを盗ま

れていました。大家立会いで調べましたが・・悔しさと2回も続けて入られた恐怖

と気味の悪さで直ぐに手続きをして貰い引っ越しすることにしました。

この8区では、面白い小さな市場があって、毎朝、買い物に行くのが好きでした。

殆ど野菜やが多かったのですが20数軒、路地に並んで狭い場所で売っていた!

仏パンを作っている工場もあって、何時も出来たてほかほかのパンが飛ぶように

売れていて活気があり好きだったのですが・・この事件は大きな打撃と衝撃を心

に受けました。 親族は「泥棒や空き巣はベトナムではごく普通の事だから」と

聞かされたり、友人になった人達からは「ベトナムを嫌いにならないで」と言う

声に励まされて・・ようやく諦観出来たのです。それで現在使用の日本製品だが

中身がべトナム製品のノートPCを購入した次第です。現在も時々思い出した様に

ベトナム語がでてきたり英字に変わっていたりもしますが・・ま、何とか慣れた

ようです。 最新式のを買ったのですが、ベトナムではしょっちゅう電波の入り

具合や停電が何度もあるから・・(-_-;) 慣れるまで時間がかかりました・・

誰にも頼れないからベトナムにいた時は1回だけ詳しい人に教えて貰った。

後は自分で触りまくっていました。たぶん触ってはいけない所まで弄っていたと

思います・・ひゃははははは 何度も繋がらない事が起きましたから・・(+_+)

帰国して日本製だからと思いその会社に連絡したのですが・・中身がベトナム製

だと言うと「直せない」と言われ・・それでも一応担当の人が来宅してくれたが

私が使用する範囲内だけで出来ないと言われた。ま、それ以上難しい事も必要は

ないし、頭の程度に丁度合っているからそれ以上はどこも触らない様にしている

のが現在の私のPCです・・今のところ順調です・・ふふふふふ

ま、物は考えようで、眠っている間に泥棒に入られる恐怖はなかった事を仕合せ

と考えています・・それにしても腹が立っています・・わははははは

日本と根本的に違うのは空き巣、ひったくりなどは凄く多い犯罪なのですが人を

殺したり傷つけるという犯罪は先ず殆どありません。 ごく稀に何処かの地方で

夫婦喧嘩で刺されて事件がある程度の治安の良さでしたが・・(-.-)

いやはやとんだ災難でした。何も持って行かないのが安全でした・・ははははは

これもまた国の違いによる犯罪であり、思いがけなく遭遇した大事件でしたが私

には痛みと傷跡がぱっくり残っていますが・・もう大部分は風化してきています。

無くなったものは仕方ない・・これがベトナム式の考えです・・きゃははははは

午後から雨が降るとの予報で早朝より洗濯物を干していますが、何とか半乾き迄

持ちこたえてほしい浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/25(Mon)
漆黒だった夜の帯が最近では薄明に移動して、凍星も心なしか淡い光に変化して

来ている感じを日々覚えます。無数の冬空を彩る荒星たちも都会では数えるほど

しか見えなくなって・・満天に誇っていた寒星は何処へ・・!(^^)!

そんな事を思いながら見上げる早朝の空ですが・・ベトナムの海岸で見る真夏の

星座は見事なくらい未だ美しく燦然と輝きを放っていました・・(*^_^*)尤も

都会で見る星は汚染された空気の中に淀んでいましたが・・田舎や海岸では未だ

綺麗でした。日本もそうかも知れませんが・・( ^^)  そ、思い出しました!

ベトナムでは夜に髪の毛を洗うのは良くないと信じられて居て、大抵の人が朝や

お昼に太陽に向けて乾かしていたり髪を梳く光景を見たものです。何かの理由が

有るのでしょうが・・単純に昔からの言い伝えと聞かされていましたので、詳細

は理解できていませんでした・・うふふふふ

※ベトナムで国語の教科書に出合った・・

6時間と時差2時間の遠く離れた異国の地で日本のそれも中学、高等学校の国語の

教科書を手にするなんて・・夢にも想像しなかったことでした。息子の仕事関係

の人がそれも6冊+1 多分{先生用の教本}が付いていて新品でした。

も、この歳ですから遥かに遥かに遠い昔の事です。その鮮烈な衝撃と印象は興味

を加味して心惹かれました。まるで貪るように毎日読んだものです!

学校教育の変動期でもあったのかも知れませんが、子供達も既に成長していたし

私にはその教科書を読むことだけでも心が躍っていました・・ふふふふふふ

活字に飢えていましたから・・(・_・;)  暫くの数ヶ月は国語の教科書に心を

奪われて過ごせました。思い出す事も少しは有って、感心したり、納得したりで

驚倒することが何と多かったことでしょう・・(@_@;)

1冊の本の中には現代文、古典、漢文、評論、随筆、経済、天文などが掲載されて

いたのです。今迄自分が知らずに通過してきた分野の話が多々あり、本当に面白く

時間を忘れるほどに没頭して毎日読んでいました・・(*^。^*)

豊富なジャンルの中から秀逸された文章との遭遇が何度もあったりして、言葉が本

の中に凝縮されていましたねぇ・・(@_@。最初はサァーと読み流して行ったのです

何せ、本を横に置いていたもので次が楽しみという状況でしたから・・あはははは

何度も何度も読むうちに自然と頭の中に入ってきて・・こんな脳細胞なのに、驚き

の発見でした・・きゃはははは 不思議でした。何となく理解できるようになって

行き、それが又楽しさを加重させて言ったのだと思います。正直、凄く嬉しかった!

完全に忘却されていた言葉や様々な事が閃くように語りかけてくれたのです。

「あーそう言えばこんな意味だったとか?勘違いして覚えていたんだ」など色々な

事が眼前に展開されて・・「あーもしかして私、中学校の国語は理解できるかも?

知れない!」という自己満足が浮上しました。 現実には子供がいないのと同様な

有様ですから・・教科書なんて見たことはなかったのが正直な話です。

すっかり教育方針も進行も指針も変貌していましたから・・何も解らないと思って

物珍しさが先行していたのです。感動しましたねぇ・・\(◎o◎)/!

も、10年も前の話ですが・・子供の指導法などがすっかり変っていました。自分で

自発的に勉強を進行させていく方法が取られていました。勉強の仕方が全く異なり

先生の指導だけではなく自主的にどんどん勉強できる体制が作られていたのです。

昔の教科書に比べたら雲泥の差がありました。 先生から学ぶ事しか知らなかった

し教えて貰う事が当然でしたが・・その教科書では自己啓発をしながら自習すると

言った教育方針に見えました。最近の誰でもが知っている人のエッセイや随筆など

は昔の有名人が書いた小説と並列させて書かれてあったりしたものですから、結構

驚きましたが{これも時代の流れかな?現実の学生はこんな事を習っているのだ}

の思いを強く感じました・・(#^.^#)

明治、大正、昭和の文豪たちの小説や随筆などが当然の様に掲載されていてそれが

教科書だと思っていた時代はこの本からは完璧に除去されていた感じでしたねぇ。

全く皆無では無かったですがそれよりも現在活躍中の作家の小説や俳句、短歌など

が大きく取り上げられていて・・かなり吃驚しました・・ははははは

知らない事とはこんなもので固定観念が老化とともに完全に偏見、僻見されていた

心を大きな波動で揺れ起こした感激がありました・・(-.-) 教科書に載る作家は

距離感があって、中々入って行けない壁の様なものが立ちはだかっていたのですが

そんな思考はまんまと覆されてしまいました・・あははははは

異国での生活です。まして、その年代の子供のいない人ですから、考え方も違って

いたかも知れませんが・・森鴎外、夏目漱石などは掲載されていなかった!

しかし、多量の材料の中から日本人として知り得る最低限の教育がこの本には詰め

込まれているのだろう事は理解できました。とに角、猛烈な刺激を受け、考える為

の時間が有った事は感謝している。現在はまた、教育現場は数多の問題がある様で

とても理解が不可能な部分があって、本音では解らないのが事実ですが・・海外に

いたからこそ感じた日本だったのかも知れません。暫くは国語の教科書が離せない

日々でした。多くのことを教わり多大な影響を受けたものです。それも今はすでに

”過去形”ですが・・ひゃははははは  好奇心を満たし素敵な思い出として深く

沈澱しているのですが・・折に触れて走馬灯のように巡ってくる懐古の情です。

冷え込みは厳しく、洗濯物は瞬時に冷たくなって干している手も悴むほどの浪速の

朝を迎えました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/24(Sun)
日々天候に左右されながら1日が流動する事に、本人には先ず決められない《自然》

という巨大な流れに意識下で働きかけられている・・( ^^)  自然の恵みと言えば

かなり気障っぽく聞こえるが毎日の天気に誰でも少なからず影響を受けるものです。

きらきらと輝く太陽の元、陽だまりの中を闊歩している若者たちに混じって老体を

曝け出し必死で連いて行っている様子も{自分流}だと思いながら、なるべく背筋

を伸ばし、少しでも元気を装って歩いている事に多少の照れや羞恥はあるのですが

ま、健康であるから出来る事と思い直し若者に似せて出歩いています・・(#^.^#)

歯医者は混んでいた!予約制とは言え、順番が狂うのは仕方ないと思うが、老人の

街を象徴する様に待合室には昨日はなぜか?男性ばかり・・(@_@。

ま、見た限り若そうな私だから暫くは立っていたら、受付の女性が椅子を持って来

てくれた「やれやれ、座れた・・(本音)」・・うふふふふ 早速時代小説の続き

を読みだした。30分位待たされて中へ。 先生曰く「今日は急患が入り順番が遅く

なってすいません」と、歯科で急患なんて考えてなかったので「どうしたのか?」

見当も付かなかったが・・軽い冗談を飛ばしているお爺さんがいて、若先生と楽し

そうにしている「思ったほど傷んでないから、案外上手く治せるかもしれません」

と言われ内心嬉しかった!何せ5年間も歯科には無沙汰していて中はぼろぼろで

恥ずかしかったのだけれど・・(^_^;)「早く治しましょう」と言ってくれて週に

2回から3回行く事になった。有り難いことだが、結構大変でもある気がする!

※ベトナムでどんな食事をしていたの?

簡単にいえばベトナム食材で和食を作り、味付けや調味料は全て、ベトナム商品

だから複雑かも知れないが・・味的には和食とは異なっていたと思います。

香草が好きな事は以前から何度もしつこく言っていますが、何にでも本当に沢山

入れるから和食でもなくベトナム料理とも違っていたと思います・・ははははは

◎朝

①フォー ②雑炊 ③お強 ④炒めた麺 ⑤バイン・ミ―(仏パンに挟む)それが

朝食でした。最初の頃はフォーやへ毎日通っていたのですが、市場で干麺の種類

を色々発見してからは冷蔵庫の野菜を何でも入れ、フォーの固形スープがあって

それで作りだしました。香草を丼にいっぱい載せ食していました。勿論、店の味

とは程遠い感じでしたが{中身に肉や魚介類が全く入っていないからです}その

方が好きでした。野菜が殆どだから直ぐにお腹が空くのですが・・あの暑さです

から・・その程度が良かったのです・・(*^^)v

◎昼は殆どご飯

大体お昼にご飯を炊くところが多い習慣があって、お昼は皆沢山食べます。これ

は住んで知った事ですが、日本では夜にご馳走という感じで作りますがベトナム

ではお昼が中心で夜はお酒を飲む男性の食事と軽い食事を女性や子供はする様で

した・・だから痩せている人が多いのかも知れませんが・・( ^)o(^ )

お昼に帰宅する主人も数が多いからあちこちからいい匂いがしていましたし、店

では〖コム〗=ご飯やが種類豊富に揚げ物、煮物、炒め物、スープなど数10種

も店頭に並びます。炊きたてのご飯の上に何種類かの総菜を載せてパックに入れ

幾つも持って帰る人がいたり、店の中で食する人も多く昼時の〖コム〗は賑やか

で活気に溢れています。も、声が氾濫しているような勢いがあります・・( ^^)

ご飯だけお皿に載せて貰ってその上に好みの総菜を載せて店内で食する人も数多

いて、店内が満席になると道路にしゃがんで食べます。{何処でも平気です}

毎日お昼は人出が多いから何時も賑わっていました。時々総菜だけ買いに何度も

行きました。それは安価でベトナム料理が食せましたから。テイクアウトにして

も思いきりご飯は詰められるし、おかずも好きな物を選べるから何種類かを混ぜ

購入しても300円掛ることは1度もなかった・・(*_*)[スープ付きです]

何処にでも隣り合わせで〖コム〗があるからその上どの店でも不味いことはなく

ベトナム料理は廉価で毎日買って食べても飽きないほど美味で様々な味や種類が

有り、店によって総菜が違うから日々退屈せずに色々な店に行って購入する人は

多かったです。私もお昼に晩の分も作っていたり買いに出かけたりと色々楽しく

食事に関しては思い入れが数多くあります。 少し多く作ってレンジでチンして

食べる事が多かったですが1歩外に出ると食べ物は何でもあるから・・(*^^)v

食事に関する事ではなに1つ不自由さは無く何時も店に並ぶベトナム家庭料理

に興味津々で買っていました。外食が通常のベトナム人にとって毎日外食の人も

大勢いて、その店の行列で〚美味しさが判る〛と言う場合もありますが、往々に

して、どの店でも美味しいです。ただ種類が豊富な店には大勢が並ぶ=選択肢が

有るという程度だと思います・・ふふふふふ

ま、こんな生活が日々繰り広げられておりました。 ベトナム人は先ず何よりも

「アン・コム・チュア?」=ご飯食べた?と聞きます。それほど食事は大切なの

でご飯を食していない人がいるとご馳走したり、誰彼と世話をやく人が多いのも

ベトナム人の気質でしょうか?食べる事には凄く貪欲です<悪い意味ではなく>

最近5時過ぎでも薄明るくなって、季節の移り変わりを感じている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/23(Sat)
寒烏が電線や枯れ枝に蹲っている姿や濁声で哀れを誘う様に鳴くさまは未だ冬の中

にいる感覚から逸脱出来ない気がします・・(-.-)命あるものの悲しみは鳥にも花

にも答えはあるのでしょうが・・人間の切実さには及ばない気がするのですが・・

ま、自然界の掟とか運命には逆らうことはできないからどうにも仕方ないのですが

毎日が同じサイクルで回り元気で暮らせる幸せは本当に感謝の言葉しか見いだせず

老いて元気でいられる事は何にも代え難く・・有り難い事です・・( ^^)

気になっていた映画を見に行って来ました。ベトナムで所謂“海賊版”を見ていて

も、1度見たいと思っていた矢先にこの映画で最後になる話を聞かされました。

ご存じの『ストロベリーナイト劇場版』でサブタイトル〔インビジブル・レイン〕

その名の通り全編を通して最初から土砂降りの雨がずっと続くというシーンからの

始まりで吃驚させられましたが・・(@_@;)

因みに〔インビジブル〕とは《目に見えないとか不可視的》とか言うそうですがー

案外、この映画には合致している部分が数多あり良い役目をしていました。

流石にこの撮影はかなりの強硬な作品で、作者と監督の意図、意味する事はこの雨

に全て吸い込まれ流されていくという感覚は否めませんでした。役者さんにとって

これはかなりハードな撮影であったことを想像させました。TVで放映されているの

ですがこの劇場版で終了との話を聞いていたもので・・どうしても観て置きたいと

思った作品でした・・ふふふふふ

9年前の事件が根底を流れ縦社会の警察が隠蔽工作をした事件と暴力団の抗争にと

複雑に絡み合いながら次々に死者が出て行き事件が発生する。 それらを必死で

上層部が警察の威厳を懸けて阻止しようとする動きの中でご存じの竹内結子さん

率いる(姫川班)が迷走しながらも絡み合った糸を解く様に活動しながら事件の

解決に向けて突っ走る。絶えずずぶぬれ状態の中での行動は制限されながら少し

づつ流動が開始される。 警察関係からの強い行動規制の中、単独で捜査をして

行く過程があリ、また、大沢たかおさんとの恋情もあり交差されていく流れの中

にも彼女が持つ過去の哀しみや切なさを分け合う生き方を見せてくれる。

今迄誰よりも信じて愛情を持っていた腹心の西島秀俊さんの決定的な毅然とした

行為は心の中に彼の存在感を埋めてくれて一寸切なく颯爽とした生き方に好感!

話的には現在でも刑事物なら誰もが取り上げまた、社会問題にもなっている現実

の良くある話なのですが・・彼女の演技力の開花と行動的な活躍ぶりには女性の

刑事の生きざまや、新境地を開眼させてくれた気がして演技の幅の拡大と格好の

良さは素敵でした。最近ではどの刑事関係の話でも登場する官僚や上層部からの

圧力は下層にいる現場の刑事たちの欝憤や憤懣の捌け口として、作成される事由

が余りにも多く、本当の意味で警察関係、官僚への警鐘であればいいなぁと思わ

ずにはいられない環境でもあるのが現実社会だから・・その意味でも少しは影響

があればいいと思った映画でした。ストーリ事態にはさほどの大きな変動はなく

ただただ流れる雨が全てを吸収して全てを洗い流していくという感じは受け、雨

が(血)である事もまた教えてくれる話でもありました。 心から身体まで濡れ

る全てのシーンは監督の強い意志と正義感を感じたものです。

現在の警察関係への警告でもあり風刺的な役割も担っているこの映画は観る人に

何を語り何を問いかけているのか個々に判断を仰ぐという作品でもありました。

わざわざ劇場まで運んで鑑賞するに値する映画か?と思われる方も大勢おられる

と思いますが・・映画はスクリーンで音響の響きの中で味わってこその作品だと

個人的感想でそう思うものだから・・どんな映画でもそうですがそれは想像を超

える人々の汗と心意気の結晶であり沢山の人が制作する作品だからこそ劇場での

鑑賞が映えるのだと思います。そう言う意味では納得できる作品でした。

ラストシーンはちょっぴり胸がジーンとなりましたが、別離の中の愛情が伏線と

なっていて、も、これでこの作品との遭遇はないのだと終了させたこの作品には

今迄の集大成の意味が深く刻まれた心意気がありました・・(*^_^*)

        佐藤祐市氏監督、誉田哲也氏作品。

重苦しい雨が上がったら全てが解決出来ている{色々な意味で〛作品でした。

 {撮影の大変さは想像以上だったと断言できる映画でもあったと思います}

今日は歯医者へ出かけなければならない。寒さの中を烏の鳴き声と共にやって

来た浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/22(Fri)
なかなか冬から抜けきれないで寒さが続いていますが・・今頃が1番寒いのかも

知れませんねぇ・・!(^^)!それでも冬晴れの日になって風もあったから洗濯物

は殆ど乾燥していました・・これは有り難かったです・・うふふふふ

近くに天満宮があって、梅林がそろそろ見頃との話に心躍る気がします。水仙

も満開に近いことを知り・・(#^.^#)確実に春が近くまで進行している雰囲気

を感じております。

※ベトナムニュース《ハノイ発》

珍しくハノイからの話になりますが・・ハノイの若い層{18から24歳位まで}

ベトナムの若年層の携帯、インターネット利用の調査が行われてそれが発表に

なりました。月間携帯電話通話料は凡そ19㌦で色々な通話サービスが付属して

いて管理しやすいようになっているそうです。 未だ殆どがプリペイド形式で

画面に残高と日時がでてくるのでコンビニや、店でカードを購入しその番号を

打ち込むと使用できるようになっています。 これでは私、結構、苦労していて

携帯そのものが好きではない人だから・・酷く面倒でした・・(-_-メ)

何時もコンビニや店の若い人にカードを買った時に番号を入れて貰っていた!

覚える気もなかったのです・・あははははは

サービスアパートに住んでいた時に中学校1年生の男子がいて、大抵彼にお金を

渡して番号を入れて貰っていました。その都度、小額ながら小遣いをあげるから

喜んでしてくれていました・・( ^^)何をして貰ってもチップをあげていたので

[いい鴨の日本人婆さん]だったと思います・・ふふふふふ

さて、そのプリペード式で使用するメッセージ送信は1日に5,6回で通話回数も

同様だと書かれてありました。 また、通話では両親から子供への連絡が多くて

その為に子供に携帯を持たせている親が多いとの事です。そう言えば、私の親族

も、しょっちゅう親の方が携帯を使用していました。大半は子供相手に通話して

いる様子でした・・(@_@。  本当に回数は多かったと思います・・(*_*)

さっきも掛けたのにと思いながら見ていても携帯好きの親は驚くほどいて、それ

だけ家族の絆の深さを感じていました・・(*^_^*)

子供サイドは主に友人との関係維持のために多く利用されるようですが最近は特

に高級な携帯を持っている人が増加したそうで、音楽ダウンロードが人気になり

使用されているのが現況だと言われています。

インターネットは交流、情報、検索ツールとして利用する人が大半で、自宅まで

ケーブルが来ていても個人用の域に迄は達していないのが事実だと言われている。

なぜなら両親に使用時間や内容を知られたくないという理由があるからと言われ

ていました・・( ^)o(^ )

自宅までケーブルが来ているのに相変わらず{インターネットカフェ}利用の方

が多々有るのはその為だと言われてるそうです・・(-.-)

日本とは違って親の権力は強いから・・想像も出来ませんが、結婚しても我が子

への愛情は深く、どんどん入り込んでくるから・・大変です・・ははははは

     *何と言っても“家族が1番の国”ですから*

ハノイのニュースは疎くて入って来ても調べればいいのですが・・ホーチミンの

話題の方が理解し易く、どうしても南部中心の記事になります・・<(__)>

最近のホーチミンでは携帯は殆どの若者はスマホでしたし、PCも個人用は私の

周辺では多かった気がしますが・・矢張り個人宅で使用している人は少なかった。

カフェ利用者の方が大勢でした。 PCも高価ですし、それよりも携帯の高級品を

購入する人の方が多かった気がしました。若者は直ぐに新型にも慣れ使いこなす

人が大勢いるのも何処の国でも同様だと思って見ていました・・(@_@;)

多分、ホーチミンの方が携帯台数も多く、使用料も多額だと思っていました!

     〔人口も多いですし、若者の人数も多いからです〕

外出するので・・珍しく短い文章ですが・・あははははは 最近の携帯事情など

書いてみました。

今朝も手が冷たいほどに冷え込んでいて、催花雨を期待をしたい頃になった浪速

の朝が動き出しました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/21(Thu)
誰にも踏みつけられることなく手折られる事もなくひっそりと岩の陰や庭、道路

の隅っこに根ずいている草花は悠然と自分を誇張して咲いて散っていく・・( ^^)

「そんな人生でありたいなぁ・・うふふふふ」なんて思うことが時々あります。

も、かなり人生の終焉が近い感覚が身体のどこかに有って・・多分これは私的な

感情だとは思うのですが・・色のない世界を俯瞰している様な日々もあります!

かと言って何処が悪いとか?何かの変化が突出して来ている訳でもないのに・・

何となく心の中の奥底で{寂寞さ}が成長を続けている様な予兆があって不思議

な感覚を持っています。何時何処ででもどんな状態になっても自分で処理できる

事が可能であれば、多分自分で自分を処することはするタイプだと思うのですが

もし、全く昏睡状態とか理解できない不意の事が身に逼迫したら・・どうやって

自分を守り答えが出せるだろうか?色々と考えている自分がいます・・(--〆)

緊迫した問題ではないのですが、なぜかしら?無性にそう言った感じが最近心の

裡を支配しているようで・・そういう意味では焦燥感が全くない訳ではなく案外

焦っている部分があるのかも知れません・・ははははは

「だから何?どうしたいの?」と聞かれると即答できないのですが・・(><)

要は〚老いが足元から駆け昇り始めた速度が迅速になっただけの事かも?・・〛

誰にだって老いは来るし、きちんと受諾できるまでに時間がかかると思うのです

が表現できない未だ何処かで納得していない部分があってそれに左右されて動揺

させられているのかも知れません・・ひゃははははは 恥しい限り・・(/_;)

*こんな事を考えたのは実は美容院での出来事があったからかも知れません*

美容院へ行った話を先日書きましたが、初めての店でした。表には明確に金額が

書かれてて安心して入れたのですが・・そこでの会話には矢張り未だ慣れないと

言いますか? 《河内弁の荒さと驚きと衝撃な話に驚倒しました》

きっと、私より上の方だと思います。隣に並んで髪を染めて貰っていた方の話に

圧倒されました。 も、1週間位前に救急車が来た事を書きましたが、その方の

親族だと思われるのですが、店員「その後お爺ちゃんどうですか?救急車で運ば

れたと聞いたけど」「そやねん!嫌やでー奥さん一緒に乗って下さい言われてな

も、ほんまに早よ逝ってしまえ・・って思った位やね」「ま、それはあかんでー

何と言っても旦那さんやんか?」「ふん、あんな奴!金食い虫やね・・未だ当分

はくたばれへんやろ!」「でもお金持ちやから心配あれへんやろ」「嫌やね!!

あんな奴のために金が減る事が腹立つねん」「そやかて大事にせな・・仲良く暮

らしてはった時もあったんやから」「アホか?誰が好き好んであんな奴と一緒に

暮らしていたか?金や金の為だけや・・それも計画ではもっと早よ逝きよるはず

だったのに・・計算狂うてしもてわても年になって何処にも行かれへん。それが

どんだけムカつくか?わかるか?嫁もわての事そう思とるんやで・・」「・・」

ま、次々とそんな話が続いていました。恐ろしい話でした・・!(^^)!

今まで美容院へ行かなかったのはそんな下らないそして質の悪い品性のない話が

多いことが嫌いで・・避けていました。理髪店は殆ど喋らないし、待つ事も殆ど

ないから・・早いし好きでした。美容院とか病院の待合室での女性同士の話には

想像を卓越した嫌味や憎悪、悪口、汚い話が多くて大嫌いなのです。

「良い恰好して・・」と思われるかも知れませんが、あからさまに羞恥のない話

にはほとほと辟易してしまうのです。誰にも若い頃がありそこに『愛情』を育て

生活が流れていたと思います。突然老化した訳でもなくいかにお金が沢山あって

も心根が貧しい人は矢張り顔に表れている気がして、思わず横のお婆さんの顔を

見てしまいました・・(-_-メ)こんな人と同じ部屋で生活しているのかと思うと

救急車の出動もありかも?とか思えて・・凄く後味の悪い気分でしたねぇ。

そこまで言える度胸も凄いし言葉も荒いから空恐ろしく感じたのだと思います。

{何様でもありませんが場所柄とかあるのでは?・・そんな事を思っていた!}

歯医者でいい先生との遭遇があっただけに尚、嫌でした。もし心の中にそう言う

思いがあったとしても人前で話す事ではないと思いましたし、本当に人間の慾の

深さとか汚濁した心の中を見た気がして堪らなく嫌悪感を抱いた・・「あーあ」

嘘の様な話で流石の私も完全にノックアウト、大きなダメージを受けた。だって

斜め前のお婆さんだからです・・愕然としました!全く出会わないとは思えない

し、かと言って挨拶もしたくない・・そんな心情でしたねぇ・・(;一_一)

※プライド傷つけたかしらん・・

日本語を勉強している人が時々急に訪ねてくることが何度もありました。あそこ

に日本人が住んでいると言うだけの理由で訪ねてくる人もいて・・驚かされた事

がありました・・(@_@。 誰かの紹介とか?なら理解もできますが唐突にやって

くる人も何人かいました。彼らに共通する事は{自分の日本語力を試したい}と

言う事が前提になっています。そして先ず自分の日本語は完全に通用すると確信

を持っている事で・・(-_-)本当は殆ど理解できない日本語なのですが・・彼ら

には何故だか自信があるんですねぇ。先日もその人は知っている人でしたが試験

があるので見てほしいと言って訪ねてきました。日本語学校へ通っている女性で

若い人でした。会社も日本系の会社に勤めているとか?言ってましたが彼女は割

と話せた人でしたが。 書く方はどうも苦手で、正直余りこれでは駄目だという

感じでした。それでも数枚のプリントと本を出して見せてくれたので一緒になり

「ああだこうだ」とか説明しながら・・でも私は先生ではないから学校の先生に

聞いた方が正確かも知れないょ!と付け加えました・・(-.-)

暫くは数枚のプリントを点検して「この程度しか教えてあげられないのよ」って

言いました。話す方は大体通じるので褒める意味でも頑張ってほしい気持ちだけ

で他に何もなかったのですが・・「こうやって、日本語で会話していると日本人

同士みたいねぇ」って軽く、深い意味もなくうっかり言ってしまったのです。

その言葉に彼女は凄く反発して「私はベトナム人です。日本人ではありません」

と声を荒げて言い切ったのです。仰天しました・・\(◎o◎)/!

特別な意図もなく、迂闊に喋った私に非があったのでしょうけれど・・すっかり

彼女のプライドを傷つけた様で気分を害した様子でした。仕方なく謝りました!

これには参ってしまいました。 別に謝る必要は何もないと思うのですが感性が

違う相手に喧嘩する事も出来ず、かと言って嫌な雰囲気を持続させるのも嫌だし

私が折れた形になったのです・・あははははは

「日本語では褒める言葉で、色々な使い方があって複雑で難しいけれど、貴女を

怒らせてしまったことは悪かったわ!でも、解って貰えなくて凄く残念だわ」と

も言い加えた。「やれやれです!わざわざ時間を割いて手伝っている相手に対し

それも教わっていることや年長者と言う感覚も忘れて自己中心だから自分が日本

人に似ていると思われた事に立腹したのかどうか判断はつかなかったけれど・・

日本人に似ていると言われた事がそんなに腹を立てる事?」って不思議でした。

日本人の会社に勤めて勉強して日本語を褒められた事が原因ならなぜ?日本語を

勉強したり、会社に行くのか?日本人に似ていちゃ悪いのかい?」と大声で聞き

たかったくらいです・・きゃははははは

要するに〖自分は凄く頑張って日本語を勉強しているベトナム人である〗ことの

誇りを汚されたと感じたのでしょう・・言いたいことは沢山あったけれど、食事

代も私が支払って何のこっちゃでした。  ことさようにベトナム人は些細な事

でもプライドを傷つけられたと勘違いする国民気質があって・・日本人には到底

理解できないと思いました。平然として、お礼の一言もなしですから呆れるやら

驚かされるやらで・・散々でした・・(-_-;) 今はそんな事は昔話になっていて

何を聞いても言われても特に反応する気分にはなれず「こちとらも負けないほど

に日本人で何が悪い?」って顔をしておりましたが・・わははははは

何も解らない時は凄く気になったものですが。 日本の常識など皆目通用しない

から下手に反抗もしないし受け流す事も覚えました。腹が立ってもどうしようも

ないし、そう言う国民だからが結論です。観光ではないから日々の生活の中では

そんな詰らない些細な事を気にしていたらやっていけないし、異国にいることを

忘れては生きていけないから、いい加減さが慣れになり馴らされていくものです。

ベトナムは【テト】も終わり少しづつ落ち着きを取り戻しているようですが乾季

に入りかなり暑さは強くなって来ている様子です。

今朝は寒気がそこらじゅうを舐める様に這いまわっている感じがして冷え切った

浪速になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/20(Wed)
「あらら!雪降り?それも随分長い時間降っている・・!(^^)!」を見ながら早く

片づいたので(洗濯をしなかった)ブログの時間が早くなった為ですが・・( ^^)

ようやっと重い腰を上げて歯医者に出かけた。この雪の中だから多分{余り人は

来ないだろう}なんて考えていたのだが・・人の思考とは同様らしく、待合室に

は7人も待っていた。そして同じ事を言っているのです・・うふふふふ

そこが1番この近辺では上手だと姉に聞かされていたので・・も、5年間も歯医者

とは縁がなかったから{行かなかったのが事実です}が、被せた場所が取れたし

も、ボロボロ状態だから行きたくなかったのだけれど「未だ未だどうも長生きを

しそうな気がして、内臓に影響が出る」と思って行ったのです・・きゃはははは

問診の用紙に現状やこれから先のことなどを書く欄が有って・・それがかなりの

スペースを取っていたから。一応、ベトナムに住んでいて帰国したが1度も病院

へ行った事は無かった。これからの治療はなるべく早くして欲しい等を図々しく

書いてしまった・・はははははは  身勝手な者です・・(-.-)

多分、親子でやっている感じで中はかなり広く老人相手には老先生が来てくれ話

好きらしく色々喋っていたら、ベトナム大好きで2年間隔でゴルフに行っていると

言う話でした。思いがけなくこんな田舎の歯医者でベトナムが好きで来越する人に

遭遇するなんて・・不思議な縁を感じた。パノラマレントゲンとかを撮ってもらい

「ま、歯茎がかなり確りしているので大丈夫少しづつ治して行きましょう」の返事

で一安心した。雪は人の心奥に潜んでいる郷愁を探りだすように降り続いていた。

出た序でだから理容室がないみたいなので仕方なく美容室へも行った。ここも結構

混んでいて吃驚・・カットだけをして貰いお昼過ぎには戻った。  その間も雨を

含んだ淡雪がちらちらと降っていました。冷え方も厳しかった・・(--〆)

※清掃

このレタントンストリートは〔リトル東京〕と呼ばれ日本人がかなり住んでいます。

早朝より毎日玄関前の道路にゴミを出しておくとずっと次々にゴミを収集する箱車

がきて24時間掃除をしてくれる。オレンジ色をした制服上下を着てマスクをした

男女の職員が青い箱車を押しながら箒と塵取りを持って掃いて行きます。

とに角、一生懸命で取っても取っても後から誰でもがゴミを出すのを根気よく掃除

して行くのです。切りがないほど出されるゴミは見ている間に箱がいっぱいになる

見たいで・・風によって運ばれる紙屑や、木の葉等も生ゴミが入った重そうな袋も

次々と収集して行く。1日に何度でもゴミ出しができるし、何も分別などしない。

出して置くといつの間にかなくなっている。朝昼晩などお構いなしでゴミは出され

それを何度でも収集する人々が大勢いて、この通りは観光地だから、本当に綺麗に

掃除される。言葉が自由に話せたら「何時もお疲れ様!有難う」と言いたいと何度

も思っていた・・(*^。^*)

以前にも話しましたが清掃職員以外でもリヤカーや自転車でゴミの中から缶類や瓶

だけを探して持って行く人います。箱車の人が傍にいてもその中に乗り袋を開け中

から欲しい物を探して勝手に持って行く人もいるのですから・・(@_@;)

欲しい人はそれを取ればいいのだし不要なものは箱車が持って行ってくれるから何

でも始末してくれるのです。或る日偶々、ベランダから早朝「豆乳やがでているか

しら?」と見ていると私が出したゴミ袋から自転車に乗った小父さんが来て中から

ビール缶と段ボールの小を持って行った(リサイクル)その後、10分もしないで

向い側から小母さんが走って来て又、私のゴミ袋を開け《その日はパンツを2枚》

下着ではありません・・あははははは 擦りきれて来たのを捨てたのです。

ポリでペラペラな物でしたが履きやすくかなり長く使用していたのを処分した日

で別の真黒いビニールに入れて捨てていたのにそれを出して持って行った!

驚いたが・・洗濯してあったし「履いてくれる人がいるならいいか?」とか思い

つつ呆気に取られて見ていました! 〚その頃はそれほど貧しかったのです〛

その後は清掃車が通りゴミ袋は失くなったので安心したが処分するのも何だか?

このビルに引っ越してきた日に前住者が4F、5Fに残して行った汚れた服やゴミが

各部屋に有って、冷蔵庫の箱も置いたままだったからその中に全部入れて色々な

ゴミを引き摺る様に上から降ろして玄関前まで運んだ経験があります。

ベトナムでは掃除などしないで出る事も普通で日本の様に大家か?管理人の立会

いなどないし、不必要なものなら大きな物でも置いていくらしい??掃除なんて

しないから、その汚れは大変でした・・(><;)何日も掛って掃除をした!

所が凄く重くて大変な思いで引き摺って出した冷蔵庫の中のゴミを置いて玄関に

戻ったその後を狙っていたかのように2人の男性が瞬時に持って行ってしまった!

茫然としてただただ、見ていました・・\(◎o◎)/!

又、3Fに置いて有ったアイロンとアイロン台はもしかして必要かもしれない?

この近くに引っ越したことを聞いていたので・・せめて1週間は取りに来るかもと

思い置いていたのだが・・さっぱり取りに来る事もないから処分しようと思って

{これはかなり使い込んで有ってアイロン台等は焦げて黒くなっていた}ゴミに

出した。 そこを自転車で通過したお爺さんが戻って来て、アイロン台の金具を

いとも簡単に外して自転車に載せ手で押さえながら去って行った。それから直ぐ

太った小母さんが走って来て「要らないのか?」とでも言った感じだったからー

「うん!」と返事をしたらアイロンとその焦げた台を持って帰った。

この様に何でも利用できる人が勝手に持って行き使うみたいです・・(#^.^#)

合理的だしこれはとても凄いことだと思ったものです。 本当にゴミに関しては

<この国はいい加減>だけれど徹底している部分があり面白く感じていました。

どれだけのゴミが出るのか想像も出来ませんが・・次々と真夜中でも箱車は掃除

を電灯を点けて掃いて行きます。も、信じられない“いたちごっこ状態”なのに

どんどん、取っても掃いても未だ未だ出す人があるのが現実でした・・(-_-;)

最近は幹線道路と観光地には清掃車が入っていましたが・・未だ箱車であちこち

掃除している人たちも多く見られました。どんどんと変化して行くのでしょうが

ゴミの収集だけのことでも国の大差を感じておりました。 尤も、暑い国だから

直ぐに処分しないと虫の心配や腐敗の事があるから・・日本の様に外の定められ

た場所に持って行くのではなく何処でも捨てて行く人が多いのは今も変っていま

せんでした。 ただ、最後の7区の大きな団地には各階段に場所がありそこまで

持って行きましたし、リサイクル出来る物の分別はありましたが、それだけ!

韓国人の街でしたから・・その行儀の悪さには閉口していました。袋の中へ入れ

ないで出す人もいて仰天しました。だから、そこで働いていたベトナム人は凄く

韓国人を嫌っていました! でも、私が入った頃には韓国も勢力が下火になって

落下し故郷へ帰国する人が凄く多くて団地は外国人が多く入って来ていました。

沢山の部屋は空室で安価で貸している部屋も有ったと言われていました。

今朝は日差しが戻った様で明るい浪速の朝です。でも凄く寒い・・(-_-メ)
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/19(Tue)
雨は夜明け前から断続的に降っていて・・ずっと止むことはなかった・・(-.-)

日の光が差し込む余地もない程で愕然としておりました!日課になっている写経も

練習がやっと終わって、次の段階へと進んできたが・・中々思う様に書けない・・

時間的にも短い。面倒で墨汁を使用しているが、半紙に筆圧の度合いが出てしまい

かなり拙い。あんなに勉強した書道だったのにショックが大きい・・うふふふふふ

そう言えばもう、正確には何十年もきちんとした作品的なものは書いていないから

仕方ないとは言え・・スポンサー付きで取った資格が恥ずかしい・・(・_・;)

*不抜の意志を持ち頑張っていた頃が嘘の様に〖年月とは残酷でもあります〗*

そう言えばベトナムでは童謡ばかり書いていました。最初の頃は半紙を持参して

いたが新聞紙になり、広告の紙になり、コピー用紙になったりと紙がなくて探し

回っていました・・それも〖夢物語〗に変わっています・・ひゃははははは

無聊を紛らす意味でも窓から眺める景色は、引越したらまた外観も変化するから

それなりに充実していました。日々変貌するベトナムという国にはパワーが何時

も満満たる自信に溢れ進歩して行きましたから、面白い体験であった事が何より

も自分を刺激していました。今月行く予定だったのですが・・生憎と息子の都合

がつかなく中止にしました。彼はカンボジアに住んでいるからそっちへ行き帰路は

ベトナムでと考えていましたが・・ま、その内に1人できっと出かけると思います!

※クチトンネル

ホーチミンから1時間強で行ける近い観光地として余りにも有名ですが・・実際に

体験できる場所は限られていて・・又、その狭い通路を匍匐前進する様な形には

正直な所身体から汗が噴出する位の暑さで何度も行きたい場所ではありません!

ご存じのようにベトナム戦争時の{解放戦線跡地のトンネル}が無数にあります。

地下にどうやってこれほどの基地を作ったのか?その事の方が興味深く、狭隘な

通路は蟻の巣のように拡大してありあちこちからの出入りが可能になっている。

アメリカ軍が苦心した難攻不落の場所としても知られていて、遂に攻略出来なか

った場所です。観光用にある部分だけの解放が認められていますが現実には精密

に計算されて・・それは想像の域を越えた地下トンネルに仕上がっています。

色々な事由で公開していませんが。観光する分にはある部分だけ地下トンネルを

案内してくれます。今でもそれは変わらず肝心の場所は秘匿されたままで保存が

されています。 会議室、司令室、台所、病院もあり、寝室など地下生活がどの

ようにされていたかを窺う事が出来る。信じられないほど狭量なトンネルは土の

中を掘ったもので無数の抜け道が展開されているのです・・(@_@;)

台所から煙が出ると、敵に判るし地下トンネルの発見に繋がるからという作戦で

遥か離れた場所に穴が掘られ遠いところから煙を出すという細工などその工夫も

興味がありました。狭隘な通路を前の人に続きながら前進して行く様子は異様感

があって、前者がいないと何処へ行けばいいのか・・それ程広く様々な細い小道

が幾つも目の前に横にと広がっているのです。湿気と匂い、汗が身体から滴って

行く。 本当に短時間だけの見学なのに・・地上に出たときは息苦しさが全身を

覆い尽くして、深呼吸しないと息が吐けない感じでした。

(最も私は閉所恐怖症気味)だから尚のことだったのですが・・あははははは

この迷路の中を自由に往来し、生活をしながらアメリカ軍とのゲリラ戦を戦って

いた当時のベトナム人。手掘りで作ったトンネルの中で何を考え何を思って戦い

が繰り広げられていたのか? ベトナム人の根底に流れている底力には傾倒して

しまう心境でした。色々な事を思考させる場所でもあります。

想像を卓越した思考の中での毎日の生活がこの地下トンネルで戦っていた現実と

アメリカ軍に勝利した事実はベトナム人には何よりの勲章でありプライドなのだ

と思えるのです。 そう考えると単純に観光地だからと言って見学するだけでは

なく心の琴線に響き込むものを感じる気がしたものです・・ふふふふふ

現在は保存の意味でも段々と見せている場所が狭くなっているとの事ですが私が

行った頃は結構あちこち見る事ができました。

クチはホーチミンの副都心で人口も多く、ここからホーチミンに通勤、通学して

している人が多く、住居だけクチにある家庭も多い。個人的ですが親族が住んで

いるので、バスで何度も出かけたり、バイクに乗せて貰い通った事がある街です。

広い土地に沢山の工場もあり、大きな土葬の墓が遠近に有って、夜は暗く、未だ

これからもっと発展して行く街だと思います。クチだけですべてが揃う様になる

時代は目前です。不動産も高くなって最初の頃に比べたら倍以上も値上がりして

いますが・・それでもホーチミンよりかは物価も安く、また土地柄なのだと思い

ますがのんびりしていて・・田舎を未だ感じさせる街でもあります。 観光だけ

ではなく市場がとても楽しく、商品が豊富で廉価、本当に沢山あって興味津津!

観光地だけではなくクチ市内もホーチミンの様に狭くないから一興があります。

お洒落な方にはお勧めできませんが・・少し時代遅れした感覚が郷愁をそそる街

だと思います。時間の流れが緩慢で誰も急いで生きていない感覚を見せてくれる

街だと思います・・(#^.^#)

起きた時は小雨でしたが現在は音もなく雪が降っています。 道路に積る程では

ないようですが・・しんしんと降る雪は冷気を誘う浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/18(Mon)
心底に氷が漂着した様に底冷えの寒さは一層厳しく、雪も散らついて・・未だ未だ

寒い日が続いています。多分、大阪や神戸に比べたらきっと寒さの度合いも違うの

のではないでしょうか?札幌生活の方が長かったのに・・既に、常夏仕様の身体に

変化しているようで・・あはははは  骨身に染みております。

久しぶりに暖房をエアコンに切り替え、湿気を取り部屋を暖めました・・(#^.^#)

何だか、暖気が心地よかったです!日差しはあったのですが雲が多く結構、邪魔を

されていた日になりました。スーパーへ野菜だけを買うつもりで出かけた。途中の

神社には紅梅が1本は満開を過ぎ落下状態でしたが小さい木は咲きだしてきていた。

何時も神社には拝礼と手を合わせて、梅の木を見物している。山茶花が散りだし樹

の周りに赤い花弁が沢山落ちていて・・それを掃除する氏子さんがいる。

有り難いことだと思いながら声をかけ「お疲れ様です」と言ってみた。不思議な顔

をしながらも笑顔を見せてくれた・・ちょっぴり気分よく寒さが一瞬吹っ飛んだ気

がしました・・(*^。^*)

※狙われた天秤棒担ぎの小母さんたち

どうも土曜日の朝になると、公安の取り締まりがあるみたいで・・窓を開けて掃除

をしていると、家の前に公安のバイクが停車した「あっ!又だ!」と思いながらも

窓から離れられない・・どうしても目撃してしまう私です。家の前にいた果物売り

の小母さんの天秤棒を掴むとサァッと取り上げたのです一瞬の間にです・・!(^^)!

その拍子に中に入っていた蜜柑がコロコロと転がって道路に落ちて行った!

車の下敷きになったりバイクが踏んずけたりあちこちに蜜柑は転がって零れた。

目の前にある蜜柑だけを少し拾って公安は天秤棒と一緒に持ち去った。その早業

には目を見張るものがあって「あれよあれよ!」という感じでした。 片方の籠

には売り物の残っている蜜柑と、辺りに落ちている蜜柑を籠に入れながら拾って

いる小母さんの姿は気の毒で辛かった・・(-_-メ)

恨めしく、情けない顔で去って行った公安を眺めて呆然としていました!!

も、売物にはならない蜜柑の片方の籠を持ちながら懸命に拾っている様子は哀れ

で胸が傷み涙が一筋流れた・・(><;)

その先でも矢張り、果物売りの小母さんが同様に片方の天秤棒にかけた籠を持ち

去って行く公安を眺めてボゥッと立ち尽くしていました。そこへ大型トラックが

来て、天秤棒2つと籠2個が載せられた。降りてきた公安は次の獲物でも探す様に

次のターゲットを決めて走りだした・・逃げる小母さん・・(-_-;)でも、空手の

それも若い公安に直ぐ追いつかれて敢え無く捕まったのです。 重い西瓜売りで

走り切れなかったのでしょう・・(-"-)

その日は3人の果物やが餌食になった感じでした。何時ともなく3人の果物売りの

小母さんたちは集まって来てお互いを慰め合っていた感じでした。暫くは大声で

話し込んだ後、それぞれに去って行った・・(/_;) も、本当に辛くてどうして

こんな些細な生業をしている人からもぎ取る様に持って行くのか?その理不尽さ

に心が揺れ動いておりました。確かに路上での販売は禁止でした・・しかし、店

を出している訳ではなく、そこに座って数時間売る人々。 生活がかかっている

事など充分、承知しているのに公安の取締は容赦なく、小遣い欲しさで都合よく

勝手に行われる事を知ってから本当に腹が立って酷い光景を何度も見ました!

公安が{今度は◎◎通りで、豆乳売りだ}と言っているのを教えて貰ってからは

尚のこと公安が嫌いになってしまった・・以前にも書きましたが・・残された人

は法外な罰金を取られて商売道具を取り戻すのですが・・お金の工面がつかない

人々も沢山いるようで、公安はそれらを{違う業者に買わせる}とまで聞かされ

驚愕したものです・・\(◎o◎)/! 家の前にいた小母さんは数日後になって

何時も行くフォーやさんで洗い物をして働いていました。

恐らくお金の目途がつかなかったのでしょう・・(--〆)

何時も思うのです・・(-_-)この国は拝金主義で、大抵の事はお金で解決できる国

なのですが・・全く、見せしめの様に狙っている姿は本当に見ていて感じが悪い!

取り締まるなら、その周辺全部を持って行けばいいのに・・なんて考えてしまう。

辛くて惨めになってる小母さん達はそれでも生きる為に、生活の為に何でもして

いるのです。それを見るにつけこの国の理不尽さと不愉快さを感じ、それがこの

国を動かしているのだと思う事を最近になってやっと気がついた・・(;一_一)

そして、外国人にはどうしようもなく又この国の異質さを痛感したものです。

※食べられたのかしらん?

道路向い側に細い路地があってそこには屋台や露店で商売をしている人々が住ん

でいました。玄関は茣蓙が掛けられ本当に貧しい生活をしています。子供も多く

て学校へは誰も行っていなかった気がします。小学校へ行っている年の女の子は

背中に赤ん坊を背負って何時もお守りをしていたし、よちよち歩きの子供も数人

いた。大体この近辺で母親が売っている。豆乳だったり果物、ココナッツ、パン

やなどの人々が住んでいました。玄関を開けると下は土間でそこに敷物を敷いて

寝起きをしているほど貧困者の人達で、それでも毎日、精一杯働いて生きている

感じがしていました。 男性は殆ど働かず、小遣いがなくなるとバイクタクシー

をして働く人が多く大抵はバイクの上で終日寝ている状態でした・・(^^ゞ

そこに、9羽の鶏と2匹の犬がいて毎日何処から出てくるのか判らないないのです

が何時も家の近辺で遊んでいる。 よく躾されているので吃驚したのですが・・

子供が道路に出て行こうと歩き出すと、寝そべっていた犬が起きだし子供の後を

追いかけて吠えて道路へは出さない。 また、鶏も同様で道路に出そうになると

走って追いかけ、道路まで行かせることはなかった・・凄く感動して何時も見て

いました。利口な犬でそれが仕事の様に思っているのかも知れません・・(@_@。

よく出来たもので、母親が近くで働いているから、目も届き、誰彼と子供も鶏も

見ているのだと思いますが。或る日、鶏が2羽道路に向かっている姿をみた犬は

瞬間走り出して追いかけて露地の方向へと誘っていました、凄い事です!番犬で

有り子守でもある犬だと知らされたものです・・(@_@;)

 *ベトナム犬は〔グッド、ジョブ〕していました*・・わははははは

確か2日前には9羽いた鶏がどう数えても1羽減っていて8羽しかいない・・???

今朝も数えてみたが矢張り1羽足りない。  夕方になってもう1度数えてみたが

どうも1羽どうしても足りないのです。「もしかしたら何処かの家の食卓のご馳走

になったのではないかしらん?」そんな事を考えていました・・(合掌)

誰かのお腹の中に入ったのかも知れませんが鶏もまた〔グッド、ジョブ?」したの

かも知れません。絶えず色々な事がこの通りには起きて毎日が退屈しないで過ごす

事ができる生活でした。不愉快な事もお金の事も公安の事も日本とは全く別世界の

出来事ですが・・貧困者の横には富裕層がいて、複雑な暮らしが当然の様に日々を

流れていました。そんな発展途上の真っ只中に1人住んでいて、違った感性や習慣

生き方の逞しさと貧しさの中でも人間としてのプライドを垣間見ておりました。

恥しいけれど日本人として全く異様に思っていた事が自然である現実の厳しさの味

を教えられたのも、この時期でした。

今朝は雨ふりで氷雨模様と言えるほど冷え込んでいます。 昔の古傷がこんな日は

痛むもので・・先程から肩や膝が疼いている浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/17(Sun)
日差しの中に束の間の休息を見た昨日でしたが・・相変わらず冷たい北風との諍い

でした。それでも、洗濯物は殆ど乾いて一安心しましたが・・(#^.^#)

久し振りに姉がきてセーターを編んでくれた。本当に冬物を処分しているから殆ど

無くて、数枚は購入したのですが・・天気が悪いと中々乾燥しない。何時も同じ服

で姉の家に行くらしい・・あはははは 私は全く気にしていないのだが、姉は手先

が母似で器用で何でも出来る。洋裁から和裁、刺繍、編み物など全て完璧な性格で

1目違っても解く人だから出来上がりも綺麗で・・私は目はぶっ飛ばすしいい加減、

間違っても誤魔化してその侭続ける性格で姉はそんな事を凄く嫌う・・ははははは

几帳面で潔癖、ベトナムに長く住んだけれど1度も来越してくれなかった。不潔感

が堪らなく嫌らしい・・わははははは 姉妹でも真逆の性格です・・(*^_^*)

神経質で、洗濯物の干す位置も決まっているし、うっかり干して即外されたりなど

多々あったし、執念深く子供の頃のことを根に持っている・・きゃはははは 私が

悪かったのだろうと思うが・・本人にはしこりになっているのでしょう・・(-"-)

も、典体的な真面目人間で言いだしたら融通が利かない。 老化したら大体がそう

なって行き意固地になるが、優しさは変わらず、私は適当に甘えて感謝している!

ただ、最近はどこにも行きたがらず老けたし元気がないのが寂しい。2人で老後を

楽しみたいと思い、この地に越してきたが・・姉はすっかり変化していた。

「何処かへ行こう」と誘っても「面倒で疲れる」と言って何処にも出ない部屋の中

だけの生活が楽らしい。色々と手仕事をしているようだが、外出の機会を持ちたい

と何度も誘うが返事は芳しくない・・(--〆)

※ベトナムニュース

◎ホーチミン市人民委員会は交通安全及び、渋滞緩和計画に関する決定を公告!

この中で、同委員会は新車購入権(COE)証明書による新規登録車両管理の研究と

言った解決策を求めている。 これはシンガポール式自家用車規制が元になって

いると言われています。

◎今年の【テト】の消費財、食品消費、支出は2倍になった事を表した。

お菓子や、炭酸飲料水が増加した様です。日用消費財や食品の消費調査の発表に

よると、都市世帯の日用消費財への毎月の平均出額は54㌦だと言われ【テト】前

は100㌦に増えた。農村でも25㌦から50㌦に倍増した様で、尤も消費が伸びた物は

菓子類で次がビール、飴、ビスケット、ケーキ、茶、コーヒなどが挙げられていて

都市部では500%農村部では700%も増えたと言われています。これから鑑みるといか

に地方出身者が多く、都会に出稼ぎに出ているかが理解できるし都会から帰省して

【テト】を家族で祝い、迎えているかを窺い知ることができる。

◎最後に笑い話を

ホーチミンにスーパーマーケットができた頃の話ですが。物珍しく、カートや買物

籠などを使用したことがなかったベトナム人だったから色々と籠に詰めてレジを待

っていたそうです。その頃は初めての経験で今の様に自己主張して先入りしたりは

なく順番に待っていたそうです。所がお互いが初めての体験でレジも慣れていない

から凄い行列が出来て・・2時間位待たねばならなかった。お腹が減ってくるので

購入した籠の中からパンやお菓子を袋を破って食べる人がどんどん増えてきたそう

です。ま、考えられないことですが・・ふふふふふ レジでも半分位減っている品

を計算するのに困ってあちこちで揉めたそうです。「半分しかないから負けろ!」

と言う客が多く・・想像できないことですが実際、国営で出来たスーパーでは暫く

そう言った光景が見られたそうです。  現在はそんな事はどこにもありませんが

万引きなどは未だ未だ多く、混んでいるスーパーの死角で食べている人を見かける

ことは多いそうで、空のヨーグルトとかお菓子の袋が落ちているとか?

大手のスーパーでは監視員を置いているが未だ監視カメラの設置は殆どなく人員に

依る監視体制が今でも主です。万引きジーメン的な人ではなく制服を着てただ巡回

しているのが現状でしょうか? その内にカメラの設置等もあると思いますが・・

今朝は凄く冷えていました・・部屋の中がひんやりとして暖まるのに時間がかかり

今でも未だ寒さが取れずにいる浪速の日曜日です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/16(Sat)
帰国して初めて?この様な霙混じりの雨が長時間降った日は無かったと思います!

早朝は激しい雨降りだったのですが・・3時間もするともう雪が混じって来てそれ

以降はずっと午後も同じ状態で冷たい雨降りでした・・(-"-)

少しばかり悩んだのですがこんな日は終日、家にいたい気持ちもあったからです。

国際電話の支払を始めたばかりで請求書が昨日届いた。引き落としに時間が掛るし

折角出かけるのだから、ついでに銀行を回って来ようと思い切って出かけた。

ダウンジャケットではなく長いコートを着て行ったせいで、然程影響はなかったが

近くに見える低い山並には半分ほど雪模様で白濁した色が樹木を霞みのように覆い

尽くしていて・・珍しい光景を見る機会がありました・・(@_@;)

顔が冷たく部屋の中も冷え切っていた感じでした。早々に帰宅したのですが、傘も

然りと濡れ、ぽたぽたと雫が垂れるほどでした。それでも5、10日だったせい?

銀行は凄く並んでいました。こんな天気の中でも出かける人の多さに驚きましたが

仕事をしている人には申し訳ないけれど、も、自分勝手に天気に左右されて外出も

決められる年齢だから・・なんて思っていましたが数ヵ所の銀行は10人以上は待た

された。天気の良い日と変わらない位でしたねぇ・・(-.-)

※ベトナムの香草

住んでいた時、毎日食したハーブ類で使用方法と香草の名前を<ベトナム料理本>

を参照しながら実際に使った事があるものについて書いてみます。

①ミント(これは毎日、2種類を交互に買っていました)

ベトナムでは特にホピュラーで何処の家庭でもお皿に山盛だされるものです。

付け合わせにサラダや和え物にも入れます。特に魚、肉類、海老、豚のモツに欠か

せられないです。日本ではケーキなどに添えられる様ですが・・ベトナムでは齧る

様に食します。日本の薄荷に似ていますが種類も平べったいものと縮んだ葉の種類

があって、使用方法は好みです。香は強いです。

②蓼(ポリゴタムとも言われています)

日本では鮎料理で蓼酢のように使用されよく知られていますが、ここでは生春巻き

の中にも入れますし、鶏肉と野菜サラダにも使います。孵化した家鴨の卵が有名な

ベトナム料理【ホビロン】というのがありますが、これには必ず必要な薬味です。

私はこの卵の中に鳥の形をしたままが入っているのをどうしても食せなかった・・

のですが・・この国の子供達は大好きでよく食べていました・・\(◎o◎)/!

又、女性の妊娠初期には食してはいけないと禁じられていました。理由は教えては

貰えず・・ずっとそう言い伝えられているそうです。

③ドクダミ

昔から薬草としてお茶などもあり日本でも知られていますがベトナムでは生のまま

葉っぱだけを食します。茎が赤い色をしていて細く、日本の物とは多分種類が違う

のではないかと思います。この香草はベトナム人でも好みがあって使用する家庭と

全く使わない家庭に分かれますが・・私は大好きで毎日少しづつ買っていました。

ベトナムでは〔魚のレタス〕とも呼ばれていて、血便が出た時にはこれを擂り潰し

た汁を飲むと治ると言われ漢方薬のように言われていました。

④ノコギリコリアンダー(エリンギューム)

来越されて、何処の店にでも入ってフォーを食された事がある人なら、絶対に見た

ことがある筈だと思います。細長く、もやしや他の野菜と一緒に必ず出される香草

だからです。コリアンダーを少しソフトにした感じでしょうか?苦味があります。

大抵は1,2本を切って使います。牛肉の煮込みや、酸っぱいスープなどにカット

した物を入れます。ライスペーパーに包んだ肉類や麺類の中にも入れて食べます。

⑤コリアンダー

独特の強い刺激臭がしますから、好みが極端に分かれる香草です。私的には1番

好きなハーブで欠かした日はありませんでした。どんな料理にも刻んで入れていま

したし、料理しながら生を齧っていた程好きでした・・あははははは

全ての料理に入れていたから味が同様になっていましたが・・それでも毎日食べて

いました・・うふふふふ  魚の臭い消し、スープ、お粥などにも散らして入れる

のが普通のベトナムの使用方法だと思います。

⑥チャイナ―ズセロリ

セリ科のセロリの種類なのですが・・茎が太くならなくて長くても20㌢位です。

温帯地域で生育させている香草ですが、香は強烈です。これも嗜好でしょうか?

日本のミツバの様にかき揚げ天ぷらにすると香りも放ち好きでした・・(*^^)v

肉や魚料理との相性がいいのでベトナム料理では刻んでいれることが多かったと

思いましたが特に烏賊との組み合わせは最高で絶対の必需品の香草でした。勿論

炒め物料理にも刻んで入っていました。これも毎日食していましたねぇ!

ま、大雑把ですが料理本に載っている分を参考にして自分自身が食べていた感覚

から書いてみました。未だ未だ種類は沢山ありますので、又、書きます・・( ^^)

昨日の冷気が残っている感じで、座っていると足元から底冷えがする浪速の今朝の

夜明けです。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/15(Fri)
〚行きつ戻りつの春〛は混乱した時間の中で何かを確かめる様に1つ1つの確かさを

持ち前進しているのでしょうねぇ・・(#^.^#)まるで冬を恐れる様に胸の中に積み

重なって行く時間に振り回されている感覚が解けません。決して迎合しないかの様

に頑張っている寒気団や低気圧にも翻弄されているみたいでその正体は人間の心の

中を蝕み行き昏れた夜の闇へと誘っている感じがしてならないのは私だけかも?

昨夜から誰かに手招きされたように降り続く雨は日中の日差しが充分あっただけに

心を萎えさせて悄然としています・・(-_-;)

※市場の中(続き)

◎荒物屋

良くご存じの通り、プラスチック製品が多く、日用品、食事に関するものまで大小

想像できない数が並べてあります。この国の人は重ねたり吊り下げたり積むことに

長けているようで・・本当に狭い店いっぱいに並べてあります。足元は細く1本道

程度で足元にも茶碗などが山積してあり、中に入って触ることに抵抗があります。

(いつ崩れてくるかもしれない商品)埋もれている品物も多く、店に無いと部屋の

中から探すという事も決して嫌がらず、急がないでゆっくりとしているから短気な

私には煩わしいけれど・・じっと待っていると何処からか出してくると言う手品の

様な事をして探してくれる・・(*_*)

1人暮らしを始める時には鍋から、食器洗い用のバケツ、洗濯用、何もかも揃える

ことになって、小さい物はスプーンまで随分沢山購入したがそれら全てを1店舗で

購入したものです。それでも店に並んで見える品は指差して買えるが、何処にある

のか?判らないものはベトナム語で書いて持って行ったものです。 でも、不思議

と長年やっている商売・・ちゃんと通じて探しだし吊り下がっている中から思いが

けない物を出してくれるから見ていて凄く楽しい「あんな所に入っているんだ?」

何て思ったものです・・ははははは

見栄え良く陳列する事は本当に上手ですし、仰天する位の数が積まれています・・

箒などは日本の昔に有った様な形だったりするから妙に懐かしい。ただ立って掃く

事はできなくて腰を屈める物しかないのは辛かった。竹箒も同様です。床がタイル

だからモップの種類は多く、これは立ったままで拭けるから暫くはずっと手拭きで

頑張っていたが・・ビルだから、疲れきってとうとう途中からはモップを使用して

いましたが・・それでも汗が流れる程いい運動になっていました・・ふふふふふ

毛ばたきと言うのがあって長い竹竿の先に鳥の羽を沢山つけた物で天井が高いから

それで埃を取るものですが・・クーラーや照明器具なども掃除するのです。

以前それを商売にしている小父さんの話を書きましたが、何度かビル内を手伝って

貰った経験があります。こんなのを見ていると、昔、札幌で煙突掃除やがいて毎年

して貰っていた事を思い出していました・・常夏の国で・・あははははは

ま、何でもありました。弁当箱も段重ねのアルミ製だったり土鍋もあり、七輪や炭

まで有りましたねぇ・・(@_@;)

◎卵や

現在はパック入りになって売っています。大抵の店で、市場でもそうですが当初

は籠の中に下から順番に積み触れないほど山のようにして売っていたものです。

1つから買えて1人だし停電や新鮮さが解らないから多くても3つ位しか購入せずに

いましたが1度なんて全部腐っていた事もあり、尚心配で少しづつ買うことに決め

ていました。全く生では食さない国だから・・割ってみないと解らなくて数多くを

買うことはありませんでした。

◎総菜や

ここには物珍しい物が一杯でずっと見ていたい衝動を秘めていました・・うふふふ

揚げ立ての豆腐{日本の様なものはなくて、殆ど豆腐は厚揚げみたい}その場所

で揚げているから美味しそうでよく買いました。また以前に書いた{さつまあげ}

等もその場で揚げてくれる。現在はスーパー、コンビニでも日本製品同様の豆腐が

四角いケースに入って売っていますが、生ではこれも決して食さない国民です。

ベトナムの豆腐は固いから揚げて食べるのだと思いますし鍋ものにも使用します。

漬け物の種類も豊富でラッキョウ、からし菜、塩辛(瓶詰め)蒸したハム、餅類

等が店頭に山盛並びます。漬け物は塩漬けが多く塩で塗してあります。 色々と

買いましたが、塩分が殆ど抜けないから困った事もありました・・(-"-)

名前が解らないものも沢山あって、先日のバナナの皮包みも市場で知った物です。

何種類もあって包んであると「それは何?」状態でした・・わははははは

何にでも興味が有って思い切って色々試食していました。香草が沢山入った天ぷら

[海老のすり身]等はかなり高価でしたが、時には食べていました。もっとも半分

にカットして貰って・・かなり大きかったからですが・・( ^)o(^ )冷えたら煮物

にしたりフォーに入れたりして食しました。いづれにしても食べ物は美味でした!

今はどこの店でもベトナム料理を量り売りしてくれますし、弁当箱みたいに詰めて

くれたり、日本から弁当やさんも進出して、余り不思議ではなくなってしまった!

◎麺や

〔お米の国〕だけにその豊富な種類には圧倒されます。 細麺から太い麺まで数多

あります。タピオカの麺もあったりして、欲しい分だけ引き千切る様にビニールの

手袋を付けて分けてくれます。最初はビニールの手袋などしないで箸で切ってくれ

ていましたが・・でも、いつ頃からか?ビニールの手袋が着用されるようになって

{ま、見た限りでは衛生的かも?}ですが・・麺は食べ方によって種類が異なるの

で凄い量を買う人がいて驚きます・・(@_@。又、籠の中にビニールを敷いたり上に

ビニールを掛けてあったりビニールの袋の中から取り出すようになっていました。

そして、市場の中には必ず食事する場所が多々あって、何処でも座り込んで食べて

いる姿を見たものです。お風呂椅子だったり立って食べる店もあるが、大方の場合

その場所でしゃがんでフォーやご飯などを食べる人が多かったです。市場の中は人

の出入りで落ち着かないから、数回しか食べた事はありませんが・・美味しい!!

後は、香辛料だけとか?乾物屋等がありましたが・・日本ほど種類がなく干麺とか

干椎茸、きくらげ、ビーフンなどしかなく、有ってもどうやって使うのか全く理解

出来ないものばかりでした。ゲテモノも乾燥されて売っていましたが・・とても手

は出せませんでした。蛙、蝙蝠、蛇なども吊下げてあったのですが。購買力は全く

出なかった・・ひゃははははは 

食べた事は何度かありますが・・でも自分で買った事は無かったです・・(-.-)

未だ未だ色々な店がありましたが近代的になったスーパーの進出で面白さが欠けて

がっかりしますが・・それでも路地や下町的な場所に行けば今でも昔と同じように

市場が有ってその雰囲気を味わうことは可能です。市場はとにかく面白く楽しくて

何よりも影響を受ける場所だと思います・・\(◎o◎)/!

雨が止まなくて・・しっとりとずっと降り続いていている薄暗い浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/14(Thu)
太陽は追われて消える様に雲が多かったからでしょうか?日差しの中では“春?”

を感じつつ翳ると冷たい北風が置き去りを決めるから・・体感的には寒い1日に

なってしまった・・(-.-)  期待と不安は思い通りにいかないものですねぇ!

暖かそうだったので日用品の買い出しへ電車に乗ったが、誰もが考える事は同様

らしく大勢が乗っていて座れなかった。尤も1駅だから大したことはないのだが

座れないことは珍しくそして、思ったほど暖気ではなかったのです・・(+_+)

洗剤や調味料の買物だったから、リュックがどんどん重くなって、電車を降りて

果物やに寄り蜜柑を1袋買ったらずっしりと肩に食い込んできた。

「いやはや!歳です」を感じていた。たった、往復2時間なのに・・がっかり!!

今日は一寸したハプニングがありました。出かける駅での事なのですが・・!(^^)!

駅の階段で若い女性が高い踵のブーツを履いていたのですが・・引っかけたのか?

その瞬間は見ていなかったのですが、思いきりつんのめって階段を踏み外し転んだ

様で、バッグの中身は散乱して、現代的なファッションをしていた綺麗な人だった

のに数段落ちたのでしょう・・起き上がれない様子。ホームには今電車が発車した

ばかりだったから・・誰もいなくて。慌てて駆けおり「大丈夫?立てますか?」と

聞いたのだけれど・・くしゃくしゃの顔で泣いているのです。私1人ではどうして

いいか解らないから・・また階段を駆け上がる元気もなくて大声で駅員を呼んだ!

{聞こえたのでしょう1人の男性が走って来てくれた}救急車を呼んでいた。簡単

な事なのに吃驚してしまってその事さえも忘れていたし、よく考えたら非常ベルも

後に有ったのですが・・一瞬の出来事で初めての経験だったからうろたえていた気

がします・・(^_^;)駅員の人に自分が解っている範囲を話していたら、電車が来た

ので・・お願いして電車に乗った・・多分骨折はしていないと思うけれど、捻挫は

したかも知れない・・それに3つ位の階段を落下した様だからきっと大した事はない

だろう何て思っていました。帰路、駅員の人に「怪我をした人は大丈夫でしたか?」

と尋ねた「あーあの時の人ですね。軽い捻挫で打ち身が少しあるようでしたが元気

で、家族の人が車で迎えに来て帰ったそうです」って言われて安心しました。

案外、目の前で事故などが起きると対処できないものですねぇ・・(@_@。 緊張も

するし咄嗟の判断も即には出来ないことも老いと重ねて自覚した気がしました!

それでも外出すると矢張り眠れる様であんな現場に遭遇したせいで神経が異常反応

したのでしょうか?夜は早く眠れました・・こんな私でも若い頃は高いヒールでの

ファッションでしたから・・でも、今の女性は失礼ながら歩き方が少し変?な気が

していましたずっと・・ヒールが高いと前屈みになり易く膝が伸びないから歩行の

形が変になるのですが・・姿勢も悪く膝が曲がっているからヒールとのバランスが

悪い様に見えていました・・「まーええ格好言ってますが・・<(__)>」 しかし

高いヒールを履く時はコツが有って、昔はそう言う事は自然と習っていたものです

が今は誰も言わないし、歩き方も注意しないのだと思ったもので・・うふふふふふ

お気を悪くされたら許して下さいね・・m(__)m <婆さんの繰り言です>

※眉間に赤あざ

時折、吃驚する位若くて美形の女性に出会う事があって・・すっぴんで綺麗な女性

だと思い見とれる場合があります。若さとはそれだけでも美しく、日本人以外でも

それは変わらずですが・・(#^.^#)

或る日、可愛い女性の眉間に赤あざがあるのを見つけたのです。最初は「どうした

のかしら?」なんて思って{見てはいけないもの見た感じがして慌てて眼を逸らし

たのです}が、数日後も全く違う女性が同じ場所に眉間に赤あざを作っているのを

見てしまったのです。家に入りベランダでレース編みをしていたら斜め前のカフェ

と言っても低いポリのお風呂椅子に座ってコーヒーや冷たい飲物を出している露店

で女性客が目に止った。店の女性がその客としきりに大声で喋っている様子は何時

もと何の変哲もなくてボゥーと見ていました。 すると突然に片方の女性が相手の

女性の眉間を引っ張っているのです。何度も何度も・・???

されている女性はされるままで平然としていました。大体数分だったと思いますが

私にはさっぱり事情が呑み込めなくて、その上目が悪いからただ引っ張っていると

しか映らなかった・・凄く不思議でした「何だったのかしら?」と疑問でした!

それから数日経て、近くのスーパーへ小さいのでコンビニ的な店でしたが偶然にも

額に赤あざのある女性に出会いました。「あーこれはもしかして?」と思ったので

店の女性と少し仲良くなって、挨拶やらほんの少しだけ会話をしていた人がレジに

いたから「彼女のあれは何?」って聞きました。すると「頭痛が酷くなると、眉間

を引っ張って痛みを抑える」という返事でした・・「なーんだ、そうなのか?日本

でも、昔は梅干しを張ったりをTVなどで見たこともあり、湿布を貼っている人など

もあると思いだし、ベトナムでは眉間を引っ張って痛みを和らげる手法なのだと気

がついたのです。 見ていた時はそれ程とは思わなかったのですが、結構、赤黒く

なっていていました。成程、あの赤あざは頭痛の民間治療だったのだと教えられて

凄く納得したものです・・(*^_^*)

ベトナム人は頭痛程度では病院へも行かないし、薬も余程で無いと飲まないことを

後日になって聞かされた・・「ふーん、日本だったら、直ぐ病院へ行くか頭痛薬等

を飲んだりするのに」・・国によって違うんだとそんな事を考えていました。

それが未だこの国に来て数ヶ月で前後も何も見えない頃の話です。

実は私は頭痛は殆ど経験の無い人で頭痛の辛さは恐縮ながら理解できない人でした。

所が、ベトナムに来て汚濁された空気と粉塵が舞い上がる生活が数ヶ月続いて、又

本を読む機会が多くなったからかも知れませんが珍しく頭が痛く、目から来ている

感じでしたが・・「一丁やってみるか?」など思いまして・・きゃははははは

眉間を何度も引っ張ってみました。引っ張る程度も解ってないし、どうするかさえ

も知らぬままで揉んでいました。ちゃんとやり方はあるのでしょうが知らないのに

やっているとまたたく間に赤あざが出来てきましたが・・(・_・;)

  ”「あーこれで少し楽になるのだろう」と思い込んでいました”

所が、そうはいかなかった・・(@_@;) 全く痛みなど取れなくて、日本人はこの

国の人に比べると色も白い方ですし赤あざが目立って奇妙な顔になってしまい・・

外出時は帽子で隠していましたが・・それは数日間続き中々消えなくて困りました!

やり方が間違っていたのかも知れませんが何でもしてみたい私・・ひゃははははは

楽しい思い出になっていますが「馬鹿じゃないの?」って突っ込まれそうですがー

ま、その程度の脳細胞の持主ですから・・うふふふふふ〚やりそうでしょう・・〛

とに角、何もかもが物珍しくて食する事も何かをする事も気になって仕方なかった

頃でした。ベトナム人に対しては何も見逃さないなんて思っていた時期でしたから

愚かな事も沢山して散々、失敗や反感をかっていました・・きゃははははは

普通の感性の持主ならそんな事を真似たりなんてしないだろうし、行動までは?

    *矢張り変人なのでしょうか?・・ふふふふふ*

割合いに冷えた感覚がなくて、早寝と熟睡で5時前には目覚め快適でした。ゴミを

持って出て洗濯物を沢山干した。早朝から陽光が輝いていたからで、6時には全部

終えていました。心なしか春が近い気がして明るく感じた浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/13(Wed)
「うひょ!昨日は本当に寒かった!!」早く春の暖かさに縋りつきたい思いを身体

中に抱きながら・・底冷えする床に敷き物の上に小さな座布団を2枚重ねひざ掛け

も2枚掛けながら・・最近の日課になっている写経をしておりました。

横にストーブを置いていたのですが・・1部分だけが熱くなるから遠近に移動させ

たり全く精神統一など出来る訳もなく、数行書いては手を温めるを繰り返しては

熱くなったストーブを移動させると言う有り体でした。

 *「やれやれ・・集中力なんてさっぱり」・・ひゃははははは*

{ま、それでも毎日書いていると、少しは慣れて同じ字が多いから興味は半減して

いるが昔、何度か書いていた頃の字体に少しは戻って来ているのではないかな?}

なーんて誰も言ってくれる人がいないから自分で評しています・・うふふふふ

容赦のない叱責で習っていた頃に比べたら余りにも自分流になり個性が表出して

今の字体は変化しすぎて読めなくなっている。「これは曇りガラスから覗いてる

感覚だわ!」達筆過ぎて・・悪筆過ぎる・・きゃははははは

ずっと、言われて来たから、日本に帰国したらまた始めようと思っていた事です。

も、殆どの書道関係の書物や筆、墨など廃棄処分してしまって・・手元には数冊

の手本しかない。何でも捨ててしまって、身軽だけれど、夢が濡れて泣いている

感覚でしょうか?・・( ^^) 誰も知らないから幽かに残っている物を必死になり

探している・・若かった頃は血潮に燃え人よりも何倍も練習したことも展覧会へ

出品したり、教えていた事など・・遥かな遠い過去になって・・も、欠片さえも

ありませんが・・薄れて揺らぐ心をほんの少しだけ焦らされるように思い出して

いるのかも知れません・・はははははは {よき時代だったのです・・( ^^)}

その頃は目の前に、幾筋の道が広がっていて交差したり曲折したりしていたもの

でしたが現在はたった1本の道だけになってしまったが、これもかなり素敵なこと

のように思えるのです・・(*^^)v 《なぜなら、選ぶ必要も迷うこともない》

も、選択する方法も悩むこともなく1本道をただ歩けば辿りつく場所があるなんて

仕合せだと思います。だから<老いる事も決して思うほどに悪くはないのではない

かしら?>そう思える日々です・・わははははは

※ベトナムの騒音と道路

以前にも書きましたが。この国の道路は本当に見ていて飽きない・・(@_@;)

とにもかくにも、目茶苦茶だと言い切れる気がします。尤も、昨年迄住んでいた頃

にはかなり整備され、バスレーンも出来ていましたし、高速道路も出来て車も増加

嘗てほどの雑然たる様相とはまた少し違っていましたが・・しかし、国民の本質が

殆ど変化していないから。整然と走っている車などは先ず有り得ないと言えます。

これは見ていて凄く面白い・・(@_@。大型トラック、バス、乗用車、タクシーに

問題のバイクの数、自転車、リヤカー、シクロ等が常時通過しているのです。

又、信号でも待つことなどしない人が多いから[最近は幹線道路の交差点には警備

の為に交通の公安が指導している場所が数ヵ所出来ていた]その辺りに来ると一応

指導下に従って待っているがそこを通過するとまた同様に、ぐちゃぐちゃに走って

いるのが通常の状況です。バスレーンも出来ていましたが・・先ず守られていなく

バスの前後をバイクや自転車、タクシーが割り込むから結局は何も変化がない混雑

ぶりに「いいえ!、混乱状態が続いてしまうのがオチです」・・ふふふふふ

バスは車掌(男性)がドアーを開けて大声でバスレーンを主張するけれど、誰1人

として言う事など聞かない自己中心主義な人ばかりだからです。センターラインも

有って無いのと同じでルールはあるのですが・・自分を優先して行動する国民性が

抜けないのだと何時だって興味津々で見ていました・・(#^.^#)

も、大型車のクラクションは騒音の数値をはるかに越えているし、威嚇するように

長く巨大な音響を鳴らし続ける・・除けるまで鳴り響かせるから・・猛烈です!

タクシーを自転車が追い抜いたり、のろのろ走っている乗用車も多いからそれらを

バイクがどんどん抜いて突っ走るし、シクロが大きな荷物を持ってゆっくり走って

いても急がせるように警笛は鳴らすようだがその様子を見て、後続に回る車なども

有ります。思いやりもあるのでしょうが・・そう言う人ばかりではなく、自分さえ

良ければ的な人の方が多いから見ていて飽きないのです・・(@_@。

まあ好き勝手に走りだしたり突然、急ブレーキがかけられ停止するバイクもいます。

「何か?あったのかしら?」なんて見ているとバッグの中から鏡と櫛を取り出して

ヘルメットを脱ぎ髪の毛を梳いている男性がいたりして吃驚するのです。これらの

行動をする人は流石にど真ん中は走ってはいませんが・・それでも後続車は驚きを

隠せない様子で睨みつけていたりの光景は何度も見たことがあります・・(-_-)

2列並列でお喋りしながら、何かを食べているバイクなどは相手から食べ物を貰い

それを食べながら走っていたりも間々あります。 急に何かを思い出したように

Uターンして逆行するバイクもあって、その間を器用にぬう様に走り去って行く

とか?交差点が混んでいると歩道に乗り上げて走りだしたり、ショートカットは

何処にでもある様で、路地からとか横道から唐突に出てくるバイクには冷や汗を

何度もかかされたものです。またそんな複雑な道路を中断して渡る人も多くいる

のも事実です。数回軽い接触の経験があります。横断歩道のない場所や横道から

出てきたバイクとの接触は毎日誰かが体験している。何時も書きますがスピード

はそれほど出していないから怪我をすることは稀ですが。当たるわけだから痣が

出来たり、相手が悪いのに怒られたりする時もあった・・でも、最初の頃はその

混雑や騒音に圧倒されて何も言えなかったけれど・・これもまた馴らされて行き

接触されたら「痛い!」と大声で何度か言ってました・・きゃはははは

青痣が赤く、黒くなって何日も消えないことも有りましたが・・ここは日本では

無いのだから・・仕方ないと呟いていたのも現実でした。自転車を買ってあげる

と何度か言われたけれど・・とてもとても恐怖感であの雑然とした複雑な道路の

の中を走る勇気がでませんでした。 数ヶ月で10回近いバイク同士の接触事故を

見ましたし、自分も経験して・・ルールはある様ですが個人的な感覚が重要なの

かも知れません・・!(^^)!

バイクもちんたらちんたら走るのもいればも、何が何でもすり抜けて走りたい人

も多くて本当に様々です。パッタリ道路が空く時間帯があってお昼前後は昼食を

食べに帰る人も多くいるし、その後はお昼寝タイムがあって2時近く迄はかなり

道路は通行し易く、流れが緩慢になります。 その後は夕方のラッシュアワーに

なると子供の迎えや会社帰り(因みに残業はない)の人々のバイクや車で物凄い

渋滞になって、道路はまた、クラクションのオンパレードに様変わりします。

どうして大型車やバスはあんなに長いクラクションを鳴り響かせるのか?とに角

目の前にあるバイクや小さいものは邪魔だと言わんばかりに鳴らすからその騒音

は異常と言えると思います。狭い道路にバイクが沢山並んで停止している場所も

あるし、駐車違反もあるのですが、誰かが置くとそこは駐車場に早変わりする様

です・・これもまた不思議な光景でしたねぇ・・(-.-)

突如、道路が狭くなっている処もあってもうそこはバイク連はバイク同士が身体

を触れ合う位で走っている姿を見かける。前から来ていないと解ると一斉に追い

抜き体制に掛るという凄さも何度も見せつけられたり、前から来ていても気にも

止めないで抜いていくバイクもあります。そこまで急がなくてもと思うのですが

対向車と「あわや?」的現場は数回見て、目を瞑った事もあります。

自己中心だから相手に対し「俺が先に行くからどけろ!」的な横柄な態度の人も

数多います。 センターラインを踏み越えて行く車やバイクばかりで驚かされて

いましたがそれでも救急車の出動は殆どなくてそれが凄く不思議でした・・(^^ゞ

ごく稀にサイレンを鳴らしながら数台の高級車が通過する事がありますが。それは

公用車で、また有名人の来越だったりします。

これも以前に書きましたが・・車がバックする時の音楽といいますか?音も?日本

では想像できない面白いものがあります。最近はバイクや車の台頭が激しく画一的

になって来ていましたが昔は何でもありでしたから「バックします!」などは日本

らしくて好きなのですが、ベトナムではそれが「ハッピバースディ」の曲だったり

「ジングルベル」とか「教会の音楽」だったりして・・その曲でバックするなんて

凡そ想像さえも出来ませんでした・・思わず笑ってしまった事が何度もありました。

流石にジャズやクラシックはありませんでしたが・・それも慣れないとまさか車が

バックしてくる音楽など日本の常識では考えられないから初めての時は本当に驚愕

したものです・・(@_@;)慣れると愛嬌があってすっかり好きになりましたが・・

驚きの場面でもありました。騒音で1番酷いのはカラオケですが・・周囲の雑音が

大きいからそれ以上にと、我家にはカラオケの装備があることをアピールしたいと

言う気分があるのだと思います。見栄をはる国民ですから・・うふふふふ

未だ騒音の条例は聞いていませんので・・相変わらず音量は最大だし、数時間にも

及ぶと流石に苛ついていましたが、誕生日などには必ずそう言った催しとお酒の席

が用意されるのも常套手段でした。ま、賑やかで騒々しい道路であり騒音の国です。

今朝は昨晩の雨でかなり道路が濡れていますが・・天気は回復との事で一寸安心を

している浪速のです。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/12(Tue)
朝曇りの空を振り被っているのは冷気で寒さを感じています。昨晩は中途半端に

目覚めて眠れなくて12時1時と起きていました。偶にこんな事があります。

始めの頃は眠れない事に困惑したり、早く眠りたいとかを考えていたのですがー

最近は眠られない日はそのままベッドで色々な事を考え我身の影を追いかけては

楽しんでいると言う感じでしょうか?も、苛々したり、眠れないことに神経質に

ならないで放置していると数時間は夢心地で眠っているみたい・・ふふふふふ

電気を点灯させて本でも読もうとか思うと返って{眠り婆}が意地悪するみたい!

暑い時ならそれもいいですが・・寒いと本を持つ手が冷たくなって来るし夢中に

なっている事もあり・・逆効果なのです・・!(^^)!

※ベトナムで考えて刺激を受けた

還暦を迎えたころのベトナムでは随分考える時間に恵まれていました。当然周囲

との接触は全くないから、自分の枠内だけで生活が流れていたからで、様々な事

をごく普通の人が考えて当然の様な事を私は余り考えていなかったのです。愚か

で人より何かズレているようでしたから、多分、そんな時間が授与されたのだと

思っていましたが・・(;一_一)*それはとてつもない影響力を与えてくれた*

例えば老後を考える事などは典体的に抜けておりました。自分の心中では亡夫が

逝った年には迎えが来ると何処かで信じ込んでいたから老後なんて頭の片鱗にも

無かったのです。大抵の人はその年代までには老後を考え貯え、計画的な生き方

を決定している年だと言えます。老後は悠々自適で楽しく旅行したり、余裕ある

生活を守るために準備するのが普通の思考だと思います。けれど恥ずかしい事に

自分の老後は全く範疇になかったのが本音でした・・(-"-)

何1つも考えて来なかった。友人から今でも頭の中を離れないのですが「老後とは

早い人で30代後半から50代までには確立した考えを持ち、貯蓄も2000万位は必要

なのよ!えー何も考えてないの?これから先どうするの?」と上から目線の言葉に

酷く傷つきました。その事を聞かされて漸く目覚めたと言いますか?そんな状態で

生きていたのです。何とかしなければいけないとアタフタしていましたねぇ。

今更、そんな事考えられなくて《老後?貯金?》どうしたらいいの?などなどを

随分真剣に悩んだり「どうすればいいのか?」ばかり考えていた時期があった!

突然迫ってきた老いに加えてそれを受諾する時間も重なって一寸迷い道に嵌った

感じの時期でもあったのです・・(・_・;)

でも、結論何て何もないし出せなかった・・所詮、持っていないのだし、この歳

で大金を掴む事など想定外(宝くじ)にでも当る感覚でした・・あははははは

そこで、与えられているものだけで暮らせる事を考え可能な限り、減らさない事

しか無いのだと気がついたのです・・それも{この年齢で理解できた程度の頭脳

です}・・いかに通常の人達の考えから外れているかを解って頂けると思います。

とに角利口でもないし計画性もない、亡夫から与えられていた大金も感謝だけで

それを蓄えるなど想像もしてこなかった・・それ程に間が抜けていた人です。

弁解すれば死別という突然の不運に立ち治る時間がかかり過ぎた事や、会社の後

始末などで羽が生えた様にお金は消えて行った事もありますが・・きゃはははは

暢気でボウッとしていたのだと思います。無能な者にとってはそんな事まで考え

が及ばなかった部分がいっぱいあり、亡夫の死だけに心がありました・・(-.-)

現実は厳しく、悲しい迄にも悲惨な状態に変化しました。それでもそれらを受諾

し、受容して生きて行かねば私の前の道は完全消滅していましたから必死だった

かも知れません・・人様からみたら何と馬鹿で頼りなく惨めな生活者に一変した

と映っていたと思います。(それなのに老後なども考えられなかったのです)

それでも、その事は自分の心で身体で受け止めて生きなければならず道を探さね

ばなりませんでした。泣いて答えが出る訳でもなく、悲しんでいる間もなく現実

は進行していましたから・・( ^^)少しづつ前を向いて歩いていた感じでした。

そう思って見ると【生きる事って何?】という疑問が唐突に噴出して来て、異国

にいるこの機会を上手く利用して真面目に生きる道を考えようとそう思っていた。

ごく当然のように計画を立て生きてきた人々から言われると・・頭を垂れる以外

回答は無かったんです。懸命に生きてきた気持ちはありました。贅沢も沢山した

けれど幸福な生活と2人の子供の成長があって支えられていた事実があったこと

だけでしかなかったけれど・・それさえ私には素晴らしい人生だったとそう感じ

ていたのです・・(#^.^#)

老後の準備ができなかったことをそれ程責められ、怠慢だと言われた言葉に対し

何の反論もできなかったあの口惜しさを時々は思い出しますが・・今は能天気に

人生なんて「何とかなるし、お金がなくても十分。生きる術はあること、皆無は

困るけれど、毎日食べられるその事だけでベトナムに住んでいた成果はあったと

今はそう思えます。大勢の貧困者の中に混ざって生きてきた数年間は私の思考を

根底からひっくり返す程に強烈な面前の現実でした・・(--〆)

それはまるで愚かな私に見せつけるようなそんな暮らしが拡大していましたから

日本人の考えや常識などはぶっ飛んで、どんな生き方をしていても人間は逞しく

今を生きられる事を知らされて{老後?お金?}に対する価値観や物の見方など

全てが瓦解されて行きました・・!(^^)!そんなことがベトナムの国の成長と同時

に私の心の中で揺れ惑っておりました。【人間とは頼もしく、いざとなった時の

生きる能力の凄さを見せてくれたものです】それは何よりも私には嬉しく感動を

齎しました・・(@_@;)

一生懸命生きても私より貧しく日々の生活をする事だけに奔走している庶民生活は

どんな言葉より逞しく、病気でもなく事件に巻き込まれている事もない現実の中で

私はどれほど幸せである事か?を思い知らされていました。不公平で不条理なこの

国の人達の暮らしはそれでも何時も明るく楽しくプライド高く生きていました。

毎日、目前で繰り広げられる生業・・現実の厳しさ、理不尽な生き方をさせられて

いるこの国の人には〚未来〛という大きな波が迫っていました。{何もなくても今

は貧しさから逃れられない現実の前でも明日を信じて生きていた}その事は確実に

実在していました。決定されている営みの中でも殆どの人に凄く活気がありました。

〖どのように生きても朝の来ない日はなく、暮れない夜はない〗ことをこの国の人

は確りと理解して生きていた気がしておりました・・(*^。^*)

子どもの成長も家族だけではなく社会が育てていたから行動を注意したり、諌める

事等も当然のようになっていました。将来は子供達がこの国を背負うことを大人達

は当然のように思っていて託していた部分が多々あり、また大人はそれを疑わずに

子供達を教育していた事を垣間見て胸が熱くなったものです・・(#^.^#)

貧困に喘いでいる時代でさえもこんな些細なことが大きく見えて、生きる事を教え

られていました。 何よりも心が豊かで子供も素直に他人からの言葉を受け入れて

いたし、順当な流れが滔々と流れ始めている感触を瑣末ながら感じておりました。

”この流れの中に切実に生きる事が脈打っている”そこには身内だけではなく社会

国家が蠢いている気配があり、社会や国家への愛情が零れる様に溢れていました。

『これが生きる事なのだ!老後なんて微細な事この流れはたゆたうばかりではなく

弛まない大波で油断の出来ない時期を流れている』ことを知らされていたのです。

激流ではないけれど確実に流れは逸っていましたから・・\(◎o◎)/!

国の流れの中には国民の巨大な≪愛≫がありました。半端ではない愛国心には国

を信じ託している姿が現世でした。社会に遍く広がって行く事を他国人としても

感じ取られ見事な程の巨大なパワーのある流れでした・・(@_@。

この時期を経験したものですから・・老後の計画性やお金などの思考は私の前を

通過していきました・・わはははははそして{どんな生き方をしても人間は自分

なりの自立した心根があれば生きられる}事を学びました。大勢の人達の中には

こんな愚者がいても決して邪魔にはならず立派な考えや資産がなくても生きる道

は必ずあるし、色々な人の考えで個々に生きればそれが幸せなのだと思いました。

   {多少の負け惜しみは否めませんが・・ひゃはははは}

日本のずっと昔を見ている感覚があって懐かしさと人情や家族の絆を見せてくれ

随分悩み考えていましたが・・それらの考えは呆気なく撃沈していきました。

回答や答えはないと思いました。どんな生き方をしてもお金がなくても、何処で

”死”が訪れても”呆け”が始まっても今を存分に生きていこうと思いました!

何とか残りの人生を楽しく手元不如意でも生きられると言う自信をベトナムから

頂戴した気分でした・・うふふふふ  これはこれからの私の人生を大きく左右

させましたし・・多少なりとも自負が生まれた事実でもあります・・( ^)o(^ )

この国と遭遇しこの国で暮らせたからこんな不埒な考えになったのかも知れない

けれど・・(-_-)この国の人々の〔生きざま〕は正に壮絶でしたから・・かなり

の刺激と影響を受けた気がします。だから今があるのだと思いますし、些細な事

では嘆かなくなったし迷わなくなって、傲慢ですが【生きる事とはそう言うこと】

何て考えているのが現況です。それが正しいとか?確実な生き方ではないでしょう

でも私には私しか生きられない道があることも実際のことだから・・ははははは

「ま、どういう風に流され踏ん張って堰き止められて生きていけるか?」は今後の

人生に任せるより仕方ないといい加減さが出て来ています・・わははははは 

それだけでも愚かな私の頭脳には反応を示したのですから・・(*^^)v 有り難い!

今朝は冷え込みました。玄関を開けたら冷たい空気が瞬間に流れ込み慌てて閉めた

浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/11(Mon)
数えきれない年月を躊躇いながらも突っぱして来た人生ですが・・そろそろ休憩の

時間に入った様です・・(*^_^*)幸にして自分流のサイクルが身体を包み、毎日

それ程大きな事件も心を振動させる事もなく・・こんなにも凡々と暮らせる日々が

与えられている現実に本当に心から感謝しています・・m(__)m

何処のご家庭でも悩みや苦しみは多々あって、表面化していないだけで何かを考え

傷ついて生きているのが正直な心音だと思います。それでも生きる事を止めるわけ

にはいかないし・・かといってそこから逃避するだけの勇気や努力が不足している

場合も多く、何らかの悩みや不満の中で暮らして行かねばならないのが・・人の世

の常だと最近になってしみじみ感じている・・あはははは{かなりの愚鈍さです}

置き去りにして来た多くの出来事も季節が移ろう事で、はたまた時間という流動

的な大波動に侵略されて忘却したり、忙殺されて、その事を取り上げる暇もなくて

過去へと流れてしまう事が余りにも多く・・何を悩み苦しんでいたのか?それさえ

忘れてしまう事が上手になった・・うふふふふ そんな図太さと羞恥の無さに心の

中では葛藤があった筈なのに「も、どうでもいいや!」とか「何とかやり過ごして

しまえ!」的な考えに回路は急回転し始めている気がしてなりません・・(-.-)

本来ならそこで佇んで「しっかり考え、また、解決策を検討し探し、真剣に生きる

術や道を探索するのが人間としての向上に繋がる気概がするのですが・・も、そう

やって生きる事に疲弊し、困憊したのだと思います・・(-_-メ)

ベトナムという国で数年全く異質の思考の中で生きた時間がそうさせたのか判断は

不可能ですが、あまり真剣に物事を深慮する事に疲れてしまった部分と、あの国で

暮らした陽気で明日の事より今日を生きる事だけで大丈夫みたいな、そんな生き方

が身についたのかも知れません・・ははははは お気楽で自由で孤独だけれど今が

何時だって幸福だと思えるように変わってきました。凄く元気になったし、思考し

ない分、負担が少なくて『これは年齢的な事も加味して』好き勝手ができる環境を

子供達から貰っているのだと思いますが。何よりも今が仕合せと思えるこの頃です。

子供達が苦労していたり、大変な悩みを抱えている現実だと思いますが・・私には

も、出来る事は殆どなくて、手を差し伸べる事で解決できることではないから・・

本人が悩み苦しみ回答を出さねばならないので有って・・それを陰ながら心だけを

支えていると言う状況でしょうか?以前の私は何が何でも子供の為に必死でしたが

その時期は過去に埋没させました。すると、凄く心が落ち着いたし、楽になった!

そうする事で肩の荷持が軽くなったし自分だけの道を生きていけるから、健康面に

も影響している気がします・・( ^^) あくまでも個人的感想ですが・・ふふふふふ

さてベトナムは昨日は元旦でした。そこでベトナムの【テト】をも、少しだけ詳細

に説明させて頂きます・・興味はないかも知れませんが・・あははははは

※【ベトナム・テト】

【テト】の本来の意味は亡くなった先祖や祖父母を懐古し、家族の絆を強める時で

あり、先祖に敬意を表し墓参する。その時健康と幸福、幸運を祈るのが決まり事

になっていて、これが【テト】本来の意味なのです・・( ^^)

また、大晦日の夜は親族が集い新年が来る時間を待ち、神様へのお供え物を一杯

テーブルの上に並べ供えるのも常識で、テーブルの上には蠟燭が灯されます。

家族たちはその前に集まって過ぎてゆく年と新年を祝うのです。その時には家族

の健康と、幸運を祈る事がセレモニーとなり1年で最大の重要な行事なのです。

【テトの元旦】の日に最初に訪れる人によって新しい年の運が決まるとも言われ

ています。よく笑う人や親しい人の訪問は喜ばれ、暗い顔の人が来るとその年は

悪い年になるとも言われ、今でもそれらは信じられています・・(・_・;)

又、家長の干支と訪れた人の干支の相性も大切な要素だとも言われています。

【テト】は休養と遊びの時間とも言われ、国民は代々そのように育ってきている

から以前は店など殆ど閉まっていてなかなか開店しなく観光客は面白くない時期

でしたが・・最近はすっかり変わりました・・(*_*)

案外知られていないのが【テト】の3ヶ日は掃除、洗濯、アイロンがけはしては

いけないと言われています。掃除して出たゴミは”お金”と考えるらしくこれを

捨てると1年中”お金”が出ていくと考えられているからです。服装も決まりが

有る様で、これも最近は余り煩く言わなくなった様ですが・・≪上下白は厳禁≫

場所によっては≪黒も忌み嫌う≫場合があります。白装束も黒も葬儀を意味する

からで不吉だと信じられています。

大晦日は家族にとってとても大切な日です。【ベトナム・テト】を語る時に外せ

ないのが大晦日で【テト】前の準備期間として特別な日になります。【テト】を

迎えるために家族総出で準備しなければならないからで〚掃除から花を飾ること

料理、蓄えておくための食材の買い出し、ペンキ塗り、洋服を新調する〛などが

挙げられています。夜には食事をしながら来年の抱負などを語る時間でもあって

【テト】より多忙で、家族の心が1つになるのが習慣でもあると言われています。

日本の様にお年玉もあり、これは訪ねて行く家族全員に渡す習わしで、私などは

息子とともに何時も大金を用意したものです。相手側からは全く誰もくれません

がそう言うしきたりだから・・仕方なく、何もする事がない日本人には【テト】

は余り嬉しいものではありません・・きゃははははは

最後に今年のホーチミンでの新年の夜明けには花火が8か所で上がったと言い

賑やかだったそうです。  (ベトナムクラブより参照)

連休なので割合静かですが、昨夕は、家の斜め前に救急車が停まり老人が運ばれて

行き一寸吃驚しました。音が大きいので近くだと思ったのですが前の家でした!

昨日ほど寒くは無かったですが・・それでも冷気が身に染みる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へへ・・・(混乱記)
2013/02/10(Sun)
心底から冷えが襲ってくる感じの朝の目覚めで、珍しく寒さを感じベッドから起き

るのを一瞬躊躇った・・( ^^) 早速、玄関を開けてみた所矢張り道路こそ解けて

残雪は無かったのですが、畑は白く覆われていました。 雲が、霙を雪を運んだの

でしょう・・!(^^)!暫く暖かい日が続いたので寒さを思いきり想起させてくれた。

札幌では積雪の中に人生の重荷とか苦痛、寂寞感を降ろして何度も雪の中に埋めて

放置させて生きてきた・・そんな事を思い出していました。主人を亡くして数年間

色々整理があって何年間は住んだ家を手放した。 その家が以前買って下さった人

から、最近、陶芸家の方が購入されたと言う新しいニュースを知り、驚きとともに

美しくなった外観をPCで見て驚きと幸せを感じておりました・・(*^_^*)

帰札の時は新千歳から列車を利用すると昔の我家が見えて「あー未だ存在する事に

一種の感慨があって、周囲とは違った特別な色合いの家だったから・・見間違う事

なく見えていた」それが少し嬉しかったのですが、娘から連絡があり壁も真っ白で

いい感じに変化している事やPC上に掲載されている事を教えられて・・(@_@;)

昔の我家を見た所だったのでこんな偶然と言いますか?不思議な事に既に、我家で

はないのに・・こんな形で残されている事を有り難いと思いました。亡夫はきっと

喜んでいる気がしました・・(#^.^#)  過去の面影に過ぎないけれど、何処かで

繋がっているような錯覚を覚えて暫くは幸せな時間でした・・うふふふふ

札幌では2軒家を建てましたが・・いい時代だった思い出しか残存していない。

でも、そこには私たち家族の生活があり、そこで生きていた証を見る事ができるー

そんな複雑な感情と幸せだった時間がこんな形で巡ってくるなんて・・夢想だにし

ていなかったから凄く人生の不可思議さと妙な因縁と縁を感じました・・(@_@;)

   ”個人的には心に受けたインパクトは大きかったです・・ふふふふふ”

※ベトナムのお正月

昨夜は大晦日で今日は【テト】お正月です。どんな風に迎えたのでしょうか?

大晦日午前零時の夜明けは、丁度、新年を迎える時間はドォーン、ドォーンと猛烈

な音が響き、サイゴン川から瞬時に花火が鳴ります。花開くような花火ではなく音

だけの花火でしたが・・現在は花火も変化したと思います。生憎、4年前はかなり

サイゴン川から離れた区に住んでいたので見る事はできませんでした。実際の風景

は見ていないのです・・<(__)> 初めての【テト】は音だけだった気がします。

最初の数年間は丁度、裏手が川だったので・・その音の大きさときっかり15分と

決められて鳴らされる花火に脅威を感じていました。そして、川に浮かんでいる船

から一斉に汽笛が鳴り響き新年を迎えた合図がされていました・・(*^^)v

真夜中のことですから私は何時も眠っていてその音で起こされると言う状況でした!

だから音とともに、ビールを取り出し1人で乾杯して新年を祝っていました。最も

旧正月ですから・・その上、長年{澱}のように溜っている日本のお正月を終えて

いるから然程の感慨もなく、ただ物珍しさだけで祝っていたみたい・・あはははは

〖突然です!〗けたたましい轟音が鳴り響き道路をバイクが強烈な勢いで走りだす

光景を見せるのです・・もう周囲は何も見えない位の勢いで競争する様に走ります。

それは疾風のように風を切り号音のように走り去る・・\(◎o◎)/!

「我先に・・」と言わんばかりに初詣にお寺に急ぐバイク連なのです。もう恐怖を

感じました・・(;一_一) 何処から湧き上がってきたのかと思うほどのバイクと

人の群れ・・その洪水の様な流れは殆ど小1時間は続き・・何かに憑かれたかの様

にその集団は大きな流れを作り一目散に脇目も振らずに突っ走って行きます。

普段のノロノロ運転が嘘のようにお喋りもなく無言で走行する姿に圧倒されていた

ものです・・(@_@。真正面から見ていたらそれは狂態で恐怖も大だったと思いつつ

通過するのをベランダから眺めていました・・一方通行だけだから反対車線からは

来ない事が解っているので、道路いっぱいに抜きつ抜かれつの様は競技を見ている

感覚がありました。数年、毎年ずっと見ていました。1番興味があったからです!

逞しさとその威力、若者の熱気はこの時とばかりに競い合う心は中年小母さんの心

にも入り込んで来ていましたし、凄まじい底力は恐ろしさを感じていた・・(-_-;)

信仰深いこの国の人々らしいと何度もそう感じておりました。 お寺周辺は屋台や

露店が沢山出ていて、そこだけは丸で昼間の様に煌々と電灯が灯もり極彩色の寺は

真赤なランタンや提灯、お飾り、金色の花飾りで飾られイルミネーションも凄い。

お供えの花≪大きな蓮の蕾≫や線香(日本とは異なり30㌢位はある)などが軒を

並べて売っている。勿論、食事もできるし、屋台ではフォーもご飯も何でもありの

店は道路沿いに並列するからその周辺は本当に明るさと人々で混雑し溢れていた。 

何度もお参りして帰宅する人やバイクを並べる人もその大勢を捌くのに汗だく状態

でした。何処の寺でも殆どすべてがそう言った様子でした。

また、この時期だけの裏路地にある寺にも人が屯するからあちこちで日頃はみた事

もない寺が大繁盛し、そのゆるぎない信仰はベトナム人の心奥に深く深く刻まれて

いる事を確実に教えてくれる【テト】の大きな行事です。

最近は大きな公園に花市が開かれたり、イベントが沢山出来ています。幹線道路や

観光地では日本など及ばない色彩のイルミネーションが道路を華やかに彩りホテル

やデパートなどの飾り付けも素晴らしく、凝っているものがあり街中は嘘のように

美観地区となります・・(^-^)地方から出てきた人たちや外国人たちは今まで

【テト】では休む店が多くて寂しい観光でしたが今は全く様相が変貌して賑やかで

素敵な【テト】風景を見る事が可能になっています。 日本の様に花の好きな国民

ですから、それも金に纏わる話が多く黄色の花々が玄関先に揃えて並べてあるのも

門松的要素が似ていて、面白いです。大抵は黄色の菊かマリーゴールドなどですが

それに紙のお金や金色のものを吊り下げたり、真赤だったりしますが・・何処の国

でも色々と面白いものです。北部では梅の花が第1ですが・・ホーチミンではそれ

程気にしなくて・・他の花が多いですし盆栽も結構有名です。

パワーが凄く底力のある国をアピールしてくれる【テト】はベトナムにとって最大

のお祭りであり大きな習慣です。この為に働きこの日の為に家族を守っているのが

この国の【テト】で、帰国する人や帰省する人達で大移動があるのもこの時期です。

寒かった朝ですが陽光が眩しくなってきた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/09(Sat)
{老化にも突破口あり冬銀河}今、ふっと出てきた俳句です。時々目覚めると思い

だしたように幾つか句が出来る日があるんです・・勿論、4年以上も離れているし

推敲したり考えたりは全くなく・・自然に脳裏に浮かぶ事が私は多いのですが・・

恥しげもなく書くと言う厚顔さに自分でも呆れていますが・・あははははは

何時も私は、洗濯をしない日は6時にはPCに座って書きだすのですが、朝の気分

次第で成り行きで思った事を書いていくスタイルで・・(-.-)下調べも勉強も何も

しないアバウトな人で・・書きだす時も何も考えていない有様です・・(@_@;)

だからその瞬間に思った事を書いているから、懸命に調べたり研究している方の

ブログを拝見すると「も、脱帽して・・拙い文章で恐縮です・・ご免なさい」と

その事のみが申し訳なく、心を痛めています・・m(__)m。

ベトナムの記事は日記を書いていたので、思い出して書いていますが冒頭の文章

は何時だってその朝の調子で書いています。何度か読み直しをするのですが・・

自分でも本当に”うざい文章”で執拗だと思う日の方が多いですねぇ・・(><)

慾が深いのでしょう・・次々と浮かんでくる文章を書き散らかしている塩梅です

から、真面目に真摯に書いておられる方には恥ずかしさで一杯になる時があって

申し訳ないと思っています・・<(__)>

長く書いていると、それなりに思考回路や頭脳の働きも敏感になるのでしょうが

どうもその点でもかなり劣悪なのでしょうし、一向に成長していない自分を見て

いますが、ま、余り真剣に考えて(最も考える頭はないけれど)・・うふふふふ

書き綴る程の能力や知性がないからこればかりはどうしようもないと思っていて

ま、元気で書ける間は書いていこうかなぁ・・程度で枯渇するのも目前の様な気

もしていますが・・ま、その時にはその時点で考える事にします・・( ^^)

※スーパーマーケット

来越した頃はホーチミンに大きな流れが来ていて、スーパーも大型店が続々と進出

を始めていた時期でした。たぶん殆ど日本と変化はないほどの大型店でした。土地

もありますし、天井も高いから日本よりもかなり広々とした感触を受けていたもの

です。ただ中の商品が矢張り{箱物が大きいから}中身が貧弱で、未だ輸入製品が

それ程多くは無かった。日本製品は勿論のこと、米、仏、英国などの商品もあった

のですが、未だ未だ庶民がスーパーへ行く事に慣れていなかったし、輸入品は凄く

高価でした。とても手がでないから、化粧品や、お酒類は見ているだけ状態。

それでもあちこちに国営で、スーパーやデパートが建ち始めていて、新し物好きな

国民ですから・・恐る恐るの感じで段々と人が増えて来てデパートにもベトナム人

が買物する姿が見えてきていました。大抵は外国人が多く、当初は見知らぬ品を見

る感覚でした・・どうしても市場で安価で大量に購入できる生活から一変する事に

抵抗があったのだと思います・・(-_-メ)庶民生活も富裕層も市場で買う事が自然

の生活で暮らしが支えられていたからです。それが段々と変化して行きました!

4年前に行った時はもうスーパーはベトナム人だらけで、バイク置き場がないほど

又、自家用車の駐車場も満杯になる程の変貌ぶりでした・・\(◎o◎)/!

スーパーへ行かないベトナム人はも、誰もいない程になっていましたから・・迅速

に流れに乗ったと言うのでしょうか?でも市場も健在で私はどちらかと言えば対面

式の市場が好きでしたが(吹っかけられても)・・あははははは

和食を作るのには大変でした。全てがベトナム製品よりも割高で購入できない位で

殆どベトナム料理とも和食ともどっちともつかない料理を作っていました・・(-.-)

材料も調味料も全てベトナム食材でした。そして作るものは和食ですから想像して

頂いても変な味だと思われていたと思うのですが・・何せ、香草が好きでしたから

様々なベトナム材料に香草が混じって複雑な味だったと思います・・わははははは

それも慣れでした。他人に食べさせる機会は殆どなかったから、自分勝手に調理を

していましたから、野菜中心でも美味しく頂いていました・・(*^_^*)

さて、スーパーのお菓子売り場では面白い現象がありました。日本で見た事のある

スナック菓子がやたら有った事で・・(@_@;)全くのコピーでした。製品は中国製

が1番多く、ベトナム製が次位でした。例えば日本の[えびせん]等は名前が愉快

で「おいしい」なんて日本語で書かれてあったり、クラッカーなどは日本製かもと

思って裏を見ると、ベトナム語、中国語、英語が書いてあって何処の商品だか理解

出来ないほどびっしり文字が並んでいたので苦笑いしたものです・・!(^^)!

ピーナッツ、カシューナッツは自国の生産だからとっても美味しかったですし色々

な種類が豊富に出ていましたからお土産に随分買ったものです。 ま、吃驚する程

多量の数があって、色々な国から入って来ていました。東南アジアが多かった!

*ハム類は以前にも書きました通り、バナナの皮で包んだ物が多く、日本で見る事

ができる種類は凄く高かった。でも安いのはサワ―ソーセージの様な品でサイズは

多々あって1口サイズのものから大きなブロックの様な物まであり、カット売りを

してくれていました。私は大抵小さくカットして貰っていた。魚肉のソーセージと

違って、肉だと思うのですが・・普通のハムやソーセージとも違う食感でした!

少し酸味があって、でも好きでよく買いました。最初は中身が分からなくバナナの

皮に包んであるから中身が不安で見当もつかず暫くは買えなかったのです。或る日

偶然半分にカットして貰っている人と隣同志になって、初めて中身を知ったと言う

のが事実で、それまでは包んだものは不思議で、興味があってどうしても気になり

買いたかったのですが、中身が判らないこととどう処理していいか判断もつかずに

いたんです・・(--〆)それからは包装されているものは手当たり次第買っていた

経験があります。色々ありました。お菓子類もお餅が中に入っているもの、ハム類

なども何度も試食する機会があったものです。食べられない物は無かったのですが

物凄く美味というものもなく、小腹がすいた時のおやつ程度のものが多かった・・

それでも屋台や売り子さんが持って来る包装された物には粽とかお強、餅類が数多

有って、それらも購入したものです・・ねっとりとした餅米で作られたものが多く

暑い国だから朝しか買わなかったのですが炎天下を売り歩いている姿は商品が傷む

様で心配で買えなかった・・(-_-メ) 本当に見知らぬ食材が多く、ここは矢張り

日本ではないことを何度も知らされていましたねぇ。

*シャンプー・リンス

これも海外から極端に入荷し出した頃でしたから棚には諸外国の商品が並び、見事

なほど色鮮やかでした。そして、順番に色合いが悪くなってベトナム製品、中国製

と廉価になり、漢方で作られたものもあって、面白かったです。 沢山あったので

棚の順番に購入していました。尤も1人ですから、多くは使用しないし、輸入品の

高値には手を出せずに専らベトナム製品を使っていました。でも、文字が読めない

から時には白髪染めみたいな物を買った事があって、色落ちが激しくとんでもなく

吃驚したこともありました・・ひゃははははは 中身が真っ黒だったり、でも黒い

シャンプーはありましたから・・漢方の材料だと思って暫く使った事もあります。

泡立ちも良かった!ま、こんな失敗は数え上げればきりがありませんが固形石鹸も

同様でした。また、これらの商品の臭いは強烈でした・・(--〆)匂いには果物が

多く使われていて、マンゴー、ライチ、オレンジなどの石鹸は多かったです。勿体

ないから手洗いに使用していましたし、洗濯は全てそれらを使っていたものです。

*包丁には流石の私も仰天しました・・(@_@。殆どが中華包丁なのですが。海外の

製品とか高級品はガラスのケースに鍵が掛けて売っていましたが、家庭用の品物は

無造作に1番下の棚にわんさかと放出してあり、本当に驚きました・・(*_*)

誰でもが持ち出し悪いことにでも使用できるのでは?と何回も考えていました!!

よく見ると刃が欠けていたり汚れていたり商品とは思えない物もありましたが・・

中華包丁から小刀まで無防備にそのまま剥きだしで置かれていました・・!(^^)!

最近はそんな事はなくなっていました。でも市場では矢張り籠に入れて積んであり

その辺の安全さとか恐怖感にはかなりの大差が感情的にはある気がしています。

今朝は少し暁光が感じられて、この時間帯には太陽も威力を見せている浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/08(Fri)
じっとりと身体に纏わりつく様な湿気が取れないまま、身体中から冷え冷えした心

が中々去って行かない・・そんな曇天が続き{しゃきっ}としない・・(-.-)

雨上がりの匂いもそこら中に撒き散らし、何となく太陽が恋しい感じを抱えている

という感覚でしょうか? 酷く寒いわけではないのにこの空気は身体に心に不健康

な心情をもたらせる気がして・・嫌な気分です・・(-"-)

早く心も身体も再生したい願望が沸々湧いています・・ははははは 昨日も書きま

したが「不平や不満の何と多く我儘勝手な老婆だろう」と独り言を重ねています!

どう考えても知的人間ではないから・・感情型人間としては天気にさえ影響を受け

左右されて生きている部分が沢山ある愚か者です・・(^_^;)

※ニャンさんとの出会い

因みにニャン=とはベトナム語[カモメ]を意味します・・それも教わった事です。

ベトナムの地図では丁度、真ん中辺りにあるクァンガイという所の出身です。以前

結婚式の招待を受けた事を書きましたが・・彼女の事で10人兄弟の末っ子で優秀で

大学まで出た人です。日本語を専攻して日本語はその頃で2級程度には話せる人で

ま、大体が普通に話して通じる程度には喋る事も教える事も出来る女性でしたから

彼女にベトナム語を教わっていたのですが・・ご存じのように大学を出られたのは

家族の働きのお陰だという認識が強く、またいい会社に就職して、老親や兄弟たち

に今まで世話になった恩を返す時期でもありました。それはベトナムのしきたりで

それが当然のことなのです・・日本では想像も出来ませんが、それ程家族愛が強い

国でもあります・・(*^。^*)

彼女は日本の会社で働きつつ何年も送金していました。その額はかなりで驚かされ

ましたが・・自分が今、この様に自立出来たのは家族の援助があったからだと常に

言ってました。自分は贅沢せず、最低限の生活をしながら凄く頑張っていました。

故に、私も少しでも手助けが可能な意味で、問題が山積している難しい音だらけの

あのベトナム語を教えて貰うという事で協力出来たら・・一寸でも力になれるかも

と考えて教えてもらっていたのですが・・( ^^)

会社が終わってからの時間1時間を私に割いてくれていました。何度か挑戦しては

挫折していたベトナム語は〚相性が悪い〛と思い大半以上は諦観していた私です。

あれほど外国語が好きで一応勉強はした積りでしたが・・ベトナム語で躓いてから

結構ショックが大きくて今まで自分がして来た外国語は何だったのか?を痛感して

おりました。すっかり自信喪失して・・お粗末なほど自滅状態でした・・(-_-メ)

ま、自分の中に傲慢さがあったのも事実です・・旅行しても不自由は感じない程に

仏語、英語、西語だったのが完全にベトナム語の前で瓦解し、崩壊した為、全ての

外国語にも多大な影響を及ぼし、完全に恐怖心が宿る事になり自分の中では外国語

が壊滅しました・・殆ど完全に・・そして、安易なジェスチャーという嘗て使用を

した事のない行動を平然と出来るようになり今ではそれが主流になり最大の武器に

なったのです・・きゃはははは 《恥ずかしさもプライドも完全消滅しました》

週末は日本語学校で教えていたし、会社も早朝から夕方まで働き、週に1度の割合

で自宅まで来てくれました。若さ故の行動だったし根性があった女性でした。

彼女と出会って・・私は所謂、教科書なしで実際に買い物とか生活に必要な言葉を

教えて貰うことにしていました。教科書で習っても、音がどうしても取れなかった

からで、普段の生活用語が必要でしたから・・根気強く何度も何度もいい直しては

発音を教えてくれていたのですが・・私が遭った頃は家族たちへの返済も既に終了

結婚資金を貯めていた時期でした。一緒に同郷からホーチミンに来た彼とは10年

付き合い、漸く結婚資金まで辿り着いたと話していました。

ベトナムの結婚式の資金は何時も言いますが全て男性持ちだから、彼は大学にも行

かず普通の店で働いていたので・・資金は彼女が出す事になった話など聞かされて

いました。彼も10人兄弟だったから送金していた。彼の方が大変だったそうです。

彼女ほど給料が多くなかったからで・・10年間送り続けて結婚資金までは溜める事

ができなかったと言っていました・・(-_-)

その点、彼女は日本の商社だったし給料も良かったのでしょうが、ベトナム人と

日本人の間に入って通訳から他の仕事がずっと多くて大変だったようで、時々は

我家で涙していました。何度も時間が厳しく日本人との相違で悩み、仕事が辛い

から辞めたいと言っていました。 私はそんな彼女を娘の様に可愛がっていまし

たが・・矢張りベトナム語とは縁がなかったのでしょう・・途中で結婚式が決ま

って頓挫してしまいました・・あははははは

でも、彼女からは沢山の事を教えて貰ったし来る度に見た事のない果物やお菓子

等を持って来てくれて、食べ方なども教えて貰い、彼女には感謝していた。

その彼女の結婚式に出席する事に後日なるのですが・・結婚式の様子はいづれ又

書きます。見た事もない果物や、お菓子で今でもその1度きりしか食した経験が

ないケーキの様なものをご紹介します。揚げたパン(熱々)とケーキのスポンジ

の様なもの(これは米粉)を持って来てくれた。どうやって食べるのか?教えて

貰ったのですが熱々の揚げパンを割いて、その中にスポンジを入れて食べるよう

でした。甘さは殆どなく、少しづつちぎっては挟んで食べるみたいでした。

今まで見たことも食べた事もないケーキ?とも違う感触でした・・(@_@;)

名前は〚バン・チュウ〛と言ったようですが、長年住んだのですが後にも先にも

2度と同じお菓子を食する機会はありませんでした・・探したのですけれど・・

ま、こんな巡り合いが有って、ベトナム人の結婚式に招待される事になりました。

今朝もどんよりとした雲が空を捲きこんで陽光が未だ見えない浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/07(Thu)
『そぼ降る雨は相合傘で』・・なんてそんな事を思いながら、道路を濡らしていく

雨を雨女が見ているのも不思議な感じですが・・あはははは ずっと俄雨の通過を

待っていて、洗濯をしたけれど、水切りもできないまま夕方には取り入れる羽目に

なってしまった!関東北部では雪の影響があった様ですが・・!(^^)!当地にはその

気配も無く、しょぼ降る雨の連日。雨が降り雪が降り積り、強風などなど日々文句

の出ないことはない人間社会を天に昇った人たちは「その愚かさに笑止し生者必滅

の理をまだ悟られないことに嘆き、涙しているような雨の降り方でした・・(-"-)

〚人間が生きる事て素晴らしく、生きていられるだけで十分元を取っている〛故に

可能な限り無欲で雑念に惑わされない様に生きたいと思うのだが・・これが手強い

些細な事に見事なくらい振り回されるし、自分が起こす周囲への影響も少なからず

有るし、口を開けば言いたい放題、我儘がでるものです。 自分を節する生き方を

中々把握できないらしく、図太く時には意図的な作用も入って嫌な人間像を作る事

も屡で・・それでも「生きていられる事が幸せ」を痛感していますが・・難問です。

  《やれやれ人間とは何と面倒で厄介な生き物なのでしょう・・(-"-)》

鬱陶しいことは考えない、迷惑になる事はしない程度で暮らしている生活も意外と

快適だったりするもので・・ま、年寄の考えそうなことですが・・あははははは

※フットマッサージ

ベトナムに来て間がない頃初めてフットマッサージに行った。丁度、マッサージが

普及してきて・・あちこちに店舗が増加していた頃です。殆どは韓国人経営で営業

されていた。見様見真似でこの国では資格が必要ない・・(後年は厳しくなった)

どんな店を出しても、何をしても資格など要らない時期でしたからもうその辺りに

並列して出来ていました。この国の可笑しさは:何でもお金が儲かれば真似る:と

言う事が当然で、余り深く考えず隣が始めたからそれを真似てやって見る的な安易

な思考が多く、ダメ元で商売をする人が多いのが特徴みたいです・・(--〆)

だから何処かで何かが流行し儲かっていると言う話を聞くと必ず近くで同様の店が

数軒はできる・・不思議で酷くいい加減なことですが・・今でもそれは余り変わら

無いと思います。以前ほど{雨後の筍状態}ではありませんが・・うふふふふ

前置きが長くなってすいません・・<(__)>

日本語の話せる女性に連れて行かれたのです。彼女も初めてだった様ですが経営者

が施術するのではなく全てベトナム人の従業員でしたから、彼女は勝手知ったる的

な感じを醸し出していました。私は何せこの国に来て未だ数ヶ月程度で右も左も何

も解らない状態だったから・・見当もつかず、彼女のする様に真似ていました。

客は誰もいなくて、店自体も暇を持て余していた雰囲気の中、外国人が入って来た

から”いい鴨”状況だったと思います・・きゃははははは

一応、恭しくマネージャーらしき男性がエスコートしてくれ、大きな豪華な椅子に

案内された。そこに10代位と20代位のベトナム人女性が〔2人とも凄く小柄〕来た。

割と大きな手籠を持ち、中にはオイルやパウダーの様な物、タオルなどが入った籠

を足元に置き座った。豪華な椅子はリクライニング式で足元が上下出来る代物!

彼女には20代の痩せた人、私には若いけれど一寸太めの女性が就いた。多分、客に

合わせてやって来たのかも知れないと思っていました・・うふふふふ

先ず、ぬるま湯(これは違う女性が持参した)に足を入れてと教えられて、そろり

と入れてみた。しばらく5分程度はそのまま温めた後、彼女は私のパンツをたくし

上げて太い大根足をもろに引っぱり出した・・(-.-)

そこへベビーオイルの様な優しい匂いのするオイルを塗ってから、足の指1本1本

をマッサージし始めた。横を見ると一緒に行った彼女はもう眠っているのです。

昨夜、寝不足だったのかしら?など思っていたが・・いかに何でも何も解らない

状態で眠るなんて{勘弁してよ!}と言いたかったが、我慢して寝息まで立てて

いる彼女を起こせなくて、又、全く喋れないから彼女たちもどうしようもなくて

黙々と施術に励んでくれました。日本でもマッサージは好きではなく、1度経験

して、その反動が翌日から有って・・辛かった思い出が忘れられないからずっと

した事がなかったのです。「あら?どうしましょう」と思ったが仕方なくされる

ままでずっと見ていました。彼女たちとも話もできないし「英語話せる?」聞い

たら思いきり手を振り「NO]と言われてしまった↓未だにこにこ笑ってくれるから

少しは気が落ち着いたが無言状態のままで進行していました。気まずく・・雑誌も

ないし、話もできずずっと困惑していました・・(><)足はぬるぬるして気持ち

悪い。その次にはポキンポキンと音を鳴らしながら指を引っ張り始めた。 痛さは

無かったけれど指でパチンと音を出しているかの様な感じで面白く見てました!

フットマッサージとは概念的に頭に有ったのはあの棒の様なもので押しながらこれ

でもかという風にされるものだと想像していて「痛い!止めて!」というものだと

思っていたのですが・・全く違いました。それから段々上にあがって来て大根足を

タオルで絞る様に絞り上げてくれるのです・・眠っている彼女は細い人だからいと

も簡単にするすると揉み見上げていましたが・・お気の毒に私には手こずっている

様子で両手で力一杯で揉みあげていました・・申し訳ないから「ソーリー」なんて

言ってみたら・・大笑いされて、ちゃんと通じたのか?それとも頑張っている姿が

気の毒だから声をかけてくれたと勘違いされたのか判断がつかなかった・・(/_;)

そこで、連れの彼女が目を覚まし「私寝ました。すいません」と言ってくれた!

正直、痛かったのですが頑張っている彼女を見て何も言えなかった・・ははははは

もっと痛いものだと思っていたから拍子抜けした気分でしたが、それからは新しい

お湯が出てきて足を洗い流し、タオルで拭きパウダーと香水を少々吹き終了した。

両方同じようにして45分間で終わった。1人600円でサービス料共2人分支払って

思ったほど安価ではなかった。尤も、まだ新しい店で開店して数日という話を聞き

ここでも試験台にされていたのかも知れません・・わははははは

性格が素直でないのか?こんなに高いほど気持ちよくもなかったし、眠気もこずに

がっかりでした・・(-_-メ)それでも後日、観光本を読んでいたらごく普通の値段

で未だ高価な店が紹介されていました。日本で出される本は日本円で考えて廉価だ

と思われていますが、ベトナムの国やベトナム人には物価のレートがかなり異なる

から住んでいないと単純に安いとかは言えないものがあります。  

確かにレートにより毎日違うから、未だ㌦支払が半分位を占めていた時期でした

から・・個人的にはもっと安価な場所もあるけれど、日本人は金持ちという気風が

取れてないから・・(-_-)ふんだくられた部分もあり、また、外国人料金だったの

かも知れません。ま、こんな事もありましたという話です・・( ^)o(^ )

今朝は少しだけ太陽が顔を出し少し日差しも戻ってきた感じですが、昨日の洗濯物

を干してみたが・・空気が冷たく感じた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/06(Wed)
{雪催い}に変化すると言われていた天気予報は見事に外れたようで、雨は小降り

ながら降っています。それほどの寒さも感じないのは有り難いです・・( ^^)

以前、俳句を齧っていた頃に先生から教わった言葉があります。ご存じの方も多分

おありだと思いますが《中谷宇吉郎氏》が言われた言葉として有名ですが好きです!

【雪は天からの手紙】を思い出します・・(#^.^#)何となくロマンチックな響きと

荒々しい長い真冬の期間をほっこりとさせてくれる言葉として心に引掛っています。

札幌生活が長かったからおそらくこんな言葉にも反応したのかも知れませんが・・

札幌に嫁いだ頃に比べると雲泥の差がありますが・・{何時頃の話?}なんて笑わ

れるかもですが・・あははははは 未だ北国の厳しさや生活の大変さを感じること

が少なかった{雪}への憧憬がオーバーラップされてしまうのです。

ま、そんな時代もありましたし、ベトナムという両極端の生活もあり、人生は確実

に大きな流れを作り少しづつ定着し、沈殿して行くものでもあると思います。誰も

数時間先の未来の予言も出来ず、どうなって行くのか?さえ見えない・・これ程に

近代的な時代になり情報社会に大変貌しても、事故や事件も未然に防げない現実は

孤独な人間を乗せて行きつ戻りつする小舟のように惑いの中でしか生きられない!

行き昏くれた夜の闇夜の果てから誰かが手招きするように時間は過去へと遠ざかる

そんな時代を生きている気がしてなりません・・きっと、老いた婆さんの戯言だと

笑止されることでしょうが・・うふふふふ

ベトナム料理は住んでいた時に随分書きました。だから日常の生活を感じたことを

今は綴っているのですが・・久し振りに思い起して頂く意味で今日は料理など・・

※ベトナム料理の定番メニュー〚極々、末梢的なもの〛

来越された時、出来たら食して頂きたいものを羅列してみます。何度も{うざい}

と思われる方はスルーお願いします・・<(__)>

ベトナムはご存じのように、日本に似て細長い国です。北部、中部、南部によって

料理も味も異なり、お互いが譲らないという国民気質があります・・あははははは

それでも、ごく一般的なものをご紹介します。詳細は以前書いていますがご希望が

あれば個人的に説明できる範囲で書けるかと思います・・ふふふふふ

         :大分忘れましたが・・(-_-メ):

①春巻き=これには生と揚げた物が普通に食されますが、からし菜で巻いたものや

茹でたもの。豚肉の入った春巻きもあります。中身は個々の家庭や店により違いが

有って色々試食してくださると嬉しいです。

②フォー=ベトナムを代表する麺料理で、その種類は数多あり前記しました様に

北部が発祥地ですが、中部(激辛)南部(割合あっさり系)と異なっています。

日本にも入って来ていますし、インスタントもありますが・・味は少し違う感じ

がしますがそれは仕方ないと思います・・(-.-)

③ブン チャー=豚肉の骨付き炭火焼きを載せたつけ麺。

④チャオトム=平たい竹串に海老のすり身と香草で作ったものを串に巻き付けて

揚げたもの。手間がかかり時間もかかるがこの国では定番です。凄くいい味です。

⑤コムザーン=これも北部と南部では名前が違いますが、ま、通じると思います。

焼き飯のことでベトナムの米インディカ米との相性は良く具材が豊富で美味!

⑥バインセ―オ=これも北部で名前が異なります。ベトナム風お好み焼きですが

しゃきしゃきの香草や葉に包んで食します。外側は卵でパリパリですが、中身は

色々な魚介類や肉類など種類も多々ありかなり美味しいです。

⑦ティッコーチュン=これはどこの家庭でも作ります。そして家庭料理の定番で

店でも露店でも何処でも売っています。豚肉とゆで卵の煮物、時間をかけて煮る

から味が染み込んでいて豚肉も骨付きで大きく、茹で卵もそのままを入れる。

⑧カインクア=蟹入りスープ。名前は忘れましたが野菜の葉と蟹の肉たっぷりの

スープでとてもあっさりしていますが欠かせないスープです。

⑨カインチュア=これもスープですが香草と肉のスープで甘酸っぱい感じです。

これも有名で、食卓には多くのぼり何処の家庭でも作ります。

⑩ノムホアチュオイ=バナナの蕾のサラダ。これは珍しいと思いますが味は甘酸

仕立てで、食感を味わってほしい料理です。上手く表現できませんが・・変わっ

た感触です。

⑪ブンヘーン=中部のフエの料理。中部地方は漁港があり、魚介類が豊富に獲れる

からシーフードの料理が多くこれは蜆が吃驚するほど入っている汁なし麺。

⑫ローゼー=山羊鍋。これも有名で暑い国なのに、熱々の鍋を囲む人は多く、人数

が多い時は決まって利用される程盛んです。道路に向けて椅子やテーブルが置かれ

何時も繁盛している感じがします。山羊肉と豆腐、野菜など日本の鍋と変わりなく

最後に麺を入れるのも同様です。

大雑把に書きましたが・・こんな程度ではなく種類も多々あり随分ご紹介しました

ので・・今日はこれだけは外さないで食してほしい料理を書いてみました。

<ベトナム料理本参照>

最近ではベトナム料理も頻繁に紹介されたり、店もあちこちに出来て食する機会も

増えています。以前住んでいた神戸には数軒あって、何度か行きましたが、矢張り

本場の雰囲気と環境、あの大騒音と雑多な混乱の中で食べるのとは感覚には大差が

ある気がしています。日本店も決して不味くはないのですが・・何かが異なる??

ベトナム人が作っている店が多いですが・・何となく味が違うのは否めないかな?

大阪ではまだ行っていませんが・・神戸には住んでいる人が多いので結構店もあり

出かけたものです・・(#^.^#)でも、何と言っても本場で食べる事が何よりなのは

日本でも同じですから、ぜひ来越してご賞味ください。又、時々書いていきます。

暗い夜明けになって雨が割合い激しく降り続いています。 少し冷えてきた感じも

しています浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/05(Tue)
〚冬が逝く・・〛感覚が先週から続いている。しかし、この時期の暖かさには心を

許せないものがある様で。また寒波の到来のニュースを聞いています・・(-.-)

昔の人の言葉には重厚感があって三寒四温とはこんな感じなのかもしれませんねぇ!

吹く風も日差しも柔和で穏やかさを齎せていたが、それは見せかけなのかもなんて

思っています・・( ^^) 時間も同様に一瞬一瞬を確実に積み重ね、胸の中へと吸収

されて色々なものを零しながら落下して行くのではないでしょうか?・・(#^.^#)

誰だって人間は混乱と疑惑、模索の中で足掻きながら自分の生きる道を探し懸命に

前進して行くものだと私的感覚でそう思っていますが《それが正しいことだとか?

どうかなんて?生あるうちに把握し納得、承諾出来る人は皆無だと思いますが?》

不惑と混沌の中で目の前に起きた事を何とか必死で消化してせめて小火程度で抑え

たいと思う心が必定だと思いますし、誰でもがそうやって生きていると思うのです。

人間の生き方や暮らし方などそれ程大差がないと思います。それはこれだけ続いて

来た人間の歴史を鑑みても・・そう思えてなりません。

時代や国によって各種各様に生き方は違っても根本的には何時だって格差はあるし

富裕層もあり貧困者が絶えないものです。そう考えると、無茶苦茶頑張って努力を

しても報われないという偏差がでてくるもので・・何時の時代もある程度は定めら

れた運命の様な眼に見えない力に誘導されて生きている感覚が否めません・・(/_;)

人間は昔に比べたら凄く長く長寿になりましたが・・その分思考も、生きる道程など

も多様化しているし〔何がいいのか?どれが正鵠なのか?〕以前程明快ではなくなり

「何でもあり!どのように生きても一生だ!」と思えるのは私だけかも知れません!

枝葉が多すぎるのも又選択肢があり過ぎるのも困りますが・・私の様に老いを感じる

年代になると何処かで開き直って、見えない時間に立ち向かって行くより仕方がなく

「あーすれば良かったとか?こうした方が?」なんて微細な事に左右されず、なる様

に時は流れ交差する事はなく岩肌にぶち当り粉砕しても”生きる流れ”を止める事は

不可能ではないかと思えてくる来るものです・・うふふふふ

個人的な狭隘の範囲内の人だから参考には全くならならないと思いますが・・(-"-)

それでも歳を重ねた分、見えた事実もあるものです。それを判断するのは自分自身で

行動をするのも自分だから自己を確立して生きていればそれが他人から見れば異常や

変人であっても構わないではないかなどと考えています。無論、法的な道に逸れなけ

ればの前提ですが・・人間の数だけ生きる術や道はあると思えます・・ははははは

あくまでも私的な感想ですが・・沢山の試練や苦痛の中からでも素晴らしい人生は

有るでしょうし、最初から恵まれて終世を豊かで暮らす人もいるものです。他人の

人生に左右される事なく自分の生き方を惑いながら、苦しみながらも続投して行く

ことで前が開ける気がするんです。焦る事もなく立ち止まったり流れを変更したり

自分流で生きる事が何よりも幸せに繋がると信じているのですが・・違うかなぁ?

でも、私にはそれしか出来ない人だから。それで充分に満足だし有り難く深謝の心

で居られる今が凄く大切です。暁光の中にポツンと汚点がある(それが私だから)

それでも毎日生きているのですから羞恥もなく厚顔で・・あははははは

     ☆人生も生きる事も素敵だと思います・・(*^^)v☆

※ベッド

ベトナムの旧正月【テト】がもうすぐです。今は年の瀬の煩雑な生活が日々流れて

居ると思います。ホーチミンでしか迎えたことがないから北部ハノイや中部地方の

【テト】の様子は殆ど知りませんが・・何処でも国を挙げての大イベントですから

きっと繁忙な日々を送っている事と想像しています・・(#^.^#)

さて、ベトナムでの生活に欠かせないのがベッドです。床が総タイル張りだから床

に薄いマットレスや布団を敷いたり茣蓙、竹製で編んだ高級な敷物、ハンモック等

沢山ありますが基本的にはベッドです。そしてそれもかなり大きくダブルかキング

サイズが普通です。子供部屋でもシングルなどは使用せずダブルで数人が眠る習慣

見たいで・・個室的な感覚は余りないですねぇ・・(-。-)

アパートや借家でも必ず家具付きだからベッドも当然付いています。数ヵ所引越を

しましたが全てダブルサイズで大きなマットが載せてあります。マットの上に日本

で言う敷布とかシーツの様な物を敷いてその上で寝ます。シーツや敷布の数や色柄

などは無数にあって、四隅にゴムが入っていてマットレスに掛けて使用します。

それも購入しなくても付いていて、神経質な人には駄目かも知れませんが・・(/_;)

 *何も買わなくても即、その日から生活ができる便利さは良いと思います*

日本の様に白が基調ではなくて花柄や、草、樹木、漫画のキャラクターや動物等も

有りカラフルで種類が豊富だから・・欲しい人は好みの物を購入できます。私など

その家に付属しているものを一度洗ってから使用していていました。特にアパート

では洗濯も掃除も全部してくれるし、時々は新品が貰える事もありました。

朝晩が20℃以下になる時期や冷房を強くする人などは肌布団が必要で、それを着用

していました。この肌布団もシーツと同様の柄で出来ています(大抵)でも、住む

人によって色々と変化させて楽しむ人もいました。

何も掛けない人もいるし昼寝等の時間はバスタオルだったりします。この国に来て

初めてシーツ、掛け布団、ピロケースのセット売りを知りました・・(@_@。

多分、日本では見たことのないセットだと思います。ピンキリですが凡そ2000円

程度で案外高価でした。これらは家族が揃えてくれる品らしく、扇風機なども自分

で買った記憶はありません。欲しいと言うと長子が必ず購入してくれたものです。

朝洗ったらお昼までには乾くから何枚も必要ではなく2枚交互で使用できました!

床のタイルのことを少し説明しておきます。

先ず玄関のドアーを開けると直ぐにタイルの床になり、日本の様に三和土はなくて

入口で靴を脱いだり、中で脱ぐ人が多く、玄関にはプラスチックでできた段重ねの

棚が靴入れになっています。幸いにも私の場合は2ヶ所だけそんな感じでした。後

は下駄箱がついていましたがずっと冷えるのは嫌でスリッパは持参していました。

タイルもそれは数多の種類があって、30×30位で正方形のものを敷き詰めてあり

それにも色々な柄や模様があり、とっても綺麗です。裸足で誰でも入ってくるから

そのひんやりした感触は気持ちいいのですが先ず何処の家に行ってもスリッパ使用

か靴下を着用していました。床のタイルは様々な趣向があって、床の模様が描かれ

てある様な敷き方だったり真中から外に向けて模様が拡大したり星空になっていた

部屋もありました。壁にも背丈程度はタイル張りですが後はセメントでした。

壁にも趣向があって・・それだけでも部屋の中を楽しめたものです。シャワー室や

トイレは天井から床までタイル張りだったりが多かったですが・・掃除は結構大変

で洗剤を入れて、モップ使用をしていました。この暑さの国の床のタイルは何より

冷たく感触のよいものだと思いますが、配達人の人が泥足でも平気で入ってくる時

は流石に「また掃除?」を何度も味わっていました・・うふふふふ 

親族が来ても裸足が殆どだから同様でしたが・・何せ日本人は神経質だという事を

知っているから。暫くしてからは靴下を履いてくることが多くなったのも可笑しな

光景でした!気を遣ってくれていたのだと思いますが(女性だけ)・・(*^_^*)

詰らない些細な話ですが自分の体験だけで書いています。又違った暮らしがあった

かも知れませんが・・ひゃははははは

こんな小さなことでも日々が楽しく、興味を持てたのですから・・異国での生活も

個人的には満足できたと思っています。色々ありましたけれど・・ふふふふふ

昨日は雨降りでしたが気温は思っていた程下がらず、生温い空気でしたが、今朝は

太陽が眩しく輝いて窓から日差しが入って来ている浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/04(Mon)
節分には関西では巻き寿司の丸齧り{恵方に向け沈黙して)する習慣が何時の間に

か?ごく当然のようになっています・・( ^^) 久し振りの帰国で、考えていたのだ

けれど暖かい陽気に誘われ少し遠い大きなスーパーまで出かけた。近くの学校には

白梅が満開状態で仄かに香りを誘っている・・わざと道路を渡り、花を愛で、気分

上々になってスーパーへ。日曜日でもあるし節分と言う事で車の台数も多く、子供

連れが多く賑やかで「矢張り、日曜日は外した方が良かった!」と内心思いながら

問題の寿司コーナーへ・・ま、その種類の豊富な事に先ず驚き、そして普段よりも

100円は確実に高くなっていた。ごく普通の太巻きが450円、そして、中身の具が

海老、鮪、蟹、いくら入り、野菜入りなどコーナーに山盛されていた・・こんなに

変化している事に流石の私も想像もつかなかったから本当に吃驚した・・(@_@。

値段も1本1000円以上の物もあるのです。家族3,4人で1本づつ買えば結構な値段に

なると思うといかに関西を中心に広まった催しとは言え、凄い商法だと改めて感じ

ていました。それが飛ぶように売れていて、次々と調理場から次足すように運ばれ

て来ていました。そのコーナーの活気が凄いので割り込む勇気もなくたった1本だ

から空いた時にしたのだが・・何となく上手くその商法に載せられている感覚が取

ずにいました・・わははははは

1度には食せないから半分位で、後はカットしてしまった。とても、丸齧りは無理で

時間をかけて何度かに分けて頂いた・・うふふふふ これが終わると、もうチョコの

出番の様で・・早々とコーナーが出来ていました。日本は本当に不景気と言えるの?

なんて思っていましたが・・上手にやりくりしておられる方が多いのか?豊なのか?

幾つもの疑問符を抱えての帰り道。堤防に上り川風が冷たく、少し薄着だったのです

が大勢の子供達がサッカーや野球をしている姿を見ながらお正月前に刈られた土手の

草が相当伸びてきている様は生命力とこの暖気のせいかしら?と思っていました・・

※ベトナムで還暦を迎えた

数年経って“還暦”になった。それも異国で迎える事など考えてもいなかった私。

ずっと前から頭の何処かで六十路を意識していた気がします。でもそれは未だ遠く

もう少し先という感覚があって実感がありませんでした・・(#^.^#) 所が一瞬の

内にひらりと頭上から舞い降りるように降って来て現実になってしまった!

心の準備も何もなく、目の前を薄暗い暗雲が立ちはだかる様に落下してきました。

亡夫の歳を既に越えて、長らえている感情は上手く表現できませんが・・今朝は鏡

を見ながら亡夫とお喋りをしました「あらら!貴方を越えて”還暦”になってしま

いまいましたよ!ご免なさいねぇ・・<(__)>未だ傍へ行く時間はあるのかしら?

もう十分勝手をして異国迄来て、住みつき”還暦”になったんですよ・・(><)

一寸贅沢ではないでしょうか?」と言いながら、赤飯のほかほかをお供えし大きな

1人言を言っておりました!・・はははははは

どんな風にこの歳を迎えるのかは興味がありました。不安も楽しみもあったのです。

なぜなら私の心奥にはベトナムに住んで数年間、通常の日本人が赤い物を身につけ

祝う行事がある事を知っていたからで・・まさか?外国で迎えるなんて想像もして

いなかった現実に戸惑いがあったからです・・(-"-)

日本に帰国した時“還暦祝い”と言って娘夫婦と白柴で小豆島へ旅行の計画があり

思いがけないサプライズに感激したものです。孫がいない分、老人感覚が皆目ない

人で”還暦”という言葉の反応も弱く、皆で旅行できる楽しみに酔っていました!

それは楽しく素敵な旅行で記憶の明快な部分に添付されています今も・・( ^^)

子供達の心の温かさとその好意に大いに感謝したものです・・m(__)m

私は本当に幸せ者でした。息子からは主人が亡くなってから毎年10年近く温泉旅行

や海外旅行をプレゼントされていましたし、何処でもひょいと1人旅をすることが

可能でした。それらも、早世した亡夫が遺してくれた優しさを身に染みて感じてい

ました。しかし、ベトナムに戻り実際の年齢に達した時、何故だか心裡は少しづつ

変化している事に気が付きました。子供達の温かな思いやりも贈り物もそれなりに

凄く幸福感に満喫していました・・でも、何かが違うのです。

拙文では上手く書けませんが、心の深いところで、亡夫より長生きしている幸せや

申し訳ない心情が溢れだして・・不覚にも涙が止まりませんでした・・(-_-メ)

呆然としてベランダから道路を眺めていると何時もの光景は目に刺さる様に窓の下

にはバイクが凄い音を立てて通過している。 激しく鳴らす大型車の騒音もここが

日本ではなくベトナムという異国の地である事を不意に思い出させてくれました。

感傷的になっていた“還暦”が現実では何1つも変化がなく異国での何時もの朝が

始まっていました・・(-.-)

突然私の頭の中に過った言葉がありました「私、こんな見知らぬ国で何をしている

の?何を探してこんな遠いところまできたの?“還暦”だよ!」って誰かが叫んで

居るような感触でした・・(・_・;) この地に来てから1度も考えた事がなく目

まぐるしく動くこの国の巨大な流れに掬われオタオタ、ウロウロ、ハラハラそして

ドキドキの繰り返しの日々でした。それが辛うじて潰されない様にぶら下がってい

る蜘蛛の糸のように儚げで脆く、繊細なか細い糸に引きずられている感覚を垣間に

見えた気がしたのです。こんな事は今まで考える余裕も無論なく、ただただ、押し

流される事のない様に必死でぶら下がって自分を保っている現状でした・・!(^^)!

 〔この朝の感情移入には自分でもかなりショックを受けた〕・・ふふふふふ

子供達の犠牲や苦痛の中で{我}を通して気侭に生きている生活・・こんな時間は

誰でもが経験できる訳ではなく、素晴らしい事なのだと痛感できました・・(-.-)

望んでも体験できない人が多い中で、選別された人生を歩いているという実感が心

の中にひしひしと湧き上がって来ておりました・・(*^_^*)

こんな人生を教えてくれた子供達にも亡夫にも大きな借りができた思いがして素直

に感謝の言葉が出てきました・・<(__)> 「私の中では少し余裕がでてきたの?

いいえ!慣れ馴らされた時間があった事実に面と向かって確実にその事が見えた刻

だったのです」・・(*^。^*)

毎日、印鑑でも押した様な生活が流れ、特別な事は自分には降り掛らず見える範囲

内で、様々な事が起こる生活、受け身で消極的な生活がだらだらと続いていました

  *その事を気がつかせてくれた朝だったのではないでしょうか?*

全てが自由で時間もたっぷり贅沢な生活です。誰かの心を傷つけ、犠牲の上に成立

しているこの暮らしをすっかり忘れるところでした・・(-_-メ)

やる事は山積していました。有り難いことに・・だから『寂しさも孤独も人が思う

ほど感じなかった!不自由は常だと思って生きていましたから・・不都合などは何

もなく汚濁した空気や粉塵が飛び交っている道路の騒音も数年経てば、それさえも

忘却しておりました』・・はははははは

その頃は友達も作らず、冒険もせず、電話もかけず、手紙だけの交信だけで周囲は

回っていました。自分でもその事にさえ気がつかないほど懸命に生きていたと思う

でも、その朝を境にして人生感も生き方も様変わりした気がします。1人の空間が

大好きで何より大事でした。勿論、たった1人では生きていけないから息子や嫁の

力も時には必要としましたが・・それらも段々と間遠になって1人の生活が確立し

て行きました・・ふふふふふ この数年間は私にとって〚生きる事は何が大切?

これから先、どの位生きられるか?それまでにしなければならない事など?」を

考える時間をもたらせてくれた気がしました・・($・・?)

充分過ぎる時間がありました。そして存分に考えねばならないと気がついたのです。

難しいことや立派な事はこの能力では思考が追いつかない。まして将来はこうあり

たいなんて・・思えるほど利口ではないから、現実の目に見える部分から何かを探

す事が筋道だと思ったのです。忙殺されていた若い時代はすでに過去となって後退

しているのだから今の現実に見える目の前の事を確実に取り入れ異国生活を楽しみ

考慮する時が与えられたんだとそう感じました・・(-_-;)

この“還暦”を迎えた朝にふっと見えたうすぼんやりした曙光だった気がして・・

ベトナムという異国にいたから見えた貴重な光だったのかも知れませんし、この国

にいたから感じた、考えられた事だと今もそう思えてなりません。

それは紛れもない現実を生きていた時間でもありましたねぇ。  現在はその時が

あった事実が大きな支えにもなっているのです・・あははははは

早朝から激しく音を立てて降っていた雨は小雨になりましたがそれでも未だ暖かさ

が残っている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/03(Sun)
麗かな日差しが降り注ぎ、そのまま具視した様なこの混乱した時間は春の到来を

感じさせてくれ、時間の蓋然性をまざまざと見せてくれた1日になりました・・

ダウンジャケットも脱いで、軽く薄いコートで歩いても寒さを感じない。まるで

春が手招きしている感覚がありました。気温は13度もあった様で・・(@_@;)

先日来の地上を巻き上げ巻き込みながら吹いていた木枯らしはどこへ消滅したの

だろうか?なんて考えておりました・・( ^^) 未だ油断できない時期だとは思う

けれど・・矢張り暖かさがある陽光は幸福感を呼び起こします!

梅見月に入ったばかりだから・・未だ信じられない気分ですが・・暖かさは心を

癒しますし安穏な感情がゆったりと流れるようで嬉しさを誘発させてくれるもの

かも知れませんねぇ・・(#^.^#)

※蟻との闘い

ブンタウという島があり、ホーチミンから船が出ている。今はもっと簡単に行ける

様になり、ホーチミンの庶民の憩いの場所でもあり、観光地です。近いのと、砂浜

が綺麗で小高い山もありホテルの設備もよく多くの観光客で絶えず賑やかな島です。

嫁の知人の実家がある処で数人が押し掛ける様に私を仲間に入れてくれ出かけた。 

彼女の実家は食堂を朝からお昼過ぎまでしている家だった。

夕方からは彼女の母親は{ジャズ歌手}で素敵な衣装を着てホテルで歌っていると

いう話に引寄せられていた。米国で勉強してきたという母親は勿論、英語も堪能で

拙い単語の羅列にも返事を解り易く回答してくれる優しい女性でした。家の食堂で

初めて遭った時はごく普通の化粧などしていない小母さんでしたからホテルの舞台

衣装を見て、その姿には本当に魂消た・・\(◎o◎)/!

もう、メイクも衣装も勿論プロだから当然なのでしょうが・・その豹変に驚倒した!

彼女が歌うというホテルを予約してくれていて、そこに2部屋で泊まった。

日本的にいえばディナショウーの様な感じで、6時から始まり食事やら、飲み物を

頂いて待っていました。バンドの小父さん達が先ず舞台に立って演奏を始めた。

順番に食事が運ばれ、飲んでいると彼女の母親が舞台の裏に入って来た。

彼女が私達を呼びに来て「挨拶した方が良い」と言われて楽屋的な場所へ行った。

ホテルのオーナーがいて、紹介されて少し話をして席に戻ったら、音楽が変わり

その頃の時間にはもうびっしりの人で席は埋まっていました。

毎日こんなに人出が有るのかと思うほどでした。近くのホテルからショウだけを

観に来る人も多いとの話だったが驚きました・・(@_@。立見席も出ていました。

母親は真っ黒のドレスに赤や金のラメ入りのロングドレス、髪の毛もアップにし

生花の深紅のバラを片側に沢山飾り見事な変身ぶりで圧倒されました・・(*_*)

最初は男性で、私と同年齢の人が蝶ネクタイにブルーの華やかなスタイルで歌い

だし、数曲歌ったら彼女の登場になった。もう、吃驚する位の声量で殆どマイク

は必要ないのではと思わせるほどでした・・流石にプロらしく堂々としていた!

ジャズナンバーを歌いこなし、喝采を浴びていました・・私も久しぶりの生演奏

と生の舞台を目の前にして興奮していました・・あははははは

薔薇の花束を購入してあったのを友人が代表して持って行き舞台の彼女に渡した。

あちこちからも1本の薔薇が渡されステージは演奏だけになった頃を見計らって

食事も殆ど終わり部屋に入った。まだ外では2回目のステージがあると言われて

いたが、時間に早い私は1人部屋に戻りベッドで寝ていた。所が身体中が何だか

痒くて・・目覚めてしまった・・{><;)

何と何と・・ベッドの上に憎い《蟻》が行列を作って歩いていました!吃驚仰天

して、それを退治していたら、すっかり眠気が覚めてしまい、身体の遠近に赤い

斑点がもう数10ヵ所も有って薬を塗ったが掻痒感が取れない・・( 一一;)

若い人達は誰も噛まれていないのに私だけが被害に遭った。嫁はベッドを替えた

方が良いというので代わって貰ったが・・その傷みと掻痒感に悩まされて、眠れ

無かった・・こんな姥肌に噛みつくなんて{最もお酒がかなり入っていた}せい

かも知れませんが・・散々な夜になったのです・・(-_-メ)

若い人々はホテル内からスプレーを借りてきて撒いたり、ベトナムの薬をくれた

リ、親切にしてくれたけれど既にすっかり赤く腫れ上がっていたから彼女たちも

驚いていた・・(@_@;)(@_@;)

不快と不眠が重なって気分が悪くなって、観光地へ行くのを半分だけにして貰い

彼女の家で待たせて貰った。最初は英語で話が盛り上がっていたが・・何時間も

見知らぬ人との会話には連いていけず、お互いが困ってしまった・・(;一_一)

漸く観光を終えて夕方帰って来た嫁たちと船に乗ったのだが・・ずっと痛さが取

れなくて・・1週間腫れが引かず辛かった思いがあります。今の家にも部屋の中

何処にでもいて、以前に書きましたが帰国している間にお米の中まで入り込んで

お米を処分したことがありました・・(^_^;)勿体ないと思いましたが・・白米の

中を赤と黒の《蟻》が踊る様は身体中から悪寒が走ったものです。勿論ビニール

の袋を2重にしてゴムで結び、ポリバケツにはガムテープを張っていたのですが

それでも中を開けた途端に思わず「わー」と声が出た程《蟻》の大群でした・・

初めて来た頃は知らなくて、うっかり菓子パンをテーブルに置いて忘れ寝た翌朝

真っ黒になっているパンを発見して総毛立った記憶があるので、厳重にしていた

積りでしたが。何処からでもどんな風に入ってくるのか小さいのから大きいの迄

もう無数に部屋の中を這っています〚何時も《蟻》とは戦っていた記憶が強い〛

何が嫌だったかと言えば《蟻》ほど嫌いな物はないようになりました・・(-_-;)

それからは一寸でも視界に動くものが入ると「すわー《蟻?》と思う様になった」

目が点の様になり《蟻》退治にはどれだけ時間と薬を使用したか解らない有様です。

 **多分《蟻》との共存は絶対駄目だよ!大、大嫌いなんだから・・**

それからも何度か引越しましたが、その都度《蟻》との闘いは続きましたねぇ・・

今朝は未だ昨日の暖かさが残っていて生温い微風の中夜明けが来た浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/02(Sat)
記憶には明暗がある様な気がします。明るさの方には何処までも拡張されていく様

な楽しさ、嬉しさ、幸福感があって、又反対の部分には暗渠がずんずんと果てなく

落下して行き沈澱している様でもあり浮遊している感覚があります。そこには触れ

られたくない苦しみ、哀しみ、偽善が有って、大きな流れの渦がある様にも思える。

その中に突然予想外に下降して行き、漂っている感覚が否めずにいる時期があって

ふっと、その箇所から逸脱したいという弱気な自分を見つけ喚起させられることが

あります。〚もう、大きな波は被らなくてもいい年代だよ〛と自己判断しているの

だが・・未だ時々そんな感情に振り回される日があります・・(・_・;)

でも、それは老いる時の前兆のように蝕まれていく過程だと言いきかせているのだ

けれど、突如やってくる瞬間に未だ慣れていない自分自身を見てしまいます!多分

誰でもが老いる前に感じる心情や感情なのだと思いますが・・それでも若い人には

絵空事の様に感じられるかも知れませんが・・うふふふふ  生きて生かされてる

この現実からは逃避を目論むだけの知恵も能力もないからもろに渦中に嵌っている

気がするのだと思います・・あははははは

そんな時は決まって自分を”愛しく幼稚”だと何時も思うんです・・いかにも成長

していない姿が見えるからで・・未だこの程度を彷徨っているのだと思うと、一寸

嬉しくなったり愕然ともしますが・・生きている証として受諾、諦観しています!

人間が未完成で未成長だと色々な事を考える機会があって『最も暇人だから』それ

も刺激的でもあり、躊躇しながらも恐る恐る明るい方向に向かいたいと願っている

事実があります・・(*^。^*) きっと、誰もそんな暇な婆さんの繰り言などに興味

はないでしょうが・・( ^^)  記憶を思い出す時にそんな事が見えてしまうこんな

人も居るんです!人間って不思議だし面白いですねぇ・・はははははは

※自由でいいですね・・

友人や知人から「海外で1人暮らしなんて、素晴らしいじゃない?」と羨望感を

持たれることが何度もありました「何と言っても自由だし、誰にも左右されないで

自分勝手に行動できる。他人の目も気にせず、煩わしい対人間関係もなくて仕合せ

でしょう・・( ^^) 」そして決まって「私なんて、全く自由もなく家族から当然

の様にあれこれと様々な問題で振り回されてそれに付き合って一生を終えるのかと

思うだけでも惨めだし嫌になるとか寂しい」という言葉が追加される・・(-_-)

ま、沢山の考え方があるし、一慨に正当化できない部分はあると思いますが・・私

個人で確実化している部分は事実ですし返答をするのも憚られる場合が多いけれど

でも、現実の生活となると、果してそれが自由で気儘かと言えばそうではない・・

かと言って説明しても理解してもらえない事が多いのも事実です。確かに自由だし

誰にも遠慮等ない生活です。人の目も気にせずに、日本の常識外で暮らす事は結構

神経的にもしんどい部分があるし、何も解らない。ましてや政治が異なる、宗教や

言語、習慣の違い、国民性を意識しないで暮らす事はできない煩わしさや不条理な

思想、行動等も心の中では「それって違う?」と思っていても口に出せない不安感

も山積して行きます・・(-_-メ)  ”これは辛く応えます”

絶えず緊張感もありましたし、日本人という自分を意識下に置いて暮らしが成立し

ていた気がします。何処に出ても私は【外国人】ですし、この国では異邦人として

生活をする事になります《外国人料金》と言う明確な指摘を受けねばならず、それ

がこの国に世話になっているという当然の義務のように付き纏うからです。

理不尽ですが反発など出来ない・・好き勝手に来て、見知らぬ外人がこの国を歩き

暮らしをする。誰の断りもなくて、受諾されている訳でもないのに住んでいるこの

事実はこの国の人々から見た時「何をしに来たのだ!何か特別な利益はあるの?」

と言う見方をされている。ましてや、言葉もできない状態だから何を言われ、何を

されたとしても非は自分にある覚悟が必要でした。それでなくても自己主張が強烈

な国ですから・・こんな割に合わない生活を望みたい人たちには会社組織内の駐在

出向など政府から承諾されている人々には危害も少ないでしょうが・・自分勝手に

来ている人達にとってはそれさえも自己守護であるから・・想像されているよりも

ずっとシビアであり、不自由だったのです・・ははははは

因みに現在はかなり変わっていますし、日本人も他の外国人に対する国民の態度も

凄く大きく豹変しました・・(*^^)v

それでもこんな機会が与えられた事は矢張り特殊な事だと思うし、普通ではない!

のだろうと考えていました。 来越する時はもっと単純に海外で生活するのも幸せ

だと思っていた部分が多々ありましたが・・1つづつそれらは現実の暮らしの中を

脅かして行きました。来越が決まった時沢山の物品を処分しました。そして、今迄

生きて来た人生を削ぎ取る様に廃棄した。愛着のある物も数多捨てたものです。

勿論、物品だけではなく思考も生活様式も今まで生きて来た殆どを《無》にした。

そんな思いをしてまで来越する意味や理由づけは私には何もなかった。単純に息子

が国際結婚してベトナムに住んでいたからという事由だけの繋がりだったのに・・

〔人間の進路は思いがけなく急展開する場合もあって、その波に乗ってしまった〕

只それだけの理由なのですが・・これが大きな波紋となり火中の栗を拾う事になる

など未だ何も判断できないままで来てしまったのが実際の心情だったと思います。

主人を亡くし、子供達の成長もあり、自分を変化させたいという願望は常にあって

何か行動をしたい衝動が常時あったのだと思います。だから息子から「一緒に暮ら

さないか?」という言葉に飛びついた帰来があります・・わははははは

そんなに容易く返事出来るほど簡単では無かったのですが・・生来のいい加減さと

何とかなる・・何とかしてきたといういかにも頭の悪いおっちょこちょいが考える

そんな思考の範疇で出かけたのです・・何か新しい目標も欲しかったし、老人では

なく中年後半のこの時期だから回答出来たのかも知れませんが・怖いもの知らずで

ずっと1人で海外旅行をしていたから甘く考えていた所も沢山ありました・・(-"-)

だから、住み始めて直ぐに当初の意気込みが消沈し霧散されてしまった現実があり

口惜しく腹立たしく、何とか自分で再チャレンジしたい感情が噴出したのです。

    ≪新しい生き方?何かを掴む?自分を向上させたい?≫

完全に殆どが瓦解してしまいました!その事が凄く私を奮起させたのだと思います。

周囲を見る余裕や様々に日々の中で起きるこの国の人々の暮らしも私同様に変換期

でしたから・・現実と思考の挟間の中であたふたしていましたが・・両極の思惑の

中で散々動揺し揺れ惑っていましたが・・人間の心はなる様になるもので、馴らさ

れ、慣れていきました。自分が選択した道だという負い目もあったし、戻らないで

頑張って生きてみようという眩惑さはありましたねぇ・・わははははは

闇雲に頑張っていたのではなくいい加減さに思考回路が変更させられただけですが

それがどんなに脆く、危なげな考えであったか?を振りかえって見るとゾーとする

気持ちもありますが・・自覚しながらも必死だったし、逼迫した状況の中での生活

は表面上は落ち着き心の中にも少しだけ、この国に馴染んでいきました・・(-.-)

そんな状態から始まったベトナム生活は「いいわね・・自由で、羨ましい}と言わ

れる事にかなりに抵抗もあったし、正直つらい心でもありました。

生きる道を分岐点に立って、詮索していた時間でもありましたから未だ途中段階で

何1つ把握出来ていない現況の中、終焉は日本での生活をいかに過ごすか?を懸命

に探していたのだと思います。最期の時間の基礎が作れたら何て考えていました。

その両極間の間には何時だって最期は日本で暮らす事が前提になっていました。

どんな場合も1人で考え1人で判断して生きてきた自負が取れなくて、孤独とか

誰かと共に暮らす事は入っていなかった。案の定、息子たちとの暮らしは直ぐに

破綻し結局は1人暮らしになってしまったのですが・・(--〆)老い先を考える

と譲歩したり我慢する事に全然慣れていなかった分、我儘で自由に見えたのだと

思うのです・・(-_-メ) 「どうしてそんな思いまでして暮らしているの?」と

聞かれると反論は何もできなかったのですが・・(><)

定年になってベトナムに暮らす夫婦を何組も見ましたが・・現在は然程面倒では

有りませんが、最初の頃は何もかもが異なる事の違和感でパニック状態になった

ものです。今は全く違った考えでベトナムという国を見ていますし、7年間も住ん

だ国だという自覚もあって・・また住みたいと願う心裏があります・・(*^_^*)

不思議な感情ですが現在の心境でしょうか?・・あはははは もし、来越すれば

  *これからはかなりのパワーやエネルギーを発揮して頑張るか?*

*流れに竿を差しながら・・ゆらゆらと漂流する様に流されつつ生きていくか?*

の選択しか無いみたいですが・・随分変貌しました・・うふふふふ

誰でもが経験できる事ではなかっただけに個人的には貴重な体験が走馬灯のように

去来して行きますが・・年齢を重ねた時間だけでも流されていく方法も少しは理解

できたと思える昨今でしょうか?・・ふふふふふ

昨夜来の雨が上がってもわっとした空気が漂い、外は暖気のせいか?不思議な朝を

迎えた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/02/01(Fri)
振り返れば〚過去〛と言う名前の大きな袋に何か置き忘れている様で何度も何回も

気になっては振り返っている!前を見ると〚未知の明日〛が拡大されている様でも

あリ、縮小されていく心情も見え、ひたひたと差し迫ってくる感覚にたじろぎつつ

オタオタを繰り返しては諸所に心の裡を零しつつ、隅の方向へと追いやられて行く

そんな夢を偶に見ることがあって、深層心理には年齢とともに大きな芽が成長して

いるそんな気がして・・払い除けようとしている自分に遭遇します・・あはははは

適度にそして多分、ごく普通に老いがやって来ている事を感じています・・( ^^)

昨日は2桁の気温になり急ぎ足で歩くと身体がほかほかしていました。透くような

青空の中、神戸の病院へ出かけた。近場に変更しようと思いつつ、慣れているのと

少し遠出する事で頭に緊張感を持つ為もあるのです・・3回の乗り換えをしながら

それでもまだどの位置が1番降りやすいか?が解らない人ですが・・うふふふふ

ま、病院へ行き娘の家でお昼を食べて老犬になった白柴を見て、帰路はスーパーへ

より、本やで5冊文庫本を買ったら重くなり、結構ずっしり背中にきた。

先日来より、リュックを使用している・・もう手で持つことが出来なくなって来た。

お米を買って根菜を買い調味料など購入すると途中で何度も持ち替える有様、暫く

は手が痺れるようになったからです・・「やれやれー」を心の中で独りごちる!

※住めば都と言うけれど・・

◎ベトナム人との違いを書いてみます。【あくまでも個人的主観で独断的】

何時もより軽く読んで下さると嬉しいです・・ははははは

①人前でも公共の場でも大声で喋る。お喋り大好き国民。

②自己主張が強烈で日本人には手に負えない場合が多い、殆ど国際結婚している人

 などは放置状態・・(@_@;)

③色白は美人? ま、暑い国ですからどうしても日焼けするせいでしょう・・外国

 人に対する色の白さを意識し過ぎる。

④親しき仲に礼儀は全くなし。日本では矢張り身内でも親族でも会社関係でも上司

 目上に対する応対は言われなくても子供の頃から何となく躾られるが、その感覚

 がなくなる。年長者だけには敬意を払ってくれる。これは宗教のせい。

⑤自他の区別は皆目ない。自分の物と他人の物の区別がないから欲しい時はどこの

 家にでも入って行く〔例えば煙草王国だからライターが手元に無い場合〕誰の家

 でも玄関が空いていて、そこにあるのが見える時、または店などへ勝手に入って

 行き使用する。家族になれば部屋への出入りの断りはなくなる。

 身勝手にクローゼットを開けて、気に入った服など平気で着て出かける。冷蔵庫

 から好き勝手に取り出し飲んだり食べたりする。これは家族など枠の中の事だが

 冷蔵庫は誰でも他人の家でも勝手に開ける{断るとか声を掛けることはない}

⑥人の迷惑など考えない自分が中心。自分が1番だと思っていて譲る事はない。

⑦家族が何より1番で配偶者は2番目以降でがっくり・・位置関係は落ちる。

⑧プライドが異常に高く貶されたり失言すると猛烈に反発をする。

⑨先ず絶対謝る事はない。自分が正しいと思う信念が凄い!

⑩建前と本音は上手に使い分ける。これは日本人的感性に近い。

⑪お節介なほど親切?これも仏教の教えがあって親切にすると自分に戻って来て

 仕合せになれると信じ込んでいる。困っている人には凄く優しい。

⑫男女を問わず見知らぬ人でも何年来の親友のように誰とでも話す。

⑬時間は酷くルーズで守る人は少ない。約束事も忘れるのか?正確に守られない。

⑭大雑把でいい加減。その場が繕えばそれでいい。

⑮酔っぱらいは見た事がない。最近は女性も飲む人が増えたが当初は女性の飲酒

 は玄人と決まっていた。男性がお酌をして回リ女性は一切しない。

⑯唾、痰を平気で吐く、手で鼻をかむ人が多い。

⑰騒音が酷く音量はTV、カラオケなどは最大の音響を出す。

⑱直情径行型の人が多い。直ぐカッとなって喧嘩する人が多く、吃驚させられる。

⑲親孝行。『これは本当に想像を超えた感情で羨望感に値する』

⑳道路はぐちゃぐちゃ。最近はかなり信号で停止する車が増加したが昔はそれが

 なくて恐怖だった!急ブレーキ、Uターン、歩道乗り上げ、何処からでもバイク

 は出てくる。バスやトラックなどの大型は「そこのけ!」的な威圧感で長い音を

 鳴らし続ける。道路は何でも走っているし間で人の横断もあり、騒音と同じ頻度

 の接触事故が多い。これもかなり緩和されて来ていましたが・・未だ未だバイク

 の数は物凄くて、ベトナム人の足です。 だからこの国で歩いているのは大抵は

 外国人が多いです。

ま、もっと沢山あるのですが・・大体この様な事がらがベトナム人気質だと言える

のではないでしょうか?まだまだありますので、又の機会に書きます。

心の中は腹黒い人は少なく宗教に感化されて育っているせいでしょうか?割合親切

です。日本人を好きな人と嫌う人の差はかなりありますが概ね礼儀正しく、金持ち

神経質、時間に煩いとか車、IT企業などが豊で高級品で品質が高いと思われている。

現在は情報時代ですから・・以前ほどの差は無くなって来ていますが、家電などの

製品、車、バイク、ITについては評価が今でも高く日本製はステータス。

特に最近は和食店の増加でベトナム人の中にも日本食に興味のある人が増えている。

昨日の暖かさが未だ残っている浪速の朝になりました。
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