ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/31(Thu)
暁光は何処かへ雲隠れした・・長い1日は雲が空全体を浚っているかのごとく心に

底冷えを与えるような日になってしまった・・(-.-)

短兵急であり又短絡的な天気に一喜一憂されながら生きている人生・・これも確実

に存在する事を教えてくれるものです。意識の中では何も把握できてはいないのに

感情だけに左右されていく生き方も、ある意味個々の人間性を問われるようで恰好

つけている感覚がありますが・・うふふふふ

誰かの為ではなく自分自身をむやみに探している部分があるのかも知れません・・

帰国してと言うより、この歳で初めて、家の前に消防車が停車して驚きました。

{この地は老人が多いせいかしら?} 消防車の出動が本当に多く毎日、その音を

聴かない日はありません。昨日は火災に関するアンケートという話で、3人の消防

隊員の方が来客。1枚の紙に色々質問されて、1人は部屋の中の電気のコードなど

点検、もう1人は消化器を調べていました。初めての体験でした!ま、年齢や呆け

程度も調べていたかも知れませんが・・あははははは 爪楊枝等お礼に頂きこれも

吃驚しましたが・・個別に訪問している様子を拝見して・・こんな経験したことは

嘗て無かったと思っておりました・・( ^^)  ”感謝せねばならないです!”

※ベトナムニュース

ベトナムに入るには〚タンソンニャット空港〛と言う玄関口がありますが・・この

空港について・・一寸知っている事だけを書いて置きます。以下に話が出てきます。

現在の空港になったのは2007年に4F建てで日本のODAによって新ターミナル

に変化して未だ新しい感じがします。大きくなって凄く綺麗です。1Fが到着2Fが

出国になっていますが日本への便は殆どが真夜中に出発します。この空港の当初は

米国の援助で1950年に国際空港として設立されたと言われています。

しかし、ベトナム戦争中は米国の軍事施設として活躍していた様ですが米国に勝利

したたった1つの国として、この空港でも戦争があったようで有名です。

市内中心部から8㌔と割合近いのも特徴です。送迎が凄いので降りると仰天します

が・・それも楽しい光景です・・ははははは

◎Long Thah 新国際空港プロジェクトが首相から承認を受けた

計画によると同空港はホーチミンから40㌔も離れた位置に建設される予定だそう

でDong Nai省Long Thah県に整備されることが決定された。年間1億人、5千㌧

の貨物の受入れを期待していると言われています。完成すれば4000㍍の滑走路

を4本擁しA380~800型機を受け入れが可能になるとか?

未だプロジェクト段階ですが、完成すればタンソンニャトの国際線を移管し国内線

のみに移行させるという話が出ていて大きな期待が寄せられています。

◎ベトナム最大級の石炭火力発電所が着工

Lilama社とHa Tinh省人民委員会はky Anh県 Hai Phong村落でvung Ang1火力

発電所の起工式が行われた。 投資総額は12億5千万㌦。出力600MWを2基で

ベトナム最大の石炭火力発電所になるそうです。

もう次々と大型プロジェクトや大きな企業が稼働してベトナムという国は発展途上

と言う名前から少しづつ遠ざかる感じがして驚嘆していますが・・(@_@;)

国が成長する事には長年住んだ国だけに心情も思い入れもあって心嬉しく感じます。

因みに日本との2国間貿易額は昨年11月で90億㌦現在日本企業のベトナム投資

は724件で70億㌦を超えていると言われています。実行額は48億㌦で実行率

は対越投資国、地域では日本が最高額だそうで・・これにも驚かされましたねぇ。

朝の光はキラキラして屋根瓦に反射して明るい日差しの中で朝を迎えた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/30(Wed)
容赦なく降り積もる雪の勢力は北国の皆様にいかばかりの苦痛を強いているのだと

想像しながら・・早く冬が遠出する事を願っている昨日今日です。当地は久しぶり

に気温が上がりました。近くの郵便局へ出かけて大和川の土手をちょっぴり散歩し

戻ったのですが・・前日来の寒さのせいでしょう・・暖かく感じました。退職した

らしい年齢の男性が2人土手を走っていました。

軽装で首にタオルを巻き1人はショートパンツ姿「あらら、いかにも寒そう!」と

感じていましたが走っている分には丁度いいのかも知れません?対岸には完全装備

の自転車に乗った人が通過する。孫を連れて散歩しているお婆さんがいる。本当に

たった数度の違いで土手は華やかになり人が屯してくる。いい遊び場であり、運動

出来るからだろうと思って眺めていました。日常のこんな風景にも{春遠からじ}

を感じ飽かず見ていましたが、じっとしていると矢張り寒く早々に引き返した・・

見えない明日に期待しながら・・蠟梅の咲く庭を見つつ、山茶花の落下に心揺れて

残された時間はまるで蜉蝣の羽のように脆く寂しく薄らいでいく時間を止める術も

ない・・(・_・;)そんな事をふと思いながら「でも未だ元気で生きている」感覚を

心に刻み帰宅した。たった40分程度の外出でしたが・・( ^^)

    ”こんな時間も凄く愛おしく感じる年齢なのです・・うふふふふ”

※市場の中

◎米や

大型のポリバケツの容器に上手に山盛りにして売っている。米やも数軒あって袋の

まま口を広げて並べている店もあります。種類も豊富で安価なものから高級品まで

沢山あります。勿論、ビニールの袋に入れて秤で計る方法ですが・・これが長年の

勘でしょうか殆ど狂わず大体3㌔と言うと大抵ぴったりと計る人が多く購入できる

慣れるとは凄い事だと何時も感じていました。米はインディカ米です。餅米、赤米

黒米、半潰しもあリ、これはベトナムの朝食に店で出される米ですが・・高級品に

は香りがついている物もあリ、嗜好品だから嫌な人もいますが・・(-"-)

個人的には安価で匂いのあるお米が好きでした・・あははははは{お米の国}です

から本当に種類は多く1㌔50円位から300円位までずらっと並んでいる。どれ

が美味しいのか?高いと美味しいのだろうとは思うけれど、丁度中間辺りを買って

いたのですが、割合い美味でしたねぇ・・(*^^)v

色々と最初は食していましたが、どんなお米でも大差はないように思えていました

(味が解らなかったのかも知れませんが)もう少し安価でもいいか?とか思う様に

なって、結局は130円程度の物になっていました・・きゃははははは

餅米の普及は盛んでした。日本の丸餅を薄くした形で2個上下にベトナム製のハム

を挟んだ物は有名でした。でも何度か頂きましたが・・(-.-)多分、ベトナム人は

ニュクマムや唐辛子、塩などをつけて食する人も多く・・私はそのまま食べていま

したから・・凄く美味しい感じはありませんでしたが、この国では小腹が空いたら

食べるみたいな感覚がありました。バナナの皮で包んであリます。中のハムの種類

や量によって値段も変化していましたが10円位で買えました。 赤飯等のお強は

種類も多く何処の道路でも炊きたてが食せました。これはかなり好きで朝やお昼に

は私の食事になっていました・・(*^_^*)

様々な種類の豆があり、餅米にも色のついたものもありました。花豆、大豆、小豆

などがお茶わん一杯分の上に砂糖と胡麻、塩、きなこ、ココナッツ等を好みで言い

載せて貰っていました。初めて砂糖で食する事を覚えました・・(@_@。 

道路で煉炭から火が噴きだしている天秤棒担ぎの小母さんによく出会い熱々を食べ

ていました。

◎花や

ホーチミン市内には花や通りという場所があって、そこでは大きな花束や花籠、又

は冠婚葬祭用の花が作られて売られていました。ずっとその通りは花やばかり・・

市場の中にある花やは大体は果物やとか野菜やの横にコーナーを作って売っている

店が多かったです。大抵は菊の花が多くて、玄関には凡そ日本の仏壇の様に陶器で

出来た中に陶器の仏像の様なものが祀られていて、花はそこに飾るせいでしょう? 

電灯を点けて朝は必ず拝んでいます。ま、殆どの家にはありました。グラジオラス

百合、ガーベラ、カーネション、薔薇、それらに合わせる様にアスパラガスや名前

の知らない葉っぱ類が入れ替わりで入って来る位です。それでも飛ぶように売れて

いるのはそれだけ信心深いせいだと思っていました・・( ^)o(^ )

仏壇を娘宅に預けて来たので写真と花瓶だけでしたが、何せこの暑さだし花は長持

ちせず氷水にしても菊が3日位で駄目になるのを繰り返していました。 他の花は

2日持てばいい方で・・直ぐに駄目になりました。だから生花でない花の数も多く

ありましたがそれらは綺麗だけれどどうしても買う気が起きなかった・・(+_+)

◎下着や

何故だか?女性の下着が多く、男性の物は殆ど見かけなかったですねぇ。特に大量

に山積みされて放出されるのがブラでやたらカラフル、強烈な色が多く、レース等

がひらひらと凄く付いている物や刺繍されたものが多かった気がします。物凄い数

が出されている中から若い人も中年小母さんもひっくり返したり、取り合いしたり

もうその人数の多さにも驚くほど幾つも1度に購入します・・(@_@;)

ただ、パットが必ず付いていて、アオヤイ姿の時は胸を強調させるのが風習だから

全ての品はパット付きになっているんです。私もしゃがんで何度か手に取って見ま

したが固い金具が入っているしパット入りは使用したことがなく、この国では買う

ことは無かった!それは吃驚する程の量が積まれ、人々が群がるのです・・(@_@。

面白い光景ですし凄くお洒落なのだと思って見ていました・・ひゃははははは 

偶に生地屋さんも一緒に入っていたりするが市場内はスペースが限られているから

露店に出る下着やで買う人も多かったと思います。 値段は100円位からあって

女性には何より楽しみな安いお洒落だったのかも知れません・・(#^.^#)

日本人には感覚的に受け入れられない色合いが数多あり、薄いTシャツの下から丸

見え状態でも男性は慣れているのでしょうね・・大体の人は目もくれないし、別に

凄いカラ―でも気にならなくなって馴らされているのでしょう・・うふふふふ

当初は驚きましたが、これも気にならなくなるものです。シースルーの上着から見

えても羞恥心は余りないようでした・・これ等は流石常夏の国を思い浮かべますが

慣れるもので、そんな事を気にする方が変な目で見られるというのが現状でした。

あっけらかんとして大胆で誰でもがそうだから、自然なのでしょうねぇ・・(^_^;)

少し寒さが緩んだ様で、でも雲がすっぽり覆っている空ですが然程の寒さは感じな

い浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/29(Tue)
抗う事の出来ない真冬の寒波に手こずりながら・・部屋の中で過ごしてしまった!

それでも、地上に降り積もった雪は完全に消えてしまう関わりの薄さを有り難いと

思う。札幌生活が長かった私の暮らしからすれば積雪とは言わない。身に降り被る

程の雪ではないからで、それもまた些細な事だがそんな光景にも生きている充実感

を感じておりました・・うふふふふ

陽光が時々差して洗濯物を半乾きにしているが、それでも外に干せる喜びも又、私

には小事なことだが仕合せと思わせてくれる何かがある気がして嬉しいのです!

人生は日々進化し想像以上の迅速さで流れて行きます・・停止信号などなく巨大化

した流れの中、時は刻々と奏でて去って行く。それでも〔人生、未だ途中〕みたい

だから諦観しないで流れに沿って行ってみよう・・案外、人生って思うほど悪くは

ないかも知れない・・なんて思う近頃です・・わははははは

今日は違う話をと思っていましたが・・市場の中をもう一回りして書いて置かねば

忘れてしまうような兆しがあるもので・・(-"-) 続きを書きます。

※市場の中

◎肉や

早朝の肉やには巨大な肉の塊がドーンと置かれているのを目にして驚嘆することが

間々あります。それは大きな鉈のようなもので捌かれて行く。またリヤカーや車に

積載された塊を置いて行く業者もいる。スーパーや肉やの内部を知らなかったから

こんな大きな塊がある事にただただ仰天して見ていましたが・・逞しい若者たちが

捌いていく様は見ていて胸が{すっきり}するほど力強いものです。どの部位なの

か?理解できない人だから段々と細部にまで鉈が入り一定の大きさまでカットされ

ると若者は小母さん連中に任せて仕事を終える。残された部位も未だ十分巨きくて

それを今度は大きな中華包丁で小母さんがカットして目の前に並べて行きます。

これ等もかなりの力仕事で<日本の様に骨が取り除いてない>大きな包丁で力任せ

で割る様に骨を砕き骨付きをだす。また骨無しの部位も未だ大きいままその中から

選んで「この位?」なんてジェスチャーで言って購入していました。骨付きのまま

を買うことはそれほど多くなかった。鶏肉の場合は買っていましたが・・(-_-メ)

有る程度の大きさになると屋台の様に四角く角に釘が沢山あってそれに掛けていき

そこから選ぶ事も出来る。大きなものから長い部位まで豚などは足、顔、耳などが

吊られています・・(#^.^#)

ベトナム人は家族が多いから巨大な骨付きのままを買っている人が多く、重そうに

バイクまで運んでいる姿を見たものです。焼き肉も骨付きが多いですし、骨近辺の

味は格別の様で、骨のない部位を買う人は少ないかも知れません・・はははははは

中華包丁で叩く煩わしさもあり、1人だから少量で満足する。停電もあるので多く

買って置く事ができないから数日分になる。それでも肉は安価で大抵300円程度も

あれば挽肉も、バラも塊も買えたのです。持ち帰って綺麗に水洗いして、カットが

出来る程度まで冷凍庫で冷やし少し固くなったところで薄く切っていました。

それでも1週間以上は持つから肉やへは日参したことはない・・( ^^)

◎魚や

ここは足元が水浸しで、長いパンツでは裾がドロドロの水が跳ね上がるから短か目

のパンツで行かねばならない。その沁み込んだ泥は取れないからです。 以前にも

書きましたが大きな盥が{店により異なる}が大体7個位は並びその中で川魚が勢

いよく飛び跳ねる様に泳いでいる。雷魚が1番のメインになっているが海の魚もあり

ますが鯖や鰺、烏賊、名前の解らないピンク色の魚もよく見かけました・・(-.-)

海老の養殖は有名で日本などにも輸出している位ですからその種類も多く、大きさ

もかなりで籠で買う人も多かったです。思ったほど高価ではなくて、大きな海老は

それなリの値段でしたが通常に食するには安価で買っていました。ベトナムでは魚

は煮物、揚げ物で焼き魚は先ず食べません。焼いて食べるのは魚介類と牛、豚肉位。

魚焼き器はどの家庭にもコンロには付いていないのが普通です。 身を擂り潰して

さつま揚げの様にする物等は【チャーカー】と言って美味ですが、雷魚の身や安価

な魚の身を混ぜ合わせ香草や香辛料をいっぱい入れて揚げ立てを頂くときは本当に

美味しかったものです。日本ではすり身にして売っていますがこの国では刃付きの

金具で削り落しています。これは面倒なせいでしょう・・かなり高いです。凡その

家庭では自分で捌きすり身を作ります。また魚やでは包丁は殆ど使用しなくて、鋏

が大活躍しています・・家庭でも鋏を使います。3枚におろすなんてことは和食店

以外ではないと思いますし刺身も食さない国です・・(@_@。

何時も水道水がホースから流れ、又ポリバケツに満杯の水が張ってあるから鋏で鰓

等とって貰うとその水で洗うから何処でもドロドロの水が溜って魚の臭いがする。

鶏肉は別で、日本の様に肉やにはないのが通常で鶏肉専門です。大きな粗めの籠の

中には何時も数羽の鶏が入っています。裏の空地の様な所で毟っている処を見た日

は買えませんが鶏肉も1羽か半分位の大きさでしか売っていません。だからその店

でもう少し小さくカットして貰う以外ないのですが、鶏やは何故か小さくする事を

嫌います・・(><”)仕方ないから半分とかをカットされている店を探します。

冷凍品も多くこれは割高ですが、大きさは色々ありました。ベトナム人は鶏の足を

好んで食べます。しゃぶりつくように子供も大人も大好きみたいです・・(*^^)v

また。明日は違う店をご紹介します。今朝の寒さは昨日ほどではないですが、太陽

の力不足で肌寒く感じています浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/28(Mon)
昨夜来の雨が雪に変わったらしくいちじく畑には真白い積雪があり・・驚いた!!

空を見上げると雪雲が未だ威力を持っているようで、暗雲が空半分を覆い尽くして

いる。珍しく{身を切る感じの冷たさ}に一寸吃驚しつつ大判のストールを頭から

巻きゴミを出してきた。空を見て止めようかと思ったのですが週末からの洗濯物が

有ったので思い切って洗ってしまった・・( ^^)

「いやー干すのはいいのですが・・その冷たいこと」手が悴むのを堪えて、やっと

の思いで干し終え、部屋の中の雑巾がけ(お湯にした)を終えて、仏壇を掃除。

今日まで咲いてくれた小梅を捨てた・・暫く楽しい時間と香りを教えてくれた花々

に感謝しながら正月気分が完全に抜けて行きました・・あははははは

真冬の中咲き続ける花の生命にも元気をもらえる幸せがある。有り難いことです。

生あるもの全てに深謝しなければ・・ここまで生きている意味がない気がして・・

何事もなく平凡で終わる日々が本当に嬉しい感じがしています・・<(__)>

※市場の中  {今日は10区にある大きな市場}

ベトナムはもう少しで旧正月【テト】を迎えます。多分、今頃は年末で忙しくして

いる市場の中だと思います。 友人からメールが入り年の瀬の賑わいを書いて来て

くれた。今年も相変わらず騒々しい中、少しづつ個性的な【テト】の準備が進んで

いるとありました。彼女は4日間実家へ帰るとの事ですが・・昔に比べたら嘘の様

に短い休みだと言っていました。時代が変わると生活様式も変化する。段々と休暇

が少なくなって来ているのが現状です。来越して初めて迎えた【テト】は殆どの店

やスーパー、デパートは2週間程度は休んでいましたし、個人商店は1ヶ月も店を閉

じていたものです。 時は移り人の流れも変わり、どんどん変貌を遂げていく国を

見るのも一興です・・(*^^)v

さて、市場の中をご案内します。 10区に住んでいた期間は短かったのですけれど

15分歩くと大きな市場があって、そこへ行くのが何よりの楽しみでした。もう大分

この国に慣れて来ていましたから・・も、何処へ転居しても平気で買い物ができる

程度にはなっていました。最も外国人値段をつけられる事はしょっちゅうでしたが

それはもう考えないようにしていました・・わははははは

ベトナム人にとっての市場は特別な思い入れがある気が何時もしていました。全部

そこで揃える事が可能で、何でも売っていました。玄関に入る前の道路沿いから店

が並び、市場に入らなくても購入できるだけの露店の数がありました。そこら辺り

を冷やかすのも楽しみで、見知らぬ食べ物を随分買ったものです。

この市場は一応、玄関辺りには衣服や履物、身につける物の店があって順番は決ま

っていない様ですが野菜、麺類、香辛料、パン、食堂などがあり、奥の方は肉やと

魚やがコーナーを別にして沢山の数の店が隣同士で並んでいるような市場でした。 

何処からでも出這入りが可能で、玄関はあるが全て、解放されているから四方から

人々が湧いてくるように朝の市場は賑やかです・・ふふふふふ

大抵は6時には開店していますが・・遅い店もあったり、あまり早く行くと市場内

は準備中だったり、それでも客はその中をずんずん入って行っては購入していた!

他人の思惑を考えないから自分の都合で時間など全く気にしないからで・・(-.-)

荷持を解いている店の前でも自分で傍にある包丁とか鋏で、勝手に切って欲しい分

だけ買っていく人などごく当たり前のような行為がみられたものです!

店もそんな事には拘りもせず好き勝手にさせている・・うふふふふ そう言う私も

未だ半分位しか商品が並んでいない店で荷物の中から香草を引き出したりした事が

有りましたが・・別に嫌な顔もされなくて買った事が何度かありました・・(+_+)

さて野菜から話を続けます。

もう周囲は全部20数軒位はごく普通に並んでいます。最初はどの店に行けばいいの

がさっぱり見当もつかなくて・・うろうろしていましたがよく見るとその店により

変な言い方かも知れませんが得意があるようで葉野菜だけとか色々あっても他の店

に有ってその店には無い物があるなど、根菜ばかりとかの店もありました。

あっちこっちで買うのも面倒なので出来るだけ揃っている大きな店で買っていた。

日本と違って驚いた野菜に大根と白菜、胡瓜、トマトなどもっともっとありますが

大根は日本の大きな瑞々しい感じのものはなく小さくて固くそのままでは食せない

味も余り美味しくない。大抵は千切りにして塩で揉み人参との〔紅白ナます〕とか

塩漬けにされたものが多くそのまま煮ても固いし芯があります。白菜も小さいです。

これは鍋ものや煮物に使用できますが、これも余り美味ではなく、新鮮さが欠ける

気がしていました・・(-"-) 冬瓜やニラなどは美味でした・・ははははは

胡瓜はやたらでっかくてズッキーニーに似ています。太くて種も大きいから口の中

に残ります。トマトは殆どが煮物用だから青いトマトが多く余程でないと生は家庭

では食しません。レストランや高級食堂、和食店にはサラダに使用しますが、この

国では煮たり、スープ、炒め物として利用します。ホーレン草や空心菜などは想像

出来ない大きさで50㌢以上もあって・・葉物は大体大きく成長します。

その上、葉物には香草の種類が多く、何よりも楽しみでした。大抵が泥つきのまま

で、コリアンダ―、イタリアンパセリ、セージ、ミント、ドクダミ、シソ、セロリ

バジル、蓼、レモングラス等があって、好きで毎日購入していました・・(#^.^#)

想定外だったのはジャガイモが美味しかった事です。芋類は紫芋やさつま芋、里芋

又よく分らなかった芋類もありましたが生姜、大蒜、ライム、唐辛子などは豊富で

何処の店でも山盛に売っていました。 蓮はベトナム料理には必需品ですから連根

以外に花、実、茎など捨てる所など無いから夫々に沢山出回っていました。

日本では先ず、花は花やさんでしか見かけないと思いますが蓮は全てを凄く食べる

国民でお菓子にも使用します・・(*^_^*)

バナナの花や、カボチャの花も食しますしパパイヤの青いのもサラダや和え物にも

します。 バナナはどちらかというと日本とは違ってモンキーバナナの売れ行きが

多かった気がします。普通のバナナは本数が多いから私は先ず買えなかった。直ぐ

に傷むし多過ぎて食べ切れなかったからです。 それでも果物や以外にも調理して

少量でも購入出来る店も有りガラスケースに氷を入れ皮を剥いた西瓜、マンゴーや

パイナップルなど季節のフルーツの少量が売られていてそれはよく買いました。

1つでも売ってくれるからです!

豆類の種類も絹さや、大豆、隠元豆(凄く長い60㌢位もある)ささげの様なものも

有ってこれらは重宝しました。 味付けはベトナム風ですが作るのは和食でした!

キャベツも悪かった!皮が固くて青い色のものはなく殆どが白く刻んで食べらえる

柔らかさはなかったです。炒め物やスープに使用していましたがこれもいま一つで

美味ではなかったですねぇ・・(-_-メ)

種類が豊富で野菜には新鮮さがあって本当にベトナム人は野菜を多量に摂取するから

余り太っていないのかも知れませんが・・(@_@;)最近は現代っ子がコンビニの弁当

やファーストフード店が増加したので子供の肥満が心配されているという話もあって

でもこれも時代の流行でしょうし、パスタや仏料理、インド、中国、タイなど多国籍

料理も盛んで《食の王国》をベトナム料理だけではなく膨張している気味があります。

勿論、和食店や寿司店、ラーメン店、総菜や、弁当やなど日本食品の販売も数え切れ

ないほど進出しています。まだまだ増加傾向があるようで・・\(◎o◎)/!

市場内はまた、異なった魚や肉など書いていく予定ですが・・(*^。^*)

部屋の中にいて息を吐くと白くなったのは初めてだったかも知れない浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/27(Sun)
北風が強く時には砂塵を巻き上げる様に吹いたり、低い音で威嚇するような激しさ

で吹き荒れていました・・(-_-メ)

日本海や北の方面では大雪だった様で大変な生活を知っているだけに心からお見舞

申し上げます。自然のことですから逆らえないですが・・毎日の雪掻きなどでお疲

れが出ませんように・・祈っております・・<(__)>

今頃が1番寒い時期なのでしょうが、それでも日差しがあると少しは体感温度も変化

するようですが「寒い週末」を迎えました。少し暖かい日には公園の中は老人たちの

日向ぼっこがあちこちで見られ、コロコロと太った様に帽子から足元まで重ね着した

姿でベンチを占領している姿を見かけるのですが・・流石にこの寒さでは1人もいな

く・・北風だけが暴れている感じでしょうか?・・(><)昨日は時雨て時折、霙が

混じっていましたねぇ!寒い筈だと部屋から見ていました。

※ベトナムニュース

◎アイススケート場

暑い国にアイススケート場が完成したという吃驚するニュースでしたが・・内容を

読んでみると少しがっかりでしたが・・(@_@。珍しいのでご紹介します。

帰国するまで住んでいた7区にあるクレセント・モール(知っています)にリンク

ができたという話です。この話を聞いて多分、大抵の人が地下駐車場の空地などを

想像された事と思います!実際、私もそう感じて新聞の記事を読んでいたのですが

何と1Fの広い通路に10㎡四方の囲いの中に出来たそうで、その中がリンクになっ

ているそうです。広さは100㎡らしく家庭で子供用のプールをする程度の感覚みた

いで滑っているそうです・・うふふふふ    それでもベトナムでは想像外の事

ですから話題になっているようです・・(#^.^#) 樹脂製ではなく一応、本物の氷

で作られているとの事で驚嘆しましたが・・(@_@;)収容人数は40人で1回45分

で700円程度だと言われています。また、祝祭日は1000円程度になるようです。

常夏の国のアイススケートなんて面白そうですが・・ははははは

◎日本物産館ができた

これも7区でリバーパークビル内でオープンしたと言います。 『知られざる日本』

アジアと日本各地の“架け橋事業”として経済産業省{クール・ジャパン戦略推進

事業(海外展開支援プロジェクト)の一案としてブレインワークスが展開するもの

で日本物産館が完成したそうです。

現在は徳島県、北海道、京都の3道府県を中心に日本の物産を展示している様です。

但し、販売は未だ未定で試食なども未だだから観るだけの状況だと掲載されていて

未だ未だ今後の予定が定まっていないようで不確かでこんなオープンの仕方が多い

のも、ベトナムではよくある事ですが・・(-.-)

大きなビル内の1部分だけがオープンする事も決して珍しくはないのです。中に入っ

て空間が大きくぽっかり空いているという事も多々あって愕然とすることを何度も

経験しています。  単純に工事が遅れているのか?事情は理解できないのですが

国からの許可が中々降りないことも要因だと言われています。このような話は外国

商社や外国資本の店では本当に多く有って・・対外交には慎重すぎるほどの国策で

すし、進出を決めこちらサイドは準備万端という状態でも、政府方の許可や申請が

長引いて、思う通りのオープンが出来ないことが数多あるようです。 これは国の

違いでもあるし、いろいろと画策がある事も聞かされていますが本当の所は表面に

出さないから確認は全くできません・・(--〆)

どうしようもないみたいです。今回はどうなのか理解できませんし、掲載もされて

いなかったから判断はつきませんでしたがいづれにしても対外交は日本とは比較に

ならないほど上手い国だと何時も思っておりました。

相当の策略家が多いのか?国の政策の違いや社会主義国家のあり方のせいかは私の

頭脳では及びもつきませんがかなり上手く対外交については評判が良いようです!

日本も早く諸問題が解決できることを願っていますが・・どうなって行くのかな?

『指針も見えず進行方向さえ見えてこない現実をどうすればいいのでしょうねぇ』

余りにも大きな問題が多すぎて何から手をつけたらいいのか状況です・・(-_-メ)

それでも、帰国して本当に日本という国を再検しなければという個人的な感想です

が、そう思いました。正直、殆ど連いていけていないのが事実ですから・・何とも

情けないのですが・・(・_・;)

理解も納得もできていないのに次々に事件や大きな問題が起きるから皆目判らない

のが現実の私の心情です・・とても恥ずかしいことですが・・追いつけないし、何

を信じて何に向かっているのかさえも理解不可能なのです・・(;一_一)

それでも、時間は停止することなく刻々と進歩して行き、後を連いて行く力も頭も

無いから・・段々と後ずさりしている感覚が否めません・・(><;)

烏兎匆々と流れる時の速さは面前を暗闇の中へ押し込んで行くような気がしていて

老いて勿体ない時間を無駄にしている様な予感にたじろぐ日々です・・とほほほほ

今朝は木枯らしも収束した様で・・その分冷えが厳しく感じる浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/26(Sat)
風神の怒りが収まらないのか昨日から低い唸り声をあげては通り過ぎて行く冬嵐は

寒さが極まり触覚や、視覚聴覚までも冷たい風に巻きこまれている感じがします!

札幌ではさぞ{しばれている}ことでしょうと想像しております・・(-"-)

月や星が冴え渡り一層、極寒の寒さを感じているのは個人的な感想かも知れないが

底冷えを覚えます・・(-.-) ”例年よりも今年は寒いのでしょうか?”

以前住んでいた神戸ではゴミの収集が厳しく冊子が配布されて、詳細に分別せねば

ならず酷く面倒でした。県や地域によって違うのでしょう・・( ^^) ここはそれ程

面倒ではなく、生ゴミや不燃性の物、大型ゴミ、ビン、缶程度である。

その上{市}から指定されているゴミ袋があり、これは購入せねばならず透明でない

と駄目で透明な袋は初めてだった。時々忘れる様だが{市政便り}が思いだした様に

届きます。神戸では考えられなかったけれど・・(-.-)結構これが役に立って届くの

が待ち遠しかったものです。健康診断とか?講演会などへ行った・・うふふふふ

多分、全世帯には配布されていないみたいで駅に積んであることからして・・(-_-)

欲しい人は勝手に持って行けば・・て感じなのです・・ここでは・・ははははは

何より驚いたなのは{市}から大きな鉄製で出来た籠が5つ位前日に配達され、それ

がゴミ置き場に並べられる事で【ビン、缶のみ】ですが・・その中に分別して入れる

様になっているのです。初めての経験だから数人が入れてないと何処に何を入れれば

良いのか見当がつかず・・慣れた人が済んだ後持って行くのだが・・レジ袋一杯分も

無いから直ぐに終わり、簡単でこれは便利です。 収集が終わるとまた違う車が籠を

取りに来るという具合です。部屋の中で色々と分別していただけに凄く楽ちんです!

※洗濯

大好きな洗濯ですが、我家には洗濯機がない。来越当初、息子と数ヶ月住んだ時は

日本製の大型洗濯機があり、その上お手伝いもいて毎日シャワー室の洗濯機の前の

籠に入れておけば、乾燥した物を畳んで部屋に置いてくれる。  そう言う生活に

慣れていなかったから自分で洗いたいと思っていたのだが、お手伝いの仕事を取る

からと言われ、依頼していたが・・何となく恥ずかしくて下着以外を頼んでいた。

1人で住むようになってからは、毎日、早朝より地下{日本では1F}の台所の横に

洗い場があってそこで洗っていました。大きなシーツも肌布団、バスタオルも楽に

洗う事ができ大型のバケツで洗っていました。 が、しかしながら何度も濯ぐから

大変でした。 特に『雨季』の時期は大抵は午前中が晴れているから、大きな物は

なるべく午前中に乾くように早く洗います。それを5Fの屋上まで持ち上がり干して

くる。その後は5Fから洗剤を入れたバケツで1Fまで雑巾がけをしていました。

全てがタイル張りの床ですし、階段は石だったから、結構激しい運動をしていた気

がします。でも、何と言っても常夏の国ですから乾燥も早く1日に2度洗いも可能で

洗濯大好き人間でしたから・・あちこちから引っ張り出して来ては洗っていました!

<ただ『雨季』は何度も階段を駆け昇リを繰り返していましたねぇ・・(#^.^#)>

所謂、しゃがみ込んで洗うスタイルですから・・それが中々きつくて最初の内は腰が

痛くて湿布のお世話になってばかりでした。色々スタイルを変えてみたり低いお風呂

用の椅子に座ってみたりもやってみたのですが・・どれも上手くない・・(^_^;)

しかし慣れるもので今は30分位掛っても平気でしゃがんでいる事ができるようになり

市場や道路でしゃがんで食べているフォーやさんにもベトナム人同様にしゃがみこみ

食事したり買物を出来るまでになりましたから、慣れる事は恐ろしい・・あはははは

長い間、固形石鹸は使用しなかったのですが、石鹸の種類が豊富でカラフルで植物製

の物からフルーツ関係の香りがついた物や薬草入りなど・・もう市場ではどれがいい

のか?さっぱり判らないから大袈裟に言えば置いてある順番に使用していました。

外国製{日本製品も含め}沢山の種類が所狭いしと並んでいました。 それは見事な

陳列方法で上手でした。ま、ベトナム人に限らずアジアや諸外国でも物品の陳列方法

は面白く、国によってかなりの差があるからそんな所も興趣を感じました・・(-。-)

大雑把な国民性なのに妙に繊細な方法で、ディスプレイされている光景は不思議感で

飽きずに眺めていた時期もありました。 かなり器用ですし天井から吊下げたり外の

街路樹に迄蛍光灯を点灯させたりそれはそれは面白い景色が見られます・・(@_@。

「あら?横道に逸れてしまいました」が、洗濯物の干し方にも国民性があるのかも

知れませんが・・あるいは性格かも?ですが・・(*^_^*)

我家は屋上に竿があって、それに服類はハンガーで干してタオルやシーツは大きく

広げて干していました。所が上から見ていると色々な干し方がある物で店の横に釘

を打ちつけそこに段々にして掛けていたり、広げる事は全くしないで洗ったままの

形で上に載せている人などもいます。息子の家にいた14歳の女の子は洗濯機も初め

てだったし干し方も物干し台に重ねて載せるという変わった干し方をしていたので

嫌味だったかも知れないが目の前で1つづつ広げて干す事をして見せてからその様に

変わり干していましたが・・地方出身で全く何も知らない子でした・・(@_@;)

それでもボーイフレンドがいるというから吃驚しましたが・・1年もいないで帰省し

たようです。 どんな干し方でもこれだけの太陽熱ですから重ねていても乾いている

のかも知れませんが・・皺が酷いのでアイロンをかけたらと言ったこともあります。

アイロンも見たことが無かった様ですし、地方の貧困家庭で育った子だったのだと思

いますが・・故郷が恋しかったのかも知れません。   その後は中年の小母さんが

来ていました。次々と代わっていました・・( 一一)

その話はまたの機会に・・洗濯だけでも国が違う事で干し方さえも変わる事に興味が

ありました。玄関の扉に引掛けたり、オートバイの上に干したりもありました!

今朝までは未だ風が強く荒れていましたが・・今は少しづつ治まって来ている感じで

すが・・それでも未だ吹き荒んでいるという風景の浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/25(Fri)
空は蒼く薄雲は少しだけ棚引き、何とも気持ちの良い冬の晴れ間でした。こんな日

こそ外出しなきゃ・・なんて思い1駅電車に乗り銀行とその場所でしか売ってない

(いいえこの辺りでも全くない訳ではないのだが、種類が少ないので売り切れ)が

長く続く薬類を購入したかったのです。普段に使用する物だから、電車に乗って迄

買わねばならない品では無いのだが・・大型の薬局が数軒あるので、あちこち見る

事が面白いのです。同じ商品でも店により値段も違うから楽しんできた・・( ^^)

姉の誕生日だったことをすっかり忘れてしまっていた・・(^_^;)携帯を家族割に

して貰って居るので姪の家に毎月支払っている。その時、聞かされ申し訳なく思っ

たが昨年はXmasにダウンジャケットを姪と2人分上げたしお正月には料理も作った

から・・<(__)>と言って無理矢理自分を納得させながら帰宅した。姉には姪の婿

から大きな花籠が届いて凄く喜んでいた・・(#^.^#)せめて{お散し}でも作って

あげれば良かったと帰路、ずっと考えていました。 ま、近場にいるからその内に

何か作って持って行けばいいかなぁ?

※ベトナムの学校

この国には義務教育は無い。後年になり小学校だけは義務教育に変化したのですが

行った頃は無かった。小学校は6歳から5年間、中学校は4年間、高等学校は3年間と

大学が4年間となっているようでした・・(@_@。 親は戦争を経験している人が多く

子供だけには【何とか教育をさせたい願望】が物凄く強かった時代でした。

その為には{親はどんな無理をしてでもせめて小学校だけは行かせたい}人が殆ど

で、それさえ、行けない貧困家庭の子供も沢山いましたが・・(-.-)それらの子供

は親の仕事を手伝っていました。子供は1家族に最低3,4人居ましたし、多い家庭

では10人は普通だったと言われていた頃です・・\(◎o◎)/!

全員を学校へ行かせる事は出来なかった家庭も沢山ありました。 故に子供の多い

家庭では上の子供は我慢させて下に行くほど就学率が高いという形式がありました。

そして、早く独立して下の子供に教育費を送ると言う兄弟が多く、未だ幼い子供の

様な年令でお手伝いや店の掃除などをしている子供達をよく見かけたものです。

家族の為が第1の国ですから・・自分の兄弟、姉妹には勉強させたいと思っていた

上の兄弟達は本当に健気で見ていて感激したり、涙が出る思いを何度も味わった!

だからかも知れませんが兄や姉、年長者の言う事は絶対で逆らうことができないの

が当然で、それは今も変わっていません。長子の発言力や親を大切にするという事

がこの国にとっては何よりも最大の大切な事なのです・・(@_@;)

高い教育費を支払って行かせて貰った学校だから、それらの子供達の勉強はとても

真面目で真剣そのものでした。嘘の様な話ですが・・帰宅したら直ぐに親の仕事を

手伝い露天に座ったり、親を楽させようと必死になっている姿が見えていました!

日本の様に中学校まで義務教育があり、又子供の手当が出るなんてこの国では想像

さえ出来ない有様でしたから・・(@_@;)学校へ行けるだけでも十分幸せだった!

小学校へ行けても中途で退学する子供も多く貧困家庭では3,4年生で行けなくなる

子供も多かったのです。その当時は大学まで行ける人は本当に一握りの人々で家族

の援助が大変で兄弟が働いて仕送りして行かせて貰っているという環境でした!

高校生や大学になると自分でアルバイトをしながら少しでも家族からの支援を削減

させるため働くのが常識でした。 最高学部まで進学できる人はそれはそれは凄く

優秀だと言われていました。 卒業と同時にいい会社に入り、親や兄弟に返金して

行くという大きな使命があって・・働いては送金するという按配が何年も続きます。

それから結婚するのが大学を出た人の結婚感でもありましたし、返済が終わるまで

結婚はお預け状態が自然だと言っていましたねぇ・・(-_-メ)

出来るだけいい会社に就職する事で大変な努力をしていましたし、家族の生活が豊

になるまではずっと我慢してお金を貯めて結婚まで漕ぎつける人も多かったみたい。

こんな話を聞くと胸が痛み辛かったことが幾度もありました。日本では当然のよう

に学校へ行きますし、行きたくない子供もいたり親に反抗する子や今では引き籠り

で登校拒否をする子もいる世の中ですから・・まるで嘘の様な話です・・(-"-)

日本との教育の差をこの時ほど感じた事はなく、恵まれた環境で勉強できる日本の

子供、甘い親に自分も含めてこの国の未来の発展を感じておりました。

行きたくても行けなかった子供達が大勢いましたから・・心苦しい感覚が教育には

ありましたし、随分色々と考える時間でもありました・・(・_・;)

それでも家族の中で1人でもいい会社に入り生活が楽になると親は早々と子供を手放

すから、40歳位でお婆ちゃんやお爺ちゃんになり、老けて行くのは早い国だとそう

感じていました。 だから、私が1人暮らしする事も、年齢を聞かれることも不思議

ではなくこの歳で孫のいない事や再婚しないことの方が想像外だったようです!

様々な人達と言ってもある1部分しか見ていなかったベトナム生活でしたが、日本が

どれほど恵まれた学校教育がなされていた事かを改めて痛感しておりました。

尤も現在はインターナショナルスクールも数ヵ所あり、日本人学校、韓国人学校など

あの頃とは比較できないほど沢山の学校が出来ていますし富裕層も増加している現実

また、学校も小学校までは義務教育になったり中学校までは凡そ行っているのが事実

だと思います。 高校生は親の資金力が未だ関係有るようですが・・子供の数も少な

くなって、大体通っている子供が多くなって来ています・・(*^_^*)

大学は未だそれ程多くはなく、優秀さが問われるようですが・・日本の大学の数の事

を思えばかなりの{エリートコース}で有ると言えると今も思われます。 外資系の

会社が多くなって来て、外国人も増加しているしまた国内の政情も安定しているから

経済の発展も相当変貌している現在は結構な数の就学率だと思っています。 その上

今は塾も盛んで外資系が多くなった分、教育に掛ける費用も親の負担も多くなってい

ると思うのですが・・凄い数の子供が塾通いをしている事実から余裕がでてきたのだ

と感じている反面、今の若い親には子供が少なくなりました・・(--〆)

今朝は早くから木枯らしが吹き荒れていて、昨日とは打って変わった空模様で明けた

寒い浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/24(Thu)
1週間前とは同じ場所とは思えないほどパスポート申請、取得場所は空いていた!

時間も1時間以上は遅かったのですが・・\(◎o◎)/!するほど早く終了したの

で、何だか心の何処かで気負っていた分ほっとしたりカクンとなった・・( ^^)

折角外出したので、本やへ寄ってみたがここも殆ど人が入っていない。今の本やは

雑誌類にはビニールが掛けてあるから立ち読みもできないのですねぇ・・ふふふふ

滅多に雑誌売り場など行かないからそんな事さえも知らなくて、時代遅れを痛感し

売れ筋の本には様々なポップで訴求力をアピールしていました。手に取って見たの

ですが、現在は古本が凄く出ているので。値段を見て手を引っ込め・・あはははは

安価になったら購入しようとか?考えていました。部屋にはなるべく物を置かない

買わないを一応目標にしているのですが人間の慾は果てしなく1つ2つと物は増加

するものです。生きていく上で最低限何て格好つけていても、思う通りにいかない

のが現状です。ここで堪えなければと思うのだが、矢張り余計な物が増えている!

※美容室

ベトナムに住んで少し慣れ3年位経った。そろそろ色々な意味で帰国を考えていた。

本当に自由でこの暮らしが気楽になり、ちょっぴりだけ理解も出来、この国の適当

さにも馴らされていた頃、ベトナムは大きく変貌して来ていました。あちこちには

大型スーパーやデパートも建設されて、街中も見違える様に様相が変化していた。

海外からも沢山の会社が入って来て、外国人も増えて来ていた。外国で修行したと

言う美容室へ行ってみました。何が困っていたかと言えばヘアーカットでしたから

挑戦したのです・・(#^.^#)

ずっと色々な店に行ってはいたのですがカットだけでパーマの経験はなかったから。

ま、ベトナム人は今でこそ誰でもが当然のようにカラーリングしたりパーマも若者

達はしていますが・・直毛で長いのが普通でした。だからパーマの技術は全く無知

な人が多かった時代です。パーマーさえ知らない人が殆どでした・・(@_@;)

新しい店で凄く中も綺麗で男性2人、オーナーの女性と他女性3人もいる店だった。

オーナーは英語が話せたのでパーマーをかけたいと言った「OK!マダム。内は上手

海外で勉強した人がいるから大丈夫!」と言われ安心していた。

最初はそのオーナーが髪を梳いたり英語で話しかけて来たので相手になっていたら

シャンプーをする女性が交代した。これが驚いた・・(@_@。その場所で座ったまま

その場で液を掛け泡立てている(これはベトナム式らしい)1滴も零さないし凄い

手際もよく、かなり慣れて上手でした。まっ白い泡が髪の毛の中にふんわり入って

もう顔の何倍もある大きな白い饅頭になった・・きゃははははは

育児をしていた頃に子供とお風呂に入りキューピーさんなんて遊んでいた頃を思い

出すように何度も何度もてっぺんで尖らせていました。 いざ洗う時は違う場所に

移動して別室の中で他の女性が洗ってくれたがその執拗さにここでも驚いた!!

「軽く、痛いから」とジェスチャーで言ったのだが。夢中で理解してくれない・・

引っ張られる感じだったのでオーナーを呼び「ソフトにして欲しい」と告げた程!

隣には3つのベッドが並んでいて寝たままで洗い流すのです。頭の方に洗面台があり

そこで彼女は洗ってくれたのだが・・全くベッドで寝たままは初めての体験でした。

日本の様に椅子がリクライニングするのではなく全く寝た状態で洗い流すスタイル

でした。それから4人の女性が四方から髪の毛を引っ張りロットを巻いて行くと言う

有様でその痛さはもう驚倒状態。涙は出るし、余りの痛さで腹が立ってしまい「NO!]

と言いながら立ち上がり、凄く怒った様子でオーナーに1人か2人にしてと言った。

今、思うとパーマー等かけた事のない国民です。パーマ何て殆どの人は知らない。

そこに鴨ネギの様にお誂えむきの実験台が来たものだから全員で経験したのではない

かと思われます・・(-_-メ)『がっかりでした・・(;一_一)』

試験台にされたのだと思います・・\(◎o◎)/!どうしてこんな痛い思いや辛抱迄

しなければならないのか本当に腹立たしく強く言いました《日本語=えへへへへ》

*ま、怒っている事は理解した様ですが何せ多分、初めての経験だったのでは?*

何とか少し優しくなってロットをかなりの時間掛けて巻き、苛々していました・・

本当に下手で随分長く巻くのに時間が掛った。その上から液をそのまま掛けるから

ぽたぽたと落ちてきて、首筋から顔にかけて流れてくる有様でタオルで押える事も

知らないみたいでした・・><” ≪全く想像もできない行為でしたねぇ≫

タオルを貰い自分で拭き垂れてくる液を拭いながら、段々苛立って来ていました私。

たった1つしかない液だったようで刺激臭が猛烈で仰天するほど強かったのです!

もう信じられない状況でした。でも途中で止めて帰る訳にも行かず、我慢していたの

ですが・・(-"-) その上に昔のネットを巻き、黒いビニール袋(ゴミ袋)を半分に

折りすっぽり被せた。 温風を当てて50分位かかりました・・その熱さにも吃驚して

いました・・(><”) そこでも喧嘩腰で言い合いました・・(--〆)

 {もう、2度とは来ないと思いながら・・凄い店があることを知りました}

料金は当時で日本円で2000円は取られました。吃驚して「凄く高い。そして余りに

にも下手だ」と英語で言い返しながら携帯で嫁を呼びベトナム語で言って貰った。

でも、全く平気で外国人が何を言っているのか?的な感じでした。”悔しかった!”

臭いが我慢できなく、帰宅して即、何度も洗い流したが髪の質が変化していたので

もうバサバサになって纏らずゴワゴワのまま膨張していました。結果は最悪状態!

絶対この国ではパーマはもう2度としないと心に誓った程です。未だパーマーなどは

この国には珍しく掛ける人もなかったのが現実だったのですが・・(;一_一)

これならS堂やNYの店に行けば良かったと凄く後悔した経験になりました・・(-.-)

この時期、色々な店舗が出来てきていたから大丈夫だと嫁の推薦もあり、出かけたが

散々な目に遭った・・帰国してまた髪の毛の質から直し、元に戻るのに数ヶ月も必要

でした。今では信じられない古い形式のパーマの掛け方ですが・・それでもこの国の

店舗で沢山の技術者がいると思っていましたが全く素人同然で、それも、よく考えた

らパーマなど掛ける国ではない事を先ず初めに知るべきでした・・わははははは

それも喧嘩しながら痛い思いと刺激臭に悩まされてお金を支払うという愚かさです!

    ◎自分を嘲笑っておりました・・ふふふふふ◎  

現在はそんな事有りません。も、立派な技術を持った人の店が多くパーマーなども

誰でもが知っている時代です。若者も老人も綺麗にしている人は多くカラーをする

人は凄く多くなりごく普通です(念のため)・・はははははは

何でも経験ですし、こんな事も嫌な思い出でしたが、考え方を転換させれば、多分

私で経験した人があの店には居るのだと思いましたし、それから先はもっと上手く

なられたと信じています。あの店が何処にあったのか?もう見当もつきません。

けれど、初期の日本も多分こんな状況だった事と思います・・うふふふふ

大体が美容室は余り好きではなくて、若い頃も高級な店には行けませんでしたけれど

あの雰囲気やお喋りをする事が嫌で構って欲しくないから現在もそうですが、主人が

亡くなってからは理髪店へ行く事が多いです。刈上げにしたり男性用にカットされる

事が好みだから。美容室の様に混むことも予約もなくていいし早いし、余り喋らない

から本を読んでいる間もなく終了する・・(*^_^*)

1ヶ月に1度ですが。理髪店ばかりになりました・・ひゃははははは

 {婆さんですから羞恥心もかき消え、図太く当然のように入って行きますのよ}

今朝はゴミの日なので5時半に外に出たら、下のガレージに電気が点灯していて大工

の小父さんがもう仕事していました。そんな浪速に陽が昇って来た朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/23(Wed)
太陽が金色に染め変えていく様は見ていて何となく覇気を感じる。しかし終日雨が

降って陽光が見えない日は意気消沈している自分がいます・・( ^^) 常夏の国で

毎日のように厳しい陽光の中を仲良くしていたせいでしょうか?異常なほど光が恋

しく思えるのです・・はははははは 紫外線なんて、顔のシミだってへっちゃらで

今更この歳で、美的感覚も必要ないから浸透する液をじゃぶじゃぶと、クリームを

塗りたくっているだけで・・化粧なんて10分も掛らない。

帰国して本当に驚いたのは通販による化粧品や健康食品の多さです。Tvでは何処の

局でも「これでもか?」と言わんばかりに有名人がそれを説明している。 そこ迄

美しく若くいたいのか?が個人的感覚で理解できないのです。確かに同年で美しく

肌も素晴らしく艶々した人は多い。でも自然に枯れて老いていく上にシワや弛みが

出来るのは流れ的にもどうしようもない事だと私はそれら多くのCMを見る度に思う

のです。そんなに綺麗な美肌になり、健康で元気に痩せたら、日本人は誰を見ても

美形でスタイルもよく健康で痩せている人ばかりになれるのでしょうか?

なーんて意地の悪い斜め読みをして見ていますが・・[ま、年寄りの僻みでしょう]

 {サプリや保険、美容関係のCMの数の多さに吃驚しました・・(@_@;)}

※異国から日本を見ると

時々日々の生活の中で「日本てどんな国?」って聞かれる事があります。どんな風

に答えが出せるだろうか?といつも考える・・大方は【四季があって、夫々に素敵

な自然があり、山や川、花などその時期には違った景色を見せてくれて素晴らしい

国よ!文化も品性もあって日本人独特の繊細さは住んでみないと理解できないわ】

 *豊かな感性が育つ土壌があって、文化も言語も本当にいい国だと思っている*

ま、後は地震が多い国だから被害があったり周囲が海だから台風や津波の災害など

あるかな?なんて答える。その程度でもベトナム人にはもう夢の中の国に思える様

で「行きたい!住みたい」を連発する・・(*^_^*)

それで「政治は?」と聞かれると凄く困るのです・・(^_^;) 住んでいても政治に

凄い関心が有った方ではないし、自分の生活を守る事で手一杯の暮らしだったから

大きな国の流れと選挙の時やマスメデイアからは入ってくる情報からの受け売りで

正確に説明など出来ない。恥ずかしいけれどきちんとした事が言えない・・本当に

お手上げ状態になってしまうのです・・(><)その程度の知能ですから、こんな

に長く日本に住んでいたのに「日本の政治」が語れない・・情けなく酷く恥しい!

海外のTVを見ているとごく普通の人がインタビューに応えて政治について話す姿を

何度も見かける・・ベトナム人も自国の政策についてはかなり詳細に新聞などを読

んで把握している感じがします。識字率も高く、新聞を読んでいる人の数はかなり

多く配達は無いけれど・・購入している人は多い。そして長い時間をかけて読んで

いる姿を遠近で見かけたものです。凄く関心があるのだと思います・・(*^_^*)

この国で生活するようになって・・ほんの少しだけぼんやりと社会主義という国が

解って来ていた・・つまり日本とは全く違う国で思考も国策も政治に対する姿勢も

向って行く方向性や指針の違いが見えて来ていました・・でも、それは国が単純に

異なるという程度の差で本音の部分では全く理解できなかったのが事実です。

ベトナム人は政治に関して敏感です。即、生活に響くし共産党という1党の考えが

支配しているからだと思っていました・・(@_@。

日本では想像もできない志向性を持っているため。国民は挙って1定の方向を見て

生きている感覚がありました。その辺りは日本人の私には難しく正直理解できない

状況でしたが・・答えをちゃんと出せる国民という意味では同じアジア人でも凄い

と思っていました・・たった6時間で来る国なのに、政治も違い習慣も生き方さえ

も全く違う国民がいる事が凄く不思議でもありました。 そして、この国が考えて

いると思う日本という国への印象が余りにも相違がある事も知らされていました。

車、お金持ち、Tvなど家電の豊富さや国民が皆利口で英語が話せる事など大きな

誤解がありましたが・・あははははは

その程度で他には余り興味がない国になっていたのも驚きました。ま、私の周辺は

日本に関わっている人が多かったから、お世辞にも酷いことは言わなかったけれど

一般の人の関心はアメリカやヨーロッパへ向いていた気がします。 てっとり早く

お金を欲しい人は日本を狙っていた感じはありましたが、又日本語学校は流行して

いた部分はありました。研修が盛んで日本に働きに行き2年位頑張リ、親に家を建

てるのが夢だという人は周囲には多くその通りをした人を何人も知っています。

全くお金は使用しない様にして国に送金していた女性が何と多く驚きましたねぇ!

日本の研修も正直、酷くて安価で長時間雇用する会社が多くて随分逃げて帰国した

人もあったと聞きました・・(-.-)そんな話も聞かされて辛かった事もありました。

それでも我慢すれば親孝行できるという特典に必死になっていた若者たちも多くて

そう言う人は日本での生活は殆ど語らないから・・余りいい影響は受けず、お金の

為のみだったのだろうと想像していて・・寂しく悲しい状況でもありました。

その頃ホーチミンには日本人が4000人前後居るかいないか?と言われていて、駐在

で来越している人は素晴らしい生活をしていたし、出向している人もいい暮らしを

していたが退職した人や何のコネもなく単身で乗り込んでくる若者もいました。

その格差は激しかったです。夢を持った若者は若い国のエネルギーを十分吸収して

伸し上る人もいたし、夢を叶える人もいましたが・・大抵は暑さのせいもあってか

だらだらとした投げやりな生活している人が多かった気がします。ましてや私の様

な中年小母さんが頭の中を空っぽにして生き方を見つけたいなんて思って来越した

人はきっと他には誰もいなかったのではないでしょうか・・(-_-メ)

先ず女性が本当に少なかったし単身生活していることすらこの国では異常で、変人

扱いでしたねぇ・・うふふふふ それでも何時だって『家族は?どうして1人で住ん

でいるの?』の質問は誰が来ても何処でも必ず聞かれた言葉でした・・(-.-)

ま、恍けた変な初老の女が大きなビルに1人で住んでいたと言う現実でした。私自身

は何の苦痛も不自由もなく自由で楽しかったのですがベトナム人には夢想もできない

そんな事は考えられないことで『何歳?どうして1人暮らし?』の質問を浴びては困

り果てていました・・わははははは

日本からは情報が入ってくるのは本だけでしたから、それでなくても日本にいても

愚かで自国の事もよく知らない人でしたが・・他国から日本を見る機会が与えられ

ると面白い物で国の流れや何が起きているか?など大きな流れだけは掴めるように

なったものです・・ふふふふふ 不思議であり面白い現象でした・・(#^.^#)

尤もこの時代のベトナムは書きました様にドイモイ政策が開始され、インフラ設備

が国を挙げて取り組み、一斉に国民全員がパワーを溢れさせていた時期でしたから

圧倒されていた部分が沢山ありました。日本にいれば知らないことが目の前で稼働

し、またそれが大きな渦になって大波を作って行く事も知らされてその中で漂って

いたものです・・(;一_一) そんな時期にいて日本を見ていました。

日本は【心。愛。信頼。情。】が忘れ去られているのではないかしら?なんて見え

ていたもので、信頼関係が余りにも希薄になっている気がしていました・・!(^^)!

それは日本が余りにも多様化され過ぎて行き場を失って行っている予感を何となく

感じがした時代でもありました。殺伐とした心や猜疑心が遡上していた・・そんな

気もしていました。根底にある日本人の持つ繊細な優しさや心配り、ぬくもりなど

途中で行き場をな失くしている様に見えていました・・(-"-)

それでも日本人の矜持は持ち続けていましたし、日本人というレッテルは私の中で

は大きな分野を示していたのも事実ですが・・そこから逃避していたからこそ見え

た日本も数多くあった気がします。日本人と言う事に拘り標榜する事に少なからず

意識過剰な部分もありましたが・・わははははは

でも、それは異国にいれば絶対消滅させてはいけない事だと当然の様に思っていた

のも真実でした。外国にいて日本を正確に語れないことを羞恥の心で悟ったことも

勉強でした。外からしか日本が見えないなんて一寸情けなかったけれど・・(/_;)

今日はパスポートを取得に出かけます。有り難いことに晴れ間がでてきて安心して

いる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/22(Tue)
週末は隣人の若い人に洗濯場を譲る習慣がついてお天気でも全く干さない。彼女は

不思議な事にタオルとバスタオルのみを干す、後は部屋干しなのか?他人の家の事

だからどうでもいいのだが1週間分のバスタオル類が干され満艦飾になる?

私は1人暮らし着ている物は下着やタオルは毎日洗い、洋服類は冬は2日間は着てる。

外出した場合は全部洗うが・・家にいる時は2日は同じ服装でいる・・ははははは

下着も婆さんだから平気で干すが若い人は1度も外には出したことがないし旦那?

の物は1度も見た事がないのも不思議なのです・・(@_@。 どうも週末だけ一緒に

いるようで・・最近その事が解った・・うふふふふ

全くどうでもいい事なのですが・・大喧嘩を週末にする事も最近知ったからです!

さて、昨日は割合暖かく暖房も半分は切っていた。尤もじっとしていると寒いから

寒くなるとストレッチをしたり節電に協力していました・・あははははは 本当は

電気代が想像以上に高かったので・・節約しているのですが・・!(^^)!

※自分を正当化するのに執拗過ぎる

この国に来て何が1番嫌だったかと言えばそれは自己主張の激しさと謝らない事に

吃驚させられた・・(@_@;)「なぜ?あんなにムキになるのか?どうしてあんなに

しつこいのか?」何度も何度も経験したし、何回も外でも見た事があります。

以前にもそんな話を1つ書きましたが、今日は自分に降りかかってきた火の粉なので

流石の私も腹が立って・・驚きとその図太さ謝らない事への不満が爆発した話です。

日本人は往々にして、意見が違っても言い争いになっても衝突する言葉を無意識で

選んでいる場合があります。 喧嘩しながらでも相手の事をある程度は推量したり

ここまで言っては駄目だとかの推察が自然と備わっている国民性があると思います。

余程でない限り、公衆の面前で罵倒したり、罵詈雑言を吐くことは余りないと思う。

どちらかが折れたり、頭の中で計算しながら喧嘩している場合があると思います。

でもベトナム人は周囲が見えなくなって仕舞う有様。もうその激しい言い争いには

とても太刀打ちなど出来ない。何も口を挟めないからでお互いが自己主張に邁進し

負けないから自分が正しいという事を連呼し続ける。 大声が重なってもどちらも

引かず、外でも何処でも場所等も考えませんし選ぶ事もない・・(-.-)

 *暫くは傍観していないと終始がつかない状況になります・・\(◎o◎)/!*

初めて経験したのは嫁が「彼女の友達と一緒に外でご飯を食べよう。日本語学校の

人だから。お母さん行きましょう」と誘ってくれた。私も日本語が喋れる事もあり

彼女の好意が嬉しくもあり出かけた。”所が来た人数を見て私は吃驚仰天した!”

10数名が集まって来て夫々に色々な物を注文して楽しそうです!日本語の間違いを

直してあげたり、和気藹藹とした雰囲気でしたが、途中で席を立ち帰る人もいたし

「何の断りもなく」平気でさっさと帰るのです。さてお金を支払う段になって、私

は自分がまさか?全員10数人分を支払うことになるなど・・日本では考えられない

から自分の分と嫁の分は支払う積りで「幾ら?」って聞いたら全員の勘定を支払う

事は当然だという様に私に支払ってと渡すのです。もう、吃驚・・(@_@;)

{ここでも日本人はお金持ちが生きていて・・持っている日本人が支払うのは至極

普通の事だったみたいです。私は想像もしていなかった。それもせめて2,3人は

彼女の友人の分は支払ってもいいと思ったけれど・・全く見知らぬ人の食事代金を

何故私が支払わねばならないのか?理解できなくて嫁と少し言い合いになった。

でも、人前だしお金の事だから気分を害する感じで支払ったのですが・・(-_-メ)

それから家に帰り嫁が私に、皆の前で恥をかかされたと凄い剣幕で食ってかかって

来たのです・・私にしたら全く悪いことはしていないし、解らないから聞いた事が

友達の前でありていに言えば「みんなの前で恥をかかせた」という事らしい!

行く時に「お母さんみんなの分も支払ってね」とかの言葉でもあれば準備もあった

し、心構えもあり別に行きたくもなかったけれどその気持が嬉しかったから連いて

行ったのが事実です。でもベトナム人には食事をご馳走してくれる金持ちの日本人

がいるという考えがあって有る処から取るのは当たり前で、持っている人が支払う

のは自然だと考えているのが常識(その当初は全くそんな事は私は知らなかった)

だから、そんなに大勢の分を支払わされる事は理不尽で腹が立ったのです。だから

「最初から言ってほしかったとか?なぜ日本人だから支払わねばならないのか?」

を問い質したのです。すると猛然と攻撃が始まって・・もう私の言葉など何も聞か

ず自分の意見を喋り出し止まらなくなった・・(><)そこに彼女の姉がきて又も

その事で私に対することが不満だという様に滔々と何時間でも喋っていました。

もう、呆れてそして理由が分からないまま部屋に入ったきり意地になっていた!

息子が帰宅して話し合ったのでしょう・・私が悪者になっていて、嫁は殆ど1週間

は私を無視し話さなかったのです。 理屈も理由もなく自分のプライドを傷つけた

私を彼女は許さなかった・・(@_@。 息子も{ここは日本ではないから}と言って

いたが・・どうにも納得が行かなかった。それから彼女の姉が家族を連れて一緒に

生活する事に突然なって息子が食費から小遣いまで面倒を見る事になり、姉が性悪

だったのか?それが普通なのか?今でも掌握出来ていないが居座ってきたことで私

は一緒に住むことを諦め帰国し、再度戻った時は1人暮らしになったのです。

とてもその考えや習慣に連いていけなかった!自分の家族は大事だが婿や嫁の家族

の事などはどうでもいい感じが日本人の私には納得ができなかったから・・(-_-メ)

息子も大事にされている訳ではなくお金で繋がっている感覚でそのお金目当てで姉

家族が一緒に暮らし始めた事も不愉快でした。

「お金はある処から取る。騙してでも取る」ベトナム式習慣や物の考えが理解でき

無かった・・(-_-) 後日になって私は彼女に話があると呼びだした。

「貴女が悪いとは1度も思った事がないこと。 ただ、日本人でこの国の慣習が全く

判らなくて貴女を傷つけたのなら私は謝るね」と言いました。時間も経っていたし

一緒に暮らす事もなく帰国を考えていたので心は穏やかでした・・ふふふふふ

「せめて、日本人だからお母さん支払はしてね」の一言があれば気分よく私は出し

たし貴女に不愉快な思いをさせなかったのが残念だった」と付け加えた。

日本の常識が真逆である事をこの時はじめて痛烈な反逆で教えられたのです。あの

頃は見る物する事なす事が物珍しかったし、家庭を持った息子とたった2ヶ月程度の

同居だったけれど一緒に暮らせる事が幸せだったが、突然の事で全てを喪失した!

あの事以来私は物凄い意地の悪い恐ろしい姑になったようです・・ひゃははははは

納得できれば何の問題もなかったのですがベトナム人は他人の心情など全く考えな

いから私が悪いという事になってしまった!今なら上手く出来るけれど・・( ^^)

ベトナム人の心が把握できない私は日本の常識だけでその理不尽さ、自己主張の激し

さに翻弄され参ってしまい私の中で苛立ちと憤懣が沸々していた・・はははははは

今思えば何でもない事で、ベトナム人はいい加減だし、美味しいものをタダで食べれ

るなんて聞くと友達の友達の輪がどんどん広がって見知らぬ人が大量に来る事も解り

何とも思わなく「今日はお金ないから支払は誰かしてね」って最初に言う事も知った

そんな体験もあります。息子は長い間姉家族の面倒を見ていたようだが・それも当然

だったようです。日本では想像もできないことが当たり前のように流れ、考えられな

い事や理解不可能なことが多かった。少しずつ私は変化して行ったが、ベトナム人は

何も変わらず図太く傲慢でお金に汚いのは今でも何も変わっていない・・わはははは

国が違う事でこれだけ思考も習慣も常識も異なることに初めて脅威を感じた時期でも

ありました。 それから1度帰国して1人暮らしが始まったが・・矢張り心のシコリは

彼女の中から拭える事は無かったみたいです。{どうすれば良かったのか?}

後になってずっと考えていたが疲れるしアバウトで時間にルーズ、お金に群がる国民

気質であることを初めて知ったのもこの時期でした。考えようによってはそのことが

解って、私は心が楽になったけれど・・彼女は腹に一物を持って生きていたと思う!

だから、1人暮らしが楽だし孤独感もなく自分が自由でいられる環境が何よりも好き

放置されても異国でも生きていく道を覚えた気がしていました・ことさように、この

国の人々の感情の激しさは並大抵ではなく・・我を忘れて挑む姿勢に圧倒されます。

それでも、優しい時はお節介なほど親切で”うざい”位だし気が向けばどんな事でも

してくれるから・・人柄はいいのでしょうが・・【プライドを傷つけるともう大変】

解ってする事ではなくても傷つける事は多々あるから触らないし逆らわないのが1番

なのでしょう・・あははははは 自由奔放に暮らす事を好み女性は男性を束縛。それ

に自分は勝手していても相手の男性には強烈な嫉妬をむき出しにする! 家族全体の

猛攻撃にあったりするのもザラですから面白い国民でもありますねぇ・・余り物事を

考えず自分の本能で動くのがベトナム人気質です!

酷い姑になってしまったが・・解らなかったからとは思っても相手にはその事は通用

せず、自分が傷ついた事が最大の事なのです。難しいと思いましたし、色々考える事

が多い時期でもありました。現在はもうすっかり慣れてしまった。 何も言わないし

言う事もなく勝手気儘に生きてきたから・・帰国してもその我儘や自分勝手さは中々

取れなくて・・日本でも未だベトナム人している部分が沢山あります・・わはははは

昨夕から降り出した雨は暖かさをもたらしているようですが・・今朝もずっと降り続

き時には瓦を叩くほど激しく音がしている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/21(Mon)
朝日が瓦屋根の上に乗っかっているかの様な錯覚の中、昇り来る黄色い光は冬空を

柔和にしてくれる気がして・・好きな瞬間です・・( ^^) 未だ暗闇の中洗濯物を干

しながらその時間を楽しんでいます。早朝の寒さは身体に老いに応えますが暁光が

差しだす瞬時は心から生きている感動があって・・染め始めた新鮮な明るさに思え

仕合せが増す気がするのです・・ふふふふふ

お正月用に購入した本を読みだして、日曜日は2冊読破でした・・(#^.^#)数年間

のブランクは作家の名前も様変わりして、見知らぬ人が多く読んだ経験のない人と

の出会いを楽しんでいますが・・中々進展しない人もいて、数日、寝る前に読んで

また止めてという人もいますが、こんな考え方もあるのだ?とか?圧倒される人に

遭う場合もあって・・こんなに書ける人を羨望視したり納得したり、軽く読み流す

人もいて結局何だった?って言う場合も数多あります。 速読だとは思うのですが

結果的には脳細胞にも脳内にも何も影響を受けていない場合が多い気がします・・

ま、その程度の頭脳ですから知識には程遠いのですが本は好きですねぇ・・(-.-)

※郵便局から国際電話

ベトナムに初めて住みだした数ヶ月、色々な事情が重なり年齢もあってベトナム病

が中々治らなくて神経が参ってしまいました。どうしても日本の常識で考えるから

ベトナム人家族との衝突があって、どうしても我慢できなく一時帰国しました。

そして、日本であらゆる事を考えたり、親友に話を聞いて貰ったり娘の家に世話に

なったりして1ヶ月過ごした。しかし、この機会を逃して日本に戻ってしまったら

もう2度と海外での生活やベトナム人への不信感、ベトナムという国を知らない侭

で終わってしまう事が口惜しく再度ベトナムへ戻った経験があります・・(/_;)

ですから詳細に言えばベトナムへは再々来越したと言えるかも知れません!

その当初の話です。戻ってくると電話が不通になっていました。沢山の心配をかけ

迷惑をかけた娘や親友に無事着いた連絡をしたかったのですが・・全く通じない!

丁度日曜日で電話局も休みだったから・・酷く困った。心配症の娘はきっと、もう

何度も電話を掛けて来ていると思うと心が急いていました。どうしたらいいのか?

見当もつかなかった・・そこへ知人が偶然訪ねて来たのを幸いにどうすればいい?

と聞いたら郵便局から国際電話は掛けられるという話を聞かされた・・(*^^)v

彼女は携帯も家電もあるが国際電話の使用ができないと言う。そして、用事がある

とかで帰って行った。仕方なく郵便局へ出かけることにした。猛烈な暑さの中歩き

ました・・(-_-メ)〚心中は上手く出来るかな?の不安感が充満していました〛

この国に来て先ず、最初に国際電話の使用ができる事を条件で電話を購入したから

正直戸惑いが大きくておろおろ状態でした・・とほほほほ もし、彼女が来なかっ

たらどうしたかしら?頭の中は飽和状態でしたねぇ・・(・_・;)

公衆電話もその当時は有ったのですがどの様に使用したらいいのか知らなかった。

それに大抵は壊れていた! 私も携帯は持っていたのですが、中のカードが切れて

いたし国際電話には使用不可でした。

郵便局へ入ったが「さて、何処でどのようにすればいいのか?」全く解っていない。

心を落ち着ける意味で椅子に座って、人々の動きを少し見ていると、どうも奥の方に

電話ボックスが幾つか並んでいるのを発見した。「きっと、あれに違いない!」早速

その方向に歩いて見ていると案内所が有った。拙い英語で国際電話をかけたい旨を伝

えました。係の女性は紙を出して、訛りのある英語で相手の電話番号と名前を書く様

に指示したのです。

そして交換手を通す方法とダイレクトで繋げる方法がある事を言ってくれた・・もう

必死の形相だったと思います・・わははははは
 
何せ、何とか通じたけれど、相手の言う英語の意味が先ず理解できないから、耳と

勘でそう言っているのだと見当をつけて聞いていました・・{本当に情けなかった}

隣にいた外国人が書いているのを横目で見ながら・・同様に書いて提出した。

ブースは全部で3つあったが満員だったので、暫く待たされる事になった。本音胸が

ドキドキしていました!『ちゃんと繋がるか?書いた書類は大丈夫だった?』とか

以外と気が弱い自分をみながら待っていました。丁度、10分位は待っていました。

で「マダム◎◎・・3番ブースプリーズ」が聞こえて中へ入った。電話が鳴って直ぐ

繋がっているものだと思い「もしもし」と言ったのだがプツンと切れてしまった。

とに角焦っていたから・・まさか交換手が出て[話して下さい。相手が出ています]

と言ってる何て範疇にも無かったのです・・あははははは 

じっとり汗がでていました・・(-_-)  そして、2回目のコールが鳴って交換手が

{どうぞ}と言ったのを聞いてから「もしもし」と言えた・・うふふふふ  何と

言っても生まれて初めての経験でした。最初は娘婿が出て、直ぐ娘に替わリ事情を

説明したら8回位電話掛けたけど通じないから心配していたと言われた案の定です。

「電話が通じなくて今郵便局に来てかけているの」と言って理解して貰い、お互い

に安堵して終わった。ほんの数分だったけれど・・(^_^;)

頭の上に数字が出てこれが料金みたいでした。終わってブースを出て、又案内所へ

行き、違う係の人に料金を支払った・・たったそれだけの事でしたが・・無知とは

本当に情けなくがっかりしたものです・・ははははは 実際は大したことではなく

ごく簡単な事なのに切羽詰った心境でしたから・・必死の形相で余裕など何もなか

ったのが現況でした・・(-"-)

全く何も知らない事とはこんな事を言うのでしょう。 右往左往してオタオタして

いる自分がそこにいました・・ひゃははははは 正常な判断も出来ず、言葉だって

通じていたか判らないほど緊張していた気がします。 通信費が世界でも1,2番に

高い国でしたから電話だけは不自由しない様にしていただけに仰天のハプニングで

凄くいい勉強になりました・・(*^_^*)

こんな程度で海外に住んでいたのですから想像して頂けると思いますが・・(^^ゞ

ま、そんな時間があったから今は凄く気楽に間違ってもまた判らない事が出来ても

困ってもおろおろする事は殆どなくなった気がします。 可能な限り自分で考えて

恥を山盛書いても図太くなりました・・きゃははははは どんな事になってもお金

で回答が出せる事も覚えたし、その意味では凄く単純で楽な国でもあります{笑}

人間なんて思う以上に意気地がなく見知らぬ事に遭遇すると慌てたり、困惑したり

傍で見ていると、可笑しい行動を取るものです。 今は年齢も加算され馴らされて

大抵の事は心臓も強くなって余裕はないけれど、少し考える時間を持てたり、面倒

な事はお金で解決できるから気分的には信じられない位、横柄な時もあります・・

それでも、通用する事が理解できているからで・・異国で生活する事は例え些細な

ことでも日本とは大きく異なる事がある事を解っていても、実際にその場に立つと

思っていた通りの行動って出来ないものです。慣れるより仕方ないし、馴らされて

初めて周囲が見え解ってくることが沢山ありましたねぇ・・(;一_一)

若い人は早くそう言う事に気がつくのですが・・ある程度の年齢になると固定観念

の様に日本人として生きてきた年月が身体の中に浸透しているから中々それを剥ぐ

事が容易ではなく、頑なになった紐を解くように時間がかかるんです・・(+_+)

      *それが所謂《ベトナム病》と言われるものです*

その意味では随分羞恥心で顔が火照ったり、青くなって冷や汗をかいたりを繰り返

しながら暮していました。  それでもそこで暮らせたのは色々な人たちの援助や

温かい心に励まされてきた部分が多々ありました・・<(__)>

今でこそ大勢のベトナム人との出会いが遭って、色々なことを学び教えられ覚えて

きましたが当初は何をしても何を考えても全く日本とは≪逆≫の思考がどうしても

納得できずどんなに違うと言われても承服できなかったものです。私個人は主婦的

な視点でしか物事が見えず考える事も狭隘でしたから時間がかなり掛ってしまった

部分があります。それでも何年間もすると他国で生きる術も生きる道も何となくで

すが掌握できるようになるものです・・わははははは

長く生きている事も無駄ではなく生かされてこんな珍体験ができた事を幸福に感じ

ております。今朝も寒さは厳しく真冬日の気温の浪速です。”早く春になーれ”
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/20(Sun)
思っていたよりも外温は日差しのせいでしょうか?暖かかったので折角の天気だし

散歩がてら土手を歩き、少し見知らぬ道を通過して少々の買い物をして来た。

時間にして1時間もかかっていないから大した事ではない・・(^_^;)だが、何だか

{春遠からじの兆し}を匂いを感じてちょっぴり嬉しくなった・・ふふふふふ

未だ極寒の中だと言うのにニュースでは菜の花が満開の場所もあり、蠟梅のブログ

を拝見して・・確実に”春は来る”予感を信じ楽しい気持ちになっておりました!

所が帰宅したら隣人の若夫婦が大喧嘩している様で大声で叫び合っている声が聞こ

え、こんな声を聞くのは珍しく、ベトナムにいる錯覚を感じた位です・・(@_@。

{夫婦なのか?}そんな事はどうでもいいのですが・・わははははは 

    *TVの音が遮られる程の声で吃驚した・・(@_@;)*

「日本でもこんな大声で言い争う人達がいる事を知った・・(-"-)やれやれだ!」

人生は面白く何処に居ても生きている限りゆるぎない価値があるものだから、それ

もまた、生きている証なのでしょうねぇ・・(-.-)自分自身の過去を振り返っても

確固たる信念があって生きてきた訳ではなく手探り、模索しながらこの歳まで長く

生きている・・それでも何も見いだせていない現状・・否定も批判もできない・・

以前にも書いた記憶がありますが【どう生きるか?どう死ぬのか?それは本人にも

決定できない事だから・・(><)誰にでも終焉はある。そして、誰もその事には

気がつかない振りをして考えない様に生きている】 この歳になると様々な追憶が

浮上してくる日が多くなるが淡い思いも濃密な感情も何時だってこの感情は抑制は

効かず突如現れては消滅することを繰り返すのです。それは何時でも身勝手で自由

奔放に訪れ突っ走り心の中を迷走し自分はその渦中に嵌り込んでしまう・・( ^^)

掴み所のない感情で追懐を喚起させる原因を作ってくれる・・あははははは これ

らもまた、未だ生ある証拠として辛うじて受け入れているのが現実でしょうか?

※照明器具に手が届きません・・

この国に来て驚いた事に部屋の高さがあります。 凡そ3㍍~4㍍はあるから広く

その高さに開放感があり気分的にはすこぶる良好なのです・・狭い所が苦手で少し

閉所恐怖症気味だから・・可能な限り広い部屋が好きでそれも開け放つ事が良くて

安心感があります。 ただ、問題があって「どうして?こんな高い所に照明器具が

あるのか?」本当に驚きました・・(@_@;)電灯の全てが高い位置にあるのです!

リビングで話しますと、先ず、天井の中央に大きな照明器具があって、両壁に長い

蛍光灯が2本、その真横にチューリップ型の豆電球が設置されていて間接照明の役目

をしている。部屋の隅には竹製の大きなスタンドがあります。 品質が粗悪だから

本当によく切れるんです。必ず梯子が必要で、梯子は屋上にあるのですが・・それ

を1人で持って降りて来れない長さがあります・・(-_-メ)

脚立があればいいのでしょうが・・もしそれに乗って取り換えるとしても1人では

切れた蛍光灯を置く場所がないのです。床はタイル張りです。布団などなく柔らか

な物が何もないから外す時の恐怖もあり、もし外せてもそれを持ち下すだけの力が

ない。何せ、蛍光灯の長さが半端ではなく長いからとても出来ない・・(・_・;)

しょっちゅう切れるからその都度、身内を呼ぶのも心苦しいのだが・・どうにもな

らなくて連絡して手伝ってもらう羽目になるのです。梯子も日本製の様に確りと作

ってないから単純に細い板を順番に載せているだけだし、登るのも緊張する!

寝室には天井から大きな扇風機が吊り下がっているから両サイドに蛍光灯が割合下

の方にあるが・・それでも届かない・・><”

この国の人は欧米人よりずっと背が低いのにどうして?こんな高い位置に照明器具

を設置する必要があるのかしら?何時も疑問に思っていました・・(-.-)

ま、広いのは幸せだったのですが凄く不便で不都合で照明器具を掃除する時も長い

毛バタキで埃を取る位で、拭き掃除すらできませんでした。  また、この国では

そんなところを掃除する人はなく、専門家みたいに掃除する人が時々通る時にして

貰っている事も知りました。1度私も依頼した事があって、見ていて面白かった!

気軽に脚立の上に乗り、天井から照明器具まで払い落して行くのは有り難いけれど

それだけで、部屋の中に落とした埃の掃除はしないから・・(-_-メ)もう1度掃除を

しなければならず、それでお金をもらって出て行くのです。勿論、大した金額では

有りませんが・・高い天井だけに商売になるのでしょう・・不思議な仕事がある事

も知りました。その当時は未だ貧困家庭が多く、6畳位に5.6人が一緒に住んでい

る事はザラでした。だから、私が大きなビル内で1人住まいをしている事が奇異に

見えていたのだろうと思いますし、外国人で日本人だと言うだけで何でも外国人用

の料金を吹っかけられていました。慣れるまで何も理解できないから当然のように

支払っていましたがベトナム人が傍にいる時は想像以上に安価になる事を知った!

それ程に『日本人は金持ち感覚が抜けていなく大人しく扱いやすい国民だと舐めら

れていた感じがありました』それらも遠い記憶の中の1コマですが・・うふふふふ

狭い部屋に数人住んでいてもバイクは部屋の中に入れて寝るという習慣は全く変化

がなくて・・今でも不思議な光景を見る事ができます・・('_')

再来越した4年前は大方の生活水準も上がり、暮らしもかなり上昇していましたが

それでも、貧困の差は激しく区によっては未だ開発途上の家が沢山ありました。

川で住んでいる人も多かったのですが主要な場所や観光場所では撤去され何処かへ

追いやられたのか? 住む場所が与えられたのか詳細は判らなかったのですが・・

{見える場所}には2ヶ所位しか水上生活者はいなくなっていました。以前に比較

すれば嘘みたいに減少していたのであそこに住んでいた人は何処へ行ったのかしら

と不思議に思っていました。段々と変貌して行くホーチミンは驚異の大都会と化し

地方出身者が物凄い勢いで働きに来ていました。若者の多さに・・\(◎o◎)/!

ま、ベトナム人の中で住んで生きていた時代があった事実を追記しているだけで

大したことは何も書けませんが・・色々な経験があった事を思い出しています。

今朝は静かです。物音もしないから日曜日を感じますそんな浪速の夜明けです。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/19(Sat)
「久しぶりに体感的にも寒さを感じて、暖房の温度を1度上げた日になりました!」

未だ未だ寒さが続くようですが、数年ぶりに暑い国からの帰国の身体には結構応えて

おります・・(-.-) 年に何度か帰国しても毎日が真冬日では無かったから尚です。

◇「やれやれ、お歳も加えて骨身にまで染み込んで行きます」・・あははははは◇

それでも健気に咲いている山茶花や椿、菊の花は心を癒し見知らぬお庭拝見をしつつ

で歩いていますが、ふと立ち止まって手折リたい衝動が起きる時もあって・・( ^^)

「いかん、いかん、大切に手入れされているのだから」なんて思ってしまうのです。

草花がいいですね・・動物も好きだし、物言わぬ物の愛らしさは例えようもない気が

して・・うふふふふ かと言って自分で育てたりは凄く苦手だし、直ぐに枯らします。

面倒な事に時間を費やす事がもう既に嫌になってベトナム人化して横着でいい加減な

性格に馴らされてしまっています・・ははははは

最近は1人鍋ばかりです・・きゃははははは 何でも入れて小さな鍋の中満載にして

熱々を食せるから・・手抜き大好きになりつつありますねぇ・・(^_^;)

※ベトナムニュース

◎空港税が変わりました

国際空港施設使用料(JC)は3空港及び国内線に於いても2012年12月30日発券分

より変更されることになった様です。国際線の場合はチケット代に含まれているよう

ですが・・(-_-)

*タンソンニャット空港(ホーチミン)18㌦~20㌦

*ノイバイ(ハノイ)        16㌦

*ダラット 14㌦、カントー 16㌦ ニャチャン 8ドル~14㌦ 等が値上げされた

と言います。まだ他にもありますが詳細はベトナム空港で・・<(__)>

  『本日は私が何時も乗る〚ベトナム航空〛について書いてみます』

ベトナムには7つの航空会社がありその内1社は現在運休中ですが、ベトナム航空会社

はSky Team Allianceのメンバーでもあります。 この会社は2011年のシェアーで

ベトナム航空が80% Jetstar Pacific17%残りがAir Mekongとなっています。

ご存じのようにジェットスターパシフュックはオーストラリアのQantas航空が出資し

設立された会社です。6つの会社は次の通りです。

①ベトナム航空=Vietnam Airlines 

②ジェットスターパシフュック

格安航空会社として有名です。ベトナム政府による外資規制の方針があり、社名から

ロゴマーク、機体塗装工事の変更を求められていて、政府の保有株がベトナム航空に

に移管されベトナム航空の子会社になる予定です。

③Vasco   ④VietJet=ホーチミン、ハノイ間を飛んでいます。
 
⑤Air Mekong=Phu Quoc Airport=フーコック島が拠点でホーチミン、ハノイ

を飛んでいる。この会社はインドシナエアーライン:ベトナム人のミュージシャンに

よって設立された珍しい航空会社だと言われています。

⑥Viet Star Airlines=トレーニング、ツーリズム、レスキューサービス、プラ

イベート用として飛行を提供する特殊な会社です。ベトナム空軍が出資している会社。

ま、色々とありますが、細長い国ですから列車だと時間が掛リ過ぎて飛行機の利用は

割合多く、便利にあちこち行ける様になっています。因みにホーチミンからハノイ迄

列車だと31時間程度はかかるそうです・・(@_@;)

ベトナム空軍で教育されたパイロットの技術はとても高く、信頼できる飛行機です。

数えきれないほど乗った回数の中でも今まで遅延はあっても不安感は1度もなく好感

度の高い会社だと思っています。 日本からだとあちこちの空港からダイレクト便が

飛んでいるから凄く便利ですし、6時間ですから疲れも感じないままの距離です。

時差も2時間だから殆ど影響は無いと思います。ホーチミンのタンソンニャット空港は

新築されて広くなり綺麗です。以前の空港に比べたら嘘のように国際化されています。 

空港を降りるとその瞬間から熱気が身体中を纏わりつきますが・・戻ってきた感覚が

あって懐かしく心が落ち着く感じが何時もしていました。

今日も冷たかったですが・・日差しが少しはぬくもりをくれる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/18(Fri)
余り陽光は強くなく昨日ほど気温も上がらなかった・・それでも外に洗濯物を干せる

事が札幌生活が長い私には凄く嬉しいことの様に感じる。最近は殆ど半乾き状態だが

それでも早朝から竿に干す事ができるのは有り難い・・( ^^)

こんな些細な事が詰らない事が、非生産的な事が実は1番この世の中でもっとも無垢

な事の様に思えてならない気がするのです・・うふふふふ

現在は過去の追憶や面影を背中に宿し心の中の幻想的な影に陰影を付けながらブログ

という表面に放散させていますが・・時にはゆらゆらと陽だまりの中で揺れている心

があります。既に記憶も霞んで遠く彼方へ飛沫となってしまった事も多々あります!

幻想の羽でもあれば飛んで行き捉まえてみたい衝動を感じる日もあります・・(^^ゞ

しかし、積み上げてきたものは壊してもそれは破壊ではなく、また何かを育成させる

べき事を孕んでいる様な気もしています・・(*^_^*)それはぼんやりとして静寂で

虚ろな心情のまま身動ぎもしない感情でもありますが・・ふふふふふ

※気になること

本当に些細な事ですが・・「何時もどうしてかなぁ?」と思う事にこの家のカーテン

があります。両端にフックがあり、カーテンを束ねる布や房が付いていますが、その

位置が同じ高さではなく、5Fある部屋の全てに付属しているカーテンの位置の全部で

高さが違うのです。最初の内は毎日掃除する度にそんな事が気になって・・日本では

考えられない仕事だから・・呆気に取られていました・・(@_@;)

また、トイレの紙を巻いているホルダーが大きくて、紙がゆるゆるなのです。色々な

スーパーや店でも様々な種類を購入した積りでしたが、どれも合致する物はなかった。

巾の違う紙を装填すると音がするのが気になるんです。今は殆どの家は水洗式になり

見た目でも大抵の家では綺麗ですが・・先ず紙を流せない事が条件です。 水洗でも

必ず使用後用のゴミ箱が置いてあるのが普通です。流すと詰る様でこれはどこの家庭

でも殆ど現在でも未だそうです。外国人が使用するビルも・・(-.-){全部ではない}

本当に幸いだったのは我家のビルでは紙が流せた事で・・大方の人は驚いていたもの

です・・(@_@。 {私的には普通だったのですが・・( ^^) }

エアコンやTVのリモコンも同じものは1つもない。これは以前にも書きましたが家電

は日本製(ベトナムで製造)でもインドネシア、シンガポール、中国、韓国、自国と

リモコンが全く異なるのです。凄く不思議でした?リモコンだけでも盗難に遭う話も

書きましたが。反対に売ることも可能なのです・・!(^^)!

「何故?」と思われるでしょうが国内製品や中国製品には粗悪品が多いからで次々と

壊れてはまた買うからで・・前居者がベトナム人だったせいで、その場凌ぎの結果が

こんな状況を作っていたのです。どれがどのリモコンだか?当初はさっぱりでした!

もっと、驚いた事は電線です。電柱と同じ太さの電線がぶら下がっています。 もう

愕然として見ていました(><)通常の電気、TVのケーブル、電話、PC、衛星放送用

有線等々、もう両手で抱えるほど複雑に絡み合って太くなってぶら下がっている様は

恐怖を感じました。ま、1度に色々な事が押し寄せて来ていた時代でしたから、仕方の

ない部分もありましたがその電線が時々外れて道路に落ちていたり、長く垂れ下がり

驚かされていました!現在も未だ地下に埋めるなどの工事は未開発だから、それらは

未だ現状のままです。それでも中心部から順番に変貌しつつ有るようですが・・長い

年数が掛ると思います。私が住んだ1区、7区、9区、10区では未だどこも改善されて

いませんでした。再来越した時も同様でしたから・・(-"-)

それと法的に決められている筈なのに・・一寸横道にそれた壁には男性が小用をする

場所があちこちにあって・・その異臭にうっかり道を間違えて入ったらその臭いで息

もできない位でした。それが何ヵ所もあるから・・凄く嫌でした・・(><”)

犬のマーキングの様に同じ場所でするから壁の色が変色して悪臭が酷かったのです!

見知らぬ道って興味があるからできる限り同じ道ではない道路を通りたかったのです。

1度だけその現場に遭遇して・・走って帰った事がありました・もう\(◎o◎)/!

どうしていいか咄嗟に走っていました・・あははははは ”これだけは止めて!!”

本当に詰らない些細な事ばかりです。カーテンの紐の位置が違ってもカーテンの役目

は充分果たしていましたし、トイレの紙の音も気にしなければ良いことです。電線も

まだ現実では仕方ないのでしょうし、男性の小用もその場所を通過しなければいいの

だと納得させておりましたが、何処がその場所なのか?近くに来るまで解らなかった

けれど・・『ここは日本ではない』という自覚の上で生活が流れるようになって少し

づつ自分なりに考え、馴らされ慣れて行った気がいたします・・ひゃははははは

これらは未だ1区での話ですが・・他の区はもっと酷く、角を曲がるだけで臭気が漂い

何度も後戻りした経験があり、道を間違えて何処にいるのか?解らなくなった事など

数えれば切りがないほど失敗や恥ずかしい思いを重ねて暮らしていました・・(/_;)

それでも人間はそんな経験でも〚思い出という洒落た言葉の添景〛の中に組み込む術

を知っている事が幸せだった気もするんです・・はははははは

強烈な日差しの注ぐ常夏の国に住んで、右往左往しながら動悸が激しく打つ経験さえ

もそのままを受諾して具視した様な気分になれるものだから不思議でもありました!

知的な人は「何の為とかの目的を考え行動しますが、私の様に直情径行型で感情のみ

の人間は心に受けたインパクトだけで行動する」から問題が置いてけぼりで、絶えず

愚かなことやその行動に振り回されていたみたいです・・あははははは  それでも

この歳迄何とか生きて来れたから何にでも感謝せねばならないのだとしみじみ追想し

残された時間を大事にせねばならないと思える昨今です・・(*^_^*)

今朝は凄く冷えこんだようで、何時もより肩の痛みが激しく、温湿布と懐炉も効果が

無い浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/17(Thu)
頬にかかる風が「少し冷たいかなぁ?」と思う程度で冬晴れの天気の中出かけた。

全く見知らぬ場所であったが、工事中であちこちに立っている警備員の小父さんに

場所を聞いてみると「まー、吃驚するほど親切丁寧にその場所を教えてくれた」

そして言われた通り言ってみるとそこは大きなビルで入口に50人位待っていた!

そこでも係の小父さんがいて「パスポートの手続きはこっちのエレベーターに乗り

4Fですからと叫んでいた」こんなに多いとは想定外でしたが、急ぐこともないから

並んでエレベーターに乗り着いたらもう事務所の中では半数以上が申請用紙を書い

たり受け取っている。順番の番号札でも取るのかしら?と思って見ていると案内所

へ行き、又そこで書類をチェックされて、番号札を貰い順番を待っている様子。

殆どの人が中年で高齢者も多く「うち、初めてやねん。書き方知らんわ」「あほ!

そこは書かんでもええって書いてあるやろ」「もう1枚貰て来いや」「ローマ字は

解らへん」「自分の名前やで」「学校で習たやろ」「あー、又間違えた」「何して

んの」「時間ばっか掛けて書類1枚書かれへんのか?」「あんたさん!ここはどう

書いたらええん?」って私に振ってきた私より若い女性がいた。それでも50代か?

沢山机が並んでいて順番に書類に書くのだが書き方の用紙もあって、又、書く場所

にも貼付してあるのに・・もう、おろおろしているお隣さん達。貼付された用紙を

指さして「この通りでいいと思いますよ」と返事したが・・不親切だったかな?

もう、次から次へと入ってくる人が多く、旅行会社の人や、専門業者もいる筈だと

思っていました。数枚の用紙を提出している人が何人もいた。ベトナムでも業者が

取りに来てくれるし、出来たら持参してくれるそんな斡旋会社が数社ありました。

幸い私は何の不備もなくすんなり手続きが終わり、窓口が10ヵ所位有ったので割合

早く終わった。最初は人数を見て「お昼まで掛るかしら?」と思っていたのですが

良かった・・( ^^) ベトナムでも自分で申請をしに連れて行って貰った経験があり

日本とは違って書類全てにお金が掛るから失敗したらその都度費用が嵩む。

そして半端な人ではなく事務所内には外国人コーナーがあって、別だし200人位が

うろうろ中にいるから・・圧迫感で気分が悪くなりそうでした。順番が一応あるの

ですが・・余り守られていないから飛び入りがあったり喧嘩腰だったり・・日本人

は本当に大人しく従順だとそんな事を考えていました。用紙も無料だし何にしても

日本と言う国は平和で裕福な国だし、親切だとそう感じておりました・・(@_@。

昔に比べたら簡単で1週間で出来るようです。金額も上がっていました・・(-.-)

※足の上にバイクの車輪が・・

この話は以前にも強烈な思い出になっているので書きました。もし、ご存じの方が

おられましたらスルーして下さい・・<(__)>

手紙を出しに郵便局にでかけた日のことです。また同じ用紙に同じ封筒なのに値段

が違い、全くいい加減な国だと思いながら帰宅途中の出来事でした。かなり暑さが

強くて、早く帰りたい気持ちが心の内に有ったのだと思いますが、でも急いでいた

訳でもなく普通に信号機が青になる迄待って渡っていた途中で右側から来たバイク

は当然停止すると思っていました。ところがどう間違えたのか余所見していたのか

解らないのですが若いお兄さんのバイクが突然、何と私の片足の上で急停止した!

勿論私も仰天したし、相手もかなり吃驚した様子で茫然自失状態でした・・(><)

足が痛くて裸足でサンダル履きです。「痛い!痛いから早くどけて!」と日本語で

言いました。でも、彼は自分でした事が把握できていないのか?私の顔を呆然と見て

いるだけで・・動かす気配もない。もう1度「痛いから早くどけて!」と大きな声で

言ったのですが、動かしてくれない・・(-_-メ)と言うより未だ自覚していないそん

な感じでした!段々痛みが酷くなり、顔色が変わってくるのが自分で解りました・・

ボゥーとしている彼を見て腹が立ち「馬鹿!早くどけてよ!」と叫びながら私はその

お兄さんの頬を思いきり叩きました。そして「早く!痛い」と叫びました・・><;

信号で止まっていた大勢のバイク連は一斉に私を見て、驚きの顔をしましたがーそん

なこと構っていられないほど痛かったのです・・(-"-)

お兄さんはやっと状況を理解して慌ててバイクを横に動かして足から外れたのです。

本当に数分間だったのですが・・(@_@;)凄く長く感じたし痛みがあったから何とし

てもタイヤをどけたかった私です・・(-_-;)バイク連の人々は興味本位で見ていた

かも知れませんが・・(-.-)誰も何も言わず、外国人だしというそんな光景でした。

やっとの思いで信号も変わっていましたが・・ゆっくり足を引き摺りながら渡りきり

足を見ると青く色が変わり、腫れて来ていました。引き摺ったままで未だ15分位歩き

家に到着。早速タオルに氷を入れて冷やした。冷や汗と痛みで暫くは動けなかった。

今でもその時の痛さは忘れられない。瞬時の出来事でしたが早く手当したせいで腫れ

も翌日には殆ど引いていましたが・・\(◎o◎)/!

ベトナムで生活し始めて初めて1番驚倒した個人的な事件でした{私も気が強いなぁ}

と改めて思ったアクシデントでした・・あははははは  ベトナム人は謝る事は先ず

絶対しないから、その衝撃を持ったまま彼は去って行ったけれど・・(--〆) 私に

とっても驚愕の思い出になっています。手も痛かったです・・うふふふふ

昨晩はあまりよく眠れなくて、結構外出して歩いたし動いたのに夜中に目覚めてから

寝つかれず・・うつうつしていたら少し眠ったようですが・・何時もの時間になって

いて寝不足の朝を迎えた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/16(Wed)
パスポートが2月で切れる。もう、すっかり重くなって、ビザ申請が3ヶ月ごとに

あったせいでしょう・・(-.-)東南アジアばかりの国の出入国の印鑑やビザが貼付

されて後数枚位しかページが残っていない。丁度期限が切れるので新しくする機会

だったから、書類が揃うのを待っていた。証明写真も未だ有ったのだが・・流石に

数年前のではちと心苦しい・・あははははは 

{ど厚かましい}かな?など思いながら、もう嫌になる程パスポートの写真を見せ

通過してきた。少しは若くとも?なーんて心の底にはいじましい気持も多少はあり

わざわざまた、写真嫌いな人が撮りに行くのも面倒だと・・でも、矢張り現在の顔

を撮るべきだと思い直したのです・・うふふふふ

全ての書類がそろい電車で30分弱で行けて、それも駅からさほど遠くないと言わ

れ今日出かけてきます。ま、どこも見知らぬ場所だけれど「ここは日本だから」と

何時も思うのです。言葉が不自由でも3年住んでようやっとどの辺りの道路を通過

「大体ここは何区?そろそろあのビルが見えるとか?」程度のホーチミン市内でした

が、それでも暮らしていたのだから・・( ^^) 言葉が通じる日本に戻ってこんなにも

変貌してそれも、住んだ事のない土地柄で・・おろおろしている体たらくですが、何

でも何処でも出かけ失敗して迷って覚えて行かねばと思う心が強く、殆ど自分で歩く

事にしている。見知らぬ街は面白いし楽しみも沢山あるから・・元気でいる間だけは

頑張ってみようと思っているのですが・・(*^_^*)

※強かなベトナム女性

◎バイクの魚やさん

ベランダから朝の風景を眺めていると1台のバイクがやって来て斜め前で停った!

前のハンドルに4つ、足元に2つ、勿論、後部にも、後の荷台に板を置きその両横

にフックがありそこに大きな籠が5つ掛っていたんです・・\(◎o◎)/!

荷台には金盥とプラスチック容器が2段重ね。物凄い量です。唖然としてしまった。

「何と凄い荷物を持てる女性もいるもの!」だと仰天しながらずっと興味があって

見ていました。そこに母親がバイクを停め、降りた途端に男の子が一緒に降りた。

母親の背中にいたのでしょう・・(@_@。全く見えなかった。驚いた事にその男の子

はそう、6,7歳位で学校へ行っていない感じでした。降りると母親は道路にシート

を敷き、金盥、鋏を出し、ビニール袋、ポリバケツに水を入れてしゃがんだ。

それを確かめるようにしてその男の子は近くの店の中へはいって行き、又は道路を

通る人を捕まえて声をかけている・・もう、すっかり慣れてごく自然な仕草でした。

数人の主婦が集まって来て、金盥の中から、または容器の中から魚を選び購入して

います。金盥の中では魚が元気よく、外に飛び出て暴れている。もう、見ていると

想像出来ないほどの早業です!大きな魚は棒で頭を叩き上手に鋏だけで鰓を取って

内臓を取り、ポリバケツで水洗いして、又ビニールの袋に詰めて渡している様子。

また数人が固まってやってきた。 その間ずっと男の子は道路を渡って向い側にも

行き声を掛けているのです・・(@_@;) 愛おしいほど真剣なのです・・( ^^)

容器の中には海老がいるようで、何種類かの海老も飛び出て道路に落ちていた。

大きな鋏を本当に器用に使い、その手早さが見事過ぎて思わず見とれていました!

背びれ、胸鰭、尾びれ等を一瞬でカットして行くのです頭は日本の様に切らなくて

鰓から鋏を入れ残します。もう、何10匹売れた事でしょう・・驚きました!大方が

終る頃、子供もその手順が解っているのでしょう。汚れたポリバケツの水を道路に

捨てたり籠の中に広げた物を仕舞い込んでいきました。そして、本当に「あっ」と

言う間に片ずけ母親と一緒にバイクに乗って走り去って行きました・・(@_@;)

「もう凄い!お見事!」と拍手でもしたいほどの早業でした。バイクから水が溢れ

てももろともせずにどの位の重さがあるのか?凄い親子連れを見てしまった。

暫し、呆然としておりました・・あははははは

母親も凄いけれど、子供も何もかも理解して嫌がらず手伝っている姿は好感があり

上手に躾られ、教育されている事に吃驚しました!彼は小学校へ行っていない様子。

生活も豊かではないのでしょうと思いながら・・今日の魚やさんの姿は多分、一生

私の脳裏を離れないだろうと思っていました・・とにかく凄かったですねぇ。

終日、あちこちでこうやって商売しながら売っているのだろうと思うと、切なさも

有って、早く店が持てたらいいなぁとか子供が学校へ行けるといいのに・・などを

考えていました。未だ未だ学校教育にはお金がかかる時代でしたから、きっと行き

たいだろうとそんな事も思っていました、日本の様に義務教育などなくて、小学校

からお金が必要でした。何年かして小学校だけは無料になりましたが・・その当時

は学校へ行っている子供は少なく行けない子供が大勢いました。

そして皆、何かしら親の手伝いをして暮らしていた時代でした。小学校位の子供が

子守をしていたり背中におぶって歩いている姿もよく見かけたものです。そこには

日本の終戦後があった感じでしょうか?国民が一丸となって国を立て直し、大きな

政策に邁進している姿は強烈な逞しさを見せつけられている感じがしておりました。

現在は想像以上の発展ぶりで近代国家同様に成長して来ています・・(*^。^*)

今朝はかなり冷え込んだようで・・何時も通り5時に目覚めたのですが、顔が冷たく

珍しくベッドの中で暫くじっとしていた浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/15(Tue)
北関東や北越の方では大雪だったそうで・・さぞかし吃驚されたことでしょう・・

交通機関も麻痺した様でお見舞い申し上げます・・<(__)> 

親友に久しぶりにTELして様子を聞いたところ、腎臓移植も無事成功して退院した

との話で凄く嬉しく『良かったねぇ!』と言ったのですが、彼女の返事が明快では

なく、幸いに実父からの移植だったから機能的には問題はなく退院できたそうです。

でも、殆ど免疫がないので外出もできないし未だ問題が山積しているようで、3月

にはもう1つの腎臓を摘出する手術もあって、退院はしたものの何もできない状態

だそうです。「高齢者からの摘出で父親は未だ入院している様子だし、不安材料を

沢山抱えているのよ。それに腎臓も10年持てばいい方で後はどうなるか?解らない

し、これから先も絶えず不安感があって余り良好ではないの!」という返事。

どうにも心が傷む話で、でも2ヶ月経っているので、何も言って来ないから大雪の

せいにして連絡した結果がこの話でした・・(-"-)切なく辛い言葉が彼女から出る

度に胸が締め付けられる思いがして聞いていました。丁度、連絡する予定だったと

言っていた彼女。以心伝心もあったのかも知れないけれどやるせない心情を話す事

で少しはストレスの発散になれば・・そんな気持で聞いていました・・(-.-)

現代医学の進展は素晴らしく思いますが、未だ未だ色々な問題がある事も事実なの

だと思い知らされた感じでした・・(@_@。本当に難問題があるのだと初めて身近で

聞かされた現実でした。これから先の不安を抱きつつも日々の生活ができるように

なれると良いわね!そんな言葉しか出てこない愚かさでした・・><;

彼女の心中を思いやれば言葉何て軽々しく出せないそんな感じで、ただ黙って聞く

だけでしか心を伝えられなかった無力さに愕然としてしまった私です。 人生には

想像を越える出来事がある事も生来の病気との闘いに頑張っておられる人々の何と

多いことでしょう・・元気で暮らせる事の素晴らしさを改めて肝に命ずる日になり

自分の勝手で生きられる自由も孤独もそのような人達から見れば幸せなのだと・・

有り難く感謝して1日を大事に生きねばと思いました・・(-.-)終日雨の中で考える

事が多々ありました・・(-_-メ)

※屋台の不思議

前がリヤカーで後に自転車が付いている車の屋台が沢山あります。野菜、果物、卵

さつま芋、貝類、スリッパ日用品、雑貨などを売っています。これが殆ど単品なの

も驚きます・・(@_@;)がこれらが本当によく売れていて朝満載の荷物が夕方には

殆ど売り切れていたり半分以下になっている姿をよく見かけたものです・・( ^^)

又食べ物などはその場で調理するものが多く、日本のお好み焼きに似た物や海老と

トウモロコシを炒めた物等はその場で作ってくれる。七輪が必ず付いていて、練炭

から赤い炎が噴き出すように燃えていて本当に手早く作ってくれるから見ているだ

けでも楽しい・・(*^_^*)

リヤカーの半分に七輪が置かれ、下には材料、水、器、ビニール袋等が狭い場所を

上手に区分けして置いてあります。その上洗剤、バケツ雨具など信じられないほど

ぎっしり載せられています。 雨季の頃でした。そろそろ雨が降り出す予兆があり

屋台の人々は客がいないと雨宿りができる場所を知っていて急いでそこへ向かって

走りだします。突然激しく降りだした雨の中で我家の前で調理していた小母さんは

白いポール(七輪の横にある)をキコキコと言わせながら何かを動かしている?

初めてだったのでずっと見ていたら、下から大きなビーチパラソルを取り出し白い

ポールを高く上げた上に差し込んで〔あっと言う間に雨除け〕を作ったのです!

お客をその中に入れて、又も調理を始めた。土砂降りの雨の中でも平然として作る

様は逞しく、待っている客も雨だから急いでとも言わない。じっと出来上がりを待

っていて、出来たらそこで立って食している様子でした。ずっとお喋りしながらで

雨が小降りになるまで数人が小母さんと喋っていたのです、暢気というのか時間が

有って無いようで、仕事をしているらしい客なのに、時間など全く気にせず陽気に

笑い合って食べていました。(それが通常のベトナム式時間の使い方みたいです)

或る日は野菜売りのお兄さんが、リヤカーの上に板を載せて数種類の野菜を並べ売

っている屋台を見ていました。下にはポリバケツに水がいっぱい。補充用の野菜や

ビニール袋等を幾つもの籠に入れて売っていました。売れると下から出し、日差し

が強く乾燥するためポリバケツから水をかけて売っています。その水が何と泥水で

これは見ていて驚き嫌悪感を持ちましたが・・!(^^)! これも普通の事みたい!

自分用にはペットボトルを持ち時々飲んだり、その場所でしゃがんで余所の屋台の

フォーやその他の食物を食していたり、暢気で絶えず誰かを捕まえては話し相手を

して日永を過ごしている。決して逼迫した感じではなく売れても売れなくても特別

大問題でもないようで・・必死で売り歩く感覚は全くないのも不思議でした。

暇になると殆どのベトナム人はお金の勘定をしている。と言う事は売上が気になる

という事なのに・・癖なのかも知れないが大抵見ていると何処でもその様子は変わ

らないから面白い。屋台でも市場でも現金は輪ゴムをかけてポケットに入れている

人が大半です。それを持ち出して数えている姿は何度見ても売り上げが気になって

いるとしか思えないのだけれど・・はははははは

そして目を離すともう、その場所にはいなくてまた違う屋台が出ていたりするし客

が少ないと解るとさっさと移動して行く。その勘はどうして働くのか?理解する事

はできませんでしたが。何か?勘が働くのかも知れません。違う屋台には人がまた

群がる時もあり順番待ちしている人も見かけるが日本の様に並んだりしないし順番

なんて全くなく大声で自己を主張をして他人より先に買うという按配です。

   ≪誰も文句も言わないし、嫌な顔をする人もないのも不思議かな?≫

屋台の人が「次は貴方?」なんて言う場合を除いては適当で口ぐちに大声で喋って

注文する。随分と屋台は便利に出来ていてそこに商売の上手なやり方やこの国での

生活を垣間見ることができます。器用ですし何でも載せてあることにも驚きがあり

ます。 夜も又、蛍光灯を灯して売っている屋台も多く、裸電灯ではなく蛍光灯が

多いのも不思議に感じていました。何処からその器具や電線が入れてあるのか明確

には見た経験はありませんが・・(-_-)夜になると点灯した屋台が何台も並ぶのも

それなりの趣向があって、楽しく思ったものです。夜だけ出る屋台もありますから。

午前中、午後、夜と屋台の様相も変化して売っている物も変わリますが夜は食べ物

屋が多かったと思いました。ま、ベトナムだけではなく屋台はアジアの風物みたい

なものですから・・何処でも大差はないのかも知れませんが・・うふふふふ

日本でもお祭りやお正月などに出る屋台よりももっと下級な感じですが、それでも

色々な屋台との出会いも楽しめるのはいいものでした。

昨日の雨で少し気温が下がり寒い朝になったようですが早朝より消防車が数台通過

する音が聞こえ瞬時{ドキッ}とした浪速でした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/14(Mon)
真夜中3時過ぎていたでしょうか?雨の音がしていました。予報通りに降り出して

雨音は瓦屋根を叩きつける様に風と合算されては音の変動を伝え激しく確実に降り

だしていました。そのせいでしょうか?

思っていた程の寒さはなく、何時もより暖かい感じがありましたが、部屋の中には

加湿器などの器具がないから乾燥しているようで夜中起きた時は必ず水を飲む習慣

がベトナムに住んでいた頃からありました。ペットボトル1本は飲んでいましたが

帰国してからはコップ2杯も飲まなくなった・・(@_@。

それでもお風呂上がりや夜寝る前に飲むのと老化のせいでしょう!夜中に最低1度

はトイレにご厄介掛けているのが現実です・・ふふふふふ  昨日はどんと焼きの

後始末をしている人達が沢山おられたので「御苦労さまです」なんて声をかけ通過

してスーパーまで出かけた。 大抵が老人で氏子さんなのかは見当もつかなかった

けれど「はい!」何て数人が返事をしてくれて・・全く何もしていない故に心が引

けた気がしたものです・・(・_・;)

以前は誰を見ても声など掛ける事すら嫌だったのに・・既にここでももう、慣れて

来ている自分を発見しています・・あははははは

        ▽”何と単純で順応性があることか?”▽

※我家のトイレ

トイレの話で思い出したことがあります。幸いな事に水洗で凄く有り難いのだが・・

どう言う訳が水槽の中のゴム弁が時々悪戯をするのです・・(-_-メ)穴に正確に落ち

一定量の水が溜れば自動的に水が止まるのがご承知の通りです。が、しかしながら

我家のゴム弁君は穴に正確に入りたがらず「よっこいしょ」と横向きに寝たり又は

ほんの少しだけ口を外に出して「いひひひひ」と笑って見せたり「あかんべー」等

をして悪さをするのです・・><”

その度に私は水槽の蓋を開けて中に手を突っ込んで位置を直すのが常になっていた!

恥ずかしながら、この歳になるまでトイレの水槽の中を覗いた経験がなく、掃除の時

も洗剤を流し込むだけしかしていなかったし水が止まらないという体験は過去に1度

だって無かった!だから中を調べる機会もなかったのが事実でした・・(^_^;)

こんな状態が続くようになって、水槽の中の所作を初めて知ったのです・・〔汗〕

或る日、蓋を開けて横に置いて、中を覗いたら、その中で丸いゴム弁君が「にたり」

とした顔つきで横を向いているではありませんか?思いきり水は流れています・・

「一寸横を向いてやろうとか?口を開けたままで放りだしてやれ」と言わんばかり

の姿をはっきりと見せつけてくれました・・(-_-メ)

「あーこんな事をしているのか?」と納得したのです。ゴム弁君がスコーンと穴の

中に入った時は水は確実にその役割を果たし静止するのですが。しかし、何時でも

ではなくしょっちゅう悪戯をするものだから・・その都度、水が止まらず、ずーと

水は流れ続けています。最近は使用後は必ず蓋を開けて確認して「良し!」と声を

掛けてトイレから出る様になってしまった・・変な癖がついた・・ははははは

暫くして用事ができて帰国する事になった。戻ったらその事をすっかり忘れていて

何となく水の音がする事に気が付き洗面所に行ったら・・案の定、凄い勢いで水が

流れていました・・(@_@;)

「ふん!またしても悪さをしている」と思いだして、蓋を開けて思いきりゴム弁君

を穴の中に押し込んでやりました・・が、しかし見ているとそれも途中まで水が溜

ると矢張り「ポッコリ」と横を向いて私の顔をあざ笑うような様子をするのです。

もう、すっかりからかわれている様な気がして「ちゃんと自分の仕事をしろ!」と

一言いいながら洗面所を後にしたのです・・ひゃははははは

後日、ゴム弁だけ取り換えましたが、いやはや嫌な奴でした・・( ^^)今は嘘の様に

ゴム弁君との闘いはなく一寸寂しくなりましたねぇ!・・{笑}

そんな馬鹿な事もありました。外国人がいっぱい住んでいる{リトル東京}と言われ

ていたビルの中でこんな話が10年前に有った事など誰も知らないでしょうけれど・・

様々な事が『取るに足りない普段の生活の中から思い出せる事がある』ことを不思議

に思ったり、それほど色々な事に興味があって生きていた時代を走馬灯の様に回想が

出来ることを仕合せに思っております。あの時代は生きることにも異国での生活の中

でも凄く真剣だった事を懐かしく追憶しております。

誰を見ても活き活きとしてエネルギーの塊の様に激しく時代が大揺れに振動していて

その活気と大波のうねりに呑まれそうな予感の中で暮らしが流れていました・・(@_@。

それは現在のベトナムという国の底力になっていると思いますし、プライドの高さや

図太さ、根底に流れる熱い愛国心に今でも溢れている様に思えてなりません。

国に活気がある事は惰性や怠惰な生活ではなく国民全てに力が漲っている感覚がして

素晴らしい時期に遭遇出来た事はほんの少しだけ自負できる事です・・(*^_^*)

   『ただ、そこに居たというだけのお粗末さですが・・わははははは』

沢山のことを学び教えられた気がいたします。尤も、吸収するには歳が・・少し重ね

過ぎていましたが・・未だ見ぬこと見知らぬ事を目の前でその流れの渦中にいて対岸

の火災視ができたことも嬉しい思い出になっています・・<(__)>

夜中からの雨が未だ降り続いて部屋の中まで雨音が聞こえる程度には降っている様子の

浪速の朝になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/13(Sun)
お正月用に購入した松竹梅の生花の中で竹が既に枯れてきているのに・・梅だけは

殆ど全てに蕾をつけて来たのは〚何となく新春に良いことがある様な予感?とそん

な兆し〛に癒されております・・( ^^)  全部咲いたら少しは豪華になる様な気が

しているのですが・・楽しみです・・うふふふふ

菊の花や赤い実をつけた南天も万両の実もぽろぽろ落ちてしまった・・厳しい寒さ

に強いと思っていたのですが、残念ながら正月用のお花も早目に準備するみたいで

部屋の中の暖かさも加わり1つ2つと零れてしまったのはがっかり・・(・_・;)

※驚きの電話とバイク2台の話・・

◎電話

前居者が置いて行ったと言っても会社の電話なのだが、もう真夜中だろうが時間に

関係なく間違い電話が入ってくる・・(-"-)日本では{もしもし}というがこの国

では仏語と同様{アロー}と言います。 このビル内に住みだして2,3ヶ月頃から

頻繁に電話が鳴るようになって・・夜中だと、寝室からリビングまで起きて行かね

ばならず・・初めの頃は吃驚して飛び起きたりして電話を取っていたが・・その内

に間違い電話だと思うからゆっくりと出るようにしていたが・・ま、その執拗さに

は閉口してしまった・・(-_-メ)

人間の慣れと癖とは取れないもので、どうしても「もしもし」と言ってしまうのに

その時点で、違うと考えない国民らしく「どちら様?」なんて日本語で聞いている

のにもかかわらず、凄く高い声で何も相手の言葉等聞いていない様子で自分の要件

をずっと喋っている人が多く、散々喋って私が1言も話さないから間違っている事

に気がつく人もいれば、「もしもし」で慌てて切る人もいる。それからがしつこい

のです。何度でも数分置きにかけてくる・・その度に電話の前で待っていたのです

が間違って掛けている感覚や考えが及ばないのか?理解できなかったのですが・・

回数にして5,6回は掛けてきます。それでも納得がいかないようでぶつぶつ喋る人

がいたり、平然と話し続ける人もいて、こっちの反応も関係なしに喋ってくる人も

多いのには・・困ったものです・・( 一一)

1度8回もかけてきた人がいる。多分同じ人だと思うが、数分間隔で掛ってきたから

驚いたものです・・\(◎o◎)/! 自分が納得し理解する迄間違っている事よりも

自分を正当化する事に必死になる国民性だと思いますが、相手になる方は疲れます!

8回掛けてきた人にはさすがに腹が立って「間違いです!いい加減にして!」と思わ

ず言ってしまったほどです・・ははははは

考えてみたら言葉の解らない相手に何を言っても通用しないのに{愚か}だと自分

を恥じていましたが・・ふふふふふ相手も変な言葉で喋る小母さんだと思ったこと

でしょうし、さぞかし、きっと驚いていたでしょう・・それは数ヶ月続きました。

起きている間はいいのですが夜中の電話には本当に困惑しました・・><”

◎バイクが2台

雨が降りそうなので、屋上に上がり洗濯物を取り入れていました。何か下が異様に

騒がしいので、屋上から覗いてみました。「事故かしら?」が咄嗟に浮かんだ・・

しかしそんな様子ではなく公安が4人、インターネットサービス店の前でバイクを

調べている様子。沢山の野次馬が集まって来ている。道路にはあの大型トラックが

停まっていました。2台のバイクがトラックに載せられた。トラックの後の板が上下

するようになっていてバイクをすんなり運び入れてしまった・・(@_@;)

ここからは少し遠くはっきりとは見えなかったのだが多分、不法駐車だったのでは?

そんな気がしていました。事情は把握できていませんでしたが、大勢の人々が口を出

すからその騒がしいことは想像以上でした・・(-_-)

この国は<何でも持っていくのだなぁ>何て不快な気分で見ていましたが直ぐに公安

はバイク2台でトラックの後ろから走り去った。インターネットの店の横から奥には

駐輪場があって、そこから店の若者が何台もバイクを持ち出して来て店頭に並べ始め

たのをきっかけで、人々は霧散して行った。生命よりも大切なバイクと言われていた

時代のバイクが持ち主なしで運ばれてしまったようです。

これから先、バイクを取りに来るであろう人は、また、法外なお金を支払い取り戻す

ことになるのだろう・・(-_-メ)解っていてもする違反だから仕方ないとは言え、何

だか心が重い瞬間でもありました《公安のカーキー色の制服はなぜか?威圧感があり

本当に好きになれない》のは私だけかも?  バイクの持主はどうするのだろう?

持って行ったバイクはどうなるのだろう?なんてどうしようもない事を1人で考えて

いました。毎日、色々な出来事が目の前で起こる!見知らぬ事だらけで自分の理解を

越えているから・・どうしようもなく理不尽に思えて、また、不快感に苛まれる日々

が続いていました。それでも少しづつ馴らされて「そうなんだ!」とかそう考えるの

がベトナムという国の国民気質なのだと・・日々の出来事が渦中ではなくて遠巻きに

起きる事にほんの少しだけ安堵もしながら・・降りかかってこない火の粉を遠目で見

つつ、時が過ぎて行き暮らしが落ち着いて行きました。そんな時間を全くの未知の国

で味わいながら心は絶えず緊張感に覆われて生活していた気がします・・(-.-)

今は嘘の様にいい加減でアバウトで適当に暮らせる自分自身が信じられませんが・・

知らないという大きな課題は神経を丸ごと鷲掴みされていた時代でもありました。

どっちを見ても何も知らない何も解らない事だらけの中で1人で暮らす不安感は結構

神経には応えたものです。しかし何処か?図太く好奇心一杯だったせいでしょう?

1年も経つとそんな事頭の片隅にもなくなってもう何年も住んでいるかの様に普通の

ベトナム人に混じリながら暮していましたねぇ・・あははははは

今朝はこの近くの神社では早朝から“左義長”=どんと焼きが行われていました。

パチパチと跳ねる音や聞いた事のない音が続いて不思議に思い外に出てみたのです!

普通は14日とか15日だった気がしましたがこの地では13日だと知りました。そんな

浪速の朝は陽光も少し強くなって暖かさが増す様な気がしています。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/12(Sat)
「ほぼ1ヶ月になるかしら?」今年初めて映画を鑑賞して来ました・・(#^.^#)どう

しても観たいという映画ではなかったのです・・なぜなら話の内容は理解していた

部分もあリましたから・・でも、それが映画になっていると言う不思議感があって

ただこの作品が『どのように制作されているか?』という興味と好きな俳優がいた

のが大きな要因でしょうか?・・うふふふふ 「時間があれば観ておきたい」程度。

【LES MISERABLES】=レ・ミゼラブル

誰でもがご存じで有ると思います。ヴィクトル・ユーゴが1862年に書いた作品でー

ロマン主義の仏文学がミュージカル化されロングランを続け世界各国の言葉に翻訳

されたあの作品です。日本名は“ああ無情”でしたねぇ・・(*^。^*)

学校でも習ったし、ミュージカルではかなり有名でしたから何処かで1度は聞かれ

た事はあると思います・・( ^^)

話の筋自体は詳細はよく知られているので、省略しますが・・ただ、人間としての

生き方や仏国でのその時代の様々な生活や人間模様が貧富の格差の激しさなどが描

かれている作品としては・・小説に割合、正直と言いますか?素直な解釈と翻訳で

有ったと思いました。

(見間違いでなければ岩谷時子さん)になっていたので、一寸吃驚しました。瞬時

で小さな文字でしたから・・見誤ったかも知れません・・<(__)> ミュージカル

仕立の映画でしたし、俳優の肉声で歌われる歌には説得力もありました。

「話す時の声とはまた異なった感動もあり」そう言う意味で鑑賞に値する映画です。

あらすじを全く書かないのも・・ほんの触りの部分を書いてみますと、19世紀の仏

が舞台になっていて、貧困の為パンを1個盗んだ罪で19年間奴隷の様な生活を強いら

れるジャン・バルジャンが仮釈放になる処から始まる。外での生活も貧しく誰も彼も

が貧困との闘いに明け暮れている暮らしの中、人間としての正しい生き方を模索しな

がらも懸命にその生き方を探って行く主人公の生涯を描いています。

仮釈放して出たのにも関わらず、貧しさの為にまたもや教会で救われた筈の心は荒び

窃盗を働き捕まってしまう。その時、助けてくれた司祭は彼の罪を許し「自分が与え

た品物だと言い、まだ銀の燭台をも持って行くよう勧言する」司祭のその言動と心の

温かい神の御心に触れた時《初めて人間としていかに生きるべきか?》を考え、彼の

人生は大きく変貌して行きます。この機を境にして{正しい生き方を学び}生きると

言う希望を持てるようになって行く。 彼が努力して作った会社の中である女性との

遭遇がこれから先の彼の人生を大きく変えるきっかけにもなります。彼女の娘を引き

取り育てることに喜びを持つのだが執拗に警察官のジャヴェルに追いかけられて行く

行程もまた哀れであり宿命を感じる。ジャヴェルを演じているラッセル・クロウが好

きで・・あははははは 彼の歌声{肉声}が想像以上に胸の中に飛び込んできました。

初めて聞く彼の歌声には強い意志と強烈な勢いがありました・・(@_@;)

彼は自分の任務に忠実に行動しているのだが・・ジャンバル・ジャンにとっては何時

だって脅威の的でもあり、その正体から逃れられない運命を持っている。

娘が成長した時代には仏国は貧困と格差との間で若者が自由を求めて蜂起する戦いも

有り、民衆の力を信じて戦った若者が民衆の無関心という反逆に遭って大勢尊い生命

を喪失するという悲劇が起こる。

娘はその中の若者に恋をするが、ジャンバル・ジャンは老いて行く我が身を若者たち

に託し、生涯を終えるストーリーが大筋なのですが・・ミュージカルにも忠実で俳優

達の歌声は素晴らしく、芸術性を高めていた気がしました。特にラッセル・クロウと

エポニーヌ役のマンサ・バーリスの切ない役と声には脇役とは思えないほどの迫力と

慈愛の心が有って・・切なさを十分引き出していました・・(*^^)v

オスカー賞を取った監督=トム・フーパー、ラッセル・クロウ。アン・ハサウェイと

主人公を演じたヒュー・ジャックマンの演技には渋さと温かみ、輝きがあって素敵な

映画になっていました。隣の席の女性は大泣きをしていて、暫く呆然としていました。

そこまで私は感情移入ができなかったけれど・・ただ壮大なスケールと舞台とまた違

った雰囲気の中でミュージカル的な映像を本当に久しぶりに鑑賞出来た事で満足して

おりましたが・・(*^_^*)この作品はヴィクトル・ユーゴの人生そのものとの一説

があるとか言われていますが、娘が幸せになったことで彼の人生が終焉を迎えた頃が

仏国の自由主義が台頭する時期でもあり、様々な革命へと繋がっていく過程でもあっ

たのではないかしら?・・そんな見方をしていたのですが・・(-"-)

〚現在の過密化された自由と格差はこの時代からも然程変化はなく富めるものは益々

豊かになり格差社会も然り・・同様に流されている現実を熾烈な皮肉として表現、又

は警鐘として受諾すべきか?〛を考えさせるこの時期の映画でもありました。

少し長いので流れの途中、舞台とは違い緩慢になり易いから観ていて飽きる人がいた

のか他の用事なのか知らないが5,6人が途中で出て行ったのも何となく初めての経験

をしました・・(・_・;)映画館での出入りは殆どなかったから驚きました・・(-.-)

今朝も少し冷え込んでいるようです・・雲の中にいて「よっこらしょ」と起きだした

浪速の朝の太陽でした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/11(Fri)
体感温度が冷気によって随分異なるもので、気温自体は凄く下がった訳ではなかった

のですが・・寒く感じました!勿論日差しも時々差していましたから、勿体ない精神

でお昼前ごろから洗濯しましたが・・矢張り全く乾いていなかった・・(-.-)

それでも部屋干しすれば乾燥を防げるからしっかり暖房の近辺に干して寝たのです。

マスクを付け、喉にスカーフを巻いて寝ているんです・・わははははは 老化現象が

来てから、喉が弱いせいで咳が夜中に出る様になり目が覚める事が多くなりました。

「嫌ですね・・(^_^;)」かと言って自己管理しないと誰も相手がいません・・(+_+)

ま、そのお陰さまでしょうか?風邪を引く事もなく、到って元気なのも有り難いこと

です・・<(__)>

※突然やってくる人・・

「ピヨピヨ―ン」=我が家の玄関ブザーは「ピンポーン」「ブゥー」ではないのです。

と鳴ったので、出てみると男性が立っている。見た事もない{ベトナム人}です・・

「何かご用ですか?」と聞いたけれど・・凄く訛りのある英語らしき言葉で一生懸命

喋るのですが・・全く理解できないし聞き取れないのです。何とか辛うじて判明した

のは、名前とバーバー(多分?散髪や)の事ではないかと勘をつけたが・・見知らぬ

人の訪問にたじたじしておりました・・(-_-メ)

その熱心さが怖い程に懸命に喋るから・・どうしても何とかしなければと言う気持

になり、仕方なく「ちょっと待って下さい!会社にTELします」と言い置いて、2F

に駆け上がり、部屋から電話を入れた。息子がでて「心配してくれたのでしょうー

ベトナム人に聞いて貰うから、その人を電話口まで出しなさい」と言ってくれた!

又、玄関に戻り彼を部屋に入れて、電話に出て貰いました。何度も何度も同じよう

な言葉で執拗に電話で話していましたが・・納得したのか帰って行った。

こんな時だって、挨拶1つなしで、自分のことしか考えてないから、自分の用事が

済んだらさっさと帰る有様で・・吃驚させられる・・(@_@;)

その後、息子からTELが入り「このビルの1Fが空いているので散髪やをしたいから

貸してほしい」と言う話だった。会社としてはその気がないので断ったとのこと。

こんな事は少し前にもありました。若い女性2人はこれも唐突に訪ねて来たのですが

ベルを何度も何度も鳴らすから驚きながら出てみると2人が立っていて、凄く流暢な

英語で話しだした・・私がさも、英語はちゃんと喋れる人だという先入観があって

話し出すから・・それを理解するのに頭の中と耳はフル回転して・・酷く疲れた事が

ありました。その時は言ってる言葉も何となく掌握できて・・矢張りこの空いている

場所を借りたいと言う話でした。  本当に広くて、以前は旅行会社が入っていたの

ですが・・出る時に揉めて、結局は出て行ってのですが、会社では貸さないという話

になっていたのです。<貴女がオーナーなのか?>とか?<何処に連絡すればよいの

か教えて欲しい?>と言われた。でも「私はオーナーではないし、管理だけで何1つ

も解らない」と答えるとその時は何とか話も通じて即、帰ってくれた・・(-.-)

しかし、突如、急にベトナム人が来宅することや英語を理解する集中力でクタクタに

なっていました・・><;「もう、勘弁して下さい!」と言う位の疲労感でした・・

そんな事がその後も何度か有ったが・・このようにベトナム人にとって相手宅を訪問

する事にアポを取ったり、相手の都合を聞くという習慣が丸でない国だから、全てが

〚ぶっつけ本番!自分の感情だけで動く国民性である〛ことを知らされたのです!

相手が留守でも自分が行きたいと思ったら即、行動するし、相手の気持ちなど忖度し

ないから相手が迷惑だとかなどはさっぱり眼中になくそれが極、普通の事なので本当

に最初の頃は驚きの連続でした・・(;一_一)

相手の事などお構いなしで自己主張をするから突然訪ねてくることも、何処の家に

でも勝手に入りこんで来る事も平気なのです・・\(◎o◎)/!

殆ど気にしないし、自分の要求と欲求を満たしたい願望が強くて、相手の事などは

先ず何も考えていません・・本当に面白い国民気質です。が、慣れていない日本人

の私には驚倒する事が多すぎて、当初は頭の中はぐるぐる状態で訳が分からないと

言う現況に絶えず神経を振り回されておりました・・(-"-)

日本人は誰でも英語は喋れると思っているし、お金も持っていると言う観念的思想

がこの国には有って、ベトナム語が解らないと言うと有りったけの英単語を並べて

話す。そして、ベトナム人に関わらず外国人は概ねほんの少し、挨拶できるだけで

も日本語は話せると当然の様に言う傾向があって・・英語も通じていると錯覚する

人が多く何時も{アジアン英語}には苦労させられ・・さっぱり理解できなかった

のが現実でした・・(・_・;)何せ、観光用位の英会話でしたし難しい単語などは特

に何も解らなかった人です!ましてや、アジアで使用する英語は癖が強く、慣れだ

と息子には言われたのですが・・学校で習った英語程度では・・(-_-)喋れる訳で

もなく、英語を話す人も未だ未だ凄く少ない時代でした・・(#^.^#)

だから外国人が住んでいる家に突然来る人は当然の様に自分の英語は通じると思い

話すし、日本人の私はこれも当然に理解できるという大きな誤解の上の話ですから

こんがらがってしまい・・収支がつかない状態になるのです・・はははははは

ことさように、ベトナム人には羞恥心が殆どないし、相手の都合や心を推し量る等

の思考がない国民ですから突然、誰でもが訪ねてきたり黙って入ってきて必要な品

を持ち出していく事も通常の事です。 その人の考えでその場が間に合えばそれが

他人の持物でも勝手に拝借します。

     *とにかく自他の区別のない国民です・・きゃはははは*

今は面白くて、そんな時代をおろろしなが通過してきた時間を懐かしく振り返って

おりますが・・当初は自分の目の前に起きる事が堪らなかったものです・・(@_@。

何でも経験ですしこの時間が有ったから笑い話になって今があります。お気楽で楽

な国民で嫌みのない素地そのままで陽気な人が多く凄く親切です・・(*^^)v

今朝は少し寒いかな?程度で洗濯物も6時前には干し終え白雲が青空に留まっている

浪速の夜明けでした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/10(Thu)
暖かさの後の寒さは応えます・・(-.-)昨日の日中はそれ程でもなかったのですが

夕方から上空に寒気が襲来して来たのでしょう・・!(^^)!すっかり寒くなった!

グーンと冷えた感じはしなかったのですが、風の冷たさを感じると身体の中の熱が

連れて行かれるのかも知れません・・ふふふふふ それでも、寒さがあってこその

日本を堪能しております・・( ^^) 四季があることの喜びは何にも代え難く暑さ

だけの国も、それなりに便利でしたが・・心が荒ぶ様な感覚が何時もありました。

花も樹木にも沢山の種類があって絶えず咲いていましたし、花好きの国民です。

熱帯植物の珍しい花々も時には心を癒してくれましたが・・春が来て桜が咲いてー

とか四季折々の情感や風情は日本人の心奥に深く刻まれてしまっているものだから

時折妙に四季のない事の寂寞感に襲われる日々が沢山ありました。

ベトナムは日本同様に細長い国ですからハノイや北部では四季があるのですが日本

の様にどちらかと言えば暑さと寒さだけで暖かさや涼しさの感覚は少ないかも知れ

ません。 今頃は家の中でコートやマフラー、毛糸の帽子姿の人々が北部には大勢

いると思います・・(@_@。

暖房設備が先ず無いからどうしても重ね着する様です。それでも最近は暖房も少し

づつ販売されて来ていると言われていますが・・富裕層に広まって来ていることも

聞いていましたが・・ハノイの方面は観光でしか行った事がないので・・正確では

ありませんが、そんな話を聞きました・・(@_@。

※心臓がキュッ

或る日、公安(警察)が2人バイクに乗って隣の店の前に停車しました。丁度窓を

開け、空気を入れ替えようとベランダに行った時、その光景が目に飛び込んで来た

のです。その後ろから大きなトラックがきて停まるのを目撃。歩道には何時もの様

に天秤棒担ぎの小母さんたちがずらりと歩道に座り込んで売っていました。

朝の8時半ごろでしたか?突然、後方から騒がしい大きな声が聞こえたので、その

方向を見ていると、屋台を出している人達が荷物を抱えて道路を渡る処でした。

公安の取り締まりだったのです・・歩道は一応、法的には禁止されているのですが

見て見ぬ振りをしているのが普通でしたが・・時々自分たちの小遣い稼ぎのために

突然現れることを聞かされていたのですが、初めて、現実の光景に遭遇して、私の

心臓はキュンとなり、胸が痛くなりました・・(-_-メ)

荷物を持ち走る小母さんや小父さん達。椅子、盥、バケツ等を持って子供にも持たせ

走って行く後を丸でいたちごっこの様に追いかける公安!

その早業は慣れたもので吃驚する位でしたが・・(@_@;)残念な事に追いかけられて

捕まったリヤカーの小父さんはリヤカー事没収され、後方のトラックに積まれてしま

ったのです・・\(◎o◎)/!そして、たった1台だけを〔見せしめ〕の様に運んで

行きました。一体どういう事なのか?理不尽さが沸々と湧きあがっていましたねぇ。

リヤカーを取られた小父さんは愕然としてしょんぼり・・見ていて気の毒でした!

誰も一言も言わなくてただじっと見ているだけ・・“運が悪かった”のでしょう・・

としか言いようがなく、誰でもいいのだと思った。この経験は強烈で、仰天するほど

心の奥底に汚濁の様に沈澱して行きました。初めて見たから尚のことだったのですが

それからも何度も何度もそう言う場面に出会い、砂を噛んだ様に後味が悪く苦い思い

が心の中を覆い尽くして行きました。確かに違法かも知れない。しかし、必死で商売

している人たちから掠め取る様な方法は見ていて酷く嫌な感じでした・・(-"-)

個人的には批判できるほど未だ何も知らなかった時期のこの国での吃驚した出来事で

したが・・これは前回来越した時にも市場の外で売っている人相手に公安の取り締ま

りがあって未だやっているのだと驚きました・・(@_@。

リヤカーを取られた小父さんは法外なお金を請求されると言う。納得いかないだろう

と思っていました。単に運が悪かっただけだろうか?そして、その後はもう、何時も

通りに店が並んで、商売を平然としてしている人々の逞しさを驚異な感覚で見ていま

したが・・蟠りが残って、胸が痛かった光景でした・・(・_・;)

拝金主義のお国柄です。お金で殆どが解決できる・・その事を知ったのもこの時期で

外国人にも“賄賂”が流行していて、いつ来ても渡せるようにと言われていた記憶が

あります。でも幸いにして、私は渡す事は一度も無かったのですが大方の日本人は既

に渡した人がいたという話は聞かされていました・・(/_;)

未だ日本人も外国人も凄く少なかった10年前の出来事で、ただただ、驚倒していた私

でした。何かとてつもない理不尽さが押し寄せてくる様な感触があって恐ろしくさえ

感じておりました・・(;一_一)

この頃は未だこの国に来て間がなかったから、そんな光景に一喜一憂して憤懣が心の

中に充満しておりましたが・・そう言う国なのだと言う事を理解するのに随分時間が

掛り、ベトナム不信病に罹患して行きました・・あははははは

今でこそ笑い話ですが当時はそれこそ恐怖心もあり(公安)の制服を見るだけでも嫌

悪感を持っていましたねぇ。現在も未だ公的に行われているようです!

今朝はゴミを出しに出たら身体の中に冷気が忍び込むように「すうっ」と入り込んで

来て寒さを感じた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/09(Wed)
『冬日和』というそうですが昨日は本当に太陽光が身体全体を包んでくれるほどの

暖かさでした。年末以来買物に出かける事もなく、部屋の中で衛星放送の昔の映画

や時代劇を見ていたのですが・・余りにもお天気がよく暖房も切っていました。

忘れない内にとパスポートの申請の為の小額小為替を購入しに郵便局へ出かけた。

もう4冊目、びっしりとビザ申請の為埋められているパスポートを見つつ、こんな

にも仕事でもないのに普通の婆さんが出入国していることに吃驚、仰天していた!

特に買う物と言っても食糧はあるので、近くの店を冷やかして歩いてきた。矢張り

全く買わないという事は出来ず、電池やカイロなどを購入スーパーまで行き安売り

していた牛乳を買ったり、出かけると手ぶらで帰る事ができない・・あははははは

※ベトナムの生活って・・

ホーチミン、ハノイなどの大都会でベトナム人大人が1人まともに生活するのに必要

な生活費は月額100㌦位で、公務員の給料の月給がその半分上だから・・給料だけの

金額では生活が成立しないのが現状です。だから、夫婦がどんな形にしても働かねば

ならず、屋台や露店での仕事は減らないし、持っている人から貰ったり狡猾な方法で

騙す事もごく当然の様に今も行われています・・(-_-メ)

まして子供を育てている家庭では子供を学校に通わすのに掛る費用は大変です。故に

子供達も家の仕事を手伝い、または下の子供の面倒を見るのが自然と躾られている!

親に苦労掛けて学校へ行かせて貰っているという感覚が凄く強くて大学まで出して貰

う事は並大抵ではないのです。懸命に働いて親や兄弟に恩返しするのが当然なのです。

さて、日本人がベトナムで生活しようと考えると・・駐在や会社からの出向の場合は

会社で面倒を見てくれる場合が多く、住居も心配がないのが普通ですし何の不自由も

なく優雅に暮らしている人も大勢います。

しかし、最近は若者が日本の就職が難しくなって沢山ベトナムに入って来ていますし

老後を海外でという話も多くかなりの人々が夫婦で来越しています。しかし、この国

ではまだ受け入れるだけの国策が整っていないし、援助も全くないのが事実です!

家を建てたいなどと思う人がいても外国人には門戸が開かれていないからベトナム人

名義でないと建てる事はできません。また、国際結婚して、妻がベトナム人の場合は

妻の名義に全てなってしまうから日本人男性は何もないことになるのです・・(@_@。

現在は不動産の値上がりが厳しく、家やアパートを借りる時もかなりの値段を取られ

ごく普通の生活をするのも、現地採用では難しいと言われています。

不動産の高騰でベトナム人の配偶者がいても銀行ローンは外国人には認められてない

し、配偶者で借りても金利は10%以上だと言われていました。だから、中流の生活を

する事が段々と難しくなって来ていましたし、月額2000㌦は必要とされる時代に変化

して来ていました・・(;一_一)余計なお世話ですが来越して生活を考えておられる方

には、それなりの生活設計が必要だと思います・・(@_@;)

ただ、食費や日用品は想定外の廉価だから切り詰め質素に暮らしている若者がいる事

も実際は数多います。食費は15㌦位だから、衣料、交通、電気、通信費等を締めると

住居費は別ですが・・暮らしは不便なく回る気がしますが、あくまでも個人的な生活

習慣によって異なります。殆どは外食です。その方が若者には安価だからです。

しかし、現実のベトナム社会では経済発展するにつれて、普通に生活する事が段々と

難しくなって来ていて、ベトナム人でもお金の掛る世の中になって来ています。中流

レベルのベトナム人同様の生活をすると(家族4人)の家庭で月500㌦位は必要になり

正直厳しい生活が強いられているのが現況です。これには{住居費}は含まれてない。

子供の教育費は高く、今は塾もあり、通わせる親も多くなっていますから大変です!

家族で来越して生活し、前記した会社持ちでない給料で生活する事は本当に厳しくて

月額1500㌦が掛ると言われていました。

帰国する場合の費用も、病気、怪我、事故、ビザ申請費用、老後の貯え等も加算して

日本の親に仕送りする場合もあれば、ベトナムの物価がいかに安くてもそれは食費や

日常品だけで、教育費で相殺され日本での生活と殆ど変化がなくなって来ていました。

現地採用の給料は凡そ相場は1000㌦程度で(特殊な専門職以外)独身、夫婦だけなら

何とか辛うじて暮らせるというのが実情でした。昇給などないからその内に破綻する

事は目に見えているという感覚にまでなって来ていましたねぇ・・(-.-)

これが現在のベトナムの現実の生活です。私の様に能天気な者は結構、上手く生きて

きた部分がありますが、交際費などはなく友人も最低限でしたし食費も自分で賄って

いたし、外食は殆どせずそれでも年2回は帰国、ビザ申請で他国へ行く事など生活費は

10年前に比較できない程膨張していました。

とにかく家賃が高くなっている事が何より驚いた事です!ま、今日は再来越して先月

まで住んでいたホーチミンの現状を書いてみましたが・・(@_@;)

何かの参考になれば嬉しいです。決して甘いものではないことをご理解頂けると思い

ます・・はははははは  それで帰国したのではありませんが・・うふふふふ

今日は昨日晴れた分冷え込んでいますが・・日差しが弱い浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/08(Tue)
暁光が眩しい朝になり、辺りは未だ暗い中、洗濯物を干していても寒さを感じない

程度でした。何時ものように新しい年も自分のペースで流れています。こんな幸せ

な事はないと思いながら・・(*^_^*) 年賀状も少なくしたので、メールで来た

友人たちの近況を知って時の大きな流れを痛感し、老いた事を確実に知らされてお

ります・・あははははは 或る人は子供の成長と共に、仕事がらみでボランティア

に真剣に取り組んでいたり、自分の趣味で教える立場の人もいて・・人生の縮図が

たった10数人の中にもに刻まれていて・・全く見知らぬ事に驚かされたり・・自分

が過ごしてきた時間は無駄ではなかったけれど・・(@_@。日本にいたらきっと、又

違う生き方をしていたと思う事もあり、人間のあくなき生命と様々な生き方に影響

を受けることになりました・・( ^^)

ベトナムの友人からもメールが入って珍しく『乾季』なのに台風の影響とかで毎日

気温が上がらず肌寒く雨が降っていると書いてありました。私が住んでいた数ヶ月

前には思いもかけないことで・・驚いています・・\(◎o◎)/!

※読書

本を読みだすと老化の前兆だと聞かされたことが以前にありました。偶々、異国に

住んで言葉も通じなく、日本語に飢えていたという珍しい体験のせいかも知れない

し、図らずも老境に入る寸前の時期と重複した部分もあって、随分本を読んだ!

日本への帰国はビザの事や桜見物、亡夫の墓参りなどでその都度、又は息子が持参

していた本や、貸本屋などもあって、そこで借りる事も数え切れないほどあった!

帰国してしまう人が置いて行ったり、ビデオも買い取ってもらったりもあって、店

として成立している場所がありました。ここでは日本人が経営していてTvも見る事

が可能でした・・しかし、私はそこの雰囲気が余り好きではなかった・・(/_;)

傲慢でかなり長くベトナムに住んでいると言われる夫婦でしたが、どこか心の中が

荒んだ感じがして何時も不愉快な顔をしていた・・散々色々な目に遭った後だった

のかも・・何て想像を逞しくしていました。けれど、感じが悪く、私はどうも好き

になれない店でした。ただ本が沢山あったので息子に行って貰ったり自分でも通い

ましたが・・殆どは持参した物で現在の様に読んだら売ってまた購入する様な流れ

がなかった時代です。本は大切でした。それでも350冊程度はその頃持っていた。

殆ど文庫本(重いから単行本は買えなかった)ばかりでした。そして古い週刊誌は

もう、何度も見て、又本も最低3回程度は読んでいました・・(@_@;)

どういう頭の構造なのか?単なる頭の悪さなのか?理解できなかったのですが何度

も同じ本を読んでいました。記憶力が「がっくりと抜けているのか?」とも思って

いましたが・・(-.-) 推理小説でも犯人は大抵は1度読んで解るはずなのに、また

新しく読み直していた。途中で気がつく筈が最後まで読んでいる「馬鹿!」なの?

何度もそう思っていたのですが・・今考えると、単に日本語を目で追っていただけ

の読み方で、内容など全く把握していなかったから何度でも読めた気がしています。

犯人は最初のページを読みだしたら、何となく感じるものらしい・・でも私は頭が

悪いせいもあったのでしょう・・最後の方になる迄犯人が理解できないという愚か

さがあって・・きゃははははは勘も鈍く、その分本を何度も読む機会がありました!

速読でしたから、ただ字を追いかけていただけで内容など何も考えていなかったに

違いありません。それでも、又同じ本を取って最初から最後まで読んでいたもので

息子からは何時も笑われていましたが・・(#^.^#)

本の中には色々な人生があって、そこに住んだ経験がある街が登場したりすると心

の中であの辺りの風景だとか?いや?ここは創作に違いないなどを感じて懐かしく

もあり、心惹かれて読んでおりました、見知った言葉や土地柄が出てくると、その

雰囲気や路地で交わされる言葉やその土地を思い出し嬉しかったものです!

歴史小説も好きで沢山読んだが、作者によっては歴史上の人物の捉え方が微妙に異

なる事もこの時期知った事です・・矢張りかなり愚鈍なんだと思う・・うふふふふ

その時代を研究されて書いておられると思うし、時代考証もあると思いましたがー

人物や解釈の違いに数多の思考があって飽きずに読んでいました!

時代背景も、作者の根底を流れる思想や思考など、生き方を通して何を登場人物に

著名人に何を語らせたいのか?などを考えておりましたねぇ・・( ^)o(^ )

作者が描き出す人物像は各々心があってそれが生かされている人とそうでない人も

見え隠れして「凄いなぁ!」と感動して読んでいたものです。

随分、いろいろな作者との出会いがあったのですが・・もう、既に思い出帳の中に

消滅してしまっている・・ふふふふふこの国に関する本も読んだ積りだったが現実

に住んで生活する事と観光で訪れる感触とはかなりの違いがあるから、当然ですが

体験して初めて解る事の方が多かったのです・・(-.-)

ただ、公的に阿ねく見せる部分とそうでない部分の違いは社会主義という国政の為

なのか?事実関係は私の脳細胞には把握できませんでしたが・・迎合されている事

や拝金主義を目の前で見る時は凄く汚濁した感覚があり「絶えず嫌だなぁ」と感じ

ていましたが・・これらも数年経つともう、当然の様に馴らされてしまうのです!

人間の心の慣れとは脅威です・・その事もこの国で学んだ気がします・・(-_-)

こう言う風には先ず書いていない本が多かった事も個人的感覚に合致しなかったの

ですが・・現実の違いの方が身体に浸透して行くからその類の本は早くに遠出した。

そして、もう2度と読むことはなかった・・(*^。^*)

週刊誌は隅から隅まで念入りに読んだものです。大きな情報源でしたから・・余り

何度も読んでいると大体何ページには何が掲載されているかさえ掌握できるように

なって・・自分でも可笑しく思っていました。「今回のページには同記事がない」

何て思っていると{作者病気の為}とか小さく書いて有ったりして、妙に納得した

り1人笑いをしたものです。

今迄この歳になるまで科学や経済の本を真面目に読んだ経験はなく{恥ずかしい}

ベトナムに来て初めての対面でした・・わはははははそんな本を読まなくても生活

することに不自由がなかったからで・・全くの門外漢でした。所が新しく入手でき

読む機会が与えられるとこんな訳の分からない難しい本でも読みたい気持ちが湧く

ものですから不思議でした・・( 一一) かと言って正確に理解して読んでいたの

では決した無かった・・むしろこんな難解な事を書く人がいる事に畏怖の気持ちに

さえなっていて、こんな記事がきちんと判断できる人がいる事に愕然としていた!

これらの本は1度きりでぶっ飛ばして読んでいた気がします・・わははははは

きっと「相性が悪いのだ!」などとへ理窟を付けていました。だって、私の脳細胞

が拒否反応をしてしまうから・・(-_-メ)・・(笑)

後は本を読むと言うより電子辞書が活躍してくれました、退屈せずにずっと傍らに

いて何時間でも相手になってくれるアイテムでもあり親友でしたねぇ・・( ^^)

時間潰しの最大の武器でもあって見知らぬ事の何と多く吃驚するほど豊富な言葉が

ぎっしり詰まっていました。1日2冊を目途に読んでいましたが・・これ程集中して

本と接していた時間はありませんでした。しかし脳内の異常は起こらず終いでした

から殆どはインプットもされないまま上滑り状態の脳だったと思います・・!(^^)!

こんな時代を過ごしていました。古い話ですが・・ベトナムに魅了されてという話

ではなかっただけに、どうやって時間を費やせばいいかのかを考え、人生を追想す

る時間でもありました・・ふふふふふ それでも大勢が経験できる事ではないから

仕合せな時間だったと今は強烈に思い出します。

昨日よりかは陽光が落ちて、晴れてはいるのですが・・さっきまで電気を点灯しな

ければ暗かった浪速の朝でした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/07(Mon)
すっかり日本の冬を忘れていたものだから「こんなに寒かった?」って感じと札幌

で生活していた頃を思い出し「あの豪雪の中でよく暮せた事・・矢張り若さなの?」

なんて考えておりました。何処でもどんな場所でも生きて行かねばならなかった時代

だったし、自分で選択した道だったから・・勢いもあったのでしょう・・うふふふふ

人間の生活の順応性は勿論、人によって違うと思いますが・・( ^^)案外どんな生活

にも慣れて行くものですねぇ・・ははははは 「ま、私等は極寒の地も知り、常夏の

暮らしもあり四季の美しい日本列島の中、どれだけ転勤で移動して動いたかしら?」

ですが・・自分自身の生きてきた道程に後を振りかえるのが恐ろしい位の変動があり

それもまた、個人的には好きで選んできた事も多々あるから・・面白い人生を歩いて

います・・本当に幸せなことと感謝しています・・あははははは

※昨日の続き・・バスタブとシャワー

バスタブにお湯を張って(少し大目に)その湯量の多いこと・・(*^_^*)数分で

いっぱいになった・・きゃきゃきゃ・・(*^^)v「本当にお久しぶり!」の挨拶を済

ませ、湯の中には泡立つ液を全部投入しました。もう、その泡のキメ細かさと物凄い

泡に・・\(◎o◎)/!でした〚バブル万歳!〛を叫びながら・・ふふふふふ

よく、洋画に出てくるシーンで泡だらけの中に女性が気持ちよさそうに入っている

姿を想像し太い大根足を挙げて”すりすり”したり、身体中に泡を塗りたくるんだ

などと心の中では「うひひひひ」状態で妄想しておりました・・(*_*)

所がバスタブは完全に欧米用に出来ているもので、凄く大きいのです。私も年齢に

比較すれば大きい方ですが・・足が届きません・・その内、身体がふわふわ浮いて

来たんです・・><真ん中にある取っ手まで手が届かないし、かなり上部に有る為

掴めないのです!やっと掴んだものの今度は横にも寝る事も出来ない状況・・全く

落ち着かず、取っ手を捕まえていないと身体が回転する”すりすり”何て出来ない

ひっくり返りそうになっておりました・・(-"-)・・ひゃははははは

バスタブの中に{おっちゃんこ}座って、やっと身体中に泡を塗り、洗いました!

恥ずかしながら、久しぶりのお風呂です。垢磨りなどしたら{まー出るわ出るわ

擦る度にボロボロと出てくるんです} 汚い話ですいません・・<(__)>

1度目はこの程度にしてと思い流してお風呂を出ました。寝る前にもう1度入りたい

と思ったからです・・(*^。^*)

さてさて、問題の総透明ガラスの四角い大きなシャワー室が「おいでおいで」をして

いるので・・挑戦せねばなりません!【初挑戦です!】ガラスの扉を開けて入ったの

ですが・・何とも気恥しく誰かに見られているような錯覚が纏いついておりました。

想像してみて下さい・・電話ボックスのもっと大型で全てが透明なガラスに覆われた

個室です。入っては見たけれど・・ここも落ち着かなくおろおろ状態で、シャンプー

とリンスなどを忘れてもう1度バスタブに戻り、引き返して来たのです。

その上、棚がこれもかなり高い所にあるもので、背伸びしながら載せたつもりが手が

滑ったのです「あっ!」と思い慌ててそれを拾おうと思いしゃがんだ瞬間、大きな私

のお尻が蛇口の取っ手に当たったのです・・(-_-メ)

思いきり水シャワーが飛び出して来ました「ギャー」と大声を上げ飛び跳ねていたの

です!何も慌てて拾ったりすることはないのに・・きゃははははは

髪を洗い終えてタオルを頭に巻き、バスタオルの大きな物を[足元位はありました]

巻き付けシャワー室を出ました。「そうだクローゼットにバスローブがあったわ」を

思い出してそれを持って来て着たんです。ところが、またもやなんです・・><;

バスロブも外国人用サイズでしたから・・(・_・;)腰にある紐がずっと下に有りそれ

を結ぶのに上に持ち上げたら胸やお腹がすっぽり開いてしまいました・・とほほほほ

[ま、ボインの人なら引掛り留まっていたのかも知れませんが、何せこの年齢です。

引力にも逆らえず、ましてや貧相な中年小母さん体系ですから、肩から脱げてしまう

有様でした・・(-_-;)・・あははははは・・やれやれでした!!

もう、仕方なく諦めてTシャツと短パンに着替えてしまいました。折角色々と妄想を

逞しくしていたのに、何1つ出来ないままお風呂もシャワー室も私には不釣り合いで

情けないほど愕然としました・・(--〆)洋画の1シーンも吹っ飛び、すりすり足も

不発に終了してしまいました! 『土台、そんな事この小母さんに出来る筈はない』

そう思い諦めておりましたが、人間とは慾深くできているもので「フリー」の言葉と

折角高いお金を支払って泊まっているのだから・・何もかも使用してみたい衝動に駆

られていたのです・・お粗末ながら・・品性も既に忘れておりました・・(/_;)

その後は紅白を見る為に持参してきたお弁当を食し。ビールやおつまみをベッド脇の

テーブルに並べて待っていました。別段、凄く紅白が好きだった訳でもないのですが

2人の折角の好意を無にしないためにも、日本のTVは1年ほど見ていなかったから

日本語で放送されることは心を穏やかにさせていた事は事実です・・(#^.^#)

すっかり最後まで見ましたが・・日本で見ていた時に比べ矢張りTVの見方が違って

いましたねぇ。全く、何の情報もなかったから誰が出演するかも、何の曲を歌うかも

見当もつかなかったから、余計な事が頭の中に何もなかった。だから思ったのかもー

知れませんが、感じたままで言えばかなりのリハーサルがあったと思われました。

なぜなら、本番なのにかなり疲れている人が多かったことに驚いたのと面白くなくて

白々しい言葉のやりとりにうんざりでした・・穿った見方だったかも、または勝手な

思い込みだったのかも知れませんが・・見知らぬ若者の台頭で中年小母さんには連い

て行けない内容だった気がしました。それが10年前のベトナムでの高級ホテルで見た

年末の出来事でした。その後は前記したカウントダウンになります。

ま、いろいろなご意見もあると思いますが・・大波に乗れない人がいる事や流れに逆

らって生きている人達もこの世の中には沢山いることを急激に発展して来ていたこの

ベトナムと言う未だ未開であり未知の国で経験した事でした・・(*^_^*)

今日も真冬の月が赤味を帯びながら沢山の星を従えて、澄んだ空気の中冷気とともに

神々しく光り輝いていました朝5時過ぎの浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/06(Sun)
アイロンをかけ、着物を片ずけた。昨日は本当に底冷えがしていました。時々、風花

が舞って空気の冷たさを感じておりました。食糧はまだまだ存分にあるから。何処へ

も出かけず、クローゼットの中の整理や解き中途の毛糸を全部、解いたら・・腕が痛

くなって・・温湿布を張り、その上に懐炉も貼って温めておりました・・あはははは

大したことは何もしないのに1日の過ぎるのが早い・・新年早々、もう5日経った・・

時間だけは巻き戻しが出来ず、瞬時に『過去』という膨大な荒野の中に投げ込まれて

行くようで「ちょっと!待って・・」の声は届かない!愈々大事な{余世}{おまけ}

を楽しく大事にしなければを痛感しておりました・・うふふふふ

※さて昨日の続きですが・・

2人のホテルの女性の訪問を受け、1人は紙袋に入ったカレンダー、もう1人は薔薇で

作られた花籠を持っていました。そして渡す時、必ず「フリーです」とトーンを上げ

言うのです。ベトナムは薔薇の花が想像以上に安価で栽培している産地では30本位を

束にして300円位です(最も蕾ばかり)花籠の中にはピンクと深紅のバラ、アスパラが

オアシスに綺麗に短くカットされ飾られていました・・(*^_^*)

それも有り難く受取った!もう、勘のいい方はご理解頂けると思います。  でも私

未だ何も気がつかなかったのです・・(-_-;)

思いがけない花籠やプレゼントに凄く感激して・・ただただ彼らが「フリー」を強調

する事に違和感を抱いていたのですが、未だ何も理解していませんでした・・(-.-)

彼女たちが去ってもなにも把握できていなかった・・(・_・;)毎日、シャワーばかり

だからお風呂に入りたかった!{今夜は何度も入って老廃物と垢をいっぱいだす}と

言う目的があったんです・・きゃはははは 汚いと思われるかも知れませんが暑い国

だからバスタブのある家は少なく、洋式だから寝転ばねば肩まで浸かる事が出来ない。

幸い我が家にはバスタブがあって偶に入る事もありましたが・・お湯が中々溜らなく

面倒でシャワーを1日2回位浴びる事が多かったのです。  横道に逸れましたが・・

さて、そんな事を考えていたらまた「ピンポーン」です「今度は何?」と呟いていた。

またもや若い女性2人が立っている。バスケットにフルーツを沢山載せ、皿とナイフ

ナプキン、フォーク、フィンガーボール(ジャスミンと薔薇の花びらが浮いている)

を持ってきた。そしてまた「フリー」と言ったのです・・(@_@。

妙なアクセントで2人同時に言いました。このとき気がつけば良かったのですが愚か

だったのでしょうねぇ!まさか、こんなホテルで大晦日を過ごせる事ができるとはー

思わず、舞い上がり何も考える心の余裕がありませんでした・・(-"-)

相変らず「OK.カモン=有難う」を言って頂いてしまった。フルーツはタンロン、梨

柿、モンキーバナナ3本、蜜柑2個が入っていたんです。これは本当に嬉しかった!

   **そして、その時、初めて「はっと」気が付いたのです**

チップが欲しかったのだと・・><;この国では一応チップは不要なのですが、高級

ホテルや高級レストランではチップが必要だという事は聞かされていたのですが・・

今迄は高級店は息子が連れて行ってくれるし自分自身で支払うことなどは全くなくて

すっかり忘れてしまっていたのです・・とほほほほ

「あーあ何号室の日本人は凄くケチだ」と印象付けられしまった・・でも、もう後の

祭りです。本当に申し訳ないことをしてしまった・・(;一_一)と酷く後悔しました。

「なぜ?何度も入れ替わりにやってくるのか?そう言うサービスなのか?」と不思議

だったのですが海外でチップの必要な国では割と上手に握らせる事も可能だったはず

なのに、ここは住んでいる感覚があるからホテルに宿泊する事に気が回らなかったー

只、きっとホテルの人たちは交代で今度は私が行って貰って来るとでも思っていたの

かも知れませんが頭が回らなかったのです・・本当に悪かった<(__)>という気持ち

でした。後日、聞いた話では矢張り、エグゼクティヴの部屋の人はチップをあげると

聞かされたのです。こんな豪華な部屋、それも地元だという感覚があってまるで気が

付かなかったのです・・( 一一)「こんな経験初めてだったからわかんなかった」と

自分にいい訳をしておりました!やれやれ・・「さぞかしケチだと」思われただろう

と思っていたが・・済んでしまった事だし何て納得させていました・・わははははは

そして、その事は忘れる事に決め「まーいいか?本当に知らなかったのだから」とー

無理矢理心に閉じ込めたら、何だか1度に疲れがどっと出た感じでした・・(--〆)

日本人は金持ちだという事がベトナム人には染みついているから”いい鴨だったはず

が当てが外れて申し訳なかった”と思っていた・・愚鈍と言うべきか?皆目、範疇に

は無く思い出す事すらなかった私です・・全く恥ずかしい経験をしましたねぇ!

旅に出ると解った事でも住んでいたからそんな所まで気が回らなかった部分もありま

すが・・ホテルの人には住んでいることなど解らないし、ましてや金持ちの日本人だ

という思考が彼らには渦巻いていたはず・・ふふふふふ m(__)m

それを見事にひっくり返してしまったのですから、一寸ショックでした・・!(^^)!

  =ま、色々な失敗談は数ありますが、機会があればまた書きます=

明日はバスタブとシャワーについて・・これも困ったのです・・(-_-メ)

昨日はかなり寒さが厳しかったようです。幸い外出もなく部屋の中だけで動いていた

から然程には感じなかったですが・・お仕事初めの方には寒い朝になったのではない

でしょうか?今日も昨日の冷気が残っているようで寒い朝の浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/05(Sat)
気温が上がらず、肌襦袢も下着類、足袋が半乾き状態でした。先ず先ず日差しが適度

に当たっていた様ですが・・( ^^)部屋干し状態でした。 終日、暖房を点けていた

せいで夜にはすっかり乾いた。片ずけはアイロンをせねばならないから、明日に回し

着物様に着ていた毛糸の上着を、もう、何10年にもなる・・(うひょ・・(@_@。)

「解けば、カーディガンにならないかしら?」何て思い解きだしました。自分で編ん

だ物だからその適当さで、割合、早く半分まで毛糸玉を作れた。残りは明日に回す!

ま、何に変化するか解らないが、荒く編んでいるので多分、明日で毛糸玉3つ位には

なるかも知れない・・でもきっとこれでは不足だろうから、座布団カバーか?ベスト

程度で足さないとカーディガンは無理みたい・・何時頃編んだのか?恐らく札幌時代

だと思う。冬が長いから毎日機械編み(そんなのがあったんですよ)で子供の服を編

んでいましたねぇ・・(@_@;) 若かったから全く苦にならずシャー、シャーと音を

立てて機械の操作をしながら何10枚も編んでいた。あの機械は何処へ行ったかしら?

※エグゼクティヴな大晦日

思いがけなくー息子夫婦からのプレゼントでベトナム初めてのお正月をホテルで迎え

る事になった。今年はお正月など全くないと思っていたから・・それは素敵な贈り物

でした。毎年、新年の準備でお節料理から掃除、着物の準備までしていたから、全く

何もしないことに多少の不安と手持ち無沙汰を持て余しておりました。 そこにこの

話が持ち込まれ・・凄く嬉しかった・・\(~o~)/

着物を着ないお正月も初めてだった。心もとなく新年が来るという感覚は暑さのせい

で夢のように異国を感じておりました。”ビッグプレゼントでした・・(*^_^*)”

ホテルは{ヨーロッパでは名前の知られている}ベトナム系列といえる場所でした。

息子がバイクで迎えに来てくれ、後ろに座って、特別な格好もしなく普段着にパンツ

や上着を少し見栄え良くしたもので・・レストランへ行く感覚でした。

ホテルに到着。大勢の人が出入りしていて、それなりに素晴らしくゴージャスな格好

の人もいたりヨーロッパの人や米人はTシャツに短パン姿も多く、何でもいいのか?

を見て、内心ほっとしました。ベトナムでは初めての経験でしたから・・(-_-メ)

レセプション形式だったようで、最上階で受け付けている様子。息子は【今日は特別

だから多分、そうだろう・・】と思ったと言っていたが・・初めての体験でワクワク

していました。受付は順番らしく、息子の手続きの間、別室に案内され、待たされて

いた部屋には冷たいジュースをアオヤイを着た女性が持って来てくれ、それを飲んで

待っていました・・($・・)興味があってあちこちうろうろ目が動いていました!

10分位したら息子が現金で支払っているのが見えて何だか申し訳ない気持ちになった

     《思いきり心の中で感謝!感謝!を唱える・・あはははは》

それから、彼は案内を断り、このホテルは日本人の来客用に会社でよく利用するとか

場所も、全て理解しているようでした。8Fの角部屋だった。ま、その広さに仰天して

あちこち部屋の中を歩き回りました。目の前にドーンとリビングがあって大きな扉を

開けたらそこはベッドルームになっていました。海外へはその年代では結構、数多く

行っていた積りで随分色々な種類のホテルに泊まった気がしていましたが・・かなり

高級感のある部屋でした。物凄く感動しました・・(*^^)v

その頃は未だベトナムは発展途上に向けてドイモイ政策の真最中でしたから、何処も

ここも工事が猛烈なスピードで進展していました。高級ホテルに宿泊するなどベトナム

人には有り得なかった時代でした・・(-"-)

クローゼットの中にはアイロンもあった・・これはちょっと驚きました・・(@_@。

バスタブが西洋風に出来ている様でま、その大きさに吃驚仰天していました!!  

それより何より今は余り珍しくはないですが、総透明ガラスで出来た大きなシャワー

室がバスタブの横にあって個室化していました。これは初めて見ました・・10年前の

ことです・・\(◎o◎)/!  『とても大型で豪華でした!』

ま、1人だから誰に気兼ねもないけれど一緒に宿泊するのは気が引けそうでしたねぇ!

それに{丸見えに慣れていない日本人感覚}は羞恥心で落ち着けないと思う・・(-.-)

次はベッド、キングサイズと言うのでしょうか?部屋に合わせているようでデーンと

鷹揚に、さも威張っている風な態度にすっかり圧倒されました・・(@_@;)

マットレスは重厚で2枚重ね、その厚みは相当でした。その上にベッドカバー、カバー

の上にはカーテンと同色の長方形の布が下がり豪華を鼓舞していました。カーテンの

色から2色取り入れた、クッションが6個もあり<何処へ持って行ってもかまわない>

何て顔を見せつけておりました・・うふふふふ何とも落ち着いた瀟洒な部屋でした。

TV は未だ衛星放送が入っていなかった時代で高級ホテルやレストランでは外国人向

けにあるという程度でした。私はその大型TVを触りチャンネルを変えて遊んでいた。

米国、英国、中国、韓国、アラビア語、インド、勿論日本のNHKが入り紅白を見せる

為に取ってくれた部屋でしたから・・それを調べていたのです。まだ時間は充分過ぎ

るほど有りました。息子は部屋の中を点検して回っていましたが「冷蔵庫の中も無料

だから、沢山食べて飲みなさい。いい正月を迎えて」と言って帰りました。

何せ1年間殆どTVはベトナム国営の2つの局しか移らない時期でしたから、飢えていた

のです。ま、暫くはTVをあちこち回し、スポーツ、スターのチャンネル、映画などを

これでもかというほど種類がありました・・目茶苦茶幸せでした・・はははははは

[今考えると嘘の様な出来事ですが。当時の私には興奮するだけの全てが揃っていた]

冷蔵庫もかなり大きく何でも入っていました。その上にはコーヒーや紅茶が飲み放題

になっていました。珈琲は全く飲めないので、勿体ないから切電しました・・(-.-)

    *こんなところに貧乏性が出るのですね・・わははははは*

早速、着替えてと言っても(Tシャツに短パン)になっただけです・・まさかこんな

ゴージャスな部屋に泊まれるなんて夢想だにしなかったから・・じんわりと嬉しさが

込み上げてきましたねぇ・・(*^。^*)・・うふふふふ

誰も訪ねてくることはないと思っていたから。ごく普通の恰好をしていたのです。間

の悪い事に300円位の超短いショートパンツ姿でした。常時はもう少し長めの膝位か?

もう少し長いパンツスタイルでしたが・・超ミニの短パンを持って来ていたのです!

もう少しお洒落してスカート位持ってくれば良かったかも?なんて考えていましたが。

誰でもがする様に・・えへへへへ いい歳をした中年小母さんはベッドに{エイヤー}

と飛び乗り、その弾力に大満足して、おもむろに持ってきた〔水、おやつ、本、常用

の薬〕をナイトテーブルに並べてひっくり返っていました。

突然「ピンポーン」「誰?」思わず一人言。何たって超ミニ姿です。ドアースコープ

から覗くと誰もいない。きっと隣だろうと思い知らん顔をしていたら「ピンポーン」

またもや鳴った。今度はホテルのボーイらしき人が〔水2本〕持って立っていた。

太い大根足丸出しだから斜に構えU字ロックを掛けたままで応対して水を受け取った。

彼は「This is Free」と言うので「Thank」なんて当然の様にして貰いました!

「なーんだ水なんて持って来なくても良かったのに」何て想像もしていなかったから

当然外出する程度だと軽く考えて普通に水は持参していました・・ふふふふふ

1日で2㍑は飲む人ですから・・ごく自然の行動でした。水が十分確保され冷蔵庫の中

にもジュース類やお酒が沢山入っていて全部フリーだと言う事でした。

暫く部屋の中で本の続きを読んでいたが・・落ち着かなくてTV を見だしたが、未だ

紅白までにはかなりの時間があって・・水着持参しなかったことを後悔していた。

日本にいたらこの時間帯は未だお節料理を作っている時間かな?とか元旦前の準備を

している時間だろうと考えておりました・・(#^.^#)

「ピンポーン」とまた、誰かきた様です。先ほどと同じスタイルで覗くと今度は女性

が2人、また、斜に構え今度はドアーを開けた。ホテルの女性が四角い紙袋をくれて

「ホテルからの新年のカレンダーです。フリーです」と言うのです??

これからが傑作で醜態ぶりを見せるのですが・・(-_-メ)長いので又、明日、続きを

書きます・・全く恥ずかしい思いをしました・・ひゃはははは

晴れていますがかなり冷え込んだ様で太陽の威力も心なしか?弱く感じる浪速の朝に

なりました。今日は着物を片ずけなくっちゃ・・(^-^)
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/04(Fri)
割と穏やかでのんびりした3ヶ日でした。佳き初春を迎えられたと思っております!

又一つ歳が加算されますが・・それ相応の思考が増加してくれるといいのですが・・

ま、最近は抜けて行くばかりで・・あはははは 思考回路も脱線気味・・(・_・;)

静かで子供の声も聞こえない日だったから実家へ帰られた方が多かったのかしら?

何て考えておりました。私は金粉入り日本酒の辛口を冷で呑みながら、お節をつまみ

箱根駅伝を応援しておりました。好きなんです・・先ず1人でやるスポーツに感動が

有って、昔を思い出したり(いいえーマラソンや駅伝なんてできません・・><)涙

を流したり、海風や山を駆けおり登るその強靭な精神力に感激してしまうのです!

鬼の目ならぬ老いの目に涙を溜めながら・・鑑賞していました。午後からは衛星放送

の時代劇を続けて観たり・・TV に釘づけの珍しい日になりました・・うふふふふ

お正月も終わり、今日からお仕事の人も沢山おられると思いますが、何とかこの素晴

らしい日本の国が色々な面で復興されることを切望しています・・(*^_^*)

※カウントダウン=昨日の続きです。

シャワーを浴びて出てくると、急激に音楽のテンポが激しく早くなっていました。

窓の下ではスローな曲で踊っていた夫婦連れやカップルが各々のスタイルで身体を動

かしていましたが・・突然の激しいアップテンポに変わり若い夫婦達が踊りだした!

身体が自然と動くほどダンスは好きで・・きゃはははは 今はもう《ぎっくり腰》に

なるのが眼に見えそうだから・・殆ど踊りません! カラオケ等も片手位しか行った

事が無い人で夜遊びは猛烈に無知です・・わはははは 最も音感がズレる人ですから

そんな時は踊りで誤魔化します。誰も見ていないし歌えないから踊る程度・・(^^ゞ

暫く強烈な音楽と踊りが繰り広げられた様子を見ていて、またぞろ出かけました。

丁度、プールサイドの舞台に到着した頃、プールの上から点灯していた電飾が一斉に

光り出して・・音楽が止まったのです、カウントダウン前の静寂・・(#^.^#)

皆、固唾を呑む感じで時間の過ぎるのを待っていました。その時。MCの男性が一際

大きな声で「カウントします」と言いました。〖5,4,3,2,1,〗と来て〖0〗に

なった途端に何処に置いてあったのか・・物凄い爆竹の音がしました。 そして・・

未だ弾けているのに一人一人に持たされていた様子の画鋲を持った子供や大人たちが

プールに向かって走って行き、中に入ったり大きな風船の花輪を刺して割って行く。

ふと見上げると上の黒い網に包んで有った風船が降りてきて・・係の人が未だ割って

いない方向に持って行ったり、プールに向けて投げ入れていました・・( ^)o(^ )

それは賑やかで猛烈な音がしていました。私も目の前に来た風船を2つ程割りました!

割れたカスが飛び散っては落ち、プールサイドは物凄くカラフルな残骸があちこちに

散乱して・・大変な騒ぎでした・・\(◎o◎)/!どの位風船を割る音が続いていた

のか?途中で中座して部屋に戻った後も続いていました。プールも舞台も周辺も風船

の割ったカスが今度は違う意味でカラフルにばら撒かれていました・・(@_@。

これを片ずけるのはさぞかし大変だろうと思っていました。宿泊客はてんでに部屋に

戻った様で・・窓から下はその凄まじい残骸が嵐の跡の様に見えました・・(@_@;)

冷蔵庫からビールを出してTVを点けていたら、洋画をしていたので少しみていた・・

でも、下の片ずけが気になって、時々覗いておりました。スタッフが数10人、箒や袋

を持って走り回っていました。演奏をしていた小父さん達も楽器を仕舞いこみアンプ

や、コードを片ずけさっさと帰宅した。その後、若者が大きな網を持って来て、数人

でプールの中に入り慣れた手つきでプールに浮いている風船の割れカスを掬ってる姿

が見えました・・( ^^)

「あー成程そうやって片ずけるんだ」と初めて感心しながら見ていました。その後は

プールの水を抜き洗う掛りの人と交代していました。大変な仕事だと思いました!

もう、とても起きていられなかったので、そのまま眠ってしまったのですが、翌朝に

朝食を食べにプールが見えるレストランの奥に座って眺めていましたが、昨日のあの

イベントが嘘の様にさえ思えました!それほど普段の落ち着いた感じがありました。

プールには満々とした水が張られ、泳いでいる人もいました。食事も新年用に豪華で

でしたが・・バイキングスタイルではなく、3種類の定食から選択する方法でした。

ベトナムという見知らぬ国に来て初めての不思議な新年の夜明けでした。寒さもなく

暑さの中での正月とは面白い体験をさせて貰った。息子夫婦に感謝しながら帰宅した。

たった1泊でしたが・・信じられない事が山積しました・・(--〆)

次はホテル内の吃驚した出来事を書こうと思っています。本当は先にホテル内を書い

た方が良かったかも知れませんが・・いっぱい笑って下さい・・(@_@;)

空には半月が煌々と輝き、その傍らには青白い星が幾つも見えました・・とても寒い

朝になり、着物を脱いだので肌襦袢から下着まで全部洗って干していたら手が初めて

冷たさを感じ慌てて部屋に入った浪速でした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2013/01/03(Thu)
気温が2桁になった様で、洗濯物がすっかり乾いていました・・(#^.^#)所が風が

酷かったようで、肌着が何処かへ飛んで行ってしまい・・(-_-;)ま、探しました!

{少し離れた家の玄関の屋根}に載っているではありませんか・\(◎o◎)/!

さて、さて困りました・・(;一_一)何せ着物姿ですし、梯子等ありません。多分

下のガレージには有ったかも知れませんが・・思いつかなく物干し竿を下に向けて

立てたまま置きそれを持って、見知らぬ家の玄関まで行きました。

数分間の健闘で何とか落ちてきましたが・・(冷や汗)かきました・・(・_・;)

「全く知らない家だし、ご挨拶してから?」とも考えたのですが、誰も外には出て

いなかったから、先ずやってみて取れない場合は訪う事にしてと思っていました!

運よく落ちてきて来て一安心しました!!こんな事もあるんですねぇ・・(@_@。

《ま、お正月早々、着物を着た老婆が物干し竿を持っている姿などおそらく近辺の

人以外でも見た事もなかったでしょう》・・あははははは

   ▽迷惑をかけずに落とせてほっとしましたねぇ・・(-.-)▽

   ▽下着でなくて良かった・・!(^^)! きゃはははは▽

※ベトナムの当初のカウントダウン

息子夫婦が初めてベトナムでの年の瀬だからと言って、ホテルを取ってくれたので

連れて行って貰い宿泊する事になりました。その時のエピソードはいづれ書きます。

吃驚する事が沢山ありましたので。今日はそのホテルでの年末の行事について面白

く楽しくそして吃驚したことを書いてみようと思います。

ベトナムは日本との時差が2時間あります。だから年末の紅白が終わるのが10時で

した。そんな訳で、これからがこの国は盛り上がっていくという光景がホテルの中

に色々あって、プールサイドには舞台ができていました。その様子は初めての経験

でしたから、眉毛を描き、口紅だけ塗ってパンツに履きかえプールまで出かけた。

子供連れの外国人が周辺に並べてある卓の周りを取り囲み、凄い人出でした!

空いている席を見つけ、ビールを頼みサラダを買って子供や親、ベトナム人たちの

動きを見ていました。当然、生バンドが入っていて、ジャズが流れていました。

その音の大きさは音量全開状態で・・耳が痛くなる程の音で演奏していたのです!

未だ2時間近くもあるのでのんびりと緩慢な動きでカウントダウンに向けての作業が

行われていました。屋台の様な店も数軒出ていて、子供たちが群がっていました。

宿泊客だけの為のセレモニーですから外国人ばかりでしたが・・(@_@。

部屋の中ではいつも1人だし静かだったのですが頭痛がする位の騒々しい子供の声や

音楽にすっかり圧倒されておりました・・うふふふふ

親もそれなりの様相で着飾った人もいれば、Tシャツ、ジーンズなどの人もいました。

その上、暑い国です。それに外国人と言ってもお洒落して出かけるパーティではない

雰囲気で場所もプールサイドですから・・(-.-)ラフな感じが多かったですねぇ・・

それでも、とてもプールサイドにはおれない程のボリュームでしたから、席を移動

したい旨を英語で何とか言って(ま、ホテルですから通じたのです)が・・(^^ゞ)

奥まった席に移って、どんな流れで行われるのか?興味があったものだからずっと

眺めていました。プールの中にはカラフルに膨らませた風船がびっしり浮いていて

それはそれは綺麗でした・・(*_*)

ホテル上階にも大きな黒い網の中にここにも凄い数の風船が膨らませて入っている

のが吊り下げられていました「まーこれもまた物凄い数量です」・・\(◎o◎)/!

舞台に老夫婦が上がって来てダンスを始めました。それを合図に待っていたかの様

にダンスがあちこちで始まって、バンドの小父さんたちも張り切って、激しい音楽

からスローな曲に早速変っていきました・・(*^_^*)

大勢が踊りだし、中年の男女が大騒ぎ「きゃきゃ!」と言いながら踊っています。

何故か?若い夫婦や、若者のカップルは見えなかった。暫くすると音にも慣れたの

でしょうね・・周囲を見回す気持ちになりました・・ははははは

ま、私も段々と楽しい気分になってきました!海外では大抵ホテル内のバーで飲む

ことが多い人で・・外へ出て行く事は殆どない。それにしてもベトナムの大騒音に

は疲れるほどの迫力がありました・・(@_@;)

1人でずっと飲んでいるのも味気ないし、時間も充分あったから1度部屋に戻った。

部屋から窓越しに見ていたら丁度、私の部屋の真下にプールがありました。来た時

は色々な事があって窓から外を眺める余裕も無かったのですが、上から見る風景も

また一興でしたねぇ・・(*^_^*)

話が長くなりそうなので・・続きは明日書きます・・(*^^)v

うす曇りの浪速の朝は昨日とうって変わり寒さが厳しい朝となりました。
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ヴェトナムから浪速へ(混乱記)
2013/01/02(Wed)
穏やかな元旦が明けて、初詣も済ませ・・何となく心穏やかになった新年の始まり

でしたが、北海道や日本海側は吹雪もあり、荒れた天気だった様ですが・・(-.-)

如何でしたか?元旦からの雪掻きはさぞ大変だったと思います・・<(__)>

      ☆佳き新年をお迎えの事とお慶び申し上げます☆

2日目、朝5時起きで洗濯をしました。元旦は昔から朝から包丁も持たず、洗濯等

もしないという様に躾られて生きてきましたから・・ふふふふふ 元旦に洗濯する

など、又、雑煮の中身まで準備しておくのが習わしでもありました。昭和はかなり

遠くなったのでしょうか・・あはははは

※今年、初めてのベトナムニュースです・・

何でも今年は暑さが然程ではないようで『乾季』に入っているのに気温が上がらず

風邪をひいている人が多いという話を友人からのメールで知りました・・(@_@;)

何だか想像できませんが気温が上がらないのはカンボジアもそうみたいで・・息子

の住んでいるシュムリアップも涼しい感じだそうです・・(#^.^#)

今ベトナムでは【デング熱】が流行しているようで、猛威を振るっているらしい。

ご存じの方も多いと思いますが【デング熱】は熱帯シマ蚊などの蚊によって媒介され

デングウイルスの感染症です。

ウイルスは日本脳炎ウイルスと同様〔フラビウイルス科に属する〕と言われています。

重症化するとデング熱血熱となり、適切な治療をしないと死亡するとも言われている

のです。大体2007年頃から日本人も感染する人が出てきたようで、息子も酷い目に

遭遇、高熱で入院しました。 地方だったので凄く心配してその知らせを聞き、嫁と

2人で病院へ駆けつける予定だった事を思い出しました。幸いにして、数日で解熱し

退院できたのですがとても不安で心配しました・・><;

◎或る家族の話が掲載されていましたのでご紹介します。

先ず次女が嘔吐、下痢、発熱(高熱)が10日間も続き子供専門病院にかかっていた。

その病院での血液検査の結果【デング熱】と判明した。その病院ではウイルス除去の

設備が無いため《チュウライ病院》に移転する事になったそうです。 その病院では

10時間もをかけて血液の交換をしたそうで、ようやく回復の兆しが見えた頃、今度は

長女も同症状を併発して入院。重体に陥った。また同様の治療で辛うじて治った!

というニュースでした。

因みにこの治療法に掛った費用は130万円位だったと言われています\(◎o◎)/!

日本では想像もできない治療法だと言われていますが、いづれにしても凄い事です!

計画投資統計局のデーターでは11月ベトナム全土で1300人が【デング熱】に罹患して

いて、その内の12人が死亡したと発表されました。これにより昨年初から11月迄の

【デング熱】の患者数は7万1500人になり、61人が亡くなったと書かれていました。

  *1年前と比較をすれば倍の人数になっていると言われています*

又、保健省の数字では93%が南部で発生、ホーチミン市では1447件だと言います。

政府は【デング熱】の広い範囲の拡大を懸念しているそうです。【デング熱】には

ワクチンがないので、ベトナムでは『雨季』の始まる4月から熱帯地方のベトナムを

襲う恐ろしい病気だと言われ続けています。現実に住んでいて、何度か話は聞いた事

がありますが、どんな病状なのか詳細は理解できていませんが・・!(^^)!

とにかく恐怖のウイルスであると言えます。『雨季』に出かけられる方や藪や樹木の

多い地方には十分にご注意をなさって下さい。年始めから暗いニュースでしたが・・

飛び込んで来ていたので、書いておきます。

晴れ間が覗いて洗濯物が乾くといいなぁ・・なんて思っているのですが、どうかな?

お正月なのに救急車の出動が多く、サイレンが随分鳴っている浪速の朝です。
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