ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/30(Fri)
冷蔵庫を空にして行ったので、遅い洗濯を終えてお昼前にスーパーへ出かけた。約束

等してなかったのに姉とばったり店で出会った「久し振り!」直ぐ近くに住んでいる

のに中々会えない。帰宅した連絡だけはしたが。お土産を買う余裕も場所もなく最近

のデパートでは北海道物産展が盛んだしアンテナショップあり、PCから自由にお取り

寄せが出来る時代。誰も土産物など必要としなくなった気がします・・(-"-)

しかし、余り嗜好に合わないものや気に入らない物を頂く事もなくなって、ある意味

いい状態になったと言えるかも知れません。相手の顔を思い出しながら選択する手間

がなくなってちょっぴり寂しいけれど・・これも時代の風潮なのだと納得している!

        ☆旅は軽いのが何よりだから・・(*^^)v☆

※ベトナム人の工事

ビルの中で1人住んでいた頃の話です。このビルの2軒隣が家の解体を始めた。日本

では、隣近所にはせめて数日間でも工事する事を連絡するのは通常です。

まして、車の出入りが頻繁になるし汚す事もあり、迷惑をかける意味でも話だけでも

するのですが、ベトナムと言う国には、そう言う習慣もないし自分勝手で自己中心が

当然だからある日突然工事が始まります。相手の事など全く考えないし、それが普通

だからとにかく吃驚する・・(@_@;)

朝の早い国です。日中は暑いから早く始めるのが当たり前の事!最初はコンクリート

を割る音がガーンガーンとゴ―ンゴ―ンから始まり猛烈な音がし出しました。何せ突然

のことです。現在は機械が入って解体している姿も見かけましたが、その時代は全部

手作業で何ヶ月も掛って数人で壊していく作業でした・・\(◎o◎)/!

夜も涼しくなるから遅く9時過ぎまで終日、お昼と昼寝時間を除いては石を割る音が

続いた!もう、どの位の日数がかかるのか解らないほどの工事状態でしたねぇ。

頭痛が酷くなって、吐き気を催すようになった頃(既に数週間は過ぎていました)

ずっと我慢していたのです!とうとう我慢しきれなくて工事をしている家に行った。

「何時まで続くのか?」と言うベトナム語を紙に書いて・・持って行きました。

若いお兄さんは「解らない」と言い少し年上の人も「解らない」と言う有様で{らち

が明かない}相手は「見知らぬ外国人が何を言いに来たのか?何で工事が何時終わる

のか?」を知りたいのかが見当もつかないと言う状況でした。

『この激烈な騒音に誰も何も感じないのがベトナムなのか?』と思う私となぜそんな

事を聞くのかが分からないベトナム人との間には大きな隔たりを感じ諦めて戻った。

しかし、ここはベトナムなんだから・・これだけの騒音の中でも普通の生活ができる

それが当然だと思う国民性にかなりの違和感と尋常でない感覚に凄い激憤を受けてい

ました。考えてみれば、誰に招かれて来た訳でもなく、勝手に来越して生活している

外国人です。好きで来て、世話になっている国なのに「何の権利があって文句が言え

るのか?」を落ち着いて考えなければならないと初めて自分が見えた時間でした。

そして、段々とその石を割る音はその頃にはかなり小さくなって行きました。自身も

そう思う様になってから気分も落ち着いて行きました・・うふふふふ

毎日、数ヶ月叩き割っている若者を見ていると・・何も言えないと思ってしまった!

2ヶ月半位が経って漸く解体が終わりその後に新しく店ができるようでそれは想像を

越える早さで煉瓦を積んで仕上がっていきました。煉瓦は薄く穴が開いているからか

軽く山の様に積まれて家の前が1週間ほどで殆どなくなり、コンクリを練り次々と重

さねて積んでいく様子は見ていて面白く、毎朝、市場に行く時間には眺めて通過して

いました・・( ^^) 当初はどうなるかと思っていたが・・思っていたよりも早く1軒

が完成しました。その頃は音は殆ど軽くなっていたから、私も普段の生活を当然の様

にしていましたが、この頃はベトナムの家を壊す事や建てる事を目の前で見る機会

があった事を漸く自分の中で承諾ができていました・・(#^.^#)

もう完成後直ぐに店がオープンして花輪が飾られたかと思っていたら、和食の店が

出来ていました。何の前触れもなく《兎に角、突然、唐突》が多すぎることを知り

心構えとして抑えられるようになった気がします。それまでは驚きと余りにも習慣

が異なることへのギャップが著しく日本人としての常識がこの国では非常識なのだ

と言う事がどうしても理解できなくて・・心の中の葛藤ばかりの日々でした!

やっと1年位が過ぎてそう言う国であることやベトナム人気質、性格など些細な事

には全く無関心で気配りや心遣い等は何もないことを思いきり知らされました。

そうなると、心も強くなって大抵の事には驚かなくなったし、慣れたと言うよりも

馴らされた感じが強いのですがベトナムと言う国のある1部分はこのように流れて

暮らしが成立している事にやっと了解できるようになって行きました。

日本の常識が全く通用しない事の不思議感は上手く説明できませんが・・<(__)>

取り残されて行く我が身をどうすればいいのか?何処にも持って行き場のない感情

を抑圧するのにかなりの時間が掛りました・・柔軟な頭ではなかったし若くもない

から尚更大変でした・・ははははは

今は笑い話ですが、初めの頃はオロオロしたり、自責の心に苛まれ不条理な事ばかり

目立って気になったものです。道路のバイクや車の騒音、街中で起こる様々な雑音や

声の高さ、煩さは数え上げたら切りがないほど雑音の中での暮らしがありました。

それだけでも神経がぴりぴりしていましたが・・人間は昨日も書きましたが何処でも

どんな環境に置かれても順応できる力を持たされている事を教えられた気持でした!

特に私は1人暮らしの静かな生活が身に染みていたせいで尚の事他の人よりかは神経

が細かく敏感だったのかも知れませんが、今何てもう大雑把でいい加減さが身体中を

走っている性格に様変わりしております・・あははははは少々のことでは驚かないし

もう、何が起きても道は1本道と決定しているから未練を残したり、足掻く年齢でも

ないことを十分解っている積りになれました・・(*^^)v

前回来越した時は道路のクラクションやひっきりなしに何処かで工事をしている音も

喧嘩している人達の姿も声高く喋る国民の中にすんなり混じっている自分自身の姿を

見ていました・・それだけ人は変化する事にも慣れると言う事も知りました。

*そんな事は大したことではないことを気ずかされて暮らしたこの国の生活と時間が

 今も心の中で大きな荷物の様にどっかりと残存しています*

*汲々と時間に縛られる生き方ではなく、時代が変貌を遂げても自分のサイクルで時

 が流れていくこの国の生き方はそれなりの心の準備をもたらし、私には素敵な時間

 をくれました*

*今帰国しても自分なりにぶれることなく生きられることや、苛々した時間が減った

 こともベトナムでの生活があったからだと思っております*

今朝は洗濯物を沢山干しました。まだ部屋の中で乾いていないのもあるのですが・・

いいお天気に恵まれた浪速の朝です。
スポンサーサイト
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/29(Thu)
雨女に相応しい出発で、着て行くもの、靴、バッグなど全て合皮に変えて出かけた。

それでも駅までの30分の歩きの時間はかなり小降りになり「ほっと」安心したので

すが・・( ^^) 関空まではJRの{はるか}で行き、その間中は大雨が降っていた!

今まで関空は数知れず利用してきた積りでしたが、国内線出発は初めてでした!

現今は簡単に自動で手続きする機械がやたら並んでいて、凄く便利なのだけれどー

慣れないからかなりの不安はありました・・(-"-)何とか出来てここでも「ほっと」

{誰でもが普通に出来る事に慣れていない事は老いると出てくるもの・・(#^.^#)}

時間も余りなかったので急いでゲートへ・・所が新しい格安旅客機がー増えていて

全く知らない名前の飛行機が沢山ありました。

〚ピーチ、ジェットスター、Easterjet〛等は初めて見ました。もう搭乗手続きが

始まってもいい時間になった頃に「機材の故障とかでそれが届く迄待って下さい」

の放送があり20分ばかり待たされました。やっと機上の人となり千歳に着いたら又

土砂降りの雨(前日来の積雪がまるで雪解けのようになっていました)

ホテルまではバスで行けるので濡れる心配はなかったのですが、バスの運転手が急

に気分が悪くなったため「途中で交代する」と言う。「やれやれ!又?」と思って

ていたが仕方なく、違う運転手が乗り込んできた。彼は前者からの引き継ぎが出来

ていなかったようで、停車する駅を通過して客が数人降りられず又戻ると言う塩梅

で遅れて遅れて、結局ホテルには午後2時半過ぎか3時までには到着予定だったのが

4時を回っていてもう完全に暗くなってしまっていたんです・・(@_@;)

本当はそのまま荷物を置いてお墓まで行こうと考えていたのですが暗い山道で雨も

酷いから諦めてしまった。ま、焦ってもと思いTVを点けたら、明日は低気圧の影響

で暴風雪になると言う。もう\(◎o◎)/!しました。天気だけはどうしようもない

から何とか通過した後に出かける算段をして、温泉付きのホテルだから温泉にはいり

「何とかなるさ?」のいい加減さでゆっくり露天風呂も雨が降り込む中入っていたし

数ヵ所ある色々な温泉を遊んでいました・・うふふふふ

お腹が空いたのでホテルで傘を借り近くの郊外型のレストランへ行き、食事をしたり

その隣には大きな電気店が出来ていて驚いた。海鮮市場まで歩いてビールやおつまみ

を買ってホテルに戻リ寒かったのでもう1度温泉に浸かりビールを飲みTVを見てその

夜は消えた。色々と些細な事で時間のロスがあり思いがけなく疲れて早く寝た様だ!

翌朝5時前に起きたら、昨日の雨が雪に変わった様子。山頂は真白くなっていた・・

雨は止んでいたがTVではずっとテロップが流れ、外を見ると暗雲が流れて、風が異常

に強く吹きだして来ていた。でも、未だ「大丈夫?」と言う勘に賭けてホテル前から

タクシーで山まで往復して貰い、お墓まで到着。朝6時にでて、1時間で戻って来れた

運転手の人に待って貰い慌しく雪が20㌢以上積もっている中を歩きお墓の前迄来た!

所がそろそろ歩いてお墓に着いたのにお墓も足元も大理石。”思いきり転倒した”

でも、片足かけた時だったから頭も打たず、何とか起きれてお墓の雪を払い、お参り

を済ませることができました・・(*^^)v 全てが凍っているのでお花もそのまま置き

蠟燭と線香の火をつけたが拝んでいる間だけ辛うじて消えないでくれた・・(#^.^#)

ホテルに入り10分位したら、山が猛吹雪になってこちら側へ襲って来ていました。

それから終日風雪が激しく25㍍と言う風に雪が運ばれ外へは出られない状況だった!

窓から見ても前が見えない激しさの雪で白濁した雪模様が続いていました。

**凄かったです** 何10年振りかの吹雪の襲来を見た気がしました・・(@_@。

もう、通過するまで待つより仕方ないと思って、部屋の中にずっといた。勿論、温泉

には何度か入ってきましたが・・結局夜になるまで雪も風も止まず、千歳では全ての

便の欠航や交通関係はストップしていたが・・夕方頃から少しずつ回復傾向になった

様です。もう、夜出る元気もなく2日目はそのままホテルで温泉三昧・・(*^_^*)

明日も昼頃から低気圧が来るとのニュース。1日早めに予約を解約して、今日の早朝

の便が空いていたのを幸いゲットしました。前日の猛烈な吹雪は夢のように変化して

朝日が眼に痛いほどでした。もうキャンセル待ちの積りだったのですが・・この時期

はさほど混まないから、何とか1人だし搭乗出来たのです。

国道は前日の30㌢近い積雪に雪上車が夜中に走ったようで、凸凹ながら、高速道路も

制限が掛けられて、何時もは1時間で行く千歳は遠く1時間40分も掛った・・!(^^)!

それでも早目に出たのと空席があった事で矢張り私は{運が強い}し今日帰ることに

決めた事も正解だったと思いました・・(*^。^*)

空港内は前日の搭乗客で混んでいると思ったが搭乗出来なかった人たちは殆どいなく

前日のあの凄い台風並みの暴風雪は何だったのか?と思わせるほど空いていた。

きっと、かなりの時間待ちをすると思っていたのですが、呆気ないほど空席があった。

湿った雪だから道路から見る風景も素晴らしく樹木には雪の華が全体に付いていてー

スキー場を思わせる純白の雪景色でした。車はのろのろ運転だし、車の屋根に30㌢も

雪を載せて走っていたり、事故もあったようです。この地で26年も暮し、こんな生活

をしていたなんてすっかり忘れていました・・(-"-)

毎日雪と闘い、雪掻きをしていた頃を思い出し、彷彿とした感傷に浸っておりました。

懸命に生きていた時間がそこにあった事実を再確認するかの様に国道も車も雪催いも

全てが脳裏に蘇ってきました・・(;一_一)未だこんな雪との生活が同居する生き方が

有る事を思い起こして・・常夏で暮らした時間も含めて自分で選択してきた道ながら

人間はどこでもどんな環境でも生きていける事に感謝しながら頭の中を過去が渦巻き

決して戻らない時間が凄く愛おしく感じておりました・・(--〆)

全く正反対の様な生活をして来た自分の心の中には様々の事が去来しては消えていき

この歳迄何とか生かされている事を改めて心から有り難いと思った数日でしたねぇー

本当にラッキーでした!今年は23回忌でしたからお寺さんに来て貰いたいと考慮して

いましたが、でもお墓まで行けた事で十分供養になったと勝手に思っています。

段々とお墓参りも遠いから大変になってくると思いますが・・今の所は何とかなって

いるのですが・・何時か近い内に行けなくなる日が必ず来ると思うから・・頑張って

自分の為にも行きたいと感じた今回のお墓参りでした・・(-.-)

今朝は曇っていましたが・・弱い陽光が射して来ました。洗濯でもこれからします。

そんな事を考えている浪速の朝です。
この記事のURL | 日記 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/26(Mon)
              ☆☆☆お詫び☆☆☆

おはようございます!!

何時も長文、拙文にお付き合い頂きただただ感謝いたしております<(__)>

本日より4日間札幌へ帰ってきます。{亡夫の祥月命日の墓参の為}

暫く休ませて頂きます。何卒よろしくお願い申し上げます・・m(__)m
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/25(Sun)
午前中は低い雲が空を覆い尽くして、風が冷たかった。雨はないとの予報でした!

しかし、ほんの瞬時パラパラと雲の流れに添うように降った。雨が降ったとは言え

ないかも知れないが・・午後からは附録付きの様に太陽が顔を出して、またぞろと

暗雲の中へ隠れてしまい終日曇り空でした・・(-.-) 月曜日から札幌行きなので

アイロン掛けをしたり、特別な準備は何もないのだが・・あたふたとしていて部屋

の中の寒さも気がつかないほど動いていた。凡そ、遠出する時は箪笥の中や台所を

全て、片ずけて行くのが常套で・・ま、何と言っても歳ですし、何が起こるか解ら

無いと言う切羽詰った気持になるのです・・うふふふふ

別に見られて困るものはないが・・帰宅した時に部屋が乱れているのは我慢できな

い性分みたいで、たった数日でも整理して置きたいとか思うんです・・(*^_^*)

毎日それなりに片ずけはしている積りでも乱雑に入れている抽斗ができたり冷蔵庫

の中が汚れていたりする・・こんな状態を放置できなくて・・やり出すと次々と気

になるもので・・かといって物凄く綺麗で1分の隙もないかと言えばそれは間違いで

どうしても大雑把な性格といい加減さで片ずける直らない性格です・・ははははは

※苺の葉={ベトナムの漢方療法}

持病に胆石があるんです。本当に小さい石が胆嚢の中にある様で手術するほどの事

もなく「適当に付き合っていきなさい」と言われてずっと後生大事に持っている!

七転八倒する痛みではないから、レントゲンも何年に渡って撮ってきたのですがー

どうもめり込んでいるようで、痛みが来たりそれが大きくなったらその時は手術だ

と言われてきていました。でも、どういう訳か専門的なことは皆無ですが・・割合

大人しく身体の中で動かない様です。時々、何かの拍子に激痛ではなく鈍痛がきて

暫くは脇腹や背中が痛む時があります。大抵は気にしないようにその内に落ち着く

と思いそれでも酷い鈍痛の時は頓服を貰っているので飲むこともありましたが・・

普段は忘れている方が多い。食事やお酒も程々で適当に食べたり飲んだりしていた。

その話を嫁に何時だったか?忘れたのですが・・時々痛みがある話をした事があり

〚ベトナムでは苺の葉を乾燥させ[所謂、漢方で治す方法]があると言うのです〛

昔から祖母や親戚の人はそうやって治して来たから私が作ってくると言って数週間

時間が欲しいと言われていました。すっかり忘れた頃に両手に抱えるほどの枯葉に

なった苺の葉が届けられた。その量の多さにびっくり・・(@_@;)

半分は未だ乾燥が不足しているからと言って屋上に並べて干してくれた。薬缶に苺

の香が未だほんのりとしていている葉を入れ熱湯にして冷まし煎じたものを飲むの

がいいと言われ、病院でも使用しているので絶対治ると言う話・・(#^.^#)

その好意が有り難く冷めてから飲む方が良いと聞かされていてほんのり甘い匂いが

あって飲み易いのではないかと思っていたのですが・・数日分を置いて帰った。

このベトナムに来て豊富な野菜と大好きな香草を毎日食していたので忘れていたの

ですが・・数日前から鈍痛が始まっていたから。タイミングもよく頓服を服用せず

騙されたと思い飲み始めた。最も漢方だから即、効果が出る訳ではないから効いて

いる感覚などは解らなかったし、どの位の期間を飲めばいいのかも彼女は解らない

と言っていた。ま、お試し期間だと思ったし折角の好意を無駄にしたくなくて・・

頑張って飲んでいた気がします。1ヶ月程で{苺の葉の時期は終わってしまった}と

言われ、途中で中断してしまった。暑い国だから、作りたての時はほんのり甘くて

飲み易かったのに、冷蔵庫で冷やしておくと凄く苦味がでて・・量が解らないから

適当に水で割っていたのですが・・その量が中々判らなくて・・酷く困っていた!

その上、多分、その苺の葉のせいだと思うのですが・・数日したら胃を荒した様で

口内炎が3つも出来て食事が殆ど食べられなくなったのです。1週間殆ど食事らしい

物は摂れなくて辛かったし痩せてしまった・・(-_-メ)

喜んでいいのか解らない気持ちで辛かった思い出があります。彼女の愛情を信じて

その気持ちに応えたかったのだけれど途中で葉がなくなったのを幸いにして止めて

しまった・・<(__)>

「苺の葉を煎じて飲んだ経験はありますか?」そして「それが石を流す事をご存じ

だったでしょうか?」色々な漢方薬があるものです・・(-.-)

正直、葉が切れて救われた気分もあり・・彼女の好意を無駄にしてしまったが・・

強かったのでしょうか?未だに理解できていませんが・・口内炎が治って暫く休み

又、有る分だけを続けたのですが・・効果があったのか見当はつきませんでした。

鈍痛は治まったり時々悪戯しに来ていましたが・・本音では効果はなかったとー

短い期間でしたから・・解らないと言う方が正しいかも知れません・・( ^^)

また、クチの義母は茸を乾燥したものを(血圧も少し高かった)買ってくれました。

それもまた飲まされる羽目になったのです。黒い何の茸だか全く解らなかったので

すが・・量り売りで、かなりの高値でした。丁度クチに行っていた時の話だったの

で、早速その場で煎じて飲むように言われて、飲んだのですが・・何か腐った様な

臭いと炭の様な色合いに減なりしながら一応は頂きました。それを鍋一杯に作って

くれて、持ち帰らせる積りだったようですが・・私が飲んだ事で安堵したのか?

その時に来客があって、すっかり忘れていたのでしょう・・そのまま帰って来たが

「あれは何?だったのかしら?」親切で嬉しい心遣いだけれど・・家族だからして

くれる優しさなのですが・・相性が悪いといいますか?漢方はどうも私には合わな

い気がしたものです・・(-_-メ)

尾籠な話で恐縮ですがお小水も少し黒かったし便はもっと黒くて吃驚しました!!

日本では考えられないでしょうが、漢方薬だけで治す方法が未だ未だ庶民の間には

深く浸透していて、若者は薬局へ走りますが・・中年や老人がいる家庭には必ずと

言っていい程煎じるための鍋や薬缶はどこの家庭にもあリましたし老人がいる家庭

では何かを何時も飲んでいる姿はよく見かけました。

あれ以来、今でも時には鈍痛の日が来ますが、病院へも行かずつかず離れずの関係

で胆石とは付き合っています。手術も今は凄く簡単になり即日、帰宅できる方法と

かを聞きましたが・・未だ痛みとも上手く付き合えているようです。

今朝は早くから暁光が射しこんで来て、下着に気持ちよく当たっているので仕合せ

な気分になっている浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(1) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/24(Sat)
前夜からの冷たい雨が午前中まで続いていて、雨が上がったと思ったらまた降りだす

を繰り返し、ずっと降っていた気がします・・(-.-)こんな日は何となく気分も冴え

無くて取り止めもなくだらだらして時間が過ぎてしまいました・・( 一一)

姪が早朝来て、花梨酒を持って来てくれたので、早速熱湯で薄めて飲んでみました。

これが結構美味で気持ちよく身体中を温めてくれ”一寸仕合せを味わいました!”

買物に出かける用事もなく、クローゼットの中を整理していたらお昼になった。土鍋

{1人用}を買ったので、鍋焼き饂飩をしたのです・・( ^^)

現在のガスレンジって吹き零れないように〔自動で火力が弱くなる〕事に初めて気が

付きました!この歳だし高価なものではなく普通の品だったのですが・・驚いた!!

周囲を汚す事もなく、昔のように擦って洗う事も要らないのです・・時代遅れも酷い

ですが・・今日まで全く気がつかなかったのも鈍感ですが・・あははははは

※バイク

バイクの流れを見ているとそれだけでも飽きないし、時間をを忘れてしまう事が度々

ありました。様々な種類のバイクで、以前に比べたら嘘の様にスクーターも増加して

いました。特に女性のスクーター姿が多くなっているのも驚きの原因でしたねぇ・・

  *本当に色々な人が通過する姿は面白く関心があるものです*

真っ直ぐ前だけを見て走っている人、後の人と大声でお喋りしながらの人達、前にも

後ろにも乗せて走っている人、カップルの人々はもうこれ以上はくっつきません状態

でぴったりとくっついて走っている。子供を4人も乗せている母親や後を振り返り乍

曲がる場所を探している人、携帯をかけながら笑っている人、アオヤイを着た制服姿

の女性。後ろに乗った小母さんが輪ゴムで結わえたお札を勘定している姿なども時々

見かけます。市場か?商売人の人でしょうが分厚い札を懸命に数えている・・(@_@。

突然に停車して髪の毛を櫛で梳いている男性もいる。自分の背丈より高い窓ガラスを

片手で持ちながら(後ろの人も持っている)運転している若者達。氷を背中いっぱい

前にも2つ位載せて前しか見えない状態で運んでいる氷屋もいる。

21Lのプラスチックの水のボトルを5つ位載せて走っている水屋。いま仕入れてきたと

言わんばかりの野菜を積んでいる小母さんは前にも大きな籠を幾つもぶら下げて走る。

外国人のバイクもかなり多くなった。勿論、息子は最初から乗っていたが当初は外国

人が少なかったせいもあり珍しかったが今は大勢の外国人の姿を見かける。

以前は、後に外国人を乗せて走っているバイクが多かった気がしますが随分変化して

いました。スクーターが多くなったせいかしら? スカートを履いた若い女性の姿は

背筋がピンと伸びて殆どの女性は姿勢がよくてその姿も見とれるほど素敵・・(*_*)

バイクの場合は大抵がパンツ姿やショートパンツだが・・最近はショートスカートも

多くなっている。男性の後ろでスカートを履いた女性は横座りで乗っている。これは

何時も思う事なのですがショート丈なのに必ず足を組んで乗っている女性ばかり・・

日本人とは足の長さが違う様で、背の低い女性でも腰の位置が違うのでしょう。綺麗

な足の人が多いのには吃驚します。本当に美脚です・・(@_@;)

夕方からネオンが灯り出す頃になるとドレス姿の女性や、シースルーで目のやり場に

困る位に透けた服装の女性を見かける。パーティにでも行くのかも知れない。

こんな所は日本ではないと改めて思い出させます。昼と夜には服装が全く異なり普段

お化粧など殆どしない国民ですが・・もうばっちり決め込み素晴らしい・・(*^^)v

大きな会場やレストラン、ホテル前では次々にタクシーからドレス姿の女性が降りて

来る。必ず男性が走って来て、エスコートしている姿も日常的でそう言う事に慣れて

いない私等は見ているだけでも凄く楽しくなってきます。これが通常の姿だとは思え

なく矢張り異国にいる実感を感じる時でもありましたねぇ・・日本でも芸能界の人や

富裕層にはそんな姿も珍しくはないのでしょうが・・何せ庶民生活の婆さんですから。

その大胆な服装だけでも圧倒されてしまいます。幼い頃から着る機会が多いからかも

知れませんが・・見事に変貌した夜の顔を見せてくれます・・\(◎o◎)/!

これがごく普通の生活をしていて通常の生活をしている人達ですから・・なお驚いて

しまうのです・・(@_@。

女子高校生の白いアオヤイ姿も見ていて心躍る感覚がありますし、家族や親族の迎え

で後ろに中学生たちを数人乗せたバイクは時間帯になると多くなり、列を作る時さえ

あります。ベビーを連れた親子連れは必ず[オーガンジーの様な薄い布で顔を覆い]

大事そうにゆっくり走っている。もう大切な宝物を運んでいる様な姿に見えます。

後ろにばかり乗るからいつの間にか両手を離して乗れるようになった。もっとも若い

頃からバイクは好きだったせいもありますが・・(*^_^*)自分では乗れなかったが

随分後ろには乗せて貰ったから、元を取った程バイクの後ろは温めた記憶があります。

バイク片手で何かを食べている人も多く、アイスやパン、お菓子、果物、男性は煙草

を吸っている人も大勢いて驚きますが・・日常茶飯事です・・(@_@;)

傍には行きたくないですが吸い終わって放り投げる人もいるから・・困るんです!

それでも自分の事しか考えてないから平然としている人が多い。犬の話もしましたが

ちょこんと前に乗っている犬も見かけますし、兎に角人間以外でも何でも運ぶのです。

バイクが足代わりだから遠出して歩かされる事に慣れていないから・・日本人の様に

歩くことが凄く苦手な人が多いのは事実です・・(-"-)

それはそれは雑多で色々な人が通過する国道は見ているだけでも楽しく時間を忘れる

ほどです。活気があって自分勝手で自己中心な国ですが・・その各々の暮らしは興味

津々で・・【生きている実感を感じさせる国】でもあります。

高々道路のバイクだけの事ですが・・暇人の人間観察も面白かったです・・(*^。^*)

曇り空で明けた土曜日の朝はかなり冷え込んでいて、洗濯も本当に少しだけになって

余り乾燥しませんそんな浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/23(Fri)
雨こそ落ちなかったが何ともぐずついた天気がずっと続いて、午後から晴れると言う

予報も虚しい徒労に帰した空模様でした。部屋でじっとしていると身体が沈んでいく

ように肌寒く湿り気のある冷気が漂っていた感じでした・・(-_-)

そんな中、来週から札幌へ帰るので(亡夫のお墓参り)銀行へ行ったり、買物を少し

して来た。何時もこの月はべトナムにいても帰国して札幌へ帰る生活が23年(最も間

で息子や娘が行ってくれる年もあり・・結局は19年位)も続いている。遺された者の

役目だと思っていたが・・自己満足だけだったかも知れない・・(^_^;)

今年は雪が遅く最近になり降りだしていると聞く。山上は積雪の中かも・・(@_@。

※初めての郵便局(もう10年も前の事)

当然PCは持って行けなかったからその分手紙を本当に書いた気がします。ま、50通

程度は書いた気がします。矢張り初めての国で何もわからず不思議感と理不尽な事

どうしても理解できないことが心の中に蓄積されて行っていたから、せめて手紙を

書く事で穴埋めしていた所がありました・・(-.-)初めての時は息子の会社の女性

がバイクに乗せて郵便局へ連れて行ってくれた。道路にはポストもあったが、どの

様に切手を買うのか?どうすればいいのか?何処に郵便局は有るのかが凄く不安で

したが・・彼女はサァッーと私を後に乗せて走りだし、局へ到着。自分勝手に手続

きをして直ぐに終わってしまった・・茫然とした面持で見ていただけで完了!

「違うんだよ!私はどうやって買うのかとか?切手が幾ら?なのか?」を知りたか

ったので有って、全部して貰うのならお金だけ渡して待っていればよかった!

2日後に又、手紙を書き真剣に見ていた場所に向かって歩き{外国人専用の窓口へ}

行きました。今度は全く初めての経験です。たかが手紙1通の事と思いながらも結構

心の中は不安感がいっぱいでした・・うふふふふ

面倒なことは解っていたし外国人相手の女性(郵便局では青のアオヤイ)が制服の

女性がきつい事も前回で観ていた・・お喋りに夢中になり並んでいても平気で待た

せる姿にもいい印象がなかった。案の定、暫くお喋りが続き待たされ、やっと順番

が来た。かなり動揺していたかも知れない。英語が通じるか?も心配だったからで

でも、ま、いい歳だし悪いことをしに来た訳ではないのだからと心を抑えていた!

「この手紙を日本に送りたい。幾らですか?」と言った所、返ってきた英語が全く

理解できない『所謂アジアンイングリッシュ』で私の様に教科書通りでしか判読し

慣れていない者にとっては非常に難しくさっぱり解らない・・慌てました・・(^^ゞ

仕方なく1番大きな札を出しておつりを貰った。2枚の切手を手渡されて・・はて?

これはどこへ持っていけばいいのか解らない。心の中は緊張感があって、それでも

何とかしなければならず・・色々と人の動きを見ているとどうやら中央に机があり

そこで切手を貼っている様子でした。

納得した私もそこへ行き切手を貼付。所が何処へ持って行き出せばいいのかこれが

また、解らないのです。疲れて少し横にある椅子に腰掛けて人々の様子を観察して

いました。どうも中央の切手台の近くへ手紙を持って行く様子。切手を貼った時は

その事だけで周囲が見えていなかったのですねぇ・・ははははは

一応は係の人にポストの在処も聞きに行ったのですが・・(-"-)指を指すだけで言葉

も無かったのです。酷く不親切でプライドが高いのでしょうね・・外国人には冷たい

感じを見せていました。私だけではなくて・・(-_-;)要は探せと言っているのです。

相手にしてくれない有様でした。初めてでそう感じたのかも知れませんが・・(-.-)

直ぐ側に並列して机の上から下へ落とすようになっていて、海外用と国内用に分離

されていました【たったそれだけの事なのに】・・20分近く局の中にいました。

ようやっと手紙を入れて終了しました・・(-_-メ)

何て情けない、言葉もそうですが局内がどうなっているのかさえも見知らないから

ずっと観ていた時間もありましたが・・国が違う事とはこれ程何も分らないのだと

心の中で落ち込んでいましたが、道中もスリやひったくりの話を聞かされていたし

帰宅したらどっと疲れた・・あははははは 全くたかが手紙を郵便局に持って行く

だけなのに・・自分でも可笑しくて・・自意識過剰だよ!なんて・・( ^^)

それほどの緊張感が当時はありましたねぇ!何度か行くうちにすっかり慣れてきた

のですが、ベトナム人は自分中心だから自分が喋っている処を邪魔される事がなに

より嫌いで、酷い人は「あっちへ行け!」的な態度を示す人も大勢いる事も知った。

何でも初めての体験には不安や心細さが付き纏うみたいですが・・不愉快に感じる

事も沢山ありましたが、しかし、今はベトナム人気質も多少は理解できたと思って

いるから。日本人の様に{気配りや神経質にお客様を待たしてはいけない}とか等

の心構えなどは何1つもないと解ると怒ったり、苛立つ方が悪く見えるものです!

そして、友人のお喋りが何よりも大事で仕事は合間にする感覚がどうしても抜けな

い国民である事も現在は身に染みるほど解ったから慣れてしまったのでしょう!

全て、いい加減で大雑把で何とか1日が終わればいいので有って真剣に働くなんて事

は彼女や彼らの中には無いのだと言うこともよく分ったから「どうしようもない!」

のだから気にしないようにしていたし自分自身もそう言う方向に流されて行った。

郵便局はそれからずっと仲良しですっかり慣れていった記憶を辿って懐かしく思い

前回住んだ時は中まで入って見学して来ましたが以前とはかなり変貌していた。

局内にはお土産店まで出来ていて、あの暗い独特の雰囲気やプライドを持った女性達

はすっかり居なくなり若返っていました。相変わらず青いアオヤイは素敵でした・・

観光化されて、外国人のツアー客が何10人と入って来ていました。これも時代の流れ

なのでしょう・・とあの頃のオドオドした心情はぶっ飛んでいました・・あはははは

こんな些細なことでも自分でできるようになると自信もついて嬉しいものでした・・

年齢には関係なく、ここで数年過ごした事実を思い出しておりました・・(+o+)

今朝は朝から激しく雨が降っていて肌寒い浪速なりました。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/22(Thu)
小春日和に心惹かれて外出して来た。ほこほことして散歩や買物には丁度いい感じ

で歩いていると若いママたちが数人子供をママチャリに乗せて通過していく。大阪

はひったくりが多いとかで、ここに来て初めて自転車の籠にビニールや布製の袋が

確り掛けられ、紐で縛る様になっている自転車ばかりで。また子供を前後に乗せる

椅子も凄く頑丈で神戸に住んでいた時は見たことがなかったのですが・・凄いのが

できているのですねぇ・・驚きました・・(@_@。

自分も子供を乗せた記憶はあるが、想像もつかない程物々しい自転車になっている

老人は前に椅子の付いたキャリアーカーをゆっくり押しながら道路でも平気で歩く

し、知人に出会うとスーパーの前辺りで座り込んで話している姿をよく見かける。

本当にそう言う老人ばかりで、病院の前にはその椅子が何台も置いてあり、駐車場

のようになっているのも珍しい光景でその数の多さに吃驚しています・・(@_@;)

昨日は突然、時計を掛けているフックが(元々有った)外れ大きな音がして落下した

から驚いたり夕方になって食事の準備をしていたらこれも唐突にガスが止まってしま

い驚かされた!電池が切れたようで・・ま、夕方になって外に買物に出るなんて想像

もしていなかったが・・(-.-)仕方なく近くのスーパーへ急いで行って来た。

魚は半焼け状態ーで待たせておいた・・あははははは

電池の使用量はもっと長かった気がしていたのですが・・最近は何でも半分位の量に

なっているのかなぁ・・(+_+)

※ベトナム最新ニュース

◎飲料水

何度か書いているのでご理解いただいてると思いますが・・この国での水道水は全く

飲めない為21L入りのボトルを購入して、飲み水や食事様に使用しなければならない。

水やが何処にでもあって配達してくれるのですが、これで随分困った経験があります。

何せ電話をしなければならないからで{水}の発音が全く通じない。 何度も失敗を

繰り返して、結局はベトナム人に依頼する事が多く、最後の大きな団地は英語で通じ

ただけ。後は全てベトナム人でないと駄目でしたねぇ・・><;

さて、ホーチミンに日本人の手によるピュアウォーター〔純水〕を作るプラント工場

ができたそうで夏から〚Seiryu〛の出荷が作動したそうです。既に日系のレストラン

では見かけるようです。その名の通り{ピュアー}な水で現在は、米国などでは最も

ポピュラーになっている飲料水です。不純物を除去した安全で美味しい水だと言われ

ています。一般家庭にも工場へも配達が可能になったそうですが私が購入していた頃

{水}には結構不純物が混入されていて「何時作ったのか?」の表示もなく店により

その値段も違うから・・高ければいいとも限らず最後まで使い切る事は避けていた!

◎電気代の支払い

来月よりホーチミン市1区と3区で試験的に紙の電気料金報告書と領収書が廃止されて

領収書は電子化されるという話があります。 入力フォームMa So Khach Hang

<カスタマーコード>を入力して送信すると過去の使用料と料金が表示されるという

システムだそうですが、支払い後はレシートは受け取れると言います。

<カスタマーコード>は今まで貰っていた請求書や領収書に記載されているもので

この2区にだけ[お知らせ]として各家庭に配布されたようですが内容が非常に難し

く理解できないようでこの区のベトナム人が困惑していると言う情報がありました。

領収書が電子化されて税金のオンラインと連動するという意味らしいのですが未だ

夫々の家庭では把握されておらず「よく分らない」のが現状だそうです。

◎水道代

これも同様で指定の銀行支払いが実施されるとの事です。

こんなニュースを聞くと本当に時代の流れを感じこの国も愈々、先端技術が投入さ

れて色々なことが電子化になって行くのだと感慨深くそして少し寂しく感じます!

私の年でも既に、日本にいて完全に流れから逸脱しているのが現実ですから、これ

からの世の中の変動には{どう対処したらいいのかさえ皆目見当もつかない}のが

事実です・・><”  ”この先の不安はかなりあります”

それでも『これでもか?これでもか?』と新しい電子化が流行して行く。ATMに漸く

慣れたばかりの国民だったのに・・携帯の流行も急速だった事を考えると、想像以上

の現況の国ですから上手く流れに乗って行くのかも知れません・・(#^.^#)

それらが大きく変貌して行く・・若者の国だからきっともっと早く稼働出来るのかも

知れませんねぇ・・(*^_^*)

*老人はどこに居ても何をしても遅く邪魔な存在になっていくのでしょうか?*

ふっとそんな事を考えた浪速の朝は冷え込んでいます。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/21(Wed)
風が深秋を数えている様に吹いていた。日中は日差しもあって、寒さを感じること

もなく、近くを買い物がてら未だ通ったことのない道を歩いてみた。家が密集して

居て夫々の家の玄関には紅葉した樹木があったリ、様々に凝った鉢植えがある。

花も未だ充分咲いている家もあり野菜が育っている家もあって・・ほんの少しだけ

遠回りしただけなのに、様相が変わりその地区独特の雰囲気に癒されてきました!

セーターの乾きが遅かったが何とか日が落ちるまでには乾いて安心した・・( ^^)

※自由でいいですねぇ

友人や知人から「1人で外国暮らしなんて・・優雅で羨ましいわ!」などと時々は

言われたものでした。 「自由で勝手気侭に生活できるなんて凄いじゃない」とも

確かに人の目を気にする事もなく常識的な考えもせずに済むし誰とも付き合わずに

すむ利点はあります。しかし、入ってくる情報は皆無になるしこちらから働きかけ

ないと何も解らない・・(-.-)対人関係に悩まされることもないし遠出しなくても

市場で全てが揃ってしまう。しかし、それが自由で羨ましい生活だとは言えない!

この国にいれば日本ではないという大きな抑圧が絶えず全身を覆っている。外国人

と言う意識と自国の矜持を持ち何時だって神経を尖らせて暮らしている部分があり

人様が言うほど気ままでもなく自由でもない気がしていましたが・・(-_-メ)

何時だって緊張感が付いて回る外出すれば外国人です。何を求めるのにも外国人の

別料金が掛る。外国人と言うだけで普通ではない(最初に行った頃のベトナム)

好奇の眼に曝されているのが現実でした。まだ日本人も少なくまして若者でもない

小母さんが1人住まいをしているなんてベトナム人には奇異に見えたようです!

しかし「そんな所にどうして居るの?」と言われると反論出来る材料は少なくて何

をどういえば理解してもらえるか自分自身でも明確な答えは出せずにいました。

息子が仕事でベトナムに住んでいたことや相手がベトナム人であったこと。そして

この国を知り、自分の人生が全て空っぽ状態になっていた時期が重なって、興味を

覚えたからだとしか言えない。この国で暮らすチャンスがあっただけのことです。

でも、このことは大きな転換を私の中ではもたらしました。そうそう体験ができる

ものではなく希少価値だった気がします。 異国に住むなんて夢想だにしなかった

生活が急展開したのですから・・(@_@;) *本人も結構刺激は大でしたもの*

それももう直ぐ老人に入ろうとする年齢でしたから・・沢山の自分の身体に付いて

居るものを捨てなければならなかった・・(-_-メ)それは物だったり思考だったり

今までの生活全てを投げてしまう事でもありました・・(@_@。

何もかも新しく出直したい、そして何かを知りたい、変えたい願望が強く作動して

気持ちが決まったら迷わないで行動しただけです。もう走り出していました心の中

では・・(#^.^#) 自分を知る機会が与えられた最後の時間だと思っていて新しい

何かを吸収して、自己確立でき成長出来たらなんて・・大きな事を考えていた部分

が仰山有りましたが・・現実は騒音と自己主張の強烈な国であり日本の常識が全く

通用しなくて当初の意気込みが段々と萎えて行く日々でした・・(-"-)

想像していたことが悉く霧散して・・新しい生き方や自己啓発なんて・・うそ寒い

感傷であったことを思い知らされる場面が何度もあって・・その対応ができなくて

辛かった事が多かった気がします・・><;

勿論、未知の国です。その上日本とは違って政策も国民も社会主義と言う生き方を

貫いて国を繁栄させてきた大きな違いがありました。そう容易く仲間入りができる

何て・・想像外でしたねぇ・・常識が全く違う事粗野で乱暴、自己主張は猛烈だし

「ここで私何をしているのかしら?」を何回も自己に問うていた生活でした。

持っていた夢も儚く消滅したし、両極の思惑が重複して、迷い道に入り込んだ錯覚

の中で生きていた時間でもありました・・うふふふふ

夢なんて持ってはいけなかったし、何時それが実現できるかなんて日々の緊迫した

生活の中では何1つ役には立たなかった。何時変化するかが分からないほど迅速な

インフラ政策の最中だったから自己を守護するだけで精いっぱいの国民の中にいて

成す術もない有様が現況でしたねぇ・・!(^^)!

確かに自由に生きていましたがそれがどれほど危うく脆いものであるのかは直ぐに

気ずかされました。絶えずアンテナを張って自分自身を自覚させ生きて行かねばな

らなかったからです「自由だけれどそれがどれだけ心もとなく危険度の高い土壌の

上に乗っかっていた?」かを思い知らされておりました(10年前の話)

表面上「仕合せね・・とかいいわね!」と言われる度にコツンと心の中に礫が飛ん

が来ていました。生きる道を模索し懸命に最後の人生を見つけたくて気負っていた

し、自分の人生を違う道に引きこむための途中経路にいたせいもあって、その挟間

で何時だって、日本の安定した生活が浮上しては消えて行きました・・(-.-)

1人で考え1人で判断し、1人で残りの人生も生き抜くなんて真剣に考えていた時代

だったからそのギャップと差異の誤差に慌てふためいていた部分が山積していた。

孤独との闘いができない人は海外生活はできない事もその時確実に実感しましたし

その中を通過しただけに今があると思えるのです・・(*^_^*)

老い先が短くなってからの海外生活は本当にきついものがあります。自由だけれど

孤独です。最近は定年になってから海外暮らしをしたいと思う傾向の人が多くなり

沢山の人が外国に住んでいます。それは富裕層であり、孤独ではない人にとっては

素晴らしく優雅かも知れませんが私の場合は全く違っていたから・・あははははは

ただ、かなりのパワーが必要ですし対応出来るだけの経済力も頭脳も言葉も要ると

思います・・私はそのどれにも当確してないのだから・・大変であったと言うのが

事実ですが、それでも再度来越した時は現実に何の変化もなかったけれど、日本の

生活にすんなり戻れたのですが・・(^-^)今回帰国して暮らしが始まって見る

と自分の中でベトナムと言う国が異常発酵していて・・中々日本に馴染まないとで

もいいますか?それだけ老化が進行したのもあると思いますがベトナム生活が凄く

楽になって居て自由だったから今なら「優雅な暮らしねぇ」なんて言われても特別

な感情を持って微笑み返す余裕はできる気がします・・ふふふふふでも、あの頃は

必死の状態でした!何もかもが全て異なる生活に突入でしたから・・(/_;)

時代も変わり豊かになったベトナムと言う国はもうさほどの変化が大きくないこと

も理解できるし日本との生活の差が物凄く違う事はなくなったからかも知れません。

そんな時代と復興して成長を遂げてきた時代を見る機会を得た事は素晴らしい体験

でしたし、大勢のベトナム人との遭遇や自分自身の老いにもかなりの影響を与えて

くれました。もし、この生活がなかったら私はどんな人生を送っていたのかしら?

そんな事を考える日もありますが稀少な経験によって少しは生きる力が増した気分

でもあります。ベトナムに住めたことに感謝しております<(__)>

近頃、夜中に1度目覚めてトイレに行くのですがそれから暫くは眠れない!かと言っ

て寝不足ではないのですが・・(+_+) {何か癖になったのかな?} 

そんな事を考えていた浪速の朝は日差しが明るいです。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/20(Tue)
早くから太陽の恵みがあって冷えた分、日中は暖かく感じました。買い物に近くの

スーパーへ(お米の新米)行った。不足の調味料も買い、片手で持つには重いほど

になり、大した道のりではないのに、何度も持ち手を替えて、やっと戻って来た。

小麦粉とか油、米、蜜柑、根菜を買ったのです、流石に重かった・・!(^^)!

神社横の公園では幼い子供達が婆さん相手に数人遊んでいました。こうやってお守

させられるのも結構大変だろうなぁ・・何て想像しながら・・うふふふふ

※ベトナムで大失態・・{こんな恥ずかしい話は私だけでしょう・・}

「もう、馬鹿じゃないの?」と言われる位の失敗を住んでいた時にやってしまった

のです。帰国する為オープンチケットのリカンファームをしたんです。もう昔の話

ですが・・その頃は必要でした。「OK]の返事を貰いそのまま準備して全て完了。

出発を待つだけに用意周到しておりました。時間がきて空港へ行きました。そこで

驚きの結果になったのですが・・今でも思い出すと冷汗が出るほどです・・(^_^;)

ベトナムからの便は殆どが真夜中の0時から1時近くに出発します。私の乗る便は

既に出発していたのです。どういう事かと申しますと、20日0時10分発だとします。

本当なら19日の11時近くまでに空港で手続きを済ませていなければならない。所が

愚かなことに20日の夜に出かけたのです。これだと21日に飛ぶ事ですよね。 もう

すっかり頭の中が真っ白になって顔面蒼白だったと思います・・><;><;

ご理解頂けますか?前日の真夜中の出発便なのに日時を間違えたのです。私の中では

20日と言う日が頭の中に有ったものだから完全に思い込んでしまっていたようです!

何も考えず日時を何度も見ていたのに・・その時は何も疑う事もなく(何時も息子に

チケットを見せていたし、彼は添乗員でしたから・・必ずチェックしてくれていたの

ですが偶々出張で留守)翌日に出かけたのです。本当に想像も出来ないミスでした!

{さあ!これからどうしようか?}身体中から冷たい汗と悪寒が走りました。 多分

顔は引き吊っていたと思います。心の中では「もう仕方ない!これから家に帰らねば」

とその事だけが頭の中をぐるぐる回っていました。嫁が送ってくれたので今頃は家に

着いた時間かも知れないと思い{彼女たちとは別に住んでいた}兎に角電話をかけて

みようと思いつき、まず案内所を聞いてそこまで行き、必死の形相で公衆電話の場所

と掛け方を聞いたのです。スーツケースを持ち歩きながら列を作っている公衆電話を

待ちました。その前に手続きがあって、交換手の所へ行き、電話番号を教えて、何番

のブースに入るかを教えられる形式でした。待っていると名前を呼ばれ3番ブースへ

と言うアナウンスが英語で流れ、その中に入った。<生まれて初めての経験です!>

交換手から「話して下さい。相手がでましたからみたいな事を電話口から言われ、嫁

の声が聞こえました。私は涙が出そうになって、間違った日だった事を伝え飛行機に

乗れなかったので迎えに見て貰えるかしら?」と言いました。彼女はすぐ行くからー

待っていてと言ってくれて、その間の心理状態は上手く説明ができません・・(/_;)

安心感と呆然とした感情が噴き出して自分の愚かさと、情けなさに阿鼻叫喚状態!

鍵も預けていましたし、最悪はホテルをと思っていましたが・・未だベトナムに慣れ

ていなく、タクシーも1人では乗れない有様でしたから、本当にパニクっていたと思

います。かなり海外はどこでも出かけていて心臓も図々しい人でしたが・・(-_-メ)

手当たり次第に空港関係者を捕まえては案内所を聞いたり、公衆電話の在処さえも知

らないから、その上飛行場が新しくなったばかりでした。自分がする手続きや場所を

覚えることしか理解してなく・・こんなに辛く逼迫した経験はありませんでした!

タクシーが何度も声をかけてきて煩い程でしたが・・もう何も声が聞こえない程動転

していたのだと思います・・\(◎o◎)/!

やっと20分位して、彼女が来てくれて自宅まで送って貰いましたが、申し訳なさで心

が千切れそうでした。それでも運が良かったです。これで彼女が何処かへ行っていた

ら、私は家に戻れなかったし、ホテルを取ったとしても鍵が無いと帰れなかったーー

興奮し過ぎたのでしょうねぇ・・全く眠ることはできす睡眠薬も効果なく朝が来た!

悔しさと情けなさ、愚かさ惨めさなど沢山の感情が1度に押し寄せてくる感覚で一杯

でした。言葉にならないほど打ちひしがれ落ち込みました・・(;一_一)

翌朝は未だ頭の中には渦が巻いていて自責の念で整理がつかない状態でしたねぇ・・

全く眠れなかったから身体が宙に浮いた様にふわふわして、足元も歩いているのかも

判らないほどショックだったのです。こんな時でもお腹って空くんですね・・(@_@。

仕方なく冷蔵庫も空にしていた為、近くのフォーやへ出かけ食事をして来ました。

早朝5時過ぎでした。漸く、少し落ち着き「しでかしてしまった事は取り返しがつか

無い」を痛感しておりました。6時半ごろには関空に着く予定だったから、娘にTELを

入れて謝りました「呆けたのではないの?」何て言われ尚、惨めさは増加した記憶が

あります・・(-"-)今でも凄く不思議なのですが・・何度もチケットは確認していた

筈なのに悔しくて仕方なかった・・信じ込んでいて、他の事など何も考えていなかっ

たのだと思います。思い込みが激しい人なのか?馬鹿なのか?何度も自分に言ってま

したが・・何ともしようがなかった・・(-.-)

海外では随分色々な経験をしています。でも、これ程どうしようもない事をしたのは

初めてでした。その日、チケットを購入しにまた出かけましたが、暫くは手に入らず

に1週間近く帰国できませんでした・・( 一一;)

若い時は気も強く、負けず嫌いだったから大抵の事には立ち向かって行くという性格

が役に立った場合も多々ありましたが・・もう、完全に降参状態でした・・(--〆)

息子は大笑いするし娘には呆けたと言われ・・もう、親の立場も面子も何もかもぶっ

飛んで行きましたねぇ・・ははははは

全く「あんた馬鹿?」って言われた方が良かった位でした。心中は切なく、情けなく

不様でしまりのない失態でした。全てに注意力が欠けているのと大雑把な性格のせい

だと思いますが・・本当に恥ずかしい失敗をしたものです!!

もう2度とはしませんが大きなそして愚かな体験をしたものです・・(@_@;)

今朝は曇っていて陽光の出足が遅い浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/19(Mon)
時折は太陽は明るさを見せて「にっこり」微笑む時間帯もあったが、風が強かった

せいで結局は暖かい感触は無かった!でも、思っていたより寒さは和らいで部屋の

中でも少し冷えてきたと思うと暖房を少々入れたりしていましたが・・先ず先ずは

上天気でした・・(#^.^#) 洗濯物も乾いたし・・うふふふふ

先日来の買物があるので食事の心配もなく出かけなくて済んだ・・( ^^)

1人だとどうしても肉や魚の量が多くて中々減らない。少人数用があるスーパーが近

くにないから普通用を購入すると、何時までも冷凍庫で眠っていたりして嫌になる。

昨日、ベトナムの友人からメールが届き「何故だか?今年は涼しい天気が続いてい

る」と書いてありました。もう『乾季』に入っている筈なのに雨もまだ止まない様

で時々降っている様子だとか?・・(@_@。

※雨合羽=レインコート{この種類のコートは見たことがなかった}

『雨季』に入ると毎日(絶対ではないが)雨が決まった時間になると降り出します。

一瞬、俄にかき曇り雷鳴が轟音を響かせる。途端に大粒の雨が凄い勢いで降り出す

のです。また、黒雲と一緒にやって来て物凄い勢力を見せつける雨の襲来もあって

窓からは一条の白糸の様な雰囲気で前が見えない時もあり、大粒と言っても想像が

できない位で当たると痛いほどの大きさで降り続く。雷も稲光も身体を震えさせる

ほどの威力があって空中を大暴れしては青白い閃光が何度も何度も走りその度に轟く

音は豪放で低い屋根すれすれを走る姿が空恐ろしさを感じさせます。

幸い私は低い家に住んだ経験は1度しかないが2階建ての1軒家だったから2Fに何時も

いて下には居れなかった。その時期は天井から雨漏りしていたからです・・><”

この〚スコール〛は殆ど数ヶ月続きます。そして、通過後はカラリと晴れ上がる日も

多く大体がそう言うパターンでした。だからその間の数時間を辛抱すればいいのです。

しかし、段々異常な気象になって終日続く事も多々ありましたねぇ・・(-.-)

さて、話の雨合羽のことですが、日本ではこれを着て歩いている人は余り見かけない

ですが、台風や災害時以外は普通の雨や雷鳴時でも傘が普通です。しかし、ベトナム

で、傘を差すようになったのは本当に最近で外国人が持ち込み、近頃はスーパーでも

売られていますが・・ま、殆どバイクでの生活ですから雨合羽使用が通常の姿です。

『雨季』に入るとバイクの中には必ず雨合羽が必需品でバイクの中に納まっているの

が常套です。そして降りだしたら何処でも道路の端に寄ったりしないでその場で停車

して、合羽を取り出し着ます。後の人や周囲なんて全く気にしないで、停めてそれを

出し着る人が多く所構わずですから、見ていると面白い光景にぶつかります。衝突し

たり、すれすれで停まったりはザラで自分の事しか考えていないからです・・!(^^)!

色合いもカラフルで種類も豊富です。頭からすっぽりかぶって{帽子付き}両サイド

には大きなボタンが付いていてそれを下まで止めると完全防水状態になります。

ただ、バイクに乗る人は両サイドは腰辺りまで止めて後は広げて置いたり、お尻の下

に敷き前の部分はハンドルに掛けて手を濡らさない様にする。2人乗りの場合は合羽

が広いから半分止めた侭で後の部分に入ります。乗っている人の背中にぴったり身体

をつける様にして着るのです。前は全く見えませんし、その中は熱気が籠ります・・

時々、余り丈夫ではない合羽を着ている人は水溜りの撥ねを防ぐために両足を上げて

走っています。種類も沢山あって、上下用もあり、足元まで濡れないものもあったり

薄い物から分厚い物までありゴムでできていたりナイロンだったり様々な材質があり

ます。色も何色でも有り、赤、白、黒、緑、紫等カラフルでバイクが瞬時に変化する

様も面白いです。凄い降りの中を走る人もいれば雨宿りをする人も多く、どこの家の

軒先でも勝手に入って来て止むのを待っている姿も興味があるものです。その時だけ

の集合体なのにベトナム人は喋っていないと落ち着かないのか?誰とでも本当によく

喋りますからその煩さは想像を越えます。我家の前は結構広く道路に面していて数段

の石段があってその階段には何時も数10人の天秤棒担ぎの小母さんたちが屯して来る。

もう、その時の賑わいは雨音に負けない位の強烈な騒ぎです。大勢が数時間雨宿りを

する姿を見るのもベトナムの『雨季の風景』でした。

雨合羽の種類は先ほど書きましたが背中に会社の名前が入っていたり、ボーダー柄や

ドット柄もありますし、ビニール製、ゴム製の上下など。またナイロン製の薄い透け

てペラぺラの物や合皮などもあります。私も最初の頃に1枚購入しました。

その頃で少し分厚いビニール製でしたが500円もしましたから吃驚しましたが、重宝

して何年も使用しました。ただ市場等の帰り道に降られてそれを着ると帰宅するまで

に汗が滂沱の様に流れ、直ぐにシャワー室に行かないとと言う有様でした・・(@_@。

その位頑丈で確り作られていましたねぇ。蒸れて凄い汗をかいた事を思い出した!

少し小降りになると家の前の雨宿りの客は1人、2人と去って行き天秤棒担ぎの女性達

も散って行き「さあー商売」と気合を入れて出て行きます。でも、決してその時間を

嫌がっている訳でもなくむしろ楽しい会話で大笑いしている日が多く、この国の人に

とってはごく自然の事である事を知らされたものです・・(#^.^#)

安穏として生活が掛っているのにさほどの緊迫感のない様子はベトナム人独特なのか

を絶えず考えていました。今日食べられればいいので有って・・明日の事など考えて

いないのが当然みたいでしたから・・あっけらかんとしていました・・(*^_^*)

そんな生き方に影響を受けたり考える時間をいっぱい貰い経験できないことを心の中

に山積させる時でもありました・・私にとっては有り難かったです・・(+_+)

雨降りにバイクが信号待ちしている時の姿は色とりどりの昆虫が並列、縦列している

姿に見えて本当に面白く感じていました。一斉に走る姿もまた一興があり、カラフル

な昆虫たちの群れは雨が止むまで何処の道路でも見られる風景でした。

今日は早くから雲が途切れて、冷えを感じましたが明るい朝日に支えられ浪速の朝が

明けました。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/18(Sun)
「もういいんじゃない!」と言うほどの雨量が降って、重い空から流れ落ちる雨は

底なしの様に夕方まで降り続くという悪天候でした。全く何処にも出かけずTVと本

だけの時間を費やしてしまった・・(-.-)「やれやれこんな暮らしでいいのかな?」

と思いながら・・誰にも関心も持たれず、又誰とも一言も喋らない日がその時間が

私には無上の貴重な日である事を思い出しておりました。何時もの時間に何時もの

様に時間通りに事が運ぶ事は身体にとって凄くバイオリズムをよくしてくれている。

本当に『幸せ者』感謝しなければならない!

※新しいベトナムニュース・・{想像できない話です・・\(◎o◎)/!}

Vinh Long省にある或る村での出来事です。先月2日に偽物の金(装飾品)が使用

され、結婚式が行われたという話題が掲載されていました。新婦の家で結婚式は行

われていました。新郎側は数人と言う少なさで新婦側は多人数の式だったようです。

ベトナムの結婚式は親族縁者、友人、近所などを招く習慣がありその人数は驚きの

数で100人位から300人位はごく普通の式なのです・・(@_@;)

それも地方なら地元と都会で勤めている人等はそこでもするから凄い人数が集まり

結婚式は最大のイベントなのです・・(*^_^*)

式の途中で新郎側からアクセサリー{金}を数種類とお金<ベトナムでは支援金>

と言う様ですが所謂〔結納金〕の様なものです。それも両親と新郎、新婦、参列者

の前で手渡すのが慣わしです。そして、みんなの前でお金を数えると言うのもごく

普通のことで一寸吃驚しますが・・(・_・;)

何せベトナムは結婚に関する費用は全て男性が持つ慣習があり、結婚式は男性側に

とっては酷く大変な負担になります。式は進行して披露宴は盛り上がり楽しく陽気

な式になり大勢の人達の祝福を受けて幸せなはずの新婦側が怒りを表し憤っている

様子でした。なぜなら新郎側から約束の500ドル(支援金)が渡されなかったから

で、新郎は平気な様子でお酒を呑んでいたようです。新婦側はすっかり興ざめして

貰ったアクセサリーを調べてみたら、これも全くの偽物で24金と言われていた指輪

やネックレス、ピアス等も全部偽物であったことが判明したのです。

新婦が大声で叫んだ為に、新郎は即、バイクタクシーに乗って逃げたという事です。

色々調べると新郎の数人の親族は雇われた人達だったそうで、結婚詐欺のような事

だったらしい!驚きの結末ですが、話はここで終わらずにこのトラブルの中、式は

延々と続いたと言います。またパーティも凄く賑やかだったそうです。

この様なことは日本人には想像も出来ないですが・・折角の披露宴やパーティに遠

くからこの日の為に来てくれた人々に振舞う事は当然だと考えるのでしょうし、又

出席者も殆ど帰る人もなくしっかり食事をしていたと言います。それもとても盛大

な式で豪華な食事が出されたと書かれてありました・・(-.-)

そんな話を聞くと日本なら中止になると思うのですが・・ここはベトナムです。

信じられないことですが・・新郎がいない式でも、飲んで食べる事はこの国の人に

とっては大した事ではなく美味しくお酒が飲まれご馳走を食べるのは当り前の事で

どうってことがないようです・・(-_-メ)

新婦側もこれだけ準備したのですから・・仕方ないと思ったのでしょうが・・何と

も気の毒であり切ない話です・・!(^^)!やりきれなかった事でしょう・・(/_;)

地域の公安が間に入り新婦を探したが姿を見せることは決してなかったそうです!

人生の最大の大きな晴れ舞台を踏みにじられて、彼女の心中は「いかばかりか?」

と思ったものです。色々なことがあるものですねぇ・・衝撃のニュースでした。

今朝も未だ雲が取れていなくてうす曇りの空催いですが・・また、雨が降るのかも

知れない浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/17(Sat)
珍しく早朝から日差しがあり、思っていたより家事の運びも順調だったので・・姉

にTELをして一緒に出かけようとしたが・・忙しいと断られた。心はもう外出気分に

なっていたので・・いつも通り1人で出かけた。朝余り寒かったので日中は暖かいと

想像していたのですが・・初めてダウンを羽織って出かけた。デパートとその周辺の

ショッピングモールをぶらぶらしながら(何せセーターが数枚しかない)全て処分し

又はベッドカバーに変化させている・・着る物がない。編むのはいささか草臥れてー

先日のベッドカバーも1ヶ月と言う有様だから。今、着る物が欲しかった。最低限の

生活をと思っているのだが・・寒さには毛頭、弱い身体になっているから酷く寒い!

高価でないセーターを数枚購入し、安売りチケットの店ではチケットを購入した。

札幌行きが近いからで以前はこんな事考えた事もない人だったが安くて行ける魅力

を知ってからはずっとそうしている。それもつい最近の事です・・うふふふふ

鈍感というのか?無知なのか?本当に合理的なことや常識に欠けている人で何時も

大抵何処かで損をした生き方をしている・・(-_-メ)

※ベトナム人を食事に招待・・

何度かご馳走になっているので心苦しく、家に来て貰って日本の食事を用意する事

になった。ベトナム人(老人)は和食は食さないと聞かされていたので凄く悩んだ!

若い人も一緒で通訳してくれるとの事で5人分くらいの食事量でした。普段こんなに

多く作った経験がない。その上、1口コンロだったから早朝よりもう大変な思いをし

て作ったのです。若い人にはハンバーグ、老人には中華料理にした。中華は食べられ

ると聞かされていたからです。随分悩みました。何がいいか見当もつかなかったから

海鮮甘酢あんかけ、ニラ団子とサラダはマカロニ入りで色々な香草を入れ食べ易い様

にした積り。スープはトーフと海老、ホーレン草、ニンジンのコンソメにして蜆ご飯

を炊いたのですが!!

ま、何か食べてくれるだろうとは思ったのです。所が田舎の人なのでサラダは見た事

もないと言われ、ニラ団子を2つ位食し甘酢かけを少々食べた後スープを飲んでそれも

中身の豆腐だけしか食べなかった・・(><)

仕方なくライチやマンゴーを出して終わりにしたのだが・・相手も失望したかも知れ

ないが・・作った私の落胆振りは予想以上だった。兎に角若い人だけしか食べなくて

凄く余ったのです。それも私は2Fと1Fを行ったり来たりして、殆ど席には着かず何も

食べていない状態でした。その為にお皿やご飯茶碗、コップも購入していたのに・・

これだけ作るのに時間が相当掛った。だのに、殆ど手をつけなかった・・(-_-メ)

たったの1時間でそそくさと帰って行った。帰り際に豆腐しか食べるものが無かったと

通訳されたのには二重のショックを受けた・・(;一_一)

きっと見た事もない物ばかりだったのでしょうし、口に合わなかったのだろうと思い

諦めたが・・ベトナム人はそう言う意味では見知らぬ物には先ず手を出さないことを

知ったのです。もっとも都会の人達はあちこち和食や中華の店があるから老人でも食

べに行く機会も多く割合平気だと思い込んでいたのですが・・日本的な招待では口に

合わなくても見たことのない品でもせめて1口や2口は食すのが当然だから・・まさか

こんな状態になるとは夢にも思わず・・かなりの衝撃を受けました 〚がっかり!〛

未だベトナムに行ってそれ程経っていなかったせいもあり、又、ベトナム料理を殆ど

作れないし知らなかったから仕方ないと自分を納得させましたが・・(-.-)

「これがベトナム人?私は何かを期待していたの?」とか思ってただご馳走になった

分は返礼ができたとその事のみを考えていました。正直、かなりへこんでしまったの

は事実で2度と招待なんてしないと心の中で呟いていた悪い人です・・あははははは

食事時間中に私が1人住まいの事を「なぜ1人なのか?」まずベトナム人は必ず聞いて

来る事ですが・・矢張り聞かれたり、日本人の友達と一緒に住みなさいとか、辛い事

の相談もできるし寂しくないからと頻りに勧めるのです。ベトナムでは絶対理解でき

無い事だからと何度も執拗に言ったのです。話題はその事ばかりでした・・(-_-)

「余計なお世話だわ!寂しくなんてないし、ベトナム人ではないから1人でも住める」

何て毒づいていました・・{はい!勿論心の中で}・・わははははは

今だったら理解できます。ベトナム人の性格や気質、国民性や社会事情も解るからで

す。私の1人暮らしが信じられなかったのでしょうし、余程、寂しく貧しい暮し向きに

見えたのでしょう・・( ^^) 決して私は寂しくもなかったし自分の生活は凄く楽しく

見るもの聞くものが珍しくて活き活きしていたと思うのですが・・老人達には想像さ

え出来ない環境だったのだと思います・・!(^^)!

ま、私は不愉快だった事は事実ですが怒っていた訳ではなかった≪これがベトナム人

の国民気質でありベトナム人は1人暮らし等は考えられないという観念や意識がある

事を改めて知らされていました≫価値観や思考が全く違うこと異国人だという事を知

る機会でもありましたねぇ・・(--〆)

考え方によってはそれだけ純粋で素直なのかも知れませんが、お節介過ぎる言動には

参ってしまった体験があります。正直で優しいのだと思い直していたのですが、全く

習慣や思考が異なる事をある意味悲しく思った日でもありました。それ以来、老人の

招待は一切なくなり若い人との付き合いが多くなってしまったのは残念な事でした。

私自身はどこの家でも本当に美味しく頂くし余り好き嫌いはなく特に香草が大好きで

ベトナム料理は個人的には大好きだから・・食べない事なんて有り得ない!

只、下手物〔風変わりな物〕は食べられなかったけれど、何でも好きでした!沢山は

食せなかったけれど・・色々なものは食べたと思います・・ふふふふふ

現在も香辛料や香草の粉末は結構持って帰って来ているし、殆ど味付けはベトナム風

になっています。慣れてしまったのでしょうねぇ・・(#^.^#)

昨夜来からの雨はしょぼしょぼと降っています。今日はずっと降る様で薄暗い夜明け

を迎えた浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/16(Fri)
1日が早い!特別何もしていないのに・・ただただ時間を無駄に使っている感覚が

どうしても取れない。満足なんて出来ないことは充分解っていても「今日も幸福せ

だった!」とそう思う事で過ぎていく時間を、本音の部分では惜しみながらも反面

「こんな生活でいいのかなぁ?」と思っている自分がいます・・(-.-)

残りの人生に少しは役に立っている様に願っているのだが、帰国してからの生活は

ずっと、身辺整理をする事を考慮している筈なのに物が増えて行く・・とほほほほ

自分では懸命に暮らしている積りなのだが・・時折不安感に襲われたり、もう失敗

は出来ないのだから・・やり直せないのだからと急かされている身が疎ましく感じ

る日もあるのです。これは老いのせいかも知れないのですが・・うふふふふ

暢気に何も考えないで生きていたベトナム生活は日々の流れが緩慢だった気がして

いますが現実は何処からか《スナイパー》に狙われれているかの様な焦燥感があり

凄く不思議な感覚が起こる日があります「何を焦っているのか?」自分でも回答な

んて解らずにいるのですが・・ははははは 著名人の死が多い昨近だからかなぁ

なんて、我身に置き換えて考えている部分があるのかも知れません・・(@_@。

※停電

帰国するまで〚停電〛は乾季に入るともう当然のように始まります。最後に住んだ

大きなコリアンタウンでは英語とハングルで1Fごとに日時が書いた紙が貼付されて

いたので日時や時間帯も解り、そこまで発達したことを喜んでいました。最初の頃

や他の家に住んでいた時は回覧板や表示する場所等何もないから・・全く、突然に

〚計画停電〛がやってくる。長い時は朝から夕方までだったり、8時間くらいとか

が続きました。面白く感じたのは1区に越してから〚停電〛がかなり減った事です。

どうしてだか判らなかったのですが1区には国の要人や外国人が多く住んでいる為

また、大きなビルは自家発電で〚停電〛等全く関係なく辺りが真っ暗闇になっても

普通に煌々と電気が点いている処が多かった。それでも昔に比較すれば随分時間が

短くなって、凡そ5時間以内には点灯していましたが他の区では長い場所が沢山あり

地区によって違う事も知らされていました・・(-"-)

1区では斜め前に高層ビルが2つ有って・・普段はそんな事はすっかり忘れて暮して

いるのですが〚停電〛になると自家発電で暗闇の中に浮き上がる様に点灯する電飾

が勝ち誇っている様な姿を見せるのを嫌な気分で見ていたものです・・ははははは

高級MSで殆どが外国人の駐在者でした。もう、完全にそこだけが富裕層と言う形態

を表していましたから・・あははははは

蠟燭とライターは何時もの所に準備してあるのですが・・それに火を灯し、部屋の

中央に置く。その灯りはぼやけて雰囲気はあるが周囲を朧状態にしてしまうのです。

たった1人が大きなビルの中でそこだけに蠟燭の灯りが点きジャスミンの香りが漂う

時間になるのです。侘しい様な静寂さと薄明かりの中での時間は様々な幻想を呼び

日本では先ず考えられない時間が緩やかに長く長く続きます・・(-_-メ)

何もできないから・・どうしようもない状態で、トイレに行くのも蠟燭持参だから

殆ど暑さとの闘いと冷蔵庫の氷や冷やしている物が段々と変化して行く様子もこの

国だからこそ分る光景であり、水や氷は温くなっていくのです。

何の告知もなく、前触れもなく一瞬にして消える電気は長い間1人で考える時間を

余儀なくされて・・色々な事を考える習慣ができました・・ははははは

それでも終日の日もあって・・日中は日差しがあるから、本を読んだり、外に出る

事も平気なのですが、夕方から夜にかけては本当に困る。国も食事時までには大抵

は考えているのでしょうが・・電気を使用して仕事をしている人は手持無沙汰で殆

どの人はハンモックや椅子、バイクの上で寝ています。すっかり慣れてしまってい

るようですが・・それでも1区は回数が少ないとベトナム人は必ず言っていました!

しかし、いざ電気が点くと「ほっと」して急いで食事の用意などをいそいそと始め

少し嬉しい気分になったものです・・(#^.^#)

こんな状態が未だ現在も回数や時間は短くなったけれど何度もあります。現実には

本当に短く回数も減り長くても5時間以内になっていましたが・・それでも〚停電〛

が無くなることはなかった4年間でした。

何処の店にも蠟燭やライターは売っているのも不思議でした。いまはコンビニなど

で購入しますが・・八百屋でも果物やにも昔はありました。何処の家にもあちこち

の部屋の中には置いてあったものです。 私は日本から香の付いた蠟燭を持参して

いましたが・・2本位使用しただけでしたからかなり回数が減った事を感じました。

電化製品が何処の家庭にも普及している時代になっているから、これからはもっと

回数も少なくなるかも知れません。そうなると有り難いですが・・当初〚計画的に

停電〛をする事に凄く不快感があって・・電気の生活が普通だったからその不自由

さに閉口したものですが・・慣れるとこれも思い出に変わるのですねぇ・・( ^^)

今朝は冷え込んで朝から暖房を入れていました。洗濯も部屋の中で全て掛ける程度

に纏めて干すという有様でしたが・・日差しが早くから差し込んで来て今日は快晴

になるような予感がする浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/15(Thu)
寒く風の冷たい朝になり前日の温かさが嘘のように雲が低空に流れていて冬を感じる

1日になりました。雨が突然降ったり突風の様に風が吹いたり忙しい空模様でした!

竜巻も発生したとの事ですが・・上陸して消滅したそうで良かったです。最近の天気

には振り回されている気がしますが皆様の所は如何ですか?雪雲がでていたので何処

かで降っているのではないかしら?なんて空を見ていましたら矢張り初冠雪が数ヵ所

有った様ですね・・!(^^)!

そんな中、冬用の婆シャツが全くない(全て処分した)事に気が付き仕方なく電車に

乗り出かけてきました。もう完全防備状態で・・あははははは

今は温かい下着が沢山ある様ですが・・この近辺にはないもので、時代とともに下着

にも大きな変化があるのですねぇ・・うふふふふモコモコになるのを防ぎ軽く温かい

物が沢山出回っていました。結構楽しく色々と見てきました・・(@_@。

※ちょっとした話を・・

◎シクロの小父さん

現在はシクロは観光用で走る場所の規制がされていて、正直、昔ほど見る機会が少な

くなってしまいました・・ハノイでもホーチミンでも乗り入れ禁止区域ができて本当

に台数が減りました。でも街中ではシクロに乗った外国人{日本人も含め}が時々は

行列して走っている姿を見かけたものです。 TVや本なんかでご存じだと思いますが

あのシクロは小父さんの脚力だけで稼いでいる仕事で凄い力が必要なのです! 

新品ではその当時8000円位したそうで古いシクロが殆どでした・・( ^^)中々難しい

商売になって来ていました。私も何回か乗った経験がありますが、想像していたより

ずっと早く、少し高い台で景色が見えるのも風を切る感じも快感でした・・(#^.^#)

雨の日でも幌が掛けられ足元まで濡れないように工夫されていて・・乗り心地は決し

て悪くなかったですよ!また、引っ越し荷物を運んでもらった事もありますし冷蔵庫

やら、大きな家具やガラスなども上手に積んで片手で抑えながら器用に運びます。

安価でそして思いがけなく遠く迄運んでくれる便利な乗り物でしたが。段々と観光用

だけになりつつあるようで寂しく思っています・・(-.-)

或る日、中心街まで買物に出かけた日の事です。シクロの小父さんが私を見て小走り

にやってきました「お母さん、お母さんこんにちは!ガン気ですか?」って大声で話

掛けてきました。私は知らない顔をして通り過ぎて行こうとしました。すると、私の

背中をトントン叩いて「お母さん どうしました?」って聞くんです。

その辺りは客引きが多く色々と悪い噂を聞いていたので知らぬ振りを決め込んでいた

のに叩かれて仕方なく「何?」って言いました。「私はあなたのお母さんではない」

殆ど歳だって違わない人から声をかけられムゥーとしました。「NO!、NO!」とシクロ

には乗らないという態度をしたのです。それなのに又、肩に触ろうとするからその手

を振り払って「あんた、誰?」「私はあなたの母ではない」と英語で言ったんです。

{ま、その程度の英語力ですけど・・あははははは}すると彼は吃驚した顔をしつつ

戻って行きました《日本人だと思いいい鴨を見つけたと思われたのか?日本語で話し

掛けたら喜ぶとでも思われたのかも知れません》が・・(-_-メ)

未だこの国に来て数ヶ月だったから凄く緊張して歩いていたし、中心街に行く事だけ

でも私には冒険だった頃です。きつい小母さんの顔をしていたと思います。誰に教え

られたのか?解らないがガン気ではなく元気だし・・そんな日本語を使って貰いたく

はない・・なんて凄く虚勢を張っていました・・<(__)>もしかして、お母さんでは

なく「お姉さん、マダム」とかだったらきつい顔もしないで返事したかも知れない!

「あーあー年寄りの僻み根性丸出しだよ!」クックックッ

そんな事もありました。既に遠い過去になっておりますが・・シクロに乗っている人

を見ると西洋の人と日本人との差に驚きを感じます。外国人でも欧米の人たちは本当

に楽しそうにお喋りをしたり手を振ったりします。でも日本人の団体やツアー客達は

楽しさなんて微塵も見せず黙ってただ乗せられて通過する人々が多いから・・何時も

言葉ができなくても楽しく乗って欲しいと思っていました! 凄い団体の時は大体は

日本人で10台以上も通過する時もあってそれを見るのも楽しみでしたねぇ・・( ^^)

ベトナム人は日本人は大人しく文句も言わないしお金持ちと言う固定観念に固まって

いるようで観光することは楽しいのか解らないとよく聞かされました。

今朝はもしかして今秋1番の冷え込みかも知れません。 手を出して眠っていたらしく

冷たくなって目が覚めたそんな浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/14(Wed)
夏の暑さがまるで幻覚ように流れ去り、朝晩の寒さが身に染みるようになりました。

未だ10℃以上あるから寒いと言っても過言かも知れませんが・・ベトナム仕様の身体

には本当に寒くひざ掛けを腰から巻いたり、ストーブを点けたり部屋全体を暖める為

暖房を入れる日々が続いています。不思議なもので1度使用するとそれ程寒い日では

なくても使用する様になるもの・・うふふふふ人間の感覚何ていい加減なものなのか

も知れませんねぇ・・(+_+)

※昨日に似た話で恐縮ですが・・凄く驚いたもので

◎親しき仲には礼儀はなし

息子の会社の女性が3Fに住むことになった。私も心丈夫だし、少し話をした事のある

小柄で細い女性で姉妹で棲むと言う。日本に研修に行った様で日本語も少し喋る人で

気持も通じるから私にはこの大きなビル内で1人よりいいかと思い喜んでいました。

或る日、若い女性がバイクで2人突如やってきました・・言葉も理由も解らないから

「ご免なさい。言葉ができない」と英語で言い帰って貰ったがにこにこ笑っていた!

所が1時間ほどしたら彼女はTさんと言う。が、帰宅して妹が「急に来ました」と言う

何も聞かされていなかった私は「そうだったの?<(__)>電話でもしてくれたら、中

で待って貰ったのに、悪かったわねぇ」と言いました。彼女の話では仕事中に突然に

妹が携帯に電話があったそうです。その時〚妹が行きます〛と連絡があれば私も理解

して部屋に通したと思います。その後少しして彼女2人を残し仕事に帰って行った。

部屋で漸く原因も解り安堵した私はレース編みを始めていた。勿論出て行った彼女は

鍵を掛けて行きました。だのに今度も鍵の開く音がして男女4人が1Fにバイクをいれて

中には行って来ました・・私は吃驚して「どなた?」と言ったのですが、笑っている

だけで勝手に3Fの部屋へ入って行った・・幾つ鍵を持っているのだろう・・(@_@;)

本当に驚きました。それからしばらく大声で喋っていたが、2時間ほどしたら全員が

バイクで出て行った。呆然としていた私です。確かに一緒に住む事は了解していた。

鍵はTさんに1つ上げました。でも、それが数人の手に渡っている事に恐怖が湧いてー

Tさんが帰宅した時に少し強く言いました「ここは日本ではないし私はこの国に世話

になっているけれど{鍵}は大切で妹さんが持っているのは理解できるが全く見知ら

ぬ人達が見知らぬ家に自分用の{鍵}を幾つも持ち勝手に開けて入って来る事なんて

考えられない{鍵}は幾つあるの?怖いから連絡してから来てほしい」・・(-_-メ)

事情がさっぱり解らなかったが後日、親しい彼女の家を皆で見にきた様子だった。

私にしてみれば誰彼と鍵を持って平気で人の家に入ってくる感覚がどうしても理解が

できなかったのです。事前の約束は全くなく何でも何処でもとにかく突然相手の都合

等は全く聞かず関係なく、自分中心で何でもするから・・面喰ってしまって強く言い

過ぎたかも・・(・_・;)と反省をしていた部分もありましたが、私がこの国の事情を

全く知らな過ぎたのが本音だと教えられました。

親しくなったら”礼儀”などは全くなく何処でも誰でも知りあいが居れば入って行く

そこに他人がいてもそんな事は〔全くお構いなし〕で自分だけの用事を済ませること

の方が大切なのです。Tさんはショックを受けたようです。私の言い方も悪かったの

かも知れないが、いいえ、それよりそんな事を言う日本人が理解できなかったのだと

思います。彼女にしてみれば自分の国で自分の妹の友達が何人来て騒いでも泊まって

もごく当然のことだから私から文句を言われる事など想像できなかったのでしょう!

でも私側では全く見たことのない人が6人も突然入ってきて、自分勝手な振る舞いを

したり、勝手に鍵を開けて出入りすることが怖かったのです・・!(^^)!

ここがベトナム人と日本人の全く異質な性格なのですが・・(@_@。自他の区別がない

から何も考えないで行動する事なんて当然で普通の事なのです。それを言う人などは

この国にはいないからTさんは驚いたのだと思います・・(-.-)でも日本人は知らない

人が入って来る事や鍵を開けることなどは想像も出来ない事だから、今、思えば私の

心が狭く配慮が足りなかったのだと思いますが当時は未だベトナムと言う国について

全く無知で何も理解できていなかったのです・・m(__)m

何時でも誰でもが勝手に出這入りする感覚が頭の中を逆さまにしても思いつかず考慮

の範疇にも引掛らなかったのが実情でした。それからは彼女とは気まずい雰囲気にー

なってしまいました・・( 一一) そして「これが1番の原因では無い」と出来るだけ

の日本語で説明してくれたのですが「体調が悪いので故郷へ帰る」と言ってこの家を

出て行きました。その後、帰郷せずに入院したことを聞いてやっぱり病気だったのだ

とは思ったのですが・・後味の悪い持って行き場にない心の中を私は持て余していた

のです・・(^_^;)何とか何も考えない様に思えるようになったのはこんな経験をした

からで本当に生活習慣や国民気質の違い風習や国民性などをもっと勉強しなければと

このときは真剣に思いましたが・・未だ心の奥底には小さなシコリが残っています!

国が違う事はこんなにまでも様々な事の相違がある事、心揺さぶるものかをしみじみ

感じましたねぇ・・(--〆)《辛かった部分と解らない部分が渦巻いていました》

『郷に入れば郷に従え!』とは言いますが・・この国では正反対と言える思考や行動

を納得するには私は余りにも無知、無能、無理解でした。改めて痛感しました。その

事が切っ掛けでベトナム人と心を少し開いて話せるようになった気がします。

最も日本語を話せる人に限っていましたが・・ふふふふふでも、この歳迄生きてきて

日本人の常識や習慣が当然のように体中と頭に有ったものだから・・正直過大すぎる

難問題でもありました・・><;

要するに何も考えないことです。そして気にしないことが大事です。自分の尺度では

図れない事を早く知った人だけがベトナム人との付き合いが可能だったのだと思われ

ます・・ま、恥ずかしながらの後日談ですが・・(^^ゞ

こんなことの繰り返しで恥をかきながらも何年も住んで来たのですから、図々しくも

なるし、いい加減さも表に出るようになって鈍感で無神経さが日本に帰国してからは

目立つようになった気がしています・・あははははは

また、気持も心も頭脳回路も変えなければならない・・「えらいこっちゃ!」です!

昨夕から雷鳴が何度も響き雨風も強かったのですが一旦は止んだと思っていました。

今朝は晴れていたので大丈夫だと思い少しだけ洗濯したらまた、雷が鳴って雨の襲撃

がっかりでした!その上凄く寒くて暖房を入れている浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/13(Tue)
良い具合に晴れ間が出てきたので、本を求めて途中までしか知らなかった国道沿い

を散歩がてら歩いてきました。片道50分・・私には結構ハードでした・・(^^ゞ

風が冷たくて家を出た辺りでは「帽子と襟巻が欲しかった」なんて思いつつ風に巻

き上げられる木の葉を見ながら、知っている道を歩いていました。新しい国道に出

て図書館までは知っていたのですが・・その後が解らない・・大きな看板を見つけ

兎に角歩いて行きました。歩道橋が凄く広くて長く国道を跨ぐようにそれも半端な

長さではなかった。漸く下に降りたらまっすぐ四つ角に出れるようになっていた。

大きな郊外型のレストランやカラオケ店、食堂などが並んでいる場所の奥で発見!

安心しながらも遠すぎるを感じながら相変わらず文庫本5冊購入。帰りは同様の道

をしばらく歩き歩道橋を反対に出た・・そこからは銀杏が黄葉して凄く綺麗でした。

暫くは眺めつつ風に飛ばされて行く葉っぱを見ながら冬近しを感じていました。

国道を漸く外れて中道に入ると少し慣れた道になり桜の大木から真赤に紅葉した葉が

流されて行くように散っていました。見事な程の赤色で2つばかりポケットに入れて

来た。午前中に出たのにお昼を過ぎていて近くのスーパーへ寄り久しぶりに鯖寿司を

買った。懐かしい味がしました・・帰国して初めて食したかなぁ・・( ^^)

※今は住んでいたホーチミン市内のその頃を思い出して書いています・・

重複する場合もありますし過去にも書いた記憶がありますが・・ベトナムの国を知

て頂く意味で書いています。何しろ初めての体験ばかりで・・驚きと仰天する国民

の中に異国人でそれもポツンと1人入り込んで何も判らず恥をいっぱいかきながらも

数年暮せたことはそれなりに大きな経験を残しました・・(#^.^#)

◎鍵

以前には1Fに旅行会社が入っていました。その頃は毎日、朝8時になると女性が来て

ドアーの鍵を開けて出勤。玄関の重く凄く大きなシャッターの鍵は私が持っていまし

たからを半分位開けておくのが住んでいる朝の仕事であり習慣でした。そして大体は

夕方5時から6時までには会社は終わり帰宅していた。

ま、その会社に掛ってくる電話の数と会社から掛ける声が大きいから来客があると

もう大変でした。その煩さは国道と同じ位の騒々しさで2Fにいる部屋まで丸聞こえ

状態でしたから。TVも何も聞こえないほどだった・・結構、参っていました!!

息子の会社で借りていた場所を又貸ししていたらしいのです・・その会社には4人

の男性と女子学生が2人アルバイトで働いていました。何よりもその声の大きさには

閉口し・・毎日が応えていました。勿論、客商売ですし旅行業者だから訪ね来る人も

多く帰郷する人が多かったと言う。この会社とは長い間この家から出る出ないで凄く

揉めていた様でその話は後日に聞かされたのですが・・ま、凄く図々しい感じで私が

買物に出かける時に階段を下りて行くとボスらしい人が何時も睨むような眼で見た。

こっちが小さくなっていなければならない感覚でした。人の迷惑なんて考えない国民

だから・・仕事途中で邪魔だったのかも知れません・・ふふふふふ

その状態が数ヶ月続き、愈々出て行く事になったと聞かされて安堵していました!

若い女性とは仲良くなって、時々2Fまで果物やお昼を一緒に食べる間柄になって

居たので・・一寸寂しさもありましたが・・学生で地方へ帰るとの事でした。

或る日の事です。突然、玄関に車が停まり、荷物を運び出したので・・引っ越しを

するのだと思って居たのですが・・半分位持って出て・・後は残して行きました。

ベトナムでは引越しの後掃除などはしなくて不必要な物はそのまま置いていく事を

知りました。まあー吃驚しました・・(@_@;)

何度も掛けあって貰い荷物を取りに来てほしいと依頼していたが何時までも放り投げ

たまま机も冷蔵庫も電話も残して行きました。それは処分してもいいのかどうか解

らないし・・随分揉めたようです。 相手曰く「今度の事務所が狭いから」だという

理由だったそうです。その後も数日はアルバイトの女の子が来て電話番をしていたが

それも3日位で来なくなった・・荷物は仕方なく台所がある奥に一応、運んでしまい

玄関を全部空けて掃除をしました。それは凄く汚れていて・・何度も洗剤で洗い流さ

ねばならなかった。暫くその状態が続いていて「必ず取りに来るという約束だった」

ので・・心待ちにしていたのですが全然来なかった。TELは絶えず何回も鳴っていた。

それも夜8時頃だったり10時過ぎていたりバラバラでいい加減に腹が立って苛々して

いたのですが・・(;一_一)  {何の連絡もなかった・・(-_-)}

そんな事を思っているだけで神経が疲れるし、眠れないから鳴っても気にしない様に

なって行きましたがそれも1ヶ月は続いたのです。随分我慢していたのですが電話線

を勝手に引き抜いてしまった。でも1ヶ月は待ったから・・充分だと決めていた!

それから数週間が経った日の事です。玄関のシャッター(勿論、中から鍵は掛けてい

ました)の鍵もドアーの鍵も私と会社が持っていると思い込んでいた私です。所が

大きな音がしてシャッターが開いたので吃驚して飛んで行きました。そこには前の

旅行業者の男性が2人が黙って当然のように立っていた。・吃驚\(◎o◎)/!

何も言わないで鍵を持って出ていたのです。そして残りの荷物を運び出して行った。

その間一言も口を利かずの有様でした・・><  《信じられなかったです!》

未だ鍵を持っているという恐怖に呆れてしまった。普通引っ越し時に返却するのが

常識だと日本人は考えますが・・ベトナム人にはそんな常識は全くないのです!

だから勝手に鍵を開け、勝手に荷物を持ち出す事など別に何とも思っていない。

流石の私も余りの非常識さに吃驚して息子に鍵の変換だけはきちんとして欲しいと

依頼したのですが【日本人が考える常識が非常識で非常識だと思う事が常識であり

ごく普通の事】だとその時来越して初めて体験しました・・(-_-メ)

こんな事は当たり前で騒ぐ私が異常だったようです。心の中では「もう、あなたたち

の事務所ではないので勝手に入ったり鍵を持っている事さえ信じられないことなのだ

から早く鍵を返して下さい」と言いたかった・・!(^^)!でも言葉も出来ないし、何も

言えずただ「キー」とだけは言って返して貰った。でも数人いたのだから未だ持って

いる人がいるようで、新しい鍵にしなければと息子に頼んだのです。

ま、いい加減と言いますか?どうでもいい事の様で「余り煩く言われるから取りに来

てやった」的な感じでした。まだこの国に慣れていなくて凄く精神的にも緊張があり

いい加減さや適当さに呆然となる事が重なって・・神経がかなり参っていました。

アルバイトの女性たちと何度か一緒に食事したことも既に忘れているみたいで挨拶に

来ることもなく・・大したことではなかったのだと知りました。彼女は英語を話す人

で凄くいい時間だったのですが・・何処へ行ったのか?何も知らないままで終わった

全てこのようで。どんな事でも大したことがなく、恙無く1日が過ぎれば御の字である

と教わった気がします。それだけ日本の常識や感覚が違う事を身を持って知らされた

のです。だから凄く悩み最初はどうしていいのか見当もつかず所謂〔ベトナム病〕に

罹患して行きました。誰でもが最初は罹るそうで若者は数ヶ月で治るそうですが・・

何せ若くはなかったから・・日本式で生きて来たから・・そのいい加減さやアバウト

的な考えや行動の全てに違和感があり自分自身を喪失しそうでしたねぇ・・うふふふ

今だから言える事です・・勝ち気で理屈に合わない事は信じられないし、色々なこと

を経験してきたとは言え、それは常識が通用する日本での事でここは外国です。その

事が何1つさえも理解出来ていなかったのが事実で有り現実でした・・(-"-)

頭の中は混乱して錯綜するし目の前に起きることは想像を超えた出来事ばかりでした

から・・神経が変になりそうでした。だから数ヶ月帰国したのですが、どうしても私

の中ではそう言う国民性だと判断できる迄には随分と時間がかかりました・・!(^^)!

でも、数年も住むとベトナム式常識が普通になって楽になって行きましたから慣れる

事の恐ろしさも馴らされることにも殆ど「どうでもいい」と言う傾向が私自身の裡で

芽吹き育っていきました・老いてから再来越した時は既にベトナム人化していた気が

しましたが・・あははははは

どういう暮らしをしても、どんな風に生きても時間は流れ生活は何処の国でも出来る

だけの傲慢さと図太さ、厚顔無恥で押し通す事も不遜さもそんな心境を考えないでも

生きられるだけの心は出来上がったと思えるのですが・・( ^)o(^ )

それでないと生きて来れなかった部分は大きかったのですが・・ふふふふふ

今朝も冷え込んでいました。低いけれど山に囲まれているせいでしょうか?寒い冬に

なる予感がしている浪速の今朝の天気です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(1) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/12(Mon)
間断なく降り続き雨は時として止むのを忘れたように激しくなったり・・肩すかし

のように休養を取ってそれでも終日は雨降りでした。夕方には雷神の怒りもあって

なお豪雨が続く時間帯もありました・・(-"-)

うすら寒く暖房を点けては消すを繰り返し、ペットボトルのカバーを作っていた。

でも直ぐに出来上がり、時代小説を読み始めたら面白くなって午後からは電気を点灯

しながら夕ご飯前には読破してしまった・・( ^^) もう、読む本がなくなってしまい

明日お天気なら、本やへ行こうと決めていました・・ふふふふふ

カンボジアに住んでいる息子からヴェトナムニュースが届き面白かったのでお知らせ

します。ベトナム人の大袈裟にいえば気質や性格、未だ旅慣れしていないという意味

も含めて読んで頂けると幸せです!

※海外でベトナム人を見分ける方法・・<ベトナムニュースより>

◎ビュッフェに殺到???

ネットの投稿記事でベトナム旅行者の様子が発信されて話題となったそうです。席の

選び方とか、車への荷物を積み込む姿で旅行ガイドが「あーベトナム人だ」と見分け

がつくそうです。家族旅行や職場の団体旅行である場合を除き高齢者や女性、子供に

席を譲ることは殆どなくそんな時代は終わっていると言われています。 尤もらしい

言い訳に妻や子供の隣の席に座らなければならないという理由をつける様で、高齢者

などは構わなく後ろの席に追いやられるのが現況だと書いてありました・・(-.-)

道中、車内は騒々しく声だかに喋るし、唾を吐いたり、車内にゴミを捨てる人も多く

窓から道路へ投げ捨てる人も大勢いるようです。飛行機に乗ればまだ完全に停止して

いないのに立ち上がりわれ先に荷物を取り出したり先を争って出ようとするらしい!

知り合いや友人の名前を大声で呼び合ったり、慌てて携帯の電源を入れるのも彼らが

持つ性格だそうで・・(-.-) 見ていて判ると言います・・うふふふふ

機内から出た途端に譲り合って歩くのではなく皆を押しのけてバスに乗り込む人も

それらしい。ホテルに到着してからは受付に群がり、部屋の交換をガイドに求める

タイプも多く、チェックインすると部屋でも廊下でもエレベーターの中でも大きな

声で喋繰る様で羞恥心の無さをふんだんに発揮するのもベトナム人だと言います。

そしてチェックアウトするまでそれが続くそうで・・ホテル内の人には迷惑な客で

有るとも言われています・・(-_-メ)

部屋の中はゴミでいっぱいになり、冷蔵庫は満杯状態。何の躊躇いもなくホテル内

のタオルで靴を拭き、上等のタオル類は持ち帰る人が多く、枚数が不足していると

言ってはホテルの責任にすると言う。

旅行の真の価値や目的は観光なのだがこの点でベトナム人は最低の感覚だそうです!

外国人はガイドの説明を聞いたり一緒の行動をするのが普通なのだが・・ベトナム

人に限っては勝手に動き回り写真大好き国民だから・・写真に夢中になり右往左往

してお喋りに時間を費やす身勝手が目に余ると言われています。買物も好きだから

時間内に決められなくずるずると時間をオーバーするのも彼らだそうです。

これが高学歴で、富裕層で見識もある上級階級の人だというから恐れ入ってしまい

ます・・理解できない行動をするのがベトナム人だとも言われているとか?

また、ベトナム人の旅行客の最悪なところは凄く欲張りなことだとも・・(/_;)

ツアーのプログラムを選ぶ時からその事が解るそうで、観光地が多く、食事の安さ

観光時間の長さ、料金が安価であることが条件だそうです・・><

ホテル内の毎朝のビュッフェはベトナム人の欲張りがこれでもかと言わんばかりに

見てとれる場所であり、出来るだけ人より多くの品数を取る人が多いと言います!

これには驚いたのですが・・その場でつまみ食いする人もかなり居るそうです。

ベトナムニュースが伝えた{笑い話}のような記事ですが・・私も1週間バス旅行の

ツアー経験があリます。その時を思い出して・・さもあらんとそう感じました。

その猛烈な騒動やお喋りに閉口したしその図太さやホテル内での文句が多く、食事

に対する貪欲さには吃驚仰天したものです・・(@_@;)

しかし個人的感想ですが・・ずっと戦争後大変な思いで成長をしてきた国民です。

漸くバスにしろ、飛行機にしても旅行に行ける時代が来たのは未だ浅く外国人との

接触も大抵の人がない現実ですから・・仕方ない部分はあるのではないかと思えて

この記事は正に本当の話ですが(私が感じた事も同様ですから)何処か憎めないと

言いますか?天真爛漫で悪気はなく物を知らない常識がないということの現れでは

ないかと思えるのです。国内旅行が本当に盛んになって来たのがごく最近です。

まして、海外へ出かけられる富裕層で有っても成金の人が多く、知識人であっても

知らない部分が多々あるのがベトナム人だと思います・・(#^.^#)

今だに女性の海外旅行は殆どきちんとした理由や外国人と結婚しているとか往復の

旅行代金を支払えるだけの相手が国外にいる場合〔招聘する金銭的余裕が必要〕で

中々許可が下りないのが現実問題です。ですから海外旅行出来る人が騒いだりする

事も未だ大抵の人が慣れていない部分が多分にある事も知って頂きたいと思います。

それでも国際社会になリ国民が豊かになればこれからもっと沢山の人が海外旅行へ

出かける機会が増えると思いますが・・未だその辺りは発展途上だといえるのでは

ないでしょうか?

正直、羞恥心がないのはベトナム人だけではなく中国人も韓国人も同様に思います。

住んでみて初めて解ったことですが・・!(^^)! ツアーでの旅行はもう2度と行き

たいとは思いませんが・・ベトナム人にとっては【今度行く】がないから今のこの

旅行が最高に楽しくなければならない部分があるのです。遊び慣れているのは国内

だけが多いから未知と無恥の場合が多いのだと思います・・あははははは

若い世代になればきっとこんな事も段々と変化して行く事と思っています。

昨夜来の雨上がりで気温も低く、ゴミ出しにでたら冷えていました浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/11(Sun)
朝曇りで暗さが一層増した感じでしたが・・段々と晴れ間も時々は見せてくれ弱光

が午後からはずっと続いていました。娘からベッドカバーを来越する前に編んだ物

を数枚預けていたことをすっかり忘れていたのが届きました・・(#^.^#)

本当にあんな大きなものを何枚編んだのか理解できないほど人に差し上げてきた筈

既に預けたことすら記憶になかった・・娘と話していて「客様に何回か使用したが

送ろうか?」と言われ・・届いたら3枚。カーペットも入っていた・・(@_@。

白柴の老犬を飼っているので、犬の毛や匂いが付いていて・・早速干した。そして

消臭剤のスプレーと粘着テープを買いに行きそれで夕方になってから少しづつ取り

ま、1度くらいでは匂いは消えないとは思ったのですが、一応放置する場所もなく

クローゼットを片づけ入れたらもう晩ご飯の時間を過ぎていた・・(-"-)

※ヴェトナムに住んで2ヶ月留守にした時には・・

ビルに1人住んでいた時期の話ですが・・戻ってくると家の中は埃が物凄く砂等も

入っていて、台所にはゴキが這いまわった後が無数にあり、臭気が酷かった!

先ず荷物を置き迎えに来てくれた嫁にお土産を渡し帰った後、即効大掃除を開始

した。何時もは荷物の整理を先にするのが常なのですが・・余りにも酷く愕然と

しながら《家を空けることがこんなに荒れるものかとは想像もつかず、何度も水

と洗剤を取り換えて、2Fから1Fまでモップで拭いてその後は手で雑巾がけをする

という羽目になった》・・汗が体中から吹き出し流れた・・(-_-メ)

締めきっていたからクーラーも中々効果が出なくて・・汗が目に入って痛いほど

の状態でした。道路沿いに立っているビルだからベランダから砂が毎日舞い上が

って入ってくる状況の家で、もう2時間びっしり動き回って漸く少し歩ける様に

なった・・(#^.^#)ざらざらで数mm位は埃が溜っていたと思います・・(/_;)

後は明日に回して・・と考え晩ご飯の準備をしようと思いお米を出したら「何と

ちゃんとしっかり蓋をして中身もビニールに包み何重にも紙で巻いたあったのに

蓋を開けた途端に凄い勢いで数え切れない程の”蟻”が這いだしてきたのです」

身体全体に鳥肌が立って・・「またやられたというショック」でもう完全に落ち

込んでしまった・・!(^^)!

以前にも書いたのですが・・お米に中に”蟻”が入って新聞紙を広げ取り除いた

経験があって・・><    ”蟻”には恐怖が付き纏っているのです。

気持ちが悪いから勿体ないとは思ったがその”蟻”の数が凄かったから2㌔のお米

を捨てることにしたのです。食べる物がないから、近くのスーパーへ行き、お米を

買って来て暫くして晩ご飯になった・・(;一_一)勿論、台所は使用不可能だから

持ち帰って来た佃煮やスープを買ってきて済ませた!

 〔旅の疲れと掃除とショックで7時にはベッドで爆睡していましたねぇ!〕

翌日は4時過ぎまで夜中1度も目覚めなかった。これから又、ここでの生活が1人

で始まるのだと思いながら・・昨日のあの慌しさ気持ちの悪さを思い出して、外

を見る余裕もなかった。洗濯、掃除を終え屋上に上がったら・・階段に砂利など

が溜っていて・・「やれやれ、家を空けることはこう言う事なのだ」を痛感しな

がら洗濯物を干し終えて、未だ薄暗かった屋上から下の氷やの工場や近くに住ん

でいた屋台の小母さんたちの家がすっかり壊されていて瓦礫の山になっている姿

が飛び込んできた・・もう本当に驚いた・・\(◎o◎)/!

ベトナムと言う国は今有った場所に翌日から人が変わっていたり、家を壊す事は

日常茶飯事で、その事は解っていたのですが・・2ヶ月の間に様変わりしている!

吃驚しました・・「皆何処へ行ったのかしら?」斜め前にあった家具やも全てが

半壊状態で家具も全てなくなっていた・・(@_@。その横に氷やの大きな四角氷が

山積されていました。そこから氷がバイクで運びだされていたので・・この区画

全部が破壊される事を知った・・新しくビルかMSでも出来るのかも知れない。

市場に行くと忘れないでいてくれた八百屋や、肉やがお愛想のように笑いかけて

「マダム!」と声をかけてくれる・・外国人は全て「マダム」だとずっと後にな

って知ったのですが・・あははははは  いい気分でいたのに・・(-.-)

本当に2ヶ月も経ったことを実感しました。1Fの台所ではゴキとの闘いが待って

いて・・それはそれは凄い臭いでした。漂白剤は台所用等ないから掃除用を使用

して、もう半分位使い切った・・(@_@;)窓も玄関も全て開け放ち掃除したのだ

が気分が悪くなるほど強い洗剤でした・・;><;

ブラシの付いた柄の長い物で水を流しながら・・その臭気と汚れを落としました。

鍋もフライパンも全て洗って、屋上に持って行き太陽に当ててやっと安心した次第

で使用できました。『雨季』でなくて良かったと何度も思った・・暑かったです!

毎日36度以上はありましたから・・(^^ゞしかし、窓を開けておくと誰でも入って

来るので、1Fが乾くまで暫く本を読んで玄関を開放していました。外に出していた

ブラシ付きのモップを乾かしていたら・・いつの間にかなくなっていました。

誰かが持って行ったのでしょう・・とにかく自他の区別のない国ですし何処でも何

でも勝手に持って行き使うから驚いてしまう・・暫くしてそろそろお昼の準備ごろ

だからと思い、玄関を閉めようとすると・・何処から来たのか男の人がブラシ付き

モップを置きにきた。何処で使ったのか凄く汚れていてこれもまた驚いた経験!

仕方なくもう1度洗い直して今度は屋上に干した・・うふふふふ

もう、盗られたと思っていたから・・諦めて買わねばならないと思っていたのです。

未だこの国はゆったりとした時間が流れていて国策に懸命な時期だったから。 人々

の生活も貧しく、今の時代とは違ったまったりとした人間の心があったのですが・・

それだけに切磋琢磨して生きている感じは充分あり、人間は温かかった気がします。

あれからもう数年が経って・・今は現代的な高層ビルや大型店舗など沢山の小売店

が吸収されて次々と大変貌して行く時代になりました。

もう、後進国と言うレッテルは殆どの人から消えているのではないでしょうか?勿論

格差は都会と田舎では雲泥の差が有りますが、どこの家にも冷蔵庫もTVも携帯も大切

なバイクを持っているのが普通になって来ています。

若者の多い国だからその浸透は早く連いていけない老人だけが田舎暮らしをしている

のが現在の生活ではないでしょうか?子供は都会に出て働き、仕送りをするのが当然

なのですが・・余りにも多くの若者が都会に来たため就職できない人々が多く、新築

の工事現場で働く10代のそれも15歳前後の子供が多く、工事現場で親方から日当を貰

っている姿を何度も見ている現実です。でもそれも出来ない若者も多く居て・・終日

遊んでいたり道端に座ってお喋りしている若者も本当に大勢います。

近代国家になりつつある社会であり国ですが・・未だ未開発な部分も多く就職難を国

は抱えています・・日本も変わりはない様ですが・・日本ほど陰湿ではないのが国柄

だと思います。持っている人は必ずと言っていいほどその子供や若者に食事を与える

し、店を手伝わせたり、親族の世話になるなど食べる事には不自由はしていない場合

が多く、暢気だし陽気で働けるようになったら返すという事が自然と身についている

国民性でもあり奢られる事も持っている人に集る事に罪悪感は全くないと言えます。

雨の日曜日です。薄暗くしとしとと先程から降り出した浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/10(Sat)
玄関を開けたら、道路にお巡りさんが5人もいて女性が1人、自転車の傍に立ち何か

を説明している様子・・吃驚しました。洗濯を干しながら聞こえる言葉では、どうも

盗難に遭った自転車を見つけ警察に連絡した様で、前の駐車場の金網に針金で何重に

も巻いて停めてあったらしい・・(@_@。そんなに沢山の警官が来るような事ではない

と思いつつ干していた。事情聴取をされている様子・・干している間にそれも終わり

玄関を掃き拭き掃除が終わったころには全員が引き上げて行った・・(/_;)

ま、彼女にしたら良かったのでしょうが・・凄く大仰に思えて今朝は驚きました!

※ベトナムの騒音

4年前に再来越した時はとにかく車の台数が凄い勢いで増加している事に驚愕した!

初めて行った頃はバイクが大半でそれも1家に1台と言う貴重な物で部屋の中に入れる

のが当然で庭や玄関先に置いておくと盗まれる事が多く、どんなに狭い部屋でも中迄

入れるのが普通でした・・親族からやあちこちからも借金して購入した高級なバイク

だから・・それは当然でした。しかし、今回住んでみてバイクの数も猛烈に増え車も

多くなって騒音が以前よりも、もっと激しく感じました・・(・_・;)

ベトナムの国道はかなり整備されて交差状態の道路が幾つも出来ていて・・下だけの

道路ではなくなっていましたが・・高速にはお金が必要でどうしても下の古い国道を

使用する頻度が多い。国道はぼこぼこで毎年何処かは工事しているのだが・・とに角

日本の道路のさまではなく酷く傷んでいるのが事実です。そこをバイク、車、自転車

バス、シクロ、トラックが雑多に走っているものだから・・その通過音だけでも物凄

い騒音を発生させます・・(@_@。特にラッシュ時間帯は激烈です!

今回はバスレーンが設けてありましたが・・そんな事お構いなしで走っています・・

車やバスは目の前のバイクが邪魔で仕方なく、バイクの中を突きっ切る様に凄い音の

クラクションを鳴らしまるで『そこ除け!』と言っているみたいに頑張って走るから

もう凄く煩いしバスなどはクラクションの音がずーと長く威嚇するように鳴り響いて

走るぬけるのです・・(@_@;)

バイク連はま、想像もできないと思いますが・・自分中心の国です。自分さえ良けれ

いいから自分の行きたい方向に流れに逆らい途中で急停車したり、Uターンやバック

も平気でしますし路地から突然バイクがでてくる事など当たり前なのです・・(@_@。

皆が同じ方向を走っているのではないから、歩く人はその道路を渡る事に異常な恐怖

心があります。信号など有って無いのも同然だから・・もっとも今回行ってあちこち

の角に交通指導の公安が立っていたり誘導している姿を中心部では見かけたのですが

彼らがいないところではもう何時もと同じで目茶苦茶な国道も未だ未だ多く、道路を

渡る迄神経を張りつめ気が許せない・・!(^^)!

最も時速は然程出していないから余程でないと怪我はしないのですが・・集団の様に

塊で向って来るバイクを目の前にすると矢張り尻ごみする感覚が拭えない・・(^_^;)

何度もぶつかった経験があります。信号だからと思って渡っていても何処からバイク

が出てくるのか判断出来ず結構緊張します。それは住んでいた間は決して消えなくて

車の流れが少し緩慢になった時まで待ってと思い渡っていました。

決して日本の様に走らないでゆっくり歩いていると相手のバイクが除けて通過すると

いう感覚です。ぶつかっても怪我をする事は先ず無いのですが・・凄く嫌な顔をされ

たり、怒鳴られたりは何度もありました・・><

青い痣ができたり、少し痛みが残った事はありましたが・・ま、歩くのに適した国で

無いことだけは事実です。バイク同士の衝突は何回見たか数えられません。それでも

人間の怪我よりバイクが大事だから先ず1番先にバイクの異常を確認する事から始まり

殆どはその場で示談にして、何もなかったように走り去るのが通常です。余程の事が

ない限りパトカーの登場はなく、血を流していてもお金で解決しているようです。

ベトナム人は普通の話でも声が高いのに・・事故などになるともうそれは金切り声を

上げて女性でも怒鳴り散らします。場所を空けて、道路沿いに引っ張って行くという

考えは殆どなくてその場で喧嘩をしています。これが又若い女性相手だったり年寄り

が事故っていると周囲のバイクは停まり、女性や老人に加担して多くの人が口出しを

する姿を幾度も見ました。これも日本では考えられない事だと思います・・( ^^)

お国柄と言うのでしょうねぇ・・{相手が一方的に悪いという反応を必ず見せる国民

でましてや美人だと数人でバイクを起こしてあげたり、自分のバイクを停めてでも話

に入ってくる人が多いです}・・うふふふふ

ベトナム人は女性には凄く親切ですし、老人にも敬意を払ってくれます。2,3人が集

うとその声とお喋りで姦しい状態になります。親切なのかお節介なのか?その両方だ

と思いますが・・面白く陽気な国民気質です・・(#^.^#)

騒音では現在はバイクにリヤカーを付けて地声が売っている人が多くなりましたが昔

は天秤棒を担いだ小母さんの声が流れていました。自転車で物売りをする人も増加し

ていましたし、絶えず人の集まる場所へ移動しながら大声で売っています。又、音楽

をボリュームいっぱいに掛けながら通過する物売りもいるし、アイスクリームや、鉦

を叩いてフォーの屋台まで案内する子供等もいる。家庭で体重や背の高さを測る事は

無いから測定する道具を積んだリヤカー等は音楽を鳴らしながら通る。

最初はその長い物がネオンの様にパッパッと真赤に上まで上がっていく事が不思議で

したが身長を測る器具だと知って驚いた事がありました。日本には全く無いし考える

事も出来なかった・・ははははは  この国ではそれが商売になっているのです!

未だ未だ巷には音が溢れていて・・街中は活気があります。市場などはその典型的な

掛け声に誘われてしまいます・・あははははは

興味が惹かれた事に自動車がバックする時の音は日本では現在は《声の誘導》もあり

「バックします!」とか言いますね・・音に関しては「ピーピー」が普通に思います

が、ベトナムに関しては何でもありですから・・(@_@;) それにはかなり仰天して

大笑いをした経験があります。例えば《ジングルベル》《ハッピーバースディ》とか

でバックして来るのです。 ま、自由勝手ですが・・思わず笑ってしまう音楽に遭遇

する場面が多々あり驚きとその感性に吹き出したこともあります・・(*^。^*)

個々の家のドアーホーンにも様々な音があって・・ごく普通に考えて「ピンポーン」

「ブー」などを想像しますが・・この国では小鳥の鳴き声の様に「ピヨピヨ」とかも

あるから・・その国の持つ感覚に最初は驚きばかりでした・・\(◎o◎)/!

子供の甲高い声や犬の鳴き声、道路に荷物を落とす音、夫婦喧嘩の声や音、カラオケ

を自宅でする音などがもうそこらじゅうに鳴り響き賑やかで騒々しい国です。

それでも人間は慣れるもので夜なども音は氾濫していますが眠れるようになれるから

不思議な国でもあります。綺麗事を言う国ではないから住みやすいと思います。

さっきまで曇り空で肌寒さを感じていましたが雲が逃げ出したのか漸く太陽が出現し

明るくなってきた浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/09(Fri)
本当に、久しぶりに気温が上がり・・(*^^)vお布団やらベッドの上の物全てを干し

ました。部屋の中で首から背中にかけてストールを巻いている程の寒がりなのです

が・・昨日は外が気持ち良かったですよ・・\(~o~)/

数時間干して、さっぱりもうこれほど気温は上がらないだろうと思ったものでこの

時間を「逃してたまるか!」なんて思って・・あははははは

洗ったばかりのマットやレース編みから変えたテーブルマット、まな板、食器洗い

のスポンジまで干し夕方までフル回転させていました・・自分でも可笑しかった!

出たり入ったりを何度も繰り返しておりました・・うふふふふ

※ベトナム犬シロ

もう10年前に息子夫婦が飼っていた犬でベトナム犬がいました。彼女はバイリンガル

で日本語もベトナム語も理解できた・・(@_@。嫁がベトナム語で叱ると恨めしそうな

情けない眼をして、バツの悪そうな顔をしながら隅っこへ行く犬でした。また、私が

「お手!」「お座り」なんて日本語で話しても判る様でちゃんとその通りにする。

{多分、餌をもらう時の約束事だとでも思っていたのかも知れない}・・ふふふふふ

生き物は罪がなくて、喋らないから可愛い・・(*^_^*)特に犬には思い入れが多く

好きな動物です。寂しい時などは慰めになるし、話し相手にもなる、悪戯盛りの子犬

だったから果敢なくじゃれてきて煩わしい時もあったが何となく心が通じて居る様な

気になっていたのです。或る日、嫁が体を崩して寝込む日があって3日程預かる事に

なりました。その頃シロはセ◎リが始まってあちこちにぽたぽた落して走っていた!

しかし、ベトナムの家は床がタイルだし、階段は石だったから後を追いかけて拭く位

で暇な私はそれも苦にならなかった。ただ、夜中に私のベッドで一緒に寝るので・・

そのように躾ていたのでしょう・・( ^^)

当たり前のようにベッドで寝るものだから・・夜だけ色々考えて(昔の事ですから)

その上ベトナムです。おむつなどなく仕方なく私の下着を付けさせていた・・(^^ゞ

人間それも巨大な代物です・・わははははは 直ぐにずり落ちて引き摺って歩くから

嫌なのだろうとは思っていたのですが、シーツや肌掛けを汚されるのは困ると思って

輪ゴムで大きい部分は止めて縛り何とか動かない様に出来たと安心していた!

最初はそんな経験が全くなかったようで噛んだりゴムを引き千切ったりしていたので

すが、私が叱るものだから諦めて傍で眠っていた・・(#^.^#)

所が暑くなったのでしょう・・床で眠ったり、玄関のコンクリートに寝そべっていて

主人の帰りを待っている様子なのです。1Fはコンクリートだった。あちこちおしっこ

をしていたので。水で流して未だ乾いていないところを歩くからドロドロになった!

それでも階段からずっと玄関を覗き帰ってくるのを待っている様子に怒れなくて哀れ

を感じて胸が痛かった・・><

殆ど私も眠れなくて・・心が辛かった。食事も美味しい骨肉やハム肉類などを食して

いたのでしょう・・(@_@。 私の様に野菜中心で肉など1片や2片しか入っていない

粗食には多分慣れていなかったのでしょう・・食事も肉やハムを食す程度で殆どを残

す有様でした。余り可哀想なので3日目の朝TELをして、迎えに来て貰う事にした・・

嫁が来たのはお昼過ぎだったのですが、鍵をかけてある玄関で「ピポピポ」と鳴った

音を聞いて猛烈な勢いで走りだし階段を駆け降りた。私は連いていけず鍵を開け様と

している私に「早くしろ!」と何度も吠えるのです。

嫁の顔を見た途端千切れるほどに尾っぽを振り、私の存在はそこで完全に消滅した!

玄関を開けると嫁の腕に飛び込んで顔を舐めまくり彼女の側をうろうろして吠える。

早くバイクに乗って帰ろうという合図をしきりにするので・・嫁と話す時間もなくて

バイクに向かったらもう一目散にバイクに乗って待っている状態でした・・( ^^)

飼い主が誰かをちゃんと解っていて・・私は一時預かりの人だという事も知っている

感じでした。嫁がバイクに跨ると嫁の膝の上にちょこんと乗り、両手をハンドルの上

に載せて、何度も何度も嫁を急かしている・・その様子を見ていて胸が熱くなった!

子犬でさえ、飼い主が誰かを正確に把握し、どんなに可愛がっても敵わないのだとー

言う事を体験しました。去っていく姿を目で追いながら・・がっかりしたり、寂しさ

がフーッと押し寄せてこの数日のお守りは何だったのかしら?なんて考えていました。

孫でも可愛くて仕方ないけれど矢張り親と爺と婆とでは違う事を話でよく聞かされて

居たのですが犬でさえ・・こんな状態なのだから孫はもっと切ない気持になるのかも

知れないと・・思ったものです。幸か不幸かは解らないが・・孫には恵まれなかった

から・・その感覚は理解できないが・・多分こんな感情ではないかと今も思い出す!

汚れたシーツを洗いながら、大事に過ごした時間が一瞬で霧散したことに結構落ち込

んでおりました・・ははははは

孫の可愛さは責任感がない分可愛いとか言いますが・・こんな思いを何回も繰り返す

のだろうか?なんて想像しながら考えたものです。 生き物の可愛さは本当に愛着が

湧き心を情感を豊かにさせるものですが・・可愛いが故に責任を持って最期まで見守

る覚悟が必要だとその時感じていました。残念ながら嫁が蓄膿症を患って、犬の毛が

駄目だという事で友人宅にあげた話をずっと後になって聞いた時は・・凄く悲しくて

あんなに懐き主人を慕っていただけに嫁の辛さが解るだけに一言も言えなかった・・

何処に連れられて行ったのか何度も会いに行きたいと思っていたのですが・・(^_^;)

でも何よりも苦しく辛かった嫁の気持ちを思うと、何も言えないと思ったのです!

きっと大切にされていると信じている・・ベトナムの犬はバイクが大好きで子犬の

時から平気で乗せるし、主人の背中に両手で捕まっている大型犬も何度も見た経験

があり又、犬を籠の中に数匹入れて運んでいる姿も普通に見られシロの様に運転手

の膝の上に乗り、両手をハンドルに捉るのもよく見る光景でした・・(*^^)v

今日は早く起きれて5時過ぎから家事が出来たので早々と時が過ぎた浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/08(Thu)
何だか人が数人集まって騒いでいる中帰宅した。通りの直ぐ向い側で頻りに喋って

いる・・(-"-)「何か有ったのかしら?」と思いながら、出かけていた後始末をし

て、カーテンの不足分を買って来たのでそれを付け直すのに窓まで行ったのです。

「何とその人の家の前にある水道栓から水が凄い勢いで噴出している・・(@_@。」

真新しい家で、そんな事故がある様な家ではないのにかなりの量が道路まで流出し

ていた。それを見て騒いでいる様子みたいでした!

そこの小父さんは説明をしていたらしく数人が集まってきてかなりの人数になって

もう家からは見えない人出になった・・小1時間程したら、水道局の人が来たらしく

懸命に直していたが止ったみたいで・・静かになった・・!(^^)!

「何があったのか?どうしたのか?」さっぱり聞こえなかったが・・でも止まって

本当に良かった・・(#^.^#)それでも結構量が流れた様で道路は酷く濡れて、側溝

は音を立てて流れていた・・そんな事もあるのですねぇ・・(@_@;)

※ベトナムの学校風景とは・・

小学校迄は無料になって誰でもが通えるようになったのですが中学校も、高校生で

さえも親や親族の迎えが普通になっています。10年前に比較したら高校生は少なく

なってバイクで通学する子供が増えて、その後ろや前に3人乗りなどをして帰宅する

光景が多くなったが中学校までは特に小学校は必ず送迎しないと学校へは行けない

し、帰れないルールがあります。授業が終わる1時間程前から学校の近くの道路には

親や兄弟、親族の誰かが迎えに来るからその数は道路をはみ出し・・そして大声での

お喋りが延々と続くから・・学校の近くに住んでいた時は閉口しました・・(-_-)

外へ出れないのです。自分の子供が走って来るのを待っている。そしてバイクに乗せ

車での迎えもあって狭い道路は混雑を極め想像できない人がその時間帯を塞ぐのです。

それが毎日だから・・その時間に外出する事など考えられない状態になるのです!

子供の教育には本当に真剣で親は行けなかった時代だったせいでしょうか?最近は塾

も盛んで・・ここも送迎があります。警備員がいるので未だ塾の場合は人数も学校程

ではなかったのですが・・それはそれは賑やかでした・・(-_-メ)

高校生の純白のアオザイは北部ではアオザイは通用するがホーチミンではアオヤイと

言います。ベトナムの{象徴}でもあり、自転車やバイクに乗る時に真っ黒い長い髪

を片手でさっと掻きあげ、前と後ろにある長い裾のアオヤイを後ろ部分はお尻の下に

2つ折りにして座り、前は自転車やバイクでは運転するハンドルに掛けてサアッーと

慣れた手つきで跨って走っていく姿は何度見ても一興があります・・(#^.^#)

白いアオヤイは純白の物もありますが、殆どが地模様になっていてじっと見ると様々

の模様があって数枚を交互に来ているようです。生地は直ぐに乾くポリが多いみたい

その姿でバイクに乗ったり、自転車で数人が同乗して帰宅して行く姿は美しい雰囲気

を醸し、又、ベトナムにいることを確認したりをしたものです・・(*^。^*)

足が長く背筋がピンと伸び本当に姿勢が良い女性が多いのは不思議なくらいです・・

何でもない仕草なのに一寸摘まんでアオヤイを折ったり掛ける姿に女性らしさと優し

い心遣いを見せられ好きな風景でした・・(*^^)v

兄が妹を迎えにきて乗せて帰ったりするのもざらで日本では想像さえも出来ないこと

だと感心しながら思っておりました・・うふふふふ

※公共料金がコンビニで・・

最近のニュースですが今迄はどこに住んでいても、電気代、水道代、ケーブルTV代

ゴミ収集代金、管理費は必要でした。それは大家か管理会社が毎月集金に来ました。

サ-ビスアパートでも1軒家でもMSでも、どこでも同様に家賃と一緒に支払う方式で

した。ところが日系コンビニのMINISTOPで電話代、水道代、電気、ケーブルTV代の

支払ができる様になったそうです。凄い発展で驚きました・・\(◎o◎)/!

大家や管理会社も自分から出向いて各々の会社まで支払いに行くのが常套手段だった

からです。支店などは無く郵便局などでは全く別作業だから必ずその会社まで支払い

に行くと言う方式でした。便利になったものです。

payooと言うインターネットを使用した支払システムがMINISTOPと繋がりオフライン

で支払ができる様になったそうです。ただし、payooとオフラインが繋がっている店

にだけ今は支払が可能だと言われています。MINISTOP CITYMART FOODCOMARTだけ

だそうですが・・( ^^) 一寸嬉しいニュースでした。

1軒家に住んでいた時に見知らぬ人が最初来たときは吃驚しましたが・・ゴミの収集

代の集金だった事を教えて貰ってからは安心して支払っていました。何でもどんな物

でも分別などしないで玄関に置いて置くと早朝(4時)に取りに来てくれました。

それは凄く有り難くて助かりました。夕方にも収集がありました。サービスアパート

やMSでは各階段に設置されているゴミ箱に入れると言う方法が取られていました。

未だ分別はしていませんが・・缶や瓶などは別に、又破損した危険物はバツ印を赤の

マジックで書いて出していたら・・凄く喜んでくれた記憶があります。

多分少しづつ変化して行くのだと思いますが・・(*^_^*)

今朝は少し冷え込んでいました。6時過ぎないと未だ暗くて朝の感覚が随分遅くなり

朝日も弱く力不足を感じる浪速です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/07(Wed)
*漸く書いた記事でしたが・・メンテナンス状態で全ての文章が消滅した!*

朝曉が眩しいほどの日差しがあって・・でも風が少し冷たい感じで吹いていました。

何時もならPCに懸命になっている時間帯でしたが・・今日は映画の日にしたら、何と

早く出かけなければならない状態の時間が開館で結局はPCは後回しで朝のラッシュ時

に出かけた。何年ぶりかの通勤通学の人々に交じって乗りました。人間観察ができる

と思い楽しみでしたが・大抵の人は朝の時間から指でスゥーと流す『スマホ』と言う

携帯に夢中で、音もなく座っている人は殆どが眠っていて疲れている様子でした。

面白そうな人もいなくただ押されるように吐き出され駅に到着してしまった・・(@_@。

割合早目に着いたので大丈夫と思っておりましたが既に何重にも列ができていて・・

余程、私の様な暇人が多いのかその上今日は女性ディで安価とかで女性と老夫人の多い

ことにびっくりしました・・(@_@;)

漸くチケットを購入したのですが30分も待たないで開場でした。先週から、随分と

〚番宣〛が行われていて・・興味もありましたし先日の映画館の宣伝にももしかして

楽しいものかも知れないとか?謎解きにかなりの期待がありました。

吉永小百合さんも随分TVに露出されていましたがその『北のカナリアたち』を観て来

ました。北海道をロケ地に選び冬の北の国の厳しい寒さや積雪、海風、吹雪などは長

い間住んでいた札幌で経験済みだから懐古の情にほだされておりました・・( ^^)

風景も景色も雪が中心で厳しい冬の雰囲気は心を暗くあの時代を彷彿させるものが

有ったのはきっと私位だったかも知れません。

作品は北海道の稚内や礼文島でロケをされたようで懐かしくその姿を背景を見つつ

鑑賞しました。湊 かなえさんの作で《往復書簡》の映画化だったようです。

監督は坂本順次さんで北海道の島に6人の子供達の担任として赴任してくる所から

話は始まります。6人の小学校時代が回想的に何度も出てきますが実際は20年経た

現代の6人の子供の成長と、各々抱えている心の問題を軸にしているようでした。

1人が殺人犯となり追われている現実に個々の昔の生徒が関わって行き、又過去に

自殺未遂事故があった事が絡んで謎を拡大させていきます。吉永さんが演じる先生

の主人役で珍しく柴田恭兵さんが出演されていて学者でありながら脳腫瘍を抱えて

後数ヶ月の生命との闘いも複線になっていて、子供の自殺未遂事故に関わり死んで

行く役柄を狂乱した姿と正常な感性との人格を演じておられました。

先生は子供達の中から声の良い子供を発見してコーラスをさせる事になり、独唱す

する子供への嫉妬や妬みも重なって自殺未遂事故になるのだが事実はそうではなく

その辺りがもう一工夫欲しかった感じでしたねぇ。

6人の出演者は夫々に役者としても名前の知られた人ばかりで、安心して鑑賞できま

したが・・淡々と話しが流れていくので・・想定外で、個人的には呆気無くて流され

ている感覚で少々興趣が削がれた気分でした。話の内容は殺人事件を起こした生徒と

20年と言う歳月での再会は子供達を大きく変貌させていたが、様々な境遇と相まって

お互いが胸に《一物》を持つような動きがあって・・夫々に演技者は達者に役をこな

し、見事なほど人物的には素晴らしい仕上がりだと思いました。

コーラスに出演する、独唱するという子供なりの心のあり方は大人にも相通じて何

となく、心が騒いだ気分がしましたが・・(-"-)

人間社会の嫌味をサラッと流している感覚でした。1人1人の演技が素直と言います

か自然で、違和感なく楽しめました。映画は娯楽ですからそれでいいのでしょうが

只、私は個人的感想ですが・・もっと深い意味があったり隠匿された謎があるので

はないかと心待ちにしていた部分があって少し物足りなさを感じました・・(^_^;)

映画の感想を書くとき何時も私は「何が言いたいのか?何を伝えたい?」を考えて

観るタイプの人だから・・余りにもスムーズに拘りがあってもそれは時の迅速さと

切っ掛けを作っている部分を放出させない演出なのかと穿った見方をしたのです。

時に人は映画や人生の中でももっとドロドロしてどうしようもない場面に遭遇する事

があるものです・・><それがたおやかに流動してしまう事に多少の心構えが違う様

な気がした映画でした。台詞には「今出来ることは今する!後悔をしないために」

「男は結果を恐れてはいけない」「決して死ぬな!生きろ!」と言う言葉が心を惹き

ますが・・現実の人間社会の中でどれだけこの言葉が実際に通用するのだろうか?

最後の場面では泣いている人も多くいましたが・・申し訳ないけれど然程感情的には

なれなかったのは私の性格の歪みでしょうか?もっと私的には謎が深く難解でそれを

解きほぐす話を勝手に想像していたからかも知れません。映画は楽しく趣味で見る物

素敵な人達の爽やかで至極普通な演技が光っていましたから・・楽しめると思います。

夜に書くなんて初めての経験をした浪速の1日でした。
この記事のURL | 日記 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/06(Tue)
昨夜からじっとりと降っては止む雨催いでしたが、今朝は部屋の中まで青白い閃光

が何度も走りその後は轟音の雷鳴が何回か鳴りました。丁度起きる時間だったので

暫し迷っていたのですが・・起きても洗濯はできないし掃除も空拭きで済まそうと

思い、ベッドの中で30分じっとしていた。近辺で落ちたのかも知れない大きな雷鳴

が2回有って、それからは激しい雨音が続いていましたが1時間もすると雨音も響く

事なく、小降りになりました・・( ^^)

救急車が数台走っていきましたが「何処かに落ちたのか?老人の病気かしら?」等

と考えていたが思い切って起きだし朝の家事をこなしていると、雨は上がった様子。

霜月に入り急に寒さが加わって懐炉等も購入しました・・(@_@。・・うふふふふ

マスクをかけている人が増えた気がします。まだ空は真っ黒の雲が垂れ下がり雨を

含んでいる様ですが・・段々と晴れてくる予感の空模様です。

※ベトナムニュースから

◎HOA LAN SHANGRI-LA

ホーチミン市内ビンタン地区と言う場所にCity international Hospitalと言う

大きな医療施設が建設2013年に開業する予定だと言われています。ホーチミン市内

ですが少し中心部から離れているのですが・・それでも場所的には市内ですし発展

するであろうと思われる地区です。 そこにCity innternational Hospitalが

出来る事は今までの医療とは想像も出来ない先端を行く医療システムになっている

と大きな期待が寄せられています・・(#^.^#)

病院はInternational Hi-Tech Healthcare Park内に313床を持つと言われその

運営にはPPL(parking pantai limited)が行うと言います。最先端の医療技術と

して注目を浴びています。手術室が20もある様で集中治療室を持った大規模な施設

の完成が待たれている。治療プログラムは殆どの専門医がいて産婦人科、一般外科

内科、心臓病科、耳鼻咽喉科、眼科、消化器学科、血液学科があるようです。

ベトナム初一流の医師とinternationalヘルスケア施設の併設で6つの病院、研究

所、メディカルスィート={患者に診療サービスを提供するための施設}も設けら

ているという話です。また敷地内にはスタッフの住居、医療展示センター、学校や

ショッピングモール、サービスアパート、クラブヘルスの運営もするという計画が

あると言う。 これは近年にない大きな事業でベトナムの発展と経済効果が如実に

表れ、病人が沢山救われる事を思うと感慨深いものがあります・・(@_@;)

ホーチミンには仏越病院があって、外国人は大抵そこへ行っていたようです。また

日本人の医師も1人はいた様ですが?殆どは英語の会話で保険がないから凄く高価

だと言われていました・・!(^^)!

息子は何度か行った様ですが私は1度も行かないで済んだ事が有り難かったです。

ベトナム人は子供に関してはお金を惜しみなく使用するため子供病院が道路まで人

が溢れ何時通ってもバイクの行列、車の道路上の駐車で人を除けながら通らねばなら

ないほど子供病院は混んでいました。今度出来る施設はどんな環境でどんな治療が受

けられるのか興味が凄くあります。尤も外国人だから変化はないかも知れません!

大抵のベトナム人は昔からのベトナム漢方をよく知っていて、又、薬局で病気は治す

と言うやり方が大半を占めています。子供には病院へ通わせますが、成長すると殆ど

は薬局で治すのが自然であり、怪我以外や重病以外は病院の世話にならない国民です。

入院しているとかは先ず聞いた事がありませんでした・・(-"-)

日本人の様に何処にでも病院がある訳ではないから仕方ない部分もありますが。元来

食事が健康食で太った人は少なく、食べても飲んでも野菜や香草の種類は豊富だから

でしょうか?健康な人が多い気がしていました。病院の待合所が老人の井戸端会議で

有る事などベトナム人には想像も出来ないと思います・・あははははは

その上、ベトナムの薬は強力だから日本人が飲むと1度に効果が上がると言われて

いました。私もたった1度きりですが風邪をひいて熱が出た時は大騒ぎして、家族が

薬やへ行ってくれ数日分の解熱剤や後は何の薬かは解らなかったけれど錠剤を飲んだ

ら1日で完全に治った経験があります。

ベトナムの薬は言われていた通り強烈に効果があるのだと理解できました。

初めてのベトナムの薬でしたが凄い効き目がありましたねぇ・・\(◎o◎)/!した。

雀が激しく鳴き出して、雨がすっかり上がり、弱い日差しが雲間から差し込んできた

浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ベトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/05(Mon)
時々立ち止まって自分の後ろを振り返ってみたい衝動に駆られる時ってないかしら?

若いころは色々な事が楽しく目の前で 繰り広げられる舞台に振り回されて自分自身

を考えたり振り返ったりする時間など全くなく・・子供や家庭を守ること、日々生活

が楽しく家庭内が円満であることだけに集中して生きてきた帰来があります。

しかし私の場合は中途でその生活が切断されてしまった。こればかりはどうにも出来

無い大きな舞台の豹変であり、急展開してしまった・・(-_-メ)

今だから話せることですが・・力強く平然として、子供を支えなければなんて思って

居た筈が本当は子供達の方が正確に受け止めて現実を見ていたのです。私は心の中で

遺された宝をただ愛しく守護しながら精一杯の{気持ち}だけだった様に思います!

もう、成人していた2人は各々の道を歩き始めていたのに、何時までも私はそこから

脱出できないで引き摺って生きてきた気がします・・(-"-)

何時も書きますが本当に鈍感で自分をさも不幸のどん底にいるかの様に心を閉ざして

子供だけに目を向けた生活を長い間送っていた感じがします。子供ではなく私の方が

ずっとそこから成長しないでいたのです・・亡夫に対する哀惜を人前で話せるように

なるまでに13年も掛ってしまった・・「うーん!これはかなりの時間でした」

漸く振り向く事も出来て、子供達はそれぞれの伴侶を得て生活は独立し、別の暮らし

が始まっているのに・・何時迄も私は元の位置にいて子供達を見ては口を出したり手

を差し伸べたり大甘の馬鹿親を演じていました。その事に気が付いていたとは思うの

ですが・・何か責任感の様なものに支配されていて・・何時も甘やかせて愛情過多で

あったようです。多分、暇な部分と余裕があったからかも知れません。大方の人なら

巣立った子供から離れていくのが普通だし、老後も考えて経済的にも様々に考慮する

時期を私は完全に逸脱し軌道を外して生きて来たのです・・><

ふと気が付くと後には蜘蛛の糸の梯子がところどころに朧気な灯りを点灯させて見え

それはか細く幽かな光となって順番に消滅を繰り返している様に感じましたねぇ!!

風雪に荒んで破壊されている箇所が何ヵ所もあり、光が今にも消滅する箇所等もあり

それを前に進むだけしか階段を昇るだけしか出来ない。ましてや後戻りなどは決して

出来ないのに微妙に震える心を振り絞って振り返って見ている自分自身がいる様です。

少しずつ曖昧になって行く蜘蛛の梯子。今にも消えてしまいそうな梯子を登ることで

しか自分を見ることができない。消えていく様子を眺めるだけの自分に急かされては

上の階段を上っている姿は不思議と恐怖感はないのですが心の裡にはびっしりと沈澱

している【過去の思い出、記憶】がはかなくもかなりの速度で霧散されて行くさまが

見える時があります。人生に対する大袈裟な意味ではなく個人的感傷の中にある部分

がポトリと落下して行くのです。そこから下には靄が掛ったようにぼんやりとして何

も見えず「返って来てよ!」なんて叫びたい心が揺れ惑うのです・・うふふふふ

「もう、取り返しがつかない時間なのだから・・」その事は把握できているのにです。

偶に振り返ってみたい心内が激しくなって・・同様の感想や光景に遭遇する事を何度

も繰り返し人生の舞台裏が完全と喪失して行く過程をか弱い胸内で数を数えている様

なそんな時が流れる日があります。それは恥ずることではないと思っているのですが

湖に残された苫舟のように別れの湖畔に闇が忍び寄る感覚に似ています・・(-.-)

何時果てるやも知れないこの身だとは理解できている積り・・しかし何処かで楽土を

探している様は羞恥心も生まれてきます。漆黒の闇の中を絶えず模索している感覚で

は無くもっと明るく振り注ぐ陽光に身体を委ねている感情もあって、自分の影を真下

に見ながら愚かさを必死で庇っているという状況でしょうか?・・ふふふふふ

夢を語らい目標があった若い時代は既に通過して何かに追われては消えてしまう・・

数えきれない年月の中を過ごした自負がぽろぽろと滑落して行く気分でしょうか?

躊躇いながら置き去りにされた記憶を果てしない海に攫われて行く感じが拭えない

そんな日もあります。行き先が見えない分、自分の力も見出せないまま心を秘匿し

ながら生命の繋ぎに時を刻んでいる節があります・・( 一一)

消えてしまいそうなたった1つしかない心の火に運命を感じて手繰り寄せているよう

な時を奏でています。天候によっても左右される気がして・・雷光が走る様に地鳴り

の吹雪が容赦なく叩きつけていた頃はもっと自分自身に傲慢さがあって世の中なんて

こんなものなんて・・見えない明日に向かって生きていた気がするのですが・・今は

雨も風も暑さも寒さも霞んで消えていく瞬間が迅速になった気配を感じます。

遺された時間は金木犀が地面に星型を撒き散らしている様に塵積り薄汚く身を寄せ

合い最期の瞬間に薄く急かされるごとく香りをほのかに残している姿は同一の様に

迫ってくる。老いるとは急かされ焦燥感に苛まれ、全身で水飛沫を浴びる様なもの!

この先の梯子を押されて仕方なく登るそんな気がしています・・あははははは

「どのように生きるのか?どの様に死を迎えるか?」なんて誰にも分らないから尚

心がざわめき浅薄な思考の中を往来する意識の中に<記憶が落下し薄れてゆく姿>

は時には放心状態に陥る時もありますが・・先の事を考えても回答なんて出せない

のだからと・・何時だってそこへ到達してしまうのがオチみたいです。結局は何の

変化もそれ程の誤差もなくて、沈黙とため息吐息がざわざわと騒いでいるだけ・・

自分自身の残像を見ている様なものでその瞬間は終了するのですが・・ははははは

ま、生きているからこんな瞬間もあったり考えるのだと思えるのですが、理性的に

達観できる利発さが欠落しているから成長が遅いのでしょうねぇ・・(・_・;)

珍しく4時過ぎに起きたものでベッドの中でそんな事を考えたのだと思います!

冷たい風がサァーと心の中を通過した浪速の朝です。
この記事のURL | 日記 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/04(Sun)
部屋の中の方が寒いという様で、外に出ると未だ陽光が温かさを授けてくれますが

少し雲の悪戯が過ぎるとサァーと冷たい風が身体を弄るように吹きつけるそんな日

でした。お天気は悪くなかったのですが・・セーターを洗ったのですが残念ながら

半乾き状態でストーブの前で乾かすという羽目になってしまった・・(-.-)

※今朝は嬉しいニュースがハノイ時事から届きました。PCにも掲載されていたので

ご存じの方も多いと思いますが記事を拾って書いてみます。

ベトナムにはベトナム国立音楽団=通称〔VNSO〕と言います。創設は1959年だと言

われていますがベトナム戦争の為に過大な損失を受け財政的にも人事的にも厳しい

影響を受け中々復活ができなかったそうです。それからも色々な事が重なって現在

の体制が整い活動を始めたのは1984年位だったようです。

ベトナムでは大抵の人が知ってるベトナム音楽会をリードする最大の存在だとも言

われています。演奏会も世界へ発信していると言います。コンサートマスターには

若い女性で彼女も有名です。その指揮者が日本人の本名徹次さんでアジアの演奏会

で来越してからベトナムが気に入った様で2001年から音楽アドバイザー兼指揮者と

して2009年からは首席指揮者になられた方です。私も実際には聞いた事も演奏会に

行く機会もなかったのですが、名前だけは本に掲載されたりしていて知っていたの

です。その彼が今回ベトナム文化・スポーツ観光省から文化功労賞を授与されたと

言う話が掲載されたニュースがありました。本当に素敵な事だと思い嬉しくて一寸

書きました・・(*^^)v

◎ベトナム人って・・{日本人との違いは感覚的なものだし各々人によって異なる

           から個人的な感想だと取って下さい}

①人前でも大声で話す
場所を構わず自分が必要なら辺りの迷惑など関係なしで叫ぶ人が多い。

②色白は美人の証拠
日本人はきめ細かい肌の人が多く、色白いからそれだけでも憧れの的になる、年齢
は問わないと私に対しては大方の人が言う・・うふふふふ

③自己主張が激しい
ま、とにかく自分の事だけはどんな時でも大事で、主張する事で自分を表現する。
異常なくらいの激高で決して間違いは認めない。

④親しき仲には全く礼儀はない
親しくなると家の中の何処でも開けてみることは当然の様にするし冷蔵庫から飲物
など出したり、勝手に服など着る場合も多々あります。

⑤他人との区別がない
親しくなくても他人感覚が乏しく目の前にあるものやその家にあるものなら黙って
使用する。例えばライターとか梯子、箒、大工道具など、見知らぬ人が突然入って
来て持って行き、又使った後は家の中に放り込むことなどザラです。

⑥家族が何よりも大切
婿や嫁は家族の中には入っていない。一応、公の場所では揃って出席するが大抵の
場合は家族中心で行動する。

⑦プライドが想像以上に高い
米国に負けなかった国としての誇りを強烈に持っていて、誰でもが吃驚するほどに
愛国心が強い。

⑧建前と本音は上手に使い分ける
これは日本人に似た感覚だと思いますが・・中々のもので・・心の中で思っている
事と口から飛び出す言葉にはかなりの隔たりがあります。商売をしている人はこの
様子を確実に見抜けないと酷い目に遭遇する。お金の持ち逃げとか勝手に辞める事
など平気。

⑨謝らない
どんなに自分が悪いと理解していても決して自分が悪いとかは思わない様で、先ず
決して謝ることはないし、1度も見たことはなくここでも自己主張が激しくなって
大喧嘩を見せつけられる。でも、言いたいことを言い尽くすと納得するみたい。

⑩時間に凄くルーズ
日本人には絶対と言いきれるほどいい加減で時間の感覚は酷過ぎる。約束していて
時間通りに来る事は先ず無い。普通30分から1時間位待たされる。当然で、こんな
時も自己弁護してうやむやにしてしまう。時間通りに来る事などは稀で・・日本人
には不愉快で堪らない人が多い。しかし、それも生活していると馴らされて行く。
当方もその時間に合わせるようになってくる・・ははははは
また、約束は有っても忘れるのか?いい加減で面倒なのか?自分の役に立つことや
慾に関しての約束事は結構守るが、それ以外は適当にすると言う面白い国民性だと
思います。

沢山あるので、またの機会に書きます。昨晩地震があった様で何度か揺れて、帰国

して初めてだったし真夜中に起こされたから眠れなくなった・・(-"-)

震度にすれば大したことは無かったのでしょうが驚いて目覚めたせいで・・今朝は

すっかり寝坊をしてしまった!洗濯掃除を終えたらすっかり外は明るくなっていて

日差し燦々の浪速の朝でした。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/03(Sat)
急に寒さを感じて、ストーブを買わねばと思い立った・・(-.-)前日出かけたので

毎日は流石にしんどいだろうと思い1駅の大型スーパーや家電店、薬局がある処へ

出かけました。ストーブなんて、札幌でもう嫌になる程種類も数も購入していた。

それも、あの時代は信じられないでしょうが・・(#^.^#)

その時期になると《灯油手当》と言う懐かしい言葉ですが《私が嫁ぐ前には石炭手当

と言っていたそうです》丸でボーナスの様な手当が1家に割り当てられるという特典

があり、それで灯油代金が支払うことが出来ました・・( ^^) それも10年位で終了

しましたが、当時はそのお金を目当てに沢山の漬物作りもしていました。白菜を20個

キャベツ10個とかを買って、鰊漬や粕漬け、大根も数10本買って干して漬けることも

ありました。若かったのだと思います。全く見知らぬ誰も知人のいない札幌へ若くし

て嫁いだから何も解らず、姑の嫌味に耐えながら・・あははははは、塩辛まで手作り

していました。もう、そんな事はごく当然でしたが、知らないことは冒険で図太くて

開き直っておりました・・子育ての間に作ったものです。9月になると長雨が続いて

日々寒さが募って行き、今ほど設備もよくなかったから・・それなりに気苦労はあり

ましたがそれも今は思い出と風化して・・(-.-)作り方さえ既に忘れてしまった!

当時は樽に5つ位は作っていたから随分頑張っていたのだと思います。今は想像さえ

出来ません・・うふふふふ鰊漬けの大根の中に氷が入っていて美味だった事を思い出

しております。地下まで取りに行く寒さを考えても苦痛ではなく美味しかったです!

※スーパーで笑った・・

国が違っても笑うところが同じなのはベトナムも同じです。それでも言葉のやりとり

がなくても不思議と笑う事ってその場を癒し優しくするものです。数年前のこと・・

近くに大きなデパートができ、その中にスーパーが入っていました。デパートの方は

警備員が入口に数人立っていた。又入った所に荷物を預けて、財布だけを持って店内

に入るスタイルのスーパーでした。デパートと言っても専門店が沢山入っている感じ

の店で、かなり値段も高くウインドゥショッピングには素敵でしたが、買い物をして

いる人は少なく殆どがスーパーへデパートの2Fにあって奥まった場所でしたがそこ

へ人の足は流れていました・・(*^_^*)

大方の新築スーパーではロッカー式で鍵が付いていて、ビニールの透明な袋を店内に

持ち歩く方法が取られていました。その店は係の女性が数人いて荷物を預かる方式で

客からの荷物に札をつけて半券を渡すという形式を取っていました。私はもはや既に

ベトナム人化していたものでお金も布袋に入れ、バッグなど何も持たないで何処でも

出かける人でした。帽子とサングラス、その時は果物を屋台で買ったのを持っていた。

それを女性に預けて紙を貰った。新しく出来た店だったので・・珍しくて私にしては

長めの買い物で時間も30分近くいたと思います。レジの精算を済ませ、おつりの小銭

はキャンディを8つ位貰い、荷物を預けてあるところへ行った・・ところが彼女の姿が

見えない。別の男性と女性が居て・・担当者ではないと開けて渡してくれない様子。

言葉が通じないから困って「誰か英語を話せる人はいないかしら?」と尋ねたら・・

ま、急いでいる訳でもないが・・トロトロして漸く連れて来てくれた女性に荷物の事

を話した。担当者が違うので開けられないという返事。何処に行ったのか?と聞いて

みたが多分食事だろうと言う。ここでどの位待てばいいのか?鍵の番号で解る筈だし

と思いながら・・この辺りから少し苛立って来ていました。別に腹が立った訳ではー

無いのだが、何時彼女は戻ってくるか解らないから待ってほしいと言われ・・(-"-)

仕方なく、見たくもない店を覗いていた。10分以上も待ったでしょうか?

そこに猛烈な勢いで走ってくる女性がいて・・口の中にいっぱいご飯を詰めたままの

状態で私の前に来た彼女・・(@_@。思わず私は笑ってしまいました・・(*^_^*)

ベトナム人の彼女も新店舗だし、自分でも客を待たせている事を同僚から聞いたのだ

と思いましたが・・何もご飯を口に中に入れたまま走って来なくても・・ははははは

彼女はやっとご飯を呑み込み、ハアハアしながら、私に紙を下さいという仕草をして

又走ってロッカーまで行き、荷物を大したものではないのに・・持って来てくれた。

何度も「すいません」と言う彼女に「私は大丈夫だけど貴女はOK?」ご飯はちゃんと

食べてねぇ・・とここら辺りはジェスチャーでしたが・・うふふふふ涙が滲んでいる

彼女をハグして「有難う」と言って帰った。彼女も笑っていた!

丁度、新人教育の途中だったのだと思います。そして、責任感を教えていた矢先の事

だったのでしょう・・(-_-)きっと私を待たせた事や、食事中に客が戻ってきたこと

に彼女の計算が入っていなかったのだと思います。ベトナム人の買い物は長いからー

単純に考えても食事する時間はあると思ったに違いない・・( ^)o(^ )

大した物ではなかったけれど、彼女にとっては大事件の様に感じたのでしょう。その

まま吹っ飛んできた感じがして・・可愛かった。マイペースのベトナム人にもこんな

人がいることが解って・・確かに待たされた事やイラッとしたのは事実{食事中なら

誰かに代わって貰う方法はないのかしら?}なんて帰り道考えていたがそう言う余裕

もなくそう言うシステムになっていたのだろうと思い驚きとともに少し嬉しかった。

日本とは違って客に迷惑を掛けることなんて何も考えない国民性です。自分がしなけ

ればならない仕事なら、客なんてそっちのけでカートを幾つも並べて通過できない様

な状態で座り込んで荷出し作業をしている姿はどこでも見かけた。

その列に欲しい物が有っても買えない日もあった。お喋りし出すと手も止り、携帯で

話す事は客より大事だから・・(@_@;)感覚が国民が違うのだからと思って我慢した

ことなど何度もありますが・・特に誰も文句など言わないのが普通です。

そんな中で彼女に出会えた事はほんのちっぽけな事でしたが、私の心も周囲の雰囲気

も明るく笑いを見せらせた事実に少し仕合せを感じたものです・・(*^_^*)

こんな些細な話でも気配りが出来ることに繋がりこれから先の接客に役立つと思って

いました。それからしょっちゅう出かけていましたが必ず彼女が担当してくれる様に

なったのも嬉しい出来事でした。時々口を利くようになって・・ベトナム語をほんの

少しだけ喋っても真剣に聞いてくれたり必死で理解しようとしてくれた女性の1人に

なって、地方から出てきているとか、家族が多いなどを話すようになった。そう言え

ばTシャツや短パンを数枚あげたリしたら凄く喜んでくれた事を思い出しました!

「どうしているかな?」とそんな事をふと思った浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/02(Fri)
映画を見に行った折、必ず宣伝されるビルがあって「気になっていた!」映画館を

通過してからのビルのようで、昨日はカーテンの生地を見たくて出かけて行った!

面白い店は結構安価でインド製品やメキシコ製等多国籍の店が並び、その中に所謂

100均の店もあり、全く今まで見たことのない商品の羅列が多く、珍しくてその店

と多国籍の店で時間を費やしてしまった・・(#^.^#)

特に欲しいものはなかったのだが・・珍しさと安さで数回使用して処分できる物を

何点か購入した。肝心の生地は、別の道路を隔てたビルにあると言われたのですが

教えて貰って行くには少し遠く、まして地下でうろうろしている人だから外に出た

ら尚方向が解らなくなりそうで今回は諦め、メキシコ店で売っていた変わった織物

数枚買ってカーテンに仕上げようと思った。所が5枚も買ったのに丈は充分にあった

のだが幅が想像以上に小さくて、1つの窓で4枚使用する事になった・・頭の中では

生地しか考えていないから・・こんな結果になるなど想像もしていなく「ありゃー

足りないじゃん」と思って・・がっかりした。でも、何とか手縫いで形になったが

「他の窓はどうしようか?」なんて愚かな買い物をしてしまった・・><:

本当に余り深く物事を考えないし、行き当たりばったりの性格に嫌気がさしている!

一応横に使用すれば何て考えていたのだが・・「やれやれ、こんな体たらくばかりを

している私です!たぶん、又違う場所で変わったものを買って代用すると思います」

{全く中途半端な事ばかりする人で・・あははははは どうしようもない}

大体人間がいい加減でその上どうでもいい国に暮らしていたから、増長されたのかも

知れませんが・・(^_^;)凡そ、余り考えないでベトナム生活は過ごしていたから何て

弁解しておりますが・・性格自体に問題があるのでしょうねぇ・・(-_-メ)

※ベトナムの朝はとっても早い・・

10年前初めてベトナムで生活した頃の話です。私も日本にいたときから早寝早起きの

人で大体、夏は4時過ぎ、冬は5時過ぎに起きていた。現在もそれは変化がないけれど

この国の人は本当に午前2時3時起きが通常でしたねぇ・・\(◎o◎)/!しました。

今でもこうやって生活している人も大勢いますが・・大体の店は6時開店で5時頃には

数人が起きて手伝うという流れに現在は変化していました。

その昔は私の家(6F建ての古いビル)に1人で住んでいたのですが・・最初は1Fに

旅行会社が入っていたり、私の入る前には家族が住んでいました。 所が旅行会社も

家族も出て行き誰もいなくなって・・結局は1人になった。

階段(石)を6Fまで上がって屋上に洗濯物を毎日干すのが凄く楽しくて・・階段を

1日数回往復していい運動をしていました。私は2F全部を1人占めにして住んでいた

のですが・・結構広くトイレも2つありシャワー室ありリビングと寝室は廊下を隔て

て行く程の広さがありました。他の空室も使用しても構わないと言われていたが・・

結局は2Fだけで生活した。天井が4㍍もあるから広くて快適でした・・(*^^)v

さて朝の話に戻りますがその頃は天秤棒担ぎの小母さんがわんさかいて、生活を支え

国がドイモイ政策と言う大きな事業を行っている最中でしたから・・凄く活気があり

毎日が若者や小母さんたちの声にも表情にも張り合いがあって、楽しそうで苦労なし

の生活がありました。再度来越したとき自分が住んでいたビルを見に行きましたがー

完全に壊されて、全く違うビルができていました。そこには食料品店が入ってた!

家の前は氷やの大きな土地で店もしていました。その横には筵を玄関に下げた入口の

家が数軒並んでいて、そこには、屋台や天秤棒担ぎの人々が住んでいました。

夜中2時には起きて大きな鍋に豆乳を煮る家があった。子供が小学校の高学年だった

と思いますがその子がよく手伝っていました。母親が七輪に火を熾し、鍋で煮ている

間つきっきりで吹き零れないように見ている姿は何時も心を揺らされていましたね!

でも、でき上がるとポリバケツに入れて、3個位を道路に並べ、小さなビニール袋に

出来たて熱々なのを小分けし、上手に入れて輪ゴムで縛り50個位も作って母親が並べ

ていた。それが大体出来上がるのが5時前位で、5時には大抵座って売っていました。

何回もバケツに一杯入れて母親の元に運んでいた娘はその後は母親が販売している間

大きな鍋を小さな手で何度も何度も洗って鍋を干し、七輪の火を消したり本当に驚き

の働き手でした。それが終わると母親の傍に来て近所の家の中に入って行って出来た

ばかりの豆乳を売りに行っていました。毎日同じことの繰り返しで全部売り切れたら

それで終わりの商売だった。勿論学校など行っていないから・・(-"-)学校にはお金

がかかったので殆どの子供は行かないで遊んでいました。その娘の下には2人も子供

がいたから彼女は背中に赤子を背負ってあやしたり面倒を見ている姿は毎日でした。

その隣には(バイン・ミー)と言う仏パンにハムや肉、野菜、香草を挟むパンやがい

て、彼女は5時半には道路際の屋台で売っていました。その頃は20円位でしたが今は

100円前後になっています。パンもその頃よりかは小さくなった気がしています。

そこには子供がいなくて、旦那が怠け者で、奥さんだけが働いていた。

また、野菜やもいて、近い場所からか何処から仕入れるのか判らなかったのですがー

3時過ぎにはバイクがきて、野菜を道路に置いて帰って行くのも常でそこはお婆さん

が待っていて屋台にその野菜を載せ替え道路を出て行くのが4時半ごろでした。

太陽が昇らない内に売り歩くのでしょう・・屋台の下には、自分用の飲み水と野菜に

掛ける薄汚れた水が積んであり、時々止まってはその汚水を野菜にかけて鮮度を保つ

と言うのもごく普通にしていました。どこまで行くのか知らないけれど・・10時まで

には帰って来ていました。大方を売っていましたが残っている分は私の家の前で売る

事も何度かありましたねぇ・・(-_-)ずっと歩いて売り歩くのは想像できないほどの

体力と逞しさを感じていました・・(@_@;)

氷やは工場もあり大きな塊をカットしたり、ブロックだけを袋に入れてバイクに積み

背中から頭までも袋を載せ幅広のゴムで押えて運んでいました。店も傍に出していて

クラッシュ状態のものから、片手で持てるもの、かち割にされた物なども売っていた。

ビニールの袋に入れて購入する人がバイクの列を作るのが6時過ぎでした。

今でこそ冷蔵庫は殆どの家庭に普及されていますがその頃は冷蔵庫は未だ凄く高価で

買える人は少なかった時代です。この様にして近くのフォーやもお粥や飯屋は5時半

から開店するから朝は本当に早い国です。お肉や野菜を刻む音が聞こえたり果物売り

の声が流れていたり朝は忙しく活力が満ち・・毎日が凄く楽しくベランダに座っては

ずっと物珍しく眺めていた記憶があります。時にはフォーやへ行ったりパンを買いに

出かけましたが・・野菜等は屋台では買えなかった。6時になると近くの市場が並ぶ

から毎日、買い物に少しずつその日の分だけ買いに出かけたものです・・(#^.^#)

現在の生活に比較すれば嘘の様な暮らしがなされていた事実ですが・・あの頃が本当

に迸る程の活気とエネルギーに満ち溢れていた時代でした。若者が多いから尚のこと

そんな大きな国策の流れが頼もしく思えたのかも知れません。時代は本当に大変貌を

遂げてきました・・でも未だに地方までは経済効果は移っていないのが現況です。

今は日本と余り変わらない大型店舗や巨大なビルのラッシュが終わり漸く落ち着いて

来た頃でしょうか?それでも食べ物は変化なく美味です・・うふふふふ

今朝は少し寒い位に冷えた朝を迎えた浪速の朝です。
この記事のURL | ヴェトナム | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/11/01(Thu)
時折外音が殆ど聞こえなくて静寂だけが自分を支配しているかの様な時間帯があり

その時間は幸せで優しい雰囲気が流れています・・( ^^)

心の中では遠い過去の思い出が去来していたり、本に集中している時に起こります。

薄墨色の心はずっと1人で生きてきた道筋が通っていて、その翳の中を往来したりー

佇んでいたりしているようです。鱗雲が広がって吹き流れていく風も少し肌に刺す様

な感覚がありますが・・秋色を濃くした感じでしょうか? 窓の外は明るい日差しが

射しているけれど、部屋の中にいるとうすら寒ささえ覚えてひざ掛けが必要です。

深秋から冬への到来を感じさせる様に日々纏わりつく日差しも風もどこか一抹の寂寞

を置いて行くように穏やかで静かな日が過ぎて行きました・・(#^.^#)

 {こんな凡々たる暮らしを本当に嬉しく仕合せに感じておりますm(__)m}

自分が行動を起こさない限り、何も変化のない生活ですが・・今のところは外出も苦

にならずホイホイと出かけて行けるのも有り難いことだと痛感しています!

昨日、市の広報紙が届いて、やっと、この市の市民になった感覚がありました。この

3ヶ月は追いかけられるように様々な手続きがあり、とにかく面倒でした。市役所も

余り親切ではなく職員に聞かないと何も解らないと言う有様で・・(-_-メ)

神戸では凄く優しく階段を上がると「今日の目的は何か?」と直ぐに聞いてくれたー

その名残があったもので・・{うろうろ何処へ行けばいいのか?}解らない様子でも

誰も声を掛けてくれない。仕方なく、窓口に行って用事を話すと「2番へどうぞ」と

言われるだけで・・心底、相手に対する心配りが見えない市であることを不快に思い

「余り好きになれないなぁ?」不便だし、凄く歩かねばならない場所にある事も聞か

ないとここは何も教えてくれないことを知らされた思いがありました・・(@_@;)

きっと職員数も少なく多忙なのだろうとは思っていたが・・感じは最悪!色々な土地

に住んだけれどこの地ほど閉鎖的で保守的な土地柄は見たことがない気がします。

ずっと地元の人々だけで守り抜いてきた心意気があるのかも知れないが、新しい市民

の入市は歓迎されない土地柄なのかも知れません・・(-.-)

ま、個人的に色々と海外に居たため、全て手続きをやり直す必要があったことも厄介

だった部分があるがその日、行って用事を終えた翌日には請求書が届いていると言う

早業には吃驚したものです。口座振替が出来ないから仕方ないけれど、以前には何か

もう少し余裕があった気がして・・僻みかも知れませんが・・あははははは

漸く、全ての手続きがスムーズになって市民になれた感じでしょうか?〔やれやれ〕

その広報紙にこの地区のすぐ近くにある神社の”縁起”が掲載されていた。そうです

秋祭りの神輿と山車を奉納してある神社です。

その“縁起”を参照しながら・・全く知らなかったのでそのまま書いてみます・・

※広い境内を持ちと書かれてありますが半分は公園になっていて遊具が沢山あるので

然程の広さは感じない・・この神社は平安時代に編纂された『延喜式神名帳』に名を

連ねる古社で森林に囲まれ、荘厳さを保つ鎮守の森として親しまれているそうです。

江戸時代には『河内鑑名所記』で紹介され〚好色一代男〛などの作品を世に送り出し

俳諧師でも有名な井原西鶴が《神の梅北條九代のつき木哉》と言う句でこの神社の事

を詠んだ名所でもあると書かれています。境内には安永と嘉永時代の石灯籠や鳥居は

江戸時代に寄進された多くの石造物が現存しており、本殿の脇にはこの神社の歴史を

伝える1番古い1基の石灯籠があるようです。何時ものスーパーへの通過点で殆ど数日

毎に通っているのですが・・何も知りませんでした・・(・_・;)

この石灯籠は花崗岩で造られ石灯籠の部位の構成を下方から見ると、基礎は側面を各

2区の輪郭で分けて、それぞれに格挟間(こうざま)を刻み、上端に12葉の複弁反花

の装飾があるそうです。次回通る時は見てきましょう・・うふふふふ

沢山の内容が詳細に書いてあるのですが正直、本人が理解できない事を書くのは結構

憚られて省略しますが・・4角形の石灯籠は8角形や6形角に比べ、より新しい形式で

あると考えられて、その創作時期は鎌倉時代末期に始まり南北朝時代または室町時代

に全盛期を迎えたと書かれてありました。

そしてこの神社の石灯籠は正面に刻まれた銘から建徳3年に寄進されたものだと解る

そうです。建徳は南北朝時代の1370年から72年に使用された年号で正に4角形石灯籠

全盛期の作品だと言われています。この時代に朝廷が南朝方北朝方に分裂して内乱が

凡そ50年に渡り繰り広げられた全国的な争乱が起こった時代でもあったようです。

この河内国周辺も例外ではなく、内乱の渦中にあったそうで、そのような状況の下で

この神社は荒廃したと思われる。 建徳3年銘の石灯籠は荒れ果てたこの神社が周辺の

所領を支配した有力者からの寄進によって再興されて行く様子を示す貴重な作品です。

この様な事が書かれてありました※まさかそれ程まで古く由来のある著名な神社だと

は夢想だにしなくて・・単純に最初来た時に姪からこの地の氏神様だからと言われて

参詣しただけでしたがこんな”縁起”を読んで驚いたというのが感想でしょうか?

文化財保護課があるこの市ならではの紀行文でそれも指呼の距離にあることに少なか

らず感激しました・・\(◎o◎)/! 少しづつ勉強出来たらと考えていますが・・

ま、それほど古い社であることや有名な石灯籠を知る機会を得た事は良かったと思い

ました。これから通過するたびに新たな気持ちで心の中では念じつつ通らねばなんて

思ったものです・・「そうなんだ」と納得しながら・・ふふふふふ

洗濯を干していた間は未だ明け染めぬ空でしたが・・明るくなってきましたが部屋の

中では点灯しないと薄暗い浪速の朝です。
この記事のURL | 日記 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |