ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/31(Wed)
釈然としない天気で気温も低かったもので・・大袈裟にもロングコート(と言っても)

薄いコートを着て出かけた。姪の展覧会が大阪で有ったからでした。もう何年もその

展示会場には行ってなかったもので・・この地に来て時間も読めなく、又どの辺り?

だったかの記憶が定かでなかった・・相も変わらず老人は気が急くもので・・( ^^)

早く着いてしまった!未だ会場も開いていなかったのです・・(-_-メ)

両手にケーキや花を持っていたもので近くに昭和を感じさせる素敵な商店街があるの

ですが・・生憎行く事はできず残念だった・・本当に大阪の下町の雰囲気がいっぱい

残っている町で店もそうですが中小企業や小企業の沢山ある町でその辻を入っただけ

でもふわりと≪昭和が流れている≫感覚があってその様な雰囲気がとても懐かしくて

何度来ても好きな町だと思っていました。ま、数年間は来ていなかったから、新しい

MSがあちこちに出来ていて感じは少し変貌していましたが・・(-.-)

新聞に案内の掲載が有ったので、楽しみでした。この会場は重厚感があり、和風感覚

の会場で作品をを展示するには隠れ家的存在なのですが・・“通”にはよく知られた

場所らしく、プロの登竜門でもある気がしました・・(*^_^*)見知らぬプロが新人

発掘で訪れる場所でもあると聞きました。

姪の作品は今回は作風も変わり、素晴らしい感性を見せていました。身内を褒めるの

は気恥しい気もありますが寝る間を惜しんで夜中に作品作りをしている姿を知ってい

るだけに・・尚の事今回の作品には今まで感じなかった素晴らしさを覚えて感激して

観てきました・・ま、何でもそうですが創作することや制作する事はひらめきが必要

でその感性は素質+努力+数をこなす事だと感じておりました・・(#^.^#)

『テーマが宮澤賢治展』になっていて素晴らしい作品に仕上がっていて感動しました。

今までの彼女の作品の中でも秀逸ではないかと思いました・・(*^^)v前日大雨で未だ

展示されていないものがあった様で碌に言葉も交わさず、忙しそうだったので鑑賞後

直ぐに帰宅しました。雨が降りそうだったので何処にも寄らないで直帰でした。

往路は凄く混んでいてラッシュアワーみたいでしたが、帰路はゆったり座る事が出来

ました。珍しく疲れた人が多いのか電車の中は静かで眠っている人か携帯を触ってい

る人ばかりで話し声のない車両でした・・うふふふふ不思議な光景だと何時も思うん

です・・もう携帯は車両半分位は使用している感じですから・・(@_@;)

※ベトナムの10月と言えばそろそろザクロがでる季節です。ザクロ=Luuと言って

まあまあの人気です。ご存じのように〚可食部〛がびっしりだから1つでも十分だし

酸味があるから中々数は食せない。余り売れない果物でもあります。それでも街中に

バイクや自転車で売りに来ます。珍しい物を売っていると必ず中を見たくなるのが私

の癖になっていました・・あははははは

ザクロにはエラグ酸=これはブラックべりー、ラズベリ―、イチゴ、クランベリーや

胡桃、ザクロに多く含まれている天然のフェノール系の抗酸化質のものだと言われて

います。また、酒石酸も入っていて葡萄、ワインに多く含まれている有機化合物だと

言われ豊富だとの事です。ベトナムでは数回しか食さなかったのですが、粒が大きく

淡い色だったと思い出しました。値段は1個50円位。ベトナムもそろそろ『雨季』も

終わり暑さが戻って来る頃になってきたそうですが・・未だ朝晩の気温は少し低めだ

そうですが、日中はかなり気温が上昇してきたようです。

   *愈々『乾季』となり暑さの始まりです・・(^-^)*

ベトナムの蜜柑は黄色は殆どなくて、緑色をした物が多かったです。小粒でしたがー

甘くて美味しかった気がします。種類は余りなく蜜柑と言えば知っている限りでは緑

でした!ザボンもありましたし、柿があったのには最初驚きました!

ザクロは日本では殆ど見る機会がなくなってスーパー等では見かけないのはどうして

でしょう・・(-_-)もっともこの地にはイチジクや葡萄の産地ですから無いのかも知

れませんが・・未だ見た事がないですねぇ・・( 一一)時期が違うのかも知れません。

日本は蜜柑や柿、梨の最盛期でしょうか?随分沢山出回って来ている様に感じます。

秋は本当に食べるものが豊で嬉しい季節ですねぇ・・(*^_^*)

今朝はそれほどの冷気はなく昨晩遅く降っていた雨も遠出した様で、朝から日差しが

戻ってきました。洗濯物を干していても未だ真っ暗なので{秋一入}を感じる浪速の

朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/30(Tue)
束の間の朝焼けだったのでしょうか?洗濯を干してから直ぐに暗雲が立ち込めて午前

中はすっぽりと雲に覆われて何度も窓を開けては雲行きを確かめておりました!

幸いにして午後からは晴れ間も出て、何とか天気は持ち直したのですが・・(#^.^#)

最近は洗濯物が乾燥しなくて・・日差しがあるぎりぎりまで干している状態になって

きました。3ヶ月前にはもう1日に2回洗っても乾いていた事を思うと嘘のようです!

確実に季節は移ろい、そこまで秋が深くなって来ているのでしょうねぇ・・(-.-)

昨日の天気予報では木枯らし1号が吹いたとの事ですが・・全く気がつかずでした。

部屋の中で座布団カバーを編み始めてま、何とか1日で仕上げましたが、殆どは電気

を点灯しながら編んでいました。部屋の中のレース物は寒々しているので早く何とか

しなければと思っているのですが・・( ^^) ま、ぼちぼちってところでしょうか?

若い頃から人に何かを教わる事が好きでした。カルチャースクールには自分の興味の

有るものにはどんどん出かけていましたし、レクチャーを受ける喜びを味わっていた

気がします。しかし、人間て不思議で面白いと何時も思っていたことがありました。

同じ時間を共有し同じ話を聞いたのに、ある人にはポイントなる部分が自分とは違う

事が度々ありました。大学の講座や講演にも何度も行きましたが・・必死でノートを

取る人もいたり黙って聞いている人や疑問に思い質問をする人などが各々ばらばらで

凄く興味がありました。終了してからも熱心に先生を捕まえて離さない人も数人いた

しかし、人間の記憶なんて本当にいい加減で自分勝手に解釈している場合が多い様に

思った経験があります。同じ状況なのに観点も視点も感動する場所やここが1番だと

思う事が私には人とはかなり異なることを感じたものです・・(-_-メ)

記憶違いも多く、例えば何処かへ旅した時の感動や食事体験等も同様に親子であって

も又親友でも違うから・・人間の脳はどう反応するのか?私には皆目、見当もつかず

曖昧で記憶されている。時々娘に指摘されたりすることも間々あります。

話の伝達もそうです。話している相手が言わんとする事が正確に伝わっていない場合

もあり、自分勝手に納得したり理解している様に勘違いしている場面が多々あります。

若い時代からそうでしたから・・何も考えないで生きてきた能天気な性格なのか?

又は考えられる力や判断の出来ない脳細胞なのかは自分では解っていません・・(/_;)

これは個人的な事ですが『記憶の誤作動』ではないかと思っているのですが。同じ

物を見ても食事でさえ感性も味覚も違うのだから・・まして環境の違いや生活習慣

環境による事が大きいから当然だとは他人に対してはそう考えられるのです。

しかし、自分で育てた子供から一緒に行った場所や食事の事などで「どうしてそう

勘違いするかなぁ」「場所が違うでしょう・・」とか言われることが重なると、何

だか、自分の脳があっち向いている感覚がいつの間にか出来てしまって・・人とは

何か凄く違った受け止め方をする人なのかも知れないなんて真面目に考えたことが

ありました。些細な事ですが・・うふふふふ

特に老化現象を自覚する年齢になってからは都合のいい事だけが記憶に残り、嫌な

事や辛かったことは完全に澱のように心奥に沈殿しているようで・・( ^^)

勝手な記憶が作りあげられていく過程が私にはあるのかも知れません。殆どは記憶

が違うことに違和感なく自分で創作している部分があるようです。嘘をつくと言う

感じではなく記憶が欠落して行くらしく、素敵に感じた時間や好みの時間は明確に

記憶として残存しているのですが・・不思議です。かなり曖昧模糊として繋がって

いるようです。身勝手に『記憶の誤作動』何て言ってますが・・これも加齢現象な

のかもしれません・・あははははは 

ま、今のところは特別迷惑はかけていないみたいだからその侭に放置していますが

どんどんと身勝手な現象が確立してそれが記憶と言う明確な形に変化するのは目前

の様な気がして自分に向かって「大丈夫?」なんて問いかけています・・(*^_^*)

自分自身の本当に微細な世界の中での記憶なのに、正確に覚えていられないのはー

{何処か可笑しい?}のかも知れませんが。記憶違いもここまで来ると迷走し過ぎ

ている感覚もあって・・ふふふふふ 自分の想像力や思考回路がかなり脱線状態で

有る様に思えてならないのです。

人は老いると我儘で身勝手で頑固になるとか言いますが・・多分に私も記憶違いの

発症が多すぎて・・そんな老人の1人に変貌を遂げる時期に入ったのかも・・(-"-)

何て思う日もあります。誰だって忘れないと生きられない空間はありますし、人間

は忘れるという特技があるから生きていられる部分が沢山ある事も承知はしている

のですが・・特に悪気や嘘ではなくましてや人を傷つける理由は全くないにしても

私の記憶は勝手に想像や創作を続けて物語を完成させている場合があるようです。

「それは違う」と言われても既成された記憶を塗り替える事は至難の業で勝手気儘

に思い込む状態でいる節が多い気がします。*「なぜだか?解りませんが・・」*

「相手に迷惑をかけなければいいか?」なんて思うのですがそんなに違う感性なの

か?孤立した思考で狭隘な中でしか生きてこなかったせいなのか?は判断不可能!

なのですが・・自分の性格を凄く興味深く思っているのは事実ですねぇ。

幻想や妄想ではなく自分勝手に創作する記憶って何なのでしょう・・ふふふふふ

そんな事を考えた浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/29(Mon)
太い一条の白雲に茜射す姿は心躍るものがあります。今朝はそんな朝を迎えた!

昨日は午後から数時間は晴れてその間にスーパーへ往復出来たのですが・・そのすぐ

後にまたもや雨の襲来が来たようで・・(-.-)

そして、竜巻警報等も出たようだ。マラソンや駅伝は好きな観戦スポーツで暫く見て

いたが・・座布団のカバー作りを始めてみたが・・肩の凝りが取れなく湿布を貼った

が中々執拗で先日、購入したマッサージ器も余り役に立たないのかな?

”本”が気になって読みだしたら夕方になり外は薄暗く雨が断続的に降り続いており

ました。やっと中途まで読んでいた本を読破して次の本へと・・と心は焦っている!

  ”老化すると気持ちだけが先行するようです・・あはははは”

やりたいことが沢山ある事の仕合せを感じておりましたけれど、何処かで{死に急い

でいるのかも}知れません。先ず先ずは日本帰国の大波に乗った頃合いでしょうか?

焦らず慌てず1日を苦なく過ごせたら万万歳だとそう思う日々です・・(#^.^#)

この話は昔、書いたかも知れませんが・・老化が進行して改めて感じた気持ちだった

もので・・書いてみます。随分以前になりますがTVで<年寄りの1日>と言う番組が

ありました。その頃は未だ仕事をしていた頃でした。まるで他人事の様にそうですー

自分には関係がないという一種の奢った感覚で見ていたと思います。

年齢は70歳少し過ぎた位の老女でした「何もする事がなく、子供も独立し孫も巣立ち

爺さんは先に逝ってしまって、子供達共一緒に生活する事もなく日永1日をただ呆然

と待って暮らしている」と言う話でした。「趣味もあったが全て面倒になり何もした

く無くなってしまった」そうです。その話が今も鮮明に心に残っているのです!!

《大変なんだなぁ老いることって・・(-.-)》{寂しくて仕方ないと言う彼女の言葉

に実感も湧かなかった}私は未だ未だ大丈夫的感覚があって、心の奥で傲慢さが膨張

していた気がします。今、思うと本当に恥ずかしい!近い年齢になって初めて彼女が

何を考えていたのか?様々な感情は今は理解できる気がします・・(-_-メ)

何もする事がなく1日をボウッとして過ごしていると言う話には胸が痛く感じます。

況や私の様に海外生活の経験があり、自由勝手に生きてきた人間にとっては遠くから

日本人を見る機会にも恵まれ、国の成長や貧困者との遭遇等、大抵の人がニュースで

しか現状を知らない事に出遭って自分の考えや生き方を目の前で他国人から他国から

教えて貰った者としては感慨深いものがありました。日本は豊で先進国で何もかもが

手に入る時代だったし、景気も良く孤独を感じる人がいる事に少なからず仰天したり

しておりました・・(@_@。

自分もその年齢に近づきつつある現実にこんなに忙しくやりたいことがいっぱいあり

朝起きて今日は「これとこれ」何て考えているのですから本当に有り難く感謝の気持

ちになります。しかし、その頃はまだ何の考えもなく、老後と言う思考さえ持ち合わ

せていなかった不遜で無知、その上鈍感でした・・(^_^;)

 *その分この数年はかなり焦っている感覚がありますが・・うふふふふ*

その話を反芻して、自分の中に矢張り何か自分を奮い立たせ生きる道を選択しなけれ

ばならないという事を気ずかせてくれたのです。(日永1日これからどうやって消化

すればいいのかしら?)とか遅まきながら『何時も普通の人より考える時間が遅いし

何も理解出来ていなくずっと感じることがズレている人です』故に、真剣に考え出し

たのは1度目を帰国してからでした。目の前に立ちはだかった時間の壁とどのように

向かい合い生きて行けばよいのか?を真剣に悩んでいました。そして、仕事も辞めて

年金生活に入った段階から老後を考えるような愚か者でしたから・・わははははは

子供にも想像できない等と言われていました・・(-"-)

でも、未だ何処かで暢気に何とかなるとかあの国の貧困生活に比べたらどんな事でも

出来ると言う自負がありました。しかし、どうにか思考回路が動き出したのは本当に

数年前でしょうか?再越して生活が変貌している国民や豊になった人々の暮らしぶり

は驚愕の思いでしたが・・〚ここならボンクラでも生きていける気がして再度の海外

生活を始めたのです〛これが本当に幸いしました。確かに愚鈍で生きる能力も経済力

も余り思考しなかったし、何も備わっていなかったけれど・・陽気でその日暮らしの

生活の中から少しづつですが{光射す生き方を考えるだけに充分な時間}が与えられ

た気がしました。漸く気がついたと言った方が早いかも・・ふふふふふ

長い時間をかけて出した結論は大した事ではないのですが・・大勢の人が考える事

が身体の中から自然と納得し諦観し生き方を大切にする事だけでしたが私には十分

過ぎるほどの時間でもありましたし、帰国してから生きて行く道標にもなっている

と今は思えます・・(●^o^●)  

何せ普通の人が考える時には感じなくて時間をかけないと理解できない人で遠回り

しないと回答が出せないという愚かさですが・・単純なだけにこうと決まったらー

即、行動する人で相手の迷惑や心情など余り深く考えないタイプらしいと言われた

けれど・・そこは異国ですから、心は建前の中で本音を隠す部分には長けていたの

かも知れません・・えへへへへ その意味では現在は凄く淡々とした感覚で生活が

成立しています。考えた時間は長かった!人様からすればそんな事も解らなかった

のか?と言われるかも知れないけれど・・どうもそう言う性格だし利口ではない分

時間がかかり遅延傾向があるのだと思います。それだから、決定したことは何より

確実に守りたい気持ちが強く、自分の生活圏内に入ってこられる事に余り良い気が

しないとでもいいますか?邪魔されたくない・・個人的であり孤が好きなのです。

経済的な余裕は絶対必要だと思いますが食していければいいと思いましたし、欲望が

段々と消滅して行きシンプルで可能な限り物品を増やさない生き方をしたいと考えて

います。未だ帰国したばかりだから・・必需品があって購入しましたが、来年からは

又少しづつ持ち物を整理して、遺された人に迷惑を掛けない生き方と処理をしながら

遺された時間を精一杯楽しく暮らしたいと考えています。それが長い時間をかけて私

が出せた結論だからです・・(#^.^#) ≪全く考えが遅すぎるのですが・・≫

【そんな生き方をした人もいた!】と言うだけで誰の心から消えても寂しさも孤独も

多分、感じないで余世を暮らせそうな気がしています・・そう思っているだけですが

思い通りには行かなくてもせめてそこへ近い生き方でありたい願望があります。

朝焼けが見事だった浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/28(Sun)
昨日までは矢張り予報通りに曇る程度で1日が終わった気がしていました。案の定

夜に入ってからは雨が降り出し特別激しくはなく{秋の長雨}の様にしとしととー

夜中も今朝も降り続いています。空はどんよりして重く圧迫感さえ感じる様に低空

まで雲が下がっている感じです。今日は終日降るのかも知れません・・(-_-)

日曜日の雨は好きです。外音が雨によって消されるのか?出かける人が少ないのか?

何時だって、声が大きい河内弁が遠近で聞かれるのですが・・静寂になり、子供の声

が先ず聞こえない・・偶に車が通過するだけです。こんな日は読書が最適・・( ^^)

先週、病院の帰り本やで又文庫本5冊購入・・少し溜ってきてしまいました。編み物

が想像以上に時間がかかり、昨日漸く完成したのです。早速、夕べは本を読みながら

中途で寝てしまいましたが・・あははははは

帰国して何が1番変化したかと言えばTVを見なくなった事でしょうか?ベトナムでは

毎日DVDばかり、又は洋画を見ていましたが・・嘘のように見なくなった・・(-.-)

面白い物や興味を惹くものがないのとタレントやキャスターなど、半分以上は見知ら

ぬ人で構成されているから・・慣れていないし、若い人の名前も顔も全く様変わりー

2世タレントの数の多さに吃驚・・それだけ時代は刻は流れた事を知らされています。

日本に帰国したらと思っていたTVにがっかりしている現実です。全て日本語CMも目に

新鮮に映っていた1ヶ月は毎日見ていましたが・・段々、その気持ちが萎えて行った!

話は変わりますが・・

何故だか20年位前から取っておいた国語の教科書の資料本をずっと持っていて、少々

傷みはあるのですが・・何年も忘れていた。カバーをかけていたようで中はまだ十分

観れるのです。大昔の教育の手本本みたいな本なのですが・・『秋』について書いて

あるページに懐かしいことが掲載されていましたのでご紹介します・・

  ”国語が大好きだったので捨てられなかったのでしょう”・・うふふふふ

☆10月頃は季語では『秋時雨=この季語は大好きでした。晩秋、秋深し、寒露、夜寒

肌寒、うそ寒、露寒』が載っていて、秋の花々は現在とほぼ同じ様です。露草、紅葉

朝顔、コスモス、ホトトギス、芙蓉、菊、彼岸花等が古い本なのに確実に写真入りで

ありました。

露草はつき草とも言い露草の花の汁で染めた色はさめやすいので《心変わり》の意味

があるそうです。またつき草と使用する場合は《移ろう》《移し心》《移り気》等の

枕詞になると書かれていました。習ったのでしょうが完全に忘却していました。

 【つきくさに 衣彩どり 摺らめども うつろふ色と 言ふが苦しさ】

紅葉は木の葉が色づく様を指す言葉で特に楓や櫨紅葉は色が鮮やかである。

 【秋は来ぬ 紅葉は宿に 降りしきぬ 道踏み分けて 訪ふ人はなし】

これらは詠み人知らずの和歌のようですが・・習ったのでしょうが記憶がないのは

何とも情けない気がします・・(・_・;)

芙蓉の花は松尾芭蕉の句があり

 【枝ぶりの 日ごとにかはる 芙蓉かな】があり、これは俳句をしていた時期に

何度か見聞きしたことがありました。ま、この程度ですから国語大好きだったなど

軽率には言えませんが・・m(__)m見ているだけでも楽しい本です・・(*^_^*)

菊の花は平安時代からあって鑑賞用植物として人気があったそうです。

 【心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置き窓はせる 白菊の花】これは有名な

歌ですから知っていましたが(古今和歌集)であったことは忘れていましたねぇー

生り物ではリンゴや柿、ブドウしか書いて有りません。現在の豊富な果物に比較し

ても少なかったのか秋の感覚ではこれらが1番だったのかも知れません・・(#^.^#)

木々では{あかね=花は小さく目立たないが根はくすんだ赤色をしており染料として

使用したそうです。むらさきしきぶ、蔦、ほうづき、竜胆、おもい草=南蛮煙管の事

で花の形が首を垂れて物思いに沈んでいる様に見えるところからついたそうです}

この本は市販されていなくて所謂先生用の教育指導本みたいで、年月日もなく、個人

の販売が禁止になっているので・・どうして手に入れたのか?思い出せないのですが

この1冊だけで四季、小説、和歌、俳句、文法等国語に関する様々な事が理解できる

様になっている本です。見ていても飽きないし、自分の手元にある不思議さを感じて

時折、思い出したように手にする参考書みたいな本なのです・・(#^.^#)

時代の流れの早急さに比べれば何とも平和で安穏な本なのですが・・昔を思い出す事

の出来る本でもあります。機会があったらまた何かを書いてみます。

今朝は前夜からの雨が止むことを忘れているように静かに降っています。気温は然程

低くはならなくて、割合温かい浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/27(Sat)
秋空が澄んで心地よい風の中、先日、中途で帰宅した街へ出かけてきた。1駅だから

でも、老いの身には肌寒く感じられ上着も着こんで出かけたら、歩いている内に少し

汗ばんで来た・・うふふふふ

20度は越えていたと思いますが、早朝が寒いし、部屋の中にいるとひざ掛けが必要で

長時間座っていられないほど・・身体中まで浸透してくる寒さがあるのです。

やっと、ベッドカバーが完成した。今回は色合いもくすんだ毛糸ばかりでモチーフが

結局145枚、ベッドの下に垂らす部分を10㌢以上は編んだものだから肩が凝ったので

先日見つけた電気やへコンパクトで軽いマッサージ器を探しに行ったのです。

1つだけ在庫が有ると言われ、購入した。安価で軽量でソフトのゴムが先についていて

肩に当てると軽い振動があって、これは久しぶりのヒットでした・・(#^.^#)

もう、毛布やひざ掛け、アンカも出ていた・・大型店で名前もよく知られているので

すが、ここは場所が狭く1Fフロアーだけで商品も数が少なかった。無理やり作った店

の感じでした。でも、まあ、買い易い感じの大きさではあった。

買物は重くなるので、近場でと思い商店街の中を歩いてきた。高齢者達が座椅子付き

の手押しカートで大勢が歩いている。車も自転車位しか通過しない商店街だから、止

まりその椅子に腰掛けて、店の人と話している光景は長閑で・・昔を回想する状況で

した・・(*^_^*)1歩出れば国道で大型スーパーや店が沢山国道沿いに並列している。

若い人はそっちに流れ、取り残されるように高齢者は昔風の商店街を行ったり来たり

している。昔の市場の様に米や、雑貨屋、味噌や、パンや、花や八百屋等全てが揃い

老人に買い易い店が沢山ある。あれだけの大型店があるのに!潰れないで営業できて

いるのは老人達の人口が多いからではないでしょうか?私も珍しく子供の時に買物に

行った記憶を思い出し、味噌やの山の様に綺麗に形作られた味噌の種類を眺めていて

また、米やも昔風に並べてあり、ここは昭和をぷんぷん感じる雰囲気を見せていた!

※ベトナムスープについて・・<ベトナム料理本参照>

ベトナムにはスープは毎食と言っていいほど食します{日本の味噌汁感覚に似ている}

そして種類は2種類あって、とろみがついたものとさらさらしたものがあります。

とろみの付いているのは主にレストランか行事の時にご飯と一緒に食べるのが多い気

がしました。

◎とろみの付いたスープ
①スップ・マンタイ=アスパラガス(白)入り蟹肉スープ。
これは定番で何処のレストランでも家庭でも食べます。

②スップ・ク―ア
蟹肉がたっぷり入ったスープ。

③スップ・ゴー
トウモロコシのスープでサクサクした歯ざわりが美味しい。これもポピュラー。

④野菜スープ
精進料理の店やレストランで食することが多く家庭では余り作らない。

⑤スップ・ハイサーン=シーフードスープ
魚肉や蟹、貝などの入ったスープ。少し高価。

⑥スップ・ボンガー
魚の『浮き袋』を入れたスープで高級食材だからかなり高価なスープです。

⑦スップ・ルオン
田ウナギの入ったスープで中級以上のレストランで食べられる。

他には鶏肉を使ったスップ・ガー。鶏肉とクリーム入りのスップケムガーがあって
前記したスープは全てとろみをつけたものです。

◎カイン=さらさらしたスープ
①カインチュア・カー
魚のスープでタマリンドを使用しているので甘酸っぱい。ご飯にかけて食べる。

②カイン・クア
蟹肉と香草がたっぷり入ったスープ。味付けはあっさりしていて、飯屋の定番です。
ビニールの袋に入れて輪ゴムで止め持ち帰り可能です。よく食べました。

③カイン・ティッ
北部の具は主に肉類ですが南部では魚が多い。味付けも北部より南部の方が甘い。
どちらの地域でも一般的なメニューです。

④カイン・マン
筍を豪快にカットして煮込んだスープ。北部ではテト(旧正月)には必ず作る。

⑤カイン・ダウフ
豆腐と肉のスープで少ししょっぱいがご飯との相性は抜群。ボリュームもあり充分
満足する。

⑥カイン・タンオー
飯屋の日替わりメニューの1つで春菊が入っています。日本の春菊より香りは薄い。

⑦カイン・ズア
高菜とトマトが入っていたり、豆腐や肉を入れる場合もあり。美味だし具沢山。

この他にはカンガー・ラーザンと言って{おかめ笹の鶏肉スープ}もあり、ラーザン
と言う酸っぱい味のする葉っぱで味付けしたスープやカイン・コアイモーンと言う
里芋を使ったスープも有名です。ベトナムの里芋は美味です。

ベトナムの食事は以前にも書きましたが、大体おかずが2,3種類、ご飯、スープが

標準の食事です。ビールを飲む場合はご飯は後で頼むことが多い。ベトナム人には

ビールはお酒に入っていないので殆どの人がお昼から飲むしそのままバイクに乗る

事も通常なのです。もっとも氷を入れて飲むビールですから、お酒に弱い人でない

限りは当然の様に何本も飲んで自家用車でも帰宅します・・\(◎o◎)/!

飲酒運転で捕まった話は聞いた事はありませんでした・・(-_-メ)国の違いなのだと

思いますが・・パーティや宴席などでは車は置いて行きますが、バイクは大抵の人は

乗ってきます。でも女性連れの場合正装したり凄くお洒落な女性の場合はタクシーの

利用は常套ですが・・ふふふふふ

今朝も肌寒く感じながら洗濯物をほんの少し干しました。昨日、帰宅してから洗った

ので・・本当に片隅にだけ・・浪速の天気は今日までで明日は雨になるそうです。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/26(Fri)
秋晴れの好天で朝は本当に寒さを感じた。今日は支払日だったので、大家の家まで

連絡して出かけた。大仰な門構えと立派な庭園や屋敷を開放して待っていてくれた。

最近は管理会社に依頼するところが増えていて、預金通帳から引き落としされるの

が普通の様で大家にはそこから振り込まれると言う話を不動産やから聞いた!

しかし、我家の場合は目の前にあるので、毎月持参する旧体制で顔を見ながらの手渡

しの支払である。これはこれで昭和的感覚だと思い田舎的でもあり面白く捉えている。

庭には、生り物があるとの事で、未だ真青な大きなレモンを2種類も貰った!

ベトナムで毎日ライムを絞って食していた事を思い出しながら、嬉しい心で拝受して

来た・・(#^.^#)もう少し色が付くまで置いてもいいが香りが素晴らしいので、昨夜

は早速、煮物と魚に絞り頂いた・・矢張り採り立てだし、風味はよく新鮮さが感じら

れて、美味でした・・( ^^)”家賃の通帳”などもあって・・本当に昔風です!

この土地に来た時、何度か見かけたり聞いたりした話で〚古墳〛が多いことを書いた

のですが・・やっと判明しました。 PCで少し調べてみましたらちゃんと掲載されて

いたのです。難しくてよく把握できていませんが・・歴史も{ある年代}しか興味が

なかったせいで正直、全く無知で何も理解していません。況してや天皇や皇后の陵だ

と言う事で皆目知らなかったのです・・恥ずかしながら<(__)>

☆応神天皇陵(みささぎ}この呼び名と高貴な人のお墓である事は判っていました。

日本最大の堆積を誇る前方後円墳で《世界文化遺産暫定リスト》に入っていると言わ

れているそうです。仁徳天皇しか大きな陵は知らなかったので驚きましたが、この地

の近辺に3カ所もあるんです。吃驚しました・・(@_@。

Pcからの引用です。応神天皇は仲哀天皇とも称され15代天皇で誉田別尊や大鞆和気命

(ほむたわけのみこと)(おおともわけのみこと)など数種の名称のある人だとも言

われていて、実存性の高い天皇だとも言われています。また、仁徳天皇の条の記載の

重複などもあり、仁徳天皇と同一説もある様でこれもまた理解できておりません。

ただ、河内王朝の始祖とみなされているのは本当のようです。都は現在の橿原市周辺

で《日本書記》には難波と書かれているとか?混乱し錯綜しているが、現在の羽曳野

市にある誉田山古墳の事を呼ぶようです。

☆允恭天皇陵

第19代天皇で{氏姓=うじかばね}の乱を制し政治を行った人と言われています。

允恭天皇恵我長野北陵{いんぎょうてんのうえがのながののきたのみささぎ}

父は仁徳天皇で母は皇后磐之媛命とも言われています。

☆仲津姫皇后陵

応神天皇の皇后だった{なかつひめのみこと}の陵だそうです。

あくまでもPCからの引用でこの地の郷土史などを調べてから書く方が良かったのかも

知れませんが・・余りにも広大な鬱蒼たる森林があちこちに見え数ヵ所もあるという

興味から一寸調べてみました。詳細が判りましたら又書かせて頂きますが・・(-.-)

何とも広い土地が陵となっているためその横に普通の民家がある不可思議な場所でも

有ることが訝しく感じております。然しながら、仁徳天皇の前方後円墳は有名ですが

それ以外は皆目知りませんでした・・(-_-メ)

この河内の国を制覇し国を作っていた時代があった事を朧げながらも感覚的には実在

する事で・・凄く不思議な土地柄を感じます。今迄住んだことのある場所とは異質な

感覚と荘厳さを感じておりますが・・その割には言葉が汚いのにも何か因縁でもある

のかしら?なんて妙に感心しております・・うふふふふ

歴史って本当に面白く突きつめれば壮大な風景が押し寄せるように拡がってくる感触

を見事なほど夢想させてくれます。しかし、日本人として生まれた以上は日本の歴史

は知らねばならないことなのだとも痛感しましたし不思議感で一杯ですが・・何にも

解っていないないのも事実なのですm(__)m

近頃は『歴女』と言う呼び名で凄く詳細に調べたり、勉強されている女性の話を聞く

機会も多々あります。歴史と言う魔力に惹かれておられるのでしょう・・(*^_^*)

今朝も冷え込んでいます。低い山が多いせいでしょうか?未だ経験しないこの土地の

冬ですが、案外、寒いかも?と考えていますが・・どうなのでしょう・・?

そんな事を思った浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/25(Thu)
蒼空が見事なまでに広がって来たので迷っていた気持ちも取れ「今日行こう!」と

思い立って以前住んでいた病院へ出かけた。5月以来の来院で「先生も今回は遅い

ので心配していたよ。薬は大丈夫でしたか?」と言われ、帰国した旨を伝え、1ヶ月

間隔なら通院できるから暫くここに通いたい話をして、診察してもらった。

娘の所に1時間ほど寄って帰宅。JRは何かの事故でかなり遅れているとの話でした。

大阪駅はホームに人が溢れていました。1つ電車を遅らせて乗らねばならなかった!

昨日は素敵な話を電車の中で聞き青空と同様に快適でした。私鉄に乗り換え、座った

席の隣に男子高校生が2人それは真剣に話しているのです。多分近く、面接の試験があ

るのだと思いました。以下彼らの話です・・感動しました・・(*^_^*)

1人が面接官役でした「◎◎君だね?」「はい」「どうして、消防士を選んだのか?」

「僕の伯父が◇◇市で消防士をしていて、小さい時からそれを見て凄く格好良いと思

っていたんです。それで僕もなりたいと思いました」「ちょっと、待て!そこは幼少

の頃から伯父に憧れていてと言い換えた方がええで」「はい!幼少の頃からの伯父に

憧れていた仕事でした」「消防士の仕事とはどんな仕事だと君は思うか?」「はい!

火災が起きた時、早急に駆けつけ消火し怪我人はいないか?とか助けられる人を救う

のが仕事だと思います」「今年の火災件数なんか解るかね?」「はい!ホームページ

で見ましたので、この10月迄に44件発生している事を知りました」「そうか?PCで

知ったのか?」「所でこんなに多いことについて君ならどうすればいいと思うか?」

「はい!この市は死んでいると思います。活気もなく65歳の年寄りが多く、不始末

やストーブとか放火などが多いと思いますので、65歳(やたら胸にグサリと刺さる

私でした・・あはははは)以上の家庭には火災報知機の小型のものを各家庭に備え

れば良いと思っています」「一寸、待て!この市は死んでると言ういい方はあかん

そこはカットした方がええで」「はい!」「そうか君の考えはよく解った。しかし

消防士の仕事は生死を何時も抱えて仕事をしなければならないのだがその覚悟は?」

「はい!伯父の生活を見て来たので自分なりに理解はしている積りです」

「君、積りでは仕事はできないよ」「はい!理解しています。その為に高校へ入った

時期からジムに通い身体を鍛えてきました」「毎日厳しい訓練が待っているよ!耐え

られるかねー」「はい!大丈夫です」「この位でええやろ!でも、俺の意見を言うて

もええか?」「お願いします」「お前は質問に対して、早く答えようとするから早口

になって、滑舌が悪く聞き取れない・・急がんでもええーゆったりと構えて答えたら

ええねん。」「はい!有難うございました」こんな会話が本当に真剣に2人で話し合

われていた。最初の部分から聞いていたのだが長いので割愛しましたが・・(@_@;)

{今時の子供は?}ってよく言われますが・・こんな高校生がいる事に驚き心が温か

くなって吃驚しました。真面目で人の生命にかかわる仕事を選択したもう1人の子と

相手になっている子は最初は先輩後輩の関係だと思ったのですが・・違っていた!

ごく、普通に話している時はため口で話していたから。でも、凄く誠実さが伝わって

マジに一生懸命なその真摯な態度は高感度がアップして心の中で「どうか合格します

ように・・(#^.^#)」と願わずにはいられない会話でした。

日本も捨てた物ではないと先日の事があった後だけに、なぜだか心奥がじわりとして

きました。「いい子を持った親の顔が背後に見えるようで・・」とても気分よく降車

したのです。勿論、教育や学校も色々あるでしょうが・・こんなに真正面から真剣に

取り組んでいる学生もいる事に安心感を持ちました。この地に来て3ヶ月未満ですが

河内弁を聞かなかった日は初めてでしたから・・インパクトがあったし、友人同士の

信頼と心根を垣間見た気がしました。かなり、心が動いた。髪の毛も短くカットして

いましたが・・ズボンだけは腰からかなり下に履いていてそれだけは今時の若者の姿

きっと面接日にはきちんとして出かけると信じられた学生でした。

夕方になり、風が少し肌寒くなって来ていたので急いで帰宅。洗濯物も少しひんやり

していました。今朝もシーツや大きな物を洗って洗濯竿は賑やかな浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/24(Wed)
寒冷前線の影響とかで、まー昨日は早朝からずっと雨降りでしたねぇ・・!(^^)!

激しく降って風も強く樹木が撓っていましたし音も響いていました。何度も窓を叩く

音がしたり玄関前には水溜りができる激しさの時間帯もありましたが、夕方から少し

小降りになって止んできた感じでした・・( ^^)

この時期の雨は寒さを運んでくるので身にしみる様に感じますねぇ・・><これも又

老体には影響があるもので・・うふふふふしかし、現在は下着が温かくて熱を逃がさ

ないものや発熱作用をする物もあるようで、昔の様に重く重ね着をする必要がないの

は嬉しいことです。これも時代の流れでしょうねぇ・・ははははは

未だベトナム仕様の身体ですから結構寒くて応えていますが・・下着に随分助けられ

ているのがが現実なのです・・(#^.^#)

特に今朝は放射冷却との事で、初めて温いお湯で顔を洗いました・・寒かったです!

水の方がシャキとするのですが・・そう言えば昨晩のお風呂も熱めでした・・愈々と

秋も深まってきた感じでしょうか?寒さに耐えられるかな・・(-_-メ)

※プチ・ベトナム情報を・・

◎2日前は女性ディーで薔薇の花束がさぞかし売れた事と想像しています。先生の日

もあり、バレンタインディ、誕生日などはベトナム人女性の嬉しい日でもあります。

日本の様に国民の祝日は少ないのですが、花束や花籠を贈る習慣は多くあリ、男性は

この日は頑張ります・・ふふふふふ

◎ベトナムに在住している日本人向けセミナーが開かれたそうです。

正しいベトナム人との付き合い方の講習があったようです。面白い企画で若い日本人

男性には参考になったのではないでしょうか?

◎米のバーガーキングがホーチミン1区に出店したそうです。タンソンニャット国際

空港には1店舗あるのですが、一流ホテルの側に開店したニュースが入ってきました。

メニューはビーフ、マッシュルームライス、ベーコンチーズ、チキンなどがあるよう

ですがかなり高額だと言われています。最もコーラーとフライドポテト付きだそう!

◎ACE COOKのUdon suki suki

ACE COOKからは日本のうどんをインスタントにした製品が発売されました。

麺はインスタントですからしこしこ感等はまあまあと言われていますが“和風だし”

が絡みあって良い味を醸し出しているそうです。価格は安価でローカルのスーパー

にも店頭販売されていると言います。

◎落語も盛んになってきました・・(*^_^*)

{立川志の輔落語会}は数年前からハノイでしていたようで、私が住んでいた今年の

初め頃にはホーチミンに来るという話を聞いていたし、情報もあったのですが生憎と

観る機会がないまま帰国する事になってしまいました・・彼は有名人ですから早々に

チケットの完売が噂されていたくらいで在住日本人には人気がありました。

まさか、ベトナムで落語に出会うとはと当時はそう思っていましたし、ハノイまでは

行けなかったから・・鑑賞するチャンスはありませんでした。

今回は桂 歌丸師匠門下で 桂 歌蔵さんが来越すると言われています。彼は本業

以外でも小説も書いていますし、MCやケーブルTVなどのレポーターもしている人で

実際の公演にはベトナム語の字幕も出ると言われています。住んでいたならきっと

行ったと思います・・あははははは

これもまた時代なのでしょうか?大勢の落語家が活躍する場が海外にまで進出する

ことや発展途上国と未だ言われるベトナムで在住日本人だけではなくベトナム人に

受け入れられて行くのでしょうか?一抹の不安も感じますが・・何となく嬉しくて

親しみを感じたニュースだったので書いてみました。

本当に座って書いているのですが・・じんわりと冷えてきましたねぇ・・凄く冷え

込んでいるのだと思います。そんな朝を迎えた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/23(Tue)
朝からすっきり晴れ上がり気温も上昇、夏日になった。26度をこの地では越えて

いたと言う。流石の私も上着を脱いで歩いておりました。何時も行く大きな市内で

はなく、反対側の駅に降り、郵便局を探したり、商店街を歩いてきました。

住んでいる駅より何もなかった感じでしたが・・有名な寺があるとかで・・参道は

時期によっては、また、花の時などは混むそうです・・(#^.^#)

途中で携帯が鳴り、姪が話を聞いて欲しいって言うもので、急に切り上げて帰宅!

自分の住んでいる駅で降車、大きな駅前のスーパーで買い物をして(姪の家の分)

も購入しておいた。家族が多いから食糧はいくら有っても困らないだろうと思って

野菜類などを買ったらすごく重くなってしまった・・うふふふふ

お昼を終えて少ししたら彼女が来た。携帯を家族割にして貰っているのでそれを

支払いに行く予定だったから・・丁度良かったのです・・( ^^)

〚さて、その話なのですが・・〛

今時の学校の対応とその先生達の考え方が全く理解出来なかった・・\(◎o◎)/!

話と言うのはこうなんです。姪の子供は中学3年生クラブに所属していて、後輩も

多人数いるらしい。しかし、先日の試合を最後に3年生だからクラブをやめて受験

勉強に入ったようだ。所が後輩同士の諍いがあって酷い喧嘩になったそうです。

1人の子が先輩に相談しにきた様で姪の子供達3年生は話を聞くために部室に集まり

話合いになった・・(-.-)

その女子が問題のある子だったようで。先輩からも数人で姪の子も含めて説教する

事に流れが変ったらしい・・それからは問題の子が泣いて家に帰り、ま、先輩たち

に意地悪されたこととか?『顧問の先生もその子が虚言癖がある事を知っていた!』

その後、学校に両親が乗り込んで来たそうです。姪の子は正義感が強く問題の子と

は相性が悪かった様で「彼女が私をいじめた」と親に報告したそうです。

最初は校長室で話をしていた両親だったそうだが教室まで怒鳴り込んできて姪の子の

名前を呼び「1人1人の胸を掴んでお前が◎◎か?」と教室内で暴れたそうです。

その時に学校側の対応は何もなく、校長も目を離した隙に何処かへ行ってしまった!

と言ったそうです。姪の子は弁当を食べていたらしいが、自分で出て行き「私です」

と言った様で・・多分、他の子に迷惑をかけたくなかったのでしょう・・( 一一)

すると「外へ出ろ!」と言われ、連れて行かれそうになった所を教室の全員が大声

で彼女を庇ったそうです。担任は傍にいて何も話せなくて怖がっていたと言う。

教室からの一斉コールで仕方なく両親は教室を出て帰ったそうだが・・姪は展示会

の搬出日だったが、ぎりぎりまでその状況が心配で家で待機していた!

心の中はどんな気持ちだったかと思うと胸が痛かった・・姪の子供は何も関係なく

ただ、先輩として意見を言ったそうだが・・それが問題の子にはグサリときたのか

単に常日頃、嫌いだったから的にされたのか解らない様子だが・・担任も傍にいて

校長も話を聞いていて、他にも教師が沢山いるのに誰も教室まで助けに来ない有様

だったそうです。姪が代理を頼めなかったので、展示会場まで行きその時の心境は

いかばかりだっただろうと思う・・家には姉がいるので子供が帰宅しても大丈夫だ

と思い出かけたそうです。所が姉は恐ろしくなったのでしょう・・外出してしまい

どれだけ連絡しても居なかったと・・姪は凄く怒っていた・・><”

教室の10人位で送って貰い、暫くは体育館にある器具部屋にいて帰宅したと言った。

娘から「大丈夫だから」と連絡があって、ほっとして戻った様ですが、どうやって

車を運転して神戸から帰ったか覚えていないと言っていた・・(-"-)

夜、校長や担任、主任の先生が謝りに来たそうだが・・姪夫婦は酷く叱責し学校の

対応に反発したと言っていた。警察への通報もなく子供を危険な目に遭わせた責任

は学校にあるのではないか?って喧嘩腰で話したが・・とに角{すいません」だけ

もう疲れ果てたそうです。担任には姪は酷く怒ったようで、女性担任は泣いていた

と言う。しかし、可笑しな話である。私には孫もいないから現在の学校や教育には

正直、全くもって返答が的確に出来ないが、姪の子供の生命が危険に晒されている

状況なのは親として充分理解出来る。学校側の対応の拙さ、狡さに聞いていて腹が

立ったし仰天した・・(@_@;) ★「学校は生徒を守るべきではないのか?」★

★「預かっている時間帯は当然のことではないのか?」★「何と言う杜撰さ」★

★「学校側の責任や対応はその程度なのか?」★次々と疑問が湧いたが、姪もその

事ですっかり痩せて吃驚した・・(@_@。何度も学校ヘ足を運び先生も来宅した様だ

が解決方法は見出せずにいるらしい。警察には言いたくない学校側と対立している

と話していた。子供は翌日からも男の子も交えて10数人が迎えに来るようになって

通っていると言うが子供達からも学校や先生への信頼や信用が消えたみたいで自分

たちで守らねばならない風潮が出ているそうです・・!(^^)!

今のこの学校には、校内暴力もあったりいじめもある様だが・・学校は何を考えて

いるのか見当がつかないと言っていました!「何故、私に知らせてくれなかった?」

と聞いたのだが、考える余裕が無かったのと姉が逃げたショックで頭が回らなくて

その上、無事に家に帰れたかばかり気になっていたそうです。 姪は姉の行動にも

立腹していて・・私どころではなかったのでしょう・・(-_-)

 *力になれなくて凄く残念だった・・m(__)m  何も知らなかったから!*

現実の学校はこんな状態なのですねぇ・・大津の子供の自殺の件もあり、親として

は心配であり学校を信じられないことは何よりも無念だと思います。私がいても何

も力にはなれなかったかも知れないが子供に対しては異常なほどの愛情過多人間だ

から、案外、もっと罵声を上げて先生達と喧嘩したかも知れません。

しかし、幸いにして子供同士が庇い有って登校したり彼女の性格の良さと人気に私

は嬉しく感じた。子供達も学校を信用しなくて自衛作戦を取っている様子を聞いて

それだけに傷ついた事に対しての学校の責任は大きいと思いました。

暴力的に学校に押し掛けるモンスター的な両親も頭を冷やして話し合うことはでき

なかったのか?校長は止められなかったのか?担任は?と様々に考えてしまった!

校内で始末できる話だし、警察の介入があってもいいと個人的には思ったけれどー

お子さんを育てておられる年令の方には、この話はどのように伝達するのでしょう!

先ず、驚愕したし、姪が数日であれだけ痩せた顔を見ると心痛で張り裂けそうになり

ましたねぇ・・(-_-メ)

これで、治まったのかどうかも解らない現状で、学校へ行く子供を凄く評価したくて

叔母として、何とか力になれないか?を考えている。

しかし「こんなことがあっていいのでしょうか?」驚きの事件です。姪は姉(母)に

裏切られた事も相当頭に来ている様子。子供に対しては昔から余り愛情を感じない人

だったが・・襲われたら怖いからと言って外出するなんて・・想像も出来ないと私も

思ったし、そんな姉を今まで知らなかったから・・この事実にも驚いた・・(/_;)

何かあったら、叔母さん相談にのって・・と言って帰ったが大きな課題を残した!

姪は話した分少し心が軽くなったようで顔も柔らかくなっていたが・・姉に対しては

私が買って来た果物を父母に供えてと頼まれた(もう何日も口を聞いていない状況)

と言って「貴女から話しかけてやって」姉も後悔しているだろうし、家庭内が暗いと

良くないし家族が心配するからと言っておいたのだが・・難しい問題でもあります。

同時に矢張りそこまで立ち入るのもいかに身内とは言え・・行き過ぎではないかとも

考えて「私ができることは何でも言って!手伝うからねぇ」と言うしかなかった!

人生にはと言う括りは好きではないが・・本当に色々な事が何処に何が待っているか

解らない・・(;一_一)そんな事を感じた日でした。

実際の話は姪の子供の事ではないのだが・・こんな風に交錯し、誤解や曲解で人間の

心が作用されると思うと・・現代の親は大変だと痛感した・・(・_・;)

それが生命の危険にまで及ぼすという極端な思考を持つ親にも問題がある気がするの

ですが・・孫のいない私には批評も批判も本音では出来ない。知らないからです。

時代は凄く変貌している事を正直感じた日になりました。

今朝は昨夜から降り出した雨が強い風と共に降り続いています。風の激しさでしょう

物を叩く音が何度も聞こえるそんな浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/22(Mon)
身体から死滅しかけている細胞が生き返ってくるような日差しの中、矢張り陽気に

誘われ・・少し遠くのスーパーへ行って来ました・・(#^.^#)

日曜日のせいか親子連れが多く賑やかで、あちこちから母親の怒鳴る声が聞こえて

時にはそれが罵声に変わる。それでもこの地の人にとっては自然なのでしょうか?

殆ど振り返ったり見たりなどはしない。私は未だ興味もあり、その声の主がどんな

人なのか?遠目に眺めているし、聞き耳を立てている・・ふふふふふ

小学生2人、男の子だった。やんちゃ盛りだから多分手に負えない時期なのかも知れ

ないが・・唖然としてしまう会話が続く・・!(^^)!

「おかん!◎◎の小母ちゃんいたで・・」「そーか」「俺、挨拶してこー」「何で?」

「そやかてこの間、お菓子くれはったしー」「あほ!余計なことせんでええ」走って

行った1人「おかん!何でいったらあかんの?」「いちいち何でって聞くな?」「わか

らへんから聞いてるんやんか?」「解らんでもええ」1人が戻って来た時にはシューク

リームを持っていた「おかん!◎◎の小母ちゃんがこれ安いから持って行ったり?」

って・・「そやから、余計な事せんでもええ言うてるやんか?」「はよ元のとこへお

いといで」「そやけど俺、食べたい」「俺も食べたい」「じゃかましい!そんなもん

食べんでも死なへん!はよ行け!」2人がっかりして返しに行った様子。

レジで私の前に並ぶ。話は続行中です・・( ^)o(^ )

「おかん!何でシュークリームあかんの?」「何べん言うたら解るねん」「きょうは

あかん」「◎◎の小母ちゃんなんか3つもこうてはったで」「そんなに欲しかったら

◎◎さんとこの子になれや」2人吃驚して黙る・・どこまで話が広がるのか?たった

1つのお菓子なのに・・もうその掛け合いが面白くて・・日常の会話が家でも外でも

同じなのだろうと思いましたし、子供って執拗だから煩く思う母親の気持ちも理解は

出来るが・・よくもまーこれだけ言葉がぽんぽんと出るものだと頻りに感心していた。

しかし、「◎◎さん所の子供になれ!」なんて随分きつい母親だと顔を眺めていたが

ごく普通の大阪の小母ちゃんなのだから・・漫才などしている訳ではない。子供相手

の会話だと思うけれど・・(-"-)子供にはショックではないのか?何時ものことなの

か?は判断出来なかったが・・私には簡単にそう言う言葉が出る事に少し驚異を感じ

たけど!逞しく育てているのだろうと思うが・・矢張り、今まで経験したことのない

河内弁とその土地柄を感じて・・些細なやりとりなのに・・子供は何を思い、母親も

何を考えて話しているのか?どうでもいい事ですが、理解不可能な私の脳細胞です。

※ベトナムのご飯<インディカ米>

△白い普通のご飯は南部ではご飯茶碗で出てくるが、北部では丼が多くご飯やでは皿

に盛って出されることが多いです。もっとも半分欠けたお米も香のするお米もある。

△コム・チエーン=チャーハン
豚肉やベトナムのサラミなどが入っている。どこででも食せる。

△コムザン・ズォンチャウ=中華風チャーハン
中華風の本格的なチャーハンで、細かく切ったチャーシューが入っているのが特長。

△コムチエン・トム=パイナップルチャーハン
刳りぬいたパイナップルにチャーハンを入れたもので中級以上のレストランで食す。

△コムヌオック・チャーイズア=ココナッツジュースで炊き上げたもの
南部の家庭料理の代表でもあり口の中に香りが残る。好きな人が多い。

△コムターム=砕けたお米の皿飯
精米中に砕けたお米で炊いたご飯(飯屋では朝食)で皿に盛りその上に総菜を載せ
て食べる。南部では朝食はこれが1番多く、毎日食しても飽きないし安い。

△コム・ガー=チキンライス
鶏ガラのスープで炊いたご飯、地鶏なのでシンプルで味もかなり美味しい。

△コムタイカーム=炊きこみご飯
鶏肉やレモングラスを入れて炊くご飯で、レモングラスの風味が食欲をそそる。沢山
の野菜などの具を入れる場合もあります。

△コムニュー=土鍋炊きご飯
土鍋で炊くのでふっくら香りのある米を使用する人が多い。このほかにはお焦げご飯
も土鍋で焦げ目をつける炊き方もあり、ネギなどを載せて頂く=コム・タップ

△コムラーム=竹筒で炊いたご飯
少数民族の料理を出す店で食すことができる。

これ以外では先日フエでご紹介したシジミご飯や五目ご飯もあります。中の具材は店

によって異なり蟹や、ホタテなど高級品が入っている店もあり、ご飯の種類もかなり

豊富だと思います。でも、日本の様に茸や豌豆を入れたご飯は無かったと思います。

最近になってからシメジやエリンギが入ってきているので・・その内和食店からでも

茸類のご飯がでるかも知れません。

久し振りに食事の話を書きましたが・・懐かしく味が未だ身体の中から消えていない

から食べたいという願望を強く感じます・・うふふふふ

今朝も午前中は晴れるとの予報ですから・・電車に乗って違った駅で下車してみよう

と思っている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/21(Sun)
矢張り天気が良いというのは人間の心を何故か?軽くする作用がある様で気持ちが

浮き立つような感覚が・・うふふふふ この歳になってもあるんですね・・( ^^)

いいえ、先が短いから人生を急いでいるせいかもですが案外それが正解だったりと

思うのですが・・昨日もよい天気でした・・土・日は隣の若夫婦が洗濯をする様で

私は場所を開けておくのですが・・先日来の雨が続いて少しだけ溜ってしまった!

ベランダのない家は初めてですが・・玄関前に大きな洗濯棒が3本もあって、充分

広く、使用できるのです。昨日は端の方に少しだけ干しておいた・・隣とは約束事

が何となく暗黙に出来ていて・・普段の日には仕事でいないから全てを使用して私

は干している。尤も若い人だから干すのは、バスタオルとタオルだけで後は部屋干

しだろうと思うが・・1週間のタオル類が半端ではなく、全部3本を占領する!

毎日少しづつ手洗いする私とは大違いで洗濯の干し方も面白いし、皺を伸ばしたり

しないで干すから・・きっと面倒なのだろうと思うが・・時代は変わっている事も

小さな発見です。親は洗濯の干し方や畳み方も教えていないのかも知れない・・別

に他人の事ゆえ:どうでもいいのですが:昔は、子供のころに手伝わされて色々と

教わったものです「おー嫌だ!これだから姑根性だ」と言われそう・・わはははは

幸か不幸かは知らないけど、嫁家の姑さんとは没交渉だし、嫁はベトナム人だから

何も言わなくて済んでいる・・(#^.^#)

そんな些細なことにも性格が出るもの・・人間って面白いですねぇ・・うふふふふ

顔だって、1人1人全てが異なります。凄く不思議に思う事があります。父親に似て

いたり母親似だったり、所謂DNAなのか?顔もある1部分だけが似ていたり、顔全体

がそっくりだと言う人もいて・・こればかりは親の責任ではないと思うのですがー

時々そっくりに似た親子を見ることもある。

また後姿や仕草、癖が相似している人もかなりいて各々違った親や環境から育って

いるのだから至極、当然なのですが酷似した親子とは大勢居るものです。興味深く

感じます。我が家は2人共私にも亡夫にも似ていなくからこれもまた面白い気がして

いるが・・何処かで祖先に繋がり似ているのかも知れない・・(*^。^*)

しかし、悪い性格は凄く似ている・・ふふふふふ息子は私に似て大雑把でいい加減

そして放浪癖の様に海外で住む事に抵抗感は全くない。反対に娘は父親似で神経も

性格も繊細で純粋な部分が多々ある。ま、人間の人格なんて多面性だから一慨には

言えないけれど・・先ず正反対である。時々、私は娘を見ていると放心状態の様に

考えることがあります・・亡夫の残像を見ている気がするからです・・(-.-)

そんな時は心の中がざわついて溜息ついたりしている姿が見える気がします。悪い

意味ではなくて同じ様に生活していた時代は既に大過去に変貌していて、自立した

別の生活なのに逞しく違う生き方をしている子供達に対して、私は理性を保ちつつ

キチンと話す事ができなくなって来ているからです。親子と言うだけの繋がりや絆

がある筈だとは思うのですが・・(-"-)それが絶えず揺れ動き、相容れない軌道を

突っ走る列車の如くに・・地図上にはない道をお互いが走っている感覚が否めない

親子の絆は絶対的であらねばと思って生きていた時代は勝手に過ぎ去ってしまって

いて・・長い間の空間はお互いの成長の相違もあって中々コントロールが難しい。

若さは迷いもあり、又、夢に向かう道が幾つにも枝分かれしているから、選択自由

で有る。あれやこれ、間違っても引き返す道さえ地図上にも明確な路線図が描かれ

ている場合が多く大抵は軌道を外しても元に戻るショートカットを知るものです。

ところが老人は自分が生きてきた道程が恰も間違いはないと感じている反面、自分

は間違った道を歩いたから子供には迷わせないようにしたい願望があることも事実

で・・煩く口やかましく言いたがる傾向があるものです・・( ^^)

『余計なお世話だと自分でも把握できていて』も不器用に子供と応対する親の数は

以外にも多く、うざい存在と化している事に気が付いていない・・私も含めて・・

過ぎてからは遅いのだからなんて【親心】は考えるらしい・・ははははは

軌道が外れたら自分で元の位置に戻ればいいので有って”親の力”などは子供には

不必要で煩わしく最大の厄介事かも知れない・・充分解っている利巧な親もいるの

だが・・これが案外物分かりの悪い頑固な親と言うラベルを貼られるものなのです。

《良かれと思う一言が傷をつける羽目になったり嫌悪感の下地になる事もしばしば

 だという事を親は何故か?気がつかない・・親って情けなく、どうしようもない

 ほど愚かで、子供の成長が見えていない場合が多くある事に早く気がつかねばと

 思う日々なのですが・・これが結構、難問で親だからと大上段に構えられる時代

 はとっくに過ぎているのに・・気づかない・・!(^^)!取り返しのつかないことも

 数多有るものなのです》

人生には沢山の選択肢があるし、軌道も山積されているどの道を選ぼうと親として

は子供が成育する間だけを監視し危険を教える道標であればいいのだと・・そんな

事も感じるのだが・・それが上手くいかない場合が多い。{親とは手出し、口出し

をしたがるもので、若くして私は母親と死別しているせいかしら?親としての成長

が理解力もないのかなぁ?とかよく思ったものです・・(-_-メ)

実際、自分がいないと何もできない幼児期から自分の手だけで育てたと言う大きな

誤解の上から物事の判断がある様で・・子供の成長が見えにくい・・厳密にいえば

確かめる事もしないで、見ない振りをして通過したかった願望が親の方にあった?

かも知れません。しかし〚どんな親でも親〛には変わりはなく、子供の成長と一緒

に親も成長出来たら・・面倒や迷惑事、鬱陶しい関係は多少なりとも削減される気

がするのですが、難しい問題だと時々振り向いては自分の言動に寒気を感じる事が

あリます。それが現実です・・あははははは

   *恥ずかしいけれど親としては愚者そのものですねぇ・・(-"-)*

顔や性格が似ている子供達を見るにつけ親はどうしようもない程に愚かに変化する

帰来がある様で、これがなかなか直らなく愚鈍を表現しては落ち込み優しくされて

は涙したり・・喜怒哀楽が激しく、老化現象をまざまざと眼前に繰り広げてくれる

光景が多くなって来ているのは私だけかも知れませんが・・ははははは

たわいない話だが生きていく事はこんなことの繰り返しで成立している部分も沢山

有る様に思えてなりません。ま、あくまでも個人的見解ですが・・(*^_^*)

今朝は寒さを感じて目覚めたら4時過ぎでした。昨夜早く眠ったせいで目覚めたのだ

ろうと思っていたのですが・・かなり冷えていた気がする浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/20(Sat)
抜ける様な青空が遠くまで透けて見える早朝でした。前日の鬱陶しい雨はしょげた様

に遠ざかり高気圧の中を「出番ですよー」の掛け声にわれ先にと登場した日差し!

昨朝は早目に出かけたいところがあり久しぶりに友人とのデイトに洗濯をキャンセル

し、拭き掃除とPCだけを終わらせると言う手抜きをしました・・ふふふふふ

日中は汗ばむほどだったようですが・・私には丁度良かったです・・(#^.^#)

<寄席>に行って来ました。お天気のせいでしょうか満席で、中年から老人が大半を

占めておりましたが2F席までびっしりなのは初めての体験でした。帰国すると東京

では、池袋、新宿、上野と行きますが・・神戸に住んでいた頃は天満の繁昌亭ばかり

で数年ぶりでした。とにかく田舎に引っこんでしまって、交通が不便なうえにどの位

時間がかかるか判断ができなくて・・早く出たのですが・・思ったほど遠くはなくて

想像以上に早く到着できました。次回からは解ったのでそこまで早く出なくてもいい

と思った・・何時でもそうですが老化すると時間に急かされる感覚が抜けなくて・・

絶えず早くしなきゃと思ってしまうのです・・ははははは

郵便局を探し先日の札幌行きのチケット代金を振り込み、天神橋筋を時間潰しに歩い

てみました。安価で色々な商品があって・・この通りだけを散策に買物、食事に来た

いと思いました・・(*^_^*)

さて、肝心の<寄席>風景は凄く変わりました・・私だってまだまだ名前も顔も一致

しない程度だし、大きな事は何も言えず殆ど<寄席>通いも初心者ですが上方落語家

は今は数百人にも増加していると言うことで・・仰天しました・・(@_@;)

人数が増えただけに活躍する場所も沢山あるようで、ホールやシアターなどでも開催

されていると言う話でした。

あちこちで活躍できる場所がある事も“落語家”の進出が目覚ましく嬉しく思った。

TVのレポーターやタレント化して行く中で昔からの王道“落語”だけに精進している

姿は矢張り好ましく日本文化の真髄も感じられて古典芸能の良さを噛みしめてお腹が

痛くなる程笑っていた時間でもありました・・(*^^)v

今回は珍しく浪曲もあり、女性でしたが、若く演歌歌手でもあると言う人でした・・

あれだけの声が出るのですから、きっと演歌も上手なのだろうと想像していました。

私が知っている人は2人でしたが・・ま、3時間びっしり笑いの坩堝の中で何も考え

ずに過ごせた楽しい時間でした。映画も好きで行く方だと思いますが・・『江戸小話

や、講釈』には心惹かれるものがあります。時代小説も好きですし、時代劇の映画が

盛んな時代を通過してきただけにTVも未だに時代劇のファンです・・( ^^)

ま、年齢的にもそうなのでしょうが、江戸の泰平な世の中で庶民の生活が垣間見られ

ると言う小話や可笑しみには人情が細かく描かれているもので・・上手に演じる人や

惹きこまれてしまう演者もいて、長い何月の修行の成果が滲みでている人もいればー

「一寸未だもう少しだなぁ」なんて生意気に感じる人もいて・・それなりの面白さは

充分納得が出来て素敵な時間になりました・・(#^.^#)

*何と言っても若い人の成長は傍で見ていて頼もしく、何よりも励まされる気がする

 から好ましくて好きですねぇ・・うふふふふ*

江戸時代の”粋”を存分に楽しみたいと思っているものだから・・また出かけたいと

思っています。修行しながらも活躍できる場所があり、お客の反応が目の前で見える

舞台は恐怖でもあり、厳しくいい時代になったものだとしみじみ痛感して来ました。

何でもそうですが《一芸に秀でる人は矢張りそれなりの練習や努力、精進が身に付く

ものですから・・また新しい出会いを期待しています・・(^◇^)》

外出すると時間が早く過ぎ1日が吹っ飛ぶように過ぎてしまいますが、残された時間

の上に積み重なっていく楽しい時を仕合せに思っておりました。 帰宅すると、もう

夕飯の準備になってしまいましたが・・結構満足な刻を過ごせたと心裡を計りながら

感謝の日になったのは事実です。その上暫くぶりの友人との再会もまた何よりも嬉し

い時間でもあって・・お互いが元気であれば又、会う機会も増えると思うとそれさえ

も有り難さを存分に感じておりました・・(*_*)

今朝は未だ真っ暗な5時前に起きて、洗濯を沢山しました。もう既に太陽は輝きを撒き

散し始め、今日もよい天気になりそうな浪速の朝を迎えました。

「うーん  でも寒い!」
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/19(Fri)
まるで置き忘れていたかの様な雨量で、終日降リ続きました・・(-_-;)激しく降る

時間帯もあり、確りと降り傘を手放すことのない日になってしまいました!

そんな中昨日は何となく立ったり座ったりが多く、午前中に雨の中御苦労さまでした

が、電気保安協会の人が来たり、宅急便、役所からの手紙、新しいカードが届いたり

等して数人が来宅しました・・あんなにお天気で快適な日が沢山あったのにこんな雨

の中を申し訳ない気持ちで応対しました・・<(__)>

滅多に掛らない携帯も友人から掛るし【私の事です・・すっかり忘れていてバッグの

中から音がしている・・ははははは】それもクローゼットの中に入れているから・・

その程度の必需品なのです。うっかりすると何日も忘れたままになっているし忘れて

外出するなんて・・ざらで、殆ど使用しないから、外で置き忘れることは先ずないの

ですけれど・・とにかく「どうでもよい感覚ですから教えられた以上の事には興味も

なく覚える事もしない状態でしょうか?」・・うふふふふ

だから、時代に連いていけないことが多いのだろうとは思うのですが・・コンビニも

余り好きではなく先ず入らないから・・知らないことが多い。それに少し割高に感じ

のは私だけかも知れない!コンビニで銀行の用事や荷物を出したり公共料金の支払い

ができたりコピー機も昔のではないから使用できないし、チケットさえ買えない人で

これだから好きに慣れない・・年寄りには本当に住みずらい世の中になってきている

ゲームも全く駄目だし、カラオケも数回しか行ったことがない{音痴ですから}必要

がない・・遊びも殆ど知らないし、現代の学校も理解できていないから子供の相手も

できない。出来ないことの何と多い事でしょう・・(@_@;)

全く興味がない訳ではないのですが・・知りたいと思う気持ちが話を聞いている間に

萎えてしまって、面倒になるのです・・あははははは こんな事が出来なくても一応

生きていける何て直ぐに思うし『生きる事に、開き直りが随分あって』・・年齢の分

だけは生きる術や方法、生きる道だって解っているわ・・なんて嘘ぶいている部分が

あります・・えへへへへこれは厚顔無恥で単なる図太さだけなのですけれど・・まあ

そんな風にでも考えていなければ立ち遅れて行く様々な事に対応ができなく〚完全に

落ちこむだろうなぁ〛と思うものだから、一時期に比べたら結構立ち直りが早くなり

解らないことや手に負えないことはスルーする事を覚えたり・・ベトナム式でボケッ

としていると、親切な人が教えてくれたりする・・有り難い事で・・ははははは

そんな狡さが身体に浸透し始めております・・「やばい現象です」・・ふふふふふ

今日は≪夢の話≫をしてみます・・何か・ご存じの方がおられましたら教えて下さる

とすっきりするかも知れません。もう何年も同じ夢を見るんです。何時もではなくて

思い出したように・・その現象と言いますか?よく分らないのですが・・心の深層に

何かが存在しているのかも知れません・・\(◎o◎)/!

先ず、亡夫の夢は亡くなって20数年、数える程度しか見ません。顔も殆どなくて後姿

だったり、ぼやけている。亡父の方が多い位ですねぇ・・亡母は1度だけ出てきたこと

がありましたが・・薄情なのか家族の夢は殆ど見ません。娘は父親の夢ばかりずっと

みる様で「私は昔から主人に対して冷たい人だったからだ」と平気で言いますが・・

さて、その夢の内容なのですが・・何時も船が1番多くてある時は船まで走っている

夢だったりタラップに悠然と登っている姿がみえたり、船から岸や人々を見ていたり

慌てて車から飛び降り、船に向かっている姿が多いです。大きな客船で、沢山の人が

乗っています。飛行機の夢も多く、同じ様な光景が船から飛行機に変わっているだけ

で・・また列車もそうです。座っている窓に雨がガラス窓を伝って流れているさまは

何度か見ました。どうも乗り物ばかりが多く旅をしたいのか?はたまた乗り物は何で

も好きだから出てくるのか?全く理解できないのですが恐怖感はないのですが絶えず

急いでいる感覚はあります・・(*^_^*)不思議なのですが・・追いかけられている

感じではないのですが・・何時だって心が急いている気分の夢なのです。

ベトナムにいたときは全くこの種類の夢は見なくて・・ベトナム人と凄く上手く話を

している夢や遊びに出かける夢が多かったから・・これは<言葉に対する願望>だと

思っていたし、自分自身の劣等感の表れだとも感じていたのです。多分、これは的を

得ていると思うのですが・・船の夢が凄く不可思議で同じ夢を時々に見るもので・・

又、何処かへ行きたいのか?離された風船のように現実から逃避したくて飛んで行き

たいのかしら?などと思う事があるのですが・・何か意味があるのか、理解できませ

んが自分でも面白く興味があります。それも決まって、明け方に見る夢なので覚えて

いるのですが・・ふふふふふ

特別な意味があるのかも知れませんし大した事でもないのかも知れませんが・・同じ

夢だと言う事に多少の引っかかりがあります・・その程度ですが・・(#^.^#)

今朝はかなり冷え込みました。座って書いているとじんわりと冷えてくる感覚があり

天気は予報通り回復し日差しも出てきましたが、寒い朝の浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/18(Thu)
前日の天気が余りにも快適だったのに比べ、昨日はずっと雨降り、時々雷鳴を轟かせ

ながら降り続けました。それでも幸いにしてお昼少し前には雨音も優しくなった!

どうしても欲しかった毛糸を買いに出かけ即行で往復してきました。矢張り雨だから

店の中もがらんとしていて、もう殆どが少なくなっている毛糸を10個ばかり買い占め

て「これで、足りるかな?」とまだ不安でした・・編んでいるベッドカバーが8割位

は出来たのですが・・少しモチーフが小さい分時間がかかりそれに歳も+して思う様

には捗らない・・(-_-;)

数年前の私は2週間くらいで作っていた筈なのに。もう、そろそろ1ヶ月になるのに

仕上がっていない。肩の凝りや腕の痛みも出てきて居る「やれやれ歳だわねぇ}・・

その上、今回は色合いが暗く、今迄は様々な色彩で華やかだったのに・・地味です!

誰に見せる訳でもないし「ま、いいか?」と思っているのですが、その店は全商品

売り切れたら新商品を入れるようで、次々と明るい色が入ると思っていたのに残念!

真冬には毛布との間に入れたりシーツ代わりに敷いたりしていたのですが・・冬の

到来までにもう1枚は無理かな?・・(-.-)

11月末に亡夫の祥月命日で毎年札幌に帰るのですが・・その申込を1週間以上も前に

してあったが、返事がなかなか来なくて、大手の旅行代理店でもうそこばかり20年

近く利用している。ただ、今回は空港が異なり今までは神戸からとか伊丹だったのが

関空に変えたせいかな?なんて思っていたのですが・・(/_;)

思い切ってTELを入れたら、その電話も随分待たされて、その時期は凄く混んでいて

”キャンセル待ち”だと言う返事でした・・(@_@;)

1番空いている時期なのに・・凄く不思議でした!「嘘でしょう?」もうどれだけその

時期に帰札しているか?1度も満席になった事などは無かったはずなのに・・(-"-)

「団体ですか?」と聞くと「ええ、まあ」と言う。仕方なく「少し待って見るのでー

ご返事だけは下さい」と言い置いた。私も飛行機を変えるとか違う手配もしなければ

ならないと思っていたからです・・ところががその1時間後に突然女性から「行程通り

にチケットが取れました」と言う電話です。何という事でしょう・・悪くは思いたく

ないが「きっと忘れていたのではないかしら?」なんて意地悪く考え詮索をしてしま

いました・・でも取れて安心しました。全くーー嘗て無かった経験だったからでPcも

便利なようで面倒くさい。<結局は最初から電話で話をするか?対面形式が良いなぁ>

と感じていました。なぜならこの件に関してはPCで予約入れた後の話ですが、後は電話

でお問い合わせ下さいと書かれてあったからです。{何のこっちゃ}です。

そして4,5日で回答されますと但し書きが有ったのに・・(-_-メ)

〔1週間も放置されていたのかも?〕何て思いそんな時間と無駄な電話・・><;

次々と新製品が心太の様に押し出され、興味のある方や若い人には刺激になり便利で

しょうが・・携帯もタブレットなども何だかさっぱり【よう解らん】が現実問題です。

いささかその流れに閉口しつつ、辛うじて引掛って居るような塩梅で・・情けなくて

何も解らなくなる日も近いと想像できる気持ちです・・(;一_一)

さて、少し愚痴りましたが・・

※ベトナムでも特別(辛い料理)と言われている中部のフエ料理を少しご紹介・・

◎フエ料理=MON AN HUE

辛い味付けが想像以上に少ないのがベトナム料理なのですが、フエに限っては唐辛子

を多用する為ベトナム人にさえ辛いと意味付けされています。しかし、タイ料理ほど

ではないとも言われています。王朝があったせいで高級食材を使った宮廷料理もあり

ますが・・普段の料理でもフエ料理はかなり辛く感じて殆ど食べられなかったです!

①ブンボー・フエ

フエ名物の辛い殆ど真赤に近い汁入り米麺。豚足をオプションで頼む人も多く、この

料理はかなり有名です。知らない人はいない。北部、南部でも食されていますし、店

もあちこちにあります。

②網春巻き=チャーゾ ゼー

宮廷料理では網状のライスペーパーを使用しているが、市場でもレストランでも食べ

ることはできます。

③しじみ汁なし麺=ブン へーン

フエ料理の特徴の蜆を本当にすごく沢山使った麺料理。唐辛子がピリリと効いていて

とても個人的には食せないほど辛い。またしじみご飯もあり、ご飯の上にしじみ、蟹

香草、海老がこれでもかと言わんばかり載っている。よくかき混ぜて食べるのですが

これもまた強烈に辛いです。

④からし菜で巻いた生春巻き=クオン ジエップ

からし菜自体はさほど辛くないので普通の生春巻きの様に食せます。これならOK!

⑤海老とクラゲの汁なし麺=ザム ヌオック

高級食材のクラゲを使用した麺料理ですが、辛いよりも酸味の強いタレが掛けられて

でてきます。予想外に美味しい。このほかにも春巻きの種類が多く蒸した豚肉入りの

春巻きや海老入り春巻きなども名物料理です。主に春巻き類はあっさりして食べ易く

フエ料理の中でも日本人にはお勧めの料理です。色々な種類があるので食べ比べして

頂くと面白いかもしれません。

又、ベトナム人は食通が多く会うと必ず聞かれる言葉があります。

{アン・コム・チュア=ご飯食べた?}これは先ず誰からでも聞かれます。不思議な

ほど会う度に聞かれるので覚えた言葉でしょうか?・・・あははははは

「アン・ゾーイ=食べました」と言うと凄くがっかりされる・・(・_・;)

特に食べさせたいと思い総菜を買って来た時などは極端に落ち込む人が多いのも特徴

で有り難いから・・その事が解ってからは私の態度は変わりました・・( ^^)

「チュア=まだです」と言うと凄く喜んでくれるから最初は普通に応えていたのです

がその様子を知ってからは「チュア」と答える事が多くなって・・後で胃薬の世話に

なる事もしばしばでした・・うふふふふ

その上「ディー アン コーム ディ=ご飯食べに行かない」と言う言葉もかなりの

頻度で出てきます。ベトナム人は食いしん坊でもあり食に関する事には特別な意味が

有るのかも知れません・・(#^.^#)

来越の機会があったら、ぜひ辛いフエ料理に挑戦して頂きたいと思っています。私は

全くと言っていいほど麺類は食べられなかったのですが・・(-_-メ)

夜中も激しく降っていましたが、今朝ゴミを出しに行った時間6時前には止んでいたの

ですが・・またしっとりと暗雲が重たげに空を覆って降り出して来た浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/17(Wed)
余りの天気の良さにお布団等大きな物を干して、近場の大和川を見にでかけました。

{鴨長明}が書いた方丈記を彷彿させて・・橋と言っても国道ですが、暫し、川の

流れを眺めておりました。足元には枯れてきている草もあり色づいている草もあり

名も知らぬ野草が秋の風情を教えてくれる様に変化していました・・(-.-)

未だ数週間しか経っていないのに季節は完全に移り変わっている感じがしました。

上流からの水は「このところの好天気と暑さで少し水量が減っているかな?」程度で

毎日観ている訳ではないから証明はできませんが・・そんな感じを受けました。

本当に『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・』刻々と刻まれ

行く時間の中を水の流れは、泡のように儚さと寂しささえも留めることなくすっかり

忘れて流れていました・・(・_・;)

移り変わりゆく世の流れは【生死を繰り返す人間の生き様にも酷似して無常でもあり

社会のおどろおどろした出来事や悲惨さを嘆くように流れて行く様子は・・心の中に

大きな“楔”が打ち込まれて行く気がしました』ま、若い人々には理解して貰えない

感情の起伏だと思いますが、何かの変化が心の底辺から絞り出すように湧出してきて

流れを見ているだけなのに・・胸が熱くなったり、又は冷めて行く感情を持て余す心

で眺めておりました。20分程度でしたが・・国道を凄い勢いで通過する車の音も遮断

されて、その心奥の中に瞬間は溺れていた気がします・・(-_-メ)

ま、それだけ《生や死》の感覚が間近いせいかも知れませんが、ずっとただ、呆然と

流れる川を見ていただけなのですが・・背中に当たる太陽が気持ちよく適度に暑くて

歩かない散歩をしておりました。誰も歩いて通過する人はいなく、車の騒音だけが耳

に響いていました。堤防下では子供達や親子連れ、犬の散歩と数人が騒いでいたよう

ですが・・(--〆)「こんな時間も好いなぁ」と思いました・・(*^_^*)

帰路は郵便局に寄り未だ銀行の引き落としができない公共料金を支払って戻ってきた。

お布団は既にふかふかになっていましたが・・この日差しをもっと欲しくて裏返しに

したり位置をずらしては秋の日を堪能しておりました・・(#^.^#)

昨日の朝、ブログを書いている途中で物凄い罵声と叩く音がして・・ドアーを開けて

みたのですが・・あの底意地の悪い爺さんの家らしく外まで出てみる事も憚れるから

「何事かしら?」と聞き耳を立てていた。外に飛び出してきた子供を彼は手加減なし

で叩いていました。流石に顔や頭には手を挙げていませんでしたが・・どうも学校へ

行きたくないのを叱っていた様子だった。言葉も荒く手も早い人なんだと思いながら

大泣きする子供にランドセルをぶち当てていました・・(@_@;)

母親が毎日、車で送っていくらしく毎朝、怒鳴る声に慣れてきただけに吃驚でした!

ずっとドアーから見ていたのではありません・・うふふふふ 窓を開けているからー

立つと見えるのです・・暇な人だし何にでも興味を示すタイプです・・あははははは

※ベトナムニュースを2つばかり・・

◎カルピス

2009年頃から紙パックに入ったカルピス(希釈して飲むタイプ)が売られているのは

知っていたのですが。スーパーでは数回見かけただけでいつの間にか消滅していた。

個人的には好きではないから{日本製品}と言う感覚だけでした。所が、今年になり

90ml入りのCALPISminiが売りだされたそうです。中身はカルピスウォ―タ―で甘過ぎ

ずとても飲みやすくなっているようでコンビニのミニストップに売っていると言われ

ています。サイズはヤクルトより少々大き目ですが、味はヤクルトに似ているともー

値段が安価なのでベトナム人には購入しやすいようで少しづつ売れてきているそうで

すが製造はインドネシアで<現地ではカルピコ>と呼ばれています。

以前までのカルピスはAJINOMOTOでしたが株式譲渡でアサヒグル―プホールディング

の子会社に変わっています。

◎ポカリスエット

2012年8月から大塚製薬が合弁企業{大塚タンニュートリション」を設立し、ポカリ

スエットを販売しています。日系のニュースでは紹介されたそうですが・・( ^^)

ベトナムローカル市場では未だほとんど知られていないのが現状です。9月に小規模

なキャンペーンをホーチミンのスポーツクラブで催したと言われています・・(-.-)

しかし、ローカルスーパーで商品を探しても未だ入荷されていなかったりもあったり

大きなスーパーではペットボトルの飲用水の横に有ったりするのですが大体ベトナム

では{500㍉}で60円はするからコカコーラの倍の値段です。今の所売れ行きは余り

よくなくて、知られていないのと高価だから・・いまいちだと噂されています。

(ベトナムニュースより)

沢山の企業が入っていますが、暑い国だから自国での製品も数多あって市場参入には

難しく高いと先ず買わないのがベトナム庶民です。これからに期待したい商品です。

今朝はもう起きた時間から雨がぽつぽつと降りだし、確りと降っていて珍しく騒音が

なく雨音だけが聞こえる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/16(Tue)
『言葉』って本当に難しい。特に日本語には1つの言葉でも言い回しが数あるから

その上語尾につく言葉もさまざまです。「です」「ます」「でした」「ました」と

か「・・でない」「・・と思う」「だ!」と確実でなかったり、断定を表したりし

たりもあるし、それでも日本語を流暢に話す外国人を見ると感心し仰天します!

若いころに覚えた人がやはり多い様に思いますが・・あれだけ長く住んでいた国の

『言葉』ができなかった事に忸怩たる思いがあります。度胸もなかったのだと思い

ますが、緊迫感が不足していた場合もあります。周囲に日本語を話す人がいた事も

弁解的に言いますが・・あははははは 苦労せずに通じていたせいだと思います。

しかし、言い訳次いでに言いますと、矢張り脳の固さや気力がなかった部分も山積

されていた気がします。もしも、話せていたら違った景色や光景が見えていたとも

感じたこともありましたが・・ベトナムの本も辞書も全て処分してきたから、手元

には何もありません・・(-_-;)勿体ないと思う心とこれで良かったと思う心が2分

しているのが現況でしょうか・・うふふふふ

ノートに日記程度に書いたものが数冊有って、それを開いては思い出す有様で・・

息子に「何が何でも辞書位は持って帰ったら?」と言われていたのですが・・日本

に帰れば、本やにあると言う安易な考えでおりました・・そして、それ程必要視し

していませんでした。もう完全に諦観状態でしたから・・!(^^)!

本当に荷物を少なくすることで頭がいっぱいでした・・4年間と言う時間は長く随分

気をつけていても物はかなり増えていました。そこで生きていた証だったのですね!

しかし、私がいた間に荷物が20㌔から40㌔までは可能になって結構持てた筈なのに

スーツケースをいかに減らすかばかり考えて荷造りしていた記憶があります。

肩や腕に指先にまで力が入らないほどでしたから。30㌔にも満たない荷物に空港内

で検査の度に掛りの人に[お願いします]と言っていた体たらくでした・・(-"-)

ベトナムにいた時間は凄く自由で色々な事を思いきり考える時間でもありました!

それは神様から与えられた時間だと絶えず感謝したものです・・<(__)>

その頃【日本語】を忘れない様に時々漢字の練習をしたり、漢検のゲームなども又

よくしていました。日本人と言う誇りが私の中には凄く強くて、四季があるこの国

が自慢であり、大好きだったせいもあり、はたまた、偶然にも“俳句”と言う趣味

があって、勉強した時間があったことも幸いしました・・(#^.^#)

「今頃では何の花が咲いているかしら?」「暑くなって来てる?」「今年の雪量は

どうかしら」等と色々その時期に頭の中には{日本の四季が浮かんでは消えていた

のです}日本人が素晴らしい人種だと思う心に四季に対する感覚がどの国の人より

も優れている感性があると言う自負でした・・(*^^)v

感覚は鋭く繊細で微妙なその心情は他の国にはない【心】だとずっと思っています。

和の持っているその感性は誰の心にもあると信じていましたから・・四季がある事

はある意味凄く不経済ですが・・それでもその雰囲気や環境で生まれ育った矜持は

深く心を揺さぶっておりました・・(*^_^*)

偶然にも”俳句”に出合っていたから割と明確に表現できる『言葉』を少しは知る

機会があった事も幸いでした。歳時記の持参は文庫本程度を1冊持って行っていまし

たが、それを見ている時間も割合あって楽しかった思い出や日本を思い出す事への

きっかけや郷愁でもありました。その本も処分して来ましたが・・(-_-メ)

しかし、不思議に思うのですが、小さい本でしたから季語の数も少なかったのですが

色々と本から過去の事が思い出されました。例えば【月】等は、ベトナムではそれ程

鑑賞したり眺めたりする時間はなかったし【月】を見ていると変な人的感覚で見られ

ていましたから・・はははははそれでも凄い数の季語が浮かんでは消えて行きました。

今は手元には歳時記はありますが開けないでも思い出せるから自分の中では四季に関

する心は消滅していなかったことを思い嬉しく感じます・・(*^。^*)

【初月、二日月、三日月、弓帳月、名月、雨月、芋名月、上り月、下り月、立待月や

 居待月、臥待月、更待月、有明月、十三夜、十六夜、豆月】等はすうっと出て来る。

本当は歳時記を繰ればもっと有るのですが・・( ^^)  数え上げれば切りがなく本を

出してみればその数の多さに驚きますが、これだけの数でも自分の中では異国にいて

思い出せたのですから、決して無駄ではなかったと思いました・・(・_・;)

また好きな季語と言うのもあって必ず使用するものもありました。1つの花にも何種

類もの名前があり、覚えるのに時間がかかったりいちいち歳時記や季語の本を出した

りして調べたものです。「なぜこんな話を書いたのか?」は大切なブログの知人がー

『言葉』について書いておられたのを拝見して同様な感想を持った事があったからで

日本人の持つ『和の感性や言葉』は素晴らしいのに酷く『言葉』が乱れていることも

気になった部分がありました。そして、この地の荒い(河内弁)とも重なっていたし

尚、考えていたのだと思いますし、考えなければいけない傾向が私の中で生じたから。

『言葉はどんどん変化して行く』事も、省略されたり新しく作り出される言葉も沢山

有る事は充分承知している積りですが・・【日本語】ほど素敵な感性や情緒をもつ粋

な『言葉』は無いと思います。日本人に生まれて育って本当に幸福だったと心底思い

生きている感じでしょうか?なのに、曖昧な言葉が多い事も正しく使用されていない

『言葉』も多い気がして残念に思いますが・・><:

四季のあるこの細長く小さな島から生み出された国の『言葉』単一国民で【日本語】

が頑なに受け継がれてきている国は先ず他には無いのではないでしょうか?

人情も厚く、その感性や感覚は長く伝統されてきた日本人の心の中に誰でもが持って

居ると思うのは今は時代錯誤になってしまっているのでしょうか?

古き時代から培われてきたこの【日本語】の素晴らしさ、見事なまでの感受性の成育

をもっと、大勢の人に感じて欲しくて・・( 一一)

異国にいるとそんな事が無性に研ぎ澄まされて感じるものなのです。日本人の文化は

何処の国にも負ける事などはないと思っていますし色々な民族の集合ではなくたった

1つの国民である意識と教養の高さを、日本人はもっとアピールして世界へ向けてその

誇りを持って頂きたいと思っています。【日本語】って素敵です・・\(~o~)/

昨日は日中は汗ばむほどまで気温が上がりました。でも、電車に乗って見知らぬ町に

降りて、商店街を歩き、薬缶と湯呑を購入、銀行へ行きました。丁度、15日で何処の

銀行も長蛇の列ができ26度以上は有ったと思いますが・・外まで並んだ場所もあって

凄く時間がかかりました。もう、そう言う日には出掛けないと決めながら珍しい街並

を見ながら、ここにもまた違った雰囲気と生活がある事を知り、楽しい時間でした!

次々と違う駅で降りて見学してみようと思っています・・(*^^)v

今朝も朝は少し冷えましたが日中は暑くなるとのニュースを聞いた浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/15(Mon)
地球の温暖化で随分気象が変貌してきているという話を聞きますが・・道産子の場合

もう、とっくに初冠雪がある筈の大雪山に昨日降ったというニュースに驚きました!

毎年、大体9月末か10月初めに初雪の話がでて「あー愈々冬が近づいて来た」と言う

感覚を味わうのですが・・随分遅いですし今夏は凄く暑かったとの事も有ったのか?

矢張り異常だと思いました・・(-_-;)

世界でも様々な現象が起きている様ですし、気候の違いが国民性にも反映されている

とも言われています。世界各国の人達や民族の性格も又、自ずとそこに住んでこその

密接な繋がりがあると言う気がしてなりません。

今日は気候の話ではなく、海外に住んで気がついた事。不思議に思っていた事を書い

てみようと思います。日本人は勿論私も含めて酷く《曖昧》な言葉で生活していると

思える事が多々あります。海外にいれば自分を主張せねばならない場合が多く大袈裟

に言えば{日本を背中に背負っている感覚がどうしても離れず《曖昧》な言葉や行動

は嫌がられるし理解して貰えない部分が多いです}「YES」「NO」をはっきり言わな

ければ通じない場面に何度も遭遇します・・(@_@;)

所が日本人は往々にして「NO」が言えない気質がある様で『曖昧模糊』な返事をして

しまいがちです・・(-.-)日本に住んでいる時は殆どそんな事は考えずにいました!

便利な言葉に「どうも!」「まあまあ」「ぼちぼち」「えーまあ」「そんなところで」

なんて平気で使用していたしそれが通用しないなんて、想像もしなかったものです。

行動も習慣の違いに戸惑ってぼかしたようないい加減な気持ちで接するときもあって

かと言って何かの被害に遭った訳ではないのですが・・自分でも最初からその言動が

普通だと思っていたからと言う心もありました。しかし、社会主義の国の思考は先ず

第1に〚自己主張〛ありきから始まって「どっちにしようかなぁ?」何て悩む事はこの

国の人には全くない事や自分が悪くても決して謝ったりしない【常識の差異】が段々

と深くなり・・自信喪失して行きました・・(-"-)

今でこそ国民性や気質、習慣、風習など、はたまた、社会主義の思想的な考えに接し

住んで観て何とか朧気には少し解った気がしていますが、とんでもない事で大喧嘩す

る国民性には中々慣れませんでした。しかし、自分の意見や「NO」位は言わなければ

ならないことを知るようになり・・私も次第に〚自己主張〛の強い性格へと移行して

行きました。そうしないと生活が成立しなかったからです。遠慮したり恰好つけては

暮せないのが海外での生活だったと思います・・(-_-メ)

大方の国民は日本人に好意的です。しかし、嫌悪感を持つ人も結構いるから・・です。

些細な例ですが道路を歩いていて狭いから横に除けるとか日本人なら誰でもがすると

思いますが、海外では特に日本人を好まない人と出会った時などは除けると言う行動

は外国人として当たり前だと感じるようです。韓国人も全く除けてくれませんでした。

相手が自分の国に入って来ている外国人と言う目で見る人もかなりいるものです。

そう容易く謝る事も全くないし、ぶつかっても「お前が悪い」的な感情をむき出しに

する人にも大勢出会いました。大きな誤解が有って、日本人は全てが英語を話せると

思っているし、日本人はお金持ちと言う考え方が浸透しています。

だから、一緒に食事に行っても支払うのは日本人だと最初から決めている。それも1人

や2人とかではなく誰それの友達、姉妹などと連れて来るのが普通だから・・(@_@。

彼女1人を家に招待した積りで居ても、必ず数人でやってくる事が普通で見知らぬ人

が数人平気でずかずかと入ってくる。遠慮のない国だから至極当然のこと・・><

何処でも誰でもがそうなので・・迂闊に「食事しましょう」なんて言えない。最もー

物価が安いから大したことではないのですが・・予定が立てられない。どれだけ準備

すればいいのか見当がつかないからです。ま、何度かそういう経験をすると分っては

来るのですが・・悪気がないから・・そう言う意味では親しみのある国民です。

トイレの話に飛びますが・・紙の使用は絶対禁止(高級ホテルは例外)になっている

から、また、水洗式でないところも未だ未だあるし、桶や甕の様な所にお風呂で使う

手付きのバケツ等が浮かべてありいちいち用を足した後、外に出て水を汲んで流すと

言う家がまだ随分あります。地方などでは特にそうでした。日本では考えられない事

だから、戸惑ったりもありましたし、その水も雨季の時期に貯めておくことが多くて

見知らぬ家や旅行先で拝借する時にはかなり抵抗がありましたねぇ・・(#^.^#)

虫や蚊がいっぱいだったり、それでもそこしかなかったら・・野外でしなければなら

なかったりもあり恥ずかしく、数人で大きな布で囲われて用を足した経験もあります。

それはそれで強烈な思い出になっていますが・・地方に行くと誰でも当然の様にして

いる光景を見る事がありましたねぇ・・\(◎o◎)/!

帰国して1ヶ月ほどは紙を流す事に一瞬の躊躇いがあって自分を笑っていましたが・・

慣れとは恐ろしいものです・・あははははは 無意識で紙を入れる容器を探していた

りしていました。台所も水道がシンクに付いていなくて、別にあったり地下だったり

する家も多かったです。しゃがんで洗い物をしたり、台所はあるのですが座って野菜

等を洗う事も多かったですねぇ・・(*^_^*)

ま、高級なところではそんなことはないですが・・ははははは。私は庶民生活がした

かったから、また、貧困者の生活を体験したかった部分もあって、随分安い生活費で

暮した経験があります。それだけに面白い体験ができたと思っています。

空き巣に2回も入られたり家電やPC、携帯等色々盗難にも遭いましたが・・!(^^)!

概ね、快適な暮らしでした。知らないことと言うのは本当にワクワクするものです。

恐怖も絶えず有ったし、緊張感も何時もありましたが、社会主義と言う全く異質の

思想と思考には脅威とともに興味もあったことは事実です。

不可思議な事が沢山ありましたし≪官≫には逆らわないと言う無言の圧力を常時感じ

ておりました・・(;一_一)拝金主義の横行や横柄な態度は公安と言う官の立場から

絶えず見下して見られていた気もありましたが・・直接の被害は1度もなかったです

し、資本主義を早々と取り入れ、中国とは異なった政治だったから、国民も理不尽が

多くても我慢していたし、それができるほど国の成長も早急にありました。

それは年々感じていた感情でまた、政策も次々と時代の流れに乗って流動しなければ

ならない状況であり、社会風潮でもありましたから凄く未開発の時代と発展途上とは

言えかなり経済も社会も潤って安定して来た時代の2つの生活環境の中で暮せたことを

幸福に思っています・・<(__)>

誰でもが体験できることではなかっただけに「少しは視野も広がったかな?」とかー

自分を客観視出来る時間が沢山持てた事を何よりも自己満足しています。決して自由

な国ではなく制限がいっぱいあって不自由だけれど、その中でも陽気で逞しい女性達

の生き方は不思議と違和感なく入り込めたし、受け入れられた気がしました。

いいえ、そうしなければ生活できなかった部分が多分にあったのは事実です・・( ^^)

それでも異国に何年も暮す事は刺激的ですが、どこか麻痺している部分もあって、気

の強さだけが表出していたのかも知れません・・うふふふふ

今朝は少し雲が多く青空ですが時折翳りが何度もやってくる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/14(Sun)
全くまた「やってしまったぜ!」状態ですが・・><どうして、こんなミスを平気

でするかなぁ・・なんて一寸がっくりしていますが・・最後まで気がつかないから

始末に負えない・・とほほほほほ

ま、粗忽と集中力がなくて、書いている間は次々と言葉は今のところは出てくるの

ですが・・近い将来は完全に枯渇してしまいそうです・・(-_-;)

それも仕方ないのかも知れません・・すっかり、寒さを肌で感じる朝晩になり熱い

お茶が恋しい季節へと移りましたねぇ・・恥ずかしい話、殆ど手放して湯呑茶碗が

◎◎焼き何て言うのしかなくて、小さいからお抹茶茶碗に一杯入れて飲んでいます。

やれやれ・・見た目は格好良いですが・・中身は日本茶です・・うふふふふふ

早く薬缶と湯呑を購入しなければと思っているのですが、近辺のスーパーは食料品

と生活雑貨だけで、薬缶や湯飲み、皿やコップがない。出かけて行く日は結構ある

のですけれど・・1つの事で夢中になって出かけるからもう、そんな事既に忘れて

しまっています・・あははははま、この程度ですから今更ですが・・先ず物を増や

さない様にそればかり考えている。それでも最低限は必要ですわねぇ・・(-.-)

フランスに3週間住んだ時に、カフェオレを飲む時には何時も日本のご飯茶碗程度

の大きさにたっぷり入れ、クロワッサン1つと言うスタイルが朝の習慣で、風景で

も有ったことを不意に思い出しておりました・・尤も、珈琲が飲めない私は何時も

紅茶でしたが!それでもクロワッサンが美味しくてサクサクした感触は今も覚えて

います。本当に少しの間でしたがフランスには素敵な思い出が色々あリ楽しかった!

今編んでいるモチーフ繋ぎのベッドカバーが少しモチーフが小さかったようで150枚

位だと思っていたのですが、昨日から繋ぎだしたら想像していたよりかなり不足して

いて、未だ暫くは編みながら繋いで行かねばならなくなってしまった・・(-"-)

何時もはもう少し彩りも綺麗な毛糸で編むのですがこの店は老人用なの?渋くて地味

な色合いしかなく「それも珍しいかな?」と編み出したのですが、殆ど買い占めてい

る位の数を買っている気がします・・あははははは

ベッドカバーを購入した方が安かったかも知れない・・(-_-メ)しかし、お布団の上

に掛けていると色合いが綺麗で気に入っていたものですが・今年はくすんだ色合いに

なりそうで、婆さんのベッドには丁度いいかも知れません・・(#^.^#)

※ベトナムのニュースが入りましたのでお知らせします。

ホーチミン市内に大きなビルが完成し10月10日に開店した店のご案内です・・

◎ペッパーランチ

徹底的にステーキ肉に拘った店で、目の前でジュ―ジューと音を立てながら焼き上げ

るやり方でペッパーランチならではのスタイルだと言われています。

オリジナルステーキバターとステーキソースにはかなりの自信があると言うオーナー

の店です。

◎ヴィンコム・センターA

白いネオクラシック調の建物が特徴で、地下3Fから地上3Fまではフロアーがブランド

ショップ、フードコート。カフェ等が入った総合ショッピングセンターができた様で

又、1区の名物になると思います。来年初めには地上4F以上は5つ星ホテルと言われる

《ヴァンパール・ラグジュアリー・ホーチミン》もオープンする予定だそうです。

センターの1F、ブランドショップは未だ準備中の店もあるそうですが、地下は大半が

開店しているようです。地下1FにはHOME ONEと言う家電店、SONY CENTER等があり

SAMSUNG、HP、BLACK BERRY, CANONと言ったIT企業の店も入っていると言います。

地下2Fにはカフェ、ベーカリー、地下3Fには日本料理店としてしゃぶしゃぶの牛陣や

ラーメン店AJISEN RAMENも入っているようです。

◎IZAKAYA SHOUKI

福岡(博多)を拠点にしてチエーン展開をしている{しょうき}がホーチミンに出店。

日本同様の豚しゃぶや二色火鍋、博多もつ鍋を中心にした店で、秘伝の手羽唐、パリ

パリポテトとスモークタンの{しょうきサラダ}が有名。

その他には焼き餃子等もあり居酒屋メニューが目白押しにあると書かれてありました。

日本の産業の進出や有名店の出店は経済復興にも繋がる事ですし・・嬉しいニュース

でもありましたので取り上げました。<ベトナムニュースより>

昨日の朝の冷え込みは1番だったそうで本当に寒く感じました・・!(^^)!が日中は割

と日差しもあって・・温かくなり快適でした。どこにも出かけないでTVドラマを見な

がら、せっせと編み物を繋いでいたのですが、部屋の中の方がじんわりと肌寒く感じ

て背中に大きな薄物のスカーフと足元にはひざ掛けを掛けていて丁度いい位でした!

先日娘に会って来た時に、体重がかなり増えていると確信していたもので計ってきた

のですが・・ま、何とか5㌔近くは太っていて、老いてから貧弱な身体はみすぼらしい

と言われていたので、随分、ここにきて食事を増やしていたのですが、とにかく当然

ながら、食の細さは中々治らずにいます。脂肪分のあるものもお菓子等もつまむ様に

なったのですが・・( 一一)脂肪を摂ると胃が重く消化が遅い気がしています。

以前が異常だったから多分、この程度が普通だと思っているのですが・・お酒は凄く

少なくなり、色々なおやつを食するようになって、飲めなくなってきましたねぇ・・

{いや―この歳で大酒飲みも恥ずかしいですが}月にビール5缶位にまで減ってしまい

ました。とにかく他のものでいっぱいになってしまうからだと思いますが・・(^^ゞ

日曜日の朝は晴れて明るい朝になった浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/13(Sat)
追記の部分に書きましたm(__)m
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/12(Fri)
自分の{死}について随分考える時間が私にはありました。それは暇で有った事と

異国の人々の{死}を何度も見る機会があったことも影響しているかと思います!

何度か書きましたので煩わしい方は斜め読みか?スルーして下さいね・・( ^^)

ベトナムは未だ大半が土葬です。宗教によっても違いますが凡そ何度も見た経験で

はどんな時間帯でもその葬儀は何時からと言う日本的な確実とした決まリ事はなく

大まかにはある様ですが・・亡くなると・・終日その家は紙で作られた花輪が飾ら

れ、人の出入りが急増します。

遺影の写真や棺があったりは同様ですが、近親者は真白い服装か?黒い服が多くて

(宗教によりかなり様相が異なります)がそれ以外は知り合いや近所の人々は民族

衣装のアオザイ、平服で参列します。生花も飾られる所も多くありますが、殆どは

紙の花で、紫のリボンが花輪の上から長くかけられています。

写真の周囲は生花が多かったようですが・・勿論日本の様式だって色々な式がある

様にベトナムにも片手位しか確実に見た経験はありませんが・・教会でする場合も

有りますしお寺もあるようですが、しかし、自宅と言うのが多かったと思います。

早朝も夜中も関係なく楽団(吹奏楽)が入り、その音響は周囲の全ての人に知らせる

如く鳴り響き、断つことがない程の賑やかさと騒々しい雰囲気は出棺まで続きます。

道路は相変わらずバイクや車の騒音が激しいがそれにも負けない程度の響きでした!

初めてベトナムに住んで、その音を聞いた時は飛び上るほどの驚きとその音の凄さ

に仰天したものでした・・\(◎o◎)/!

賑やかに見送るのがベトナム式で、日本の様に取り縋る様に泣いている人もいないし

涙を流している人は先ず、見かけなかったのは・・随分違うものだと感じました・・

小路の中の家ならその小路を一回りしたり、教会などでは鐘が何度も鳴らされたりと

様々でした。陶器で出来た棺や木製などもあり、葬儀社の人や親族大勢で担ぎ歩く姿

はゆっくり『この世とあの世までの道程をまるで計る様に歩くのです』

先頭には楽団が20人程度はいてその後は親族が続き、家族が多いから親族まで白か黒

の服装姿の人達が何10人も居て、その後に棺を乗せた台が通過、その後は鉦を鳴らす

人や花輪を持った人が続き、最後は知人や近所の人が一緒に歩いて道路に置いてある

霊柩車迄行列が延々と続きます・・霊柩車は木製で龍の彫り物が飾ってあり、蓮の花

や様々な鳥や花等で極彩色をしています。使い回しをするのでしょうペンキが剥げた

ものや新品の車(最もトラックに飾りがついているだけなのですが)真ん中に大きな

角太の木が2本載せてあり、棺をその上に滑らせるように載せ、動かないように4角に

は引っかける様な物が付いていたり葬儀社の人が乗り込んで押えていたりしている。

後ろからバスや車で埋葬場に行く様でした。その間も残された家には、多数の人の出

入りがあり、食事やお酒を飲んでいたりとずっと賑やかでしたねぇ。

その辺りまでしか見る機会がなかったのですが、若い人の死ではなかったからかもー

知れませんが、サバサバして哀しみを背負って泣き崩れている姿は1度も見たことは

有りませんでした。賑やかであくまでも陽気に見送るという感じです。慣れていない

から物珍しくて酷く亡くなった人には不謹慎だったのですが・・ずっと傍で見ていた

式もありました。そんな光景を何度か見ると{死}に対する考え方もかなり変わった

気がします。寂しさは勿論あるのでしょうが・・暗いイメージや悲しみに耐える感覚

は見られなくて・・〔むしろ天国へ召されたという感じが強いのかも知れません!〕

どの年齢でも惜しむ心は余りない気がしました・・多分に国民性であり気質の問題で

有ると思いましたが、葬儀の家の隣でも店を閉めることなく食堂などが満員だったり

するから・・遠慮とかの気遣いはない国なのだと思ったものです・・(@_@;)

人間は、どんな時でもお腹もすくし眠くもなる、自然現象に逆らうことなく、隣は隣

みたいでした。狭い小さな家から、豪邸まで見る事が出来ましたが・・葬儀にかける

費用と言うより棺にかける費用が大きい感じでした。それは素晴らしい陶器で装飾が

ほどかされていた棺に何度か遭遇しました!聞いていないので正確ではありませんが

立派な棺に人々が指さしていたいたのを見たので、きっとそうだと思ったのです!

その式を目の前に見る事が何度か有って、老いに対する考えも漸く自分の中で容認が

出来た気がしました。順番では決してないけれど・・こんなに賑やかに送って貰うの

も《悪くないなぁ》なんて何度も思っておりましたから・・(-_-;)

現在の日本も昔に比べたら嘘のように家族葬が増加しているようで、亡夫の式などは

分不相応だった事を今は感じております。大金が飛んで行きましたから・・!(^^)!

こんな時代が来るなんて想像もしていなかったから・・勧められるまま、又、社会的

な彼の信用や地位もあり、言われるままでした・・その事の経験も鑑みて私は一切の

式は不要だと遺言しています。ただ子供達だけで、親族の参加も不要だと思っている。

<市や区>で行っている最低の葬儀で充分過ぎると思っているのです。 色々な事も

思い出もその日を境にして、全て“無”になって忘れてしまって欲しいと思っている。

自分が生きていた証を残したいなんてさらさら思わないし、子供を遺したことだけで

充分だから・・後は全て処分しておこうと思っている、帰国した理由がそれだから!

「これから未だ時間がどの程度あるのか?些少の楽しみと興味、不安感もありますが

出来たら陽気に逝きたいなんて考えているのですが・・(#^.^#)」

どんな陥穽が待ち受けているか見当がつかないだけに尚更それを通過した喜びを祝う

心で見送って欲しいと思うのが個人的な考えなのです。

これも、きっと上手く行かない気がしますが・・心の中ではそのように感じそう言う

方向へ自分の意志を繋ぎ歩いて行きたいと願っているのですが・・うふふふふふ

       **どうなっていくのでしょうか?**

昨夕から激しく降り続いていた雨は明け方には止んでいました。ただ洗濯が乾くほど

の勢いはないような気がしている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/11(Thu)
車中から吐き出されるように大勢の人は先を争うようにホームへ降り立つ。ホームの

上は洪水渋滞で人々の大移動が流れる大阪駅です。押し出されるようにしてつんのめ

るようにしてホームに出ると、そこには入ってくる人でごった返していて、急ぎ足で

走る様に階段に向かう人あちこちで交差しては「ごめんなさい」を何度も言いながら

エスカレーターへ誘動されて、その流れの中にいる自分を眺めている。

これだけの人々には何かの用事があって偶然に遭遇する一瞬の時かもしれないけれど

全ての人には生活があり、家庭があるのだろうと思いながら人間の生活のほんの一片

なのに・・何かに追われてでもいるかの様に忙しく右往左往している。

人生の縮図を見ているようで、時間があればホームに座って観察していたい衝動に駆

られておりました。緩慢に動く人間などまるで邪魔者の様に押しのけて行く駅が確実

にある凄さを感じていました。漸く乗り換え目的の駅に到着。駅から直ぐのデパート

での姪の展示即売会。近いし、初日だから間違いなく来ると思っていたから連絡なし

で到着したら、娘が熱を出したとかで休んでいた。知り合い数人にケーキの差し入れ

をして一通り作品を見て回って、感動した・・(#^.^#)

あれだけ忙しく子供の学校の役員から町内の組長迄やり、仕事をこなし作品作りから

家事までこなしている姪を見て、何時も本当に「えらいな・・」と言っていたのです。

このところ四年間作品を見ていなかったから少し作風も変化していたし新しい作品に

挑戦している姿も見れて良かったです。大勢の人は入っていなかったけれど、それなり

に覗いていく人がいて、ま、展示会としては良い方だと思った、私の様に暇な人の老人

が多く、男女とも興味があるのか時間潰しなのかは分からないがー説明を聞いたりして

数人が相手していたので安心した・・(#^.^#)

2つ先の駅が娘の家なので駅近辺のスーパーで買い物をして家に向かった。今朝方まで

眠れなかったとかでまだ眠っていたのだが・・買い物を渡してから1時間もいなかった。

早めに出たつもりだったのですが駅までの歩き30分と私鉄20分、JR乗り換え2回あって

お昼頃にデパートに着いた。久しぶりなので少し店を冷やかしていたら展示会の時間も

入れて2時間もいた様で、娘の家までと買い物をしていたら午後2時過ぎになってしまい

娘とは1時間も喋らずPCでどうしても出来ないことを依頼しただけで、駅へとまた・・

帰り道を急いでいました。ラッシュに有ったら、それでなくても弾き出されそうだから

心が急いていました・・(-"-)

幸いにも好都合に電車の連絡がよく、道も間違えずに家まで行きより早く着いたのだが

5時過ぎていた。それから直ぐに食事の用意をして、PCに向った。

何だかあちこちと寄ったせいでしょうか?かなりの運動量だったようで流石に疲れた!

人間の心って面白いもので楽しいことが重なると疲れは吹っ飛ぶのですが・・老化には

殆ど関係がないようで・・あははははは

同じ時間帯で出勤していた若い頃は同じ時間に乗る電車で何人もの人との出会いがあり

その人が見えないと「どうしたのかしら?」なんて余計な詮索をした時代もありました

がしかし老人になって仕事もなくたまに電車に乗って座ることができない時間は僅かの

30分位でも立っているのは結構、疲れました。殆どJRは立っていたので、私鉄に乗って

座われた時は本当に安堵したものです・・( ^^)

毎日こんな混雑した電車で通勤、通学している人を眺めながら、自分にもそんな時間が

あった事を思いだしておりました。生きること、生活することの苦しさ何て、何も考え

ていなかった時代の話ですが・・(-"-)若さとは何にも勝るものだとしみじみ思いつつ

未だ先の見えない人生に、多少の不安を持ちながらもよたよたしながら歩ける自分なり

の人生を考える時間でもありました。混んでいて本を読んでいたから。周囲の音や声は

今日は耳に入らなかった・・騒ぐ人もなく何かに疲れている人が多く、眠っている人が

目立った。立って本を読みながら半分は窓の景色を見ていました・・(-_-)

淀川は流れも速く、以前には河川敷にホームレスのブルーシートが沢山あったのですが

すっかり撤去されていました。しかし、その周囲にはペットボトルや流されてきた汚染

されたゴミが沢山あって・・折角の流れを損なっていたのは残念でした。人間の心情と

は1つでも捨ててあれば誰かが捨てるみたいな事がある様で、ゴミ箱などは必ずある筈

なのに、溜っていくという現象は不思議です・・(・_・;)

その上不快に思ったのは、大都会ではそれが普通になってしまっている事も多い様で

田舎の川や駅にはそれがないことが当り前になっていることだと思えた事です!

集団でする行為は心の中が軽くなるのかも知れませんが「ま、いいか?」が多いこと

も考えねばならないことだとそんな事を感じながら電車のつり革にぶら下がっていた

のでした・・(-"-)何時も何かを感じ考えているのは暇だからです念の為・・(-_-)

今朝は、なぜだか2回も一瞬にしてPcが切断するという事態になり英文字が流れて何

が起きたのか理解できませんでした。自動的に回復したのだと思いますがはっきりと

は解りませんが・・(-_-;)

暫く放置していたら・・書けるようになりました。取りとめのない話になってしまい

思っていた事は何だったかも忘れてしまっていました!ショックで・・うふふふふふ

朝、雨が降っていたので洗濯はしなかったのですが、太陽が顔を出してすっかり今は

晴れてきました浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/10(Wed)
風吹く田舎の町に流されて、結構楽しく暮らしていく事が出来ております・・( ^^)

今は若くはないから、多少の心の動揺があって、見えていない部分が沢山あるのだと

思いますが、この空はベトナムや息子の住むカンボジアに続いているのを感じて人生

の旅を続行中と言ったところでしょうか?・・(*^_^*)

時折、人生に人との関わりに逆らったり行き暮れることも間々ありますが・・ま、何

とか平凡に過ぎている気がして・・幸せだと思っているんです。帰国して1番思った

ことは、自分から飛び出さないと何も出来ない。解決できないという事実に気がつか

された思いで生活しています。当然のことなのですが・・うふふふふ

ベトナムにいた時は誰かが助けてくれていた。息子だったり家族だったり友人たちや

知人などが傍にいて、それが普通の様になっていたから余り物事を決断する事や相談

する必要性がなくぼんやりと毎日が緩慢な流れの中で凡々と時が刻まれて行っていた

のだと思います。決して短い時間ではなかったのですが、その生活が至極当り前だと

感じていたのだと思います・・(-_-;) *周囲の方が気遣いをしてくれていた*

その上、生活する分には何も不自由がないから、当然の様に甘えて、年寄りが大切に

されることにもある意味、横柄だったかも知れません・・(^_^;)今、日本に住んで

10年前に住んで帰国した頃よりずっと気持が楽になっています。不思議なのですが

そりゃ、これだけの流動的な世の中の流れにいるのですから老いている分、確実に

しんどく緊張感を持たねばならないのでしょうが、ベトナムでの日本人と言う矜持

と言う大きな心の盾から外され、ほんわかと自分だけの行動で生き暮らして行ける

仕合せはあのベトナムでの時間があったからだと最近よく思うのです・・(#^.^#)

大勢の人に助けられて、生きていた時間だった!それも自国ではなく異国で生きた

時間は本当に貴重で心の中に蘇ります。自分の人生は本当に我儘勝手で子供の心も

或る時期から無視して自分だけを大事にしていて頑なに心を閉ざした時期があった

その意味では今は凄く心が穏やかで・・少しは成長できたかなぁなんて思っている

のですが・・!(^^)! 老人になってからは心情も性格もこれは中々、治せないから

子供の方が我慢しているのだろうと思えるようになってきました・・えへへへへへ

※ベトナム中部の独特の料理について・・

何時も書いてきましたが、北部は首都があり政治の中心で、気位が高く南部は商人

の街で気さくでいい加減、間に挟まれた中部は商業都市とともに高原野菜や漁業が

盛んで魚介類が豊富で人も割合穏やかですが・・ここは戦争が多くあり遺跡が沢山

残っているベトナムの中でもちょっと隔離された感覚がある場所です・・(-.-)

◎中部での料理は特別なものが多いので・・ご紹介したいと思います・・

【味付けも辛めで濃厚な味が特徴で、蟹、しじみ、蓮等が特に多く使用されます】

①フエ風混ぜご飯
胡麻、豚の皮の唐揚げをトッピングにした白いご飯の周囲に、錦糸卵や味付けした
肉類、胡瓜などが盛り付けてあります。ニュクチャムをかけて、食べる時に混ぜな
がら食します。見た目も鮮やかであっさりした味のご飯料理。

②フエ風お好み焼き
これはベトナムのお好み焼きの中部版とでもいいますか? 米粉を水とココナッツ
ミルクで溶いたものに、ターメリックで色づけして厚く焼いた生地に、海老、豚肉
もやし、玉葱等を載せて卵をかけたもの。肉入り団子もあります。
生野菜をちぎって巻きピーナッツタレで食べます。

③蓮の実ご飯
ご飯に蓮の実を混ぜて、蓮の葉を巻いて炊き上げる。あっさりした食感が美味です。
店によってはチャーハンにして蓮の葉で包んだものもあります。蓮の実はほくほく
しています。

④米粉のクレープ
米粉を溶いて、小さな皿に入れ、薄く蒸した料理で、大皿の中に小皿が沢山載って
出てきます。上には海老のそぼろとネギ油などが載っています。おやつに食べる人
が多い。皮が薄いほど美味しくいくつでも食べられます。本当に小さい!

⑤ジャックフルーツのサラダ
甘い果肉が特徴で、魚貝類と混ぜて、ピーナッツや胡麻を振りかけたサラダ。
香草も入っているので好き嫌いのあるサラダです。{ベトナム料理参照}

『フエ料理』は特別な料理ですからまたの機会に書きます。とにかく南部の甘辛の

料理に慣れていると結構辛くて、唐辛子の量も半端ではなく辛口です。麺類も真赤

になる程唐辛子が入っているものがあり、フエ風と書いてあるものは凡そ辛いです。

今日は姪の展示会があって、神戸まで出かけます。毎年4、5回は催している様です

が。画廊を借りる値段が高く、少しセーブして、数を減らそうかなどと言っていた

イラストレーターなのですが、矢張り名前を売るためにも作品を宣伝するためにも

欠かせない展示会ですから・・難しいものがあります。あくまでも趣味で観て頂く

だけではないから・・生活がかかっていると大変なのだと思います・・(-.-)

今朝も優しい日差しが青空を覆って少し肌寒さを感じますが、日中は夏日になると

言われている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/09(Tue)
お祭りは遂に終わった様で神社では片づけの作業が沢山の人でされていました・・

この地の祭りはこんな風に終わるのか?と余り関心もなく{本当は期待感があり}

楽しみだったもので少しがっかりでした・・(-.-)とほほほほほ

夏の花火は超有名で人出も多く夏はそれに代表されて、秋は質素なのかも知れない!

昨日は所謂、雨の降らないという体育の日ですから好天で、河川敷では親子連が楽し

そうにバドミントンや、キャッチボール、犬を連れての散歩など凄く賑やかでした。

その光景を見ながら矢張り日本って『平和で幸せな国』だなぁと感じてみていたの

ですが、国際問題が騒がしく誰も本当の内容について語っているのか判らないほど

コメンテーターによる解説が多々あって、正直理解しかねるのが現況でしょうか?

ま、海外にいたときは外から見えた日本だったから話も真剣に聞いたり雑誌からや

数日遅れの新聞を読んだものですが・・現実のその渦中にいると周囲が全く見えて

いない自分を知りましたねぇ・・(-_-メ)幸せ呆けしている感じです・・( 一一)

さて〔河内のおばはん連中の会話が面白く〕て土手に座ったり少し歩いたりしつつ

聞いた話を書いてみます・・(*^。^*)

そうですねぇ・・70代くらいの老人3人が孫を連れて散歩中の会話です。

「ねーねー**さんとこの爺さん逝ってもたんやて・・」最初は背中から声が聞こ

えた。孫が堤防で座って字を書きだしたのでその3人も座り込み、少し離れて座り

話が(声が大きいから筒抜け)続けられた。動くのも何となく気まずくじっとして

聞いていました。「行く?」って言う意味に聞こえたので何処か旅行の話だと感じ

ていたら「あの爺さん幾つやった?」「85とか言うてはったでー」「若いのにな」

「いや、わてはもうそろそろ逝きよるやろと思てたわ」「なんで?」「そんなんー

見たら分るでえー」「何やったん?」「何でも肺癌やて」「そうか?最近多いな」

「わてらも気いつけんとお迎えがくるで」・・わははははは

全く吃驚する話でした。少し歩いていると親子連れ(それも中年の母と娘)に遭遇

「おかん!昨日言うてた話な、おとんにしてくれたか?」「まだや!物事には何で

もタイミングちゅもんがあんねー昨日おとう、あんまり機嫌ようなかったやろー」

「会社で何かしでかしよったんやでー」「そやな―落ち込んでた気する」「そんな時

は言うたらあかんねーその内ちゃんというたるさかい待っとき」「ふん!」

何の話かは皆目、見当もつかないが父親の権限何もない感じに・・心の中で吃驚して

いました。坂を降りて河川敷に座り込んで色々な人を見ていると本当に面白くて人間

ウォッチングができる。親子で遊んでいた子供(小学生の低学?)がお父さんと野球

の練習をしている。バットを握って父親が投げる球に懸命に当てようとしている息子

「お父ちゃん―ちっとも当たらへん!投げ方悪いんちゃう」「アホぬかせ―お前が下手

なだけやーわいは高校まで野球選手やったんやでー」「ほんまかいな?」

「なーなーお父ちゃん、もっとしっかり毎日、特訓してくれたらイチローみたいに稼

いで楽させたるでー、どうや?コーチでもやとうてくれたらーわい結構ええ線行ける

と思うでー」「お前!川の水で頭冷やしてこい」等話して大笑いしている・・( ^^)

堤防からの帰り道、近くのスーパーへ毛糸が切れて購入しに寄った。そこで店員の話

「店長があそこの棚が雑になってるから直しとけって言うてはったよ!」「誰に?」

「うちらみんなにやろ?」「あんたが聞いたんやったらあんたがすればいいやん」

「うち聞いてへんよって知らんわ」「うちはレジの時間やんか?」「終わってから

したらええやん」「いけずやなー」「どんだけ手を抜いて働くかがきょうびの仕事

やんか?」「あほらし!うちは知らんで」「**さんは何時もあんな言い方しはる

から気にせんとき・・うちが直しといたるさかい」「おおきに!いつもすんません」

「ええねん。その内何かごっつう高いご飯奢ってや・・」「アハハハハ」

お客がいてもいてもいなくてもごく普通に喋っている日常の会話みたいです。

随分聞き慣れてきたのですが・・本当に色々な人がこんな狭い空間でましてや数人

しかいない店員間での話です。河内弁の面白さが伝わってきて凄いけれど可笑しみ

を感じて頂けると思いますが・・うふふふふ

こんな会話が際限なく何処へ行っても交わされていて、今まで聞いた事がなかった

だけに興味があって・・(#^.^#)面白くて仕方ない気がしております。

大阪にも昔は住んだことがあるので言葉は理解できるのですが話せないのが難点で

でも、電車の中でも道端でも、ま、よく喋っています。買い物に行って帰路、まだ

話が続いている事なんてざらで・・「あっまだ喋っているんだ」とよく思います。

地下鉄の中でも中年のおばさん連中は元気溌剌で他人の事など全く考えていない様

で・・先日も私の座っている席に少し空いていたので詰めて「どうぞ」って言った

のです「えらいすいませんなーほなら座らせて貰うわ」と言った途端に私の身体に

密着する位ひっついて来て奥までお尻を入れて座りました・・(@_@;)

それから連れの人を大声で呼んで「こっちやでー」「なんやよう座わわれたなぁ」

「ま、日頃の行いが良いよって・・あんたとはちゃうねん」「それでーさっきの話

の続きやけど。その後どうしやはったん?」「どうもこうもあるかいな」「お金の

話やでー嫁に相談せんとと言うて断ったがなー」「そらーよかったなー」「今はな

オレオレ詐欺でも考えてはるから。確りしてへんとやられるで」「うちも前に電話

あったんやけど」「どないしたん?」「うちには息子は居てしません」って切って

やった!「ほうか―それはよかった!」大阪はオレオレ詐欺には1番引掛らない街や

てTVで言うてはった。「賢い人が多いのんとちゃうか?」と真面目な顔で言うから

思わず吹き出しそうになるのを堪えていました・・(^_^;)

特別聞くともなく入ってくる関西弁や大阪の小母ちゃんを勉強させて貰っています。

他愛のない話に終始しましたが・・大阪はそう言う意味では未だ未だ人情の機微が

色濃く残っていて、何処へ行ってもこの程度の話は日常茶飯事で聞かれます。

気どりも格好もつけないから本音で話せていい部分もありますがお節介なほど土足

で人の心の中まで入ってくる感覚には慣れないと思っていますが・・ははははは

今朝は少し暖かく寒さを感じることなく掃除、洗濯を終えました。暗雲が日の出と

共に彩色されて行く姿は思わずうっとり見とれてしまうほど綺麗な茜色に輝きだし

今日もいい日であります様にと願っていた浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/08(Mon)
{体育の日}で連休なのですねぇ・・未だベトナムの暦で、全く何の変化もなくて

すっかり忘れておりました・・(-_-;)先日、本やに寄った時に新しいカレンダーが

出ている事を知り驚きましたが考えたらもう数ヶ月で新年が来るのですね・・(@_@。

今年は半分ベトナムでの生活があるせいでしょうか?何だか複雑で月日の流れが特別

早く感じます。そして寒さも多分、普通の日本人よりも寒く感じている気がします。

昨日も未だお祭りが続いていて、朝9時過ぎからお囃子が聞こえ、どうして山車だけ

担って練り歩く祭りだけなのか詳細は解りません・・(-_-メ)

同じことの繰り返しで・・頭の中は音頭{河内音戸}ではなく秋祭り用の歌みたいで

すが・・ずっとテープで流れているのですがそれが離れなくてぐるぐる回っている気

がします。2日間ずっとその歌ばかり聞かされていたせいでしょう?・・あははははは

とに角この地の祭りがどんなものなのか?もう充分過ぎるほど堪能させて貰いました!

そして昨晩は午後10時まで山車とお囃子が大騒ぎ状態で既に婆さんの睡魔はとっくに

来ていて・・うつらうつら状態を覚醒させる激しい声や笛、太鼓で中々眠りにつけな

く困りました・・(-"-)もう1回だけで勘弁してほしいと思いました・・ははははは

※ベトナムの携帯事情・・・  {携帯にも全く興味がなく理解力はありません}

◎iphone

シンガポールなどからiphone5がベトナムに輸入されました。アップル社の製品を扱っ

ている店での販売が開始された様ですがiphone5で必要なnano-SIMが売られていない

為に使用ができない状態だと苦情があるそうです。携帯も全く詳細は理解不能の人です

だから書くことにも抵抗があるのですがベトナムらしさがでている話なので・・( ^^)

iphone5の使用時には12.3×8.8×0.65mmのサイズのnano-SIMが必要だそうです。

携帯に詳しい方なら常識でこの人「馬鹿!」って感覚かも知れませんが・・<(__)>

MOBIFONEでは10月中旬にnano-SIMを2000個、その後には5000個を輸入する予定だと

発表されました。

       **この辺りがベトナムを感じさせるのですが**

輸入を待てない人は業者に依頼してmicro-SIMをnanoサイズにカットして貰うと言

う話があるのです。アバウトでベトナム的だと面白く読んだのですが・・(@_@;)

但し書きが付いていて、100%成功するとは限らないと言われています。また、普通

のSIMからは不可能で可能性は0だとも言います。今の所はmicro-SIMからだと50%

の成功率だそうです。信じられません!そこまでして・・何て思う方が変なのかな?

アップル社がスマートフォンiphone5を発表したことでベトナム市場に何時から登場

するのかがの注目の的になっていたそうですがベトナムエクスプレスによれば実際は

香港、シンガポールから既に輸入されたようで、店頭にもあり、購入した人もあると

言われていて前記の苦情になったのではないでしょうか?政府からの声明がない場合

が多いから・・解らないことも沢山あるのです・・!(^^)!

しかし、輸入されたiphone5がベトナムの携帯電話サービスで使用できるか未だ確認

がされていないのが現状だと発表されています。若者の多い国です。もう直ぐ傍まで

現物は来ているのでしょうし、期待して待っているのではないでしょうか?

(ベトナムニュースより)

苦手な事ばかりですが、時代の流れを感じながらも日本とは違った感覚のベトナムの

国を知って頂きたくて・・書きました・・(-_-メ)

追いつくのもきっと早いと想像しております・・うふふふふふ

休日のせいでしょうか?周囲から声が聞こえてきません。まったりとした時間がどの

家庭にも流れているのでしょうか?相変わらず早起きですが今朝は浪速の空は快晴で

雲も見えないほど爽快です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/07(Sun)
午前中は秋晴れが未だ続いていて気持ちの良い凌ぎ易い天気でした。昨日はこの町内

の秋祭りだった様で・・(@_@;) {どれだけ秋祭りがあるのかしら?}

分からないほど町内同士で張り合うみたいです。朝9時過ぎには子供小学校高学年の

子供と大人も加わり神輿が家の前で暫し騒いで、あちこちの小路を練り歩き可愛いい

けれど親も同伴の神輿で騒がしかった!お昼近くになると中学生以上高校生や大学生

位の子供や大人が山車を担いで練り、山車の屋根に登り、大きな掛け声とテープと鉦

太鼓の音にも若いから勢いがあって物凄い声で吃驚させられた・・\(◎o◎)/!

ベトナムのカラオケを思い起こさせる様に鳴り賑やかさを通り越してTVの音など何も

聞こえないほどでした。家の前の道路が小路に入る4つ角になっているので家の下で

ターンするからその笛と掛け声の騒々しさは病人や幼児が泣きたくなるほどの威力を

見せつけていた。お金持ちが多く、大きな豪邸ばかりだから”おひねり”がばら撒か

れたりも有って、その家の前では又、大騒ぎをすると言う有様が夜まで続いて本当に

驚きましたねぇ・・(^_^;)

屋台や模擬店が神社に出る訳でもなくただ山車と神輿の練り歩きだけの祭りだと言う

事を知りました・・それが1日中続くことにも同じ場所を錬り歩く事も興味が半減し

がっかりでしたが・・担って掛声を出し、参加している人には堪らないのかも知れず

岸和田のだんじり祭りを知っているから余計にその凄味もなく、大人しい方かも?と

思っておりました・・( ^^)

※ベトナムのPC事情について・・(正直殆どPCには疎いですし理解不可能です)

街中で販売されているPCはPC/AT互換機です。部品は全て輸入品でインテル又はAMD

その他の部品は台湾製、日本製、シンガポール製が多く、大体、日本と同様の部品で

出来ているそうです。ただし、組み立ての時点ではベトナムですからベトナム製とも

言えるのかも知れません・・あははははは

◎売れているPCの75%の商品は街のPCショップが組み立てているノーブランドです。

◎現在PCをノックダウン生産する国内PC会社はT&H、MEKONG GREEN、ROBO、CMSで

もう少しある様ですがこれも全て手作りで組み立てられているようです。

但し、この名前の会社ではブランドマークが付いていると言われています。

◎それ以外ではIBM、COMMPAQ DELL、ACER などの外国製品が加わっていると言わ

れています。シェア的には15%位だそうですが・・(-.-)

◎インストロールされているOSはWINDOWS(英語版)アプリケーションOFFICEなどの

あらゆる(英語版)が詰め込まれており売買されている様子です。又ベトナム語入力

は2005年位から可能となったそうです。

◎ベトナムでは商品の取扱説明書は一切ありません。
◎安価な商品ではRAMの容量が少なくお金を出して追加して貰う必要があります。
◎販売競争が激しいため時代の流れとともに下降気味になって来ている。
◎基本的に保障が付いているかの確認は絶対必要である。
◎廉価な物は400㌦程度からあり現在は800㌦位までで、周辺機器、USLメモリー等が
 必要となれば結構高くなる。
◎ホーチミン市内ではPCショップの通りが集まっています。しかし、この辺りの店に
 は完成品の展示は殆どなく、チラシとスペックと価格が書いてあって、それを見て
 発注、後日に店が組み立てて配達してもらうシステムだそうです。

最近は大型家電店からPCが消えつつあるという事実があるそうで、家電程儲からない

事と、国民性でしょうか?面倒くさいそうです。又、ベトナムブランドのタブレット

の参入が表明されたのですが現実には未だ売りに出されていないのが事実だそうです。

どちらかと言えばipadの人気が高く勝てる見込みがないから生産しないとも言われて

います。  (ベトナムニュースより)

毎日使用していますが頭が固いと言いますか?自分が使用する部分だけしか?理解が

出来ていなくて詳細は全く解っておりませんが・・面白い記事でしたから書いてみた

のですが・・(#^.^#)因みに私は日本製の会社の製品ですがベトナムで組み立てられ

たPCだから時々(英語版)が出てきたりベトナム語が画面に登場します。

今はすっかり慣れましたが最初の内はうろたえておりました・・><;

現在も画面は少しだけ英文字です。日本の会社ですから帰国後、早速連絡してみまし

たが、2人の人に連絡しましたが直せないとの事で・・諦めてしまいました。特別に

不都合はないので・・気にしていませんが・・(#^.^#)

日曜日の朝は昨日よりかは温かく、昨晩の雨のせいで湿気が酷い浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/06(Sat)
前日に比べたら早朝より快適な秋の雰囲気暑くも寒くもない様子・・これは外出?

早々と片づけ映画館へ出かけました。本日鑑賞したのは【天地明察】です。

地球が丸い事も、コペルニクスの地動説も未だ何もわかっていなかった江戸初期の

時代の物語で実在する人物{安井算哲}の話。

その頃の江戸は庶民の暮らしの中で重要な”暦”が3種類もあって夫々に狂いが生じ

ていた。安井は会津藩の囲碁指南役として生活していた人だが、算術にも長けて何

よりも天体の好きな男性で有った。彼は北極星に興味を引かれ毎日のように屋根に

登り観測をしていた。その頃、北極星の位置を観測して日本中を回って来いという

命を受け出立。数人の学者とともに日本中を1年以上もかかり歩足観測してきたが

星の正確な位置やその動きは算術では計算できないことを納得した。”暦”のずれ

が出来ることの意味を正確には把握できなかった。和算術師の関孝和の援助を受け

沢山の書物から引き出されて行く過程と想像もできなかった天体観測機材の登用は

かなりの起爆剤で、観衆は脅威を抱くほどの凄い機械が続出する。

〚改暦〛をする事はその時代がひっくり返るほどの大事業で、元々”暦”は朝廷の

支配下にあり権限も帝が握っていた時代であったからです。政治や宗教の影響も濃

い時代に激しい反発や衝突、反撃を受けながら生命をかけて”新しい暦”を模索し

それを作ることに奔走する1人の囲碁指南役の男が大好きな天体観測と算術で失敗

を何度も繰り返しながらも挑戦していく。3つの暦の中から1つを選択し、試行錯誤

を何度も行い天地明察を成し遂げて行く話です。

その頃の時代考証が理解できていないと、又、天体に興味がない人にはそれが何の

道具であるのか?機械なのかが正直さっぱり理解できずにいました。想像も出来な

い部分が沢山出てきて戸惑いの心もありました。天体に詳細で明るく、興味のある

方には垂涎の話題でもあるだろうし画像だったと思いました。そして凄く面白くて

楽しい映画ではないかとも思えました・・( ^^)

残念ながらそう言う知識の欠片もなく、又それ程の興味もないから、難解で珍しく

進行に遅れて鑑賞していましたので、詳細は把握できていなかったというのが本音

でしたねぇ。原作者 冲 方丁氏のベストセラーが原本になっていると言うことで

話題性は充分あったのでしょうが、生憎、恐縮ながら本屋大賞を受賞された時期は

ベトナムに居住していた頃でありお名前も本さえも全く知らないと言うお粗末さで

鑑賞しておりましたので恥ずかしくもあり申し訳ない気持ちもありました・・(-.-)

監督は{おくりびと}の滝田 洋二郎氏と言うだけの理由で見たかった部分が多分

にあり、日本の江戸時代に”改歴”の難行を実在の人物が成し遂げたという快挙に

は多大の興味はありました。ま、その意味では間違いなく感動的でもありその時代

にあのような大がかりな天体観測ができる機械が有ったのかフィクションなのかは

想像ができませんでしたが・・(@_@;) 吃驚するほどの見事な機械でした!

恐らくこんな物とかこんな形体と想像しながら想像力が逞しく制作された器具類等

は驚きの創作で作品だとしても見事な程でした。現在の天体観測以前の物であると

いう機械などは彷彿とさせる感激がありましたが・・矢張り、個人的感想では難し

く内容は理解できても、判別できるものが何もない頭脳ですから・・とほほほほ

気分的には過大なる難問を突きつけられた感覚がして・・話の筋やそう言った人物

が現存していた事実のみが私の中では浮き彫りにされてしまっていました。

多分、鑑賞するだけの能力に欠けていたのだと思いますが・・映画は矢張り娯楽的

要素と趣味、見知らぬことへの憧憬が有ってこそのものだと感覚的に感じている私

ですから・・困惑した作品でした・・m(__)m

最後の画面には原作と異なる旨の字幕もありましたが・本も読んでいないからなお

不可解な部分が残存したのかも知れません・・(・_・;) ただ、後年になって彼は

{渋川春海}と改名したこととか、夫婦で同じ年の同じ日に逝去したことには一寸

ミーハー気分で驚きました。キャストは凄い人達でこれは映画でなければ実現でき

ないほどの豪華な演技者達の魅力は随分あリ、その部分では楽しめました。

何時も映画を見る時はそれなりに感情移入して鑑賞する癖があるのですが、昨日の

作品にはその余裕さえ与えないほど私の中では難易度の高い作品でも有りました。

きっと空、太陽、月、星座、天体に趣味があり大好きな人にとっては興味津津であ

り、そして数学の得意な人も一興出来る作品ではありましたが・・生憎私には難解

過ぎたと言わざるを得なかったです・・恥ずかしながら常識がないもので・・><

入場者はかなり少なく殆どが空席で人数は数えるほどしかいなかったのは至極無念

でもありました・・(-"-)  大作と言われていただけに残念でした!

お昼からの映画しか見れないものだから到着と同時にチケットを購入して30分位の

間に本を読んでいるとお声が掛る状態で忙しい鑑賞方法で終了と同時に直帰すると

言う見方で・・ 忙しない人です・・ははははは

なぜだか一仕事終えた程の疲れがあったのは内容がきちんと頭の中で把握し理解が

出来なかったせいで・・ここでもまた鈍感さと愚かさを見せてしまった感じです!

帰宅してPCを開けたら名優の大滝秀治さんの訃報が入っていてビックリしました。

先日《あなたへ》を観たばかりだったから・・脇役でありながら必ずどんな映画で

もTVでも存在感がありいい役どころを瓢瓢とこなしておられた姿が焼き付いていて

心が締め付けられるように切なく残念で堪らなく思いました・・前日には馬淵晴子

さん逝去のニュースもあり、名優と言われる人達がいなくなることは辛いです。

心からご冥福を祈りたいと思いました・・合掌

今朝は本当に寒く感じた朝で驚きました!気温がかなり下がったのではないかとー

洗濯物を干していても早く部屋に入りたい心があったほどの冷気を感じましたから。

そんな浪速の朝を迎えました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/05(Fri)
≪同様の環境で育ち、食事も躾も別々にした事がない兄弟?≫と言う関係には微妙な

ものがあります。長子はおっとりして、気に病むことが少なかったりべったりと両親

が愛情をかけた時間が長いから(初めての経験であり、凄く慎重に且恐る恐る育てた

体験などもあるから)上の子は下ができると、今まで自由で我儘勝手に1人だけ全身に

親が相手をしていたことが寸時にして母親を取られてしまう経験をする。

「兄や姉だから我慢しなさい!」と言う聞いた事のない言葉が、抑圧されることが多く

なり、戸惑いや苛立ちが育つと言います。その時の長子は帰路に立たされ母親を独占し

たくて、我を通す子供もいたり、またはすんなりと自覚が芽生えて自然と理解して行く

子供もいるものです・・(-.-)その子の性格や素質、両親の愛情のかけ方にもよる?

現在は1人っ子が多いとか聞きますし、少子化現象で子供を持たない夫婦の数多あると

言う話も聴くことがあります。しかし、私など昭和で育った人間は子供は3人位が普通

で大正や明治には子供の数は5人から7人もいたそうです{そう思うと兄弟とは何か?}

と思ってしまう・・(-_-メ)昔の子供は下の子を順番に親とともに育てたそうです。

可笑しなものでベトナムでは完全に長子が絶対的な権力があって、下には服従だけと

言う構図があり、親の面倒から下の兄弟まで何人いても面倒を見るのが普通の状態!

だから長子が結婚したり、就職が決まると親も毎週の様にやってきたり、実家へ行く

事が普通になります。不思議な事に私の知る限りでは結婚相手が長子同志でも、親が

往来するのは娘の方で、婿の親には現金がお小遣いとして毎月渡され、相手の実家へ

は1人で帰るのが通例でした・・嫁と言う感覚が薄いのか?相手の親もお金さえ入れ

ばどうでもいいみたいなところがありました・・( ^^)

嫁の立場が強くて、婿はあまり関係がないと言いますか?来ると相手しますが、特別

に気を遣うことなどなくて、当然の様に小遣いだけを貰いに来るケースなども何度も

見ました。内緒ごとの様に嫁の許可を貰い婿が実家に渡している姿は不思議感で一杯

でした。それだけ、嫁の立場が逆転すると言いますか?強くなるのです・・(@_@;)

日本とはかなり異なっている感じですよね・・うふふふふ

未だに嫁は婿の実家に気を遣ったり、何となく居心地悪く婿の方も嫁の実家に行く事

に少なからず抵抗がある人は多いのも事実だと思います・・(#^.^#)

しかしベトナムほどには縦の社会ではなく、2男、3男の場合は親の面倒は見なくても

良いなんて心の何処かで、上がいるからと思っている人も多いかも知れませんが・・

最初、書きました様に同じ様に育てていても親は何処かで2人目は余裕があり手抜きも

出来たりする。持って生まれた資質や性格の違いあるいは男女によってもかなり違う

考えで育てるし成長して行きます。親はその時期を看過し過ぎている場合が沢山あり

私も上手く育てられなかった部分があるから{恰好付けて書いているのでは決してな

いのですが「どうしてこんなに違うのか?」と言う場面に何度も遭遇するものです}

子供は結構親の弱点を見ていて、狡猾で残酷な事を平気で言います。それが案外的を

得ているから親の立場でいる時は抑えつけてでも、親の権限を見せる・・(*^。^*)

しかし成人した子供には親は凄く自分の育て方の不安や行動に極端に弱腰になるもの

で、親でいることが時には辛く離脱したい衝動に駆られることもしばしばあります。

当然に世代交代の時期に入っているのだから、子供が正論を言っているのだろうとは

感覚的には把握できるのですが、頭の中では特に母親は自分で産んだという大義名分

と言う名の元で、私が産んだ子供なのに「そこまで言う?それ程親が嫌なのか?」と

複雑で困惑する事が沢山ありました。まだ老化に入っていない頃ですが・・(-.-)

しかし、いずれにしても時代は流れ兄弟の考えや行動、思想、家庭によって各々が違

う事を親は早く気が付き対処できる優秀な親であれば問題や苦痛は避けられるものー

そう感じていました。しかし、劣等生の親では、同じ子供でも気持ちが添わない子供

とそうでない子供がいることに気が付くのが遅いから、悩んだり悔しかったり惨めに

なる時が度々ありましたねぇ・・><;

もう成人したのだから・・と思う心と親と言う挟間で揺れ動く現実に老いが重なって

来ると・・子供も初めての経験だから大変だろうし親も、教科書もなく自分の感情や

感性だけで育てているから何か言われると反論できなくて・・情けなさと加算されて

は涙が流れてくる場合があるものです。それは至極、当然の事で《親だからとか育て

たからと言った次元ではなく》裏哀しい感情がじわっと溢れて来て老いを受諾し反論

してもその場所から脱出できない心があります。完全にすれ違い交差出来ないほどの

時もあるし、老いることの恐怖に苛まれている親の姿を子供はどんな気持ちで見てい

るのかしら?なんて考えてしまうものなのです。

    『あくまでも個人的な感想ですから・・はははははは』

仲良く楽しく家族が一丸となって親を大切に思う人々の方が多いベトナムの躾け方や

家庭の在り方まで社会が統一されていたら、孤独死や自殺なども日本は減るんではー

何て思っていますが・・どうなのでしょうか?

親になりきれない不完全な親と老化に乗り遅れた親もいて、子供に支えられながらも

どうにか親を果たしている私等もいる現実は何処かで何かが変化したことに気付かず

通過してしまったのかもしれません。両親が揃っている家庭とは違った環境だったし

現実には本当に父親が必要な時にいないというハンディは母親には苦痛以外何もなく

ただ、嵐が過ぎ去るのを見守るだけしかなかった・・兄弟も然りであった。仲が悪い

とかではないがお互いが自分の位置や立場から考えを言うという構図は日本では余り

良い結果を生まなく、ベトナムの様に抑圧されて、それが当然であると育ち、躾られ

ていないから対等に言い合う事になり遠慮がない。これも困惑する事が多かった!

今はかなり、落ち着いて、自分の生活は自分だけのものだから、子供にも干渉される

事はなく〚最も、ある時期から私は自分を表に出し過ぎ、過保護過ぎた自分の育て方

の間違いに漸く気がついた部分があって、海外での生活を望み狡くそんな現場に当面

しない様に逃亡した帰来がありますが〛・・あははははは

親子関係や兄弟関係、家族の絆の脆く、細いことを身を持って知った愚かな母親です

が老化と共に心が乱れることなく、諦観から老化を受け入れる時間が十分あった事に

今は有り難く感謝しています・・(#^.^#)

愛情も深すぎると駄目ですし、かと言って構わないのも問題だし中々子育ては難しく

片親や両親のいない子供の心情は計り知れないものがあります。どうしようもないが!

それでも、生きていなければならない現実とか生かされている事実を素直に感謝して

日々が自分の思い通りに自由で、孤独と言う言葉が必要ないほど自分を客観する時間

が長く有った海外生活は凄く仕合せでした。その意味ではベトナムで過ごせた数年は

私的には貴重な体験でした。思考する時間であり諦めと老いを承諾する時間でもあり

ました。だから、今があるのだろうと思います。多分、利口な人は既に通過した線上

にいて愚かな婆さんの行動を眺めていて下さった方も大勢おられると思いますが・・

でも、私にはこんな素晴らしい時間が何年もあり愚直故に遠回りしたけれどそれなり

の回答が出せた事を遅まきながら(何時も人より遅く感じる)深謝しているのです。

子供との関わりも未だぎこちない部分が沢山あり、心が通じなくなった部分もあって

心寂しく感じる日もありますが、限られた時間しかないことをいづれは解ってくれる

と信じていますが・・(-"-) 子供を育てるという事は頭でも感情でもなくその2つが

競合しながら持っている性格を引き出してあげねばならなかった部分が、私には欠落

していたのかも知れません・・ふふふふふある日を境に不意に愚かさだけが浮上して

きた状態で有ったことも原因はあると思いますが・・言い逃れかも知れないけれどー

様々な家庭があり見知らぬ環境の人が、一緒の生活の中から生み出し育てあげなけれ

ばならない家庭、家族、兄弟の関係は本当に至難の技が必要だったのかも知れません!

【子供は親を選べない】から気の毒でもあり最近の子育てについては皆目理解不可能

だから・・何も言えないが・・いつの日か何かを悟って生きて行ってくれれば良いと

思う心でいます。昨日は折角干した洗濯物を何度も雨に当てて何回も取り入れたりし

結局はずっと降ったり止んだりで夜になって晴れ間が見えてきたのです・・(-_-メ)

今日は寒いほど冷えて昨日の洗濯物を早々と干した浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/04(Thu)
『爽やかと言う感覚がこれほど素敵だ!』と言う事をすっかり忘れておりました・・

部屋の中の窓を開放していると、じっと座って編み物をしているせいか?肌寒さを感

じるほどでしたが、外は快適で買い物にも風が心地よく、頬を撫でて行く感触があり

ました・・(*^_^*)

こんな日は何となく心穏やかになるものですね!先日、息子の親友が夏休みを取って

カンボジアへ行って来たと言って息子からのお土産を送付してくれました。

何時も、生の香草が食したいと言っていたのを忘れていなかったようで息子と友人は

ベトナムに行って来たそうです。そして沢山の粉末の香草とフォーのスープ{日本的

にはだしの素みたいなものが固形で売っているんです}を買ってくれてそれを送って

くれました。何とも言えないその香辛料とその匂いに懐かしさを存分感じ、料理の中

に少しずつ入れては楽しんでいます。不思議ですね・・矢張りベトナムの香りがする

もので、味も変化して香りが口の中まで広がって郷愁を感じました・・うふふふふふ

大したものは食していなかったのですが、それでも味付けは全てベトナムの味でした

から多分そんな風に感じたのだと思います・・(*^^)v

帰国してから和食、それも魚が殆ど食べられなかったから、随分購入しては魚の日が

続いたのですが・・あんなに食したかった焼き魚も矢張りフライパンでの蒸し焼きや

香草を振りかけアルミホイルで焼いたものが好きになっていましたから、焼き魚だけ

と言う食べ方が何となく物足りなく感じるのは不思議に思っていて、また、慣れとは

恐ろしいものだとそんな事を考えながら・・昨夜も香草を塗してホイル焼きを作って

おりました・・あはははははとに角香草の味付けが好きなのだと思います・・(@_@。

何と言っても日本の食材は高価でとても手が出なかったのもありますが売っている店

も数軒しか無いから中々購入する機会もなかったのです。また折角異国にいてその国

の料理を食しないのもと思っていましたし、新鮮な野菜が何時も何処でも山積されて

いましたし廉価で沢山買えましたからそれが何よりでした。肉類は前に書きましたが

ブロックで、骨付きしか売っていないため日本では使用できなかった中華包丁も簡単

に無造作に並べるより積んである様な売り方で安く、丸いまな板も買いました!

しかし、大抵は仲良くなった小母さんに処理して貰っていましたが・・混んでいる時

や未だ慣れない時には自分で初めて中華包丁で叩いたりして使っていました・・(^^ゞ

でも大きいので中々最初は使えなかったのですが大蒜やクルミ、ピーナッツ等を潰す

のは結構面白く1度で粉々になるから爽快でした・・はははははは

日本では中華包丁は高い値段なので驚きましたが、知人に上げてきました・・(@_@;)

※ベトナムニュースを・・PCから拾ってみました。

◎SUZUKI UR 125T

スズキベトナムではクラシックとモダンの間でデザインされたハーモニーのある新作

のスクーターが発売されたそうです。 テールランプに特徴を持ったUR125Tは先進の

電子燃料噴射システムを採用していると言います。若い女性にはエレガントに乗り降り

できて座れると言うスタンダードサイズだそうです。1500USDで販売されたらしい。

◎HONNDA SH125i/150i

ベトナムで製造している高級スクーターSHの2012年度モデルとして{ユーロピアンー

デザイン}で登場したのがHONDAです。特にフロントデザインは嫌みのない洗練され

たスタイルで前後のタイヤに装着している鋳造ホイールが素晴らしいと評判になって

いるそうです。またこの新作にはアイドリングストップが採用されているのも見逃す

事が出来ないとも言われています。

日本ではスクーターやバイクは乗用車程人気は無いみたいですが、ベトナムでは未だ

想像を絶する勢いでバイクの台数も増加しています。よくTVなどで見ることができる

バイク連の姿は現実で次々と新作がでる度に乗り替えたり下取りして新作にする人達

も増えてきています。もう1家に1台の時代ではなく個人で持つようになったから大抵

の家庭では最低2台はあるし家族が多いと3台から4台等と言う家もあります。

それに、バイクの盗難が多いから必ず家の中まで入れるのが習慣になっているのです。

近頃は盗難予防の警笛が鳴るのもありますがー分解して、色々な部品と組み合わせて

作るから盗難に遭っても解らないのが実情だと言われています・・(-_-;)

前記しましたフォーの固形スープは凄く便利で様々なダシが凝縮されていて、豚肉用

や鶏肉用、海老、蟹、牛肉用などと種類も豊富で家庭で十分本場の味が味わうことが

出来るスープの素です。安価ですからお土産にそして小さいから最適です。

暫くは春雨で食してみようと思って昨日は春雨を沢山購入しました・・はははははは

今朝は雲が重く垂れて今にも泣き出しそうな感じでしたが・・セーター2枚を洗って

干したのですが・・水だけ切れれば部屋の中に入れてもーと思って干していましたが

どうやら暗雲は流動した様で日差しが差してきた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/03(Wed)
AM5時はまだ暗く、冷気が重く辺り一面、灰色の雰囲気を漂わせて、最近は夜明け前

の時間を教えているようです。漸く明るくなるのは6時半を過ぎた頃で洗濯時間も既

に遅くなってきました。早く起きても、隣人に迷惑だし電気を点けながら洗っている

し、掃除もしているのですが・・( ^^)「それもどうかな?」急がねばならない物で

もなく何時も1人なのだからいつ乾いても、未だ乾燥されていなくても平気だとは思う

のですが、性格なのでしょうねぇ・・(@_@;)

矢張り定刻には身体が自然と動いているのが毎日みたいです。昨日は本当に秋晴れで

少し気温も上がり動くと汗ばむ程度の暑さでしたが、風も割合に吹いていて快適な日

になりました・・(*^^)v

しかしながら、朝晩は肌掛けがないと眠れなくなって・・今のレースのベッドカバー

が冷え冷えと感じて見える気がして、せっせと毛糸でカバーを編んでいるのですけれ

ど(何玉編めばいいのか?)ベッドの大きさが少し小さいので、判らないのです。

モチーフ繋ぎで現在10玉ほど出来ていますがまだまだ当分掛りそう・・うふふふふふ

肌掛けの新しいのを買った方が早いかも知れないなぁ・・(-.-)なんて思っています。

午後から薄雲がでて、少し暑さも逃げた様子だったので大和川の堤防を散歩して来た

のですが・・面白いのを見てしまいました。

3人の男の子が川原で喧嘩でもしているのかと思っていたのですが・・胸を突いたり

叩いたりしているので{すわーいじめ??}とか思って見知らぬ体を決め込むのも嫌

だったので(半分は関わり合いたくない心境もありましたけど)ま、座りこんで見て

いました。誰かが見ていると酷くはならないと思ったからです・・(@_@。

所が大きな声で”コント”の練習をしている様子・・\(◎o◎)/!しました。流石

大阪です。まさか、こんな場所で練習しているなど頭の中に片鱗もなかったから・・

{いじめ?喧嘩?}と勘違いしてしまいました・・恥しいし申し訳なかったが相手に

は解っていなかったから・・心で詫びておきました・・<(__)>

大きな声で「なんでやねん!」と相手の胸を叩き「そこはもっと突っ込まなあかんや

んか」とか3人が入れ替わり立ち替わりで位置を変えて、練習していました。あんまり

真剣ですっかり見とれていました。「きょうび、そんなことでは客は笑いよらへんで」

「ほんまにつよう叩かんと・・痛いやろけど我慢しいや」「えー今日はーコント**

です。3人揃ってやりますよって見て下さい」などを大きな声で繰り返していました。

《将来はお笑いの方に行きたいのかな?》なんて思いながら喧嘩やいじめでなくて良

かったと思いながら歩いていると犬を5匹も連れた小母さん2人に出会いました。

和犬2匹はどうも雑種みたいでしたが、親子みたいだった。ダックスフント2匹ゴール

デンレドリバーと言う組み合わせにも驚きました・・(@_@。

2人連れで大きな犬が通るから散歩している小型犬は、煩く吠えながらも後ずさりして

いるのも面白い光景でした・・(#^.^#)

先日とは反対側を歩いていたので・・対岸でゲートボールをしている老人たちの姿も

楽しそうで20人位はいた様でした。結構黄色い声ではしゃいでいる姿を見ながら元気

な年寄りが多いことを再確認して、違った道を下り、ある家の前を通過しようとした

時に玄関のバケツに深紅と純白の彼岸花が無造作に差しこまれていたもので・・誰も

いなかったから、座り込んで暫し見ていました・・(*^_^*)

純白の彼岸花は珍しく今まで1度しか見た事がなかったもので「綺麗だなぁ」と思って

見ていたんです。後ろから声がしてちょっと吃驚したのですが、「珍しいやろうー」

私も「今日初めて友達からもろて吃驚したんよー直ぐに部屋に飾るのは勿体ない気がし

たよって外に置いてみたんやわ」なんて話だしました。大阪の小母ちゃんは誰とでもー

気軽に話しかけてきます「すいません!珍しくて、そして紅白のコントラストが余り

にも見事でしたから勝手に拝見していました」「1本持って帰る?」「いいえー貴重

な種類だと思いますし、お気持ちだけでいい目の保養をさせて頂き・・m(__)m

と言って離れたのですが・・あちこちちょろちょろ歩くのも楽しみがあっていいなぁ

前日の台風の影響でしょうか?随分庭木が傷んでいる家もあり早速、庭師が手入れを

している家が数軒ありました。立派な五葉松があったり高野槇から枝が折れていたり

こんな凄い家ばかりが目白押し状態である場所も珍しく昔はさぞかし豪農だったのか

も知れないと余計な詮索をしながらあちこちのお庭を拝見していました・・(*_*)

今頃になって朝顔が満開の家もありハイビスカスがオレンジ色だったり、桔梗が咲い

ていたり、物珍しくうろうろしながら、それぞれに樹木やなり物を愛で、季節ごとに

咲く花を興じる姿は日本にいる感覚を身体に沁み込ませるように感じておりました!

寒いのは苦手ですが、矢張り身体の芯には日本人の血が脈打っている事を嬉しく感じ

花の種類やこれからは菊や金木犀の時期になり、紅葉と続く楽しみがあるのも仕合せ

に思いました。緑色したほうき草がいつの間にか赤くなって来ていたり、枯れた色に

変化しているのも季節の移り変わり生命の交代を感じさせてくれました・・(*^。^*)

人として生まれた時から恵まれた人もいて又、反対に不幸がこれでもかと続く人がい

たり、若くして生きる力を喪失する人も多い現実、複雑で不公平で不条理な世の中に

生きて行かねばならない人が多いこの世の中を国が違う事で、国民性が異なることで

これほど生き方に変化があるのも不思議な感覚がしております。ベトナムの生活は今

が幸せであれば先の事等はどうでもいい・・家族の誰かがお金持ちになればその人に

縋って生きる術を大抵が心得ていて、芋吊る式にぶら下がって生活している富裕層が

凄く多い事も日本とは全く違った生き方であり、当然、長子が家族の面倒を見る事も

日本人にはもう想像も出来ない思考だと思います。お金がなくなったら、また、少し

働いて食い繋ぎの生活に変化しても貧乏になっても『明日は必ず来ると信じている』

若者の国で、成功をするのはほんの1部分なのに・・凄く陽気で明朗です。

日本の若者にはない考えがあるのだと思いますが、頑張って苦労して成功する人の数

は少ないのに、心は豊かな若者が多く感じるのはその日が無事に過ごせたらいいと言

うある意味刹那的な思想がある気がしました。それは政治的なものなのか?国民的な

資質なのかは理解できませんでしたが・・(-"-)

【国が明るいことはどうしてなのか?】を帰国して暗い日本を眺めながらずっと考え

ているのですが・・回答が出せないのです。理解できないことが余りにも多すぎるし

かと言って不況だとも思えないほどの人数が海外や国内を旅している姿を見るにつけ

沢山の下地があって政治、経済、リストラ、いじめ、自殺など暗い要素が多いことも

現実の日本なのですねぇ・・(-_-;)

明暗が完全に分かれてる気がして、帰国して驚いた原因の1つでもあります。自分が若

かった時代とは凄い誤差が生じている事に少なからず驚嘆の心で眺めているのが事実

でしょうか?私の頭では考えられないですが、寂しく日本が暗く戦略的にもかなり外交

が拙い状態を切実に感じております。批判するほどには何も知らず無知ですが、日本人

の従来持っている頭脳や勢力はもっと力強かった気がするのは私だけでしょうか?

今日まで秋晴の好天気が続くそうですが・・日本人の心も秋晴れになって欲しいとそう

願っている浪速に来たベトナム被れの私です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/10/02(Tue)
もう、向日葵は種をつけてきたし、数珠玉も濃い色に変化えのころ草も枯れてきて

季節の進みは順調なのかも知れません・・(-.-)

昨日は思ったほど日差しがなくて、空を10分位眺めながら洗濯を躊躇っていたの

ですが{ま、台風も酷くなくて通過したから大丈夫だと勝手に思って、相変わらず

沢山干しました}姉の家に先日大家から頂いた栗を届けに、姪にメールしたら外出

しているとの事。惣菜でも作って置いてあげようと思い、寄り道してスーパーへ行

き少し買い物をして出かけた。唐揚げ、ポテトサラダ、豆腐の茸あんかけを作って

急ぎ帰宅した、雲行きが怪しくて・・姉と殆度話もしなかった・・(@_@。

空は黒い雲が流れていて色合いも様々で記憶の中へ誘っていくように流れ去り、歩

を進めながら「どう生きたらいいのか?どのような死に方が自分には残されている

のかしら?」こればかりは本人にすらも決められないから・・(*^_^*)

行き交う老人たちの中に紛れて、そんな思いを抱いておりました。誰にだって終焉

は来るのだからと思いながら《最近はこんな事を結構考える様になった自分を一寸

疎ましく感じています》先の事などは余り考えない様にしようと思う心折半はそんな

ことで時々揺れているのが現状でしょうか?でも、決して暗く考えているのではなく

[ふっと心の中を過る時間がある程度ですが・・( ^^)]矢張り老人が多く目立つ市

に来たせいかも知れません。ベトナムではそこまで普段思考が及ばない・・若い人達

の数が多いから、どこでも若者が目立っていましたから・・(*^_^*)自分も老いた

感覚から遠ざかり若さの仲間入りを当然の様にしていたそんな事が多かったからです。

帰国して自分の老いや周囲の老人たちに自分を反映させる瞬間が多くなったせいだと

思っているのですが・・うふふふふふ

さて『春の7草は直ぐに言える気がしますが、秋の7草は中々出てこなく半分も思い

出せない』仕方なく、本を引っ張り出して調べました。PCを立ち上げる面倒よりもー

未だ活字に頼っている年代だから、本を開く方が早いのです・・(#^.^#)

秋の7草はご存じの方は大勢おられると思いますが、私はすっかり忘れておりました。

〚萩、藤袴、薄、桔梗、葛、女郎花、撫子〛だったのですね!葛と、藤袴、撫子が全

く出てこなく、何度も思い出していましたが・・皆目、見当もつかない有様でした。

秋の野原に咲く代表的な7草を読みこんだ和歌がある事も既に完全に忘れていました!

万葉集で山上憶良が読んでいたんですね・・(・_・;)

【萩の花 尾花葛花 撫子(これは昔の字が使用されていましたが)の花

 女郎花 また藤袴、朝顔の花】と言う様で・・少しづつ思い出して来ましたが、昔

の漢字が思い出せなくて・・すいません<(__)>

矢張りきちんと詠われている通り書かないと不自然ですが・・ご勘弁下さい!

そうなのです。朝顔の花は昔は桔梗の事を言われていたようで、これは学生時代に聞

いた記憶が幽かに残っていました。俳句でも桔梗と書いて{きちこう}と呼ぶ人もい

ますし、そう言う遣い方をします。人間の頭の中には引き出しが沢山あるとか言われ

ているのにどうしてこんなに忘れることが多いのでしょう・・(-_-メ)

尤も忘却があるから生きていける部分があるのでしょうが・・肝心なことや大切な事

が既に埋没して、潜って探して行かねば見つけられない程時間も経てしまった感覚が

妙に悲しく心を憂いさせます。まだ探せる言葉や文字はいいのですが・・もう、何も

思い出す事すら無いことも多くて・・思い出や他の次元の違う事でスイッチが入って

誤解して覚えていることの何と多いことでしょう・・迂闊に話すと「それは**だよ」

と答えが返ってくることが増加して来ました。決して自分の中で 創作しているのでは

無く勘違いと言うより自分勝手に作り上げて覚えている事がかなりあります・・(@_@。

人間の記憶って本当に面白く、楽しいことや自分の都合で勝手に作られて行く部分も

有る事を感じました・・ははははは 嫌なことや辛かったこと等はもう蓋をしたいか

ら拒否反応が出るのかも知れませんが・・身勝手に創作している処が随分あります。

子供と話していると絶えず指摘されたり、何時も間違っている!とか言われてしまう。

淡白な意識の中では記憶さえも既に(死滅状態)で記憶さえもキラキラと輝きをくれ

ていた時代は過ぎてしまっているのかも知れません・・!(^^)!「あーあー」です!

何度も記憶の中に潜り込んでみても現れては来てもその都度浅薄になりぼやけて翳み

薄らいでいく過程を繰り返しているようで・・それが<老化現象>なのだと思える様

になってきました。溜息や吐息が時々でて、心がざわついていることもあり、ある日

は心も晴れ晴れで何も考えない日もあるのですが、本当に記憶や人間の日々の感性に

振りまわされている自分が滑稽な日もあります。

誰だって色々抱えているんだから・・なんて綺麗事の裏には「自分は大丈夫!」だよ

的な錯覚が大きな渦となって終始がつかない感情になる時もあって、人間の複雑さの

中で浮遊しながら、漂って生きている感覚を味わっている日もあります・・(-"-)

ま、それら全てひっくるめて≪生きている≫証しなんだと思えるようになっただけで

充分仕合せなのですが・・(*^。^*)≪生きること、生命あること≫が何よりも貴重と

思わねばならないのだとそんな事を秋の7草を思い出しながら考えておりました。

沢山の自由になる時間があって、贅沢な1人暮らし、何の差し障りもなく自由に行動も

出来、自分勝手に解釈する事も迷惑にならねばいいのだと思う心があって随分傲慢な

性格になりつつあるのか?最初からそう言う性分が、今実際に目の前にでてきたのか

判別は付きませんが・・寂しさがない分、頭の中では色々な事を思考する癖がついて

いるのは否めません。それにしても、昔の人は若くして利発だった気がします!!

 ≪生ある事の確実な現今に感謝をもっとしなければいけない気がしました≫

生きているから下らないことも考えるし行動もし、失敗もする。その事の意味を真剣

に考えて余命が幾ばくが解らないけれど手探りで前進しなければならない年代に突入

した事だけは真実であると今は断言できる気がします。

恥をかいても、愚かでもこの歳迄生きてきた事実はもうどうしようもないことだから

周囲に余り迷惑かけないように自分なりの生き方や死に方を眺めながら考えていける

残世でありたいと思っていますが・・どうなっていくのでしょう・・興味があります。

その時は「オタオタしないようにしたいなぁ」って願望が凄くありますが・・(*^^)v

でも、一寸先は闇とか見えないのが現実ですから・・どうなっていくのか自分を考え

る時間が与えられた事を有り難く思っている日々です。

やっと自分がどの程度の人間であるかが見えてきたのかも知れません・・あはははは

凄く心が落ち着いてきました。ベトナム暮らしは私に人生を自分を考える時間を充分

にくれたのだと思います・・(^-^)

今日は早朝から白雲が棚引いて流れも早く、既に太陽が燦然と輝きだしています。

大物のシーツ2枚乾くと良いなぁと思っている浪速の朝です。
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