ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/30(Sun)
台風の影響でしょうか?空全体を暗雲が覆い尽くしていて<何だか今回は日本に上陸

するとか?>言う話ですが・・早く影響もなく通過して欲しいと願っています。

すっかり朝晩の風は冷気を感じるようになって来たと思っているのは私だけかも知れ

ないのですが・・既に完全に合い物に着替えています・・ははははは

《人生はいいえ、生きること》と言い換えた方がいいかも知れませんが、色々な事に

出会って、又その時折に感じる心の有り様で変化して行くものだし・・考えてもどう

にもならない事も多々あり・・そんな時は心を一旦閉鎖させるか?沈没させてしまい

{考えない時間を持つことも必要かな?}と思う様になりました。もう若くないとー

言う事は本音の部分では【どうしようもないほど切ない事】なのですが・・(-_-;)

じわじわと[老い]が足元から這い上がってくる身体の変化と思考回路の脱線や狭窄

な物の考え方には(理解できている部分と全く拒否したい部分)があってその葛藤や

鬩ぎ合いに心が閉ざされて行く事を自ら知る機会が何度も何度も訪れてきます。

『誰も呼んでいないのに・・(@_@;)勝手に入り込んで来て考えの範疇が狭隘になっ

たり、世間の流れに乗れねばという焦燥感があり、悲しいまでの[老いの現象]を見

せつけてくるから・・苛立ちと自分がそこ迄到達出来ていない事の惨めさや情けなさ

を抱えてしまう時期があるのです。誰にでも来る時間帯です・・!(^^)!

その時期を越えて受諾や諦観が出来たり、さらりとやり過ごせることが可能な性格で

あれば[老いる事の素晴らしさや自分の自覚とし現実に向い合える]気がするのです。

所が中々〔奴〕はしぶとくて真綿で首を絞める如くやんわりと徐徐に到来して来るの

で始末が悪い・・あははははは 利発な人は直行出るのかも知れないが・・(*^^)v

ま、それもある時期を過ぎるとどうしようもなく納得させねばならない日が必ず来る

ものです。頑なに頑張って自己を表現していても〚時代の流れや年齢〛という現実が

圧迫して来て承認しないと前に進めない取り残されて行く悲しみや苦痛は矢張りその

時期を体験しないと答えが出せないものだと思います・・( ^^)

自分に矜持を持ち過ぎている私等その典体的な例だと思います。しかし、環境を変え

変化を求めれば何か新しく目が違う方向に向いて行くもので、心も気持ちも落ち着く

気がします・・短い人生です。たった1度の人生を悔やんだり暗く生きるのは真っ平

と思えるようになっただけでも個人的には帰国したことはプラス思考になっていると

言える気がしています・・うふふふふ 「息子よ!すまぬ」・・m(__)m

先日、電車の中でこんな会話を聞きました。隣に座った高校生の女子2人の話です!

本を読んでいたのですが、目は本に向いていたのだが途中からその話が興味深くて

耳はダンボ状態になり聞き入ってしまいました。「昨日な、**さんに飴をあげたん

よーそしたら、小母ちゃんみたいやて笑われてしもたん」「なんで?」「そやかてー

大阪の小母ちゃん言うたらみんな飴持ってるやんか?それも飴ちゃん食べる?」って

「何で飴にちゃんつけるんかよう知らんけど」「ほんま!うちその事は知らんかった」

「えー知らん方が可笑しいで――普通の事やで」「うちの周りにはいてへんし、そんな

事考えてみたことなかったよって知らんかったわ」

所で「小母ちゃんって幾つ位からそう言うの?」「そらー40位やろー」「そうなん」

心の中で私は「高校生から見たら40歳は小母さんなんだ・・ふーん」て思って聞いて

いました・・(@_@;)「電車の中でも袋から出して食べてはるの見たことない?」

「何時も携帯してるから見てへんかった」さも凄く納得した顔で電車の中を眺めてい

る様子の2人が可愛くて面白かったです!「50過ぎたらお婆さん?」「そんなん決まっ

てるやんか」「お婆さんばっかしやね!」「あんた、この街は年寄りの街って言われ

ているんやでー」「嫌やねーぞっとするわ「はよ、学校卒業して大きな都会の大学に

行こなー」「もう、その頃には沢山死んではるから、若い世代になってると違う?」

「おいおい、勝手に沢山の爺、婆を殺すなよ!」と思わず心の中で呟いておりました。

現実の高校生の会話を目の当たりにして、婆さんは独りごちておりましたが下車駅に

着いたので話は中断したが・・あははははは 若い子供たちとの接触がない人だから

物珍しくて思わず聞いてしまった。そう言えば本やさんには“大阪のおばちゃん学”

と言う本が売れていると言う話も聞いていたし、実際にそんなコーナーが設けられて

いてそこへ寄ったこともあり、小父さんが数人立ち読みしていたのを見たばかり・・

楽しく聞かせて貰ったのです・・ふふふふふ

店も大阪は華やかだし、派手な服も沢山あって見ているだけでも神戸とか札幌、東京

とは全く違う感覚で興味があります。数件は行きましたが・・これは奥が深かそうで

勉強になると感じています。ベトナムに何処か感覚が似ていて華やかさもキラキラが

大好きなところも相似しているかも知れません・・( ^)o(^ )

昨日のスーパーは台風のせいでかしら?麺類やパンなどは品薄になっていました。

吃驚するほど山積みされている何時もなのに・・拍子抜けしてしまった。その上レジ

の列が長くて、忙しそうでした。少し明るさが出てきてこれから午後にかけて台風の

襲来だと言われていますが・・(-"-)

どうか大きな被害がでないようにと祈っている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/29(Sat)
明日から台風の影響があるとのニュースでしたから、昨日も思いっきり洗濯をした!

毎日の外出は流石に疲れると思ってゆったりとPCに向い親友の誕生日のお祝いメール

やベトナム、娘とメールを書いていたら、姉から突然「図書館へ行こう」と言う電話。

折角の好意だし・・( ^^) 本は未だ半分しか読んでいなく、先日、道を間違えた時に

購入した本が5冊残っているので一瞬の躊躇いがありました。でも姉から誘われる事

は殆どなく私が旅行や映画も色々と誘うけれど「全て断る人になっていた」ので・・

これは{何か有ったのかも}と思い出かけることにした。

炎天下です。30度は越えていたと思うほど久し振りの暑さの中30分程度歩いて行き

ました。「携帯を解約した話」をしたり「なぜだか凄く老いて暗くなった彼女が心配

でもあったからでした」でも、姉から話がでるまで何も聞かなかった・・(-.-)

老いて、何処にも行きたくなく面倒で鬱陶しいと思う感覚は私にも経験があるからー

理解も充分できるのですが・・私が変貌したのか姉に何かが有ったのか見当もつかず

当り障りのない話をしながら図書館についたら臨時休館になっていました・・(-_-;)

「調べてくると良かったねぇ!ごめん」と言う姉が寂しそうで、鉢植えや見知らぬ家

の庭に金柑や柿が沢山なっているのを見たり、彼岸花、鶏頭、カンナの最期の花1輪

を眺めながら道路沿いに汚れて落下した薄黄色の銀杏を見つけ・・凄い量に感動して

いた私。帰路は大型スーパーへ涼を求めて入り、2時間ほどの散歩は終わった。

「何が言いたかったのか?」姉は父の性格に似て無口だから心の中が読めない!結局

何も言わないままで孫の話で終始してしまった・・(・_・;)

それでも娘家族と孫に囲まれて優雅な老後だと勝手に思っていたのかも知れない私!

「利口だから一緒に暮らせる姉を凄いなぁ」と思っていたんです。私は無理だからー

ま、何処の家にも色々な事があるから「姪と喧嘩でもしたかな?」とかそれにしても

「携帯まで解約しなくても・・私より必需品で使用していた人だったから吃驚した」

親子でも兄弟でも、人と言うのは家族の中でも決して自由ではなく、何かを抱え我慢

してお互いの摩擦の中から情が通い、その家庭の雰囲気ができ、家族の形態を成して

行くものだと思っていたから・・余計な事は何も聞かなかった・・(-"-)

「お昼は家で焼きソバでも作るから食べて帰らない?急ぐの?」と聞いたのだけれど

「帰るからいい」と言う。「暑かったけどいい散歩ができて良かった・・有難うねぇ」

と言って別れた。直ぐ近くにいるのに・・その為にこの地を選び老後を2人で楽しくと

考えていた筈の計画はどうも果たせなさそう・・(-"-)

「難しいなぁ・・何処まで立ち入る事ができる?」深く考えていても多分、私では何

の力にもなれないから・・仕方ないと言う結論になってしまった。きっと、何かを話

たかったのだろうと思うのだが・・何も判断できなかった。

      *親子でも心が通じ合わない場合が多々あるのが人の世です*

良かれと思ってしたことが迷惑だったり、嫌がられたり、各々家庭のやり方があって

疎ましく思われる経験は何度もして来たから・・あははははは

お節介だろうと思い気持ちを引っ込めてしまったが・・長く生きてると思いがけない

出来ごとに頑なな閉鎖された頭の中では回答が探せないことが余りにも多く、まして

この早く流動する社会の流れに連いて行かねば生活が成り立たない現実は年寄りには

暮らし悪い世の中になってしまった気がします・・(-_-メ)

勿論例外は大勢おられるでしょうし、くよくよ考えても一生なら楽しく悩んで諦観し

欲張って興味を広げる生き方が可能なら帰国した意味もあると思っているのですが。

家賃の支払いは昨日だったのだが大家が留守で何度かTELしたが明日と言う事になり

道路を挟んで、向かい側辺りにあるものだから銀行の引き落としは止めて持参すると

言う旧式な方法を取っている。彼女は7時半でないと帰宅しないと言われ待って出た。

中へ入ってと言うのを断り、玄関口で支払った。車が3台あり、広くて、吃驚する程

立派な家でした。話し好きな彼女は帰宅したばかりだと言うのに私を放さなく、色々

と10分以上も家族の話を聞かせてくれた・・(-.-)なぜだかこの地の人は寂しがりな

人が多いのか・お喋りで驚いてしまう。物を頂く事は{負担だからそう言う付き合い

はしたくない}と最初にお断りをしたのに栗を1人では食せないほど持って来てくれて

「そう言わないで食べて」と手渡された。ここで、また断るのも失礼だと思ったので

有り難く「私には未だ高くて買えないから嬉しいです」と言って持ち帰った。

ところが、そこに運が悪いのかいいのか解らないけれど、隣の80歳のお婆さんが偶然

立っていて、コーヒー入りの牛乳パックを私に上げる為に待っていたと言う。

栗は家賃を入れる袋の中に入っていたので{少し分けてあげようかな}と思いました!

でも、話す隙を与えないほど喋り出して・・><大家でも沢山話を聞かされた後ゆえ

勘弁して欲しかった。その上、事実「コーヒは全く飲めない人なのです」と言ってお

断りした。そんなに寂しくて、話がしたいのだろうか?気持ちは解る気はするのです。

自分の生活の中に入ってこられる事にかなりの抵抗があり、もう長い年月を1人で暮ら

してきたから・・他人の話に耳を傾ける心の余裕も深さもなく理屈抜きで自分を守護

したい気持ちが先に立ってしまうのです。

尤も、海外では自分を守り生活して行かねばならなかったし、だらしない生活ができ

ない人だったから気を緩めるとか・他人と談笑しようなどと瞬時たりとも考えた事は

ない暮らしから・・未だ覚醒していないのかも知れません・・あははははは

意地の悪い婆さんだと相手には映っているかも知れない・・でも自分が快適で暮らす

事が何より幸せで我儘勝手だとは思ってもそれしか生き方ができないし、したいとは

思わない・・絶えず自意識過剰なくらい自分を感じながら生活している人だったから

誰も声もかけてくれなくなるかも知れませんが・・多分、その方がきっと気楽に生き

られそうな予感がするのです。なぜか[孤独]ということが耐えられない人の多さと

誰かと繋がって生きている感覚から抜け出せない人が多い気がしてならないのですが

驕慢な性格なのでしょうか?そんな気持ちは全くないのですが・・( 一一)

余所者だから興味があり、何かを聞き出したいと思っているのか?単なる話し相手が

欲しいのか?どっちでもいい事ですが・・個人的には自分の時間を邪魔されたくない

のが1番私には嬉しいことなのです。解って貰えないのが残念です・・うふふふふ

大事もないが、何となく人が周辺に集まって来て、考える事も色々がありましたがー

自分の暮らしを守るだけで精一杯だから他人事には興味が湧かない・・(-_-メ)

飛び込んで仲間に入ったり出来る性格ならそれなりの楽しみも友達もできるのだろう

と思いますし、それができない人もいる訳で・・ほほほほほ

でも、現実には1人で十分過ぎるほど忙しく時間を潰せているからー他人の入る隙間

もないし、そんな性格を嫌だと思う心も全く無いではないけれど・・楽な暮らしから

猥雑な生き方を今更したいとは思わない。充分1人を楽しんでいるこの幸せを壊したく

ない気持ちが非常に強いのでしょう・・ははははは

面倒や厄介事は人と関わるとどうしても知ることになったり聞かねばならない。知ら

ないで通る事も知ってしまい巻きこまれたり関わる事で自分を曝け出す事にも抵抗が

凄くある人で出来るだけ人との関わりもシンプルで暮らしもシンプルで行きたい願望

が強いのだとー思うのです・・身勝手で傲慢でしょうか?・・m(__)m

珍しく数人の人と接する機会があった1日になりました。今は薄陽が射し雲も多く少し

うす暗い感じの浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/28(Fri)
風もあり適当な暑さで快適な朝、午前中の家事やPCも終了、何時もより早く片づき

最初は《落語を聞きに》と思っていたのですが・・一寸時間的に半端だった。時間

が合わないので未だ見たい映画へ出かけた。これは丁度時間的にも十分間に合うし

そんな事を思いつつ小1時間かけて観てきました。先週封切りの映画が殆どだからー

先日行った時よりかは空いていたかな? それでも8割位は埋まっていたから、中年

や学生達が多かった・・興行成績が絶えずトップと言われている娯楽映画で大人気の

〚踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望〛を観てきました・・( ^^)

個人的には長い間の空間があり、すっぽり抜けているから状況も新鮮に映った感じが

有りましたが、その人気と映画の作品に興味がありました。物語は6年前の少女誘拐

事件が警察の内部で隠蔽工作されている事実に警察内部告発の様な話から始まる。

旧体制然とした警察と言う大きな組織の内部に、メスを入れた作品でこの手の作品は

海外でも沢山あり、TVドラマでも絶えず繰り返されてきているから内容的には然程の

感激があるとは言えないけれど・・(-"-)

しかし、作品的に見ると現実なのか?真実が何処にあるのか?を考えさせる事は充分

発揮されていたし、真実と、不正、隠蔽画策、上級階級の縦系列社会内の不満や不平

が底辺をどす黒く流動している。それを告発したいと考えている幹部のあがき、未だ

上からの命令でしか動けないその逼迫した感情と行動がエスカレートして行く辺りは

凄く豪華なキャストによって、演じられていました。

上司の命令で辞職にまで追われて行く主人公は、今回の作品では妙に誇張されている

ように演出されていて、これが本当の最後なのだと思わせる迫力は充分ありました!

上からの軋轢に耐え奔走する彼は職を解かれても、未だ犯人を追及して行く。それを

カバーしフォローしている室井とのやりとりは娯楽映画と言われる興奮と緊迫もあり

時折見せる「クスッ」とした笑いがあちこちに加味されていて、作品的には想像以上

の出来上がりがありました・・うふふふふ

真面目に真剣に作品の底辺を探ってみると【正義】とは何か?この巨大な“組織”と

言う大きな枠内で繰り広げられる葛藤が描かれている作品です。本当は実話なのか?

あくまでもフェイクなのかは各々の心の中で鑑賞する事で回答がでると思われますが

15年と言う歳月が育んできた作品の『集大成』であることには間違いなく、娯楽映画

と言うジャンルで括るとすれば成功していると思える作品です。

前記しました様に私には長い空間があってそれを埋める作業が頭の中で懸命に働いて

いたので、湾岸署内の雰囲気も、何時ものメンバーの出世や退職されている人たち等

が全員集合の様に雑多に多く、ある意味最初からずっと多人数の出演者に振り回され

ていた感覚があって、中が抜けているから中々繋がらず戸惑い気味で観ていた部分が

数多あり、一寸人は多すぎる感じを覚えたが、一途に真実を求め、正義を貫こうとー

頑張って捜査に当たる姿は何時もの青島であり、その雰囲気は存分に出ていた作品だ

と思いました。「正義」は胸に秘めておく方が良いと言う言葉も、それなりの重みが

あり暗に隠蔽する組織に対する警鐘でもあり、悲劇でもある事を悟らせてくれる作品。

大勢の人がどんな感想でご覧になったかは、計りようもないが偶にはこんな娯楽的な

作品との遭遇も珍しく心を穏やかにした数時間でした。軽くあくまでも楽しく鑑賞する

ことを望まれるのにはよく出来た作品だと思いました。

これで最期だと言う意味と新たなる希望はどこにあるのかは鑑賞者の心の内にあると

監督は言いたかったのではないでしょうか?個人的な感想ですが・・(*^_^*)

   ≪思いがけない犯人に驚きはありました≫追記しておきます。

終わって一直線で帰宅したもので、これが又、偶然にも駅について即発車する電車に

乗れたり混んでいたのにも関わらず直ぐ、座る事も出来て{ラッキー}な帰宅。

何せ思い立ったら直ぐに行きたくなる人で、こんな時は家族がいない事や遠慮もなく

1人行動できる有り難さに感謝しております<(__)>好き勝手ができる環境と行動が

出来る身体がある事も幸せなことです・・(#^.^#)

冬物の洗濯がカラッと乾燥していて、セーター類やコートなども乾いていたことが何

よりのご褒美だった浪速の1日でした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/27(Thu)
随分前になりますが子供達のことを珍しく書いた記憶があります・・2人とも性格が

本当に正反対と言われるくらい、尤も男と女の部分もありますが札幌に住んでいた頃

の事です・・亡夫は育児は母親の役目だと思って育ってきた人でしたから、皆目。今

の若い父親の様に面倒見たりお風呂に入れたりすることはなかった人でした。

ただ、10歳になった時には車で1週間くらいでしょうか?北海道を1周する旅の計画を

立てて、助手席に乗せ地図を持たせて「どのルートが近道?今、どこを走っている?」

などとナビゲーターの役目をさせたそうです。子供は真剣です。あちこちのページを

開いて、地図が読めないと父親は間違った運転をして何処へ行くか解らないと言うー

状況を作り、凄く大変な思いをした様です。年子ですから2年続けてそれを行動した。

娘は兄から聞いているので少しは狡くなって下調べをしたりしていた様ですが、でも

亡夫は全く違ったコースを選んだりして、結局は彼女も相当苦労した経験がある様で

自慢できる唯1のことが2人とも地図が大好きで直感が働くようになったみたいです。

息子は1度通過した道は大抵、覚えていると言う感覚が身についたようですし娘の方

は地図大好き人間になりました。だから私に対して、方向が解らなくなることが想像

できないらしく「どうして道を間違えるのか私には全く理解できない」と何時も言う

のですが・・先日も道を間違った話をしたらそう言う返事が返って来た・・(-_-;)

亡夫が遺してくれた最大の宝だと私には思われて有り難く感じていますが・・息子は

18歳の夏休み数週間パリで1人ホテル住まいをさせた事があったのですが、その時に

はスニーカーを2足はき潰すほどパリの街中を毎日歩いたそうです。だから、仏留学

が決まった時も何の心配もしなかった・・・ま、言葉はその内にと言う程度でしたが

だから1度通った道を間違う事など先ずはない人です・・( ^^)

でも、幸いにして男の子は優しくて娘の様に辛辣には言わず「仕方ないよ!苦手な事

は誰にでもあるから、おかんは間違って覚えていくタイプだと思うよ」なんて言って

くれる。同性の娘の方が性格もきつく特に私に対しては厳しい意見を言うから何時も

ズバリと結構グサリと言ってくる人で母親としては情けない時があるが、でも実際に

判らなくなるのだから、仕方ない!

注意力がないことも頭脳の働きが欠落しているのかも知れないと何度も思ってこの歳

まで生きてきた気がします・・とほほほほほ

社会は決して嫌いではなかったけれど、今だに地図も正確には読めないし書けない!

そんな私でも生きてこれたから「これでいいのだ」と、もう完全に開き直っている所

も沢山あり過ぎるくらいです・・うふふふふふ

ベトナムの友人2人から時々メールが入るのですが・・これが実に大変で正直、面倒

なのです。嬉しいし忘れないで色々なニュース等も教えてもらえるから本音では結構

助かっているし、有り難く思っているのは事実なのですが・・(・_・;)

1人は日本語が解るので、日本語で書くのですが日本語ではなくフルアルファベットで

書かないと読めないし理解できない人だから・・凄く困ってしまう。そんな書き方には

全く慣れていないのから・・ま、英文を書いているような錯覚があります・・(-.-)

言葉は日本語だから問題がないし、書くのも何とかなる。フルアルファベット表示に

すれば問題はないのですが。どこで、切っていいのか、彼女から来るメールは、殆ど

続いているから読みずらく、何度も何度も読み直す・・(-_-メ)

また、書いている私も「だって」とか濁音が入るとベトナム語ではZとDの発音を同じ

様に使用するからそうした方が理解しやすいかしら?なんて考えてしまうのです!

例えば〔今、ベトナムでは雨が毎日降って涼しいです〕と書いてみると私は{Ima

Vetonamu deha ame ga mainichi hutte su

zushii desu}と間を開けて書くのですが彼女の場合〔imavieto

namudehaamegamainichihuttesudushiizesu〕

となるわけで・・もうそれがずっと長く続いているから・・ま、正確な日本語を完全

に話せない部分もあるのですが・・(-_-メ)とっても嬉しいのですが、一瞬「あっ!」

と思わず声に出してしまう事があります。ここに書いている文字は未だ大きい方だか

ら何とか読めるのですが・・ずっと長く続いているから正直しんどい・・あはははは

もう1人は英文で来るのです。これも又、酷く辛く辞書を片手に調べながら、時々全く

意味が解らないことがあります。ベトナム語が混じっていたり、見知らぬ単語が多い

から、彼女も正式には習わず外国人相手に覚えたようで・・英語になっていない場合

もあり・・そんな文章は飛ばして読んでいますが・・(^_^;)返事を書く時なども既に

忘れているから、日本語から英文に直して(これが殆どいい加減)書くと言う作業を

している・・かなり無理で困難な心情なのです。

日本人は英語は普通に話せるし、書けると思っているベトナム人です。これには流石

の図太い私も困惑しながら返事を書く有様で・・情けなくなります!

≪ま、頭の体操だと思えば≫と思ってはいるのですが・・段々、惨めな心境に陥って

くる自分がいて、こんなにも何もかも忘れてしまっている事に愕然としたり、昔風の

文章でしか書けなく、もっと簡略に書けば通じるのだろうと思うのですが、何せ融通

が利かない思考回路をフル回転させているから疲れがどっと出てきます・・(-"-)

仕合せな愚痴ですが・・「いやはや・・ほ、ん、と、大変なのです」状態です。

昨日は日中の気温も上がり洗濯が2回出来て夕方までに冬物が乾いてすっかり気分上々

の浪速の1日でした。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/26(Wed)
朝晩の涼しさがかなり応えてきています。今頃でこんな状態なら真冬が越せるかな?

など思う日々です・・(-_-;)大袈裟に思われるかも知れませんがベトナムでも26度

位で肌寒かったのですから・・もう20度を切っている現今。昨日も姪の家に携帯料金

の支払いに出かけ、ほんの20分なのに・・サマーセ―ターのアンサンブルにパンツ姿

で丁度良い位でした。そこに姉が買い物から帰宅して薄い半袖で汗をかいている・・

「涼しくなったわねぇ」なんて口から飛び出しそうになった言葉を飲み込んだ(笑)

それでも帰国してから汗をかくようになったから新陳代謝もよく元気になったのかも

知れませんが・・(-.-)背中や肩が本当にゾクゾクして寒いのです・・!(^^)!

この歳になって1つだけ人生の中で大きなミスをして後悔していることがあります。

大切な友人を失ったことです。彼女は正確には教えてくれなかったので把握できては

いないのですが昔で言うさる大名の姫だった家系で・・遡れば多分、名門と言われる

家系の出で、育ちもその躾も雰囲気も持っている資質も上品で、優雅な女性でした。

教養もあり外国語は勿論 短歌や茶、華道にも通じている人で何でも典雅でした!

彼女とは身内の様な付き合いになって、私も貪欲に彼女の持っているその仕草までも

影響を受けるほど傾倒していました。旅行も何度も出かけたり2人で何時間もお喋り

したり、随分多様な事を彼女から学びました。それもごく自然に入ってきた感じでー

お能や歌舞伎についても随分教えてもらったり、琵琶やピアノも見事でした。そんな

全く真逆の彼女から受けた数々の淑女的な品性はいまだに忘れることが出来ません!

私はごく普通の家庭に育ったから、特別何かに優れているものは何もなかったのです。

でも彼女の心から、言葉から発する知識や教養は物静かで、ちっとも偉ぶらず、謙虚

そのものでした。そんな彼女から受けた影響は数知れず、今の自分を作っている部分

がもしかしたら少しはあるかなと思っています・・(*^_^*)厚顔無恥ですから・・

でも、海外旅行をした時に、多分何か彼女の気に障ることを迂闊に言ったのでしょう

それ以来音信不通になりました。怒っている姿も見た事がないほど温かく優しい心の

気配りが出来る素敵な女性でした。何度も手紙を書いて理由を知りたく、彼女と過ご

せた時間の豊さ素晴らしさが心の奥から離せなかったから。TEL も何回もかけてみた

のですが・・それ以来全く途絶えてしまって彼女との友情を喪失してしまった経験が

あります。軽薄で直ぐ口に出し後先など考えない愚か者だから悪気はなくても、棘の

有る何かを私は言って彼女の心を深く傷つけたのだと思います・・><;

それが何だったのか知る術ももうないのですが・・それからの私は新しく友達になる

事に酷く神経質になり、仲良くなっても壊れてしまう関係があることを教わった気が

しました。以来、親友と言える人は1人しかいない。友達は何人かは居ても、心を通じ

合える人がいたかも知れないが、友達を作る怖さがあり・・人との関わりは極力避け

てきた現実があります・・(;一_一)

きっと、私の中には彼女を受諾するだけの度量もなく、また、品性も教養も知識も何

も素質の中になかったから、見放されたのだろうと思いました。本当に大した人生を

歩いて来た訳でもなく、人間的にも未熟で、不完全過ぎたから嫌らわれたのだろうと

今は思っています。その事があったから、そして、その試練の道を通過したからこそ

考えられる事が沢山ありました。人との関わりには真剣でなければならないし友人と

呼ぶにはそれなりに自分に見合った人でなければならないことも・・知りました。

育ってきた環境って大切ですし、教育を受けてきた時間は何よりも大事だったと考え

させられました。今は彼女との出会いがあり、素晴らしい数年間の時間が貴重に思わ

れて心の中に空いた穴は埋められませんが・・(-"-)大切な思い出になっています!

その事があったから、今の自分がある事に感謝しています。確かに相手の心を慮る事

の難しさも、家庭環境の違いも異なったけれど彼女から貰った沢山の知識は吸収され

少しは未だ残存しているのではないかと思い込んでいる処も間々あり・・うふふふふ

なーんて・・身勝手に身贔屓して自分自身を見ていますが・・もうかなり古い話です。

成長出来ていなかった自分の昔を垣間見てもっと色々な事を享受出来ていたら違った

人間として成熟出来たかも知れない。故に彼女との唐突な別れは本当に悩み辛く寂し

かったです・・(・_・;) ま、私にその受け皿がなかったと言う事だろうと思っては

納得させてきたのですが、後悔している出来事です。どうしようもないことなのにー

しかし、物は考えようとか申しますし、過ぎ去ったことを悔やんでも詮無い事だから

歳月と共に風化してきていますが。時折思い出し、その事だけには寂寞感が伴って心

をざわめかせます。矢張りその人に合った人との出会いがいいのでしょうし、あまり

育ちも環境も違う人との遭遇には無理が生じるのかも知れません。身の丈に合う生き

方しか出来ない様に親友もまた然りではないかしら?そんな事を思い出しました!

今朝も冬物がぽたぽたと音を立てて洗濯竿に引掛っている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/25(Tue)
親友の誕生日が近いので、何かたまには変わったものでもと思い探しに出かけた!

電車で20数分大阪でも繁華街。南では大きな街でビルがスクッと立ち並び地下から

大型店舗の入った店やデパートと直結していて、その中に古くからある地下鉄やJR

の乗降口が薄汚く顔を見せている。周囲は明るく新築やリフォームされた通路から

はかけ離れた様相を見せていて、歩き慣れていないから、地下に壁や柱があちこち

に出来ている・・1つ曲がり間違えると違う場所に出たり継ぎ足しだらけの工事で

慣れれば凄く便利で、雨や風の心配もなく地下だけで色々なビル内へ直行出来るの

ですが・・(#^.^#)しかし、昨日も書きましたが、物珍しくお上りさんであちこち

の新しい店に興味を惹かれ売店を見ているとうっかり地下の中で迷子になりそうに

なるのです。何度も行ったり来たりしている・・うふふふふ

数回通過している道なのに幾度に私鉄の乗り場が中央だったり南とか東に変わって

乗降場所が異なる・・あははははは

全く(笑)しかない鈍くささで、それでも何事もなく帰宅できるのです・・(+_+)

「よし!(OK)とするか」なんて体たらくですけれど・・やれやれです!!

電車の中で不思議な人に遭遇しました。吊革を持って運動している小父さんがいて

それも電車が動いているのにぶら下がっては体操の様な事をずっとしているんです。

私の車両の中だったから最初は余り気にも留めないで本を読んでいたのですが大方

の人が見だして、得意になったのか腰をひねったり、足を上げたりするので、吃驚

してしまった・・(@_@;)暫くして車掌さんに誰かが知らせたのでしょう・・(@_@。

注意されていました。彼は一体何をしたかったのか?小柄な小父さんで50代位の人で

したが≪色々な人がいる≫と、ある意味興味はありましたが乗降する人の邪魔になる

車内の人は降りる時は彼を避けて降りていましたが、乗ってくる人は驚いて一瞬停止

状態に皆がなるのです・・{何だったのか?未だに理解できません}

買物は去年が鉢植えのセットだったので、外出の多い彼女には洋服もいいかも?など

思って老いてきたら顔が映える色を着る方が良いと聞かされていたものだから、少々

派手目の変わったスカートとスパンコールやビーズなどキラキラ光る長Tを購入した。

大阪のおばちゃんは派手好きだから、こんなのがあるのだと言う感覚で楽しく店内を

見て回っていました・・(*^_^*)

彼女には何1つ勝てるものがない私ですが、背だけは私の方が高いから少し小さ目で

変ったのがあったので派手だったけれどそれに決めた。自分の分はもう何も欲しくは

ないけれどプレゼントを選ぶのは凄く好きです。その時間帯は頭の中には彼女だけに

占領されていて気持ちがその方向へ向かっている・・それもまた、楽しいことです!

電車を降りて、すぐ国道ですが工事をしていて、道路を掘り返しているから、掛りの

小父さんが誘導してくれるのですが、それが狭くて1人づつしか渡れなくトラックに

は掘削した土やコンクリートが載せられ、崩れそうでトラックの周囲には囲いがない

から{囲いの板か鉄板でも欲しいなぁ}と考えながら遠回りしていました。

駅からは30分は歩かねばならないのですが下り坂だから少し楽なんです。暫く歩いて

いると前方からかなりの老女が自転車を押しながらきました。緩くても坂道ですから

それでも「私なんかよりずっと元気だわ」と思っていた途端に躓いて、自転車ごと転

んだんです・・車道のない狭い国道です。2車線ぎりぎりで横には側溝があり金網の

蓋がずっと続いている所をそれも道路側に転んだようです・・・走って来ていた車は

急ブレーキを掛けて停まり、次々と車が停車しました。運転手は若い人でしたが降り

る事もなく、見知らぬを決め込んでいました。そこへスーパーの駐車場の掛り員の人

が走って行きました。私ももう少しだったので小走りに駆けて行きました。

「救急車呼びますか?怪我はしていませんか?」って聞いたのですが返事も出来ない

ほど驚愕の顔をして呆然としていました。返事も出来ない様子なので、一応救急車を

呼ぼうか?と小父さんが言うもので「そうですね!打ちどころが悪かったら大変です

から」と賛成して、小父さんは自分が連絡するからと言い携帯をだした。

そして、ふっと何を思ったのか携帯をかけずに走りだしたので、私は驚きその後姿を

目で追いかけていました。斜め前に消防署があったんです。私も忘れていたし考えも

つかなかった・・納得して、お婆さんに声をかけていました。本当に10分程度だった

のですが長く感じて救急車が音もなく来て、乗せて行きました・・\(◎o◎)/!

小父さんが自転車を起こし、私に「ワシが後ははするから帰ったらええ!えらいとこ

に出遭うたなぁ」なんて言われて、そのまま帰宅したのですが・・彼女は何とも無け

ればいいけれど・・」とずっと考えて戻りました。勝手なもので自分の家に着いたら

もうすっかりその事は忘れていました・・<(__)>でも、何処の誰かも知らないので

勘弁してねなんて心で謝っていましたが・・届くと言いのですが・・(-.-)

本当に老人の街と言っても過言ではない位老いた人が多い街でそれなのに大方の人達

は元気で自転車に乗っている。バイクの人もいるし、吃驚しています。乗れない場所

等は押してでも乗ってるのですから・・いかに不便かを感じますし、もっと老いたら

と考えるとスーパー行きも苦痛になるのかも知れません・・(-"-)

今はPCからでもスーパーの配達もあるようですし、おかずの宅配もある話を聞いてー

少し安心はしていますが出来るだけ毎日足が弱くならない様に歩く事にしています。

買物は重いと持てないから、それでも、3日分は余分に購入しているのが現状です・・

人生の黄昏が近くなると想像もしていなかったことが・・昨日まで出来た事が突然に

できなくなったりする事を最近は身にしみて感じています。確実に老いて時間は迅速

になっていく気がしております。毎日が些細なことの繰り返しが幸せである実感を身

を持って痛感しています。 ※何事もなく過ごせた1日に感謝です※

今日もまた洗濯物が満艦飾になっていますが・・流石に陽光は威力を弱め午前中には

乾かなく、雲が流れて遮る日は遅い取り入れに変化したそんな浪速の夜明けです。  
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/24(Mon)
行く雲が連れてくる雨は午前中にかなりの量を残して去り安堵していたのですがー

それからも薄陽が射したと思えば暗くなって、又しとしとと雨が降ると言うことを

繰り返しはっきりしない天気で、夕方からはずっと降っていました・・(--〆)

そのせいでしょうか?座って本を読んでいたら、うすら寒くて、動いている方が絶対

いいと思い・・・1ヶ月も経ったのに、クローゼット内の整理をしてない事が気掛かり

だったもので・・(-_-メ)

これはいい機会だと思い、クローゼットの中に引っ越し時に上だけ見て仕舞いこんだ

全部の箱類などを引っ張り出し、中身を点検しました。随分合い物も冬物も洗った気

がしていたのですが、思わぬところから出てきたり、昨朝は20度を割ると言う寒さで

冬物の準備をし始めました・・(-.-)

ま、このまま秋が深く冬に突入はないとは思いながらも殆どの夏服は仕舞い込んだ!

合い物と冬物をかけ直したり、客布団のシーツ等も汚れていないかとか?あちこちと

見ながら片づけていました。4年間眠っていた服もありこれは不必要だと処分する服

なども分けてそれを別箱に入れたりしていた。ところが広げ過ぎて、狭い部屋なのに

ぐちゃぐちゃになったのを見て、焦ってしまった。部屋の整頓がされていないのが何

より嫌いな人だから・・!(^^)!

ゴミを出す日まで少しづつ出そうと決め1番前においたつもりだったのに、次々と色々

な書類や亡夫に関する物などもう全く不要なのに取って有ったりしたのを見ていては

手が止まり・・(;一_一) 回想に耽っている自分に{はっと}して、分けていた箱

の事や必要のない袋に入れていた書類などは、その時シュレーダーにかけてしまえば

終了したのですが、部屋の中が物凄い状態になっているので驚いて、何とか早く片づ

けようと2時間以上も座り込んでいたようで、さすがに疲れてきて・・箱が重いと持て

ないから・・(^_^;)

中身を半分位で畳み直して入れたり、結構な時間が掛ってしまいました・・(-"-)

肝心の処分する服類の箱を1番奥に入れていて《その時はすでにすっかり忘れていた》

{全く何をしているのだか?}いつの日かもう1度出してやり直さねばならない!

兎に角何をしても最近は頭の働きが鈍いと言いますか?あまり物事をきちんと考えら

れないのでしょうね・・(-_-メ)

眼の前の事だけしか見えていなくて深く物事を考える思考回路は何時も脱線している

ようで、一生懸命になっているのに≪ドジ≫っている場合が凄く多い気がします。

違う事があると、そちらに夢中になったり順番を考えて次々と片づける手際良さは私

には、生来備わっていないのかも知れません!どうにか3時間ほどかかり全部やり直し

て本当に安心しましたが・・古い型の服や肩パットのある服が結構あり、今はもう誰

も着ていない服だろうと思いながらもその頃オーダーした品や亡夫が購入してくれた

洋服を捨ててない事に・・何度も手に取って眺めていました・・うふふふふ

恥ずかしながら洋裁は全く出来ないから、ズボンの裾上げや綻びを直す程度で新しく

作り直したらいいのでしょうが・・そんな器用さも皆目なく、かと言って処分すると

言う勇気が未だ心構えができていない。どうせ持って逝けるわけではないのだからー

と思っている現実はあるのですが・・愛着があるのでしょうね、何となく亡夫の形見

に思えて捨てられない気持ちがあるんです。着なかったら意味は何もないのですけれ

ども・・(#^.^#)・・あははははは

性格的には割合何でも平気で差し上げたりしてきたし、捨てたものも本当に数知れず

値打ちのある物もその処分に困り思いきりよく捨てました・・!(^^)!

勿体ないと言われた娘の(内かけや振り袖)も数枚全部あげてしまったし、どれだけ

処分したか解らないのに、未だ残っている・・異常です。もっと確実に考えを変えて

少しずつ処分して行こうと思っています。その為に帰国したのも事実ですから!

現在は遺品整理の会社がある様ですが、出来たら自分の手で全部片づけ全てを廃棄し

て貰えるようにしておきたいとずっと考えていました。

ベトナムで暮らしていた時の生活に比べたら何と贅沢で数が多いことに吃驚します!

それ程人間の生活は質素で、倹しく最低限のものがあれば生きられる事を学んだので

すから、それでも帰国時にはかなり増えていましたが・・><;

人間は際限のない生き物かも知れませんし"慾”と言う心の支配に結構影響を受ける

もので、毎日同じ格好していても、特別な目で見られる事もない・・洗濯されている

数枚の洋服とパーティ用があればいいし、サンダルもビーチサンダルばかりだったし

公の場合なんて1足ちゃんとしたのがあれば十分な生活でした。ただ、私は毎年2回は

数日間帰国していて、亡夫の祥月命日と桜時期があったので、ブーツやセーターなど

冬物も余分に必要でしたが・・それ以外は何も購入しなかった。しかし帰国する時や

札幌では待っていてくれる友人がいるので、同じ服と言うのも気が引けて娘に買って

貰ったり、娘の服を貰ったりなどして数が増えていきました。不思議です。日本では

何処かに昔の私がいて、いい格好をしたがる自分を見ています・・(-_-;)

早くそんな下らないものを取り除かないと生きている分だけ物が増えるのが自然だと

思っているのですが・・(@_@。「頑張って早く整理をして行かねば間に合わない」と

そんな考えが過ります。心のどこかで焦燥感に煽られている自分がいるんです。

年齢だけではなく性格も入っていると思いますが、全部、何1つ残さないように処分し

ておきたい願望がすごく強いのです・・(-_-)

不慮や不可抗力の場合を除いて、病気で最期を迎える場合は可能な限り子供達に迷惑

掛けない様にして置きたいし、大した物はなくても欲しいと言ってくれる人があれば

差し上げ、身辺整理をしていたいと思っている。その為に帰国した部分があるからで

す。自分が生きていた証なんて大した事ではないし子供の中に友人の中にほんの少し

「あーそう言う人がいたわ」で十分だと思っています・・( ^^)

【格好つけているのではなくずっと亡夫との別れから書き始めた遺言書が段々枚数が

減ってきて、20数年書いて来て出せた結論なのです】充分過ぎる幸福もあった。贅沢

も貧困生活も両方味わう機会が与えられたし、子供も上手く育てられなかったけれど

ま、普通の生活ができる程度の生き方をしているようだから・・もう自分が遺せる物

など何もなくても満足です・・(*^_^*)

未だ時間が残されている間は懸命に頑張って生きてみますが・・何時でも後ろ髪を引

く人生で終わる事にかなりの拘泥があるのです。**逝く時って少しでも心穏やかで

「じゃあ」なんて言って去る事が出来たら最高の人生ではないかしら?**何て思い

込んでいるんですがーこればかりは思い通りにはいかないだろうからせめて身辺だけ

でも整理整頓しておきたいのです・・ははははは

今朝は奈良方面が未だ暗雲の中にすっぽり入っていてもしかしてこっちへ流れてくる

かもと思ったのですが思い切って昨日の箱の中の洗濯可能なものを洗ってゴミに捨て

られるものは処分して来た月曜日の浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/23(Sun)
夜から降り出した雨は闇夜を走り容赦なく今朝も続いています・・(-"-)すっかり

真夏の暑さが抜けた様で、異常気象と言われた時間を既に忘却しているごとく日々

は流れて行きます。置き去りにされた暑さも果てしない海に消滅して行ってしまい

行き先の見えない明日が次々とやってくる気配を心の中で数えております!

過ぎた時間は戻らず、自己満足させながら逝ってしまった時を恨めしく思う日もあり

決して消えることのない沢山の汚点をあちこちに散在させながら〔今が1等幸せ〕と

消えて行きそうな弱い心に檄を飛ばす日もあります。遅過ぎるのかも知れないですが

そう思う事で1日が過ぎる気がしている。『時間』と言う拘束に負けない様に必死で

生きているのも案外切なく、過去の無意味な『時間』に蓋をしている狡さもあり、人

としての器の小ささを愕然としながら心が壊れて行くような気もしています。

多分に未来が見えない事への不安と自信のなさからくる現象だと思いますが・・(/_;)

そこまで繊細な神経かな?と大きな疑問符を突きつけられて「どきっ」としている私

も現存するから・・(#^.^#)【生きる事って・・本当に真剣に考えると辛く愛おしい

ものだと思う心がこの歳で感じるのですからどうしようもありません・・(-"-)】

しかし今まで生きてこれたことへの感謝や大勢の人たちの手助けで何とかなってきた

『時間』も事実だから自分でしか手繰り寄せられない《運命》に委ねつつゆったりと

大きな流れに漂って行くのが良いのかも知れません・・(*^_^*)

午後から雲が出てきたので気になっていた大和川を渡り隣の市へ歩いて行って来た!

大きな川はあれだけの雨が降ったのにも関わらず既に河川敷では野球やテニスをして

いました。この川は氾濫がないと聞かされていたのも肯ける思いで野球を拝見しつつ

堤防と河川敷までにはサイクリング道路があり、女性の団体7人に出会った・・(@_@。

全員が今流行のスタイルで軽やかに多分高価な自転車なのだろうと思うのですが私の

前を颯爽と走って行きました。そのスタイルは個人的にTVで見た程度で殆ど理解でき

ていなかったのですが・・カラーこそ違っていましたが全員同様で、ヘルメットから

シューズまで素敵でした・・(*^^)vきっと、趣味のサークルなのでしょうねぇ!

自転車がブームで日本1周した方もおられると言う現実。時代の流れを感じましたね。

そうですね・・30分位歩いて漸く始めて隣の市の駅に到着、近場に本やとコンビニが

あったので入ってみました。国道が住んでいる市よりはるかに完成されていて歩道も

確りあり、何の心配もなく安心しながら着きました。

所が帰路が大変でした。全く初めての道路ですし、途中で野球を見たり、余所の家に

彼岸花が沢山咲いているのを眺めながら歩いていたもので・・(-_-;)

曲がる場所を間違えたのです・・毎度の方光音痴で恥かしいのですがかなり大和川を

外れ、鉄橋を3本も越えた場所を歩いていた様で・・その市の警察署前で矢張り来た

道と外れている事に気が付き・・その間何度もここ通ったかしら?電車が走っている

とか鉄橋があったかしら?とは思っていたのですが・・(-_-メ)

そこは図太い婆さんですから警察の中まで入って行き、聞きました・・(・_・;)

何と3本位の橋を通過し隣の市に入っていると言われ、電車の方が近いと地図を書いて

説明を受けたのですが・・大和川は遥か彼方で曲がっていました。でも何とか歩いて

帰りたいと思っていたし、間違わないと理解できない頭脳ですとお礼を言って戻り道を

探しながら・・電車の鉄橋を越えもう1つの橋も越えたところで大和川が見えて来た。

堤防に上がる道を探していたら大学生風男の人が来たのでこの際だし「こうなんです」

と説明したら「僕も少し近くまで行きますから一緒に行きましょう」なんて好漢度UP

の人と遭遇しました・・(*^^)v

何時もは田舎と心の中では何処か自分とは違う{線}があったこの地方でしたが、彼

の出現と案内してくれると言う言葉に猛烈な親切心と温かさを感じ仕合せを貰った!

{何ていい加減で調子の良い婆さんだろうと内心は思っていましたが}・・はははは

本当に途中に彼の家がある様でした「そこを真直ぐ行けばかなり緩いけど坂道だから

気を付けて帰って下さい」まで言ってくれました。心の奥が「じーん」としましてー

若者も素敵な人がいることを感じさせてくれる人でした。15分位一緒に歩く内に自分

が越して来たばかりとかベトナムに住んでいた話を少ししたら、かなり驚いていた様

ですが「何処でも1人で行かれるのですか?」なんて質問されたり楽しい時間でした。

《日本人の先行きに不安はないかも知れない》などとーこんな確りした若者がいるの

だから・・ましてや若い女性でもないのに親切で優しい言葉遣いで応対してくれ本当

にハッピーでした。その後、また歩いて20分位したら見慣れた神社を見つけ「ほっと」

しました。先ず、迷う人であり方向感覚がない人を再確認しましたが・・><;

それは仕方ないと諦観して、間違えたから今度は大丈夫だとちょっぴり自信にもなって

”一期一会”とはよく言ったもので、誰も人が通っていない道で出会えた事の幸運にも

感謝しましたm(__)m

結局1時間50分位歩いたでしょうか?想像以上のハードさでしたが・・帰宅したら汗が

流れていました。割合涼しく30度くらいでしたが・・心の焦りと何処で間違えたのかも

全く分からない状態でした【行きは良い良い・・帰りは怖い】を体験し、心温まる人と

の出会いは疲れを半減させてくれました・・( ^^)

2時に出たのに5時近くでしたから天気も崩れそうで薄暗くなっていました。そんな事が

有った土曜日の午後{生きている者全てに幸あれ!」と雨で朝を迎えた浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/22(Sat)
突然、今書いた記事が削除されてしまった・・どうしたのか?何かを触ったのか?

見当もつかないがかなり書いていたのでがっかりしてしまった。本文なしになって

いました。こんな事ってあるのですねぇ・・><”

向いのイチジク畑は背丈が2㍍を越えて凄い高さと大きな葉になり、人が中にいても

全く見えないほど成長している。毎日、洗濯物を干していると、同じ時間に自転車と

小型トラックが捥ぎに来る夫婦連れがいるのですが・・何時も一緒の車で来たことが

ないのを他人事ながら凄く不思議に思っている。喧嘩している様子でもなく、収穫も

籠にそれ程大きくなくて3つ位なのに商品はトラックに載せ、奥さんとは別々に帰宅

するのです・・(-.-) どうでもいいことですが・・ははははは

それが引っ越して来てから毎日続いています。結構、大きな畑なのですが然程採れて

いないので、今年は不作なのかも知れない、スーパーでもいい値段しています!

※ベトナムのマナー・・

先日も書きましたが忘れていた部分がありましたので追加しておきます。 日本の

懐石料理などに比較すれば全くマナーについては煩くはない。まして外国人と言う

事で大目に見てくれることが多いから緊張する事もなく、大皿で出る料理が殆どだ

から、それに大抵が取ってくれる係の人がいたり、心配はないと思います。

自分用お茶椀とタレを好みで作るから小皿が沢山運ばれてくる事が少し驚くかもー

また、箸は和食の店では箸袋入りや箸置きがあるが、大抵が大きなケースに入って

居て、スプーンもそのまま立ててあるところが多いです。ホテルやレストランでは

それなりの格式があるようですが、一般の店や屋台などでは鉛筆立ての様な大きな

プラスチックの筒に入っていて、適当にとって食べる方法です。

一応トイレットペーパーが置いてあるのでそれを巻き取り、拭いてから口をつける

人は私も含めて沢山いました。別に拭かなくてもいいのですが何だか綺麗になった

気がしたものです・・うふふふふ ティッシュペーパーは高価なので大体の店には

前に書きました様にトイレットペーペーで代用されています。

◎依然書きましたが、はっきり嫌な顔をされるのは矢張り麺類で音を出して啜るの

はNGみたいです。慣れないですが、スプーンの上に麺を載せて食します。お皿も丼

も手に持ち上げて口元に持って行かないのもマナーでしょうか?そして、日本式に

麺類の汁を口につけて飲む人が多いですがこれは絶対ダメです。

非常に嫌われ、嫌な顔をモロにされますから要注意です。汁はスプーンかレンゲを

使用しながら飲むものとされています。そのためにスプーンと箸があるのです。

◎爪楊枝を渡すときは爪楊枝だけを渡してはいけない・・

殆どのベトナム人は爪楊枝を使うことを書きましたが渡す時は入れ物を渡すか、1本

を抜き取り相手の前に置くのが普通で手渡しはしないそうです。

◎食べながら話すのもいいマナーではないようで、気をつけたいものです。日本でも

箸で食器を引き寄せる人を見たことがありますがそれもタブーです。

◎ドレスコード・・

ベトナムでは高級レストランでも服装の事はあまり厳しくはないが靴は必要で男性の

場合はビーチサンダルは断られる事はあります{ディスコはドレスコードがあります}

ま、高級レストランでは地元の人でもそれなりの階級の人が来ているのが普通だから

それらしく相応しい恰好で出かけたいものです。目上の人に会う場合男性の半ズボン

は失礼だから気を付けて下さい。大した事はないですが、結婚式やパーティでは日本

では想像も出来ないドレス姿の女性に出会う事もあり、そう言う場所に慣れていない

私などは最初吃驚したりも多々ありましたが・・夜の顔と普段との差は著しくそれが

当然だと言われていますし、やはり外国を感じさせます。 暑い国のせいもあるので

しょうか?露出度もかなりですよ・・おほほほほ

ま、きちんとした式には案内状に書いてあるので心配する事はないですが、自分では

派手だと思っていても感性や感覚の相違でしょうねぇ・・驚きのドレスを拝見する事

もあり、まるでおとぎの国に来た感じがしたこともありました・・(@_@;)

日本人ですから着物があればどこでも平気だから持参していましたが・・1度しか着

る機会はありませんでした・・(#^.^#)

でも着物はドレスより目立ちますし確実に注目の的になります。あちこちから写真

を一緒に撮らせてと何度も言われた経験はあります。まだそう言う意味では着物は

浸透していないし、見慣れていないのだと思いました・・珍しいのだと思います。

すっかり2度書きしたもので遅くなって、最初、書いていた文章も忘れており何を

書いたのかさえ定かではありません・・(;一_一)

今朝は幼い子供が下で数人遊んでいるようで騒がしい浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/21(Fri)
愈々本格的な秋の到来を感じさせる朝になりました・・(#^.^#)先ず、窓を開けた

時の風が「ぶるっ」肌に頬に触れた!寒がりだから25度位になると長袖の上にも

上着が必要になってくる。痩せて貧相な身体だから骨身に染みる?・・ははははは

「そんな今朝は昨晩雨が降ったのか?」道路も洗濯竿にもその痕跡があって、雑巾

で拭きつつ干しておりました。珍しくクイズ番組を見ていて眠るタイミングがずれ

何時もよりも遅く眠ったので夜中のトイレも行かず、早朝目覚めてしまった!

2度寝するには半端な時間だったのでクローゼット中の洗濯物を探していたら普段

通りの時間になった・・最近は日暮も早く夜明けが遅いから真っ暗で、電気を点灯

しながら朝の家事を済ませた所です・・(#^.^#)

毎日こもごもと零す愚痴ともつかぬ話に大勢の方のご訪問があって・・幸せを感じ

ておりますm(__)m まさか、PC上からこんなに夫々環境や生活が違う人々との

遭遇を考えていなかっただけに教えて頂ける情報は何より刺激的で魅力溢れるもの

があります。ご趣味で写真の素晴らしさを教えて頂いたり絶妙なユーモアとセンス

で綴られる文章力に圧倒されつつ脳細胞が死滅して行く時間を少しでも緩くしたい

願望で毎朝、書いておりますが・・駄文、長文、写真なしの拙い話にお付き合いを

頂けることに喜びを感じ発想のひらめきに感動し心中感謝しております<(__)>

※ベトナム人との違いは何?・・(ベトナム紙より)

◎最近は出稼ぎや進学、就職という大きな家族間の問題が生じ、昔ほどには一緒に

暮すという生活が崩れてきていますが、それでもベトナムの伝統的な価値観の中で

は『家族』が第1で、家族の絆が全てを支配しているのが当然の生活です。だから

優先順位は家族から発するのがベトナムの常識なのです・・(*^_^*)

そのため富裕層になっても家族と一緒に過ごしますし一緒に食事を食べられない事

はハッピーではないと言う考えが根底に流れているのです。ベトナム人の家族とは

日本人が考える『家族』と言う枠や意味が少し異なっていて遠い親族に迄及ぶもの

ですから・・その家族巾は広くて多人数のことを意味します。前にも書きましたが

ベトナム人夫婦は仲よしでよく働くが《女性の嫉妬心が強烈で異常だから》絶えず

喧嘩が絶え無いのも現実問題です・・(-.-)

それは恐ろしい程の豹変をして大喧嘩になる場合があり、そうやって心奥が深まり

幸福な家庭が作られるのかも知れませんが《ま、傍にいる事など出来ない程の喧嘩

になるから》羞恥心や人に対してどう思われる事など考えない国民で【自己主張】

が凄く強力だし謝らないからとことん言い合いや物を投げたり部屋中を目茶苦茶に

壊す事も間々あります。そして数時間が過ぎると又、普段の生活になっているのも

{あっけらかん}としていて吃驚します・・\(◎o◎)/! 男性も必死で戦って

いますし時には暴力を揮う場合もあって何度も青痣をつけている女性を見かけた事

もあります・・!(^^)! でも根に持たないと言うのか?気にしないみたいです・・

口では敵わないから手が出るのでしょうが・・それでも私等の年齢では主人に逆ら

う事などありえなかった時代だった。尤も日本人でも派手な夫婦喧嘩をする人達も

いる様ですが・・うふふふふ {何でも口に出してしまえる性格はいいですねぇ}

ベトナム人はどこに居ても連絡は欠かせないのが暗黙の家族のルールでした。携帯

の普及で連絡が取れる様になったから然程、気にかけずにいる様子ですがそれでも

もうひっきりなしに連絡をしていて「何を喋ることがあるのだろうか?」不思議に

思っていたものです。何時だって愛情表現は必要だと感じていて家庭が円満になら

ないと思っている国民性です。だから反面、女性が主人に愛情がある印でもあって

嫉妬深くない女性は怪しく、愛情のない夫婦だとも言われます《無関心だから》

◎年齢が上の人は理屈抜きで偉い?・・

ベトナムでは年配者は何よりも大事にされるし、老いた人程偉いと言う考えがあり

それは儒教のせいもある様ですがもう、子供の時からそう言う躾は確実に守られて

いるから必ずと言っていいほど「何歳ですか?」と聞かれる。なぜならば職場でも

仕事上の立場が自分より下であっても、相手が歳上であれば丁寧な言葉で礼儀よく

接すると言う決まりと言いますか?風潮があるからです。だから私の様な老人には

誰でもが親切で、最大に敬意を払ってくれる。何を差し置いても無条件で敬わねば

ならないと考えている国民気質が有るので日本よりかはずっと住みやすいかも知れ

ません・・好きで歳を取った訳ではないけれど・・あははははは

故にベトナム語には、相手と自分の年齢や社会的立場によっても人称代名詞を変化

させて使い分けなければならない決まり事があります。ベトナム人はユ-モアに富

んだ会話をやセンスのいい人を好みますし、真似ることも上手でそう言う人は人気

があります。お洒落だし、服装も暑い国と言う範疇外でも素敵な女性は沢山います。

また、ベトナム人の気質には男女とも陰気な人は嫌われ明るく陽気な人懐っこい人

と付き合いたいと思っていて、多少のいい加減さは気にせず大らかで度量の大きな

男性が顔やスタイルよりも好まれる率が高いと言われます。言葉ができなくてもー

面白くコミュニケーションが取れる人の傍には外国人でも人が集まってくるみたい

です。不可思議な事に親からは週1回は一緒に食事をするように結婚した娘には話

がある様で、必ず実家へ行くか親が来るとかの暮らしがあります。その時は娘や孫

がいればいいので婿や主人がいなくても全く意に介さないのも不思議な光景です。

子供や孫は可愛いが嫁や婿はどちらかと言えば重要視されていないのが通常の家庭

環境です。こんな所は日本人と全く違うところかも知れませんねぇ・・(@_@;)

暁方の空は透けるように澄んで雨が一層秋を深めた感じを覚える浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/20(Thu)
何時もは3回の乗り換えで神戸に行くのですが、昨日は私鉄とJRの2本で行ってきた。

丁度、神戸に住んでいた時の掛りつけの病院への挨拶をしなければならなかったから

です。ま、何と言っても大した持病ではないので何処でもいいのですが、流石に通う

のには遠いと思って・・近所に替えなければならないと思っています・・(-.-)

未だ9月分まで薬があるのでゆっくりと探してドクターと仲良しにならねばと思って

おります。意外と私はドクターとの相性がよく嫌な先生に遭遇したことがなく心配は

していません・・その程度の持病ですから・・うふふふふ

私鉄沿線ではこの河内地区の少し荒っぽい小父さんや大阪弁丸出しの小母さん連中に

挟まれて・・楽しく興味ある光景で終点に着いてしまった・・(#^.^#)JRは大阪迄は

何とも雰囲気が色々で1人1人にそれなりの生活があり、人生の縮図が凝縮している様

な感じの人達に出会って面白く人間観察をしておりましたが、神戸線に乗り換えたら

途端に様相も雰囲気も一変して、郷愁を誘うかの様に心内に安堵感がいっぱいになり

見知っている街の歩きにも店での会話も知り合いがいると言うたったそれだけの事で

和み癒され落ち着くものだと痛感しました。神戸は10年住んだ街だから・・(*^_^*)

2時間弱のチョイ旅は人間ウォッーチングには最適な時間帯でもありました。相変わら

ず文庫本5冊購入、スーパーへ寄って娘の家で遅い昼ごはんを食べてきました。そして

1人用パックの肉類、焼き豚、豚肉、鶏手羽、挽き肉類を買ったのを娘の冷蔵庫に全部

置き忘れると言う失態をして帰宅しました・・><:

「あーあ」やっと少量パックを沢山見つけて購入したのにがっかりしました・・(-"-)

※ベトナム人は日本人とよく似ている?・・

特に関西地方の小母さん等は立派なベトナム人だと公言したいくらいです。大きな声

で周囲を気にせず羞恥心も余りなくて図太くほんの少しの隙間でもお尻を入れて座る

様は見ていて懐かしさを感じます・・(#^.^#)

良く喋りよく食べ元気な様子も似ています、パワフルで無神経なのも感覚的には同様

に思えるのですが【あくまでも個人的感想ですが】・・うふふふふふ

勿論、人にも依りますし、地域的な事もあると思いますが、例えば初対面の日本人は

相手がどんな人物か? 理解出来るまでは大人しく遠慮をしますが一旦親しくなると

なんでも話せる相手に変わることが数多あるものです。

ベトナム人も図々しく態度も大きく負けそうですが、当初はもじもじする人も中には

いて中々打ち解けられない人もいます。所が親しさが増し、ましてや家族など身内等

は強力な程のバックアップがありますし、友人関係になるとそれはそれは信愛の情を

示してくれ遠慮はしない国だから矢継ぎ早やの質問責めにあう事もしばしばあります。

1番困る事は根底に日本人ほど繊細で人の心を理解しようと言う気質がない事と努力

などは全くしないから参ってしまいます。日本語を少しでも齧った人は平然と当然の

様に「完全に相手の言うことが解った振り」をするから解っているのかどうかの判断

が全くつかない。プライドが高いから迂闊に聞けないところもあって、かと言ってー

相手に言うことが伝わらない時や不服に思う時は曖昧な笑い顔で誤魔化してしまう!

という塩梅で始末が悪い時が度々ありました・・(-"-)

日本人もどっちかと言えば外国語に関しては解った振りをする場合もあるしいい加減

に適当に返事している場合があるから同様なのかも知れませんが、前に書いたのです

が1度全く見知らぬ人が「日本語勉強しました。教えて下さい」と家に突然に来た事が

あり、吃驚しました・・\(◎o◎)/!

「私は先生ではないしベトナム語も全く出来ないから」と断ったのですが3日間、毎日

来るので部屋に上がってもらい(若い男性)話を聞くと解ったような複雑な笑いをして

何1つ私の話が理解できていなかった様なので「ベトナム語辞書」持参「どの位日本語

を勉強しましたか」等の慣用句を見せたら1週間だと言う。それでも立派に日本語が話

せると当然の様に豪語するのですから・・困りました。結局は教える資格などないから

ときっぱり断ったら・・凄く気分を害していた様子でした<(__)>

良い点は勤勉さと、辛抱強さは日本人も負けるかも知れません。手先の器用さはバイク

を路上で直している小父さんたちを見ていても解る様に見よう見まねで勝手に店を出し

ている正規に学校へ行き技術を身につけた人は殆どいないと思います・・(-_-メ)

それでもその場で直せれば又壊れてもいい訳で中古車のバイクは故障が多く新車を買

う程度の故障がありいい加減な直し方をするためお金も高くつきます。

また、プライドが高いから決して頭を下げたり謝る事は先ず有りえない国民気質です。

男性も女性もメンツはすごく大切にしますし、建前と本音の使い方はかなり高度だと

私は思っていました・・▽(@_@)▽一方明らかに日本人には余りない『独立心』や

『愛国心』は強烈だと思いました。日本では安定した会社に入社出来たら、その時点

で先ず、会社を辞めて『独立』を考える人は少ないのではないでしょうか?

最近は割と安定した会社で働くより自立して企業を興す風潮も沢山出て来ていますが

ベトナム人のその思考はもっと激しく『独立』すると言う考えが強くあってチャンス

を狙っている人が増加しているしそう考える人が多いのが特徴です。

元々ベトナム人は『独立心』が旺盛で人の下で働くことを好まず小さくとも自分の店

や工場を持ちたいという思いが強力その方が面白くお金になると言う考え方をする人

が少なくないのです。なぜなら、プライドが異常に高いから人から指示されたりとか

指摘される事を凄く嫌う傾向があるんです。自分のミスは絶対認めないし人のせいに

したり転嫁する事に長けた国民性なのです・・(--〆)

今朝は長袖でも寒く感じた朝で、洗濯物も満艦飾に干された浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/19(Wed)
雨が狂うように空を走った1日でした。間断なく降り続く雨音を時には激しく消音

でも降り続く雨を見ながら・・空に向かい「もう充分満足するほど降ったの?」ー

等と問いかけておりましたが終日降りました・・珍しい程度の雨量でしたねぇ!

田畑はすっかり浸水状態でしたが、これで作物は元気になったのではないかと安堵

しております。草花も流石の暑さに根を上げていたでしょうから・・うふふふふ

確りと美しい花々を誇らしげに見せてくれると嬉しいなぁなんて感じておりました!

今朝は昨日の雨が去って、朝焼けが眼に痛いほど明るさを取り戻しました。風の誘い

が少し強いようで肌寒く秋の進行を肌身に感じております・・(#^.^#)

生きているものの全てに{精気}が宿り又、漲り心も身体にも秋が近づいた気がして

おりますが!! みなさまの所は如何でしょうか?

この土地は低い山が幾つもあって、山河に恵まれている事も最近になって知る有様で

山河に還る道がある事は老いの身には素敵な自然との遭遇でもあり心が癒される心地

が致します。反面冬は猛烈に寒いのかも知れませんが・・(^^ゞ

※もしかして『貝料理』は余り好きではないから殆ど書かなかった気がして・・

◎連日の料理の話ですが、『貝』を取り上げてみます。

札幌での生活が長かったせいでしょうか?シーフードには口が肥えていて、先ず海老

や蟹、魚貝類は沢山食し過ぎました・・贅沢ですが・・<(__)>

その上ベトナムでは生物や貝に中たる人が多い話を聞かされていたもので・・全くと

言っていい程食べ無かったので・・多分書かなかった気がしています。

ベトナム人は大食家が多く吃驚する位食べるから『貝類』は半端ではない位に購入。

海岸沿いで焼いている匂いは堪らなく食欲をそそりますが・・一寸手を出す勇気が

無かったし、食べたいとは思わなかったのです・・!(^^)!

①浅蜊のレモングラス蒸し

先ずメインの料理がでてくる前やビールのつまみとして出されます。レモングラスは

長いままで口が開くと出来上がるので到って簡単。日本の酒蒸しの香草番かな?

②海タニシの焼いたもの、蒸したもの

海タニシは日本では巻き貝でサザエの様に大きくはないのですが貝の表面に斑点あり

ベトナム人は特に好きでよく食べます。焼いた物はニョクチャム(昨日書きました)

のタレで食べます。蒸したのはコリコリして歯触りも良く好みのタレで食します。

③牡蠣のネギ焼きと生牡蠣

店では少し高いですが、結構好まれている料理です。殻を剥がして炭火でピーナッツ

の細かくカットしたものとネギを入れて焼きます。ピーナッツは生産国ですから何の

料理にもトッピングのようにかけます。

生牡蠣は日本と同様レモン(ライムですが)を絞って頂きます。しかし1番食中毒が

多いのも牡蠣で貝類は火を通さないと日本人には食せない気がします。

④ホタテの焼きもの

これは市場にも余り出回っていません。レストランでは食べることができますが・・

高価です。貝は焼くのですが周囲が真っ黒になる程度の焼き方で見た目は日本人には

少し{ぎょっ}としますが味は良いと言われています。香草や香辛料が沢山入ってい

るので、美味しいです。

⑤赤貝の炒めもの

かなり小さくてそれでも網の上に沢山並べて男性が焼いていきます。ビールやお酒の

つまみとして食べられています。とにかく幾つでも食べられる程小さい貝なのですが

日本の蜆よりかは大きいのですが、本当に数多く食べるのには吃驚させられます!

{未だ発展途上国}と言うラベルが取れない国ですから衛生面や水は特に気をつけな

ければなりません。都市部でも生水は絶対駄目です。生活する時は大きな20L入りの

タンクを購入しますがそれも中に浮遊物が結構浮いていて、仰天する事もしばしばー

長い間放置されてある水の場合もありますので回転の良い店での購入が望ましいです

がこれ等もベトナム人に知り合いがいないと中々解らないし、また、外国人だと高く

売りつけられる場合もありますし、値段も何時も同じではないから・・店に依っても

配達の人にもよると言ういい加減さです。正直、漸く通じる様になって電話で注文が

出来る様になったのは最後の1年位でしょうか?それ迄はベトナム人にずっと依頼し

ていました。〚水〛の発音がどうしても出来なくて・・難しいんです・・(-"-)

大抵は水道水は1度沸騰させて飲んだり、氷を作るのですが、中には面倒でその侭で

氷を作る業者もいるから・・要注意です。特に乾季の時期は水不足になるから川の水

をそのまま凍らせる事もあります。だから水中りや貝など食中りが多いと言われてい

るのです。ま、中ったら仕方なく病院へ連れて行って貰った方がいいです。

ホーチミンやハノイには日本人ドクターのいる病院もありますから。でも、出来たら

[海外旅行傷害保険]に入っていた方が良いと思われます。

何せ病院は目茶苦茶高いですから・・(-_-メ)

でも美味しいものを神経質になって食さないのも半減しますから・・当たって砕けろ

的な感覚でベトナムの食事を楽しんで下さると嬉しいです・・あははははは

昔ほど食中りの話は聞かなくなりました。殆ど火が通っている料理は安全ですから!

昨日の雨で随分と季節が進んだ浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/18(Tue)
昨夜から降り出した雨は漆黒の闇夜を切り裂くごとく激しく降り・・驚かせました!

容赦なく降り続く雨は辺りを震撼させるほどの音を立てて明け方まで降っていたので

今朝は洗濯もしないで空をにらめっこしながら、暗雲の帯が未だずっと続いている姿

を愕然としながら掃除だけして、仏壇の手入れをして朝の家事が終わってしまった!

矢張り、未だ降り足りないようで先ほどから薄暗い空から雨が落ちてきました。台風

の影響なのでしょうか?それにしても今年の夏は本当に暑いらしく、日曜日にお祭り

に行った日は35℃を超えていたと言う\(◎o◎)/!しました。

それでも時は奏でる様に刻々と時期を早め秋桜の花も咲きだしました・・(*^_^*)

嬉しいですねぇ・・暫く花から遠ざかっていたので、少しでも花のあるお庭拝見をと

歩いている毎日です。ベトナムにも名前の知らない花がかなり咲いて楽しませてくれ

ていましたが・・南国の花は原色が多く、大木にも花が咲き乱れる姿もそれなりに心

を癒やしてくれましたが、日本人なのでしょうね?季節に咲く花が見られる喜びは口

で表現できない安心感と沁み込む心を共感させてくれます・・(*_*)

先日布袋葵の浮かんでいる鉢の中にメダカを見つけた時も仕合せでした!昨日もまた

そのお宅まで遠回りして覗きに行きました「何と何と梅花藻だと思うのですが・・」

メダカと一緒に小花がいっぱい咲いていました。白い花は水の中にも有ってメダカの

通るたびに揺れて水面に顔を出したり・・暫く見とれていました・・うふふふふ

あんなにお天気だったのに、午後からは曇り空に変わり夕方にはとうとう降り出し夜

は前記した豪雨になりました。先程から降り出した雨も音を立てて屋根を叩いている

未だ当分は雨の中かも知れません・・(-_-;)

※ベトナムの卵や海老、烏賊の料理を少しご紹介します・・

所謂家庭で作られる定番の料理ばかりですので、簡単です。正直、最近は香草が全く

近場にないので寂しい思いをしています。ベトナム料理らしきものは作るのですがー

生の香草がないから、粉末状のものをかけていますが、やっぱり全然味が違う感じで

がっかりです。プランターで育てなければならないと思っています。でもドクダミは

多分売っていないでしょうねぇ・・大好きなのですが・・(・_・;)

①卵と豚の煮物

これは本当に何処の店でも家庭でも作るポピュラーな料理です。ゆで卵と豚の3枚肉

それもかなり分厚くカットされていますが箸ですっと通るくらい煮込みます。 味は

割合濃い目で甘辛く家庭によっても違いますが・・先ず1番出てくる料理です。

②海老のトマト煮

海老を唐揚げにしたものとトマトをいっぱい入れココナッツジュースを加え、トマト

ソースで煮込みます。

③春雨入り卵蒸し

きくらげや春雨を入れ卵で蒸したもの。何故か唐辛子を立てて、香草と一緒に出され

色合いは綺麗だが・・唐辛子は殆ど食せなかったから何時も何よりも先に取る習慣に

なっていたものです・・ははははは 茶碗蒸しに似た感じでしょうか?

④海老のパン包み揚げ

小さ目の食パンを三角にした中に海老を挟んで揚げたもので北部では見かけるが南部

ではあまり食べない。売っているのも殆ど見かけなかったです。

⑤烏賊のボール揚げ

烏賊を細かく刻んで肉団子状に丸めて揚げたものです。ニュクチャムをつけて食べる。

ニュクチャムはニュクマム(ベトナムの魚醤)をベースにして水で割り、砂糖、唐辛子

を入れたものでこれはどこの家庭でも何時も用意される。付けタレでは頻度が1番多い。

肉でも野菜でも何にでも合う便利なタレです。

また機会を見て書きます「毎日この中から必ず1品はでてくるかな?」と言える程度の

ベトナムの家庭料理です。

日本にも似た物がありますが味付けが異なるだけで、何処の国でも同様な総菜がある気

がします。香辛料や香草等の使い方で味の変化があるだけだと思います・・(#^.^#)

雨は更に激しさを増して屋根瓦と勝負してる様に降り、大空も暗雲が支配している様子

で一向に止む気配はない今朝の浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/17(Mon)
厳しい暑さが未だ日中は続いています。それでも朝晩はかなり凌ぎ易くなって来た

感じはしていますが・・( ^^) 朝9時頃に姪からTELがあり「この市のお祭りが市

の運動場であるという連絡」そして即「出かけるけれど行ける?」と言われ、流石

の私も「申し訳ないが今は無理」と断ったが・・一寸、気になって歩いて行けると

言うのでお昼から出かけてきた。「いやー結構遠かったです。その上、相変わらず

道を間違えるし50分位掛って到着した・・(・_・;)

1番暑い時間帯に1時間近く歩くのは応えました。でも「何をするのだろう?」とー

思ったのと見知らぬ道路を観ながら、その風景を覚えつつ歩いて行きました。

間違ったし遠回りしたので少し時間がかかったのですが・・普通に歩いたら35分位

で行ける場所で、この市のスポーツ施設や図書館、大型店がいっぱいある国道沿い

でした。何の事はない。地域の発展の為の催事でお祭りという感じではなく雑多な

店がそれでも凡そ、70軒近く有って食べ物や、フリーマーケットなど、何でも揃い

朝9時半から始まったそうで、もう、殆どの商品が半分位は売り切れていたみたい!

特に買いたいものもなく、でもせっかく来たのだからと炎天下端から順番に見て回

ったのですがブレイクダンスのブースには物凄い人だかりで、その中若者が踊って

いました。上手でしたが遠目にしか見えなくて・・残念だったです・・(-_-;)

その他にはラジオ局が入っていて、子供相手のゲームを女子アナとしていたりお定

まりの光景がありましたが特出するものは見られなくて。洋服や陶器、傘や、靴や

バッグやアクセサリーなどが数多く出店していました。遮るものが何もなく日傘も

役に立たないほどの強烈な暑さと人が多かったせいか淀んだ空気で行くまでに酷く

疲れていたので・・うふふふふ 50分歩くのは参ってしまい疲れた・・(^_^;)

途中にある大型スーパーへ寄って少し体を冷やして帰ろうと思い入ったが、連休の

ためなのか混んでいて親子連れが多いことに(@_@;)しました。レジには長い列が

有って・・がっかりしましたが少し体も冷えた様でその勢いで帰宅。

ま、新しい土地ですから1度は見て置きたかったけれどその前に『河内音戸祭り』と

言う大きな催しがあって、それは踊りが中心で楽しいことを後で知らされました。

「そっちへ行きたかった・・(#^.^#)」来年は元気なら踊にいきたいと思った!

※ベトナムのTV について少し・・

◎10年前は国営で2局しかなかったのが現在は9局に増加していました。開発した

ばかりで暗い画面からはドラマやニュースが一定の時間だけ流れ、休憩の様に時間

帯が決まっていたものですが・・最近は朝から夜中まで放送しています。ケーブル

TVも衛星放送も入るようになって72局は入りましたが、同じ局が入っていたからー

本来はもう少し少なかったし停電が多いから海外の映画やドラマを見ていても途中

で切断する事が真間あって、どうしてもDVDだかり見ることが多かったですねぇ!

ホーチミンTV=HTV3では日本のアニメが放送されていました。2007年より子供向けの

番組Tri Viet Media CPが設立されてアニメーション放送を始めたのです。

それが凄い人気で普通はベトナム語で放送されるのですが、アニメ自体は日本の作品

だから凄く違和感がありました。翌年夜の10時頃からはSAKURA chとかSAMURAI7

Chでは日本語で字幕がベトナム語と言うのもありましたが・・(*^_^*)

その時間には大抵眠っていたから・・先ず見る機会はなかったです。偶に日本語での

アニメを見る時もありましたが・・そんな時は一寸嬉しく思ったものです!

大抵は同じ作品を何度も流すから余り見なかったです。アニメの局は4つ位あった・・

アメリカ、韓国などもありましたが、繊細な画像と物語に慣れている日本人には殆ど

人気がなかったようですがトム&ジェリーとかポパイなどは見ていました。

日本でしていた障害物を跳ねのけて、池や泥水に落下する番組や鉄骨や網を登ったり

競争する番組はアメリカでも韓国でも似たものがあって、人気があるようでした。

早朝からずっと韓国のドラマばかりしている局もあり、中国や台湾の映画やドラマも

数あって、ケーブルTVはアメリカの刑事物が面白く、古い映画と新作物などもあって

DVDに飽きると、映画を随分見ていました。殆ど言葉は理解できていなかったのです

が局が沢山あったので楽しむ事はできました。古い映画を随分見ました。懐かしく思

い出したり再度見たりとそれと旅行位が楽しみでしたから・・(-"-)

今考えると、もっと色々な場所へ行っておけばと思いましたが。矢張り言葉の壁は私

にとっては高過ぎたようです。1人で出歩く事に自信がなかったのです・・(-_-メ)

若い頃は怖いもの知らずで何処でも出かけていましたが、今回の来越では、すっかり

出かけることが少なく食事へ行く程度で、旅行らしいものは数回しか行かなかった。

観たい場所を確かに沢山見逃した気がしますが・・生活していると特別な感情が湧か

なかったのと老化も加味して面倒になったこともありました・・あははははは

今朝も綺麗に晴れ上がり我がもの顔の太陽が降り注いでいる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/16(Sun)
思っていたよりも天気の崩れが少なくて・・しっかり洗濯物も乾き「ほっと」した

1日でした。朝の9時過ぎでしょうか?突然に何処からか?笛の音が聞こえ・・段々

と近づき鉦と太鼓を鳴らしながら・・白い着物に紫や紺色の袴をはいた小父さん達

が6人ほど歩いて来ました。ある人は笛、鉦、太鼓を鳴らし2人の人は紫色の風呂敷

をかけた箱を担いでいました。最初の小父さんが何か掛声をかけ、白い扇子を広げた

まま家に入って行きました「えーえそうなのです」氏子さん宅へ寄進に歩いているー

お祭りの行事だと知りました。神輿も山車も未だ出ていないからこの行事が先に有る

事をさっき知ったのです。私の家の前は通過でしたが・・うふふふふ

大きなお屋敷が片側にはあるのですが、その辺りを出たり入ったり繰り返して30分

ばかり騒々しく声が響いていましたが・・それだけで終わったみたいです・・??

近くの表示板には{祭禮}はどうも今月末みたいに書いてあるのですが、初めてな

ので判断はできません。そしてどんなお祭りなのかも解りませんが・・興味はあり

ます・・どんな神輿か?山車なのかは見てみたいです・・( ^^)

スーパーへ行った帰り道、小父さん達は公園で休憩していました「やれやれお疲れ

さま!」なんて横眼で見ながら戻りました。珍しい光景でした私には・・(#^.^#)

こんな風物的な習慣がある事に少し感動して“人生って思うほど悪くない”などと

考えておりました。子供のころも見た経験はなかったから、新鮮にみえたのかもー

数えきれない歳月に追われては過ぎ去った日々に「ふっと」立ち止る瞬間がある事

の喜びがありました・・(#^.^#)置き去りにされて行く日常の時間の中でこんな時が

あったことも些細な幸せでした!

人は夫々に違う感性で生き、違う環境で生活しています。もうこれ以上の暮らしは

出来ないと言う現実の中で辛抱強く何かを喪失し何かを得て生活が成り立っている。

{帰国して1番感じたことは酷く悲惨で壮絶な光景の震災跡を何回も見た事です}

何度も繰り返される画面上には一瞬にして全てを、それも大切な家族を失うと言う

災害に対して遅延過ぎる政府の対応に歯がゆさを覚えました・・(-_-メ)

被災者の方の心情は「いかばかりだったのでしょう」辛すぎる事実でしたねぇ・・

現代は何かがが狂いだしている気がしてなりません。子供のいじめや自殺、大人の

それも頑張って来た世代のリストラや生活保護者の増加など、老人が多く、少子化

時代と弱い所にしわ寄せが来る時代になっているんですね・・(-_-メ) 詳細等は

勉強不足ではっきりとは理解できていませんが・・人間が普通に暮らしていけるー

環境が狭くなって、きつい生活が過大になっています。年金生活者の生活も格差は

あるし、凄く不公平で不条理がまかり通っている時代をつくづく感じます・・(@_@。

たった4年日本を離れていただけで生活がこんなに変貌している事にかなりショック

を受けました・・(・_・;)

最も私が暮らしたベトナムも未だ貧富の差が激しく格差社会だし、官僚社会でもあり

拝金主義が通常になっている現実でもありましたが・・庶民生活の原点である食べ物

や最低限必要なものは凄く安価でした。だから飢えることのない国だとそれは感じて

いましたし《子供は国の宝》《親孝行》については日本では想像も出来ない程、充実

していて、それで文句もなく正しく軌道を外れる事なく子供は育って行くと言う環境

でした。だから子供を虐待する事など想定外ですし、どんな親の我儘でも子供は叶え

るように努力していました。親を喜ばせ仕合せにすることが子供の使命であり当然の

事だと言う思考が国民の中に根付いているからです・・( ^)o(^ )

社会主義はある意味、脅威でもありますが、宗教と政治の力で自然と抑圧されている

国民性は末端にまで確実に行き渡っている部分が沢山ありました。一党独裁主義でし

たが中国の様に汚い手を使う事なく、同じ共産党でも異なった柔軟性を持った国民性

だと思いました。勿論、多くの疑問も不可解な事や不条理、格差などで困っている人

達も大勢いましたが・・日本の様に発展した高度な頭脳で開発されてきた優秀な国民

が「なぜ、そんな事をするのか?」の説明がつかないことが多すぎる状況に正直愕然

としております。ベトナムは確かに未だ日本ほど豊かではなく、発展途上の国ですが

それでも心の中に流れている心情は日本人より熱いし、温かく感じました。

風習や習慣の違いはあっても人間としての質は今の日本人よりも高尚だと思います!

家族が多いから大変な時期はあっても順番に働いて下の子供や親を手助けして一緒に

教育し育てると言う根底に流れている教えや思考は日本にはもう枯渇してしまってい

るのではないでしょうか・・(-_-メ)

それだけ子供の時に親や社会、国が子供を守り、成育させている事実の差だと思われ

て仕方無いのですが・・だから、子供は親に従順で(ま、全部ではありませんが)親

に対しては大袈裟にいえば絶対服従で恩返しする事を子供の使命感として働いている

子供が多いことに仰天していました。

  *日本ではそこまで親孝行する人がいるでしょうか?*

これほど発展した国で生活していて〔孤独死、自殺、餓死、いじめ〕の多い国がある

不思議を同じ日本人として心痛に耐えられない思いがします。自由思想や自由な行動

は不自由を知ってから漸く解るものではないでしょうか?日本人の心からは親や子供

達への労りや保護、協調、優しさ、思いやり、温かさが少しづつ何処かへ霧散しつつ

有る様に思われて切なく心が痛みます・・><;

次々と新製品が完成し頭脳明晰で技術的にも世界水準を遥かに超えた国民なのに・・

本心は陥没が激しく満身創痍である事に気づかずにいる気がしてなりません。歴史上

あれだけの戦争があり大国に勝利したことも敗戦国として立ち上がって来たあの日本

人の魂や、散って行った余りにも多くの人々の犠牲は何だったのでしょうか?

今の日本はここで立ち止まり私利私欲、権利に左右されないで正しく軌道修正を考慮

する時期だと思うのですが・・どうなのでしょう?・・!(^^)!

誰も手を差し伸べてくれる救世主はいなく深みへ段々と入り込み収支が付かない国政

に外交に寂寞感と不安は増大しています。不信感は中々拭えないものですが、ここで

留まって未来を考えねば後世にバトンタッチ出来ない国に化してしまいそうで惨めな

想いがしています。帰国して現実を見せつけられる度に色々な国の思惑や権謀術数に

振り回されて軸のない国を絵空事の様に哀切をこめて眺めているだけの自分にも羞恥

心がいっぱいでかなり驚嘆してるのですが・・とほほほほ

でも、ごく普通に暮らせる事の有り難さは確り感じてはいるのですが、心が貧しくて

余裕が全くなくなり身体も老いていくばかりを鑑みると・・泣き言ばかりは言わずに

頑張ってこんな世の中だからこそ芯を持って生きて行かねばならないのだと言いきか

せている我が身です。あくまでも批判ではなく、帰国して感じた事を書いただけです。

朝から爽やかな空気が入り込んで涼しい浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/15(Sat)
断りもなく<刻>は毎日刻まれて、生きている者全てを<時間>という枠の中で密

やかに時を繋いでは切断して行く事を繰り返して行きます・・(-"-)

有る時間は生命の誕生であったり、終焉の時間である事も日々命が繋がっていく事

は自然の摂理なのだと思います。生きることの切羽詰ったある一瞬の動きさえ止め

てしまうし、生き生きとした瞬時の表情させも過去になってしまい既に消滅してし

まい忘却して行くのが通常なのですねぇ・・(-_-;) 恥じることのない人生なんて

何も無いのかも知れませんが、自分に宛てて書ける手紙をほんの少し残したい心境

がこんな事を書かせているのかも知れません。誰かに捧げるためでは無い筈なのに

未来というもう《幽かな時間》に向けて抵抗している感覚があります。

たった一つのパズルさえ愚かさや機転も利かず埋められずにいる姿を恥だと思う心

が時には疎ましくさえ思えますが「どうしようもない」・・(^_^;)

かと言って何かを変えたい一心で帰国したのだから・・なんて思い直して頑張って

生きたいと思っているのですが自分の人生や生き方の拙さにうんざりもしているの

が現実ですから・・(-_-メ)何もかも消えてしまいそうに(弱気)になる事もありま

すが〚運命〛と言う<時間>に反発したい気持ちも決して嘘ではなく大丈夫!きっと

{手繰り寄せてみせる}みたいな格好をつけている部分があちこちにある事実を心の

中で感じています・・( ^^)

先日も書きましたが、来越して日本人が驚く事で[ベトナム人のマナー]と言えるほど

のものではないのですが「変わっている?日本とは違う」事を少し書いてみます。

※吃驚する事・・\(◎o◎)/!

◎ベトナム人は外食が当然で、毎日でも外食する事に抵抗がない。大体の人が朝食

は外で食します。お昼も外で食べる人も多いですが昼食は家に帰る人も数多います。

そして数時間昼寝して、仕事場へ向かう人が多いから昼過ぎの道路はかなり空いて

いるのが普通です。

◎食堂でもビヤホイ(ビールを出して食事も可能)などでは口を拭った紙{これは

トイレットペーパー}が多くプラスチックの容器から出てくるようになっている事

が多いのですが、使用した後は足元に捨てるのです。勿論ゴミ箱を置いてある処も

有りますが・・大方は下に捨てたまま店を出ます。ゴミの中には魚や肉の骨などが

有っても平気で捨てますし、野菜なども口から飛ばす人もいます・・(@_@;)

下に捨てるのを嫌がる店もありますので周囲を見てそれは行動してください。

◎先ずおしぼりが出てきますが、日本の様に無料ではありません。使用したらお金

が掛ります。そんな大した金額ではありませんがそれでも無料ではない事を覚えて

置いて頂ければ・・(#^.^#)殆どが紙で包装された不織布で出来たものが多いです。

そのおしぼりですが、ベトナムの食堂では大抵の人が凄く大きな音を立てて紙を破

って開けるのが通常ですから店に入ってあちこちから「パーン」「ポーン」と音が

聞こえてもそれは驚かないで・・おしぼりを紙袋から出している音ですから!

◎これは店ではなく家庭での話ですが大勢を招待するのが好きな国民で親族などが

一同に会して食事する時などは立て膝もあるし胡坐をかく人も大勢います。

これは男性だけではなく女性もそうしますから・・日本ではこれは余り見ない光景

だと思いますがベトナムではごく普通のようです。

◎家庭で食事する時も親族でも見知らぬ人が数人はいます。例えば姉婿の友達が来

たり義母の知り合いだったり、何せ誰がきてもそんな事は些細な事で気に留めない

からー「あの人誰?」といつも思っていました。そう言う人が数人は必ずいます。

散々食べてさっと帰って行く人もいて・・最後まで誰だか見知らぬままの事もあり

身内に聞いても「知らない」という家族の話が絶えずあり・・その意味では面白く

おおらかな国民気質です・・(*^_^*)

そして、炭火を使用したり鶏を捌くのは男性と決められている様で、男性も食事を

招待した時は凄く働くので驚かされる。肉を焼いたり、貝類や鍋ものは男性が中心

になって下拵えからするのが慣わしみたいです。ビールの買い出しや不足品がある

時は若者がバイクで買い足しに行くのも当然のことの様です。

主婦は数種類の総菜を作り並べて、勝手に食べ始める。現在は女性も飲む人が増加

しましたが以前は夜のお仕事をしている女性しかお酒は全く飲まなかったから・・

さっさと食事して、片ずけたりする。飲める女性は男性の中に入って飲む人もいるー

しかし、概ね女性、男性と別に食事はするようです。

ビールには大きなガラスの分厚いコップがどこの家にも20,30個は揃っているから

それに大きな氷の塊を入れて飲みます。ベトナムの国のビールは大抵は飲みました

が薄いし軽い。それなのに未だ氷を入れて飲むから・・ケースで購入してもすぐに

空き箱と化す・・(@_@。切れると直ぐまた買い出しに行くというパターンが続くの

のも自然なことです。だから、お酒のつまみは男性が作るようになって行ったのだ

と思われます。長時間飲んで食べていますから・・あははははは

ま、吃驚するほどケースが空いていきますし酔って眠ったり、日本人の様な酔っぱら

った人は見たことがなく・・バイクでそのまま帰宅します・・:><:

強い人が多いのかも知れませんが飲酒運転などはさほど厳しくないのも事実です!!

これなど驚きますが・・国民性の違いだから・・何とも言えない。

◎爪楊枝は必需品

ベトナムでは子供から大人。男女の区別なく食後は爪楊枝を使用します。日本の様

な太さはなく細くて両方使用出来るように作られています。日本人は使用する時は

手で隠すようにして使いますが・・ベトナム人も見知らぬ人がいる時はしている様

ですが何時もは平気で隠すことなく女性も使用しますし、小さな子供でも普通に使

うんです・・(^_^;)

日常の微細な事ですが日本とは違った光景を見ることができるので招待される機会

があったら遠慮しないでベトナム人宅を訪問し、食事を一緒に食べるのは興味ある

事と思います。ベトナム料理も珍しいし美味です。

想像できない男性の働きぶりを見るチャンスがあると思いますから・・うふふふふ

それはそれはまめまめしく動きます・・普段の生活とは想定できないほどですから。

昨日は午後から曇って雷鳴もあり、警報も出る不安定な天気でしたが、予想外に雨量

も少なく安堵しました。今朝も空は暗くて雨が落下してきそうでしたが洗濯があった

ので干し終わったころには青空も見えて来た浪速の朝を迎えました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/14(Fri)
湿気のないからりと晴れ上がった青空が眩しくて、早速お布団を干したりシーツ等

の大きなものを広げて朝から快調な滑り出しの1日でした・・( ^^)

姪の仕事が多忙で、食事当番をしてほしいと前から言われていた日でした!子供達

の帰宅する前に、何かを作って欲しいという話。姉も料理は作るのだが、面倒な様

で殆どしない。何だか姉を差し置いてという気持もあり、近くに越してからは案外

無沙汰をするものです。近いと何時でも行ける感覚が生じるのでしょうか?

色々と片ずけたり、ベッドを直したりしていたら時間になった。自分の家に有って

も1人では食せない野菜や肉類、茸、バナナなどを持って出かけ燦々と太陽が照り

つけ気分もよく、日傘も帽子も被らず思いっきり太陽に顔を見せながら歩いていた。

矢張りゆっくり歩くと、駅迄と大差なく曲がりくねった道をショートカットしてー

行ったのだけれど、30分近く掛った。膝の痛みが未だ取れないから早くは歩けない。

のんびりあちこちのお庭や垣根越しから見える花々を見ながら・・(#^.^#)未だ未だ

元気な百日紅、カンナ、鶏頭等、風船かずらやモッコウ薔薇の種類など、探してると

結構あるもので・・楽しんでいました。 姉の家には白粉花が大きくなって未だ蕾が

いっぱい赤と白が夕方に咲くのを待っている状況でした!

ま、数種類のおかずを作ったが時間が余って姪からは子供達は私が来るので早めに

帰って来るから一緒に食べて帰ってと言われていた。帰宅した小学校2年の女子も

孫がいないから見知らぬことばかりで話を聞いてもさっぱり解らない。 子供とは

遠慮がないので「叔母さんは何も知らないのだ・・」を植え付けてしまったようだ。

7時前に長女が病院へ行くというので一緒に送って貰らい帰宅。

昨日は1日が長かった・・(*^_^*)姉もすっかり老いて変わって来ている。自分

もそうだからその事が凄く気に掛り、腰が痛そうなのに娘の前では虚勢を張ってる

同居する事の難しさを見た気がしました・・(@_@。ましてや私の様な我儘な人間は

自分の子供にも図太い性分だから「一緒の生活は無理だなぁ」と何度も感じていた。

家族でも一緒に住むことの難しさを姉はちゃんと悟っている。 私にはそれが欠落

している事を何となく感じていました・・( 一一)

【老いる事は何かを捨てる事、何かを我慢する事】そうなんだとしみじみ思う。

人とは自分の前から1つづつ消えていく様々な事柄や事実に、敢然に立ち向かって

行ける時代や年齢があって、老いる事はそれらが喪失して行く時代でもある気がし

ていますし、それが順番であり、生きている人間が自然に理解しなければならない

現実なのだ・・(-_-)それが自然の流れであり老いることの自覚なのだと思った!

決して納得はできていないが「ま、しようがない』という諦観に支えられている!

そんな部分が多い気がします。何かを失って初めて解る事もあるし、喪失感に心が

震えるほど切なくなる日々もこれもまた事実です。生きて行く事は案外流されいる

ようで、考える事が山積しているものだとも思うのです。誰の役にも立っていない

と一時期はそのことが身体中に負い目を感じ、激しい自己嫌悪と自責の念に駆られ

ずっと落ち込んで老いを受諾する時間が私には長過ぎた気がします。

もっと早く、普通?の人は孫の存在や子供の成長などから自然淘汰し台頭してくる

世代交代に早く気が付き、それなりの思考や考慮の範疇で老いを確認し納得するの

だと言う事もかなり後になって知ったほど愚かだったから・・未だ自分はそんな事

考えてもいなかった・・故に自分の老いを受諾するのに時間がかかった気がするの

です。ましてや、異国にいて誰とも接触のない生活をしていたから・・本当は懸命

に自己啓発して自分のことを思考する大切な時間をすっかりのほほんと見知らぬ刻

を過ごしてしまったから・・そのつけが波動が大きくおろおろしたのだと思います。

今日本に帰国して周囲の生活が日々眼に入るようになって自分の生き方が自由すぎ

我儘勝手で有ったことを改めて感じています・・(・_・;)

見知らぬことが多すぎるし、人との関係にも何か一線を引いているし、誰かの侵入

にも心を解放出来ていない。外国ではそれが当然だったから・・本音の部分では頭

では解っていても、もう既に凝り固まった思考回路は{GO}サインしか出せなくて

融通も利かない。上手く合わせることさえ完全に忘れてしまっているのです。

 ”日本にはどれだけの孤立した老人が住んでいるのでしょう・・!(^^)!”

隣人のお婆さんが言うように「寂して仕方ない」という感情が殆ど私にはないから

{意地悪く見えるのかも知れない}と反省もあるのだが・・他人は他人という個々

の生活が長かったから人と関わる煩わしさは耐えられないほど拙く下手である。

自分から歩んでいく努力もしないし、狭い範囲の中でそれなりに自分を必死で守護

している姿は傍から見れば滑稽に映るかも知れない・・うふふふふ

それでも自分が可能な限り他人の力は借りないで生きたいと言う意思が強く可愛気

のない婆さんであることは理解できている・・ははははは

もう、何を考えてもその域から逸脱も出来ないし、うやむやにしてしまえる性格で

はない事は自分が充分承知できているのだから・・(-_-;)そう思うから可能な限り

自分で何かを間違っていても1人でやりたい願望がどうしても抜け切れないのです。

甘えることも人に頼る事も目茶苦茶なほど苦手で、凄く嫌なのです・・(-.-)

「これは一生直らない性格だろうなぁ」そして人の意見も余り聞かないらしい・・

どうしようもない婆さんでこれで人生が終わるのかも知れないと思えば、優しくて

誰とでも仲良く相手に関わって行けたらそれはきっと素敵な人生と豊な生き方なの

かも知れないと理解だけはしている。親友は多忙だけれど、誰とでも話を合わせる

事ができるし、嫌な顔を見たことがないほど・・大人の女性です。

傍にお手本があるのにそう出来ない自分が狭隘で度量の小さい存在だと言うことは

分っているのに・・自分の何処かにあるちっぽけな徳にもならないプライドに支配

されているようで、恥ずかしい限りです・・(^^ゞ

些細な事に心が閉ざされて行く現実に今は、一生懸命外に向けて発信したいと少し

は思える様になって来ているのだが・・大波を被ると口を閉ざす貝のように・・・

「あっぷあっぷしているのが現実の私(個人)かな?」・・あははははは

どうしようもない所で躓いている気がするが・・これもまた生きている証だと自分

に気合を入れて生きていかねばならないのだと思っているのですが矢張り「私って

変わっているのかも知れません」・・(-_-;)

ま、何も考えないで生きることができれば幸せだとも言いきれないし沢山の病気や

不幸が重なっている人々の前で言える話でもないのですが・・<(__)>

自分でしか結論を出せないし、頼る事が嫌いな私の脳細胞だから困ったものです。

もう完全に枯れ落ち、足元に落下して掃かれ、土と化して行けるほどには老いては

いないこの不完全な状態が何かしら≪焦燥感に急かされ心が把握を拒んでいる≫様

で・・情けない気もする現実でもあります・・(-"-)

「成るようにしかならないのだから」と思いつつも何かを期待している自分の浅は

かさから抜け出せていない・・一寸悲しい・・><;成長できない人間の哀れさを

感じているのが事実ですかねぇ・・(;一_一)

今朝は洗濯物がなくて・・箱から冬物を出す気も起きないため珍しく空っぽの干し

竿が陽光を浴びていますそんな浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/13(Thu)
朝かなり涼しくて、洗濯物を干していたら、長袖でセーター姿の新聞配達の女性が

バイクで走りぬけた。これから「真冬は大変だろうなぁ」と思いながら後姿を目で

ちらっと追いかけた。この場所はお祭りがどうも好きなようで・・(@_@;)

先月から近場の神社の幟が立ってから次々と、あちこち町内ごとに祭りがある様で

数日前から近辺で違う幟が数本立ちだした。昨日は又、違う道を通ってスーパーへ

出かけたらその辺りにも幟が何本と立っていてどんなお祭りなのか? 不思議感で

いっぱいでした。道路沿いには寄付金の金額が書かれて幕が張られ、名前がずらり

と並んでいて、これもまた驚きでした・・山車が2台とか神輿があるとかは聞いて

いるのだが・・( ^^) 「道路が狭く、この道をどうやって担いで行くのかしら?」

なんて思いを馳せておりました。田圃の道を拡大しただけで前方から来ればバック

するしか通過出来ない道路です。そのせいか小型車が非常に多いのも納得できる気

がします。国道もぎりぎりで家や店が建ち並んでいるから歩道が無いから凄く怖く

側溝の蓋の上を何時も歩いている感じです。この辺りだけなのかも知れないが・・

姉の家の近くはきちんと整備されているから、歩いていても車が除けてくれる幅が

あるのだが・・ここは曲がりくねって歪な場所に無理矢理家を建てている感じです。

だからバイクの数も神戸では見なかった位の数が走っていてベトナムを彷彿させる!

さて、ベトナムの話が出たのでベトナムの事を今日は書きます・・

※ベトナムで美味しい店探しとは  {池田氏ベトナム本参照}

◎一番いいのはベトナム人の知り合いがいること、又は居住している日本人が食通

であることも大きな要因になります。《食》は嗜好ですし味もそれぞれ違うもので

一慨には言えませんが・・(*^_^*)

◎ベトナムの街中で普通に見かける看板を知っておくのも参考になると思います。

例えばPHO=フォーとか CHAD=おかゆ、MY Xao=焼きそばというように・・少し

書いておきますので、来越されたら探してみて下さい。

◎前記のPHOにはGA=鶏肉、BO=牛肉があり、MY NUOC=ラーメン、BUN THANG=

五目汁麺、BUN BO=フエ地方の辛い汁麺 OC HAP=脳みその茹でた物 SUPは字

で判断できるほど簡単スープのことです。XOI=おこわ COM RANG=焼きめし MY

VAN THAN=ワンタン麺 CAC MON XAO=炒めものなどの看板が目につく機会が多

いと思います。これだけ知っているだけでも十分美味しい物と出合えます・・(*_*)

◎店の種類

①レストラン=NYA HANG
大体、一通りのベトナム料理は頂けると思います。

②食堂=TIEM AN、 HIEU AN, QUAN AN,
B級グルメ的存在のレストランか?各専門店。日本人的には屋台の様な店も入る。

③COM BINH DAN=飯屋
店頭に総菜が数多く並べられている店で指さして注文するとご飯の上にそれらを載
せて出してくれる。おかずの種類や材料によって値段が違うが凡そ200円から300円
も出せば満腹する。

④QUAN CA PHE=カフェ
珈琲、お茶、軽食の店で庶民の憩いの場所でもある。甘味だけの店も多い。

⑤AN NGOAI DUONG=外で椅子とテーブルだけが並べてある食堂ですがー時々は
取締りがあると一斉に片ずけられる。屋台もこれに入る。

⑥NGUI BAN HANG=天秤棒担ぎの売り子
吃驚するほど美味しい。結構好きで家の近くまで来ると止めて色々な麺類や甘味等
購入しました。外れた事は1度もなかった。何故か美味です。

⑦XE DAY=台車
お店、商店の総称でパン、ヨーグルトも売っていたり、食事もできる処もある。

⑧BIA HOI=ビアホイ
生ビールのことだが生ビールを出す店で食事ができる店をこんな呼び名で言います。

高級な食べ物や洗練されたものを食したい方は矢張りホテルや一流のレストランで

食べて頂くことが良いのですが・・どうしてもそう言う高級店はシェフオリジナル

の品が多く出される傾向があります。折角ベトナムという【食の大国】に来越され

たなら、屋台で、道端のプラスチック椅子に座って食して欲しいと願っています!

又、衛生面が気になるか方は中級のレストラン(B級でも美味)をお勧めしますが

ベトナムの食堂は大方は早朝だけとかお昼が中心の店が多く、お昼に時間帯を終え

たら昼寝時間になります。夕方から晩ご飯の準備が始まると言うスタイルが多いと

思います。小腹が空いたら売り子や台車の店等で買うことは可能ですが、想像以上

に売れていて驚く場合があります。つまり売り切れるとそれでその日は終わり帰宅

します。午前中だけの屋台は10時頃にはもう閉まっているし、お昼だけの店は客が

途切れると、昼寝時間の方を大切にするようで早々と片ずけて相手にしてくれない。

そう言うところは日本人とは全く異なってマイペースの国です。常連でも断ること

は当然なのです。他人のことより自分が大事ですから・・うふふふふふ

最近は救急車の音が何度も走り、病人なのか事故なのか?などを感じ日本にいる事

を痛感します。秋も近づき涼しいですが・・昨日は予報通り日差しが痛いほど暑く

なった浪速です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/12(Wed)
数時間朝のうち激しかった雨も上がり重い腰を上げてとうとう映画を見に行った!

何しろ初めての映画館ですから一応は調べておいたのですが矢張り地下で1本間違

えた様で時間を取ってしまった。着いた時は10分も過ぎていて、また物凄い行列に

遭って吃驚してしまった・・数重に張られた中で順番を待ち結局は午後の部になり

仕方なく食事したりビル内で時間潰しをする事になってしまった。

中年の女性や老人が多く、もう大阪のおばちゃんの賑やかさは半端ではないからー

圧倒されてしまって・・館内に入ってもずっと喋っている有様でそれも今まで見た

経験がなかったので酷く驚いた・・(@_@;)

   高倉健さん主演の《あなたへ》を鑑賞してきました。

ストーリーなどは大雑把に流しますが富山県にある刑務所の指導技官倉島英二役の

高倉健さんがある日亡妻からの遺書を貰う場面から展開して行きます。2通のそれ

は(絵手紙)で妻役を田中裕子さんが演じているのだが・・自分の故郷である長崎

の平戸の海に散骨してほしいということが書かれてある。彼が妻の本当の心を知り

たくて、自家用車を改造して(かつての妻との約束通り)遠い長崎に向けて旅立つ。

長い旅の途中で遭遇する人間の深層に入り込む心情や心奥に秘匿された様々な生活

を垣間見ながら旅を続けて行く話です。

途中からビートたけしさんが登場してキャンピングカーに乗った男役を演じていた

が、心から尊敬すると断言する2人には男同士の絆の深さが見え隠れして自然体でー

ほんわかしたぬくもりのある会話が流れる沢山の素敵なシーンがありました。

種田山頭火の俳句を例えて《旅と放浪の違いは帰る場所があるかないかの違いだ》

そして《旅には目的があるが放浪にはそれがない》事など放浪俳人に相応しい俳句

が幾つも出てくる。それが違和感なく自然体で聞き流され心地よい感覚をもたらし

寡黙な倉島の心の中に浸透して行く。男の生き様と生き方の相違も又ある意味哀愁

がありたけしさんのとの信頼関係が見事に不自然なく表現されていたと思います。

さすがに{世界の巨匠}と言われる彼の演技は自然で心を温かく包んでくれる感性

は手応えがあり「男同士」の息の合った言葉の流れにお互いの信愛が感じられた。

次々と遭遇する人達の中にも各々の人生に対する不満や世間体、家庭内事情などの

出来事が隠蔽されている。出会う人々に少しづつ影響や刺激を受けて行く過程には

心惹かれるものがあって切ないほど人間臭く、そして緻密に計算された人間の心理

へと移行させていく演出には不思議と嫌味がなく淡々と刻は流れ人生もまた然り!

時に亡き妻との回想シーンが何度も出てきてその都度、彼は妻が残した心の在り方

に戸惑い、そしてその深みに引きずられて行く過程が見事に描かれていました。

実演販売を生業にする草彅剛さんと佐藤浩市さん2人も心奥に沢山の荷物を抱えて

それでも生活の為、生きる糧として仕事をこなしていく様相も彼らの中にある心

の悶々たる悩みを抱えた感情も表現されていて、珍しく佐藤浩市さんには暗い過去

が重く圧し掛かっている葛藤の表現が静かな流れとなっていました。

妻が残した言葉が彼の心の扉を段々と開かせていくのだが【季節外れの風鈴の音程

悲しいものはない】【貴方には貴方の時間が流れている】という言葉には琴線に触

れる台詞として心裡に残存しました。この言葉の中には夫婦の暮らしの中で味わう

ことの意味深さが強く詰め込まれていて思い当たる人も多かったと思います。

最後の絵手紙の遺書には{さよなら}の文字だけが残されていた。彼の心は妻への

愛情とどうしても故郷で散骨してほしい願望の意味を少しづつ悟り、最後の平戸で

遭遇する人達との交流もまた様々に重荷を背負っている人であり、ここにも人生を

共感できる出会いがあり、名脇役の大滝秀治さんや余貴美子さん等のベテラン演技

に安心感を覚え、綾瀬さんや三浦君と言う若い俳優さんのさりげない飾り気のない

素に近い演技は好感が持てた気がしました。

人生は≪遺されたものは生きていかねばならない≫その想いを胸に妻の心を初めて

理解するあたりは力まずごく自然な進行で見せてくれる作品でした。人生の機微と

人間の心理の中に深く挟まっている心情が、静寂と孤高な男を通して大きな流れを

醸し出してくれるある意味難しい、しかし鑑賞の仕方では心揺さぶるほどの作品で

あると思いました。大きな激しい動作もなく粛々と泰然と訥々と話す高倉健さんの

演技には以前の様な華々しさはないが人生の黄昏が似合う渋さと彼の持つ雰囲気が

地味でありながらも老いをしみじみ感じさせる作品に仕上がっていたと思いました。

私は多分普通の映画好きな人が観る方法ではなく変わった見方をする人ですからー

「えーそこまでの映画?」と思われる方も数多おられると思いますし、物足りない

感じだったかも知れませんが・・個人的感想ではあの”おくりびと”の監督である

降旗康夫さんの作品としては違った見方をしたのですが・・高倉健さんという人物

を意識的にクローズアップさせた作品ではなかったかと思ったのですが・・(*_*)

そして、人生には一期一会という素敵な言葉がある意味を教えてくれる作品でした。

今日の浪速は涼しく秋の深まりを感じましたが、日中は暑くなると言う朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/11(Tue)
この数日は扇風機もエアコンも使用しない日が続いて秋が1歩づつ進んでいる感じ

がしています。夜も肌掛けを使用しないと薄ら寒い感じがする・・(-.-)

きっと、私だけかも知れないが・・窓も全開して寝ていたころに比べたら嘘の様で

締めきっている。日中はそれでも陽が差せば丁度適度の暑さで、汗もかかずに窓を

開けて風を通しているのだが・・雨が降ったり止んだりのぐずついた天気ゆえ湿気

を帯びた風は「む―」として涼しさは全くなく風自体も殆ど入って来ない日ばかり!

未だ越して来て1ヶ月少しだから電気代やガス代などの引き落としができないため

郵便局へ支払いに出かけた。古い郵便局で、驚くほど外観が薄汚れている。

ま、それでも、ATMも1台はあるし使用する分には何の違和感もないのだが狭くて

本当に田舎の郵便局を感じさせる・・( ^^) ここは爺婆の行き易い場所だと思い

ながら見ていると案の定、椅子付きの車を押しながら入ってくるお婆さんが多く

それももたもたしているから(人ごとではない)あちこちに狭い局内をうろうろし

やっと財布や用紙を取り出し話を切り出す・・( ^^) この地区の老人は想像以上

に元気で、その上本当に多く、外に出れば婆さんや爺さんに出会わない日はない

スーパーへも涼みに行く人が多いそうで・・玄関近くの椅子は何時も満員です!

※ベトナムの伝統的《少し大袈裟》ですが・・マナーを書いてみます・・

最近はかなり《変わった》そうですが・・何せ、若い国ですし若者が凄く多いから

自然と変化して行くのだろうと思いますが、ベトナムの食文化を知る上では知って

置くと便利な事やま、恥にはならないですけれど・・知らないよりかはいいかな?

その程度の話なのですが・・(@_@。

◎家族で食事をする時は、先ず年少者が「どうぞ、召し上がってください」と言う

のですが、日本ではそんな言葉をかけて食事を始めるのが普通です。

又、年長者が箸を取るまでは年少者は待っていなければならない。年少者は努めて

年長者に料理を取り分ける様に心がける習慣があります。子供達は別の食卓か椅子

に座らせたりして世話をしながら先に食べさせるから・・外食以外は大抵は子供と

一緒の食事は少ないと思います。

◎家庭ではお茶を飲みながら食事をすると言う習慣はなく、食事が終わって各々が

口の周りを綺麗に拭った後、一息ついてお茶が出されるのが伝統的だった様ですー

現在の食堂では氷の入った水や、ジュースを飲みながら食事をしている人が殆どに

なっています。お皿の盛り方も家庭でも外でも、大皿で盛りつけて出されることが

主流で、食卓でそれぞれ取り分けるスタイルです。日本の様に個別に少しづつ出す

習慣はないから・・最初は一寸躊躇う人もある様ですが・・私等は根が大体立派な

育ちではないから・・あはははは 全く苦にならず、最初から、平気でしたが・・

ご飯の上に載せて食するのが多いから量を多く載せてくれる年少者には困ったこと

があり、それだけで他の料理が頂けない事は何度もありました。少し食べると、上

にまた載せられる事もしばしばで「私が量を食べられない人」だと解ってくれる迄

は一寸有り難いけれど苦痛に感じていた・・(#^.^#)残すのは失礼だと思っていた

からですが・・それほど気を遣う必要はなかったのですが・・(-_-;)

◎ご飯と総菜を食べ終えた後には汁物に手を出すと言う習慣があります。実際の所

はそのマナーは緩やかになって来ているが、それでも現実にはそれをしっかり守り

その順序で食している人も大勢いるのが現状でしょうか?

最後には必ず果物がでます。先ず、出ない日は無いと言えるほどで、南国フルーツ

が惜し気もなく出てくる。しかし、それもその家の好みによって大体好まれる物に

変化して来ていて何時でも同じものがでてくる場合も増えてきている。

◎お皿やご飯茶わんは持ち上げたり、麺類は音を立てて食してはいけないのは多分

ご存じだと思いますが、これも最近はやかましく言わなくて好き勝手に食べている。

どうしても日本人はお茶碗や丼を口元に無意識で持って行く事が多く、1人暮らし

だったから私は日本流儀で食べていましたが・・招待された時はそれはしっかりと

守っていました。別に外国人ですから何かを言われたりする事はなかったのですが

食生活の違いを感じていました・・(-.-)

◎友人とお酒を飲む時(ビールは別)は杯は1つだけを使用するらしく{回し飲み}

これには友情を分かち合うと言う意味があって、人数が多い時等はテーブルを囲む

様に輪になって反時計回りで順番に杯を空けて行くのが常識だと言われています。

勿論強い人も弱い人もいるから具合が悪くなったり酔ってきたりしたら断わること

もかまわない。しかし、大方の場合飲まされて潰されるのがオチみたい・・!(^^)!

ただ、何も言わないで席を離れる事は凄く無礼になるようですからご注意下さい。

もう、2度と誘って貰えなくなります。

ま、これも何処でも一緒だと思いますが・・(*^_^*) 若いカップルは特に見て

いて微笑ましいし頑張って気遣いする男性に好感を覚えますが普通のことの様です。

今朝は早くから雨が降り出し遠雷も鳴って音を立てて降っている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/10(Mon)
天候が不安定で、でも午前中は割合日差しもあった。少な目の洗濯物も早目に取り

入れ安堵していたら、矢張り午後は薄雲から暗雲に変り、少しづつ雲が空を抱きか

かえるように覆い尽くしてしまった・・(-"-)これではベトナムの『雨季』と大差

ないよ・・なんて思いつつ空を見上げていたら「ぽつり」と落ちてきた。!

しかし、本格的に降り出したのは夕方近くでそれからは長い間ずっと降り続いてー

夜も降っていました。TVの画面には警報がよく出ますが{あれは嫌な気分になる}

確かに、注意しなければならないのでしょうが・・竜巻警報や洪水警報などもでる

事に驚かされました・・ニュースの速報だけでも十分「何事?」と思う世代です。

あんなに、次々と詳細に警報が出る事も帰国して知った事です・・(-"-)これ等も

時代の流れを感じさせてくれ「刻が経ったこと」を思います。こんな微細な事なの

に・・恥ずかしながら驚きを感じるんですから・・うふふふふふ

日本の国の国民性が表れている事に驚きを隠せません。ベトナムではニュース等で

洪水地方が流れるだけで「だから何?・・何時もの事」的感覚だから・・日本の様

に懇切丁寧な表示など見た事はありませんし、国民的気質ではそこまではしない国

だと思います・・(-_-)

今のところは足腰もなんとか不自由なく何か有っても自分で処理できるが・・先日

の地震予報の携帯音も最初から解っていたから普通に聞けたのですが・・最近は特

にあちこちから携帯の着信音や電子音が多く、どこからでも絶えず[ピィー]とー

鳴っているのが現実です・・( ^^) それが当然のようになっているのですねぇ!

スーパーの中でも、トイレでも鳴っている場合に遭遇しましたが、平気で応対する

人も数多居て、これも吃驚・・流石に電車の中では掛って来ても「後で」とか言う

ケースが多いですが中には堂々と喋っている人もいます。日本人はそんなに毎日が

忙しく、誰彼かと話したりメールをしないと生活が成立しないのでしょうか?

その事が携帯嫌いの私には理解できなくて電車に乗っている数10分の間も、降りる

駅がきてもそのまま離さず真剣にメールしている人が大勢いますねぇ・・(-_-メ)

不思議な光景だと思いますし危険だと思うのですが慣れたもの・・余計なお世話?

昨日はどんより曇って日中も薄暗かったので、電気を点けて読書をしていました。

偶然に購入したのですが池波正太郎さんの{鬼平犯科帳}の番外篇でした。

彼の作品は好きで又、TV でもずっと見ていました。時代小説も何でも割合読むの

ですが数年前に比べたら読む力も判断力も既にかなり落ちていて・・中々捗らない

有様・・(;一_一) とほほほほ

「ぐんぐん」惹かれて読んでいた頃が嘘のように30ページ位読むと疲れては休みと

時には其の侭うたた寝している日もあるようになってきた・・完全に老化が進行中

なりを感じています・・あははははは だから訓詁をする暇もなくそのまま流して

読むから頭の中には途中からー途中からで解らなくなってまた数ページ前から読み

直すを繰り返しながら読むと言う体たらくです・・(-_-;)「やれやれ!歳ですね」

話は面白く江戸時代の風景やその時代の人々の感情なども時折「ほろり」と見せて

くれ楽しみです。今回の本では長谷川平蔵宣以(のぶため)が火付盗賊改方の御頭

になったいきさつが書かれてあリ初めて知ったから尚更、興味深く読んでいます。

まだ中途ですが・・人情話でもあり、TVでみる平蔵とはまた異なった風貌が書かれ

てあり・・以前にも{鬼平半科帳シリーズ}は読んだ気がするのですが結構長くて

きっと全部は読んでいないと思いますが記憶はあります・・(#^.^#)

それはもう長谷川平蔵という名前と《鬼の平蔵》と呼ばれていた頃の話だったから。

この作品で知った事も多く≪粋な江戸小話を聞いている落語≫のようで残りを楽し

みたいと思っています。その上、今見たい映画が3つ程あって、それも早く行きたい

と思っているのですが・・(*^_^*)本も後1冊残っているし、気持ちの上では映画

の日にちが迫っていることにも気が気ではないのが本音でしょうか?えへへへへ

日曜日でしたが生憎の曇天、土砂降りの雨に変化して本を読むには絶好だったのに

連いて行けない頭の中を確認する日でもありました・・あははははは

帰国後1ヶ月はTVが珍しく、4年ぶりで見るそれも地デジで綺麗な画面だから、凄く

仕合せを感じ日本語ばかり(当然ですが)CMも面白くて見知らぬ人の多さに仰天し

ながらもずっとTVに釘ずけでした。面白くなくても、日本語が流れて来る・・至極

当り前の事が心を落ち着かせていきました。

「一寸変かな?」とか思う事も自意識過剰に反応する事も浦島太郎状態も随分抜けた

気がしていますが・・(-.-)「どうでしょうか?」

TVで携帯や電化製品、車などの新製品を見ると「あー矢張り日本って凄い国だなぁ」

と思って見入ってしまいます。ベトナムでは衛星放送はNHKだけでそれも都合の悪い

ニュースは割愛されていたり画面がでない場合が結構あって、肝心の場面で消えたり

していました。それもごく自然に接続されていない的な字幕が出てくるんです。

アジアのニュースも選んで放送されている部分が多分あったのではないでしょうか?

とにかく瞬時に消えてしまうしベトナム語がでるから判断ができませんでした。

日本でベトナムを紹介している番組も何度もあったのですがー最後まで見る事はなく

編集か?カットされていたと思います・・(@_@;)

これが通常だから、特に何も感じなかったのですが中国や韓国のドラマはかなりの

数があり放送局も多く、台湾、インド等が続いていましたが字幕がベトナム語だし

話の大筋や何をしているのかは理解できても面白味は半減するから・・(・_・;)

殆どニュース程度しか見なかったですね!毎週NHKもちゃんと入らなかったし、何

が起きているか?とかはPCからしか情報は入らず時々英語放送になったりもした。

和食の店に行くと数日前の新聞や週刊誌があり、後でニュースの詳細を知ることが

多かったと思い出しています。今日もあまりいい天気ではないとの事で洗濯をしな

かったら太陽が出てきました・・これから洗う事にしますそんな浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/09(Sun)
秋が深まる雨との予報通りに朝晩はすっかり涼感が体中を覆い尽くす感じがする。

寒がりの私は早速、もう合い物を着ていて、長袖、長パンツスタイルで買い物に

出かける有様・・朝の気温は25度位でまた日中は33度以上はあったという話です。

ま、部屋の中では短パンに着替えましたが・・日中は未だ気温も高かったですー

でも、時折降る雨や曇り空は蒸し暑さを運んで来るだけで・・大した暑さは感じず

本当に秋がそこまで来ている感覚に【日本に帰国したんだ】と言う気持ちが沸々と

しておりました・・( ^^)

四季があり道端やそれぞれの家庭からは色々な花が咲いているのを見るのも楽しみ

で、買い物も遠回りしたり見知らぬ家の花や盆栽に止まって見たりして、うっかり

通行止めの道に迷い込んでいたりしています・・うふふふふ

ある家庭の玄関には即、道路なのに布袋葵の鉢が幾つもあり・・植物だから株分け

したのかも知れないがその中に{メダカ}が沢山いて、鉢の中を泳いでいました。

珍しくてしばし荷物を置いて眺めておりました!狭い小路なのにぎりぎりまで植物

が植えられている家が多くガーデニングで飾られた花も終わりかけていた家もあり

公園では真夏では見られなかったお喋りがあって、数人の老人ばかり固まって夢中

でお喋りタイムしている姿も見られる季節になったのだと思いました・・(*^^)

秋もいいですねぇ・・ベトナムにもそれらしい時期は全くない訳ではありません。

ハノイには四季があるからそれなりに秋や冬を感じている生活があります。日本と

同じ細長い国ですから北部、中部、南部と気候も違っているんです。北部は本当に

冬の寒さがやって来ます。暖房の設備や器具が殆どないので部屋の中で帽子や手袋

コートなどを着て凌ぐのが普通ですが最近は庶民生活も豊になってきているからー

それに電化製品も売り出されているようで・・昔ほどの事はない様ですが・・それ

でもま、南国ですから・・大方の人は部屋で厚着するのが多いと言われています。

南部のホーチミンでは殆ど『雨季』『乾季』だけで少し涼しい日も続きますが大抵

は炎天下の生活と雨振りと雷鳴の暮らしでしょうか?でも、ホーチミンからの友人

メールでは朝晩は涼しく日本より気温は下がっている様子で・・これも珍しいこと

です。もう少しの間『雨季』が続きますが、案外今が1番過ごし易い時期かも知れ

ません・・(*^_^*)

※ホーチミンに新しい店がオープンしたというので書いてみます・・

◎TOKUTOKUYA

100円ショップだそうですが、私は全く知らない名前の会社で、ホーチミンの3区に

オープンした様です。勿論、100円ではなく150円位でしょうか?元祖と言えるのか

どうか判りませんがDAISOが開店した時何度か行きましたが・・もう少し高かった

ですし、ベトナム仕様になっているため半分位は日本製品でしたが、人気がなくて

何時も空いていました。前記した店はマレーシアにも進出しているそうです。

ベトナム人は余り均一と言う感覚に魅力を感じないようで自分で値切る快感の方が

良いみたいで{難しい}と出来た時はそう思いました。何と言っても市場で買う方

が安価だと思い込んでいる国民ですから・・感覚が違うのだと思っていました!

◎まつざかや

ホーチミンでは[大ちゃんカレー]として有名な店の姉妹店だそうです。

ビーフカレー、チキンカレー、唐揚げ、カツカレーがある様です。ただ、スタッフ

は全てベトナム人で最終的には日本人のチェックが入る店だと聞きました。

◎東京らーめん

本格的な縮れ麺で豚骨スープが主になっているそうです。日本円で400円から500円

らしく結構いい値段です。どうなのでしょうか?滞在の日本人や外国人相手なの?

ベトナム人もインスタントのラーメンも食していますが矢張り主流がフォーだから

お米で出来た麺が好みではないかと思われるのですが・・(-_-)

◎神戸屋

ここは焼肉専門店でオーナーはベトナム人女性だと言われています。住んでいた時

は焼き肉やへ行かなかったから殆ど知らなくて開店したことの情報だけです。

こんなニュースがありました。ベトナムも競争が激しく撤退する店が数知れず、又

開店する店も後を絶たないと言う話です。ベトナム人経営の店舗も毎日どこかの店

が潰れ新しい店がオープンしているのが現状ですから日本の店の成功を祈っている

ばかりです。頑張ってほしいと願っています・・(*^^)v

昨日初めて{わらびもちとかき氷屋}が車で焼き芋やの様に声を張り上げたテープ

を流しながら家の前を通過しました。出遅れて購入できませんでしたが・・(-_-;)

{わらびもち}は好きなので1度買ってみたいと思いました・・うふふふふふ

昭和の時代では色々なものが自転車で売りに来ました。そんな事をふと懐かしくー

思い出し{わらびもち}がまだ売っている事に驚きと嬉しさがありましたねぇ!

昔は自分で作ったこともあったのですが・・もうすっかり忘れてしまった!しかし

売りに来るなんて想像もしていなかったから一寸仕合せを感じました・・(#^.^#)

大阪市内では見ることなど決してないのではないかしら?なんて思っていました。

今朝は清々しい風と共に曙も輝き気持ちの良い浪速の朝になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/08(Sat)
2時間ほどの集中的な雨の後は真夏の空模様と変化して、じりじりと肌を刺す勢い

の太陽でした。朝の洗濯物が乾いたので・・この機会を逃さない様に冬物セーター

を5枚も洗った・・もしかしたら夕方まで乾かないかも?とも思いながらこの暑さ

だから大丈夫と信じ干していた。分厚くてそれも暫く眠っていたセーター類を洗え

た事が酷く嬉しく感じるのですから「どれだけ洗濯好きやねん!」って(笑)

家事の中では洗濯が1番で、掃除、料理の順番かしら?・・うふふふふ

ところで、人生にはよく『運が強い、運が良い、運が悪い、運が弱い』と言う言葉

が使用されますが・・(#^.^#) 自分の人生を振り返ってみて、案外捨てたもので

はなく【結構、運が強い方だと思えるのです】勿論、主人を亡くすという最大の

運の悪さを除いても・・><;例えば、何か大きな事が自分に襲って来た時、どう

しようもない結論が出せない時なども何となくすり抜けてこれた気がします。

多くの人に助けられて生きてきたことも事実ですが。自分の中に『強運』と言う塊

がある様な予感がして・・危うい所をすれすれで通過している場合が多いことに気

がついて驚いたり、見守られている事に感謝していました。札幌時代も何度もあり

義母の遺体の前で財産争いがあったり、それも、姉や兄たちは殆ど見舞いに来ない

し、入退院を繰り返す数年間はずっと最期まで私が付き添った。義母には嫌われて

いたと思っていたから・・最初は遠慮していたのですが・・亡夫が末っ子で私とも

年齢差がある人で、1番上の姉と実母とは同年と言う家族でした。 その姉達や兄が

利口で面倒な事や厄介な事は下に押し付けることが上手でした・・あはははは

私は愚鈍で、その頃は床の間の飾りの様な生活をしていたから、当然お鉢が回って

きたのでしょう・・(-.-)しかし、何度も危篤状態が続くと、連絡しなければ叱られ

るから電話をかけると幸いにも元気になることが何度か続きました。その度に交通費

や飛行機代を義母に請求する様な人達で愕然としていました。そしていよいよと言う

時には「連絡が遅い」と随分怒られたものです!

末子の嫁は嫌でしたねぇ・・義父は議員だった人でしたが私が結婚する前年に他界

義母も見識の高い人でしたが・・その子供達も中々の人が多かった・・ははははは

「お金が人を変える」事を初めて体験し、恐ろしさを味わったものでした。亡夫は

財産放棄したため争いは全く知らないままで済んだ事も仕合せでしたし、最期まで

私だけを頼りきってくれた義母も力尽きる時泣いて私の手を握ってくれた。随分と

若い頃は意地悪や嫌味を言われて気が利かない嫁だったのですが・・それで帳消し

になり、形見さえも貰えなかったけれど自分ではそれなりの孝行は出来たと思った。

義母が逝去して数年で主人が亡くなった。この時も兄が「弟には金を貸している」と

言いがかりをつけてきたり、数人の業者からもそんな話が出たりした。その時も私

は自分の前に突き出された金額と主人の会社をどうするか?で随分悩み苦しみました。

その時は専門の法律関係の人に相談して調査をして貰い、結局は全て嘘だったのです!

彼女は主人と同じ高校、大学と札幌から上京した人で有ったこと、随分助けられた。

 『運が良かった!これは後で知らされて驚いたのだが・・力をいっぱい貰った』

その時期、関西にも会社を作っていたのですが・・そこは私と主人が札幌の会社を

処分してから来るまでの繋ぎで引き受けていた。そんな矢先の検査入院で癌が発見

されステージ4と言われもう数ヶ月と宣告されたのです。その時も私は折れそうな

心を子供達に支えられて又、会社があったので気も張っていた部分があり、何とか

乗り越えたが、丁度バブルの全盛期でした。主人が本当に数ヶ月で逝ってしまった後

私は会社を弟に譲り退社したのですが・・その2ヶ月後にバブルが弾けるという悲惨

な目に弟は遭遇したが・・<(__)>私は見事にその大波を被らないで済んだのです。

それなりに景気も良く贅沢な生活ができていたのですが「ぱっさりと切った」と言う

よりそう言う答えを出せた事に『私の運の強さ』を感じたものです・・(@_@。

些細な事ではロンドンで市内観光をしていて、途中で降ろされた時も日本人は1人だ

けでした・・(-"-)方向音痴だし、どこで降りたのか見当さえつかなかったのです。

詳細に計画を立てて何処で降ろされるか?どうやってホテルまで戻るか普通の人は

考えるし、解らなかったら聞くと思うのですがその辺りがアバウトな人で全く何も

考えていなかったのです・・(-_-メ)何せいい加減な人だからその上、ロンドンの

冬は早く夕方でも真っ暗でした。方向が全く分からなくて、凄く困った。 そして

歩いていたら所謂(危険地帯)と言う場所に紛れていたんです。道路の角には幾つ

もの目が体を隠して見え隠れしていました「ザヮ」として、早足で元来た道をどう

やって歩いたか記憶がないほど真剣でした。人が多く出歩いている通りに何とか出

た時は安堵感で胸が痛かった程です・・うふふふふそこからタクシーでホテルまで

帰った事がありました。あの時数人が飛び出してきたり、又、気がつかないで中へ

入って行っていたら・・それも『好運』だったと思います。

人生の岐路と言うにはおこがましいですが何かの力が作用して助けてくれる機会が

何度もありました。辛く悲しく嫌な思い出も今は年齢とともに忘却し『運の良さ』

だけが残っています・・本当に有り難い事で元気で未だ生かされているこの『運』

に感謝しています。人は自分の力ではどうする事も出来ない場合も多々ありますが

『運、不運』とは紙一重、表裏の様に薄く実態しているものではないでしょうか?

若い時代はそんな事は殆ど考えなかったのですが、加齢が進行すると自分を客観的

何て格好良い言葉ではないですが・・昔の事が様々に思い出され夢中で生きていた

時間が愛しく感じるものです・・老婆心ながら・・そんな事思った浪速の朝は雨降

りで夜が明けました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/07(Fri)
昨日の朝は思いがけない雨量が降り、一寸吃驚しましたがま、2時間程度で上がり

安心しました。先日の豪雨に比べたら大したことはないのですが、それでも、強く

激しい雨音は気分が滅入りました・・(-"-)

未だ乾いていない洗濯物を干し直した後は日差しが真夏を取り戻しかなりの暑さが

それからは続きました。もう、雨は何処かへ去った様で、京都や滋賀の方面へとー

流れた話でした。丁度10分位歩くと大和川に出るので、雨の降った後を見に行って

きました・・何時もはさほど激しい流れではなかったのですがあれだけの雨の後で

淀んで濁色の川水が増水して滔々とまでは言えないけれど流れておりました。

多分、この流れもこれだけの太陽の熱できっと元に戻るのだろうなんて・・堤防を

暫く眺めておりました。すすきらしい草やえのころ草などは元気に育って来ていて

「秋」を感じておりました。そうそう、頭上を過ったのはトンボでしたが・・目で

追いかける事は出来なかった・・確実に季節は移ろっていることを身に感じました。

土手で珍しく俳句ができました。きっと先日のTVの影響でしょう・・(#^.^#)

TVで{俳句甲子園}の高校生の感性を見て「感激し驚嘆しましたねぇ・・(@_@;)」

矢張り才能がないと早目に切り上げた私はこれで良かったのだとしみじみ痛感した」

ものです。彼等のように次々と飛び出てくる感性の溢れる時期もあったのですが・・

もう枯渇したのでしょう・・あははははは

でも自然を前にしていると「ふっと」俳句が出てくるのは少しだけの下地があった?

せいかも知れません・・(-.-)恥ずかしながら・・!(^^)!

ま、若いという事だけで放出される感性や感覚は見事で痛烈な批判も掛け値なしで

潔く、辛辣でもあり、競争心が漲っておりました。「私なら何と思うか?」などや

「私ならこう書いただろう」なんて生意気な批評を1人だから誰の遠慮もないから

独りごちておりましたが・・うふふふふ。でも、全国から選抜されて来ているだけ

に素晴らしく心を打つ作品もありましたが・・限られた時間で早々と次の画面にと

移行するからゆっくり鑑賞する暇もなくTVでの観戦は無理だなぁ・・思いました!

クイズ番組なら回答が出ればそれでいいのですが俳句や短歌は余韻も欲しく、その

吟じた背景やその人が持っている感性がどの様な流れでそこに行きつきその17文字

ができたのかその過程にも非常に興味があって、そこが知りたいと思うものだから

《その感性と思考やひらめき》に少なからず趣はあるものではないかと個人的感想で

思いつつ俳聴していましたが、物足りない不完全燃焼を起こしていました・・(-"-)

暇な人ですから先日購入した文庫本も残り2冊になって・・また買いに出かけたいと

思っています。映画も行けなかった事も心残りでストレスになりそうです・・(^^ゞ

映画館はしっかり調べてあるのですが・・神戸にいた時は本当に観に出かけていた。

駅まで近かったせいもあったし未だ数年若かったから・・元気でした・・あはははは

今は駅まで30分を考えると矢張りその出足が鈍ってしまうのです・・その上歳も加算

されているし「やれやれ!おー嫌だ」頑張って生きていないと、早世した人達に申し

訳ない気がしてしまうのです「懸命に生きなければ!」と何時も空元気なのですがー

それでも出かけて帰宅すると「凄い安堵感があって」これだけ老いたのだと自嘲して

いる自分を見ています・・うふふふふふ

昨日は珍しくパスタでベーコンや大蒜、葉野菜、トマトなどを食したお昼でしたから

夜は軽く豚肉の湯通しした物とレタス、アスパラ、ミニトマト、納豆、胡瓜の酢の物

等を少し食べました。パスタは息子が好物で彼は自分で作るから私のは酷く不味くて

何時も作って貰っていましたが・・今は混ぜるだけの粉末があるそうで驚きました!

なるだけ出来たものは余程、面倒な時とか1つだけ食べてみたい時には買いますが・・

3食作っています・・(*^_^*)それでも1人だと中々冷蔵庫が減らないから・・時々

駄目にする事もあり・・勿体ないことをしていますねぇ・・(-_-メ)

土手で作った俳句を3首を思い出しながら・・恥ずかしげもなく駄作ですが書いて

おきます。ノートに残さないから・・何時か見てあまりのひどさに愕然とするとは

思うのですが・・雨上がりの堤防で感じた事です。

○残暑なか未だ寡黙なる歩みかな

○水音の荒き流れや夏木立

○驟雨来て風狂わせる幟かな

こんなのができました・・大笑いして下さい。早くからすっかり晴れ上がり夏空が

未だ溌剌とした青空を見せてくれている浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/06(Thu)
青空が透くように広がり、太陽も精一杯の力を出して輝いてくれた・・(#^.^#)

勿論お布団もシーツもバスタオルなども干し、気持ちが良いほど乾燥していました。

大きなニュースでしたからご存じでしょうが私の携帯にも『南海トラフ想定一斉の

メール』が鳴って・・緊急メールが入りました。時間も知っていましたが、矢張り

今迄聞いた事のない<ピポピポピポ>と定時に鳴った時は少し驚きましたねぇ・・

地震が殆どない国だったからすっかり忘れていたもので・・880万の中で350万人の

1人だったことを複雑な感じで受け止めました・・!(^^)!姪や姉には来なかった様

ですが・・色々と考える時間でもあったのは事実です・・(-"-)

お米を買わねばならなくて・・近場のスーパーへ2㌔のお米が重さを感じるほど腕力

がなくて、こう言う日に限って、重いものを購入する事になる。両手に半分こしつつ

あちこちの道端に止まっては持ち手を替える有様で・・早くキャリアーカーを買わね

ばと思っているのだが・・そこも遠くて・・中々出かけられない。

日中は34度位はありましたが・・汗もかかず途中で何年振りかのたこ焼きを買った!

熱々ででも、家についたら荷物の上に置いた積りが滑ったのか?完全に横倒しになり

片側でぺっしゃんこになっていました・・あははははは

しかし、久し振りでしたから美味しかったです・・(*^_^*) 蛸は高いのでしょう。

幽かに一片が入っている程の大きさでしたが・・ふふふふふ

※ベトナム人の最近の飲料について・・

①トマトジュース

日本では大きな瓶やパック等もありごく当然のようにトマト100%の物が売っている。

しかし、最近迄ベトナムはトマトはサラダの付け合わせ、又は煮物が1番でジュース

と言えるものはなかった。 ベトナム人はトマトに砂糖をかけて食する人が多いのも

事実ですが・・ジュースだけを売っていたり飲んでいる人は見かけなかった気がする。

近頃の情報では売られているみたいです。トマト100%で薄い塩味があるようです。

確り内容を確認しないと{ネクター}だったりするようですが・・微妙に味が異なる

と言われています。

②野菜ジュース

「これだけ摂取すれば野菜不足なし」だという紙パックに入った色々な種類の野菜の

ジュースが売っていますが・・ベトナムには野菜だけのジュースはありません。

その代り果物のジュースの種類は日本とは比較できないほどありますが・・(@_@。

時々、日系企業のコンビニで見る事はありましたが殆どフルーツ入りが多くかなり

甘めの品でした。近年は缶入りのトマト、ニンジン、セロリ等15種類とフルーツは

バナナ、オレンジ、イチゴなど17種類も入ったジュースが出て来ていましたが結構

な値段でしたから・・余り評判は良くなかった見たいで近くのコンビニに行った時

1度買ったきりで何時の間にか商品がなくなっていました。多分売れなかったのだと

思います。ベトナム人にとっての野菜は市場やスーパーで購入するものだから!

ベトナム人はこう言う切り替えは早く、売れだすと何処の店でも真似をして置く様

で傾向的には普通に同じ商品を置く店が多いのも特徴です。どんな店でも何やでも

片隅に置いたりもしています・・(@_@;)要するに儲かれば何でも真似をする所が

有って・・面白いです・・うふふふふふ

③Big Cola

コーラーは飲めない私ですがベトナム人は凄く好きです。本来はペルーで生産され

ていたと聞かされましたが・・現在はベトナムでも生産しています。ただ、需要が

追い着かず輸入に頼っているとも言われています。それほどベトナム人は飲みます。

④Latte

キリンビバレッジとエースコック、ベトナムの合弁会社《エースコック・ベトナム》

では『キリンエースコック』としてミルク系の飲料を販売しています。それが今年の

6月ごろだったと思います。名前はイタリア語の〔ラテ=ミルク〕から取られている

そうで3種類の新しい飲料です。

○ピーチ系={ラテ・ピーチ・ミルク}○フレーバー{ジャスミン・ラテ・ミルク}

○茶葉から抽出した紅茶にミルクを加えた{ラテ・ティ・ミルク}がベトナムの新作と

して発売されました。帰国前でしたから記憶に新しくコンビニ、スーパー露店に何時も

ありましたから・・ベトナム人の口に合ったのかも知れません。

今朝はもう既にかなりの雨量の雨が滴り落ち激しく降ってきました・・(-_-;)

洗濯を干した時から1時間程度の速さで雨の襲来です。朝から眠っている夜霧を叩き

起こす程の激しさで降りだし驚かせている浪速の朝になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/05(Wed)
凡そ1ヶ月振りで神戸に行き、娘にも会ってきました・・( ^^) 神戸は10年近く住

んだ街で・・矢張りなぜだか凄く安心して歩いている自分を感じておりました!

ここからだと2時間弱掛るのですが・・ま、いい運動だと思い、出かけてきました。

天気予報では雨も降るとの事で傘を持参するかどうか?瞬時、躊躇ったのですがー

帽子のままで途中3回電車を乗り継ぐのですが、段々暗くなって神戸に近ずくと降っ

てきました・・でも、下車した時は雲に流され止んでいました。

早速、何度か行っていた理容室に直行し、カットをして貰った。美容室へは若い頃

は普通に行っていたのですが、主人が亡くなってから、殆ど理容室に変わりました。

先ず空いているのと、美容室の様な雰囲気がなくさっぱりしてるし、その上最近は

女性の理容師が増えて、昨日の店も当初はいなかったのに3人も女性がいました。

余り余計なお喋りはしないから女性独特の噂話等もなく、淡々と20分位で終わった!

それから本やに行き(ここは電車とバスで行かねば本やさんが無い探し方が悪い?)

のかも知れないがまた、図書館も遠い。少し落ち着いたら本がない寂しさに苛々して

いる事を感じ5冊購入してきた。重いのは持てないから文庫本ばかり・・うふふふふ

買物を済ませお昼は娘と一緒に食し、暫くは彼女とお喋りして帰宅。

帰路、車窓から見える青空には積乱雲がもくもくと発達して行く様子をずっと眺め

1人悦に入っておりました。色々な形に変化し隣の雲に吸収されたりどんどんと上昇

して行く様は見事で、迅速でした。下の方は薄雲が広がり、少しづつ形が崩れて行く

様も本当に退屈せずに見続けられ仕合せな一時でした・・( ^)o(^ )

電車から吐き出される人の群れは流石に多く、この人達にも各々の生活があり何か

に急かされている様に{どっと}流れが大きく波動し忙しくエスカレーターを駆け

降りる人々をぼんやりと眺め〚ベトナムでは考えられない光景〛を無意識に感じて

乗継まで歩いていました。大阪駅は物凄く変貌していたから・・ちょっと寄り道を

する積りで接続される地下鉄周辺をあちこちきょろきょろお上りさん状態で拝見し

ながら・・ウィンドー・ショッピングを楽しみ、ゆったりと時間を潰した!

地下鉄にも女性専用車があって、思いがけなく座って行くことが出来た。終点まで

乗リ降りたらどっちへ行けば良いのか解らなくて、暫く看板や案内標識を見ながら

急ぐ訳ではないので・・ここでも日本1高くなるというビルを眺めに外に出てみた。

大阪の街も本当に変わった・・(@_@;)南の方面はまるで見知らぬ場所だから興味

があってわざわざ、地下から上に出て眺めてきた。工事中だったが・・首が痛くなる

程の高さで吃驚しましたねぇ!大きなビルやデパートなどができると人の流れが変動

してそれが今迄と当然の様になって作動されて行く・・その感覚は否めないが、巨大

になって行くビルや大型店舗を切歯扼腕しながら消滅して行った小売店や小さな商店

街がこれほどまでに《時代》と言う怪物になぎ倒されて行く姿は成長や進展において

は欠かせない出来事かも知れないけれど・・(-_-メ)諦観しながら又は《時代の流れ》

に乗れなかった人たちにとってはどんな心境であったのか?思わずにはいられない!

発展途上国にいるとこんな事はもう、毎度の事で、日本よりもっと厳しい現実が性急

になされて行く過程を嫌と言うほど見せつけられて来たものです・・(-_-;)

淘汰される事に大きな意味があり、経済の発展に繋がる事は判っていても・・一抹の

寂寞感は拭えず「どれだけの店が犠牲になったのかしら?」なんて思わず様々な考え

が交錯して「凄いなぁー」と思う反面、複雑な思いが頭の中で巡回していました!

乗継の電車も直ぐに来て・・少し寄り道した分遅くなったけれど・・外気に当り太陽

の日差しを浴びながら、心地よい外出でした・・(#^.^#)

思いのほか歩いてので「今日は運動OKよ!」なんて一人仏壇の亡父と喋っている私。

ただ、電車の中では大半が携帯に夢中で”スマホ”って言うのでしょうか?画面を触

っている人の多さに驚愕さえ覚えました。それほどまでに(必需品)であり電車の中

でも使用しなければならないほど忙しいのだと思うと・・何だか異様に見えて不思議

でした。本や新聞を読んでいる人など先ず居ないことも驚きでした。

ベトナムも”スマホ”は持っている人が増えているとのニュースでしたが・・実際は

漸く携帯が大方の庶民に行き渡ったという感じでしたから・・それも今回行った当初

は携帯の普及率に吃驚しておりましたが”スマホ”は富裕層だけの使用が多かった!

個人的には携帯は面倒で好きではないから気にならなかっただけで・・その使用量の

多さに「さすがだなぁ!」を感じておりました・・(@_@;)

幸いな事に雨に降られないで帰宅できましたが・・部屋の中は気温が上がっていてー

エアコンを点けて暫し休憩。それでも直ぐに晩ご飯の準備など何となく忙しく珍しい

日になった・・(*^_^*)

打撲の跡もだいぶ良くなったようで、これだけ歩けるのだからそろそろあちこち外出

したい欲望がでてきました・・嬉しいことです。今朝は朝焼けが素晴らしかったです!

帯状に茜射す雲に陽光が当たって素敵な1日になりそうな綺麗な浪速の朝になりました。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/04(Tue)
日本人とは言え、前日まで異国で生活が確実にあり、部屋の中も食事も買物も全て

当然として暮らしていたことが一瞬に変貌すると言う{人生の転機}が未だ残され

ていたなんて・・夢想だにしなかった・・(-"-)それ故急激な変化は頭の中では割

と理解していた積りで、むしろ、日本で又暮らせる事に心では多少の期待もあって

喜んでいた部分が沢山ありました・・( ^^)

しかし、現実はかなりの『時代遅れ、時代錯誤』があって、3年強のベトナム生活

が身体にすっかり巣くっていて、自分では解っていなかったのですが・・(-_-;)

本当に〚右往左往〛しております。漸く1ヶ月を経て「ここは日本で言葉も普通の

感覚で暮らせるのだと思っていても」未だ身体からはベトナムが抜けていない気が

しています。周囲も何もかも全てが変わって、生きている自分の生活リズムも流れ

も完全に《次の時間へと移行》しているのに頭と身体が連いて行っていないと言う

酷くアンバランスな感覚が取れないでいるんです・・(-_-メ)

最近のドクターはよく「加齢です」と言う言葉で殆どが結集されて行くように・・

私も加齢というより老化の為か、その切り替えが順当ではなく「かなり、人と違う

行動や言動がある様で」本人はごく普通に思っている事が「あの人変人?」的な目

で見られる事が時折あります。これでも気を遣って話などもしているつもりなので

すが〔どうしても自己主張しないと生きて来れなかった国〕での生活が未だ染み込

んでいるみたいです。特別に焦っている訳ではないけれど「やっぱり言ってる事は

変なのかしら?」など思うことが度々あって・・その都度、「自分のお金で生活し

世話になっていない」と言う感覚が取れません。まだ、肩に力が入っているようで

「格好つけているのか?それが通常だと思っているのか?」心の中で判断ができず

毎日が烏兎匆々と早送りの様に時間が過ぎていく感じがしてなりません。

息子の反対を押し切って帰国したのに・・(-_-)又、そう言う人生の大袈裟ながら

流れに逆らわず帰国したのだが・・何となくセンチメンタルな感情が私の心からは

離れず、かと言って「帰りたい!」と言う心境でもないのですが・・何処に行って

も何処で暮らしても私自身は【孤】から脱出できなくて・・それがまた、身に染み

長い間生きてきた自分なりの知恵であり生き方なのだから仕方ないと思いつつもー

「私は何を望み戻ったのか?」判断できない状況でもあります。大きなお金が動き

散財しながらも初めて見るTVの中は見知らぬ人が台頭していて、名前も顔も殆どは

解っていないし、CMも珍しいから見ていても、流行の先端のような携帯や健康食品

のサプリメントの宣伝の多さに仰天したりの日々です。

歳月が既に何歩も前進している・・かと言って国民の不満が余り聞かれないのはー

それも凄く不安だったり政治や経済の不安定が眼に飛び込んできて・・真っ向から

次元の違いに反発もせず・・ただニュース番組や討論会などで話す何処かの大学や

専門分野の先生達の話も絶えず≪時間≫と言う制約の中での発言で的を得て完全に

話が聞かれた事はなく途中で遮られている現実のTV番組の制作には・・何か不自然

さが見え隠れしているようでならない・・偏見かも知れないけれど・・<(__)>

「ベトナムと言う社会主義」の想像を絶する生き方を目の前で数年間見てきたせい

かも知れませんが・・「日本は何と言っても凄く平和で大人しい国民性」を感じて

しまいます。自己主張が強烈で謝罪は恥であり、世界の先進国米国から自国を死守

攻撃した国民のプライドの高さは日本人には到底想像もつかないものがあります。

だから、いい意味では度量も広く分け隔てなく現実の”いじめ”など想定外で理解

出来ない国民気質です。何があっても年長者は偉く、大切にする。自分が成長でき

たのは親のお蔭だと国民はそう信じている。当然、親には必ず仕送りしたり小遣い

を毎月あげるのも普通の事で、親孝行は勿論、儒教の教えもありますが・・(-.-)

そうやってずっと生きてきた国民性があり、小遣いがなくなると親は子供に平然と

催促するし、不足だとはっきり言うのも潔く、親は本当に大切にされている。

日本では考えられない光景でもあります。そんな事を考え「ふっと」郷愁を感じた!

昨夜は随分遅くまで雨が降っていて今朝は肌寒い浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/03(Mon)
時折雲がもろび雨が落ちる日となったが、ま、概ね晴れて少し暑さを感じる程度の

日曜日でした。この市は透明な袋でゴミを出すので・・でも数軒行ったが大きな物

しかなく、いつも半分にも満たない生ゴミや燃えるゴミを縛って「勿体ないなぁ」

と思いつつ出していた。姪の家に携帯を{家族割引}とかにしてくれたので支払に

行った折、聞いたら◎◎ドラッグセンターにはあると言われたもので、散歩がてら

出かけてみた。日曜日だったせいでしょうか?隣の大型スーパーは混んでいたがー

薬やはがらがらでした。探して見たが矢張り私が思っている大きさのはなく「小さ

過ぎるかも?」と思いつつ、でもそれを数個出す方法もと思いながら1つ購入した。

食事の材料は親友が送ってくれた様々な材料があり、当分買わなくてもスーパーへ

出かけなくても十分あるのに・・結局、目先のものに目移りしてサンマなど買って

しまい、葉野菜を買ったり大した金額ではないが買わないという強い意志がない事

を痛感しがっかりした・・><;今月は引っ越しや様々な品を購入して大赤字なの

に・・あははははは  困った婆さんです・・とほほほほ

暑さの中に風が木々に生温く当たっては逃げる有様で、汗は全くかく事もなく珍し

くゆったりと往復してきた。帰宅した途端に洗濯物を入れたり畳んだりしていたら

じんわりと汗が出てきた・・それでも私には気持のよい暑さです・・( ^^)

輝く太陽に委ねて歩く道路は非常に危なく歩道が無いから、真剣に歩いているがー

狭い国道のその前にずらりと家や工場、会社、店、病院が並んでいる所です。

老いた人が歩くのには怖いほどのスピードで車が通過する。またベトナムと違った

恐怖がありますが信号では全ての車が停車するから安心して渡れる違いはあるかも!

※ベトナムタクシーについて・・

以前にも書きましたが、来越される参考になればと思い書いてみます。ホーチミン

に限ってですが・・(-.-)

①マイリーンタクシー《車体はグリーン》でかなり目立ちます。小さな色々な会社

(タクシー)のグループになっていて数は1番多いと思いますし、安心して乗れると

言えます。製服も半袖の白いシャツに緑のネクタイを締めている運転手が目印です。

ただ、多くの会社を傘下にしているので基本はグリーンですが違う色もあるし会社名

も違う事はあります。凡そ、グリーンだけの車体とグリーンと白が多いでしょうか?

②ビナサンタクシー

車体は白色のタクシーで次に多いタクシー会社です。これも偽物が結構あります。

※ビナサンタクシーで料金の説明をしてみます。

本物はTELが屋根の上と車体の横、後ろの窓にも大きく書いてあり、ホーチミンは

38-27-27-27が番号です。

メーターは運転席の右側か?その下に付いていているのが普通です。ドライバーの

人数が増加して質が落ちたという話もありますが、先ず先ず安全なタクシーです。

※メーターの見方

*1番左に料金が出ます。例えば12・5と言うように・は1000ドンの単位ですからー

この数字だと12500ドンとなります。その次の数字は待ち時間で、信号や待って貰っ

た時に作動して数字が変化します。その横は走行距離でたとえば0.5などと出ます。

これは会社によって違いがありますが1番はガソリンのその価格によって決まる事が

多いみたいです。そして、初乗りは会社に依っても違うし車種により異なります。

でも大体は10000ドンから15000ドンからスタートする車が多いと思いました!

現在は大型の7人乗りが沢山走行していて、1人では大きすぎますがスーツケース等

を出し入れするのには楽で引っ越しの時も私はこの大型で1度で運んだくらい上手に

積載してくれるから助かりました・・(*^^)v

勿論そんなときはチップも多めに弾みますが・・大した金額ではありません。

③ビナタクシー

車体は黄色でこれも数多く走っています。 初乗りは12000ドンだったと記憶して

いますが・・段々忘れて行くのだと思いますし、迅速な流行と情報の流れが早いし

現在は通用しても先の事は解らないと思います・・(-_-;)

タクシーには白タクと言うのがあり、夜遅い便で到着する時や女性1人などは特に気

を付けて下さい。名前が似ているタクシーが凄く有り見分けがつかないから要注意

です。名前入りのカードをぶら下げていたりしますが・・外国人にはそんな事全く

理解できないから・・間違えて乗車する人が数多いるようで、遠回りやメーターの

早回しなどぼったくられる場合があり被害がかなり出ています。 空港を降りたら

タクシーを案内する人が製服を着て順番に並んでいると指図してくれるから、辛抱

して待つ方が良いと思います。番号札をくれますし、何か有った時の為に会社名を

控えて置くのもいいかも知れませんが・・日本人感覚での話は全く通用しないので

〚日本の常識は非常識の国〛と言うのが現実ですから・・諦めるより仕方ないのが

事実です・・\(◎o◎)/!

*知っている限りの怪しいタクシー会社(ビナサンタクシーを例として}*

{タクシービナサン}=08・272727と最初の3が0になっている。

{タクシービナ}=54・272727だったり{タクシービナメット}など間違い易くて

まして初めての人には夜は特に緊張してほしいと思います。

1度息子と一緒に乗った女性のドライバーがかなり遠回りして値段も高かったのでー

息子が凄い剣幕でベトナム語と日本語で喧嘩になり、とうとう支払わないで下車した

ことがありました。彼はバイクでホーチミン市内は(隅から隅までは知っている人)

で、それに10年以上いた人だから直ぐに気がついたのだと思います・・(@_@;)

こんな経験はしない方がいいですが殆ど私は市内までタクシーだったし空港からの

往復もタクシーでしたが、遠回りされた事はありましたが大抵は問題はありません

でした。それでも結構、緊張して乗るし、お金も停まってからゆっくり、支払う事

にしていました。そして何時でも声を出せる様に人の大勢いるところで停めて貰う

ことにしていました。住んでいても言葉ができないから・・絶えず神経質にはなる

のは仕方ないと思いましたが、国が違う事は歴然と感じる時間帯でもありました!

朝晩はエアコンなし、扇風機も点けない日になって来た浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/02(Sun)
行雲によりもたらされる雨は時々は激しさを伴っていたが・・まずまずは凌ぎ易い

天気でした。大阪でも地方によって随分違う様で・・こちらはかなり雨の量も多く

降っていると思います。それゆえ、外温は割合と涼しくなった。朝未だ8時少し前

になって・・何時もだらだら書くブログを早目に片ずけて丁度終わったころに電機

屋が来た。問題の新しいエアコンの設置である・・( ^^)

以前住んでいた神戸では取り付けや外すのもまた、工事などは殆ど午後からで午前

にそれも早朝から来ることは無かったがこの地は違うようで・・2人の人は手早く

凄く慣れた手働きで、1時間半ほどで完了してしまった・・(@_@;)

流石に新しいのは気分が良く・・試運転は30分して下さいと言われたが・・寒くて

長着を着て時間を計っている程涼しかった・・うふふふふふ

その後直ぐに、ガスの計器の交換だと言って、又工事の人が来たのです。全く連絡

も予告もなしで・・(@_@。そう言われれば家だけ緑色した小汚い計器が付いていた。

でも3軒あるので、どれがどこのか?全く気にもかけなかったのだが、以前、神戸

で新しくなったという話があり取り換えて貰った記憶を思い出して・・地震対策の

された新しいのをこれも手際よく取り換えてくれた。この工事は予想外の突然だか

ら、隣の意地悪爺さんに車の止める位置で文句が出る事を知らせなかった・・(-.-)

案の定、出てきて、「ワシの家の前で車停めるな!」と言って怒鳴られていたが・・

私道でもなく、ましてや借家なのに・・もう知らぬ振りしていた。 係の人は早速

移動させていたが・・もう、こんな事が毎回続くのかと思うと本当に腹が立つ。

同じ家主の借家で30年位住んでいる様子だと言う。余所者かも知れないけれど・・

「何って意地の悪い爺さん」かと今度はつくづく顔を見たいと思う・・ははははは

「はい!人ごとではありませんが・・私も余り人を受け入れないタイプだから」

でも、意地悪はしないなぁ・・と思っているのだが、何か気になる存在なのかも?

誰か見知らぬ人が入ってくる事に抵抗があるのかも知れないけれど。自分の家でも

ないのに・・その神経が理解しかねる・・(-"-)

多分、町内会に入会しなかったこともあり、気分を害しているのだと思うが、大家

が「そんなもん入らんでもええねん」と言われたから私は入る事は止めたのです。

田舎だからそう言う総合関係や連帯感が当然で、助け合うのかも知れない。でも私

も姪に聞いていたから挨拶に行こうと思っていたのだが・・最初に出会った引越し

の日の駐車の事で怒鳴られてから、即、謝りに行った態度がムカついて・・(-_-メ)

それからは全く無視している『いずれは果てて行く身、野に座している雑草なのに

心地よく生きていけないのかな・・いずれも大した事ではないと思うのだが、関わ

リが薄い人との遭遇なのだろう』と何時かは消えていく刻を数えながら愚かなまま

で薄れていく日を待とうと思いました・・うふふふふ

きっと若い隣の2人には何も言わないところを見ると、婆さんだから我が影の下に

置けると計算していたのかも知れないが・・飛んだ婆さんで引っ込みがつかなくな

った感じではないかと心密かに思っているのですが・・ふふふふふ

お互いに{夕されてやがて悲しき落暉の身の上}を早く分って欲しいと思わずには

いられない気がしています。誰にでも突っかかっていく態度を見ると、もしかして

彼も寂しさをそんな形で表しているのかも?とか思ってしまった・・(#^.^#)

”余計なお世話だが心で思う事は誰にも影響はないから”・・あははははは

※ベトナムと肉料理の定番メニュー・・

先ず、ベトナムでは鶏は放し飼いされて育つのが一般的だから肉は地鶏の様に柔ら

かです。一方、農家では牛は懸命に働かされてから売りに出されるから牛肉は固い

のが多いのが普通です。日本で想像される鶏肉、牛肉とは少し違う気がします。

①ボ・ーラー・ロッ

牛肉をヒハツの葉(ロット)に巻いて炭火で焼くものです。香草と牛肉の味が絶妙

に絡まって美味です。この国は巻物料理の種類が豊富です。

②鶏肉の生姜煮

生姜で煮込んだぶつ切りの鶏肉は生姜の味がうっすらとして、トマト、香草なども

混じりあって定番の家庭料理です。

③鶏肉の茹でたもの

鶏半身位を茹でるだけのシンプルな料理です。味も塩をつけて食べる。何の変哲も

無いのだが上に香草を載せ、その香りとともに塩味が引き締ってとても美味しい。

④手羽肉のニュクマム揚げ

下味をニュクマムで漬けて置いて揚げたものだが・・単純ながらもその味は鶏肉に

染み込んでいてニュクマム自体が魚醤だから好きな人には堪らない味かも?

日本では(から揚げ)の様な感じで食されます。勿論(から揚げ)もありますがー

かなり味は異なり香辛料が多種で、漬けタレのせいではないでしょうか?少し辛い

気がしますが甘辛煮にしたものもあります。

⑤牛肉炒め

これはどこの飯屋にもあるもので、牛肉を香辛料やニュクマム、香草の中に漬けて

置いたものを矢張り炭火で焼く(骨付き)が多く、骨をしゃぶる様に食べる人が殆

どです。トマトやキュウリ、玉葱等と一緒に炒められ香草(クレソン、ミント)等

が上に載せられて出てくる南部定番料理です。ご飯が一層美味しい。

豚肉料理も数多くあります。ただ、何時も書きますが、日本の様にパックに入って

売る事はなくて、スーパーでも少なく、大抵がブロックで購入し、自分で処理する。

肉やと親しくなると混んでいても結構親切にカットしてくれる。そんな市場が数件

あったので、私は凄く助かったし細かくカットして貰っていたことを思い出し懐か

しく・・(*^_^*)感じています。

薄く切って綺麗に並べられてあっても中身には脂身が隠されていたりするがその点

ブロックは自分で選択できるし脂身は全部取る事も筋切りも必要ならしてくれた!

昨日とは変わって朝日が爽やかに昇りだし、涼風が窓から時折「すぅー」と入っては

背中を通りすぎる浪速の朝です。
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ヴェトナムから浪速へ・・・(混乱記)
2012/09/01(Sat)
「秋祭りが近いのかしら?」近場の神社には紫の幟が周囲に立てられています。

そう言えば先日、下で数人の男女が寄付集めをしている声が聞こえた。ここが日本

とは思えないほど周囲を憚らない場所であることに気がついた・・(-_-;)

電話の声も隣接しているから、部屋を開けていると自然とやりとりの声が聞こえて

「これは嫌だなぁ」と思い、なるべく閉めようと思うのだが・・大きな声は地元の

人にとっては平気らしい!他愛もないお喋りなら何も苦にもならないが・・色々と

複雑な話やお金の話には閉口する。聞き耳立てているのでは決してないのだがーー

部屋でTVの音が聞こえている場合は気にならないのだが、編み物や本を読んでいる

時は困ります。耳に当然入ってくるから・・(-"-)そう言う話は長いから堪らない。

昨夕は空全体を暗雲が包んで、奈良方面から「いよいよ来る!」と言う感触を覚え

るほど真っ暗になって叩きつけるように雨が降り出しました・・雷鳴も何度も稲光

を連れて激しく襲来してきた。およそ2時間ほどはもう暗闇の中で斜めに走る雨音

だけが強く凄い威力を鼓舞しているかのようにさえ見えた。 先日の雷鳴は畏怖を

感じたが昨日は遠雷だったので雷は然程ではなかった・・!(^^)!

それでもあれだけ降ると矢張り気温は下がり、今朝は高原の朝の様に肌に残る暑さ

は完全に消え、気持ちの良い感覚が体中を湿り気で覆っていました・・( ^^)

※ ベトナムにも結納はあります・・

花嫁の友人が大抵は5人位でアオザイを着て1人づつ深紅のお祝いの、日本では多分

風呂敷の様な物を被せて持つのが習慣みたいです。品物はその家や出身地でも違う

ようですが・・お酒、煙草、お茶、餅米のケーキ、豚のロースト、果物、結納金等

又、場所により果物の砂糖漬等も独身女性に持たせて花嫁の実家に参上する。私が

経験した時は独身女性のアオザイは花嫁が全て準備する様で自分の物を着ないよう

でした。前の晩から泊まりに来て、花婿が用意した品物を2人のカップルが実家に

到着する前に着替え玄関の花のアーチ[これは殆ど花やが準備する。出来上がって

来たアーチ型に造花を差してその場で完成させる]それも又、面白い光景でした!

数人の花やが脚立に乗って上まで花で埋めていく作業は手慣れていて見事です・・

生花で作られたアーチは見たことがなかったから、きっとそれがごく普通の習慣な

のでしょう・・(#^.^#)

タクシーから降りた2人を後に、前列には数人の独身女性が前記した品を恭しく持ち

花嫁の家に入るまでの距離を見せて歩くのです。

家の中に入ってから1つづつ被せた布が取られて中身を見せる。参列者は周囲を取り

巻き、お金を確か金額は数えたかどうか定かに覚えていないけれど封筒から出して

見せていました。その後は指輪やネックレス、ピアスなどが贈られて、親族からも

アクセサリー類をあげる事があります。私も小粒でしたが嫁の姉の時は指輪を1つ

あげたのですが・・しっかり写真に撮られた記憶があります。

日本の結納とは違って興味津々でした。それからはお決まりの宴会が長時間も続く

のですがそれは花嫁側が用意するようで、結構散財していました。結納でも100人

位は来るからで、その人々の食事やお酒のもてなしも大変みたいです・・(@_@;)

多分、ケータリングか?仕出し屋さんに頼んでいたのではないかと思いますが・・

ベトナムの結納風景も一興があります。

朝は晴れていて洗濯物を干していたのですが・・先ほどから降り出してきました。

慌てて入れたところです! 浪速の朝は駄々っ子の様に降ったり止んだりです。
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